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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
10/9

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ダニエル・ピューダー
Daniel Puder
1981/10/9

アメリカ合衆国の総合格闘家、プロレスラー。カリフォルニア州クパチーノ出身。アメリカン・キックボクシング・アカデミー所属。

来歴

2003/9/6、総合格闘技デビュー戦となったX-1でジェイ・マコーンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2004年10月、プロレス団体WWEの第4回タフイナフチャレンジ(100万ドルタフイナフ)で優勝し、WWEとの契約を獲得した。11月4日、スマックダウンにおいてカート・アングルと対戦した際アングルにシュートを仕掛け、ガードポジションからキーロックを極めるも、肩がマットに着いていたためピンフォール負けを喫した。

2005年9月、WWEのコスト削減策のため解雇を通告され、下部団体のDSWからのオファーを受けるも拒否し、以後は総合格闘家へ転向した。

2006年からStrikeforceで総合格闘技に本格的に参戦。

2010/2/22、IGF初参戦となった「GENOME11」でエリック・ハマーと対戦し、7分9秒レッグロックによるタップアウト負けを喫した。

2010/6/19、新日本プロレスに初参戦して中邑真輔と対戦し、ボマイェからの片エビ固めで敗れた。11月から中邑と組んで新日本プロレス主催のG1 TAG LEAGUEに参戦。

獲得タイトル

  • 100万ドルタフイナフ優勝(2004年)





渋谷シュウ
1979/10/9

日本の女子プロレスラー。三重県四日市市出身。プロレスリングWAVE所属。

所属

  • JDスター女子プロレス(2003年 - 2007年)
  • フリーランス(2007年 - 2008年)
  • プロレスリングWAVE(2009年 - )

経歴・戦歴

2003年
  • 10月、JDスター女子プロレスに入門。
2004年
  • 9/19、新木場1stRING大会において、対AKINO戦でデビュー。
2005年
  • 1/23、「チャレンジャー1A」において、市井舞と対戦。コーナーからの変形回転エビ固めで敗れる。
  • 2/27、ボーナスイベントマッチにおいて、元気美佐恵とボディスラムマッチで対戦。敗れる。
  • 3/6、「格闘美31」において、秋山恵と対戦。逆さ押さえ込みで勝利。
  • 3/20、ボーナスイベントマッチにおいて、大向美智子とセントーンマッチで対戦。勝利。
  • 4/9、「格闘美〜Jupiter〜」において、大向美智子と対戦。タイガー・スープレックス・ホールドで敗れる。
  • 5/21、「格闘美〜Jupiter〜」において、栗原あゆみと対戦。時間切れ引き分け。
  • 6/5、東京・新木場1stRING「“息吹”第1回大会」において、木村ネネと対戦。逆さ押さえ込みで敗れる。
  • 6/11、「格闘美〜Jupiter〜」において、桜花由美と組んで、AKINO、栗原あゆみ組と対戦。桜花がAKINOのトルネードAで敗れる。
  • 6/26、「格闘美〜Jupiter〜」において、風香と対戦。Fクラッシュで敗れる。
  • 7/9、「格闘美〜Festa〜」において、栗原あゆみと組んで、MARU、斎藤啓子組と対戦。斎藤のタイガー・スープレックス・ホールドで敗れる。同大会、全員参加バトルロイヤルに出場。優勝する。
  • 7/17、「格闘美〜Festa〜」において、MARU、斎藤啓子と組んで、Baby-M、救世忍者乱丸、闘牛・空組と対戦。MARUが空のタックルで敗れる。
  • 8/28、「格闘美〜Festa〜」において、斎藤啓子、栗原あゆみと組んで、GAMI、倉垣翼、闘牛・空組と対戦。斎藤が倉垣のムーンサルトプレスで敗れる。同大会、バトルロイヤルに出場。
  • 9/25、「格闘美〜Dreamer〜」において、華名と対戦。サソリ固めでギブアップ負け。同大会、ザ・ブラディーと組んで、西尾美香、阿部幸江組と対戦。西尾のファルコンアローで敗れる。
  • 11/5、「格闘美〜Dreamer〜」において、風香と組んで、Hikaru、前村早紀組と対戦。Hikaruのスパインボムで敗れる。
  • 11/13、東京・新宿FACE「“息吹”第4回大会」において、伊藤薫と組んで、吉田万里子、バンビ組と対戦。伊藤のダイビングフットスタンプでバンビから勝利。
  • 11/27、「格闘美〜Dreamer〜」において、闘獣牙Leonと対戦。マッドスプラッシュで敗れる。
  • 12/11、東京・後楽園ホール(STAND OUT)において、椎名由香と組んで、ザ・ブラディー、ファング鈴木組と対戦。椎名がブラディーの裏拳で敗れる。
  • 12/17、「格闘美〜Dreamer〜」において、西尾美香と組んで、Hikaru、前村早紀組と対戦。HikaruのLanakila-Hで敗れる。
  • 12/27、「格闘美〜Dreamer〜」において、シングル勝ち抜き4対4マッチに参加。高橋奈苗、阿部幸江、風香とチームを組んで、前村早紀、西尾美香、木村響子、華名チームと対戦。渋谷チームの勝利。
2006年
  • 1/28、「格闘美〜MASSIVE〜」において、西尾美香と組んで、高橋奈苗、Hikaru組と対戦。Hikaruのスピアで敗れる。
  • 1/29、東京・新木場1stRING「“息吹”第5回大会」において、江本敦子と組んで、成国晶子、吉田万里子組と対戦。江本が吉田のエアレイドクラッシュで敗れる。
  • 2/5、「格闘美〜MASSIVE〜」において、バンビと組んで、風香、栗原あゆみ組と対戦。ノーザンライト・スープレックスで風香から勝利。
  • 2/26、「格闘美〜MASSIVE〜」において、マッスル坂井と組んで、風香、柿本大地組と対戦。風香のFクラッシュで敗れる。
  • 3/19、東京・新木場1stRING「“息吹”第6回大会」において、吉田万里子と組んで、藤井惠、夏樹☆ヘッド組と対戦。リバース109で夏樹から勝利。
  • 4/2、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、市井舞と対戦。逆さ押さえ込みで勝利。
  • 5/4、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)昼」において、春日萌花と対戦。リバース109で勝利。同日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)夜」において、栗原あゆみと対戦。時間切れ引き分け。
  • 5/6、横浜赤レンガ倉庫「“息吹”第7回大会」において、吉田万里子と組んで、里村明衣子、中川ともか組と対戦。リバース109で中川から勝利。
  • 5/13、「格闘美〜Future〜」において、高橋奈苗、Hikaru、風香と組んで、AKINO、闘牛・空、栗原あゆみ、GAMI組と対戦。高橋がシャイニング膝アッパーで空から勝利。
  • 5/28、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、浦井百合と対戦。ミサイルキックで勝利。
  • 6/18、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、風香と対戦。Fクラッシュで敗れる。
  • 6/24、「格闘美〜Future〜」において、中川ともか、チェリーと組んで、市井舞、春日萌花、浦井百合組と対戦。チェリーがダブルクラインで春日から勝利。
  • 7/2、レディゴンまつりにおいて、NSP写真集イリミネーションマッチで、バンビ、市井舞、竹迫望美と組んで、アップルみゆき、春日萌花、優菜、風香組と対戦。市井が風香のハイキックで敗れる。
  • 7/8、「格闘美〜Festa〜」において、米山香織と組んで、前村早紀、中島安里紗組と対戦。ダイビング・セントーンで中島から勝利。
  • 7/15、「格闘美〜Festa〜」において、風香と組んで、バンビ、TOMOみちのく組と対戦。風香がバンビのダイビング・セントーンで敗れる。
  • 7/16、東京・新宿FACE「“息吹”第8回大会」において、チェリーと組んで、TOMOみちのく、佐藤綾子組と対戦。チェリーが中川の変形鎌固めでギブアップ負け。
  • 7/23、新木場1stRING「格闘美〜LIGHT〜」において、木村響子と組んで、高橋奈苗、風香組と対戦。高橋に敗れる。同日、「格闘美〜Festa〜」において、栗原あゆみと組んで、木村響子、闘牛・空組と対戦。木村のビッグブーツで敗れる。
  • 8/6、新木場1stRING「格闘美〜Festa〜/フェスタdeフェスタ」において、風香対渋谷シュウ対栗原あゆみの3WAY戦で戦い、スモールパッケージホールドで風香から勝利。同大会、6人参加バトルロイヤルにも出場し、風香の飛びつき腕ひしぎ逆十字でギブアップ負け。同大会、ドロップキックコンテストに参加。優勝する。
  • 8/13、新木場1stRING「格闘美〜Festa〜/ビヤガーデンフェスタ」において、柿本大地と組んで、木村響子、高木三四郎組と対戦。木村のランセットアーチで敗れる。
  • 8/20、WRESTLE EXPO 2006において、栗原あゆみと組んで、米山香織、希月あおい組と対戦。栗原がミサイルキックで希月から勝利。同日、新木場1stRING「格闘美〜Festa〜最終戦/打ち上げフェスタ」において、桜花由美デビュー5周年記念プロデュース全員桜花??タッグマッチで、全員が桜花の過去のコスチュームを着て、当時の入場テーマ曲で入場し試合を行なった。風花(風香)、桜向美智子(大向美智子)組対GA美(GAMI)、渋谷由美(渋谷シュウ)組で戦う。桜向のエンジェルウイングロックによりギブアップ負け。
  • 9/10、「格闘美〜Dreamer06〜」において、栗原あゆみと組んで、大向美智子、木村響子組と対戦。木村のフロントネックロックでギブアップ負け。
  • 9/17、「格闘美〜Dreamer06〜」において、木村響子組と対戦。木村のイス攻撃で頭部からの流血によりレフェリーストップで負ける。
  • 10/7、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、浦井百合と組んで、カリビアン・KIM、カリビアン・RUM組と対戦。浦井がカリビアン・インパクトで敗れる。
  • 10/20、東京・新木場1stRING「格闘美〜Light〜」において、浦井百合と組んで、カリビアン・KIM、MORIBE組と対戦。浦井がカリビアン・インパクトで敗れる。
  • 10/28、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、柿本大地と組んで、カリビアン・KIM、MORIBE組と対戦。カリビアン・RUM、チェリーの乱入により無効試合。
  • 11/3、東京・後楽園ホール「STAND OUT 06」において、希月あおいと組んで、椎名由香、さくらえみ組と対戦。希月が椎名のジャンピン・グラリアットで敗れる。
  • 11/5、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、カリビアン・KIM、希月あおいと3WAY戦。フォール中のKIMの上にダイビング・セントーンをして、押さえ込むも希月をフォールしていたKIMが勝利。
  • 11/12、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、松本浩代と組んで、風香、チェリー組と対戦。風香の右ハイキックで松本が敗れる。
  • 11/25、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、零、チェリーと組んで、カリビアン・KIM、カリビアン・RUM、MORIBE組と対戦。無効試合。同大会、チェリー、風香、浦井百合と組んで、カリビアン・KIM、カリビアン・RUM、MORIBE、零組と対戦。カリビアン・インパクトで敗れる。
  • 2007/7/16にJDスターが活動を停止し、同団体の最終所属選手の中でただ一人、どこにも属さずフリーランスとして活動していたが、2009年1月1日付でWAVE所属となった。

