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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
10/7

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"ジェントルマン" クリス・アダムス
"Gentleman" Chris Adams
1955/2/10 - 2001/10/7

クリストファー・アダムスChristopher Adams)は、イギリス・ウォリックシャー出身のプロレスラー。モスクワとロサンゼルスの両オリンピックで銀メダルを獲得した柔道家のニール・アダムスは実弟である。

1980年代から1990年代にかけて、アメリカ合衆国のテキサス地区を主戦場に活躍。その甘いマスクで女性ファンの人気を獲得する一方、ジノ・ヘルナンデスとのヒール・タッグチーム、ダイナミック・デュオThe Dynamic Duo)でも悪名を売った。ストーン・コールド・スティーブ・オースチンの師匠としても知られている。

来歴

少年時代から格闘技に励み、柔道や空手の段位も取得。イギリスを代表するプロレスラーのビッグ・ダディやトニー・セント・クレアーのトレーニングを受け、1978年に英国でデビュー。武道のバックグラウンドをキャラクターに活かし、当時は "ジュードー" クリス・アダムスまたは "ブラックベルト" クリス・アダムスと名乗っていた。

1980年にアメリカ・マット界に進出し、西海岸のLA地区に参戦。1981年にはボボ・ブラジルを破りNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得した。同年5月にLAとの提携ルートで新日本プロレスに初来日し、MSGシリーズの第4回大会に出場。リーグ戦ではキャリア不足と軽量が響き白星配給係となったが、そのフレッシュでイキのいいファイトスタイルで高評価を獲得。以降も新日本の常連外国人となり、藤波辰巳や初代タイガーマスクと好勝負を展開した。また、新日本のブッキングでメキシコのUWAにも遠征し、1981/10/18にはペロ・アグアヨからWWFライトヘビー級王座を奪取している。

1983年より "ジェントルマン" クリス・アダムスを名乗り、フリッツ・フォン・エリックが主宰するテキサス州ダラスのWCCWに定着。英国からやって来たフォン・エリック兄弟の友人としてベビーフェイス人気を獲得し、ジミー・ガービンやファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディ)と抗争、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦した。しかし1984年9月、ケビン・フォン・エリックとの仲間割れアングルが組まれヒールに転向。翌1985年には同じ色悪系の"ゴージャス" ジノ・ヘルナンデスと "ダイナミック・デュオ" を結成し、NWAアメリカン・タッグ王座を巡ってケビン&ケリー・フォン・エリックと熾烈な抗争を繰り広げた。

1986年2月にヘルナンデスが急死してからはベビーフェイスに戻り、リック・ルードとの抗争を開始。同年7月4日にはルードからWCWA(WCCW)世界ヘビー級王座を奪取している。1987年にはミッドサウス地区のUWF(ビル・ワット主宰)にも参戦し、2月7日に行われたUWF世界タッグ王座決定トーナメントにテリー・テイラーとのコンビで出場。決勝で若手ヒール時代のスティング&リック・スタイナーを破り、チャンピオン・チームとなった。

1988年の末からはダラスでプロレスリング・スクールを開校し、スティーブ・オースチンらを育成する。ダラスのWCCWがテネシー州メンフィスのCWA(ジェリー・ジャレット&ジェリー・ローラー主宰)と業務提携を結び1989年にUSWAが発足すると、同団体にて弟子のオースチンの抗争相手も務めた。

1991年にWWFのトライアウトを受けるが契約は見送られ、WCCWの後継団体ともいえるダラスのGWFに定着。1993年12月と1994年7月の2度に渡り、同団体認定の北米ヘビー級王座に就く。以降もメンフィスのUSWAやシカゴのAWFなどのインディー団体を転戦し、1997年にはWCWに登場。ロード・スティーブン・リーガルとも英国人コンビを組んだが本格的なタッグチーム結成には至らず、ミッドカードに出場するジョバーのポジションに甘んじ、1999年にWCWを解雇された。

その後はダラス周辺のインディー団体に単発参戦していたが、2000年4月、ドラッグとアルコールの過剰摂取で愛人と一緒に無意識状態になっているところを知人宅で発見される。愛人は数時間後に死亡、アダムスは故殺罪に問われたが、裁判を控えた2001年10月7日、酒の上での喧嘩がもとで友人に正当防衛として射殺された。46歳没。

