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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
9/7

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コリン・マシュー・デラニー
Colin Matthew Delaney
1986/9/7

アメリカのプロレスラー。NWA、チカラ、UWAなどで活動した後、2007年12月にECWに登場。2008年2月にトミー・ドリーマーと組んだ対ジョン・モリソンとザ・ミズ戦で初勝利する、その後、2008年3月のケリー・ケリーと組んだ対マイク・ノックスとレイラ戦の2回以外は全て敗戦し、2008年8月にWWEからリリース。その後UWA、NWA、チカラ、SCWなどで活動。





レナート・"ババル"・ソブラル
Renato "BABALU" Sobral
1975/9/7

ブラジルの総合格闘家。リオデジャネイロ州出身。レインMMA/キングスMMA所属。元Strikeforce世界ライトヘビー級王者。

来歴

1999年10月28日、リングスKOKトーナメントで初来日。Aブロック1回戦でグロム・ザザに一本勝ち、2回戦でリー・ハスデルに判定勝ち。

2000年2月26日、リングスKOKトーナメント準々決勝でイリューヒン・ミーシャに一本勝ち、準決勝で田村潔司に判定勝ち、決勝でダン・ヘンダーソンに判定負け。準優勝を果たした。

2000年6月15日、リングスで金原弘光と対戦し、判定勝ち。

2000年10月9日、リングスKOK2000のAブロック1回戦でビターゼ・タリエルに一本勝ち、2回戦でヴァレンタイン・オーフレイムに一本負け。決勝ラウンドへは進めなかった。

2001年2月24日、リングスで同じく予選ブロックで敗退した田村潔司とワンマッチで再戦、前回と同じく判定勝ち。

2001年6月15日、リングス・ヘビー級王座決定トーナメント1回戦で高阪剛に判定で勝利するが、8月11日のトーナメント準決勝でエメリヤーエンコ・ヒョードルに判定負け。この試合を最後にリングスを去った。

2001年11月17日、UFC初参戦となったUFC 28でモーリス・スミスと対戦、判定勝ち。

2002年11月22日、UFC 40でチャック・リデルに左ハイキックでKO負け。この試合後、一時UFCを離れた。

2003年9月6日、IFCのライトヘビー級トーナメントに参戦。1回戦でトレヴァー・プラングリーに判定勝ち、準決勝でマウリシオ・ショーグンに一本勝ち、決勝でジェレミー・ホーンに判定勝ち。優勝を果たし、前王者チャック・リデルが返上したIFC世界ライトヘビー級王者となった。

2004年11月27日、Cage Rage参戦。Cage Rageで2試合を戦う。

2005年4月16日、2年半ぶりのUFC参戦となったUFC 52でトラヴィス・ビューと対戦し、一本勝ち。

2006年8月26日、UFC 62でチャック・リデルとUFC世界ライトヘビー級タイトルマッチで再戦。パウンドによりTKO負け。

2007年8月25日、UFC 74でデビッド・ヒースをアナコンダチョークで破るが、ヒースがタップしているにもかかわらず絞めを解かず、失神させた。試合前の計量時に挑発してきたことに対する報復行為であったと認めている。試合後にはネバダ州アスレチックコミッションより25,000$の罰金が科せられた。また、ほどなくしてUFCから契約の更新がないことを通告された。

2007年12月9日、フィリピンのマニラにて開催された『Ring of Fire』にジョシュ・バーネット率いるチームの一員として参戦。ロドニー・ファベイラスに肩固めで一本勝ち。

2008年7月19日、Affliction旗揚げ戦Affliction: Bannedでマイク・ホワイトヘッドと対戦し、判定勝ちを収めた。

2008年11月21日、Strikeforce初参戦となったStrikeforce: Destructionにてボビー・サウスワースと対戦。肘打ちで顔面をカットさせると、1R終了時ドクターストップによるTKO勝ちで第2代Strikeforce世界ライトヘビー級王者となった。

2009年1月24日、Affliction: Day of Reckoningでソクジュと対戦し、アナコンダチョークで一本勝ちを収めた。

2009年8月15日、Strikeforce世界ライトヘビー級王座防衛戦で挑戦者ゲガール・ムサシと対戦し、開始1分パウンドでTKO負けとなり、王座から陥落した。この試合は8月1日にAffliction: Trilogyで開催される予定であったが、同興行が中止となり、そのままStrikeforceにスライドされる形になった。