タイトル歴

  • TWF世界タッグ(パートナーは風香)

入場テーマ曲

  • 「Temple Of Love」(SHEBANG)

写真集

  • 「Nature」(日本スポーツ出版社)

シブリの谷から(´▽`)

 
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脇澤 美穂
1979/10/9

現在はお笑い芸人で、吉川☆ミホカヨと言うコンビのボケ担当で、芸名は『ミホカヨ』。身長164.1cm、体重60kg。血液型O型。千葉県夷隅郡(現・いすみ市)出身。

納見佳容とのミホカヨコンビで人気を博した。また納見、中西百重、高橋奈苗(脇澤引退後は西尾美香)とキッスの世界としてCDデビューを果たした。

芸人に転職した際、納見とのコンビ名「ミホカヨ」をそのまま現在の芸名に流用した。ただし、納見は吉川☆ミホカヨに参加はしていない。

経歴・戦歴

1996年
  • 7月28日、東京・後楽園ホールにおいて、対川本八千代戦でデビュー。
1997年
  • 次世代の若手プロレスラー5人が出演したビデオ「Ore」が東芝EMIより発売(他の出演者は本谷香名子(JWP)、小杉夕子(Jd')、池田陽子(FMW)、千春(SPWF))。
1998年
  • 3/13に納見佳容とのコンビで中西百重&高橋奈苗組から全日本タッグ王座を獲得。以後、納見との「ミホカヨ」コンビで通算3度同王座を獲得。
  • 「ジャパン・グランプリ'98」のジュニアリーグ戦で中西、元川恵美との巴戦を制し優勝(8月8日、後楽園ホール)。
  • 12月18日にポニーキャニオンよりイメージビデオ「MAHALO」をリリース。
1999年
  • 豊田真奈美とのコンビで「タッグリーグ・ザ・ベスト'99」優勝(12月26日、後楽園ホール)。
2000年
  • 9/17、高橋を破り全日本シングル選手権を獲得。
2001年
  • 12/16、川崎市体育館の対納見佳容戦で引退。その後しばらくのアルバイト生活の後、故郷へ帰郷。
2008年
  • 4月からワタナベコメディスクール8期生として入学しお笑い芸人を志す。そのきっかけは、テレビで視た青木さやかに「会いたい」と思ったことだったという。『ミホカヨ』の芸名で、最初はピン芸人としてデビューを目指したが、キングオブコント出場のために同期生の吉川崇とコンビ『吉川☆ミホカヨ』を組み、M-1グランプリの予選にも出場。なお『ミホカヨ』の名前の使用に関しては、かつてのパートナーだった納見に快諾してもらったという。その一方で、12/28の伊藤道場・新宿FACE大会で伊藤薫相手にプロレス復帰戦を行う。リングネームは芸名と同じ『ミホカヨ』。以後、単発ではあるが伊藤道場の興行で試合に出場している。
2009年
  • 4/6、ワタナベエンターテイメント二次審査に合格し、『吉川☆ミホカヨ』のコンビとしてワタナベエンターテインメント所属となる(2010年まで)。
2011年
  • 6/3、高橋が率いるスターダムに入団。プロレス本格復帰を目指す。

