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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
9/6

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アブドーラ・タンバ
Abdullah Tamba
1950/5/27 - 2001/9/6

メキシコ・メキシコシティ出身のプロレスラー。

来歴

養父のオクタビオ・ガオナ(元NWA世界ミドル級王者)のトレーニングを受け、1970年にデビュー。タンバのリングネームで活動後、1982年8月、スコルピオ(ラファエル・ヌニェス)との髪切りマッチに敗れてスキンヘッドになったことを機にアブドーラ・タンバと改名。メキシコに遠征していたアブドーラ・ザ・ブッチャーのパートナーにも起用された。

唯一の来日は1983年3月、新日本プロレスの『ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾』。ブッチャーそっくりの風貌で人気を集め、初代タイガーマスクらと対戦した。ブッチャーとのタッグは日本では実現していない。

2001年9月6日死去。






つくし
1997/9/6

日本の女子プロレスラー。アイスリボン所属。

身長145cm、体重40kg、血液型B型。茨城県神栖市出身。

経歴・戦歴

2009年・2010年
  • 2009年12月、アイスリボンの冬季合宿にくるみと共に参加。合宿最終日の2010/1/4新木場1stRING大会で、都宮ちい相手にエキシビジョンマッチを行う。
  • 新木場大会以降、くるみと共に毎週土曜日の道場マッチ(イサミレッスル武闘館)を中心に毎週エキシビジョンマッチを行い、興行終了後のアンケートに、デビューしてもいいかを決める投票を行い、500票に到達した時点でデビューするという企画を実施。
  • 3/13、投票総数が500票に到達した為。デビュー決定。翌3/14の三軒茶屋大会(イベント興行・vs都宮ちい)でプロデビューを果たす。
  • 4/29、オリジナル技のハルカゼで都宮ちいからプロ初勝利を挙げる。
  • 5/22、さくらえみから試合開始5秒で勝利し、団体最短記録を更新(それまでは藤本つかさの6秒が最速)。試合後、ICE×60王座戦線への参入を表明。
  • 6/5、板橋グリーンホール大会で、さくらえみのICE×60王座に挑戦するも、王座獲得に失敗。
2011年
  • 3/18、19時女子プロレスに初参戦。
  • 3/22、19時女子プロレスにて初代IW19王座決定トーナメントに出場。1回戦で宮城もち、決勝で藤本つかさを破り優勝。デビュー以来初タイトルを獲得する。
  • 4/10、19時女子プロレス特別編として、自らがアマレスのトレーニングを積む鹿島学園高校レスリングスクールにてさくらえみを相手にIW19初防衛戦を戦い、19分時間切れ引き分けで防衛に成功。
  • 4/15、19時女子プロレス大阪Mアリ大会(大阪プロレスが会場と2試合を提供)でのIW19防衛戦で真琴と対戦して勝利。2度目の防衛を果たした。
  • 4/16、アイスリボン大阪Mアリ大会にて、りほと組んでさくらえみ&Rayが持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦するが敗れた。
  • 5/5、アイスリボン後楽園ホール大会のメインイベントにて、藤本つかさの持つICE×60王座に挑戦するも敗退。
  • 5/13、19時女子プロレスにて、都宮ちいを相手にIW19防衛戦を戦い、スカイツリーで勝利。
  • 5/27、19時女子プロレスにて、みなみ飛香の挑戦を受けて4度目のIW19防衛戦を行うが防衛に失敗、ベルトを失った。
  • 6/11、さくらえみから試合開始4秒で勝利し、自らが持つ最短記録を更新。
  • 6/12、ジャングルジャック21自主興行東京キネマ倶楽部大会にてアジャ・コングの3人掛けの相手の1人として登場。垂直落下式ブレーンバスターを受けて敗れるも、アジャからドロップキックを「豊田真奈美の再来」と称賛される。
  • 6/19、「TeensIII」アイスリボン道場大会にて藤本つかさの持つICE×60王座に挑戦するも敗退。
  • 7/10、アイスリボン横浜大会、豊田真奈美と対戦し敗れるも、豊田から「もっと多くの人に見て貰え」と称賛される。これに対し、8月21日後楽園大会での再戦を要求、豊田は同日OZアカデミー横浜文体への参戦(カルロス天野と組んでのOZアカデミー認定タッグ選手権試合)が決まっているにも関わらずこれを受諾(後日、このカードを第1試合に組む事が発表される)。
  • 8/21、アイスリボン後楽園ホール大会、豊田真奈美と再戦し、健闘するも敗れる。

