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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
5/29


 
 


 
 

フライ・トルメンタ
Fray Tormenta
1945/5/29

メキシコ出身の覆面レスラー。本名はセルヒオ・グティエレス・ベニテスSergio Gutiérrez Benítez)。

来歴

少年時代は貧しい家庭で育った反動から非行に走っていたが、20代の時に更生して神父になる。現在でも教会で神父をしながら孤児院を経営している。

30代になった頃、教会には昔の自分と同じ境遇にある孤児達で溢れかえっていた。それに困っていた時、テレビでルチャ・リブレを見たことがきっかけでプロレスの道を歩む様になる。有名になるまではプロレスのファイトマネーで孤児院を運営していた。

現在は引退し、この孤児院出身者の一人が弁護士をしながらフライ・トルメンタ・ジュニアとして活躍している。


ルチャリブレ

 
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サムラ・アノアイ
Samula Anoa'i
1963/5/29

アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州サンフランシスコ出身のサモア系アメリカ人。

ワイルド・サモアンズのアファ・アノアイの息子であり、元WWF世界ヘビー級王者のヨコズナことロドニー・アノアイ、リキシのリングネームで活躍したソロファ・ファトゥ、ソロファの弟のウマガことエディ・ファトゥらは、彼の従弟にあたる。

来歴

ワイルド・サモアン

アノアイ・ファミリーの総帥である父親アファ・アノアイのトレーニングのもと、1980年代初頭に10代でデビュー。1983年3月、負傷した叔父シカ・アノアイの代打としてアファのパートナーとなり、ワイルド・サモアンズの3号となってニューヨークのWWFに登場。シカの復帰後もWWFでの活動を続け、ボブ・バックランドやジミー・スヌーカとも対戦した。

1984年3月にはWWFとの提携ルートで新日本プロレスにワイルド・サモアンThe Wild Samoan)のリングネームで初来日。同年11月開催の『第5回MSGタッグ・リーグ戦』では、来日中止になったカート・ヘニングの代打としてハルク・ホーガンのパートナーに起用されたが、ホーガンが途中帰国したため戦績を残すことはできなかった。以降も新日本の常連外国人となり、1980年代後半は従弟のグレート・コキーナとのタッグで活躍した。

1986/6/26、遠戚にあたるピーター・メイビアの未亡人リア・メイビア(ザ・ロックの祖母)がプロモートするハワイのポリネシアン・パシフィック・レスリングにて、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。4日後の6/30にはカナダのモントリオールでディノ・ブラボーからインターナショナル・ヘビー級王座を奪取、11月にデビッド・シュルツに敗れるまで保持した。

サモアン・スワット・チーム

1987年、プエルトリコのWWCにてサムゥSamu)と名乗り、従弟のファトゥとのタッグチーム、ザ・サモアン・スワット・チームThe Samoan Swat Team)を結成。1988年からはテキサス州ダラスのWCCW / WCWAに進出し、8/12にケビン&ケリー・フォン・エリックからWCWA世界タッグ王座を奪取した。WCWAではバディ・ロバーツがマネージャーを務め、以降同王座を通算3回獲得。同年12月にはAWAのイベント "SuperClash III" にも出場している。

1989年、テッド・ターナーのWCWに買収されて間もないNWAミッドアトランティック地区に参戦。ポール・E・デンジャラスリーを新しいマネージャーに迎え、同じヒール陣営のファビュラス・フリーバーズとも共闘。7/23の『グレート・アメリカン・バッシュ'89』にて行われた5対5の時間差金網デスマッチ「ウォー・ゲーム」にはフリーバーズのマイケル・ヘイズ、テリー・ゴディ、ジミー・ガービンと組んで出場し、ロード・ウォリアーズ、スティーブ・ウィリアムス、ミッドナイト・エクスプレス(ボビー・イートン&スタン・レーン)のチームと対戦した。