タイトル歴

  • 全日本シングル王座
  • 全日本タッグ王座

入場テーマ曲

  • 「I Would Love To」(Steve Vai)
  • 「SPACE SOLDIER」「バクバクKissの世界 -W EXPLOSION-」に収録。

みんなの太陽・脇澤美穂





ジョー・ドークセン
Joe Doerksen
1977/10/9

カナダの総合格闘家。マニトバ州ウィニペグ出身。チーム・エクストリーム所属。

来歴

1999年2月6日、Bas Rutten Invitational 1で総合格闘技デビュー。1日4試合のトーナメントに出場し、決勝でユージーン・ジャクソンに敗れた。11月13日にはExtreme Challengeでマット・ヒューズに敗れている。

その後、Extreme ChallengeやSuperBrawlを初めとして数々の大会に出場、デニス・カーンやクリス・リーベンら強豪に勝利している。2004年にはUFC 49でUFC初参戦。ジョー・リッグスにパウンドでTKO負けを喫した。

2007年4月13日、DEEP 29 IMPACTでキム・デウォンに三角絞めで一本勝ち。8月5日、WEC 29のWECミドル級王座決定戦でパウロ・フィリォと対戦し、パウンドでTKO負け。11月17にはUFC 78でエド・ハーマンと対戦し、左フックでKO負け。

2008年11月1日、戦極初出場となった戦極 〜第六陣〜で竹内出と対戦し、マウントパンチでTKO勝ちを収めた。

2009年9月23日、戦極 〜第十陣〜で佐藤豪則と対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。

2010年5月8日、2年ぶりのUFC参戦となったUFC 113でトム・ローラーと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。9月25日、UFC 119でCBダラウェイと対戦し、ギロチンチョークで一本負けを喫した。






スティービー・リチャーズ
Stevie Richards
1971/10/9

マイケル・マナMichael Manna)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。

来歴

1991年にアメリカ東部のインディー団体にてデビュー後、1993年にECWへ参戦。1995年からはレイヴェンの子分として活躍する。1996年にnWoのパロディ集団bWoを結成し、自身はケビン・ナッシュのギミックのパロディであるビッグ・スティービー・クールBig Stevie Cool)を演じた。1997年、レイヴェンに続いてWCWへ移籍したが、WCWでの活躍は振るわずすぐにECWへ復帰。1998年にはIWAジャパンに初来日した。

1999年にWWF(現・WWE)へ移籍。当初はbWo時代と同様にレスラーの物真似をするコミカルなキャラクターだったが、2000年よりリングネームをスティーブン・リチャーズSteven Richards)に変更し、WWFの風紀検閲活動を行うユニットRTCを結成。ブル・ブキャナン、ザ・グッドファーザー、バル・ビーナス、アイボリーらをメンバーに、ヒールの主力ユニットとして活動した。

2001年のWWF対WCW・ECW連合軍(アライアンス)の抗争アングルではアライアンス側に所属。クロニック(ブライアン・アダムス&ブライアン・クラーク)のマネージャーを担当した。

アライアンスのストーリー終結後はハードコアマッチ戦線での活動を経て、2002年末よりビクトリアとのコンビでサイコ系のキャラクターに変身。2003年下期からはRAWの前座番組であるヒートを主戦場とし、スティービー・ナイト・ヒートStevie Night Heat)を名乗った。RAW出演の際は主にジョバーとして登場し、クリス・マスターズのRAWデビュー戦の相手も務めている。

2005年のWWE ECW's One Night StandにてbWoが再結成されると、スマックダウンに移籍してbWoのリーダーとなり、メキシクールズと抗争。同年7月のグレート・アメリカン・バッシュでメキシクールズに敗れると、再びbWo以前のギミックに戻り、スマックダウンの前座番組ヴェロシティへ活動の場を移していった。

2005年後半からリングに登場する機会が減るが、2006年3月のサタデー・ナイト・メイン・イベントに際してシェイン・マクマホンのスパーリング・パートナーを担当。同年、WWE内の第3ブランドとしてECWが復活すると、リングネームをスティービー・リチャーズに戻して移籍した。

2007年はケビン・ソーンとミニ抗争を展開。2008年にはECW第100回目の放送でゲスト解説にも入ったが、8月にWWEを解雇された。その後はTNAでドクター・スティービー・リチャーズDr. Stevie Richards)として活動。2010年7月より、ミック・フォーリー、ロブ・ヴァン・ダム、レイヴェン、トミー・ドリーマー、ライノ、チーム3D、アル・スノーらとTNA版ECWオリジナルズであるEV 2.0Extreme, Version 2.0)を結成した。

獲得タイトル

ECW
  • ECW世界タッグ王座 : 2回(w / レイヴェン)
WWE
  • WWEハードコア王座 : 21回
NWA
  • NWAナショナルヘビー級王座 : 1回
  • NWA世界ライトヘビー級王座 : 1回
  • NWA2000王座
HWA
  • HWAヘビー級王座 : 1回
MCW
  • MCWタッグ王座 : 1回(w / Earl the Pearl)
その他
  • MEWFヘビー級王座 : 1回
  • LAWヘビー級王座 : 1回
  • UCWヘビー級王座 : 1回
  • SCWタッグ王座 : 2回(w / Frank Stalletto x1、ブルー・ミーニー x1)
  • PWXタッグ王座 : 1回(w / ブルー・ミーニー)
  • APWFヘビー級王座 : 1回

その他

  • 2003年、リチャーズ宅で行われたパーティーにてクラッシュ・ホーリーが嘔吐物を喉に詰まらせ死去した。

  



秋山準
1969/10/9

日本のプロレスラー、実業家。本名は秋山 潤。大阪府和泉市出身。プロレスリング・ノア所属。また、有限会社アキヤマ・インターナショナル・コミュニケーション代表取締役社長である。

なお全日本プロレス時代はリングネーム「準」の下部にある「十」の右下に「、」をつけていた(命名の際、デビューから一定期間を過ぎたら「、」を外すよう命名者に言われていたらしい)。

かつては、対戦相手の負傷箇所を非情なまでに痛めつけるファイトスタイルから「氷の秋山」「キラー秋山」等と呼ばれた。団体トップでありながら他団体マットにも積極的に参加している。

来歴

学生時代

中学時代は水泳部に所属。レスリングは高石高校進学後から始めたが、フリースタイル81kg級でインターハイや国体に出場するなど、素質とセンスの高さを見せた。専修大学レスリング部時代(3年上の先輩に中西学がいる、柔道部の高阪剛は同級生で友人。)は1年時に全日本学生選手権で準優勝を果たす他、4年時にはレスリング部の主将も務めた。

