郷野聡寛
1974/10/7
日本の総合格闘家。東京都東久留米市出身。フリーランス。東京都立小平高等学校卒業。ニックネームは難攻不落のビッグマウス。
来歴
1993年にスポーツ会館のコマンドサンボに入門。トーナメント・オブ・Jや真武館などのアマチュア大会で活躍。
1995/10/13、トーナメント・オブ・J '95のトーナメントに出場し、1回戦で当時和術慧舟會所属の村上一成(現・村上和成)に右ハイキックでKO勝ち。準決勝ではイーゲン井上に腕ひしぎ十字固めで一本負け。
1996/3/30、トーナメント・オブ・J '96で村上一成と再戦し、判定負け。
1996/5/7、修斗でプロデビューを果たした。修斗時代には類稀なるセンスが光り、「総合格闘技の申し子」と称された。
1999/5/29、修斗でマット・ヒューズと対戦し、判定負け。
パンクラス
2001年5月、菊田早苗率いる「GRABAKA」に移籍し、パンクラスを主戦場にする。
2002/12/21、パンクラスでKEI山宮にKO勝ちを収めた。
PRIDE
2004/2/15、PRIDE武士道に初参戦。『PRIDE 武士道 -其の弐-』でマウリシオ・ショーグンと対戦し、KO負け。
2005/1/4、全日本キックボクシング連盟 『SURVIVOR』でキックボクシングルールに初挑戦。全日本ヘビー級王座挑戦者決定戦をコンボイ山下と対戦。1Rには左ハイキック、3Rには左フックでダウンを奪い、大差の判定勝ち。
2005/2/6、全日本キックボクシング連盟『MOVING』で王者西田和嗣と全日本ヘビー級タイトルマッチで対戦。4Rに右ストレートでKO勝ち。全日本キックボクシングヘビー級王座となった(その後、2007年4月1日付けで返上)。
2005/3/6、パンクラスで行われた全日本キックボクシング連盟公式試合で桜木裕司と対戦。2Rにカウンターの右ストレートでKO負け。
2005/5/2、所属するGRABAKAがパンクラスから独立。
2005/5/22、『PRIDE 武士道 -其の七-』でクラウスレイ・グレイシーと対戦し、判定勝ち。
2005/9/25、『PRIDE 武士道 -其の九- ウェルター級グランプリ』では、1回戦でダニエル・アカーシオに得意の戦術で判定勝ちするも、準決勝でダン・ヘンダーソンにKO負け。また、ダンとの試合で顎を骨折し、ボルトで固定する手術を受けた。
2006年6月4日、『PRIDE 武士道 -其の十一- ウェルター級グランプリ 2006 開幕戦』では、ヘクター・ロンバードを翻弄し、判定勝利を飾る。2回戦となる8月26日の『PRIDE
武士道 -其の十二- ウェルター級グランプリ 2006 2nd ROUND』では、ゲガール・ムサシと対戦し一本勝ち、準決勝に駒を進めた。
2006年11月5日、『PRIDE 武士道 -其の十三- ウェルター級グランプリ 2006 決勝戦』では、準決勝でデニス・カーンと対戦し、判定負け。
2006年12月31日、『PRIDE 男祭り 2006』で、2001年12月の対戦以来5年ぶりとなる近藤有己とのリベンジマッチを行う。序盤にパンチを放った際に右手を骨折してしまい右手がほとんど使えない状態となるが、近藤に有効打を許さず、判定勝ち。リベンジを果たした。しかし、2005年のダン戦で埋め込まれていたボルト除去およびに視力矯正の手術を受けるため、戦線離脱を余儀なくされた。
UFC
2007/11/17、UFC初参戦となったUFC 78でタムダン・マクローリーに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちし、白星デビューとなった。また、サブミッション・オブ・ザ・ナイトに選出された。
2008年3月1日、UFC 82でジョン・フィッチと対戦予定であったが、1月に右手を負傷し出場をキャンセル。2月上旬に手術を行った。10月18日のUFC
89にて復帰し、ダン・ハーディーと接戦するも1-2の僅差で判定負け。3RにはUFCで禁止されているグラウンド状態の相手への打撃を行ったことで減点された。
2009年1月31日、UFC 94でジョン・フィッチと対戦し、大差(30-27、30-27、30-26)の判定負けを喫し、UFC2連敗となった。この日の入場シーンではKEI山宮・大迫元喜と共に、矢島美容室のコスプレを披露した。この大会を最後にUFCとの契約が終了した。
戦極(SRC)
2009年6月9日、都内ホテルで行われた記者会見で、戦極に参戦することを表明した。
2009年8月2日、戦極初参戦となった戦極 〜第九陣〜でダン・ホーンバックルと対戦し、3Rに右ハイキックを顔面に受け失神KO負けを喫した。そのまま担架で病院に運ばれるほどのダメージであった。
2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で桜井"マッハ"速人と対戦し、腕ひしぎ逆十字固めで一本勝ちを収めた。入場時には氣志團のコスプレをして、綾小路翔を従え『One
Night Carnival』で入場した。
2010年3月7日、SRC12でディエゴ・ゴンザレスと対戦し、判定勝ち。
2010年7月3日、自身のブログにて同日付けでGRABAKAを退団したことを発表した。
2010年8月22日、フリー初戦およびライト級転向後初戦となったSRC14でジャダンバ・ナラントンガラグと対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2010年12月30日の戦極 Soul of Fightに出場予定であったが、練習中に右足小指を骨折し欠場となった。
2011年5月29日、NJKFのMuayThaiOpen 16でTHAI FIGHT 70kgトーナメント日本代表決定戦に出場し、準決勝で堤大輔、決勝で山崎陽一に判定勝ちし、優勝を果たした。
人物
- 相手のパンチをかわす高いディフェンス技術が最大の武器。巧みに相手との間合いをとり、試合時間をフル活用して相手をじわじわと追い詰めるライツアウト(Lights
out)戦法で身体能力の高い外国人選手とも互角に渡り合う。身体能力の差を埋めるこの戦法を「弱者の戦略」と自称している。
- 以前は「判定上等」がモットーの「郷野流」と自称していたが徐々に考え方が変わってきているようで、最近では「魅せる」ことに重点を置いている。
- 親交のあるDJ OZMAを模したDJ
GOZMAを名乗って派手な入場パフォーマンスを行っている。
- 試合でのダメージのため、全身麻酔の手術を複数回受けている。
- 1歳の頃、小児癌(肝芽腫)にかかり、当時の生存率がほぼ0%という状況の中で大手術を受け奇跡の生還を果たしている(右の腹部に手術跡が残っている)。そういった肉体的ハンデを乗り越えて、強さの象徴である総合格闘技で成功を収めている。そして現在、同じ病気にかかっている子供の会に参加したり、会の親子を試合に招待し、子供のヒーローになりたいと思っている。
- ボクシング世界王者ロイ・ジョーンズ・ジュニアを尊敬しており、ファイトスタイルの参考にしている。試合時のトランクス前部に「ROY JONES JR」の文字を入れていたこともある。トランクス後部にはジェームズ・トニーのニックネームである「LIGHTS
OUT」の文字を入れていた。
獲得タイトル
- 第3代全日本キックボクシング連盟ヘビー級王座
- THAI FIGHT 70kgトーナメント日本代表決定戦 優勝
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