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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
10/11

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ニック・デニス
Nick Denis
1983/10/11

カナダの総合格闘家。オンタリオ州オタワ出身。Ronin MMA所属。

来歴

2006/10/14、総合格闘技デビュー。

2007年からはKOTCに出場。10月19日にはKOTC Canadaのフェザー級王者となり、以降2度の防衛を果たした。

2009年3月20日、戦極初参戦となった戦極 〜第七陣〜のフェザー級グランプリ1回戦で川原誠也にTKO勝ち。

2009年5月2日、戦極 〜第八陣〜のフェザー級グランプリ2回戦でマルロン・サンドロと対戦。左フックでダウンを奪われパウンドによる追撃によりTKO負け。キャリア初黒星となった。

2010年3月7日、SRC12で星野勇二と対戦し、フロントチョークで一本負け。

獲得タイトル

  • KOTC Canadaフェザー級王座





タズ
Tazz
1967/10/11

ピート・セネルシアPeter Senerca)は、アメリカ合衆国の元プロレスラーである。ECW時代は英語表記をTazとしていた。ニューヨーク州ブルックリン出身。WWEにてスマックダウン、ECWのカラーコメンテーターとして知られており、現在TNA所属。強いブルックリン訛りの解説が特徴。

来歴

学生時代はアマチュアレスリングおよび柔道を行っていた。

1987年にプロレスデビュー。デビュー当時のリングネームはキッド・クラッシュKid Krush)、その後原始人ギミックのタズマニアン・デビルThe Tasmanian Devil)に変身。ECW前後には新日本やWARなど日本の団体にも参戦している。

1993年にECWに入団、タズマニアックTasmaniac)と改名。ECWでは、サブゥーとのタッグで王座を獲得したり、また抗争を行うなど中心人物の一人として活躍する。首の怪我による長期欠場後の1997年、格闘家路線のタズに改名。自らFTW(Fu○k The World)王座を新設するなど独自路線を歩んだ。1999年に田中将斗、マイク・オーサムとの3ウェイダンスECW王座戦に敗北した後にWWFに移籍する。

2000年1月のWWFでのデビュー戦では、当時デビュー以来連勝を重ねていたカート・アングルと対戦し、その連勝記録を止めている。オーサムがECW王者のままWCWに移籍した2000年4月にWWEから一時的にECWにゲスト参戦し、オーサムからECW王座を奪回。現役のWWFとWCWの選手が戦った唯一の対抗戦となった。ECW王者のままWWF王者トリプルHとの試合も実現している。

2000年にはヒートの解説者を務め、2001年からは退団したジェリー "ザ・キング" ローラー(後に復帰)の後任としてスマックダウンの解説も担当するようになる。アライアンスのストーリーではECW軍に所属。一時は解説と並行して試合にも出場していたが、首の怪我の悪化により、2002年に現役引退し、解説業に専念。実況のマイケル・コールとのチームでのスマックダウンの解説は長く続いた。

2005/6/12に行われたPPV "ECWワン・ナイト・スタンド" にて、全試合終了後のイベントにECW時代のコスチュームで登場した。翌2006年のECW復活に合わせてその解説者となっている。その後、2008年8月からミック・フォーリーの退団を受け、スマックダウンの解説者に復帰。

2009年3月、WWEと契約を行わず突如退団した。息子との時間が欲しいため退団したとされている。7月にTNAと契約。番組のカラーコメンテーターを務めている。

備考

  • 肌の色は日焼けによるもので、田尻義博によると本人は色白であるらしい。
  • イラストが得意でECW時代は団体のTシャツのデザインやロゴ等を担当した。
  • 解説業では一つ一つの技について詳しく説明するのが特徴。また、日本の団体への参戦経験から日本のマット界についても詳しい一面を持つ。
  • アメリカ同時多発テロ直後の興行の際、試合などを挟んで多くのレスラーがベビーフェイス、ヒール関係なく個人としての心中を語るという催しがあった際、タズも自らの心境を語った。しかし、その内容が徹底した報復を促すという過激なものであり、アラブ系アメリカ人への暴力を危惧されてテレビ放送では削除されることになった。