人物

  • 自宅のある茨城県神栖市から片道3時間を掛けてアイスリボン道場に通い試合に出場している。休日は道場に泊まり込み、練習と試合に参加。
  • 鹿島学園高校レスリングスクールに所属してアマレスのトレーニングを積んでおり、グラウンドレスリングを得意とする。

タイトル歴

  • 19時女子プロレス認定インターネットシングル選手権(初代)

 
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ロウ・キー/カヴァル
LOW-KI/Kaval
1979/9/6

ブランドン・シルベストリーBrandon Silvestry)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン出身。小柄ながらも抜群の切れ味をもった運動能力を持つ。

経歴

ジム・ケトナーという人物とホミサイドとからの訓練を経たうえで、1998年の10月10日にプロデビュー。2000年から2001年までWWFを主戦場として活動した。この時期のWWFでの試合は全てが負け試合であった。

2002/7/17、フィラデルフィアにて、ROH世界ヘビー級王座をかけたダグ・ウイリアムス、クリストファー・ダニエルズ、スパンキーらとの60分アイアンマン・マッチを制し、同王座の初代王者となった。

2002年9月、ZERO-ONEに初来日し、初戦がいきなりタイトルマッチとなった。レオナルド・スパンキーからNWA・UPW・ZERO-ONE認定インターナショナルジュニアヘビー王座を奪取。

2004年、プロレスリング・ノア初参戦。最終戦で、金丸義信が所持していたGHCジュニアヘビー級王座に挑戦した。2006年にTNAにてリングネームを「Senshi(センシ)」に改名。

2007年にはIWAミッドサウスのキング・オブ・ザ・デスマッチに出場し、この団体のライトヘビー級王座への挑戦としてブランドン・トーマセリーと一戦交えるも、敗れ去った。

2008年、TNAを退団し、日本の団体への参戦を希望し新日本プロレスに参戦、RISEに加入するも、怪我により欠場。9月に復帰し、G・B・Hに加入しヒール転向。タイガーマスクを下しIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。

2009年にはWWEとの契約を自身のウェブサイトで発表。傘下のFCWにてカヴァル(Kaval)というリングネームにし、トップ戦線の位置に立つがその後スタイルが中々確立できずに苦しんでいた。

2010年の6月にはWWEのNXT第2シーズンで登場し、チーム・レイ・クールのミシェル・マクールとレイラの指導を受ける。 そして2010年9月にはWWENXT第2シーズンにおいて優勝した。

9/10にSmackDown!でドリュー・マッキンタイアとのデビュー戦を行うが惜敗。10月、RAW対SmackDown!が行われるPPVのブラッギング・ライツの選考試合としてビッグショーを相手に5分間続けることができればチーム入りすることができるというハンディキャップマッチを行い、5分耐えてチーム入りの権利を獲得したが、直後にタイラー・レックスが登場し、カヴァルは選抜に相応しくないと挑発。続いて登場したGMのセオドア・ロングが査定試合を提案し、対決。敗れてしまい選抜の権利を剥奪されてしまった。

11/19のスマックダウンのドルフ・ジグラー戦では遂にWWEで初勝利を挙げた。NXTシーズン2優勝の特典であるPPV王座戦出場権を行使して21日のサバイバー・シリーズでジグラーとのIC王座戦に挑んだが、惜しくも敗れ王座獲得とはならなかった。

12/23、上層部がカヴァルについて特に使いどころがないということからカヴァルがもっと活躍の場を求めたが、リリースが決定された。リリース後は再びリングネームをロウ・キーに戻しインディで活動。

タイトル

WWE
  • NXT : シーズン2優勝
FCW
  • FCWフロリダタッグチーム王座 : 1回
TNA
  • TNA Xディヴィジョン王座 : 2回
  • NWA世界タッグ王座 : 3回
ROH
  • ROH世界ヘビー級王座 : 1回(初代)
ZERO-1MAX(ZERO-ONE)
  • NWA/UPW/ZERO-ONE認定インターナショナルジュニアヘビー級王座 : 1回
  • NWAインターナショナルライトタッグ王座 : 1回
新日本プロレス
  • IWGPジュニアヘビー級王座 : 1回

他、米インディ団体を中心に多数のタイトルを獲得。

入場曲

  • The Realist Killaz
  • Fighter's Passion
  • Exploding Helmets

その他

  • グレート・ムタを崇拝している。そのためムタのムーブが随所に取り入れられており、なおかつ一工夫したものが多い。
  • 左腕には「勉」と刺青を入れている。
  • その動きから、トリッキーなダイナマイト・キッドと称された。





