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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
5/27

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アブドーラ・タンバ
Abdullah Tamba
1950/5/27 - 2001/9/6

メキシコ・メキシコシティ出身のプロレスラー。

来歴

養父のオクタビオ・ガオナ(元NWA世界ミドル級王者)のトレーニングを受け、1970年にデビュー。タンバのリングネームで活動後、1982年8月、スコルピオ(ラファエル・ヌニェス)との髪切りマッチに敗れてスキンヘッドになったことを機にアブドーラ・タンバと改名。メキシコに遠征していたアブドーラ・ザ・ブッチャーのパートナーにも起用された。

唯一の来日は1983年3月、新日本プロレスの『ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾』。ブッチャーそっくりの風貌で人気を集め、初代タイガーマスクらと対戦した。ブッチャーとのタッグは日本では実現していない。

2001年9月6日死去。



安田 拡了
1954/5/27

フリーのプロレス・格闘技ライター。岐阜県出身。ニックネームはヤスカク

来歴

夕刊紙「名古屋タイムズ」の社会部記者、ラーメン店経営などを経て、フリーライターに転身。主に週刊プロレスで執筆し、新日本プロレス、パンクラスといった特定の団体に熱狂的な賛辞を送る一方、リングス、ハッスルといったオポジションの団体にはこじつけに近い批判を展開することで知られる。パンクラスに批判的な言動を行った村濱武洋の自宅にまで電話をかけ、恐喝に近い抗議を行った“事件”などもインターネット上で話題にされている。

新日本プロレスがテレビ中継(テレビ朝日『ワールドプロレスリング』)の放送時間を縮小される際、「レギュラー放送時間は縮小されるが、年6回の特番枠が用意される」との記事を書いた。

2006年、「G1 CLIMAX」の開催前にスポーツニュースウェブサイトにて、「棚橋弘至と永田裕志の2人は9分9厘 決勝リーグに勝ち上がってくるだろう」と述べたものの、2人とも予選リーグで敗退した。

週刊プロレスでは、試合評だけでなく、いくつかの連載コラムも執筆。また、携帯サイト「バトル三昧」では、コラム「ヤスカク飛び込みナビ」を連載した。

古巣である名古屋タイムズでは「格闘技インサイド・獅子たちの時代」という週一掲載のコラムを執筆していた。2007/8/9付け掲載分で連載500回、2008/8/7付け掲載分で終了した(全548回)。こちらでも新日本や、その派生団体を賞賛する傾向が強かった。例えば藤波辰爾が新日本を退団した直後、アントニオ猪木が単発興行「INOKI GENOME」の発表を行ったのを「藤波の退団によるマイナスイメージを緩和した」と述べていた。

ボクシングも取材領域であり、お膝元・名古屋の松田ジムに所属していた薬師寺保栄の取材を積極的に行っていた。1989/3/1、薬師寺が同年1/15に行ったとされる暴走行為が道路交通法違反にあたるとして、愛知県警察に通常逮捕された際、同年3/3付けの名古屋タイムズに「“リングの星”堕つ」といった見出しでこの事件の記事を書いたのは、同社社会部記者時代の安田だったという。


安田拡了ブログ

 
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エリック・ビショフ
Eric Bischoff
1955/2/27

アメリカ合衆国のプロレス・プロモーター、プロデューサー。2005年12月まで、WWEのTV番組ロウにおいてゼネラルマネージャー(GM)を務めていた。何か企んでそうな笑顔が特徴である。近年はTNAにて活動。

空手、拳法の有段者ということになっているが、本人によれば完全なギミックでもなく若い頃実際に道場で鍛えたそうである。プロレスラーではないが、ストーリーに応じて時折リングで試合を行うこともあった。

来歴

AWA

いくつかの職を経てAWAに営業職として就職、1989年に急遽インタビュアーを代理で始めたのがテレビに出た最初の仕事である。その後正式にインタビュアーを務めるようになったが、1991年にAWAが活動を終了。WWE(当時:WWF)への入団を希望したが採用されず、WCWへリングアナウンサーとして再就職。この経緯が後の彼の大きなモチベーションとなる。

WCW

WCWでもリングアナウンサーからプロモーター、ブッカーへと仕事を移していき、もともと優秀なビジネスマンだったこともあり1993年にはWCWの副社長まで上り詰めた。ビショフが現場の責任者となってストーリー構成の中心者になってからは、1995年にWWFのロウの裏番組としてマンデー・ナイトロを開始し、WWFに対して視聴率戦争(マンデー・ナイト・ウォーズ)を仕掛ける。またWWF、ECWから多額の移籍金で数多くのスーパースターを引き抜くようになる。