全日本プロレス

バスの中で疲れてうなだれるサラリーマンの姿を見て自分はああなれないと悟り、プロレスラーとして生きることを決意した。全日本プロレス入団へのきっかけとなったのはジャイアント馬場自らのスカウトによる。秋山は元々新日本プロレスの入団テストを受験していたが相手にされなかったことや、秋山自身がジャンボ鶴田のファンだったこともあり、馬場本人からのスカウトに感動して全日本プロレスへ入団した。秋山が全日本プロレスへ入団することを知った専大OBの長州力は「なんであんないい奴、取らないんだ!」と、同じく専大OBで当時新日本プロレスのスカウトも兼務していた馳浩を怒鳴りつけたそうである(後日、馳はこの件について「秋山の古傷である腰の状態が思わしくないため、プロレスは無理だと判断した」と語っている])。

入団当初からジャンボ鶴田二世として期待され、1992/9/17、後楽園ホールのセミファイナル(45分1本勝負)・小橋健太戦でデビューすると、同年末の『'92世界最強タッグ決定リーグ戦』には病気療養中の鶴田の代役として出場を果たす(パートナーは田上明)。その後も同期の大森隆男や、先輩三沢光晴、小橋とのタッグでタイトルを獲得するなど、団体の看板レスラーの一人に成長する。その後は三冠ヘビー級のベルト戴冠は無いものの、プロレス四天王と並ぶ五強と呼ばれた。

プロレスリング・ノア

2000年7月、全日本集団離脱からプロレスリング・ノアへ移籍。旗揚げ戦初戦のメインで小橋とタッグを組み、1本目を三沢から、2本目を田上から取る。翌日のメインでの小橋とのシングルでも勝利を収める快挙を見せるなど、以降は団体の中心選手として活躍。そして2001/7/27、日本武道館で三沢を破りGHCヘビー級王座を獲得、念願のシングル王座初戴冠を果たしている。2002年9月には、齋藤彰俊とのタッグでGHCタッグ王座も獲得した。

2004年3月には、団体の管理する正式ベルトの名称である『GHC』を模した白GHC(グローバル・ハードコア・クラウン)ベルトを創設している。

一方、ノア旗揚げ頃から、小橋の長期離脱や団体を引っ張らなければならない責任感などのストレスで自律神経失調症に悩まされるが、必死の努力で克服。リーダーを務めるユニット「STERNNESS(スターネス)」には、橋誠(出稽古中)、金丸義信、青木篤志が所属しており、彼等の育成(おちょくり)にも心血を注ぐ。

全日本プロレス所属中はイメージカラーを青としており、ブルーのショートタイツを身に着けていたが、ノア移籍後は白を主体としている。

2005/4/1に自身が社長を務める会社を立ち上げ、9月からは「+波動水」という天然水の販売を行う(その後商品名を「みんなの潤水」へ変更し販売中)。

2006/1/8、田上明とのGHCヘビー級選手権試合の前哨戦で、開始早々のエクスプロイダー・ジャンピングニーからのエビ固めで、0分12秒で田上明からフォール勝ちをした(この試合は再試合になり、15分00秒で志賀賢太郎が菊地毅から後方回転エビ固めでフォール勝ちしている)。なお、この試合は特別に秋山が勝った試合を通常通りの第8試合、志賀が勝った再試合を追加試合の第9試合とされた。

2006/1/22、GHCヘビー級選手権者・田上明を後頭部へのロージャンピングニーで下し、3年9か月ぶりにGHCヘビー級選手権者(第9代)へ返り咲いた。

2004年からは「週刊プロレス」(ベースボール・マガジン社)でコラム「NOAHがわかる、NOAHがかわる」を連載(当初は毎週だったが、2005年から隔週となる)。ノア所属選手の裏話や次期シリーズの見所などを紹介していたが、2006年からはタイトルを「クロブタノート」と変更、泉田を主役としながらも秋山も「ブタ番」として、ノア番(ノア担当の番記者)とのトークや泉田のお見合い企画に参加した。「クロブタノート」が5回で終了した後は「NOAHがわかる、NOAHがかわる」が復活した。しかし77回で終了することを予告しており、その通りに終了した(秋山はコラム内で「次回からは爽やかなコラムが始まります」と予告しており、DRAGON GATE所属のCIMAが後を引き継いでいる)。

2006年3月に日本公開された映画「力道山」では、遠藤幸吉役を演じた。

2006/9/9、GHCヘビー級選手権にて挑戦者丸藤正道に完璧首固めで敗れ(27分29秒)、王座から陥落した。試合前に菊地毅と負けたら前座に戻ると約束していたため、翌月のシリーズでは6年3か月ぶりに青タイツで登場した。

2008年7月、秋山は東京スポーツ紙上で、森嶋猛に力皇猛が挑戦するGHCヘビー級選手権でタッグパートナーの力皇が勝てなければ坊主にすると公約してしまった(自分がうっかり言ってしまったことを記者によって記事にされてしまう)。試合で力皇は王座獲得に失敗、8月のシリーズ開幕前に公約を守って坊主頭にした。

2009年3月、佐々木健介が保持していたGHCヘビー級王座に挑戦し、勝利。約2年半ぶりに王座に返り咲いた。翌月、潮崎豪と防衛戦を行ない、勝利。また、5/17にはKENTAと初のGHCシングル王者同士の一騎打ちを行い"元祖"スターネスダストαを解禁し、勝利した。

2009/6/14、ヘルニアのため同王座を返上、以降の大会を欠場すると発表された。同年12月23日の丸藤正道プロデュース興行(ディファ有明)において橋誠戦でリングに復帰。リストクラッチ式エクスプロイダーで勝利した。橋は同年末付でノアとの契約が満了しフリーとなっており、師匠である秋山からのはなむけの師弟対決となった。

2010年3月 - 5月、ノア初のシングルリーグ戦となるグローバル・リーグ戦に出場。Aブロック公式戦初戦の佐々木健介戦に敗れ黒星発進となるが、その後佐野巧真、バイソン・スミス、力皇猛を破り、最終公式戦の日本武道館(5/2)で現GHCヘビー級王者の杉浦貴を変型スターネスダストで撃破し、Aブロック1位となる。同日続けて実施の決勝戦での相手となった高山善廣とはノアでの初のシングル対決であったが、エベレストジャーマン・スープレックス・ホールドに敗れ準優勝となった。

2011年春にチャンピオン・カーニバルに出場。秋山にとって11年ぶりの全日の登場となった。

入場曲

  • 初代: U. S. FINAL BATTLE … デビュー -
  • 二代目: SHADOW EXPLOSION … 1996年頃 -
  • 三代目: STERNNESS … 2001年10月6日 -

長年使い続けた「SHADOW EXPLOSION」を変えたとき、「大会場に映える曲」と発言していた。実際にこの2日後の10月8日に、新日本プロレス東京ドーム大会に出場している。

主な獲得タイトル

プロレスリング・ノア

  • GHCヘビー級王座(3回 / 第2代・第9代・第14代)
  • GHCタッグ王座(2回 / 第5代・第14代)
    パートナーは齋藤彰俊→力皇猛
  • GHC(グローバル・ハードコア・クラウン)無差別級王座(1回 / 初代)
  • グローバル・タッグ・リーグ戦(1回 / 2011年)
     パートナーは齋藤彰俊