獲得タイトル

NWAハリウッド・レスリング(ロサンゼルス地区)
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座:2回
  • NWAアメリカス・タッグ王座:2回(w / トム・プリチャード、リンゴ・リグビー)
WCCW(ダラス地区)
  • NWAアメリカン・ヘビー級王座:4回
  • NWAアメリカン・タッグ王座:2回(w / ジノ・ヘルナンデス)
  • NWAテキサス・ブラスナックル王座:1回
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
  • NWA世界6人タッグ王座:2回(w / ジノ・ヘルナンデス&ジェイク・ロバーツ、スティーブ・シンプソン&ケビン・フォン・エリック)
  • WCCW TV王座:3回
  • WCWA TV王座:1回
  • WCWA世界ヘビー級王座:1回
その他
  • WWFライトヘビー級王座:1回
  • UWF世界タッグ王座:1回(w / テリー・テイラー)
  • GWF北米ヘビー級王座:2回





クレイ・フレンチ
Clay French
1980/10/7

アメリカ合衆国の総合格闘家。イリノイ州出身。HITスクワッド所属。元KOTC世界ライト級王者。

20年以上のレスリング経験をバックボーンに持ち、素早い動きでバックチョークや腕ひしぎ十字固めなどの関節技を仕掛ける。

関節技の極めの速さから「イリノイのサブミッション・キング」の異名を持つ。

ミレティッチ・マーシャルアーツ・センターとの交流が非常に深く、ジョー・ピアソン等と共にモンテ・コックスのマネージメントを受ける。

来歴

2004年8月13日、プロ総合格闘技デビュー。

2006年8月26日、Extreme Challenge 70で行われた4人トーナメントに参戦。1回戦で一本勝ちするも、決勝でジャスティン・ジェイムズに一本負け。デビュー以来の連勝は8で止まった。

2006年11月5日、PRIDE 武士道 -其の十三-でギルバート・メレンデスの負傷欠場により3日前にオファーを受け急遽青木真也と対戦。1Rトライアングルアームバーにより一本負け。

2007年1月19日、KOTCで王者マック・ダンジグとKOTC世界ライト級タイトルマッチで対戦。2-1で判定勝ちし、KOTC世界ライト級王者となった。

2007年5月26日、KOTCでバディ・クリントンとKOTCライト級タイトルマッチで対戦し、判定勝ちにより初防衛に成功する。同年8月5日に再戦が行われ、カットによりTKO勝ちし2度目の防衛に成功。

2007年11月21日、KOTCでジェイソン・アイルランドと対戦し、判定勝ち。3度目の防衛に成功。

2008年6月14日、Adrenaline MMAの旗揚げ興行でジャミール・マスーと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。

2008年8月24日、戦極初参戦となった戦極 〜第四陣〜のライト級グランプリ1回戦で北岡悟と対戦し、開始31秒アキレス腱固めで一本負け。

2008年11月28日、KOTCでロリー・マクドナルドとKOTCライト級タイトルマッチで対戦。2RKO負けし、王者陥落となった。

2009年8月2日、戦極 〜第九陣〜で光岡映二と対戦し、フロントチョークで一本負け。

獲得タイトル

  • KOTC世界ライト級王座


 
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ライノ
Rhyno/Rhino
1975/10/7

テリー・ゲリンTerry Gerin)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州デトロイト出身。

リングネームはサイ(Rhinoceros)に由来。"The War Machine" "The Man Beast" などの異名を持つブルファイターとして、ECW、WWE、TNAなど各団体で活躍している。

来歴

1994年にテリー・リチャーズのリングネームでデビューし、地元ミシガンのMWCWやカナダのBCWなど各地のインディー団体を転戦。この時期に、若手時代のクリスチャン・ケイジやエッジらとユニットを結成したこともあった。

1997年、オットー・ワンツが主宰していたドイツ・オーストリアのCWAに、ライノ・リチャーズと名乗って参戦。ジャン=ピエール・ラフィットらと組んでCWA世界タッグ王座を獲得し、トニー・セント・クレアーや西村修とも対戦した。

