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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
10/4

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さくらえみ
1976/10/4

本名:元川 恵美(もとかわ えみ)は、日本の女子プロレスラー。千葉県君津市出身。有限会社ネオプラス・アイスリボン事業部選手代表。

所属

  • IWAジャパン(1994年 - 1999年)
  • FMW(1999年 - 2002年)
  • フリーランス(2002年 - 2003年)
  • 我闘姑娘(2003年 - 2006年)
  • アイスリボン(2006年11月4日 - )

経歴・戦歴

1995年
  • 8/17、IWA・JAPAN富山県高岡テクノドームでの対市来貴代子戦でデビュー。当時のリングネームは本名の元川恵美。所属していたIWA・JAPANの女子選手は実質市来との2名のみで、他団体との交流もなかったことから、対戦相手はほぼ常に市来に固定されていた。その上、『女子プロレス』を教えるコーチが存在しなかったため、あまり巧い試合内容ではなかった。
1996年
  • 6/4に市来から初勝利を挙げる。その後市来の退団に伴い、後輩の門田幸子や西堀幸恵と対戦するようになる。当時盛んだった女子プロレス団体間の交流戦から外れ、目立たぬ位置でのファイトを続けており、その一風変わったファイトスタイルも相まって、カルトヒロインの呼び名がついた。
  • 10/13、JWP両国国技館大会にて宮口知子(現・輝優優)が持つ全日本ジュニア王座に挑むが、8分25秒 ブラックバスター・ホールドで敗戦。
1997年
  • 全日本女子プロレスの経営難に端を発した選手の大量離脱に伴う選手数不足により、西堀と共に助っ人としてIWA・JAPANに所属したまま全女の興行に帯同する。このことにより、試合数が大幅に増え、又それまで対戦したことのなかったトップクラスの選手達と対戦したり、タッグを組むことにより、試合運び等を学ぶ機会を得たことで、レベルアップするきっかけを掴む。中でも当時若手だった高橋奈苗は以降のプロレス人生に大きな影響を与えることになる。
1999年
  • 3月、IWA・JAPANを退団。
  • 4月、フリーで活動。
  • 6月、FMWに入団。

FMW入団当初は、減っていたとは言えまだ女子選手が数人所属していたため、普通に試合が組まれた。しかしFMWの経営が苦しくなるに伴い、女子選手の離脱が続き、末期には男子レスラーとのミックスドマッチや、『性転換レスラー』をギミックにした工藤あづさ(現:gosaku)との試合などが多くなっていた。