WCW離脱後はグレート・コキーナを加えたトリオでメキシコのUWAにも登場し、1991/1/27にエル・トレオで開催されたアニバーサリー・ショーにおいて ミル・マスカラス、ドス・カラス、エル・カネックの頂上トリオと対戦している。なお、新日本プロレスにおけるコキーナとワイルド・サモアンのタッグチームも「サモアン・スワット・チーム」と呼称される場合があった。

ヘッドシュリンカーズ

以降もファトゥとのコンビで活動し、テネシー州メンフィスのUSWAを経て、1992年よりWWFに復帰。南洋の首狩り族をイメージしたザ・ヘッドシュリンカーズThe Headshrinkers)にチーム名を改称し、父親のアファがマネージャーを担当。アースクエイクとタイフーンのナチュラル・ディザスターズ、オーエン・ハートとココ・B・ウェアのハイ・エナジーなどのチームと抗争し、1993年4月4日の『レッスルマニア9』ではリック&スコットのスタイナー・ブラザーズと対戦した。

1994/4/26放送の『マンデー・ナイト・ロウ』ではジャックとピエールのザ・ケベッカーズを破り、WWF世界タッグ王座を獲得。親子2代に渡る同王座への戴冠を果たしたが、4カ月後の8月28日にショーン・マイケルズ&ディーゼルにタイトルを奪取された。

その後はファトゥと共にベビーフェイスに転向し、IRSやバンバン・ビガロなどテッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションとの抗争を開始するが、負傷のためWWFを離脱。ファトゥはWWFに残留し、シオネを新パートナーにニュー・ヘッドシュリンカーズを編成した。

サモアン・ギャングスタ・パーティ

WWF離脱後の1995年からは実弟のロイド・アノアイ(LA・スムーズ)や従弟のマット・アノアイ(ビッグ・マッティ・スモールズ)を従え、サモア系のストリートギャングをギミックとしたザ・サモアン・ギャングスタ・パーティThe Samoan Gangsta Party)を結成。自身のリングネームもサミー・ザ・シルクSammy the Silk)と改め、ユニットのリーダー格となってインディー団体を転戦。1996年はECWにてニュー・ジャック&ムスタファ・サイードのザ・ギャングスターズを相手に、アフリカ系対サモア系のギャングスタ抗争を展開した。

以降、1990年代後半はマット・アノアイとのコンビまたはシングル・プレイヤーとしてペンシルベニアのPWXやニュージャージーのISPWなど、アメリカ東部のインディー団体に出場。2000年代からはメリーランド州ヘイガーズタウンに本拠を置く "National Wrestling League" にて活動し、アファ・アノアイの主宰する "World Xtreme Wrestling" にもレギュラーで参戦、WXWヘビー級王座を5回に渡って獲得した。

2007年3月31日に行われたWWE殿堂の式典では、殿堂入りを果たした父アファと叔父シカのワイルド・サモアンズのインダクターをマット・アノアイと共に務めている。

獲得タイトル

WWC
  • WWCカリビアン・タッグ王座:1回(w / ファトゥ)
  • WWC世界タッグ王座:1回(w / タヒチアン・ウォリアー)
WCCW / WCWA
  • WCWAテキサス・タッグ王座:1回(w / ファトゥ)
  • WCWA世界タッグ王座:3回(w / ファトゥ)
WWF
  • WWF世界タッグ王座:1回(w / ファトゥ)
NWL
  • NWLヘビー級王座:4回
  • NWLタッグ王座:2回(w / ジョン・ランボー)
WXW
  • WXWヘビー級王座:5回





レオナルド・スパンキー/スパンキー
1979/5/29

ブライアン・ケンドリックBrian Kendrick)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ワシントン州オリンピア出身。

来歴

ショーン・マイケルズが主宰したテキサス・レスリング・アカデミー(TWA)でトレーニングを積み、1999年デビュー。TWAを始め各地のインディ団体を主戦場としていた。

2001年にアメリカで行われたキング・オブ・インディーズ・トーナメントでの活躍が注目され、スパンキーのリングネームでROHや日本のZERO-ONEなど活躍の場を広げていく。その活躍がWWEの目にとまり、2003年にWWEとの最初の契約を行う。