1999年よりECWに登場、サイラス・ザ・ヴァイラス率いるザ・ネットワークの一員となり、ヒールの主力選手として活躍する。2001年1月7日のPPV "Guilty as Charged" ではサンドマンからECW世界ヘビー級王座を奪取し、ECW存続時における同王座の最後のチャンピオンとなった。

2001年のECW崩壊後はWWFに移籍し、旧友のエッジ&クリスチャンと共闘。同年4月1日の『レッスルマニアX-Seven』において、ハーディー・ボーイズとダッドリー・ボーイズを相手にTLC形式のWWF世界タッグ王座戦を行ったエッジ&クリスチャンの勝利を援護した。以後、WWEでは中堅選手として活動し、ECW時代の盟友タジリらとタッグチームを組むなどしたが、2005年4月に解雇された。しかし、解雇後も同年6月に行われたWWE主催の『ECWワン・ナイト・スタンド』には出場している。

WWE解雇後はTNAに所属。2005年10月23日にはジェフ・ジャレットからNWA世界ヘビー級王座を奪取したが、11月3日にジャレットに奪還された。2006年はクリスチャン・ケイジやAJスタイルズと抗争。2007年11月には新日本プロレスの両国国技館大会に来日した。以降もTNAの主力として活躍し、2008年12月のPPV "Final Resolution" ではカート・アングルと対戦、2009年1月の "Genesis" ではスティングのTNA世界ヘビー級王座に挑戦している。2010年7月からは、ミック・フォーリー、ロブ・ヴァン・ダム、トミー・ドリーマー、レイヴェン、スティービー・リチャーズ、チーム3D、アル・スノーらとTNA版ECWオリジナルズであるEV 2.0Extreme, Version 2.0)を結成した。

2011年にTNAを離れてからは、インセイン・クラウン・ポッシーの主宰するジャガロ・チャンピオンシップ・レスリングなどに出場。5月には新日本プロレスのアメリカ東部サーキットに同行し、最終戦15日のフィラデルフィアにおけるアサイラム・アリーナ(旧ECWアリーナ)での興行では、ハードコア・マッチで真壁刀義と対戦した。

獲得タイトル

ECW
  • ECW世界ヘビー級王座 : 1回
  • ECW TV王座 : 2回
WWE
  • WWFハードコア王座 : 3回
  • WCW US王座 : 1回
TNA
  • NWA世界ヘビー級王座 : 1回
その他
  • BCWカンナムTV王座 : 1回
  • JAPWヘビー級王座 : 1回
  • CWA世界タッグ王座 : 2回 (w / ジャン=ピエール・ラフィット、ジョー・レジェンド)





郷野聡寛
1974/10/7

日本の総合格闘家。東京都東久留米市出身。フリーランス。東京都立小平高等学校卒業。ニックネームは難攻不落のビッグマウス

来歴

1993年にスポーツ会館のコマンドサンボに入門。トーナメント・オブ・Jや真武館などのアマチュア大会で活躍。

1995/10/13、トーナメント・オブ・J '95のトーナメントに出場し、1回戦で当時和術慧舟會所属の村上一成(現・村上和成)に右ハイキックでKO勝ち。準決勝ではイーゲン井上に腕ひしぎ十字固めで一本負け。

1996/3/30、トーナメント・オブ・J '96で村上一成と再戦し、判定負け。

1996/5/7、修斗でプロデビューを果たした。修斗時代には類稀なるセンスが光り、「総合格闘技の申し子」と称された。

1999/5/29、修斗でマット・ヒューズと対戦し、判定負け。

パンクラス

2001年5月、菊田早苗率いる「GRABAKA」に移籍し、パンクラスを主戦場にする。

2002/12/21、パンクラスでKEI山宮にKO勝ちを収めた。

PRIDE

2004/2/15、PRIDE武士道に初参戦。『PRIDE 武士道 -其の弐-』でマウリシオ・ショーグンと対戦し、KO負け。

2005/1/4、全日本キックボクシング連盟 『SURVIVOR』でキックボクシングルールに初挑戦。全日本ヘビー級王座挑戦者決定戦をコンボイ山下と対戦。1Rには左ハイキック、3Rには左フックでダウンを奪い、大差の判定勝ち。