2001年
  • 頸椎ヘルニアにより長期欠場
2002年
  • FMW倒産。再びフリーに。
  • プロレス活動のかたわら女子プロレス教室や子供向け体操教室『アクション体操』を開始。我闘姑娘設立。入場テーマとして自身が歌う『さくらえびちゅ』という曲を作成、この歌に合わせて踊るメンバーを体操教室の生徒の中から選抜し『さくらえびきっず』を結成。このグループの中からりほ・聖菜らが選手としてデビューしている。
    • アクション体操 - さくらえみ考案の体操で、プロレスの動きや技、器械体操の要素を取り入れている。
  • 12月、レスラーとして復帰戦。
2003年
  • リングネームを、我闘姑娘で使用していたさくらえみにそろえ改名。
2004年
  • 10/31、我闘姑娘、プロレス団体としての旗揚げ戦。
2006年
  • 1月29日、新木場1stRING(“息吹”第5回大会)において、椎名由香の代打で出場。夏樹☆ヘッドと組み闘獣牙Leon、バンビ組と対戦する。
  • 6/20、アイスリボン旗揚げ。
  • 9/24、東京・新木場1stRINGにおいて、きのこと対戦。勝利。同大会、石井美紀、希月あおいと組んで、零、高橋李佳、春日萌花組と対戦。希月のクロスアーム式原爆固めで零が敗れる。
  • 11/4、我闘姑娘からアイスリボン(代表)に移籍。
2007年
  • アイスリボンの興行と並行し、NEO女子プロレスの興行に参加。同団体の社長である甲田哲也との結婚騒動、田村欣子に強引にタッグパートナーにさせられてしまいNEO認定タッグに挑戦するなど、NEO女子プロレスの中心人物となった。
  • 7/16、東京・後楽園ホールにおいて、田村欣子と組み、元気美佐恵、松尾永遠組の保持するNEO認定タッグに挑戦。さくらえみがラ・マヒストラルで元気美佐恵から勝利。田村欣子、さくらえみ組が、第5代NEO認定タッグ王者になる。
2009年
  • 1月、アイスリボンの新体制移行に伴い、団体代表を退任(後任は佐藤肇(ネオプラス代表取締役社長))。
  • 5/3、板橋グリーンホール・パッション・レッド興行で高橋奈苗のもつNEO統一二冠王座に挑戦。高橋が試合中に脳震盪を起こし戦闘不能になり、TKO勝ちを収め第21代王者になる。2日後、田村欣子に敗れ初防衛に失敗。
  • 5/24、新宿FACEにてIWA旗揚げ15周年記念大会に出場し、市来貴代子と13年ぶりのシングルマッチ。
  • 7/5、NEOミッドサマー・タッグトーナメント'09優勝(パートナーは高橋奈苗)。
  • 7/19、JWP後楽園大会、米山香織と組んで、JWP認定タッグ&デイリースポーツ女子タッグ王座に挑戦し勝利。JWPタッグ二冠を獲得した。
  • 10/12、北沢タウンホール大会、真琴の持つICE×60王座に挑戦。ラ・マヒストラルで勝利し、第4代王者となる。以後、2010/1/4の新木場1stRING大会までの間に10回の防衛を重ねる。
  • 12月、東京スポーツ主催のプロレス大賞で「女子プロレス大賞」を受賞。女子プロレス大賞はここ数年「該当者無し」が続いており、実に6年ぶりの受賞者となった。
2010年
  • 3/14、NEO川崎市体育館大会、高橋奈苗の代理として華名とシングルマッチを戦い、勝利。
  • 5/3、後楽園ホール大会「ゴールデンリボン」、りほの持つICE×60王座に挑戦。ラ・マヒストラルで勝利し、第8代王者となる。
  • 6月下旬、19時女子プロレスで行う高橋奈苗とのシングルマッチ(おんな巌流島2010)を、高橋の持つJWP認定無差別級王座に自身が挑戦するタイトルマッチとする意向を、高橋と共に主張。
  • 6/30、イサミレッスル武闘館にて高橋、コマンド・ボリショイらJWP3選手、マスコミらを交えた公開討論会「女子プロレス向上委員会・おんな巌流島2010編」を開催。結果、JWP側の以下の主張を受け入れ、ノンタイトルとなる。
    • 無観客試合
    • ベルトのコミッショナーであるデイリースポーツの認可が得られていない
