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ロッキー羽田
1943/2/15 - 1991/10/27

日本の元大相撲力士、元プロレスラー。北海道厚岸郡出身。本名は羽田 光男(はた みつお)。

来歴

1965年1月、大相撲の花籠部屋に入門、四股名は「羽田」→「神龍」→「羽田」→「大厳威」。序ノ口優勝1回、最高位は幕下26枚目。1972年1月、日本プロレスに入門、同年5月、正式に大相撲を廃業する。1973年5月、日本プロレス崩壊により全日本プロレスに合流、1975年にアメリカ遠征し、オクラホマ・カンサス地区を主戦場にし活躍、その後凱旋帰国し1977年の世界オープンタッグ選手権には天龍源一郎とのフレッシュコンビで出場、1979年にはプロレス夢のオールスター戦で新日本プロレスの坂口征二と対戦。その後は目立った活躍もなく、伸び悩んだ末、内臓疾患で1987年に引退した。

1991年10月27日死去。43歳没。

テレビ出演

  • 探偵物語 第11話「鎖の街」(1979年、「ロッキー畑」名義で出演)

 
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瀧本美咲
1980/10/27

日本の総合格闘家。長野県駒ヶ根市出身。空手道禅道会横浜支部所属。

来歴

2001年9月27日、初参戦となったスマックガールで星野久子とアマチュアルールで対戦し、フロントチョークで一本負け。

2002年3月2日、スマックガールでプロデビューし、しなしさとこに腕ひしぎ十字固めで一本負け。

2002年4月7日、スマックガールで行われたRoyal Smack(時間差バトルロイヤル)に出場。

2003年7月6日、スマックガールでしなしさとこと再戦するも、またしても腕ひしぎ十字固めで一本負け。

2003年10月5日、リアルファイティング空手道選手権大会・女子50kg以下級に出場。決勝で金子真理に敗れ、準優勝となった。

2004年2月8日、Love Impact旗揚げ大会で筒井千尋と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2004年9月26日、リアルファイティング空手道選手権大会・女子50kg以下級に出場。決勝で金子真理に勝利し、優勝を果たした。

2004年10月24日、DEEP初参戦となったclub DEEP 7th in 富山 -野蛮人祭り-でMIKUと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2005年7月10日、初参戦となったパンクラスでWINDY智美と対戦し、判定負け。

2005年10月2日、リアルファイティング空手道選手権大会・女子55kg以下級に出場。決勝で中村さくらに1分58秒腕ひしぎ十字固めで一本勝ちし、優勝を果たした。

2005年12月17日、修斗ルール初挑戦となったG-SHOOTO JAPAN 03でMIKUと再戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。MIKUに対して2連勝となった。

2006年2月17日、修斗で藤井惠と対戦し、三角絞めで一本負け。

2006年9月17日、リアルファイティング空手道選手権大会・女子50kg以下級に出場。決勝で山本幸子(現・SACHI)に判定勝ちし、優勝を果たした。

2006年11月29日、3年4か月ぶりの参戦となったスマックガールでリサ・ワードと対戦し、チキンウィングアームロックで一本負け。

2007年3月11日、SMACKGIRLフライ級女王タイトルマッチで女王しなしさとこと3度目の対戦となったが、1-2の判定負けで王座獲得ならず。しなしとの対戦成績は3連敗となった。

2007年6月16日、渡辺久江への挑戦権を賭け、DEEP女子ライト級王座挑戦者決定戦でMIKUと3度目の対戦となったが、腕ひしぎ十字固めで一本負け。MIKUに初敗北を喫した。

2007年9月2日、リアルファイティング空手道選手権大会・女子48kg以下級に出場。決勝で山本幸子に腕ひしぎ十字固めで一本負けし、準優勝となった。この大会を最後に、禅道会横浜支部に移籍。

2007年11月11日、ケージ初挑戦となったCAGE FORCE EX -eastern bound-でK-GRACE提供試合として大室奈緒子と対戦し、0-0の判定ドロー。

2008年5月24日、DEEP女子ライト級王座挑戦者決定戦で大室奈緒子と再戦し、判定勝ち。王者MIKUへの挑戦権を獲得した。

2008年8月17日、DEEP 37 IMPACTで行われたDEEP女子ライト級タイトルマッチで王者MIKUと4度目の対戦となったが、左ミドルキックでTKO負け。MIKUとの対戦成績は2勝2敗となった。

2008年10月5日、リアルファイティング空手道選手権大会・女子48kg以下級に出場。決勝で2年連続で同じ顔合わせとなった山本幸子と対戦し、1-2の優勢負けで準優勝となった。

2008年11月16日、JEWELS 旗揚げ戦で吉田正子と対戦し、3-0の判定勝ち。

2009年9月13日、JEWELS 5th RINGのメインイベントでハム・ソヒと対戦し、0-3の判定負け。ソヒは計量オーバーで減点1となっていた。

2009年10月24日、VALKYRIE 03のメインイベントでVALKYRIEプロデューサーでもあり練習仲間でもある茂木康子と対戦し、3Rにスタンドパンチ連打によるTKO勝ちを収めた。