獲得タイトル

WWE
  • WWFハードコア王座 : 3回
  • WWF世界タッグ王座 : 1回(w / スパイク・ダッドリー)
ECW
  • ECW世界ヘビー級王座 : 2回
  • ECW世界TV王座 : 2回
  • ECW世界タッグ王座 : 3回(w / ケビン・サリバン×2、サブゥー×1)
  • ECW FTW世界ヘビー級王座 : 2回(創設者で初代王座。FTWとはFu○k The Worldの略称で世界を糞喰らえの意味)
CWA
  • CWAライトヘビー級王座 : 1回(初代王者)
PWI
  • 1999年PWI500シングルレスラーランキング10位(500人中)

入場曲

  • Survive (If I Let You)
  • If You Dare
  • Just Another Victim (Cypress Hill)
  • 13

 
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リキシ
Rikishi
1966/10/11

ソロファ・ファトゥSolofa Fatu Jr.)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州サンフランシスコ出身のサモア系アメリカ人。(、英語圏ではラキシとも発音)などのリングネームで知られる。

兄はトンガ・キッド、アイランダー・タマ、サモアン・サベージなどのリングネームで活躍したサム・ファトゥ。弟はウマガ、ジャマールなどのリングネームで活躍したエディ・ファトゥ。息子にウーソズというタッグチームで活動している双子の兄のジミー・ウーソことジョナサン・ファトゥと弟のジェイ・ウーソことジョシュア・ファトゥ。

来歴

デビュー

幼少の頃から叔父らのトレーニングを受け、1985年にデビュー。1986年11月にトンガ・キッドTonga Kid)のリングネームで新日本プロレスに初来日している。その後、従兄弟のサムラ・アノアイとのサモアン・スワット・チームThe Samoan Swat Team)で活躍し、1989年にNWA入りを果たした。

WWF

1992年にWWFに移籍。リングネームをファトゥFatu)に改め、サムゥことサムラ・アノアイと共に首狩り族をギミックとしたザ・ヘッドシュリンカーズThe Headshrinkers)を結成、タッグ戦線で活躍する。後にシングルプレイヤーに転向。アラビア人ギミックのザ・サルタンThe Sultan)をはじめギミックを転々とするが、人気を獲得するには至らなかった。

リキシ

1999年、ヨコズナのギミックを受け継ぎリキシRikishi)として登場(当初はリキシ・ファトゥRikishi Fatu)名義だった)。巨体に似合わぬ華麗なダンスを披露して人気を博し、トゥー・クール(スコッティ・2・ホッティ&グランマスター・セクセイ)とのユニットで活躍した。

以降もベビーフェイス、ヒールを股にかけて活躍していたが、体重が増えすぎたことから120kg前後までウエイトを絞るダイエットを命じられる。しかし、少し体重を落としてはそれ以上のリバウンドを繰り返したため、2004年にWWEを解雇された。

近年

WWEが「Rikishi」の商標権を保持しているため、その後はキシKishi)のリングネームでインディー団体を転戦。2004年にはハッスルにハッスルRIKISHIとして参戦した。

2007/2/17の全日本プロレス両国大会にスモー・リキシとして来日、ジョニー・ダンとのタッグで曙&大鷲透と対戦(当初は荒谷望誉と組む予定だったが、「8流レスラーの荒谷なんかと組めない」とリキシ側よりクレームがあったため、ジョニー・ダンへとタッグパートナーが変更)。試合は曙の64でダンが呆気なく轟沈、憤慨したリキシはダンにスティンク・フェイスを炸裂させ溜飲を下げた。

その他

プロレス界を代表するレスリング・ファミリーであるアノアイ・ファミリーの一員。

  • 伯父 - ワイルド・サモアンズとして活躍したアファ・アノアイとシカ・アノアイ
  • 従兄 - サムゥ、ワイルド・サモアンなどのリングネームで活躍したサムラ・アノアイ
  • 従兄 - ヨコズナ、グレート・コキーナなどのリングネームで活躍したロドニー・アノアイ
  • 従弟 - ロージーなどのリングネームで活躍したマット・アノアイ