WWEではスマックダウンに属し、ブライアン・ケンドリックの名前で歌う電報マンとしてジ・アンダーテイカーにラストライドされるというデビューを飾る。翌週、電報マンだったはずの彼は、なぜかスマックダウンの収録会場に姿を見せており、それに気づいた悪魔の代弁者ショーン・オヘアに唆されて、会場を全裸で走りまわるというパフォーマンスをやってのけた。その際、当時スマックダウンのGMだったステファニー・マクマホンの前にも全裸で現れ、それを見たステフは何となく感心している。その後、カート・アングルと制限時間内に負けなければスマックダウンとの契約を獲得できるという条件で対戦し、残り2秒のところまで粘るものの敗退してしまう。契約を勝ち取れなかったケンドリックは、マスクマンに変装し、ひそかにスマックダウンの会場に潜入し参戦していたものの、試合途中に変装は見破られた。

その後、ジョン・シナとの絡みを機にヒップホップギミックのスパンキーに改名。以後ポール・ロンドンとチームを組むなどしてクルーザー級戦線のレスラーとして活躍したが、ジョン・シナとの抗争ストーリーに不満を持ったブライアンは2004/1/13にWWEを退団した。

WWE退団後はROHや、レオナルド・スパンキーのリングネームでZERO1-MAXやハッスルをメインに活動し、その間の2004年4月にはTNAと契約まで行くも試合には登場しなかった。

2005/6/28に、WWEと2回目の契約。本名のブライアン・ケンドリックでスマックダウンに登場するようになった。2006年にはロンドンとのタッグでジャッジメント・デイにてMNMを倒し、WWEタッグ王座を獲得した。その後デュース・アンド・ドミノに敗れるまで一年近く防衛するという長期政権を築いた。

2007年のドラフトでロンドンと共にRAWに移籍。RAWのハウス・ショーでランス・ケイド&トレバー・マードックを下し世界タッグ王座を獲得するも、一夜限りで奪い返されている。以降は活躍の機会に恵まれなかった。

2008年6月に行われたドラフトでスマックダウンに移籍したため、ロンドンとのタッグは自然消滅。移籍後はリングネームに定冠詞 "The" を付けてジ・ブライアン・ケンドリックとし、白や赤などの派手なライダースジャケットに身を包み、エゼキエル・ジャクソンをボディーガードに従えヒールに転向した。 ヒールターン後、自らを「スマックダウンの未来」と称して大口叩きをするようになる。対戦相手に一撃を決めたあとで挑発的なダンスをかましたり、身の危険時にはエゼキエルの後ろに隠れこんで相手を小馬鹿にするなど、軟弱系エゴイストヒールとして活動。 アンフォーギヴェンではWWE王座戦スクランブル・マッチに出場。スマックダウン番組内ではエゼキエルと共にカリート&プリモのWWEタッグ王座に挑戦したが、いずれもタイトル獲得には至らなかった。

2009年の追加ドラフトによりRAWへ移籍、相棒のエゼキエルはECWに移籍してしまったため、またもやタッグは自然消滅となる。その後コロンズを標的にし、タッグパートナーを探し統一タッグ王座を奪うと宣言していたが、そのままフェードアウト。7月27日のコフィ・キングストン戦を最後に、7/30付でWWEを解雇された。

2010年からはTNAに参戦し、ミック・フォーリー、ロブ・ヴァン・ダム、レイヴェン、トミー・ドリーマーなどの旧ECW勢が結成したEV 2.0Extreme, Version 2.0)に加入、リック・フレアー率いるFortuneのAJスタイルズやダグラス・ウィリアムスらと抗争を展開した。

