チーフ・ジェイ・ストロンボー
Chief Jay Strongbow
1928/10/4
アメリカ合衆国の元プロレスラー。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。本名はジョセフ・ルーク・スカルパ(Joseph
Luke Scarpa)、通称ジョー・スカルパ(Joe Scarpa)。
長年WWEを支えた名選手で、インディアン・ギミックの選手としてはワフー・マクダニエルと並んで屈指のビッグネームの一人である(実際にはイタリア系の出自)。日本でのニックネームは「荒鷲酋長」。
来歴
1947年にジョー・スカルパの名でデビュー。以降1960年代全般にかけて、NWAジョージア地区(GCW)、ミッドアメリカ地区、ガルフ・コースト地区などで活躍し、各地区のシングルおよびタッグ王座を幾度となく獲得。日本には、1966年1月に日本プロレスに初来日している。1967年12月にはフロリダ地区でジョニー・バレンタインを破り、NWAフロリダ・ヘビー級チャンピオンとなった。
1970年よりWWWFに参戦し、インディアン・ギミックのチーフ・ジェイ・ストロンボーに変身。このキャラクターがニューヨークの観客に愛され、同地区で大ブレイクした。ニューヨークを主戦場とする一方、他地区にも精力的に遠征しており、デトロイトではザ・シークと流血の抗争を展開。1978年4月には新日本プロレスの第1回MSGシリーズに参加、予選トーナメントで藤原喜明とバロン・シクルナを破り、決勝リーグに進出してアントニオ猪木やアンドレ・ザ・ジャイアントと闘った。
WWWF / WWFではスーパースター・ビリー・グラハムやグレッグ・バレンタインを相手にインディアン・ストラップ・マッチを行い、ラフファイトの強さも見せた。タッグ戦線でも活躍し、パートナーをソニー・キング、ビリー・ホワイト・ウルフ、「弟」のジュールズ・ストロンボー(実際には血縁関係はない)と替えながらWWWF世界タッグ王座(WWFタッグ王座)を通算4度獲得。1985年の引退まで、一貫してベビーフェイスサイドの重鎮として長く活躍した。
引退後はロード・エージェントとして1999年までWWFで働き、1994年、WWF殿堂に迎えられた。現在でもゲストとしてWWEに登場することがあり、2008/11/17のRAW(アトランタ大会)ではステファニー・マクマホンからWWE殿堂者として紹介された。
インディアン選手の代名詞でもある『戦いの踊り』や雄たけびを好んで試合に取り入れ、ショー・プロレスの先駆者存在でもあった。そんな彼らしく、「入場と退場が、試合で最も大切なムーブだ」という言葉を残している。
獲得タイトル
アラバマ
- NWAガルフ・コースト・ヘビー級王座:1回
- NWA南部タッグ王座(ガルフ・コースト版):1回(w / リー・フィールズ)
テネシー
- NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版):3回(w / レスター・ウェルチ×2、アレックス・ペレス)
ジョージア
- NWAジョージア・ヘビー級王座:1回
- NWA世界タッグ王座(ジョージア版):1回(w / ドン・カーティス)
- NWAメイコン・タッグ王座:1回(w / エル・モンゴル)
フロリダ
- NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回
- NWA世界タッグ王座(フロリダ版):1回(w / ドン・カーティス)
- NWA南部タッグ王座(フロリダ版):3回(w / ホセ・ロザリオ)
- NWAブラスナックル王座(フロリダ版):2回
WWC
WWE
- WWWF世界タッグ王座 / WWFタッグ王座:4回(w / ソニー・キング、ビリー・ホワイト・ウルフ、ジュールズ・ストロンボー×2)
- WWF Hall of Fame:1994年度(プレゼンターはタタンカ)
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