全日本プロレス

  • 世界タッグ王座(3回 / 第29代・第36代・第40代)
    パートナーは第29代の時が三沢光晴→残り2回は小橋建太
  • アジアタッグ王座(1回 / 第62代)
    パートナーは大森隆男

人柄  

新人の頃、馬場にシャツの裾が出ていることを注意され、一度裾をズボンに入れるがすぐに「馬場さん、やっぱりこっちの方が良いです」と言ってまた裾を外へ出した。全日本において絶対的存在であった馬場へ口答えした秋山を見て他の選手は慌てふためいたものの、「コイツは大物になる」と感じた馬場は「最近の若者はよく判らん」と言いながら笑って許した(ちなみに馬場の教えから、現在もノアの選手の多くがシャツの裾をズボンに入れている)。

鳴り物入りで入団した秋山も、新弟子時代は厳しすぎる練習の日々と先輩からの嫉妬の目で心身とも参っていた。その時「何かあったら俺が相談に乗るよ」と言ってくれたのが他ならぬ小橋建太である。「人生で一番つらい時期」を助けてくれた小橋との歴史はここから始まる。小橋相手のデビュー戦は「何も出来なかった」と後に述懐しており、完全に小橋に引っ張ってもらった試合であったと語る。数年後、その小橋と「BURNING」を結成し、三沢・小川組の「アンタッチャブル」、川田・田上組の「聖鬼軍」、そして高山・大森組の「ノーフィアー」と激戦を繰り広げ、世界タッグ王者のベルトも巻いた。しかし、2000年2月に下克上を掲げて反旗を翻し、NOAHの旗揚げ戦、有明決戦と経て現在は最大のライバル関係となっている。「小橋が居るからNOAHは最高」や、「僕がNOAHを辞める時は小橋さんが辞める時」、そして三沢光晴を破って初めてGHCを戴冠した時に長期離脱中だった小橋のために「小橋さんが戻ってくるまで巻いている」等の発言から分かるように秋山は心から小橋を尊敬しており、秋山のプロレス人生には常に小橋建太が存在していた。

2度目のGHCを奪取した時もベルトを腰に巻かなかった。理由として「小橋さんに勝つまでは巻かない」と、秋山の中ではたとえベルトを持っていたとしても、最強の人は小橋であることが良く分かる。

最近ではその小橋への愛が行き過ぎているようで、雑誌等のインタビューでは大半が小橋の話題で埋め尽くされ、天然の小橋が何かをする度に鋭い突込みを入れるようになっている。

その一方、川田利明はあまり好きではなかったと公言しており、「全日本時代、川田さんのことは本当に嫌いだった。でも、自分がプロレスラーとして強くなれたのは、川田さんに叩きのめされ続けてきたから」と、多くのインタビューで語っている。なお、対四天王シングル戦では唯一、川田にだけ未勝利であるため、川田に勝つことが出来れば旧四天王越えが達成される。

尊敬する小橋をめぐって、KENTAとは犬猿の仲であり、試合でタッグを組むことは無い上、対抗戦となるとKENTAは、感情を剥き出しにして秋山に攻めかかり、秋山も冷徹非情にKENTAを痛めつける。KENTAは秋山のことを『秋山氏』『白パン』と呼ぶほど両者の溝は大きいが、秋山自身は雑誌インタビューで「丸藤正道とKENTAはどちらが将来性があるか」と尋ねられた際、「身体を張って頑張っているのだから、KENTAの方が将来性がある」と認めており、GHC防衛戦の際も「ジュニアが身体張って頑張っているのだから」と認める発言を最近は繰り返している。

秋山は自身のブログ・秋山社長の徒然日記にて闘病中の小橋建太の経過を伝えるレポーターも兼ねている。秋山の弟子でありいじられ役である橋誠や、秋山の家族、先輩である泉田純至、川畑輝鎮らと並んで小橋のエピソードが登場することが非常に多い。また、最近では秋山自身が薄毛を気にしていることもネタにしている。

沈着冷静と思われているが、過去に数試合一瞬の油断やスキをつかれ大きな試合を落としている。全日時代の2000年には、チャンピオン・カーニバルのトーナメント第1回戦大森隆男戦で、その1か月前シングルで三沢超えを果たし優勝候補に上げられていたが、わずか7秒(ゴングが鳴る前を含めると約30秒)でフォールを奪われるという敗北を喫している。2002年4月のGHC小川良成戦では、「5分以内に片付ける」と小川を挑発していたが、逆に5分以内に丸め込まれて3カウントを奪われ、GHCを奪取される。GHC丸藤戦でも、秋山はまだ余力は残っていたがスキをつかれ首固めで、丸藤にGHCを奪取されている。これには「闘う相手によって気合の入れ方が違う」とも言われており、若い頃は激情型で、安易に試合を壊したりすることもあった。

リング上の厳しい戦いからは想像も出来ないが「買い与えられるものは全て買い与えてやりたい」というほどの子煩悩である。また大変な動物好きで犬1匹と猫5匹を飼っており、どうぶつ奇想天外にも出演したことがある。

2009年2月13日、NOAHが帝京平成大学と提携し講師として活動を行う発表の際、自身が27歳からパニック障害を患っていることを公表し、有用な克服法などを学生らと模索すると述べた。






エディ・ゲレロ
Eddie Guerrero
1967/10/9 - 2005/11/13

アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州エル・パソ出身のメキシコ系アメリカ人。

人物

本名エドゥアルド・ゴリー・ゲレロ・ジャネス(Eduardo Gory Guerrero Yañez)。アメリカとメキシコ両方の市民権を有する(国籍はメキシコ)。最終所属はWWEのスマックダウンである。

ラティーノ・ヒートと呼ばれている激情家。プロレスの名門一家ゲレロ家の一員である。父親のゴリー・ゲレロ、兄のチャボ・ゲレロ・シニア、マンド・ゲレロ、ヘクター・ゲレロ、チャボの息子である甥のチャボ・ゲレロ・ジュニアもプロレスラーである。妻のヴィッキー・ゲレロもWWEの番組中で活動している。

「Lie Cheat and Steal!(ズルして騙して盗み取れ)」を合言葉に、意表を突く「ズルい」(という設定である。)戦法を多用し、相手に正面から挑むタイプのファイターではないが、特に、スペイン語を織り交ぜたり、ロックと同様スラングを駆使しての軽妙なトークが特徴であった(J SPORTSの字幕ではスペイン語訛りを表現するため「オイラ」「〜だっての」等と訳された)。

来歴

日本・メキシコ時代

プロレス一家だったこともあり、リングに登場したことがあるのは早い。3歳でドロップキックをマスターしたとされ、7歳の時には、当時4歳の甥であるチャボ・ゲレロ・ジュニアと、興行の休憩中に余興的な試合を行ったところ、観客が夢中になり、売店を営む親族から物が売れなくなるからやめるように頼まれたエピソードがある。プロレスラーとして正式にデビューしたのは1987年の時である。3人の兄たちとのコンビでCMLLを主戦場とした。