2005/2/6、全日本キックボクシング連盟『MOVING』で王者西田和嗣と全日本ヘビー級タイトルマッチで対戦。4Rに右ストレートでKO勝ち。全日本キックボクシングヘビー級王座となった(その後、2007年4月1日付けで返上)。

2005/3/6、パンクラスで行われた全日本キックボクシング連盟公式試合で桜木裕司と対戦。2Rにカウンターの右ストレートでKO負け。

2005/5/2、所属するGRABAKAがパンクラスから独立。

2005/5/22、『PRIDE 武士道 -其の七-』でクラウスレイ・グレイシーと対戦し、判定勝ち。

2005/9/25、『PRIDE 武士道 -其の九- ウェルター級グランプリ』では、1回戦でダニエル・アカーシオに得意の戦術で判定勝ちするも、準決勝でダン・ヘンダーソンにKO負け。また、ダンとの試合で顎を骨折し、ボルトで固定する手術を受けた。

2006年6月4日、『PRIDE 武士道 -其の十一- ウェルター級グランプリ 2006 開幕戦』では、ヘクター・ロンバードを翻弄し、判定勝利を飾る。2回戦となる8月26日の『PRIDE 武士道 -其の十二- ウェルター級グランプリ 2006 2nd ROUND』では、ゲガール・ムサシと対戦し一本勝ち、準決勝に駒を進めた。

2006年11月5日、『PRIDE 武士道 -其の十三- ウェルター級グランプリ 2006 決勝戦』では、準決勝でデニス・カーンと対戦し、判定負け。

2006年12月31日、『PRIDE 男祭り 2006』で、2001年12月の対戦以来5年ぶりとなる近藤有己とのリベンジマッチを行う。序盤にパンチを放った際に右手を骨折してしまい右手がほとんど使えない状態となるが、近藤に有効打を許さず、判定勝ち。リベンジを果たした。しかし、2005年のダン戦で埋め込まれていたボルト除去およびに視力矯正の手術を受けるため、戦線離脱を余儀なくされた。

UFC

2007/11/17、UFC初参戦となったUFC 78でタムダン・マクローリーに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちし、白星デビューとなった。また、サブミッション・オブ・ザ・ナイトに選出された。

2008年3月1日、UFC 82でジョン・フィッチと対戦予定であったが、1月に右手を負傷し出場をキャンセル。2月上旬に手術を行った。10月18日のUFC 89にて復帰し、ダン・ハーディーと接戦するも1-2の僅差で判定負け。3RにはUFCで禁止されているグラウンド状態の相手への打撃を行ったことで減点された。

2009年1月31日、UFC 94でジョン・フィッチと対戦し、大差(30-27、30-27、30-26)の判定負けを喫し、UFC2連敗となった。この日の入場シーンではKEI山宮・大迫元喜と共に、矢島美容室のコスプレを披露した。この大会を最後にUFCとの契約が終了した。

戦極(SRC)

2009年6月9日、都内ホテルで行われた記者会見で、戦極に参戦することを表明した。

2009年8月2日、戦極初参戦となった戦極 〜第九陣〜でダン・ホーンバックルと対戦し、3Rに右ハイキックを顔面に受け失神KO負けを喫した。そのまま担架で病院に運ばれるほどのダメージであった。

2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で桜井"マッハ"速人と対戦し、腕ひしぎ逆十字固めで一本勝ちを収めた。入場時には氣志團のコスプレをして、綾小路翔を従え『One Night Carnival』で入場した。

2010年3月7日、SRC12でディエゴ・ゴンザレスと対戦し、判定勝ち。

2010年7月3日、自身のブログにて同日付けでGRABAKAを退団したことを発表した。

2010年8月22日、フリー初戦およびライト級転向後初戦となったSRC14でジャダンバ・ナラントンガラグと対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2010年12月30日の戦極 Soul of Fightに出場予定であったが、練習中に右足小指を骨折し欠場となった。