リングネーム

ケンドリックが用いたことがあるリングネーム

  • スパンキー
  • レオナルド・スパンキー
  • ブライアン・ケンドリック
  • ジ・ブライアン・ケンドリック
獲得タイトル
NWA
  • NWAジュニアヘビー級王座 : 1回
  • NWAインターナショナル・ライトヘビー級タッグ王座 : 1回(w / カズ・ハヤシ)
  • NWA US王座 : 1回
MCW
  • MCW南部タッグ王座 : 1回(w / アメリカン・ドラゴン)
  • MCW南部ライトヘビー級王座 : 3回
TWA
  • TWAタッグ王座 : 1回(w / アメリカン・ドラゴン)
  • TWA TV王座 : 1回
WWE
  • WWEタッグ王座 : 1回(w / ポール・ロンドン)
  • WWE世界タッグ王座 : 1回(w / ポール・ロンドン)

入場曲

  • Hey You
  • Man With A Plan





キーラ・グレイシー
Kyra Gracie
1985/5/29

ブラジルのブラジリアン柔術家。リオデジャネイロ市出身。グレイシーバッハ所属。

ブラジリアン柔術創始者カーロス・グレイシーのひ孫(カーロスの次男カーロス・ホブソン・グレイシーの娘フラビア・グレイシーの娘)。ヘンゾ、ハウフ、ハイアンは叔父にあたる。

人物
  • 恵まれたルックスとプロポーションを生かし、ファッションモデルもこなしている。
  • ブラジリアン柔術家マーシオ・フェイトーザと交際・同棲していたことがある。

来歴

2003年4月、アメリカ合衆国カリフォルニア州で開催されたパンアメリカン柔術選手権に出場。紫帯スーパーフェザー級の準決勝で藤井惠をポイント判定、決勝でも茂木康子を一本で下し、優勝を果たした。

2003/8/6のスマックガールで藤井惠との対戦が予定されていたが、直前になってビザの問題などで来日は実現しなかった。

2004年9月に初来日し、9/4に開催された女子格闘技興行「CROSS SECTION」をリングサイドで観戦した。

2004/9/14にフジテレビで放送された番組「世界衝撃のスゴびっくり!大集合格闘王スペシャル!!」のスタジオで、芸人三又忠久と柔術マッチで対戦。オモプラッタからの三角絞めを仕掛け、三又が逃れたところに巴投げからの腕ひしぎ十字固めで1分13秒タップアウト勝ち。

2005年5月、アブダビコンバット女子60kg未満級の1回戦でエリカ・モントーヤに勝利、準決勝で藤井惠を腕ひしぎ十字固めで下すと、決勝でレカ・ヴィエイラをポイント判定8-0で下し、優勝。

2006年7月、ブラジリアン柔術世界選手権(ムンジアル)に出場し、女子茶・黒帯レーヴィ級で優勝。ムンジアルの黒帯を初制覇する。

2006年10月、世界ブラジリアン柔術連盟(CBJJ)主催の国際大会「第1回ブラジリアン柔術アジア選手権」(アジアチコ)で日本初試合。女子茶・黒帯レーヴィ級トーナメント(決勝ワンマッチのみ)で服部恵子を判定で下し、優勝。

2007年5月、アブダビコンバット女子60kg未満級の準決勝で赤野仁美、決勝でタラ・ラローサを下し、2連覇を果たした。無差別級では1回戦でアネッチ・クアドロスに敗北。

獲得タイトル

  • パンアメリカン柔術選手権(パンナム) 女子青帯レーヴィ級 優勝(2001年)
  • パンアメリカン柔術選手権(パンナム) 女子青帯レーヴィ級 優勝(2002年)(2連覇)
  • パンアメリカン柔術選手権(パンナム) 女子紫〜黒帯プルーマ級 優勝(2003年)
  • ブラジリアン柔術世界選手権(ムンジアル) 女子紫〜黒帯ペナ級 2位(2004年)
  • ブラジリアン柔術世界選手権(ムンジアル) 女子茶・黒帯レーヴィ級 2位(2005年)
  • ブラジリアン柔術世界選手権(ムンジアル) 女子茶・黒帯レーヴィ級 優勝(2006年)
  • 第6回 アブダビコンバット 女子60kg未満級 優勝(2005年)
  • 第7回 アブダビコンバット 女子60kg未満級 優勝(2007年)(2連覇)

キーラ・グレイシーvs藤井恵
Entrevista com Kyra Gracie
キーラ・グレイシー画像

  