※ピーター・メイビアやその孫のザ・ロックも遠縁であるといわれている。

獲得タイトル

UWA
  • UWA世界6人タッグ王座:1回(w / コキーナ・マキシマス&サモアン・サベージ)
WWC
  • WWCカリビアン・タッグ王座:1回(w / サムゥ)
WCCW / WCWA
  • WCWAテキサス・タッグ王座:1回(w / サムゥ)
  • WCWA世界タッグ王座:3回(w / サムゥ)
WWF / WWE
  • WWFインターコンチネンタル王座:1回
  • WWF世界タッグ王座 / WWE世界タッグ王座:2回(w / サムゥ、リコ)
  • WWEタッグ王座:1回(w / スコッティ・2・ホッティ)

入場曲

  • Bad Man
  • You Look Fly Today





スコルピオン・ジュニア
Scorpio, Jr.
1966/10/11

ラファエル・ヌニェス・ホアンRafael Núñez Juan)は、メキシコメキシコシティー出身の男性プロレスラー。

来歴

父は「赤さそり」ことスコルピオ。1985/8/30にイダルゴ州アレナ・アクトパンでデビュー。デビューしてまもなく現在のリングネームのマスクマンになる。

1992/6/15に日本にてシュー・エル・ゲレーロと組んでUWA/UWFインターコンチネンタル・タッグ王座を奪取。1993/5/30にシュー・エル・ゲレーロ、エル・エンヘンドロと組んでエル。シグノ、ネグロ・ナバーロ、ブラック・パワー2号組を破りUWA世界トリオ王座を奪取。1994/5/30にも同じメンバーで同じ相手に同ベルトを再び奪取。1994年10月にも同ベルト奪取。1998/11/13にベスティア・サルバヘと組んで出場したCMLL世界タッグチーム王者決定トーナメントの決勝でドクトル・ワグナー・ジュニア、エル・サタニコを破りCMLL世界タッグチーム王座を奪取。1999/3/19にベスティア・サルバヘと組んでマスカラ・コントラ・カベジェラマッチでネグロ・カサス、エル・イホ・デル・サント組に破れ素顔になる。

その後AAA、2008年にはIWRG入りした。IWRGではインターヘビー、インタータッグ、インタートリオなどを奪取した。

獲得タイトル

  • CMLL世界タッグチーム王座:2回(w/ ベスティア・サルバヘ)
  • FCWライブヘビー級王座
  • IWRGインターナショナルヘビー級王座:4回
  • IWRGインターナショナルタッグ王座(w/ リッキー・クルズ)
  • IWRGインターナショナルトリオ王座(w/ セレブロ・ネグロ、エル・ベネノ)
  • UWA/UWFインターコンチネンタル・タッグ王座(w/ シュー・エル・ゲレーロ)
  • UWA世界トリオ王座:3回(w/ シュー・エル・ゲレーロ、エル・エンヘンドロ(2回) w/ シュー・エル・ゲレーロ、ビジャノ5号)





吉葉礼子
1937/10/11 - 2008/9/18

女子プロレス黎明期に活躍した元女子プロレスラー。本名:田口禮子(旧姓:松永)。元全日本女子プロレス会長の松永高司はひとつ上の兄。妹の山口洋子、長女の影かほるも元女子プロレスラー。東京都目黒区出身。

人物

兄たちから柔道を習い、1955年に猪狩定子らを擁する全日本女子プロ・レスリング協会(全日本女子プロレス興行とは別団体)に入門。リングネームは当時の人気横綱であった吉葉山から取って付けられた。

1956年1月、日大講堂で全日本バンタム級王者の立花蓉子に挑戦しドロー。

1960年に一度引退。マネージャーとして巡業を回っていた。

1968年、兄が全日本女子プロレスを旗揚げすると、短期間ながら選手復帰を果たす。引退後は全女ではマネージャーとして全盛期を支えた。

退社後に結婚して1男2女を儲け、長女は影かほるのリングネームで母と同じ道を歩んだ。

2008年9月18日19時3分、肺がんにより死去。70歳没


  

















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