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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
5/30


 
 


 
 


ジェイク・ロバーツ
Jake "The Snake" Roberts
1955/5/30

ジェイク・ロバーツ

アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はオーレリアン・ジェイク・スミス・ジュニアAurelian Jake Smith, Jr.)。テキサス州ゲインズビル出身。1980年代のスーパースターの一人で、DDTの開発者としても有名。

父親のオーレリアン "グリズリー" スミス、弟の"カウボーイ" サム・ヒューストン、妹のロッキン・ロビンもプロレスラー。

来歴

父のコーチを受け、1975年にデビュー。父がブッカーを務めていたルイジアナ州のMSWA(ビル・ワット主宰)、カナダ・カルガリーのスタンピード・レスリング(スチュ・ハート主宰)、NWAジョージア地区のGCW(ジム・バーネット主宰)、テキサス州ダラスのWCCW(フリッツ・フォン・エリック主宰)などで活躍。その独特の滑るような動きと細身の体型、無表情で陰湿なヒールとしてのキャラクターから、「ザ・スネーク」のニックネームを付けられるようになる。

1986年にWWF(現:WWE)に移籍、リッキー "ザ・ドラゴン" スティムボートとの「龍対蛇」の抗争をスタート。ビンス・マクマホンによってそのキャラクターには更に肉付けがなされ、リングにはペットのニシキヘビ「ダミアン」を袋に入れて持参するサイコパス系の怪奇派ヒールとなった。また、スネーク・ピットThe Snake Pit)なるインタビューコーナーのホストも担当した。

WWFにおいてもトップ選手の一人としてアンドレ・ザ・ジャイアント(アンドレには「蛇嫌い」という設定がなされた)、ランディ・サベージ、アルティメット・ウォリアーらトップスターと抗争を繰り広げたが、ハルク・ホーガンとの本格的な抗争はなぜか展開されなかった。彼らとの抗争中に当時若手だったジ・アンダーテイカーと怪奇派コンビを結成するが、その後仲間割れしレッスルマニア8で対戦、敗れてそのままWWFを去った。

その後WCWへの短期参戦やメキシコ、インディー巡りを経て、1996年にWWFに復帰。以前とは打って変わって敬虔なキリスト教徒ギミックに変わっての参戦だった。同年のキング・オブ・ザ・リング決勝戦でストーン・コールド・スティーブ・オースチンに敗れる。この時にオースチンが発したのが、彼が大ブレイクするきっかけとなった「オースチン3:16」という決め台詞である。翌年WWFから解雇。

その後は表舞台から姿を消すが、1999年公開のドキュメンタリー映画『ビヨンド・ザ・マット』の中に、地方の小さな会場で試合に出続けるロバーツのインタビューが収められた。この映画の中で、ロバーツは複雑な家庭環境で育った少年時代、父からの性的虐待、ドラッグ中毒といった問題を告白し、大きな話題となった。その後も動物虐待や交通事故など、スキャンダラスな話題が続く。現在でも引退はしておらず、愛蛇ダミアンとともに地方のインディー団体を放浪する生活を続けている。一時期は行方不明となったり、ヨーロッパに現れたりと漂流し、2005年3月には突如WWEにゲスト登場した(テイカーとの対戦を控えたランディ・オートンにRKOで沈められる)。2006年からはTNAにも登場した。暗いイメージが付きまとうが、レイヴェンなど、彼を憧れの選手として崇める選手は多い。近い将来のWWE殿堂入り候補。

日本には1979年に国際プロレスへ初来日。翌1980年の再来日ではロックバンドのキッスばりの顔面ペインティングを施していた。当時、ペイントレスラーは世界的にも珍しかっただけに話題となったが、キャリア不足だったこともあって試合においては目立った活躍は果たせなかった。しかしながら、レスリングセンスの良さは当時から高い評価を獲得しており、将来のエース候補と期待されていた。

獲得タイトル

  • スタンピード北米ヘビー級王座:1回
  • ミッドサウス北米ヘビー級王座:2回
  • ミッドサウス・ルイジアナ・ヘビー級王座:1回
  • ミッドサウスTV王座:1回
  • NWA TV王座(ジョージア版):2回
  • WCCW TV王座:1回
  • NWA世界6人タッグ王座(テキサス版):1回(w / ジノ・ヘルナンデス&クリス・アダムス)
  • SMWヘビー級王座:1回
  • AWFヘビー級王座:1回
  • AWFプエルトリカン・ヘビー級王座:1回

 etc.