    • Ustreamではビジネスモデルが成立しておらず、現状ではタイトルマッチを行う環境として不適格
  • 7/2、JWP3選手立会いの下、19時女子プロレスにおいて高橋との「おんな巌流島2010」をノンタイトルマッチとして戦い、敗北。
  • 8/7、板橋大会、星ハム子・藤本つかさと共にヒールメイクをしてつくし・りほ・みなみ飛香とイリミネーションマッチで対戦し敗戦。大会後、9/23後楽園ホール大会「リボンの騎士たち」で、15周年を迎えた自身のわがままとして、同じ年(1995年)にデビューして同じ年(2006年)に団体を旗揚げしたセンダイガールズプロレスリング代表・里村明衣子との対戦の希望と、里村代表以外のセンダイガールズ所属選手を全員呼び付けて対抗戦を行うと発表。
  • 9/19、JWP新宿FACE大会、米山香織のJWP認定無差別級王座に挑戦、自ら提案した敗者髪切りマッチに敗れ、丸坊主となる。
  • 9/23、後楽園ホール大会「リボンの騎士たち」、センダイガールズ代表・里村明衣子と初のシングルマッチを行い、敗戦。
  • 9/25、イサミレッスル武闘館大会、高橋奈苗と組んで市井舞・GENTAROの持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦し勝利、13代目王者となる。
  • 11/21、NEO大阪府立体育会館第2競技場大会、田村欣子の持つNEO統一二冠王座に挑戦するも敗戦。
  • 11/22、SMASH・JCBホール大会、米山香織と組んで朱里・華名組と対戦するが、朱里のハイキックで敗戦。
  • 12/17から21までZERO1の地方巡業に同行、高橋奈苗とシングル3連戦を行うが全敗。この間、TwitCastingで選手のインタビューや食事風景、また巌流島で高橋と無観客試合を行った様子やヒッチハイクの様子などを配信した。
  • 帰京後、髪形を金髪パンチパーマに変更し、「蕨の大仏」「ゴールデンパンチ」などと称する。
2011年
  • 1/3、ユニオンプロレス後楽園ホール大会、大仏キャラの覆面レスラー「ブラックチェリー3号」が1号(りほ似)・2号(みなみ飛香似)と共に登場し、ブーイングを浴びる。
  • 1月、再び髪型を変更。今度は金髪モヒカンにし、「蕨のロードウォリアー」と称される。変更に伴い、「さくらえみゴールデンパンチ!」が「さくらえみ70kg!」に技の名称が戻った。
  • 2/11、KAIENTAI-DOJOとの合同興行「K-RIBBON」、関根龍一と組んで真霜拳號・都宮ちいと対戦し敗戦。
  • TAKAみちのくに対して3/21後楽園大会での対戦を要求するも、2/23、イサミレッスル武闘館大会で「俺的には無いですね」と断られる。
  • 3/5、イサミレッスル武闘館大会、かねてから対戦を要求されていた我闘姑娘時代の一番弟子であるRayとシングルマッチを戦い、勝利。
  • 3/19、後楽園ホール大会のカード変更によって自分の対戦相手がいなくなり、東日本大震災での募金活動のため来場していた中西百重にエキシビションマッチでの対戦を要求。
  • 3/21、後楽園ホール大会、中西百重とのエキシビションマッチを実現。
  • 3/26、イサミレッスル武闘館大会にてRayと組み、志田光・藤本つかさの持つリボンタッグ王座に挑戦し、勝利。第15代王者となる。
  • 6/1、19時女子プロレス旗揚げ1周年記念大会にて、星ハム子&宮城もちを相手にリボンタッグ王座の4度目の防衛戦に失敗、ベルトを失う。
  • 6/15、イサミレッスル武闘館大会にて、19日に復帰戦を行うマサ高梨の復帰挨拶中にアイアンマンヘビーメタル級王座のベルトを奪取(その後、長野ドラミ(当時・練習生)→みなみ飛香に移る)する。大会終了後に再び奪取したものの、高梨に再度奪われた。
  • 7/24、DDT両国国技館大会「両国ピーターパン2011」にてアイアンマンロイヤルランブルに出場。愛川ゆず季、ヨシヒコ、ミスター6号、菊地毅と人気レスラーを次々失格に追い込み、ブーイングを浴びる。最後の3人にまで残るが敗退。