2011年5月29日、NJKFのMuayThaiOpen 16でTHAI FIGHT 70kgトーナメント日本代表決定戦に出場し、準決勝で堤大輔、決勝で山崎陽一に判定勝ちし、優勝を果たした。

人物

  • 相手のパンチをかわす高いディフェンス技術が最大の武器。巧みに相手との間合いをとり、試合時間をフル活用して相手をじわじわと追い詰めるライツアウト(Lights out)戦法で身体能力の高い外国人選手とも互角に渡り合う。身体能力の差を埋めるこの戦法を「弱者の戦略」と自称している。
  • 以前は「判定上等」がモットーの「郷野流」と自称していたが徐々に考え方が変わってきているようで、最近では「魅せる」ことに重点を置いている。
  • 親交のあるDJ OZMAを模したDJ GOZMAを名乗って派手な入場パフォーマンスを行っている。
  • 試合でのダメージのため、全身麻酔の手術を複数回受けている。
  • 1歳の頃、小児癌(肝芽腫)にかかり、当時の生存率がほぼ0%という状況の中で大手術を受け奇跡の生還を果たしている(右の腹部に手術跡が残っている)。そういった肉体的ハンデを乗り越えて、強さの象徴である総合格闘技で成功を収めている。そして現在、同じ病気にかかっている子供の会に参加したり、会の親子を試合に招待し、子供のヒーローになりたいと思っている。
  • ボクシング世界王者ロイ・ジョーンズ・ジュニアを尊敬しており、ファイトスタイルの参考にしている。試合時のトランクス前部に「ROY JONES JR」の文字を入れていたこともある。トランクス後部にはジェームズ・トニーのニックネームである「LIGHTS OUT」の文字を入れていた。

獲得タイトル

  • 第3代全日本キックボクシング連盟ヘビー級王座
  • THAI FIGHT 70kgトーナメント日本代表決定戦 優勝






ブラソ・デ・オロ
Brazo de Oro
1959/10/7

メキシコのプロレスラー。メキシコ・メキシコシティ出身。ブラソ・デ・オロとは日本語で『金の腕』の意味を持つ。その為に右腕には金色のサポーターをしている。本名:ヘスス・アルバラート・ニエベス。元妻はレディ・アパッチェ。

来歴

父やハム・リーにルチャのいろはを学び、1975年にメキシコシティでデビュー。三男のデビューでタッグチーム『ロス・ブラソス』結成。次男がデビューしてからはトリオのチーム『ロス・モスケテロス・デル・ディアブロ』を結成。1984年7月からはルードに転向。1981年8月には新日本プロレス『ブラティー・ファイト・シリーズ』、1985年1月には全日本プロレス『激突!!・オールスター・ウォーズ』に三男と共に来日を果たす。全日来日時にはグラン浜田と抗争を繰り広げた。1988年10月ビジャノ一家にマスカラ戦で破れ兄弟共々に素顔になる。1990年11月から1993年6月頃まで定期的に三男と共にユニバーサル・プロレスリングに来日。1991年6月からEMLLに移籍しリンピオに転向。2006年11月には無我に兄弟で来日した。2007年5月『ウルティモ・ドラゴン20周年記念&闘龍門メキシコ10周年記念』興行に参戦。

現在はCMLLのスタッフ兼選手のような形になっている。

タイトル履歴

  • メキシコ州ヘビー級王座: 2回
  • メキシコ州ウェルター級王座: 1回
  • メキシコ州ウェルター級王座: 1回
  • ナウカルパンウェルター級王座: 1回
  • UWA世界タッグチーム王座: 1回
  • WWA世界タッグチーム王座: 1回
  • NWAアメリカタッグチーム王座: 1回
  • ロス世界タッグチーム王座: 1回
  • プエブラタッグチーム王座: 1回
  • メキシコナショナルタッグチーム王座: 1回
  • UWA世界トリオ王座: 3回
  • CMLL世界トリオ王座: 2回
  • WWA世界トリオ王座: 1回
  • メキシコ州トリオ王座: 1回
  • ナショナルトリオ王座: 2回
  • フィル・トリオス: 1回

  

















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