2010年7月31日、JEWELS 9th RINGでリサ・ニュートンと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ちを収めた。

2010年10月3日、リアルファイティング空手道選手権大会・女子52kg以下級に出場。準決勝で石岡沙織に優勢負けを喫した。

2010年12月30日、戦極 Soul of Fightでエイミー・デイビスと対戦し、2-1の判定勝ちを収めた。

獲得タイトル

  • 2003 リアルファイティング空手道選手権大会 50kg以下級 準優勝
  • 2004 リアルファイティング空手道選手権大会 50kg以下級 優勝
  • 2005 リアルファイティング空手道選手権大会 55kg以下級 優勝
  • 2006 リアルファイティング空手道選手権大会 50kg以下級 優勝
  • 2007 リアルファイティング空手道選手権大会 48kg以下級 準優勝
  • 2008 リアルファイティング空手道選手権大会 48kg以下級 準優勝





滑川康仁
1974/10/27

日本の総合格闘家、プロレスラー。茨城県北茨城市出身。Team M.A.D所属。

来歴

高校時代にラグビーを経験。

1994年、20歳でアニマル浜口レスリング道場に入門。

1996年にリングス入団。1998年6月20日、「BATTLE GENESIS Vol.4」の豊永稔戦でデビューを果たした。

2002年2月にリングスが活動停止となると、DEEPに参戦。

2002年3月30日、DEEP初戦となったDEEP 4th IMPACTで渡辺大介に判定勝ち。

2002年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002に参戦。ヴァリッジ・イズマイウと対戦し、判定負け。

2004年2月15日、PRIDE初参戦となったPRIDE 武士道 -其の弐-でエギリウス・ヴァラビーチェスにネックロックで一本勝ち。

2004年10月14日、PRIDE 武士道 -其の伍-でマウリシオ・ショーグンと対戦し、TKO負け。

2007年12月12日、DEEP 33 IMPACTで世界最弱プロレスラーストーカー市川と対戦。フロントチョークで一本勝ち。






ハービー・ウィップルマン
Harvey Wippleman
1965/10/27

ブルーノ・ラウアーBruno Lauer)は、アメリカ合衆国のプロレス関係者。

1990年代初頭にヒールのマネージャーとしてWWFに登場して以来、20年近くに渡ってWWEに在籍。近年はバックステージ・コーディネーターとなって舞台裏を支えている。

来歴

少年時代の1979年、地元ペンシルベニアのサーカスにおけるレスリング・ショーにて、リング撤去を手伝ったことが業界入りのきっかけだったという。各地のプロモーションでの活動を経て、1986年よりテネシー州メンフィスのCWAに、ダウンタウン・ブルーノDowntown Bruno)を名乗って登場。WWFに移籍したジミー・ハートの後継者的なキャラクターとなってヒール勢のマネージャーを担当し、CWAのエースだったジェリー・ローラーとの抗争に臨んだ。

その後、アラバマのCWFやUSWAを経て、1991年にドクター・ハービー・ウィップルマンDr. Harvey Wippleman)と改名してWWFに登場。ザ・ウォーロード、シッド・ジャスティス、カマラ、ジャイアント・ゴンザレス、ミスター・ヒューズ、アダム・ボムなど、小柄な自分とは対照的な巨漢選手を多く担当した(ジ・アンダーテイカーとの抗争を指揮したゴンザレスとは身長差60cm以上もの超凸凹コンビだった)。

彼らのブレーンとなって活動する一方、自身もリングアナウンサーのハワード・フィンケルと抗争し、1995年1月9日にフィンケルを相手にタキシードマッチを行ったこともある。同年には女子プロレスラーのベルサ・フェイとの恋愛アングルも組まれた。

マネージャー引退後は一時レフェリーに転身し、1999年9月26日の『アンフォーギヴェン』ではジェフ・ジャレットとチャイナのインターコンチネンタル王座戦を裁いている。以降は舞台裏でのコーディネート業務に携わりつつ、時折「汚れ役」として番組内に出演。2000年1月31日の『Raw is War』では女装してハービーナHervina)なる新ディーヴァに扮し、"Lumberjill Snowbunny Match"(雪を敷き積めた特設プール上でのランバージャック・マッチ)にてザ・キャットことステイシー・カーターからWWF女子王座を奪取。「男性初の女子王者」となったが、試合後に正体を暴かれ、リタやルナ・バションら女子選手たちから袋叩きに遭っている。

近年もWWEのバックステージで活動する一方、古巣メンフィスのインディー団体にダウンタウン・ブルーノの旧名でスポット出場し、レフェリーやマネージャーを務めることがある。2008年には自著 "Wrestling with the Truth" を発表した。


  




















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