人物

  • 高校時代に女子プロレス団体への入門を志望し、LLPWのオーディションを受けるが落選。GAEA JAPANの書類選考は通ったものの、先に合格していたIWA・JAPANに入門することになった。デビュー当時の目標レスラーは神取忍。
  • FMW倒産後、この頃に旗揚げされたKAIENTAI-DOJOに移籍を希望していたが、TAKAみちのく代表に「人気あるの?チケット売れるの?」と門前払いされていた。このエピソードについて、2011年2月11日に行われたアイスリボン・KAIENTAI-DOJO合同興行「K-RIBBON」でコメントしている。
  • 現在のリングネームの由来は、頚椎ヘルニアで入院中に差し入れられたサクラエビの佃煮に感動したことから。
  • それほど体格には恵まれていないが多彩な技を持ち、時にコミカルなムーヴも交える技巧派レスラーであり、強豪選手との名勝負も多い。
  • アイスリボンでは自らが主役になることよりも若手の台頭を促す言動が多いが、若手の壁となるべき状況では強さ・厳しさを発揮する。
  • mixiでの繋がりを母体に団体を旗揚げしたり、ブログやツイッターで多くの情報を発信するなど、インターネットの活用に積極的である。19時女子プロレスの旗揚げと同時期に不定期Ustream番組「さくらえみの部屋」も開始しており、アイスリボン興行の宣伝に始まり業界批評、関係者への生電話、果ては雑談しながらの食事風景まで様々な内容を突発的に配信している。2010年12月からはTwitCasting番組「えみちゅ」も開始。
  • 趣味は映画鑑賞。また、作詞作曲も行っている。
  • 小学校時代の同級生にお笑い芸人のまちゃまちゃがいる。
  • 19時女子プロレスでは一時期対戦カード紹介のスーパーが「さくらみ」と誤植され、GENTAROらにネタにされていた。また菊地毅には「アルシオンのさくらいえみ」と勘違いされた。

タイトル歴

  • 第2代AWF世界女子王座
  • 第26代全日本シングル王座(1998年1月30日 対中西百重戦で獲得。防衛3回)
  • 第224代アイアンマンヘビーメタル級王座(1回防衛)
  • 第231代&第845代&第848代アイアンマンヘビーメタル級王座
  • 第5代NEO認定タッグ王座(パートナーは田村欣子)
  • 第21代NWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座
  • 第32代JWP認定タッグ&第5代デイリースポーツ女子タッグ王座(パートナーは米山香織)
  • 第6代インターナショナル・リボンタッグ王座(パートナーは米山香織)
  • 第13代インターナショナル・リボンタッグ王座(パートナーは高橋奈苗)
  • 第4代&第8代ICE×60王座
  • 第15代インターナショナル・リボンタッグ王座(パートナーはRay)

入場テーマ曲

  • さくらえびちゅ
  • さくら Go Round

映画

  • スリーカウント(2009年)(FAITHentertainment)
  • 平成トンパチ野郎〜男はツラだよ〜(2009年)(マジカル/グラッソ)

さくらえみ





アビス
Abyss
1973/10/4

クリス・パークスChris Parks)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。

覆面レスラー時代のケインやマンカインドを思わせる異様な出で立ちと、スーパーヘビー級の体格から繰り出される桁外れのパワーから、ザ・モンスターThe Monster)の異名を持つ。

トレードマークは画鋲満載のズタ袋。これをリングにばらまいて相手を叩き付けようとするが逆に自分が叩き付けられるのが定番。

来歴

1995年のデビュー後、各地のインディー団体転戦を経て2003年よりアビスとしてTNAに所属。キッド・キャッシュのボディーガードを務めていたが仲間割れし、その後シングルプレイヤーとして活動。AJスタイルズとの抗争を経て、今度は女子マネージャーであるゴールディー・ロックスやアレックス・シェリーとユニットを組むが、ゴールディーのワガママぶりに愛想を尽かし再び独立。

以降、ライノ、レイヴェン、モンティ・ブラウンを相手にハードコア・レスリングを繰り広げ、TNAを代表する怪物レスラーとなった。また、TNAと並行してROHにも出場しており、2003年の初登場後、2006年まで度々参戦を継続していた。

TNAでは2005年より、ファーザー・ジェームズ・ミッチェルをマネージャーに迎えてトップ戦線で活躍。ミッチェルと仲間割れ後は、2007年の上期よりクリスチャン・ケイジ率いるチーム・クリスチャンに加入。しかし、チーム全員に裏切られリンチ制裁の憂き目に遭い、ベビーフェイスへ転向。スティングとタッグチームを結成し、2010年はハルク・ホーガンとも共闘した。

