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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
10/2

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端貴代
1977/10/2

日本の総合格闘家。東京都墨田区出身。血液型B型。和術慧舟會東京本部所属。兄は総合格闘家のトモヒロック☆84。体格で兄を若干上回ることから、スマックガール参戦時は「ビッグ・シスター」のキャッチコピーがついていた。

来歴

兄に影響され、和術慧舟會東京本部に入門。昼は会社員として働き、夜にトレーニングを積むという日々を送っていた。スマックガールを主戦場として、総合で11勝1敗の戦績を残し、2006/7/23には服部恵子を決勝で下しスマックガール無差別級グラップリング女王となった。

2007/4/15、アブダビコンバットの日本予選で優勝。5月6日-5月7日にニュージャージー州トレントンで開催された本大会では準決勝でタラ・ラローサに敗れたものの、3位決定戦では赤野仁美に勝利を収め入賞を果たした。

2007/9/6、スマックガールミドル級女王タイトルマッチで赤野に判定勝ちし、王座を獲得した。

2009/4/25、VALKYRIE初参戦となったVALKYRIE 02で米沢知佐と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。

2010/2/26、ShoMMA: Strikeforce Challengers 6のStrikeforce女子世界ウェルター級王座決定戦でサラ・カフマンと対戦し、ジャッジ3者とも45-50で判定負け。

獲得タイトル

  • 第3代スマックガールミドル級王座
  • 第7回 アブダビコンバット 女子60kg未満級 3位(2007年)





ヨコズナ/グレート・コキーナ
Yokozuna/Great Kokina
1966/10/2 - 2000/10/22

ロドニー・アノアイRodney Anoa'i)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州サンフランシスコ出身のサモア系アメリカ人。身長193cm、体重230kg(全盛時)。

来歴

長年に渡り数多くのレスラーを輩出しているアノアイ・ファミリーの一人で、伯父に当たるワイルド・サモアンズのアファ・アノアイ、シカ・アノアイ兄弟にトレーニングされ1984年にデビュー。コキーナ・マキシマスのリングネームを名乗り、末期のAWAやアラバマのCWFを転戦した。

1988年8月にグレート・コキーナのリングネームで新日本プロレスに初来日。以後主にワイルド・サモアンこと従兄のサムラ・アノアイとの新日版サモアン・スワット・チーム(オリジナル版はサムラ・アノアイとソロファ・ファトゥ)で活躍。巨体かつ若年でありながら抜群のレスリング・センスを持っており、当時の新日現場監督の長州力からも高い評価を受け重宝された。

1992年、ビンス・マクマホンに招請されてWWFと契約。日本の大相撲の元力士で、親方を殴り倒したために廃業を余儀なくされ、ホームレス同然の生活をしていたところをミスター・フジにスカウトされたというギミックで、ヨコズナなるリングネームで登場。ミスター・フジがマネージャーを担当し、(この当時WWFがステロイド問題でバッシングを受け、マッチョ系レスラーの重用を以前より控えていたこともあって)一躍トップレスラーの仲間入りを果たした。赤いサポーター・パンツの上にまわし風のモノを着用し、入場時には「逆鉾」などと書かれた浴衣を着て、髪の毛は結んだ程度で大銀杏とは程遠い粗末な出来で日本人には違和感のあるキャラクターだったが、体重200kgを遥かに超える巨体はアメリカのプロレス界でも際立っており、巨大な下半身で圧殺する必殺技の「バンザイ・ドロップ」で次々とアメリカ人レスラー達を倒した。

1993年1月のロイヤルランブルを制し、4月4日のレッスルマニア9においてブレット・ハートから勝利を収めWWF世界ヘビー王座を初獲得。そのわずか数分後にはハルク・ホーガンに敗れてベルトを失うも、6/13のキング・オブ・ザ・リングにてホーガンから王座を奪還。翌年のレッスルマニア10まで9か月間王座を守り続けるが、その日二度目の防衛戦(一試合目の相手はレックス・ルガー)となったブレットとの再戦でリベンジを許し王座陥落。その後はブレットの弟オーエン・ハートとの異色タッグなどで活躍し、WWF世界タッグ王座も獲得した。

アメリカでの人気を受け、日本にもヨコズナとして来日し1994年のWWFマニア・ツアーや1995年のWARのリングで本物の元幕内力士でもある天龍源一郎と対戦した。

以降もジ・アンダーテイカーやショーン・マイケルズを抗争相手に大物ヒールとして活躍を続ける一方、デビュー当時から増え続ける体重を止めることができず、ついには約350kgという超肥満体となりWWFから減量のための出場停止を命じられる。しかし大学病院に入院してまで行ったダイエットに失敗、1997年1月にWWFを解雇された。

イギリス遠征中の2000年10月22日、ロンドン市内のホテルで急死した。肥満による心臓の狭心症が死因とされている。34歳没。

獲得タイトル

  • WWF世界ヘビー級王座:2回
  • WWF世界タッグ王座:2回(オーエン・ハート)
  • ロイヤルランブル優勝:1993年

マネージャー

  • シーク・アドナン・アル=ケイシー(AWA)
  • ミスター・フジ(WWF)
  • ジム・コルネット(WWF)