2010年6月16日、Strikeforce: Los Angelesでロビー・ローラーと195ポンド契約で対戦し、3-0の判定勝ち。12月4日、Strikeforce: Henderson vs. Babalu 2でダン・ヘンダーソンと対戦し、パウンドによるKO負けを喫した。

獲得タイトル

  • 南米レスリング選手権フリースタイル105kg級優勝(1998年、1999年)
  • 第1回リングスKOKトーナメント 準優勝(2000年2月)
  • IFC世界ライトヘビー級王座
  • 第2代Strikeforce世界ライトヘビー級王座

 
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アンディ・フグ
Andy Hug
1964/9/7 - 2000/8/24

スイス・ボーレン出身の空手家、キックボクサー。本名はアンドレーアス・フーク(Andreas Hug〔アンドレェアス:andréːas〕〔フゥク:húːk〕 ドイツ語辞書による)。

概要

得意技は踵落とし、下段後ろ回し蹴り(フグトルネード)、左フック。入場時にはゴットハードの『Fight for Your Life』(邦題:闘え!アンディ・フグ)やクイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」をテーマ曲に使用していた。

家族は、妻・イローナと息子・セイヤ(空手の掛け声から命名)の2人。

勝ちも負けもKO決着が多い、倒すか倒されるかの選手であった。ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、マイク・ベルナルドと共に創成期のK-1四天王として君臨し、K-1ファイターの中では決して大きくない体で、負けても負けても立ち上がる不屈の戦いぶりとリベンジマッチでの強さ、彼が得意としていた踵落とし等の華麗な技、そしてCMやテレビ番組で見せるユーモア溢れる人柄も併せ、K-1の人気を押し上げることに大きく貢献した。

さらにアンディの母国スイスでK-1の大会が開催されると必ず凱旋試合を戦い、全戦全勝を収めている。しかも相手はいわゆる噛ませ犬などではなく、ピーター・アーツ、マイク・ベルナルド、ミルコ・クロコップ、ステファン・レコといった世界トップクラスの強豪と戦って勝利している。また、K-1スイス大会でのアンディの試合のスイス国営テレビの平均視聴率は必ず50%を超えており、アンディが日本とスイスの両国で英雄であったことが分かる。

彼の得意技である踵落としについてはテコンドーのネリチャギとの類似性が見られるが、本人の生前のインタビューでは、空手の蹴り技の一つ「内回し蹴り」を応用した技だと語り、ネリチャギ自体は踵落としを使うようになった後で知ったとのことである。増田章は「踵落しよりも下段回し蹴りが強烈だった。アンディの素晴らしい所は踵落しで攻撃を散らし、決め技の下段回し蹴りに繋げて相手を倒していた」と述べている。実際、第4回オープントーナメント全世界空手道選手権大会では桑島靖寛、アデミール・ダ・コスタをその流れで一本勝ちを奪っていた。

しかし、急性前骨髄球性白血病(APL)により35歳の若さで死去し、多くの格闘技ファン・関係者に衝撃を与えた(詳しくは後述)。

来歴

幼少期のアンディはサッカー少年であったが、ブルース・リーに憧れて10歳より極真空手を始める(乱暴者であまりにも素行が悪かったために祖母が空手をやらせたという話もある)。そして若くして頭角を現し、ヨーロッパ最強の男ミッシェル・ウェーデル、松井章圭、増田章のライバルとして争い続けた。

1985年に極真ヨーロッパ選手権で優勝。1987年の第4回世界大会では、決勝戦で松井章圭に敗れ準優勝。1989年に極真ヨーロッパ選手権で同大会2度目の優勝。1991年の極真ヨーロッパ選手権にて、決勝戦で黒豹の異名を持つマイケル・トンプソンに敗れ準優勝(後にラスタとんねるず'94の最終回企画「ジャイアント将棋インテグラル」で、対決はなかったものの再会している)。同年11月の第5回世界大会の4回戦では、フランシスコ・フィリォに一本負け(止めがかかってからの上段回しによる失神。大山倍達総裁の「止めがかかったとはいえ、その不意をつかれる者は勝者ではない」という判断により一本負けとなった)。

その後、極真会館を退会。アンディはプロに新天地を求めて正道会館に移籍。グローブ空手を経て1993年からK-1に参戦する。K-1旗揚げ戦から参戦していたが、1993年の一年間はK-1ルールでは戦わず、ワンマッチにてスピリットカラテルールで戦っていた。同ルールで村上竜司と対戦し、踵落としで勝利した姿は、空手ファンだけでなくキックボクシングファンにフグの名前が広まるきっかけとなった。