甲田哲也
1970/9/6

NEO女子プロレスの運営会社「エヌ・イー・オー」の代表取締役社長。長野県出身

人物

  • 大学卒業後、一般企業を経て、1999年、当時のネオ・レディースにスタッフとして入社。その後、NEOの社長に就任。一度不祥事を起こして謹慎となり、一時賀川照子リングアナウンサーに社長の座を譲った(後に復職)。
  • また、試合中に乱入することも多々あり、2006年5月5日に一時的にアイアンマンヘビーメタル級王座のベルトを奪取している(直後にアイスリボンのさくらえみに奪われた)。
  • 2007年には、さくらえみとの結婚騒動を巻き起こしたが、団体双方の選手の反対もあり、結婚成立にはならなかった。現在も未婚のままである。
  • 2010年12月31日に解散したNEOの大会で自ら音響係を務めるなど、現場管理も行っていた。
  • 現在はアイスリボンにて不定期ながらリングアナウンサー・音響・ゴング等を担当(法人化前のアイスリボンにも音響として参加)している。

タイトル歴

  • アイアンマンヘビーメタル級王座(第230代)






ウェンディ・リヒター
Wendi Richter
1961/9/6

テキサス州ダラス出身。

1980年代よりNWAやWWFで活躍し、WWF女子王座などのタイトルも獲得。2010年にはWWE殿堂に迎えられた。WWEスペイン語放送の解説者ヒューゴ・サビノビッチは元夫である。

来歴

ファビュラス・ムーラの元でトレーニングを積み、1979年にデビュー。1980年9月、全日本女子プロレスに初来日。以降も度々来日し、女子プロ版のスタン・ハンセンやハルク・ホーガン級の存在になり得るスター候補と目されていた。

1982年からはジョイス・グレーブルをパートナーにカウガール・ギミックのタッグチーム、テキサス・カウガールズThe Texas Cowgirls)を結成。ビンス・マクマホン・シニアのWWF、スチュ・ハートのスタンピード・レスリング、バーン・ガニアのAWA、ビル・ワットのMSWAなど、ベビーフェイスのポジションで各団体を転戦し、ジュディ・マーチンやベルベット・マッキンタイアとの連戦を行った。

WWF時代

1984年、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で全米侵攻を開始したWWFと再契約し、歌手のシンディ・ローパーと悪徳マネージャーのキャプテン・ルー・アルバーノの対立アングルに、シンディの助っ人として参入。同年7/23、"The Brawl to End It All" と銘打って行われたMSG定期戦ではシンディをセコンドに迎え、アルバーノがマネージメントするWWF女子王者ファビュラス・ムーラと対戦、師匠のムーラを倒して新王者となった。この試合はロックン・レスリングRock 'n' Wrestling)というコンセプトのもとMTVで放送され大反響を呼び、翌年のレッスルマニアへの伏線ともなった。

以降もシンディ・ローパーとのコラボレーションでムーラとの抗争を続け、1985年2月にムーラの差し向けたレイラニ・カイにWWF女子王座を奪われるも、3月31日のレッスルマニア第1回大会にて奪還に成功。また、CBSのテレビアニメ "Hulk Hogan's Rock 'n' Wrestling" にてキャラクター化もされるなど、WWFのヒロインとなって各メディアで活躍した。しかし、契約問題でWWFとの間に軋轢が生じ、1985年11月25日のMSG定期戦において、ムーラが覆面を被って変身したスパイダー・レディに女子王座を奪取されWWFを離脱した。フォールを返しているにもかかわらず、レフェリーの不可解なカウントでウェンディが3カウントを奪われたこの試合は、モントリオール事件に先駆ける "The Original Screwjob" とされている。

WWF以降

WWF脱退後はカルロス・コロンが主宰するプエルトリコのWWCに参戦。1987年5月にはモンスター・リッパーを破りWWC女子王座の初代チャンピオンに認定された。リッパーとは、同年12月にもカルガリーでIWA世界女子王座を争っている。

1988年は末期のAWAにてメデューサ・ミセリーと抗争し、11/26にミネソタ州ブルーミントンにてメデューサからAWA女子王座を奪取。AWAでは、メデューサと結託するバッド・カンパニー(ポール・ダイヤモンド&パット・タナカ)とのミックスド・タッグマッチも行われた。