1992年に素顔で新日本プロレスに初来日。このときは、正統的な動きの中に切れのある空中技を披露し、天才レスラーと称えられた。また、この頃出会ったクリス・ベノワ、ディーン・マレンコとは生涯にわたって親友と呼び合う仲になり、その後も行動を共にしていく。同じ頃、CMLLでマスカラ・マヒカという覆面レスラーへの変身を命じられる。しかし自身の扱いに不満を持ち、新興のライバル団体AAAに電撃移籍、自らマスクを脱いで正体を明かしたルチャリブレ史上唯一の選手となった。AAAではトップ選手のエル・イホ・デル・サントと「ニュー・アトミック・ペア」を結成(初代アトミック・ペアは互いの実父であるエル・サント&ゴリー・ゲレロ)した。

この時期は日本とメキシコとを往復し、日本では2代目ブラック・タイガーとして獣神サンダー・ライガー、3代目タイガーマスク、ベノワ、マレンコらと新日本ジュニアの黄金時代を築いた。メキシコではサントを裏切るとルードに転向、“ラブマシーン”アート・バーとロス・グリンコス・ロコス(イカレたアメリカ人たち)を結成、トップヒールとなった。

ECW・WCW

1994年11月、ECWとの契約の話が進む中、アートが急死。死因は日頃の過剰な薬物摂取であった。パートナーである以前に大親友であったアートの死の衝撃は、その後のエディの人生にも大きな影響を与えた。翌1995年5月、単身ECWに移籍。TV王座2回獲得などの活躍を見せ、特に先にECWに参戦していたマレンコ、ベノワらとの試合でECWのマニアたちからも熱狂的な支持を受けた。8月、3人でWCWへと移籍。

副社長エリック・ビショフとヘビー級のベテラン選手たちが権力を独占するWCWでは、クリス・ジェリコ、レイ・ミステリオ、ウルティモ・ドラゴン、チャボ・ジュニアといったクルーザー級の選手たちとの名勝負を連発するも、トップグループのポジションが与えられることはなかった。nWoの大ブームが下火になった頃、エディはメキシコ系レスラーで結成されたLWo(ラティーノ・ワールド・オーダー)を結成して活動を開始、同時に睡眠薬の過剰摂取などもこの時期から始まった。だが、薬の過剰摂取が原因で1999年にエディが起こした交通事故により、LWoのストーリーは打ち切られた。事故の6か月後には復帰をするが、今度は鎮痛剤の摂取が始まる。WCWには2000年まで在籍したが、内部の腐敗や扱いに耐え切れず、移籍を決意する。

WWF時代

2000年にベノワ、マレンコ、ペリー・サターンとWWF(後のWWE)へ移籍、4人でラディカルズなるユニットを結成。解散後はチャイナとの絡みで人気を博す。チャイナに積極的にアピールするという役割で、チャイナが『PLAYBOY』誌に登場する際には撮影現場に行ったエディが警備員にたたき出される光景を監視カメラの映像から流した。当時何でも有りだったWWFを象徴する光景の一つであり、2003年に行われたRaw10周年特番でも「黙ってキスして賞」の一つにノミネートされていた。

しかしながら過度のアルコール依存症など問題も多く、2001/11/9に飲酒運転で事故を起こした三日後にはWWFを解雇されている。

WWFから解雇された後、再びリングに上がれる位まで回復してからは、ROHやWWA、FWAにIWA中南部など小さな団体にあがり続けた。また、この時期に1シリーズだけTEAM 2000の一員として新日本プロレスに久々の参戦を果たしている。

WWE復帰後

2002年に入り、WWEと再契約。同じくフロッグスプラッシュを得意技とするロブ・ヴァン・ダムと抗争。WWEタッグ王座が新設されると、チャボ・ゲレロ・ジュニアとロス・ゲレロスを結成。カート・アングル&、クリス・ベノワ、エッジ&レイ・ミステリオ、その後はシェルトン・ベンジャミン&チャーリー・ハースと王座を巡り抗争を繰り広げる。また、チームのキャッチコピーが「ズルして、ダマして、盗み取れ (Lie Cheat Steal)」と設定されてコミカルな試合も行えるようになり、チャボと共にずる賢いファイトスタイルで人気を上げていくこととなった。ロス・ゲレロス時代の途中にチャボが怪我で離脱した際は、タジリとコンビを組む。このタッグの際に、入場時に毎回違ったローライダー(会場の客の物を盗んだ物と言われている)に乗って登場し、ハイドロ(ここでは車体を油圧により上げ下げすること)で観客を沸かせるようになる。ちなみに、このローライダーでの入場シーンのおかげで、アメリカのローライダー専門雑誌の表紙をつとめたこともある。なお、ストーリー上はタジリが「車を盗んで会場に行こう」と提案したことをエディが受けて、車を盗み出したことになっている。

タジリとのタッグ解散後、復活したUS王座戦線に加わり、初代王者となった。同王座を巡りジョン・シナと抗争。抗争のクライマックスとして駐車場でのストリートファイトの際にチャボが救援に駆けつけ、ロス・ゲレロスとして活動を再開している。この頃には、観客のエディへの声援と歓声は団体でも一番と言っていいほどに大きくなっていた。

2004年1月、タッグ王座陥落後にロス・ゲレロスの活動は仲間割れによって終了し、エディはシングルプレーヤーに転向する。タッグ解散後チャボ・ゲレロ・ジュニアと抗争していた際には兄のチャボ・ゲレロ・シニアもWWEに登場した。ロイヤルランブルでのチャボとの試合を制したあと、WWE王座挑戦権を賭けたバトルロイヤルで優勝、ノー・ウェイ・アウト2004で当時のWWE王者であったブロック・レスナーに挑戦し勝利、史上初のメキシコ系&史上最も小柄なWWE王者となった。レッスルマニア20ではアングルを相手に防衛に成功、またベノワも世界ヘビー級王者となり、二人は泣きながら抱き合った。その後グレート・アメリカン・バッシュ2004でJBL相手に王座を落とす。

陥落後はアングルとの抗争に戻り、また再びWWE王座戦線に戻るも奪回はできなかった。2005年、レイ・ミステリオとタッグ王座を再び獲得。レッスルマニア21以降本人の希望によりヒールターン。ミステリオと抗争を開始、ミステリオの実の息子であるドミニクを巻き込んだ。

10月にベビーターン(ストーリー上は「見せかけ」であった可能性も高い)。バティスタとタッグを組むなどしていた。また、親友になった証として、バティスタからローライダーが送られ、それに乗っての入場シーンが復活した。生涯最後の試合は11月8日収録・同11日放送のスマックダウンでケン・ケネディと対戦し、得意の名演技(ズル)で反則勝ちを収めた。

2005年11月13日早朝、遠征先のミネアポリスのホテルで死去。38歳没。死因は動脈硬化性疾患。

翌14日に収録されたRAW、スマックダウンの合同スーパーショーは本来のストーリーを全て変更し、エディの追悼大会となった。テレビでは放送されなかった第1試合終了後にWWE所属の全レスラーがタイタントロン下に集合し、WWEオーナーであるビンス・マクマホンの弔辞と共に、追悼の10カウントゴングを行った。その最中、カメラが会場の観客やレスラーの様子を写しており、母親の胸で号泣する子供の映像や、TVでは決して見せることが無い屈強な多くのレスラー達が涙を流す姿が映し出された。10カウントゴング後、エディの追悼ビデオが流され、観客からは「Thank you, Eddie」(ありがとう、エディ)と声援があがり、故人の冥福を祈った。