1993/11/15、ANDY'S GLOVEのメインイベントで村上竜司と対戦し、1ラウンドに3度のダウンを奪いTKO勝ちを収めた。大会タイトル通り、初めてグローブを着用し、K-1グランプリルール初挑戦となった。

1994/3/4、グローブマッチ3戦目となったK-1 CHALLENGEで前年度K-1GP王者ブランコ・シカティックと対戦。フグはダウンを奪われながらも、不屈の闘志で凄まじい猛反撃を繰り返し、3-0の判定勝利を収める番狂わせを起こした。

優勝候補として臨んだ同年4/30のK-1GPトーナメントでは1回戦でUFC出身の喧嘩ファイターパトリック・スミスに1R19秒でKO負け。同年9/18にスミスとリベンジマッチを行い、1R56秒KO勝ちでリベンジに成功する。

1995年のK-1GPではまたも1回戦で当時無名のマイク・ベルナルドにダウンを奪いながらも逆転KO負けを喫してしまい、さらに6か月後のリベンジマッチでも返り討ちに遭ってしまう。

しかし、1996年のK-1GPでは3/10のGP開幕戦でバート・ベイルに1RKO勝ちして1回戦を突破すると、5/6のK-1GP決勝大会では、準々決勝でバンダー・マーブに1RKO勝ち、準決勝でアーネスト・ホーストと再延長戦までもつれる激闘を勝利、そして決勝戦では宿敵マイク・ベルナルドにフグトルネードで2RKO勝利し、悲願のK-1GP初優勝(バックグラウンドが空手の選手として初優勝)。見事、彼は1994年、1995年の借り全てを返した。

1997/7/20のワンマッチでは、極真時代のライバルにして、K-1初参戦の因縁の相手フランシスコ・フィリォを迎え撃つ形となったが、王者アンディはフィリォに右フック一発で1R失神KO負けを喫した。

その後、1997年のK-1GPトーナメントではピーター・アーツらに勝利して決勝まで勝ち進むも、アーネスト・ホーストに判定負けで準優勝。

1998年のK-1GP決勝トーナメントも同様に決勝まで勝ち進んだが、当時圧倒的な強さでトーナメントを勝ち上がってきたピーター・アーツにKO負け。敗れはしたものの、3年連続でファイナリストとなった記録は、2007年にセーム・シュルトがグランプリ3連覇を果たすまでは破られていなかった(MAXではブアカーオ・ポー.プラムックがタイ記録を持っている)。

最期

2000/10/9のK-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKAでのトーナメントに出場する予定だったが、大会の2か月前の8/24午後2時に正道会館で記者会見を行なわれ、アンディが急性前骨髄球性白血病(APL)によって危篤状態であることが発表された。病気のことは周囲に心配を掛けることを嫌い、家族にすら内緒にしていたという。

病状を直前まで知らされていなかった角田信朗が慌てて病院に駆けつけた時には、既にアンディは声をかけても反応できない状態にあり、やがて心肺停止状態に陥った。しかし角田が「何してんねん!」「アンディ、ファイト!」「ハンズ・アップ!(「構えろ!」)」「試合はまだ終わっていないぞ!」と声をかけると、アンディの心肺機能が一時復活した。アンディは角田の呼びかけに3度応えたが、4回目には応えず、心肺は停止した。その時、側にいた主治医は「角田さん、アンディは3度立ち上がった。ドクターストップです。もう休ませてあげましょう。」と言ったという。また、死の床でアンディは、日本での活躍の場、K-1での活躍の場を提供するきっかけを作った正道会館の石井和義館長(当時)に、「I Love You. 館長。」と語りかけ、石井は「I Know. わかっているよ。」と答えたという。2000/8/24午後6時21分死去。葬儀は本人の希望により日本式の仏式葬儀で行うことになり、2000/8/27の告別式はテレビで生中継された。

最初の報道ではアンディが急病(病名は明らかにされていた)で緊急入院した事だけが発表され、自身による復帰を約束するメッセージが伝えられたものの、その時には既に抜き差しならない病状に追い込まれていたと思われる。さして間もなく、彼が実は危篤状態にあるとの情報が世間に伝えられ、翌日にはその死が国民の知る所となった。結果的に、彼の闘病生活の存在自体が死の直前まで伏せられていた形となった。