日本には2008年1月、新日本プロレスのレッスルキングダムII IN 東京ドームに来日、中西学と対戦した。

獲得タイトル

TNA
  • NWA世界ヘビー級王座(TNA版):1回
  • NWA世界タッグ王座(TNA版):1回(w / AJスタイルズ)
  • TNA TV王座:1回
  • TNA Xディヴィジョン王座 : 1回
IWA
  • IWAインターコンチネンタル王座:1回
  • IWAハードコア王座:3回
  • IWA世界タッグ王座:3回(w / ミゲル・ペレス・ジュニア×2、シェイン・ザ・グラマー・ボーイ×1)
NWA
  • NWAサイバースペース・ヘビー級王座:1回
  • NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回
  • NWAワイルドサイド・ヘビー級王座:1回

 
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白鳥智香子
1973/6/25

身長165cm、体重58kg。血液型B型。東京都目黒区出身。本名は長谷川 智香子(はせがわ ちかこ。ただし現在は結婚しており、姓は別になっている)。夫はの四代目タイガースマスク。

経歴・戦歴

1991年
  • 10/4、東京・後楽園ホールにおいて、対玉田りえ戦でデビュー。
  • 大阪プロレスにも所属していた時期もあり、現役引退後は同団体のフロント入りし、現在はゼネラルマネージャーを務めている。

テレビ

  • 仮面ライダークウガ(2000年、テレビ朝日) - ズ・メビオ・ダ人間体役

タイトル歴

  • 初代CMLL JAPAN女子

エピソード

  • 『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送系)に夫のタイガースマスクと一緒に一般人として出場したことがある。





ヘビー・メタル
Heavy Metal
1970/10/4

メキシコ・メキシコシティ出身のプロレスラー。本名はエリック・フランシスコ・カサス・ルイス(Erick Francisco Casas Ruiz)。ニックネームは『狂乱のヘビメタ野郎』。身長173cm、体重88kg。

父はラ・マヒストラルを開発したペペ・カサス(引退後はAAAのレフェリー)、長兄はネグロ・カサス、次兄はフェリーノ(ベビー・カサス)、従兄弟にブラック・スター、甥にキッド・ティグレ、ピューマ・キング(共にフェリーノの息子)というプロレス一家。

学生時代は水泳、アメリカンフットボール(クォーターバック)、フルコンタクトなどスポーツ万能だった。その後父にルチャを学び、1988/2/14にアレナ・アステカで父とタッグチームを組み、カネロ・カサスCanelo Casas)のリングネームでデビュー。

1990/6/25、クエルナ・バカでシクロン・ラミネスを破りナショナル・ウェルターを初奪取。1992年5月にAAAの旗揚げに参加し、突如としてサングラスにギターを構えたヘヴィメタルスタイルへギミックチェンジしてリングネームをヘビー・メタルへ変更した。

2005年2月にAAAを脱退してCMLLに復帰し、兄弟トリオを復活。

タイトル履歴

  • ナウカルパンタッグチーム王座(&アルカンヘル)
  • ナショナル・ウェルター級王座 : 2
  • WWA世界ウェルター級王座
  • ナショナルタッグチーム王座(&ラテン・ラバー)
  • UWA世界ライトヘビー級王座
  • AAA Campeon de Campeones Championship(AAAのG1 CLIMAX)2001年優勝。
  • IWRGインターコンチネンタルヘビー級王座
  • IWRGトリオ王座(&ネグロ・カサス、フェリーノ)





リンダ・マクマホン
Linda McMahon
1948/10/4

正式なフルネームはLinda Marie Edwards-McMahon)は、アメリカ合衆国の経営者。ノースカロライナ州出身、東カロライナ大学卒業。プロレス団体WWEの元CEOである。また、単に経営者というだけではなく、WWEのテレビ放送、PPVへ登場する番組出演者でもある。

来歴

1968年に幼馴染で大学の先輩でもあったビンス・マクマホンと結婚。1男2女をもうける。当初はWWE(当時WWF)の経営には参画していなかったが、1980年代からスタッフとしてWWFの運営に参画するようになった。