ホーンスワグル
Hornswoggle
1986/5/29

ディラン・ポストゥルDylan Postl)は、アメリカ合衆国の男性プロレスラー。ウィスコンシン州オシュコシュ出身。SmackDown!に所属。初登場時はリトル・バスタードと呼ばれていた。

一発ネタで終わることの多いミゼットレスラーとしては珍しく、個性的なキャラクターと試合におけるコミカルな動きで長期的に高い人気を維持しているレスラーである。

プロフィール

2006年5月のスマックダウンに突如フィンレーの合図でアイルランドの妖精としてリング下に登場。それ以降フィンレーと共に行動する。

2007年にはホーンスワグルと名乗りクルーザー級王座を獲得。WWEではたくさんのミゼットレスラーが登場したがミゼットとしては1年以上も出場し、しかもタイトルまで獲得したのは彼が初めてである。その上WWEの男子レスラーではスパイク・ダッドリーを抜いて最も体重が軽く、クルーザー級王座を最年少(21歳)で獲得した実績もある。その後ジェイミー・ノーブルとの抗争を経て、オーナーであるビンス・マクマホンの隠し子であった(というストーリー)事が発覚する。 11/5のRAWでDXが一夜のみ復活した時、自分もDXに入りたいといいDXの承諾を得て、決め台詞の「suck it!!」というかと思われたが、(ブギーマンとザ・グレート・カリも一緒にいた)ジョナサン・コーチマンが現れ、結局何も言わずに退場した。その後ビンスの命令によりサバイバー・シリーズでザ・グレート・カリと戦うこととなった。試合ではフィンレーが乱入し反則負けとなるがフィンレーと協力してカリを倒す。

2008年にはロイヤルランブルに史上最小レスラーとして出場。その後、ビンスの隠し子ではなく実はフィンレーの隠し子であったというストーリーが展開され、番組内でもフィンレーとタッグ戦を行うようになる。この頃からベビーターンする。6月の追加ドラフトにより、フィンレーと共にECWへ移籍。移籍後もベビーとしてフィンレーと共に活動する。

2009年の追加ドラフトにより、RAWへの移籍が決定し、ECWに残留したフィンレーと別れることとなる(ただし、親子アングルは継続中)。移籍後はゴールダストと共に活動していたが、その後ゴールダストのECWへの移籍に伴い、シングルでの活動となった。その後はチャボ・ゲレロと抗争していたが毎回チャボにハンデが付けられたり、マーク・ヘンリーやエヴァン・ボーンなどの援護によって全試合勝利し、ついにチャボは自ら敗北を宣言した。これにより一応の決着がつく。その後は復活したD-ジェネレーションXとコメディタッチのやり取りを繰り広げていたが12月21日のRAWでDXメンバーのショーン・マイケルズとトリプルHに認められDXの公式マスコットとなる。2010年に入るとDXと絡むことは少なくなり、ゲストホストとの絡みが多くなる。そして4月の追加ドラフトによりSmackDown!へ移籍する。 移籍後はしばらくフェードアウトしていたが、GM専用ルームの植木に擬態しているところをセオドア・ロングに発見される形で復帰する。 その後はコミカル路線に走っており、ジャック・スワガーの公認マスコットだったザ・イーグル(レスラーが鷲の着ぐるみを着用している。正体はチャボ・ゲレロとの噂もあるが公式発表はない)との抗争などで観客の笑いを誘った。

2011年3月から開始されたNXTシーズン5ではタイタス・オニールのプロを務めることとなった。

タイトル履歴

WWE

  • WWE・クルーザー級王座:1回(最終王者)

PWI

  • PWI 2007ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)

その他

  • 王座保持期間中に剥奪され、クルーザー級王座は廃止されたため、最後のクルーザー級王者になった。
  • 初登場時には名の無い妖精リトル・バスタードの通称で通っていたが、テレビ放映局にこのリングネームを問題視された(小人症の人に対する差別的な名前でもあったから)ため現在のホーンスワグルへと変更された。
















 
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