獲得タイトル

  • 極真空手
    • 第3回ヨーロッパ選手権(1985年)優勝
    • 第4回全世界空手道選手権大会(1987年)準優勝
    • 第5回ヨーロッパ選手権(1989年)優勝
  • 正道空手
    • カラテワールドカップ'92 優勝
    • カラテワールドカップ'93 準優勝
  • キックボクシング
    • WKAムエタイヨーロッパスーパーヘビー級王座
    • UKF世界スーパーヘビー級王座
    • WMTC世界スーパーヘビー級王座
    • WKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座
    • K-1 GRAND PRIX '96 優勝
    • K-1 GRAND PRIX '97 準優勝
    • K-1 GRAND PRIX '98 準優勝

コマーシャル

生前

  • インスタントカップラーメン「強麺」(日清食品)
岡持ちを持って両手がふさがった状態のアンディが、踵落としでドアをノックして蹴破るというもの。CMの中で彼が発する台詞「ごーめんなさいよ」は当時の流行語となった。他にも、エレベーターのボタンを踵落としで蹴ってエレベーターを故障させてしまうバージョンや、立ち往生したバスをアンディがロープで引っ張ったらバスの顔だけ取れて乗客を置き去りにしてしまったバージョンなどもあった。さらに、「タマタマ、カツ玉、タマタマ、カツ玉」と言って走ってくるピーター・アーツとすれ違って、「この出会いはバーニング、バーニング」という音楽に合わせて二人で腰を振って踊ったり、「モリモリー、牛盛りー、モリモリー、牛盛りー」と言って走ってくるアーネスト・ホーストとすれ違って、「♪この出会いはショッキング、ショッキング」(歌・宮内タカユキ)というCMソングで二人で踊るパターンもあった。
  • インスタントカップラーメン「スタミナカップヌードル」(日清食品)
  • 農耕用トラクター「キングウェル」シリーズ(クボタ)
前期型のみ。
  • 育毛トニック「Incent」(ツムラ)
  • パーソナルコンピュータ「Aptiva(アプティバ)」(日本アイ・ビー・エム)
香取慎吾と共演。

没後

  • 「骨髄バンクキャンペーン」公共広告機構(現:ACジャパン)・2001年
テレビのみならず、ラジオ、新聞、雑誌、ポスター、リーフレットにも起用。このCMは、アンディの遺族とK-1の承諾を得て製作された。

テレビ番組

  • 探偵!ナイトスクープ
1999年3月5日放送「世界最強!?徳田流格闘術」の回に出演。自己流の格闘技を身につけたという依頼者とその弟からの「徳田流格闘術を披露したい。本気を出せば格闘技経験者にも勝てると思っている。」との依頼だったが、本人には本式の格闘技の経験がなく、蹴り技を一つ放つにしても後頭部を床に打ちそうになったりで、探偵リポーターや会場からは失笑が漏れていた。アンディは番組後半に依頼者とその弟のスパーリング相手として登場。アンディの軽い足払いで依頼者は一回転近く体を回され転がされるなど、当然手も足も出ず、最後はボディに後ろ回し蹴りを受けうずくまってしまい続行不能という結果に。もちろんアンディは100%の力は出してはいなかったが、スパーリング中の目は真剣そのものだった。スパーリング後、アンディは依頼者の少年の目をしっかりと見つめ、「自己流で格闘技を行い『自分は強い』と言う君を世間の人は笑うかもしれない。しかし私は決して君のことを笑わない。なぜなら私も少年の頃『空手の世界チャンピオンになる』と言って皆に笑われた。しかし私はK-1のチャンピオンになった。誰でもチャンピオンになれる可能性がある。だから私は手を抜かず真剣に君のスパーリングパートナーを務めた。私は君を笑わない。」と話した。ちなみに、その時のレフェリーは角田信朗だった。なお、この回はアンディが死去した直後に多くの視聴者から再放送の要望があり、追悼の意を込めて後日再放送された。
  • とんねるずのハンマープライス
「アンディ・フグと3分間1本勝負を戦う権利」がオークションに出され、落札者と実際に勝負を行った。踵落としでアンディが勝利。
  • ろみひー

映画

  • ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影
  • 最強への道 WELCOME TO THE K zone

テレビドラマ

  • 「フードファイト」 - 1話で本人役として友情出演

漫画

月刊コロコロコミックに連載された坂井孝行の作品『K-1ダイナマイト』の登場人物の一人となった。しかし連載中に彼本人が急逝したため、途中からは登場しなくなり、代わりに別冊コロコロコミックの番外編「アンディからの果たし状」が掲載された。