引退後は不動産仲介業者に転じる一方、理学療法士と作業療法士の医療資格を取得。長らくプロレス業界との関わりを絶っていたが、2005/1/29にフロリダ州タンパで行われたリユニオン・イベント "WrestleReunion" にて公の場へ久々に登場し、マリア・ホサカらと組んで8人タッグマッチでシェリー・マーテルのチームと対戦した。WWEとは1985年以来、絶縁状態が続いていたものの、2010年に殿堂入りが実現。インダクターはロックン・レスリング期のWWFを共に支えたロディ・パイパーが務めた。

獲得タイトル

NWA
  • NWA世界女子タッグ王座 : 1回(w / ジョイス・グレーブル)
WWC
  • WWC女子王座:2回
AWA
  • AWA女子王座:1回
WWF / WWE
  • WWF女子王座:2回
  • WWE殿堂:2010年度

  



ザ・バーバリアン/コンガ・ザ・バーバリアン
The Barbarian/Konga the Barbarian
1958/9/6

シオネ・ヴァイラヒSione Havea Vailahi)は、トンガ・ヌクアロファ出身のプロレスラー。

大相撲朝日山部屋出身の元力士。

ノード・ザ・バーバリアンことジョン・ノードとは別人。両者は1991年下期から1992年上期にかけて、WWFを共にサーキットしていた(当時のノードのリングネームは「ザ・バーザーカー」)。

来歴

1974年末、福ノ島ことウリウリ・フィフィタ(後のキング・トンガ、ハク、ミング)らと共にトンガ国王の命で来日し、大相撲の朝日山部屋に入門。幸ノ島の四股名を与えられ、1975年3月に初土俵を踏むが、部屋のお家騒動が原因で1976年9月に廃業を余儀なくされる。その後アメリカに渡り、元AWA世界タッグ王者レッド・バスチェンに師事。1980年、カリフォルニア地区でキラー・カール・クラップを相手にプロレスラーとしてデビューした。

当時はトンガ・ジョンをリングネームに、ジミー・スヌーカ系のアイランダー・ギミックのベビーフェイスとして活動。1981年からはNWAのミッドアトランティック地区やセントラル・ステーツ地区、プエルトリコのWWCなどを転戦し、コンガ・キッドキング・コンガなどの名前で試合を行った。

1985年より、当時大人気だったロード・ウォリアーズのビジュアル(モヒカン刈りに顔面ペインティングのマッドマックス・スタイル)を真似たヒールに変身。コンガ・ザ・バーバリアンと改名してミッドアトランティックに戻り、アブドーラ・ザ・ブッチャーやバロン・フォン・ラシクと共闘する。1985年10月には新日本プロレスに初来日、アントニオ猪木ともシングルマッチで対戦した。以降も新日本の常連外国人となり、スティーブ・ウィリアムスとの抗争アングルなども組まれた。

1987年の末、ミッドアトランティックで同じくウォリアーズを模したキャラクターのザ・ウォーロードとコンビを組み、フェイク版ロード・ウォリアーズのパワーズ・オブ・ペインPowers of Pain)を結成。リングネームもザ・バーバリアンと簡略化し、本家ウォリアーズとタッグ抗争を展開する。翌1988年からはデモリッションのライバル・チームとして、揃ってWWFに移籍。当初はベビーフェイス、後にヒールとなり、ミスター・フジをマネージャーにデモリッションと激闘を繰り広げた。1990年下期、ウォリアーズ(リージョン・オブ・ドゥーム)のWWF参戦に伴いウォーロードとのコンビを解散し、毛皮のコスチュームをまとった野人ギミックのシングルプレイヤーに転向。ボビー・ヒーナンのファミリーに加わり、旧友ハクとの新チームで活動した。

1992年よりマッドマックス・スタイルに戻ってWCWに移籍し、カクタス・ジャックやディック・スレーターと結託。6月にはスレーターと組んでファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ&ジミー・ガービン)からUSタッグ王座を奪取し、10月のPPV "ハロウィン・ヘイボック" ではロン・シモンズのWCW世界ヘビー級王座に挑戦した。1994年からはWWFと再契約、負傷で離脱したサムゥ(ワイルド・サモアン)に代わるファトゥの新パートナーとなり、ヘッドシュリンカーズThe Headshrinkers)に加入した。