入場曲

  • Snake Bit

 
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大向 美智子
1975/5/30

大向美智子

元女子プロレスラー。現在はセラピストとして活躍している。岩手県久慈市出身。

久慈市小袖海岸の「北限の海女」として2009年夏に話題になった同姓の「かわいすぎる海女」、大向美咲は親戚。

所属

  • 全日本女子プロレス(1991年 - 1992年)
  • LLPW(1993年 - 1997年)
  • アルシオン(1997年 - 2003年)
  • フリーランス(2003年 - 2007年)

来歴

小学生の時にクラッシュギャルズに憧れてレスラーを志し、1991年の中学卒業と同時に全日本女子プロレスの新人オーディションを受けて合格、同期に前川久美子・玉田りえ(凛映)・長谷川(白鳥)智香子らがいた。

  • 1991年、怪我が多くプロテストには最後まで合格できずにいた。後楽園ホールの通路でスクワットを行い続けることで気力を認められ、ようやくプロ入りを許される。
  • 1992/1/11、中見川志保戦でデビューするが、デビュー前の練習中に痛めた右膝十時靭帯の影響もあって引退。
  • 1993年、旗揚げしたばかりのLLPWにて再デビューを嘆願。試練の連戦を経て正式に入団を許可される。
  • 1994年、全日本女子プロレスの長谷川咲恵、伊藤薫チームから、LLPWの半田美希、紅夜叉チームに全日本タッグ選手権の王座が移動。大向は9月27日のLLPW大阪大会にて、キャロル美鳥とチームを結成し同王座に挑戦、見事奪取に成功。第18代王者となる(その後全日本女子プロレスの吉田万里子、玉田りえチームに敗退し、王座転落)。
  • 1995年 - 1997年、LLPWのアイドルレスラーとして活躍。FMWのシャーク土屋と抗争を繰り広げたり、写真集『BLOOMING』を発表して話題を集めるも、古参レスラーの層が厚いLLPW内でレスラーとしての価値を向上させることができず、伸び悩む。1997年夏、経営難の全日本女子プロレスから退社した元広報部長小川宏、アジャ・コングらが立ち上げた新しい女子プロレス団体アルシオンからヘッドハンティングの打診を受ける。二上美紀子(現・GAMI)とともに移籍を決意、LLPWを退団する。
  • 1998年2月、後楽園ホールで行われたアルシオン旗揚げ戦では、いきなりアジャ・コングとシングル対決。レフェリーストップ負けを喫したものの、蹴りなどの打撃に活路を見出したファイトスタイルを提示し、新生・大向美智子をアピール。アルシオンでは参戦選手にライセンスナンバーを発行しており、大向のライセンスはNO.5だった。
  • 1999年、アルシオンが年に二回開催していたシングル・トーナメントARS(5月開催)でGAMI、キャンディー奥津、矢樹広弓を連破して初優勝。そして8月に開催されたトーナメントZIONでは玉田凛映、GAMI、下田美馬を連破して、連続優勝。シングルプレイヤーとしてのグレードを一気にひき上げる。
  • 2000年、前年よりアルシオンに参戦し、所属選手と反目しあっていた下田美馬、三田英津子のラス・カチョーラス・オリエンタレスに急接近。さらに府川唯未を巻き込み、美形レスラーによるユニット「VIP」を結成する。VIP内では特に下田美馬と手が合い、4/7の川崎大会では2人のペアで、アジャ・コング、吉田万里子組からツインスター・オブ・アルシオン王座を奪取することに成功。また、GAMIの結成したユニット「Re Drug」らと、激しくも楽しいデッドヒートを展開した。
  • 2001年、アルシオン内では一番早くアジャ・コング越えを果たしてクイーン・オブ・アルシオン王者となった後輩の浜田文子に宣戦布告。7/3後楽園ホールで血みどろの壮絶なタイトル戦を繰り広げるが、敗北。前後してアルシオンに参戦したライオネス飛鳥が、11月に東京ベイNKホールで浜田の王座を奪取。大向はターゲットを飛鳥に絞る。またVIPを解散させ、後輩の藤田愛をタッグパートナーに抜擢、チーム名を「サイバージャンクス」とし、タッグ戦線を盛り上げる。
  • 2002年2月、サイバー・ジャンクスでツインスター・オブ・アルシオン王座を獲得。5/11、ライオネス飛鳥からクイーン・オブ・アルシオンのベルトを奪取、名実ともに団体の頂点に立つ。
  • 2003年2月、経営難に陥ったアルシオンを退団。クイーン・オブ・アルシオン王座は返上。フリー選手となった。5月11日、全日本女子プロレス創立35周年記念大会で新日本プロレスの金本浩二と一夜限りのタッグを結成。一部マスコミでは(美男・美女タッグ)と報道された。年末、吉田万里子、AKINO、中西百重、Baby-Mと、フリー選手によるユニット「M's Style」を結成(中西はその後離脱)。定期的に主催興行を行うようになる。
  • 2005/6/28、総合格闘技大会スマックガールに自ら「リアル女子プロレスラー」を名乗り参戦。「リアルプロレスラー」美濃輪育久と特訓して臨み、韓国のイ・ヒジンと対戦。1Rにバックドロップを決めるなどし、最後は鼻骨骨折で鼻血を出しながらもパンチ連打でKO勝ちを収めた。
  • 2007/8/4、女子プロレス専門誌「Lady'sリング」が主催した「レディリンまつり」に於いて、結婚および12月9日の自主興行(新宿FACE)で現役を引退することを発表。当日はアルシオン、M's Styleで共闘した仲間と8人タッグマッチを行い、リングを去った。