当初はテレビ番組に登場することは殆どなかったが、WWFのアティテュード路線への転換とともにマクマホン一家がテレビ番組に登場するようになり、リンダも1999年頃から登場するようになった。ただしWWFの番組に登場する家族のうち、夫であるビンス・マクマホン、子供たちであるシェイン・マクマホン、ステファニー・マクマホンはトレーニングを積んでプロレスラーとしても登場したのに対し、リンダは純粋に出演者としての登場である。あくまで出演者であるが、ケインからツームストーン・パイルドライバーを受けてもいる。マクマホン一家の良識派として、他の家族がヒールとなってもベビーフェイスとして行動した。

登場以来一貫してベビーフェイスであったが、ジム・ロス解任ストーリーでヒールターンを果たした。しかし、そのストーリーは尻切れトンボに終わってしまった。その後ビンスの非嫡出子のストーリーにて登場。主にあきれた目でビンスを見る役である。

政治的には保守色の強いWWEの経営者の立場にいるが、イラク戦争に個人的に反対していた。

選挙出馬

2010年11月2日投開票の上院議員選選挙にコネチカット州から出馬するため、2009年9月16日にCEOを辞任。2010年8月10日の予備選挙で勝利し、共和党候補に指名された。民主党候補のリチャード・ブルーメンタル相手に世界最大のプロレス団体「WWE」の元最高経営責任者(CEO)という抜群の知名度と資金力、党の集票力に頼らず、自らの経営実績などを前面に打ち出した選挙戦を展開している。 全体的に共和党優位なこの選挙において、女性有権者の支持が得られず苦戦を強いられるものの、米メディアは彼女を含め、カリフォルニア州上院選に出馬するコンピューター大手ヒューレット・パッカードの元CEO、カーリー・フィオリーナ、同州知事選にインターネット競売大手イーベイの元CEO、メグ・ホイットマンの3人を「保守的な女性候補」の象徴として取り上げている。

リチャード・ブルーメンタルの6倍もの資金を投入しキャンペーンを展開していたが、総選挙前のプールでは一度もブルーメンタルの支持率を上回ることなく、結果的には10万票差で破れた。もともと彼女が選挙に立候補したのはWWEの番組のレイティングを低く設定することが狙いだったといわれている。これはジェリー・ローラーがテネシー州メンフィス市長に2回も出馬し両方敗戦した以来のプロレス出身者の政治への出馬である。

入場曲

  • WrestleMania - 過去に使用

  



チーフ・ジェイ・ストロンボー
Chief Jay Strongbow
1928/10/4

アメリカ合衆国の元プロレスラー。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。本名はジョセフ・ルーク・スカルパJoseph Luke Scarpa)、通称ジョー・スカルパJoe Scarpa)。

長年WWEを支えた名選手で、インディアン・ギミックの選手としてはワフー・マクダニエルと並んで屈指のビッグネームの一人である(実際にはイタリア系の出自)。日本でのニックネームは「荒鷲酋長」。

来歴

1947年にジョー・スカルパの名でデビュー。以降1960年代全般にかけて、NWAジョージア地区(GCW)、ミッドアメリカ地区、ガルフ・コースト地区などで活躍し、各地区のシングルおよびタッグ王座を幾度となく獲得。日本には、1966年1月に日本プロレスに初来日している。1967年12月にはフロリダ地区でジョニー・バレンタインを破り、NWAフロリダ・ヘビー級チャンピオンとなった。

1970年よりWWWFに参戦し、インディアン・ギミックのチーフ・ジェイ・ストロンボーに変身。このキャラクターがニューヨークの観客に愛され、同地区で大ブレイクした。ニューヨークを主戦場とする一方、他地区にも精力的に遠征しており、デトロイトではザ・シークと流血の抗争を展開。1978年4月には新日本プロレスの第1回MSGシリーズに参加、予選トーナメントで藤原喜明とバロン・シクルナを破り、決勝リーグに進出してアントニオ猪木やアンドレ・ザ・ジャイアントと闘った。