エディの死後

エディの死後、スマックダウンのバックステージは大きな穴が開いたように寂しくなったという。しかし、同僚のレスラーやファンもエディのことを決して忘れてはいない。親友だったクリス・ベノワ、兄弟同然の仲だったレイ・ミステリオ、甥であるチャボ・ゲレロ・ジュニアなどがエディの持ち技だった技(フロッグ・スプラッシュやスリーアミーゴズ)を相手にかけると、ファンからは「エディ!エディ!」と会場が割れんばかりの歓声が上がる。

2006年2月4日・5日のスマックダウン横浜アリーナ大会でも日本のファンはエディの功績を称え、多くの歓声が上がり、事実上の追悼大会となった。また、この衝撃を受けたタジリが自主的に退団している。

また、2006年1月には、エディの地元であるテキサス州エルパソ市から地元の発展に貢献したとのことで市民栄誉賞を受賞し、ヴィッキーが賞を受け取った。さらに、同年2月、これまでの功績を称えられWWE殿堂入りが発表された(プレゼンターはチャボ、ベノワ、ミステリオ)。

さらに日本の団体でも、新日本プロレスなどで追悼ムードが高まり、各団体では10カウント・ゴングが打ち鳴らされた。全日本プロレス11月20日後楽園大会ではディーロ・ブラウンがエディ式ローダウンと称してフロッグ・スプラッシュを、大日本プロレス11月22日後楽園大会ではMASADAとGENTAROが、スリーアミーゴズとフロッグ・スプラッシュをそれぞれ披露した。

入場曲

  • I Lie, I Cheat, I Steal
  • Can You Feel The Heat?
  • Latino Heat
  • Gangsta

獲得タイトル

WWE
  • WWE王座 : 1回
  • IC王座 : 2回
  • US王座 : 1回(US王座復活後の初代王者)
  • 欧州王座 : 2回
  • WWEタッグ王座 : 4回(w / チャボ・ゲレロ×2、タジリ×1、レイ・ミステリオ×1)
  • グランドスラム達成(2004年)
ECW
  • TV王座 : 2回
WCW
  • US王座 : 1回
  • クルーザー級王座 : 2回
AAA
  • AAAタッグ王座 : 1回(w / ラブマシーン・アート・バー)
新日本プロレス
  • 第3回ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア優勝(1996年)
WWA (World Wrestling Allstars)
  • WWA 世界クルーザー級王座 : 1回
WWA (World Wrestling Association)
  • WWA 世界6人タッグ王座(w / チャボ・ゲレロ・シニア、マンド・ゲレロ)
  • WWA 世界ウェルター級王座 : 1回
LAWA
  • LAWA ヘビー級王座 : 1回
PWF
  • PWF 世界タッグ王座(w / ヘクター・ゲレロ)
IWAミッドサウス
  • IWAミッドサウスヘビー級王座 : 1回

その他

  • 2004年にはWWE王座の獲得により、WWE史上5人目のグランドスラムを達成。
  • エディのこれまでの功績を称えて作られたトリビュート・ビデオには3ドアーズ・ダウン(3 Doors Down)の"Here Without You"、追悼ビデオにはスティービー・ワンダーの"Lately"が使われた。
  • 2006年、これまでの功績を称えられWWE殿堂入りを果たした。
  • 試合運びやパンプが巧みで、エディ自身の動きもスピーディーであったことから、日本・米国を問わずレスラー仲間からも信頼・尊敬を集めていた。
  • 以前にTAKAみちのくが「世界で一番早いレスラー」と称したことがある。またタジリも本人を目の前にしながら、「身体は小さいけれどプロレスの神様」、CIMAもかつてWCWに参戦した頃、彼を見て「これは世界最高峰だ」と感じたとインタビューで語っている。
  • エディはシナとも深い親友関係があり、二人でシンガポールに出かけたこともある。





星野勘太郎
1943/10/9 - 2010/11/25

元プロレスラー、プロモーター。本名(通名)は星野 建夫。兵庫県神戸市出身の在日コリアン。

名称

リングネームの勘太郎は、長谷川一夫主演の映画「伊那の勘太郎」から豊登に付けられたもの。「突貫小僧」の異名をもつ。韓国での試合名はヨ・コンブ(呂建夫、여건부)であり、金一(キム・イル)こと大木金太郎に招かれて韓国で試合をしたことがある。

プロフィール

現役時代

高校時代はボクシングに打ち込み、卒業後にジムに入ろうとするが、リーチの長さが足りず断念。1961年10月に日本プロレス入門。同年12/22、リキ・スポーツ・パレスにおける駒厚秀戦でデビュー。

1967年4月にアメリカで山本小鉄とタッグチーム「ヤマハ・ブラザーズ」を結成。小型でもパワフルであると評判だったヤマハのオートバイにあやかって名付けられたチーム名で力強いファイトを展開した。帰国後の1970年にはアントニオ猪木とのコンビで第1回NWAタッグ・リーグ戦に出場、決勝戦でニック・ボックウィンクル&ジョニー・クイン組を破って優勝している。なお、星野はニック&クイン組とのこの試合を生涯のベストバウトに挙げている。

日本プロレス崩壊後は1974年1月より新日本プロレスに参戦し、山本とのタッグを復活させて活躍。1979年1月には国際プロレスのグレート草津、アニマル浜口組からIWA世界タッグ王座を奪取した。当時の新日本の看板タッグ王座は坂口征二・ストロング小林の北米タッグ王座で、新日本では中堅のヤマハが国際の看板タッグ王座を奪取したことで国際の評価は大きく傷付いたという。1980/4/4には、ヤマハ・ブラザーズで山本の引退試合を行っている(対戦相手は国際プロレスの鶴見五郎・大位山勝三組)。

山本が引退後も新日本プロレスで一番の喧嘩屋として「突貫小僧」の異名をとり、UWF軍団との抗争等など外敵退治に活躍する。特にUWFの総大将・前田日明に対しては若手時代から目をかけていたこともあり(前田も在日コリアンである)、敵対心は相当なものであり、試合終了後に単身前田の控え室に殴りこみに行ったこともあった。アントニオ猪木を心から敬愛し、神とあがめるほど。その精神は、乱闘などで猪木を止める際に、前からではなく後ろから抱き着いて止める姿に如実に表れている。

韓国での試合

韓国でも1960年代〜1970年代(確実ではないが1980年代にも試合したことがあるという)に大木金太郎(キム・イル)の誘いで試合をしたことがあり、韓国では在日コリアンということを売りにしていた。

その当時、韓国の試合スタイルは常にキャッチ・スタイル的な地味なスタイルだったので(セメントにこだわりを持ったキム・イルのポリシーからであったという)ダイナミックで瞬発力の強い勘太郎のスタイルは大変人気があって、韓国ではプロレスを代表するアイコンとして記憶されている。「バッチギのキム・イル(大木)」、「ヨ・コンブ(星野)のヘッド・ロック・パンチ」で知られている。