入場テーマ曲

  • EGOIST TRANCE

写真集

  • 「BLOOMING」(竹書房)
  • 「ARTEMIS」(ゲオ出版)
  • 「Nang Far」(竹書房)

ビデオ/DVD

  • 「ARTEMIS」(東芝EMI)
  • 「Nang Far」(竹書房)

アルテミス
大向美智子写真集
アルテミス 大向美智子写真集


BLOOMING
女心が開花する
大向美智子写真集
BLOOMING 女心が開花する 大向美智子写真集


ATHENA in
大向 美智子
大向 美智子



大向美智子





蒲原 唯
1982/5/30

元女子プロレスラー。身長158cm、体重50kg、血液型O型。長野県長野市出身。本名は非公開。

経歴・戦歴

2004年
  • 2/28、埼玉・春日部インディーズアリーナにおいて、対さくらえみ戦でデビュー。
  • 10/31、我闘姑娘の旗揚げ戦の準備中に両足首を脱臼骨折。以後長期欠場。
2005年
  • 欠場から復帰することなく、3月末を以て我闘姑娘を退団、引退。





九州山義雄
1913/10/20 - 1990/5/30

1930年代に活躍した大相撲の力士である。福岡県山田市(現嘉麻市)出身、出羽海部屋所属。最高位は小結。現役時代の体格は176cm、88.5kg。本名は大坪義雄。

来歴

昭和5年(1930年)1月場所で初土俵をふみ、負け越しなしで昭和7年(1932年)5月場所に十両昇進、春秋園事件からの帰還組との対戦でもまれたために十両では時間がかかったが、昭和9年(1934年)1月場所、大正生まれとして初の幕内力士となった。激しく動き回る相撲で相手をかくらんするのが得意であった。昭和13年(1938年)1月場所には小結昇進、その場所大負けはしたものの、横綱玉錦を素首落としで破る殊勲の星をあげた。その年の6月に行われた準場所では、本場所で66連勝、準場所で61連勝中の横綱双葉山を渡し込みで破り、名をとどろかせた。

その直後、応召して兵役につき、中国戦線を歴戦。そのあいだ昭和14年(1939年)1月場所から昭和16年(1941年)1月場所までの5場所、番付は前頭2枚目格で張り出されていた。昭和16年5月場所に復帰、その後も幕内上位で活躍し、昭和17年(1942年)5月場所初日、横綱羽黒山を蹴手繰りで破った。十両に落ちることなく、昭和20年(1945年)6月場所まで土俵をつとめていたが、終戦とともに廃業した。在郷軍人会の分会長もつとめていた。(副会長は若浪義光だった)

その後はプロレスに転向し、日本プロレスのレフェリーとして活躍した。

主な成績

  • 幕内在位:23場所(うち小結1場所、応召中の5場所を含む)
  • 幕内成績:101勝114敗7分 勝率.470
  • 金星:1個(羽黒山)

  



中村 昭治
1982 - 2010/5/30

石川県金沢市出身。既婚。

ワールドプロレスリング実況
















 
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