森嶋猛
1978/10/15
日本のプロレスラー。東京都江戸川区出身。プロレスリング・ノア所属。愛称はモリシー、モリシ。
来歴
東京学館浦安高校時代に柔道を経験し、卒業後柔道部の阿部新二監督の知人であった三沢光晴の全日本プロレスへ入門。
- 1998年
- 3/22、後楽園ホールにおける志賀賢太郎戦でデビュー。
2000年
2001年
- 力皇猛とのタッグチーム「WILD II」を結成。主にタッグ戦線で実績をあげる。
2002年
- 2/17、WILD IIとして高山善廣&大森隆男組の持つGHCタッグ王座に挑戦し王座奪取。
- 9/23、秋山準&齋藤彰俊組に敗れ5度目の防衛に失敗、王座転落。
2003年
- 9/12、ロン・ハリスを破り、WLWヘビー級王座に輝き自身初のシングルタイトル獲得。その後2回の防衛に成功。
2004年
- 7/10の東京ドーム大会において、WILD IIとして高山・鈴木みのる組のIWGPタッグ王座に挑むも敗れる。その後、膝の故障で約半年間戦線を離脱。
2005年
- 1/8、体重を増量して復帰。丸藤正道と組んで秋山・橋誠組と対戦し橋をバックドロップで沈める。
- 3/5、日本武道館大会では秋山と組んで天龍源一郎・鈴木みのる組と対戦。テキサス・コスチュームに身を包み、ジャンボ鶴田のテーマ曲「J」で入場した。
- 10/28、モハメド・ヨネをパートナーに鈴木みのる&丸藤正道組のもつGHCタッグ王座に挑戦、王座に返り咲く。
- 12/4、横浜文化体育館において師である田上明の持つGHCヘビー級王座に挑戦するも敗れる。
- 12/7、力皇・丸藤・KENTAと共に米国遠征。
- 先のGHC戦で左目眼窩内側の骨折と左膝の靭帯を半分切るという重傷を負っていたが、「経験になるから」と受けた負傷をおしてのもの。
2006年
- 3/5、日本武道館大会の5大シングルマッチで三沢光晴に挑むも敗れる。
- 12/10、日本武道館のメインのGHCヘビー級選手権で、三沢が丸藤を倒して同王座を奪回すると、試合終了後すぐさまリングインし、次期挑戦者として名乗りを上げ、三沢もこれを快諾。
2007年
- 1月、タイトルマッチの前哨戦となるタッグ戦で三沢&田上組と対戦し、田上をバックドロップで葬り初めて田上越えを果たした。
- 1/21、日本武道館にて三沢の持つGHCヘビー級王座に挑戦、ランニングエルボーの前に敗北。
- 2月、米国ROHに参戦、同17日にホミサイドを破りROHヘビー級王座に就いた。
- 3/4、日本武道館にて、KENTAとROH世界選手権を行い、バックドロップで勝利。V2。
- 4/1 - 秋山準&力皇猛組に敗れGHCタッグ初防衛に失敗、王座転落。
- 8/12 - 9/9、GHCヘビー級選手権次期挑戦者決定リーグ戦に出場。このリーグ戦で秋山準にシングルで初勝利し優勝決定戦へ進むも、秋山戦直後に試合だったためか疲労は大きく、丸藤正道に必殺技のポールシフトを完璧に決められて敗れ、準優勝に終わる。
- 10/6 - ROHヘビー級王座防衛戦でナイジェル・マッギネスに敗れて王座転落。
2008年
- 3/2 - 日本武道館にて三沢の持つGHCヘビー級王座に挑戦し、自身最大の必殺技バックドロップで三沢を下して第12代王者となった。
- 8/18 - WWE・ロウのダーク・マッチに登場。チャーリー・ハース相手に勝利を収めた。
- 9/6 - 日本武道館にて佐々木健介の挑戦を受けて敗北。王座陥落する。
2009年
- 7/5 - 取締役選手会長に就任。
- 8/2 - 健介office興行のメインイベントで佐々木健介に初勝利。
- 9/21 - 佐々木健介と組み、バイソン・スミス&齋藤彰俊組を破りGHCタッグ王座に就いた。
2010年
- 3/19 - メキシコシティで行われたAAA世界タッグ選手権において、石森太二とのタッグで王者組のニチョ・エル・ミジョナリオ&ジョー・リーダーに勝利し、AAA世界タッグ王座(第5代)を獲得した。