対戦相手 試合結果 -
K-1 SPIRITS 2000
2000/7/7
ノブ・ハヤシ
1R 2:05 KO(左ストレート)
K-1 FIGHT NIGHT 2000
2000/6/3
ミルコ・クロコップ
5R終了 判定2-0
K-1 THE MILLENNIUM
2000/4/23
グラウベ・フェイトーザ
5R終了 判定2-0
K-1 BURNING 2000
【WKA世界ムエタイ
スーパーヘビー級タイトルマッチ】
2000/3/19
武蔵
5R終了 判定2-0
K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦
【準々決勝】
1999/12/5
アーネスト・ホースト
3R終了 判定0-3
×
K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦
【1回戦】
1999/10/3
天田ヒロミ
1R 1:51 TKO(3ノックダウン:右上段後ろ回し蹴り)
K-1 SPIRITS '99 〜魂の戦い〜
1999/8/22
モーリス・スミス
3分5R終了 判定3-0
K-1 FIGHT NIGHT '99
【WKA世界ムエタイ
スーパーヘビー級タイトルマッチ】
1999/6/5
ステファン・レコ
5R終了 判定3-0
K-1 REVENGE '99
1999/4/25
レイ・セフォー
4R終了時 TKO(タオル投入)
K-1 RISING SUN '99
1999/2/3
中迫剛
2R 0:22 KO(上段右後ろ回し蹴り)
K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦
【決勝】
1998/12/13
ピーター・アーツ
1R 1:10 KO(左ハイキック)
×
K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦
【準決勝】
1998/12/13
サム・グレコ
3R終了 判定2-0
K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦
【準々決勝】
1998/12/13
レイ・セフォー
2R 2:28 KO(2ノックダウン:右ストレート)
K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦
【1回戦】
1998/9/27
マーク・ラッセル
2R 3:07 KO(左ローキック)
K-1 THE NEW FIGHTING SPIRIT '98
1998/8/7
マイク・ラブリー
1R 2:13 TKO(右ローキック)
K-1 FIGHT NIGHT '98
【WKA世界ムエタイ
スーパーヘビー級タイトルマッチ】
1998/6/6
ピーター・アーツ
5R終了 判定3-0
K-1 KINGS '98
1998/4/9
カーティス・シュースター
5R終了 判定3-0
K-1 GRAND PRIX '97
【決勝】
1997/11/9
アーネスト・ホースト
3R終了 判定0-2
×
K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦
【準決勝】
1997/11/9
ピーター・アーツ
5R終了 判定3-0
K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦
【準々決勝】
1997/11/9
佐竹雅昭
1R 0:15 KO(左ハイキック)
K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦
【1回戦】
1997/9/7
ピア・ゲネット
1R 1:49 TKO(3ノックダウン:右フック)
K-1 DREAM '97
1997/7/20
フランシスコ・フィリォ
1R 2:37 KO(右フック)
×
K-1 FIGHT NIGHT '97 〜THE DECISION〜
【WKA世界ムエタイ
スーパーヘビー級タイトルマッチ】
1997/6/7
マイク・ベルナルド
3分5R終了 判定
K-1 BRAVES '97
1997/4/29
サム・グレコ
5R終了 判定1-1
K-1 KINGS '97
1997/3/16
ピーター・アーツ
1R 1:55 TKO(左膝蹴り)
×
K-1 HERCULES '96
1996/12/8
武蔵
5R終了 判定3-0
K-1 STAR WARS '96
1996/10/18
佐竹雅昭
5R終了 判定3-0
K-1 REVENGE '96
【WMTC世界
スーパーヘビー級タイトルマッチ】
1996/9/1
スタン・ザ・マン
2R 2:00 KO(左ストレート)
K-1 FIGHT NIGHT II
【UKF世界スーパーヘビー級
タイトルマッチ】
1996/6/2
サダウ・ゲッソンリット
2R 3:02 KO(左フック)
K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦
【決勝】
1996/5/6
マイク・ベルナルド
2R 1:18 KO(フグトルネード)
K-1 GRAND PRIX '96
【準決勝】
1996/5/6
アーネスト・ホースト
延長2R終了 判定2-1
K-1 GRAND PRIX '96
【準々決勝】
1996/5/6
バンダー・マーブ
1R 0:40 KO(左フック)
K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦
【1回戦】
1996/3/10
バート・ベイル
1R 2:24 TKO(3ノックダウン:パンチラッシュ)
K-1 HERCULES
1995/12/9
ジェロム・レ・バンナ
5R終了 判定3-0
K-1 REVENGE II
1995/9/3
マイク・ベルナルド
2R 2:43 TKO(右ストレート)
×
K-1 LEGEND 〜翔〜
1995/7/16
アーネスト・ホースト
3R終了 判定0-2
×
K-1 FIGHT NIGHT
1995/6/10
デニス・レーン
2R終了時 TKO(戦意喪失)
K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦
【スペシャルワンマッチ】
1995/5/4
ピーター・クレイマー
1R 0:45 KO(左フック)
K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦
【1回戦】
1995/3/3
マイク・ベルナルド
3R 2:39 TKO(タオル投入)
×
K-1 LEGEND 〜乱〜
【UKF世界スーパーヘビー級
王座決定戦】
1994/12/10
ロブ・ファン・アスドンク
4R 0:55 KO(左フック)
カラテワールドカップ '94
【スピリットカラテルール】
1994/10/2
ジェフ"デューク"ルーファス
2R 1:52 KO(左ミドルキック)
K-1 REVENGE
1994/9/18
パトリック・スミス
1R 0:56 KO(左膝蹴り)
K-1 GRAND PRIX '94
【1回戦】
1994/4/30
パトリック・スミス
1R 0:19 KO(2ノックダウン:右アッパー)
×
K-1 CHALLENGE
1994/3/4
ブランコ・シカティック
5R終了 判定3-0