その他

  • 相撲ギミックへの転向を思いついたのは、日本滞在中に知り合った同じサモア系の小錦(当時大関)の影響が大きかったと言われる。
  • ヨコズナ時代はリング上で土俵入りを披露することもあったが、それを教えたのは元大相撲力士のアースクエイクである。1994/5/16の『マンデーナイト・ロウ』では両者によるスモー・マッチも行われた。
  • 大銀杏は自己流で、油ではなくゴムで結って形を作っていた。一方マワシの下のピンクのスパッツの着用は本人のアイデアではなく、男性が臀部を露出する姿に大衆がネガティブな反応をするのを恐れたWWF側が着用を命じたものだった。

 
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ワルドー・フォン・エリック
Waldo Von Erich
1933/10/2 - 2009/7/5

ウォルター・ポール・シーバーWalter Paul Sieber)は、カナダ・オンタリオ州トロント出身のプロレスラー。

フリッツ・フォン・エリックの「弟」を名乗り(実際には血縁関係はない)、ナチス・ギミックの冷酷なドイツ人ヒールとして悪名を轟かせた。

来歴

YMCAにてレスリングのトレーニングを積み、1950年にカルガリーにて17歳でデビュー。カナダ各地を転戦した後にアメリカへ進出し、1950年代後半にフリッツ・フォン・エリックと邂逅。ワルドー・フォン・エリックと改名してフリッツとの「兄弟コンビ」を結成し、1958年10月にノースカロライナ地区(後のNWAミッドアトランティック地区)の南部タッグ王座を獲得した。

1960年代初頭は、ミスター・MMr. M)、ザ・グレート・ズィムThe Great Zim)、ザ・グリーン・ホーネットThe Green Hornet)などのリングネームで覆面レスラーに変身したこともある。

1964年、素顔のワルドー・フォン・エリックに戻り、ニューヨークのWWWFに参戦。8/22、9/21、10/19のMSG定期戦において、ブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に連続挑戦した。翌1965/2/4にはジン・キニスキーと組んでジェリーとルークのグラハム兄弟からWWWF USタッグ王座(後のWWE世界タッグ王座の前身タイトル)を奪取している。

1966年よりテキサスのダラス地区でフリッツとのタッグチームを再結成、1967年2月と9月の2度に渡ってNWAアメリカン・タッグ王座を獲得した。同年4月、日本プロレスの『第9回ワールドリーグ戦』に「ドイツ代表」として初来日。ザ・デストロイヤーに次ぐ外国人サイドの2番手となって優勝戦線を撹乱した。5月開幕の『アイアンクロー・シリーズ』にも残留出場し、シリーズのエースとして参戦したフリッツとのコンビでジャイアント馬場&吉村道明のインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。翌1968年1月には、TBSプロレス時代の国際プロレスに来日した。

1970年代からはシングル・プレイヤーに専念し、WWWFやNWAトライステート地区(1980年代にビル・ワットが主宰したMSWA / UWFの前身プロモーション)を経て1971年に五大湖エリアのNWFに登場。同年11/20、オハイオ州クリーブランドにてジョニー・パワーズを破り第2代のNWF世界ヘビー級王者となった(12/8にドン・デヌーチに王座を奪われるが、翌1972/1/5に奪回。6/9にアーニー・ラッドに敗れるまでタイトルを保持した)。

1972年の秋には日本プロレスに再来日し、10/18に坂口征二のUNヘビー級王座に挑戦している。1973年から1974年にかけてはオーストラリアにて活動し、スパイロス・アリオンやマリオ・ミラノと抗争。1975年は第2次政権時代のブルーノ・サンマルチノの首を狙い、フレッド・ブラッシーをマネージャーに迎えて久々にWWWFを襲撃した。

1976年9月、NWFでの抗争相手でもあったアブドーラ・ザ・ブッチャーと共に全日本プロレスに来日。ブッチャーと組んで馬場&ジャンボ鶴田のインター・タッグにチャレンジし、大木金太郎のアジアヘビー級王座にも2回挑戦した。1977年には覆面レスラーのザ・グレート・ズィムとして、NWAトライステート地区にてテッド・デビアスから北米ヘビー級王座を奪取したが、同年3月1日、ディック・マードックに敗れて王座から陥落。これが最後のタイトル戴冠となり、1979年に引退した。

近年は地元オンタリオ州のケンブリッジを拠点にICWなる団体を主宰していた。2009年7月5日、オンタリオ州キッチナーの病院にて死去。75歳没。

なお、1980年代後半にダラスのWCCWでワルドーの息子と称するランス・フォン・エリック(ウィリアム・ヴォーン)がフォン・エリック兄弟(ケビン、ケリー)の従兄弟として活動していたが、フリッツとワルドーの兄弟設定と同様にギミック上のフィクションであり、ワルドーやフォン・エリック一家との血縁関係はない。 

獲得タイトル

  • NWA南部タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / フリッツ・フォン・エリック)
  • NWAアメリカン・タッグ王座:2回(w / フリッツ・フォン・エリック)
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
  • NWAブラスナックル王座(テキサス版):2回
  • NWAカナディアン・ヘビー級王座(カルガリー版):1回
  • NWA北米ヘビー級王座(トライステート版):1回
  • NWA USタッグ王座(トライステート版):1回(w / カール・フォン・ブラウナー)
  • WWWF USタッグ王座:1回(w / ジン・キニスキー)
  • NWF世界ヘビー級王座:2回
  • NWF北米ヘビー級王座:1回
  • IWA世界タッグ王座(オーストラリア版):2回(w / マリオ・ミラノ、ザ・スポイラー)
  • NWAオーストラ=アジアン・ヘビー級王座:1回
  • NWAオーストラ=アジアン・タッグ王座:1回(w / ヒロ・トージョー)







  

















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