1996年にWCWに復帰し、以降1999年頃までセミレギュラーとして定着。ミング(ハク)とフェイシズ・オブ・フィアーFaces of Fear)を結成し、ハーレム・ヒート(スティービー・レイ&ブッカー・T)、アウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)、ナスティ・ボーイズらと対戦したが、中堅のポジションからオーバーすることはできなかった。WCW離脱後はインディー団体を転戦し、2000年8月にオーストラリアのSOWでカート・ヘニングからヘビー級王座を奪取。2004年8月にはIWAジャパンの10周年記念興行に来日した。

近年も各地のインディーへの参戦を続けており、ウォーロードとのパワーズ・オブ・ペインを再結成することもある。2008年2月にはテッド・デビアスをマネージャー役に、旧敵デモリッション・アックスとのタッグでバージニア州のACWに登場した。

獲得タイトル

  • WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回
  • NWA世界6人タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / ザ・ウォーロード&イワン・コロフ)
  • WCW USタッグ王座:1回(w / ディック・スレーター)
  • IAWヘビー級王座:1回
  • SOWヘビー級王座:1回
  • WLWヘビー級王座:1回
  • NWAバージニア・ヘビー級王座:1回





ザ・ウォーロード
The Warlord
1958/9/6

テリー・スゾピンスキーTerry Scott Szopinski)は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。フロリダ州ポンパノビーチ出身。

驚異的なマッスルボディを持つ大型バイオレンス・ファイターとして活躍し、ヒールのポジションにいながら子供に人気があった。

来歴

ミネソタ州のジムでロード・ウォリアー・アニマルと知り合い、彼の紹介でエディ・シャーキーのトレーニングを受け、1986年にNWAミッドアトランティック地区でデビュー。その後、セントラル・ステーツ地区を経て、1987年6月に新日本プロレスにバイオレンス・ウォーロードの名前で初来日している。

同年末、ミッドアトランティック地区でザ・バーバリアンとコンビを組み、ロード・ウォリアーズのイミテーションであるパワーズ・オブ・ペインPowers of Pain)を結成。本家ウォリアーズと抗争を開始する。1988年2月にはマネージャー格のイワン・コロフを交えたトリオでダスティ・ローデス&ホーク&ポール・エラリング(アニマルの代打で出場)からNWA世界6人タッグ王座を奪取。4月に行われたタッグ・トーナメント "Crockett Cup" ではウォリアーズを破り決勝に進出するも、スティング&レックス・ルガーに敗れ準優勝に終わった。

1988年7月よりパワーズ・オブ・ペインとしてWWFに移籍し、同じくウォリアーズの影響下にあったデモリッションと激闘を展開。1989/11/23のサバイバー・シリーズではゼウスと共にテッド・デビアス率いる「ミリオンダラー・チーム」のメンバーとなり、ハルク・ホーガン、ジェイク・ロバーツ、デモリッションの「ハルカマニアックス」と対戦。ホーガンにバーバリアンとの2人がかりのハイジャック・パイルドライバーを放って反則失格となっている。

1990年下期、ウォリアーズ(リージョン・オブ・ドゥーム)のWWF参戦に伴いパワーズ・オブ・ペインを解散。スキンヘッドに金属製の仮面を被り、鎧を身につけ槍を手にした剣闘士ギミックのシングルプレイヤーとなる。"ドクター・オブ・スタイル" スリックをマネージャーに迎え、1991年はブリティッシュ・ブルドッグとパワー対パワーの抗争を繰り広げた。

1992年にバーバリアンと同時期にWWFを離れ、スーパー・アサシンズとしてWCWでコンビを復活させたが活躍の機会を与えられず、以降は単身でインディー団体を転戦。1994年8月にはWARに来日、ボブ・バックランド&スコット・プトスキー(イワン・プトスキーの息子)とのトリオで冬木軍(冬木弘道、邪道、外道)を破り6人タッグ王座を獲得した。

1996年に自動車事故で引退。その後は地元のフロリダでセキュリティ・ガードやボディーガードの業務に就きつつ、2002年頃からインディー団体へのスポット出場を行っている。バーバリアンとのパワーズ・オブ・ペインも何度か再結成しており、近年では2007/10/19、サンフランシスコで行われたファンフェスタにてカマラ&ワンマン・ギャング(w / スリック)を相手に勝利を飾った。

獲得タイトル

  • NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座:1回(w / キラー・カール・コバック)
  • NWA世界6人タッグ王座:1回(w / ザ・バーバリアン&イワン・コロフ)
  • WAR世界6人タッグ王座:1回(w / ボブ・バックランド&スコット・プトスキー)
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回
  • MXPWヘビー級王座:1回




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