スーパースターの引き抜き、自らも加入したnWoの大ブレイクなどでWWFに対し人気優位に立ち、一時はWWFを倒産寸前まで追い詰めるもベテラン中心のストーリーで若手が育たず、またストーリーもマンネリ化が目立った。その間WWFはストーン・コールド・スティーブ・オースチンとビンス・マクマホンの抗争ストーリーなどで巻き返し、WCW側が窮地に立つ。ビショフは1999年にWCWを解雇されるも半年後に復帰。しかし2001年にはWCWが崩壊。

WCW崩壊後はTV番組のプロデューサーを務めたり、またインディー団体に関わるなどした。

WWE

2002年に電撃的にロウのGMとしてWWEと契約、ファン・関係者を驚愕させた。過去のWCWとWWEとのTV番組抗争、更にレスラーを引き抜いては十分に使わないで解雇するといった印象が強かったこともあり、GM就任以来一貫して強力なヒールを演じた。特にECWファンからは嫌われており、2005年に開催されたPPV、ECW ワン・ナイト・スタンドに反ECW義勇軍を率いて登場した際も、観客から多くのブーイングを浴びた。

ヒールらしく独裁的なGM活動を行い、2002/9/2に世界ヘビー級王座をトリプルHに授与する形で創設したり、同年10/20の統一戦でインターコンチネンタル王座を消滅させたりしていた(後に復活する)。また、WWEで最も過酷なデスマッチ形式「エリミネーション・チェンバー・マッチ」を考案したのも彼である。

2004年2月に来日し、2005/2/4に開催された、さいたま大会ROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOURにも参加し、同大会の開会宣言を務めた。

2005年10月から始まったロウとスマックダウンとの抗争にて、スマックダウン側にも登場。サバイバー・シリーズでの敗戦後、巻き返しをビンスに誓うも同年12月にGMを解任された。2006年秋、自伝「Controversy Creates Cash」(物議が金を生む)を出版、自書のプロモーションも兼ねてWWEのテレビ画面に復帰した。

2007年、WWEとの契約満了により退団(ストーリー上では解雇ということになっている)。

2009年にTNAと契約した。

入場曲

  • I'm Back(WWE時代)

エピソード、その他

  • 現場においてはハルク・ホーガン、ケビン・ナッシュ、DDPなど自分と仲のいい選手をプッシュし、また彼等が望めば簡単に高額の契約金を払ったことから「ATMエリック」と陰口を叩かれた。一方でリック・フレアーの派閥とは非常に仲が悪かった。
  • かつてはビル・ゴールドバーグと共に絶対にWWEには登場しないであろう人物の筆頭に挙げられていた。ビンス・マクマホンは宿敵であった彼を雇った理由を「自分の部下として働かせるなんて最高の復讐だ」と語っている。
  • 夫人のローリー・ビショフは「全米で最もセクシーな女性」の一人に選ばれたほどの美人である。
  • WCWのエグゼグティブ時代に、K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦の日本武道館大会に来場し、リング上でアンディ・フグに花束を渡したことがある。

WCW ライズ&フォール
WCW ライズ&フォール






アブドーラ・タンバ
Abdullah Tamba
1950/5/27 - 2001/9/6

メキシコ・メキシコシティ出身のプロレスラー。

来歴

養父のオクタビオ・ガオナ(元NWA世界ミドル級王者)のトレーニングを受け、1970年にデビュー。タンバのリングネームで活動後、1982年8月、スコルピオ(ラファエル・ヌニェス)との髪切りマッチに敗れてスキンヘッドになったことを機にアブドーラ・タンバと改名。メキシコに遠征していたアブドーラ・ザ・ブッチャーのパートナーにも起用された。

唯一の来日は1983年3月、新日本プロレスの『ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾』。ブッチャーそっくりの風貌で人気を集め、初代タイガーマスクらと対戦した。ブッチャーとのタッグは日本では実現していない。

2001年9月6日死去。






ブル・ラモス
"Apache" Bull Ramos
1935 - 2006/5/27

マニュエル・ラモスManuel Ramos、インディアンの血を引くメキシコ系アメリカ人のプロレスラー。テキサス州ヒューストン出身。

インディアン・ギミックのレスラーでは珍しくヒールのポジションで活動し、ミル・マスカラスやブルーノ・サンマルチノなどの大人気スターを相手に狂乱ファイトを繰り広げた。日本での異名は「殺人アパッチ」。