引退

参考
ファイティング・スピリット95
ファイティング・スピリット95

1995/2/19に、両国国技館で木戸修戦を最後に現役を引退。その際、挨拶をしたアントニオ猪木が星野への慰労の言葉もそこそこに、延々と北朝鮮への熱い思いを語ってしまったが、神妙に拝聴する星野の姿はファンの心を打った。

引退後

その後は本職では地元の神戸でプロモーターを務める傍ら、2002年8月から「魔界倶楽部」の総裁として現場復帰。リング外での乱闘でボクシング仕込みの自慢のパンチを繰り出している。決めゼリフの「ビッシビシ行くからな!」は大流行し、プロレス流行語大賞を受賞した。また、この時期の東京ドーム大会における新日本OBバトルロイヤルでは他団体に転出した現役選手も出場した中で見事ヤマハ・ブラザーズで最後の二人に残り、「ヤマハは二人で一つ、二人で優勝」という名台詞で締める場面もあった。

魔界倶楽部活動停止以後は、一線から離れていたが、2005年にビッグマウス・ラウドが旗揚げされてからは、再び総裁としてリング外乱闘に復帰している。また新日本プロレスが、過去のギミック・キャラクターを再利用している興行「WRESTLE LAND」を開始し、それに伴い魔界倶楽部も復活した。なお星野に対し造反するプロレスラー達を「ごきぶりホイホイ」ならぬ「星野ホイホイ」という物を使って、追放したことがある。

魔界倶楽部総裁としては常に黒い上下のスーツを身に纏い、悪の総帥を装うが、リングに登場し現役時代から得意であったコーナーポストからのダイビング・ボディ・プレスを見舞おうとする時に(その際スーツを脱ぐのも恒例)よく足を滑らせコケたり、登ったのはいいが、やはり足をすべらせて転倒することが多く場内の失笑を誘う(シューズでなく革靴を履いているため、足元が滑りやすい)。また、横浜ベイスターズの三浦大輔を魔界18号に任命したり、愛媛県宇和島市で祖父の代から漁師および真珠養殖業の他、愛媛県・高知県で開催されるプロレスの大半のプロモーターを親子3代やっている女性漁師を魔界19号と公認している。一般人で公認を受けた魔界倶楽部のメンバーは、彼女が唯一人。18号の意味は三浦の背番号から。19号の意味は彼女が大学卒業後、愛媛県庁職員の水産技師として水産課に入庁したものの(宇和島から松山まで通うのが面倒と言う理由で)わずか19日で辞めたから付いた名称である。

また、魔界倶楽部総裁としては、場外乱闘や試合への乱入も辞さない悪の総裁としてのイメージがあるが、元来は反則攻撃の類を嫌っており、2008/9/21の武藤敬司対真壁刀義のIWGP選手権では当初は新日本所属の真壁の肩を持つ発言をしていたが、試合ではG・B・Hのあまりのラフファイトぶりに怒り、G・B・Hを鉄拳パンチで制裁した。この事件からG・B・Hの外道との抗争に火が付き、内藤哲也・裕次郎対邪道・外道のIWGPジュニアタッグ王座戦では内藤、裕次郎に味方し、反則攻撃を繰り返す外道を制裁した。一連の外道との抗争に決着をつけるべく、2008/12/22には「ストリート・ファイト エニウェアフォールマッチ」での外道とのシングルマッチが行われ、ピンフォール勝ちを収めた。

2009/2/4、都内で倒れ病院に搬送され、脳梗塞と診断された。病後は言語障害が残り、病院でリハビリテーションに励んでいたが、2010/11/25に入院先の病院にて肺炎の為に死去したことが11月27日に新日本プロレス関連会社の新日企画のホームページにて公表され、その後に新日本プロレス公式サイトにて正式な死去告知が行われた。67歳没。

「ビッシビシ行く…!」

名言「ビッシビシ行く(ぞ、からな等バリエーションは複数あり)!」は、新日本プロレスでコーチをやっていた時の言葉。もともと「ビッシビシ、バッシバシ行く…!」と言っていたのが、魔界倶楽部の活動を始めた際に「ビッシビシ、ビッシビシ行く…!」と言い間違えてそのまま定着。プロレス流行語大賞を受賞している。後にゆずがライブでこの言葉を連呼していたことから、「魔界倶楽部名誉21号&22号」に認定されている。

入場テーマ曲


関連ニュース
^ 小鉄さん急死に、星野勘太郎さん号泣 日刊スポーツ 2010/8/30/閲覧
^ 新日企画公式サイト(ヘッドライン参照)
^ 星野勘太郎さん死去 新日本プロレスニュースリリース 2010/11/27/付
元プロレスラー星野勘太郎氏死去

プロレスラー星野勘太郎さんが死去

「ヤマハ・ブラザーズ」で一世風靡 星野勘太郎さん死去


おまとめ動画
1986/3/26 東京体育館
NJPW vs UWF Elimination Match 1/5/ 2/5 / 3/5 / 4/5 /5/5
1978/12/5
星野勘太郎 vs アントニオ猪木 / 2/2
クレイジードッグスvs魔界倶楽部
RIP 山本小鉄
1984/12/7 大阪府立体育会館
第5回MSGタッグリーグ最終戦
星野勘太郎/木村健吾vsストロング・マシーンズw/KYワカマツ
星野勘太郎/アントニオ猪木/坂口征二vs
ニック・キニスキー/クリス・アダムズ/ザ・ジャッカル 1/2
 / 2/2
1982/3/19 鹿児島県体育館
星野勘太郎/初代タイガーマスク(佐山聡)vsブラックマン/コロゾ コロセティ
1984/9/18 
星野勘太郎/保永昇男vsストロング・マシーンズw/KYワカマツ
1985/6/13
星野勘太郎/坂口征二vsアンドレ・ザ・ジャイアント/トニー・セント・クレアー
1980/1/18
星野勘太郎/藤波辰巳vsダイナマイト・キッド/スティーブ・カーン 1/3 /2/3 / 3/3
星野勘太郎/ザ・コブラ vsエル・カネック/ヒロ斉藤
1983/2/10 蒲郡市体育館
星野勘太郎/初代タイガーマスク(佐山聡)vsグラン浜田/小林邦明/2/2
1984/10/19 上越
星野勘太郎/アントニオ猪木/木村健吾vsストロング・マシーンズ/ヒロ斉藤w/KYワカマツ
1983/3/18 鹿児島県立体育館
星野勘太郎/初代タイガーマスク(佐山聡)vsクリス・アダムス/アブドーラ・タンバ
1984/10/5 越谷
星野勘太郎/ザ・コブラ vsストロング・マシーンズ

リンク切れ(DL済み)
1985/11/29 西日本総合展示場
星野勘太郎/後藤達俊 vs ケンドー・ナガサキ/ミスター・ポーゴ
1985/10/18 後楽園ホール
ジャイアント・グスタブ vs 星野勘太郎/小杉俊一
1985/9/13
武藤敬司/山田恵一/木村健吾vs橋本真也/小杉俊一星野勘太郎










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