- 5/23 - 新潟市体育館で行われたAAA世界タッグ選手権において、潮﨑豪&青木篤志組に敗れ、王座から陥落した。
- 9/13 - この日より、左足関節外側側副靭帯損傷により欠場。
- 11/23 - 欠場前から体重を130kgにおとして、後楽園ホール大会で佐々木健介とのタッグで杉浦貴&谷口周平組を相手に復帰戦。杉浦から1分39秒、バックドロップでフォールを奪う。試合後、杉浦は森嶋の挑戦を受けることを表明する。
- 12/5 - 日本武道館大会で杉浦の持つGHCヘビー級王座に挑戦するが、杉浦の五輪予選スラムにより敗れる。
- 12/31付けで選手会長を辞任。杉浦が就任する。
人物
- デビュー当初は高い身長を活かせず、対戦相手に合わせてしまうため、自分の能力を発揮できずに消化不良になる試合が多かった。しかし、2005年後半からその体躯や容姿を含めテリー・ゴディを彷彿とさせる豪快さを身に付け、また使用する技もジャンボ鶴田、ベイダーなどスケールの大きなレスラーをミックスした「肉体的圧力で相手を潰す」ファイトスタイルに変わってきている。
- 一度暴れだすと見境が無くなることがある。三沢とのシングル対決が決まったシリーズでは開幕の後楽園大会から既に気合に満ち溢れており、試合に敗れながらも興奮収まらぬ森嶋は対戦相手の小橋・本田・金丸を次から次へとラリアットでなぎ倒し、しまいには同じチームであったKENTAにまでラリアットを見舞うほどであった。
- 巨体と共にさらさらヘアがトレードマーク。
- 2005年3月の日本武道館大会のタッグ戦で戦った天龍源一郎はテキサス・コスチュームに身を包み、ジャンボ鶴田のテーマ曲「J」で入場した森嶋を見て「ジャンボってあんなのだったっけ?」と不信感を見せた。そして手を合わせたところ「(鶴田を思い起こさせる所は)ありません。もうね、森嶋の身体見たら夢想だにしないよ。どこが似てんだ、あんなもん。バカヤロウ!『嶋』って名前の付くヤツで、あんなおどろおどろしいヤツも珍しいよ(天龍の本名は嶋田源一郎)。恥ずかしいよ。ルーツはどこか知らないけどさ」と酷評。以後は、天龍とタッグチームを組むことも多くなり、天龍自身も「次はいつ森嶋にジャンボをやらせようかなぁ」と語っている。森嶋自身はこの後、直接的にジャンボを思い起こさせるような仕掛けは封印したものだと思われていたが、2006年7月16日の日本武道館大会では、テーマ曲はパートナー・力皇猛のものであったものの、テンガロンハットとテキサス・コスチュームを久々に身に付けて入場した。
- WWEにおけるダークマッチはビンス・マクマホンも試合を見たようだがレスリング・オブザーバー誌のニュースレターによるとビンスは「森嶋は巨大で太った少女のようだ。ジョン・ロウリネイティス(レスラー名ではジョニー・エースとして知られ、WWEに裏方として入社してからは選手のブッキングなどを担当しており、現在はWWEのタレント・リレーション部副社長)はこのようなずんぐりしていてパッとしないレスラーを売り込むことに時間を浪費している」と森嶋本人のみならず森嶋を売り込んだジョン・ロウリネイティスを含めて酷評している。
タイトル歴
プロレスリング・ノア ]
- GHCヘビー級王座
- GHCタッグ王座
- 第4代(防衛4回)&力皇猛
- 第11代(防衛2回)&モハメドヨネ
- 第13代(防衛0回)&モハメドヨネ
WLW
ROH
AAA
プロレス大賞
入場テーマ曲
- Burning Through The Night
- LAST MAN STANDING / Bon Jovi(モハメド・ヨネとのタッグ時)
- EXTRA STATUS(作曲・鈴木修)
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