来歴

学生時代からボクシングで鳴らし、テキサス州のゴールデングローブで優勝した実績を持つ。プロレスファンの叔父の勧めでヒューストンのプロモーターだったポール・ボーシュにコンタクトを取り、プロレスラーのダニー・マクシェインのトレーニングを受けて1956年にデビュー。当初は「ジョン・アルバーノ」なるイタリア系レスラーとして売り出される予定だったが、インディアンの出自をもとに "アパッチ" ブル・ラモスをリングネームとした。

デビュー当時は100kgにも満たなかったものの、キャリアを重ねるにつれてスーパーヘビー級のウエイトとなり、その巨体を見込まれ1967年よりニューヨークのWWWFに登場。翌1968/2/19、新造されたマディソン・スクエア・ガーデンでのオープニング興行において、メインイベントでブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦した。1969年からはロサンゼルス地区に進出し、当時西海岸で大旋風を巻き起こしていたミル・マスカラスと熾烈な抗争を展開。マスカラスの覆面を破り裂き、髪と覆面を賭けて闘う「ヘアーvsマスク(カベジェラ・コントラ・マスカラ)」の遺恨戦に持ち込むも、試合に敗れ髪の毛を切り落とされた。マスカラスとは、得意のチェーン・マッチでも闘ったことがある。

1970年7月にはテキサスのアマリロ地区でテリー・ファンクからウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取。以降は1970年代末まで太平洋岸北西部のPNWを主戦場とし、看板タイトルのパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座をダッチ・サベージやジミー・スヌーカらと争った。その間、テキサスをはじめオクラホマやニューメキシコなど南西部のテリトリーにも参戦。同じくインディアンの血を引くメキシコ系のリッキー・ロメロらと抗争した。

一貫してヒールだったラモスだが、1978年にダラス地区でベビーフェイスとなり、マーク・ルーインやキラー・カール・クラップと対戦している。しかし、翌1979年にはヒールに戻って古巣のロサンゼルスを襲撃、アル・マドリルからNWAアメリカス・ヘビー級王座を奪取した。1980年はビル・ワットが主宰するMSWAに参戦、4月にマイク・シャープを破りミシシッピ・ヘビー級王座を獲得している。

1982年に膝を負傷して現役を引退。リタイア後は地元のヒューストンで救援サービス業に就いていた。2006年5月27日、肩の感染症により死去。晩年は糖尿病の影響で足を切断し、盲目となっていた。1970年代にテキサスやロサンゼルスで闘ったチャボ・ゲレロのホームページ上での弔辞によると、ラモスは周囲を陽気にさせるムードメイカーであり、ドレッシングルームの規律を正す牢名主的存在でもあったという。

日本での活躍

日本には通算8回来日している。初来日となる1969年2月の日本プロレスでは、ザ・デストロイヤーと組んでジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が保持するインターナショナル・タッグ王座に挑戦した。シリーズ終了後の3月には韓国に遠征し、ソウルで大木金太郎のアジアヘビー級王座にも挑戦。以降も日プロに度々参戦し、1972年8月の来日時はクリス・マルコフを相手に乱闘事件を起こしている(マルコフの人種差別的な態度に激昂したことが原因とされている)。

1973年6月には全日本プロレスに参戦。以降は全日本を日本での主戦場とするようになり、1975年8月の来日では同タイプの巨漢ラフファイターのキング・イヤウケアとタッグを結成。「カメハメハ王朝の末裔・イヤウケア」と「インディアン酋長の子孫・ラモス」というキャラクター設定から、両者のチームはザ・タイクーンズと名付けられた。1977年4月には第5回チャンピオン・カーニバルに出場。公式戦で対戦したアブドーラ・ザ・ブッチャーとのコンビで馬場&ジャンボ鶴田のインタータッグにも挑戦した。1978年1月の最後の来日では、イヤウケアとのタイクーンズで大木金太郎&キム・ドクの同王座に連続挑戦している。

獲得タイトル

ロサンゼルス
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回
  • NWAアメリカス・タッグ王座:2回(w / ブラック・ゴードマン)
アマリロ
  • NWAブラスナックル王座:1回
  • NWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座:2回
  • NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / ザ・ビースト)
ニューメキシコ
  • ロッキーマウンテン・ヘビー級王座:1回
ダラス
  • NWAテキサス・タッグ王座:2回(w / キャプテンUSA、タイガー・コンウェイ・ジュニア)
PNW
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:4回
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:5回(w / ケン・マンテル、リッパー・コリンズ、ジェシー・ベンチュラ×2、アイアン・シーク)
トライステート / MSWA
  • NWA北米ヘビー級王座:1回
  • ミッドサウス・ミシシッピ・ヘビー級王座:1回

  

















 
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