WWWF / WWFではスーパースター・ビリー・グラハムやグレッグ・バレンタインを相手にインディアン・ストラップ・マッチを行い、ラフファイトの強さも見せた。タッグ戦線でも活躍し、パートナーをソニー・キング、ビリー・ホワイト・ウルフ、「弟」のジュールズ・ストロンボー(実際には血縁関係はない)と替えながらWWWF世界タッグ王座(WWFタッグ王座)を通算4度獲得。1985年の引退まで、一貫してベビーフェイスサイドの重鎮として長く活躍した。

引退後はロード・エージェントとして1999年までWWFで働き、1994年、WWF殿堂に迎えられた。現在でもゲストとしてWWEに登場することがあり、2008/11/17のRAW(アトランタ大会)ではステファニー・マクマホンからWWE殿堂者として紹介された。

インディアン選手の代名詞でもある『戦いの踊り』や雄たけびを好んで試合に取り入れ、ショー・プロレスの先駆者存在でもあった。そんな彼らしく、「入場と退場が、試合で最も大切なムーブだ」という言葉を残している。

獲得タイトル

アラバマ
  • NWAガルフ・コースト・ヘビー級王座:1回
  • NWA南部タッグ王座(ガルフ・コースト版):1回(w / リー・フィールズ)
テネシー
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版):3回(w / レスター・ウェルチ×2、アレックス・ペレス)
ジョージア
  • NWAジョージア・ヘビー級王座:1回
  • NWA世界タッグ王座(ジョージア版):1回(w / ドン・カーティス)
  • NWAメイコン・タッグ王座:1回(w / エル・モンゴル)
フロリダ
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回
  • NWA世界タッグ王座(フロリダ版):1回(w / ドン・カーティス)
  • NWA南部タッグ王座(フロリダ版):3回(w / ホセ・ロザリオ)
  • NWAブラスナックル王座(フロリダ版):2回
WWC
  • WWCカリビアン・ヘビー級王座:1回
WWE
  • WWWF世界タッグ王座 / WWFタッグ王座:4回(w / ソニー・キング、ビリー・ホワイト・ウルフ、ジュールズ・ストロンボー×2)
  • WWF Hall of Fame:1994年度(プレゼンターはタタンカ)





ディック・ハットン
Dick Hutton
1923/10/4 - 2003/11/24

アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州アマリロ出身。ニックネームは「野生の男」。身長188cm、体重110kg。

来歴

15歳からレスリングを始め、レスリングの名門オクラホマ農業大学で全米大学選手権4連覇、ロンドンオリンピック代表など数々の名声を得た後、1951年にプロレスラーとしてデビュー。

1957/11/14、トロントでルー・テーズを得意のコブラツイストで破り第41代NWA世界ヘビー級王者となる。1959/1/9パット・オコーナーに敗れ王座転落。1966年現役引退。

アマチュア時代からバーン・ガニア(AWA世界王者)のライバルで、ガニアが早くからプロレスで成功しているのを見て自分にもできると思ったという。また、ルー・テーズは寝技では古今東西ハットンに敵う者はいないと述べている。

日本には1962年、日本プロレスの第4回ワールドリーグ戦に来日。力道山とシングルで対戦した際もグラウンドレスリングで翻弄し、カナディアン・バックブリーカーに担ぎ上げられた力道山が恐怖にかられ大声で「まいった、まいった」と連呼したという。

獲得タイトル

NWA
  • NWA世界ヘビー級王座 : 1回





エディ・タウンゼント
Eddie Townsend
1914/10/4 - 1988/2/1

アメリカ合衆国のボクシングトレーナー。ハワイ州ホノルル出身。本名は、エドワード・タウンゼント。多くの世界チャンピオンを育て上げ「名トレーナー」「名伯楽」として尊敬された。

エディが育てた世界チャンピオン]

  • 藤猛
  • 海老原博幸
  • 柴田国明
  • ガッツ石松
  • 友利正
  • 井岡弘樹

エディが育てた国内有名選手 ]

  • 田辺清
  • カシアス内藤
  • 村田英次郎
  • ジャッカル丸山
  • 赤井英和
  • 徳島尚










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