カラテワールドカップ '95
【スピリットカラテルール】
1995/10/8
マイケル・トンプソン
3分3R終了 判定5-0
K-2 GRAND PRIX '93 風林火山 "山の章"
【スペシャルマッチ】
1993/12/19
エリック・アルバート
2R 2:08 KO(左フック)
ANDY'S GLOVE
1993/11/5
村上竜司
1R 3:10 TKO(パンチラッシュ)
カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【決勝】
1993/10/3
佐竹雅昭
試し割り判定8-9
×
カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【準決勝】
1993/10/3
後川聡之
延長R終了 判定4-0
カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【準々決勝】
1993/10/3
チャンプア・ゲッソンリット
本戦終了 判定5-0
カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【1回戦】
1993/10/3
荒田吉則
本戦 2:09 左上段回し蹴り
K-1 ILLUSION 風林火山 "林の章"
【スピリットカラテルール】
1993/9/4
村上竜司
1R 0:39 左踵落とし
聖戦 〜SANCTUARY III〜 風林火山
"風の章"
【スピリットカラテルール】
1993/6/25 
藤田実
3R終了 判定2-0
K-1 GRAND PRIX '93
【スピリットカラテルール】
1993/4/30
角田信朗
2R 1:26 右膝蹴り

アンディ ラストファイト
K-1 SPIRITS 2000
2000/7/7
アンディ・フグvsノブ・ハヤシ



アンディ メモリーズ






マイク・カーシュナー/レザーフェイス
Mike Kirchner/Leatherface
1957/9/7

マイケル・ペンゼルMichael Penzel)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。イリノイ州シカゴ出身。

来歴

アメリカ空軍のパラシュート部隊を除隊後、1980年にR・T・レイノルズR.T. Reynolds)のリングネームでNWAフロリダ地区にてデビュー。1984年よりテレビマッチ要員としてWWFに出場し、ブラックジャック・マリガン、バリー・ウインダム、マイク・ロトンドなどの大物選手のジョバーを務めた。

1985年下期、前年にWWFを離脱したサージェント・スローターの愛国者キャラクターを引き継ぎ、コーポラル・カーシュナーCorporal Kirchner)と改名してコンバット・スタイルの軍人ギミックに変身。11/7に地元シカゴのローズモント・ホライズンで行われたPPV『ザ・レスリング・クラシック』のワンナイト・トーナメントでは、1回戦でアドリアン・アドニスと対戦した。以降はアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフの反米ヒールと抗争を展開、1986/4/7に開催の『レッスルマニア2』シカゴ大会ではボルコフからピンフォールを奪っている。

ロディ・パイパーのインタビューコーナー『パイパーズ・ピット』にも出演し、キングコング・バンディ、ビッグ・ジョン・スタッド、カウボーイ・ボブ・オートン、マグニフィセント・ムラコとも対戦したが、ドラッグ検査に違反してWWFを解雇され、1987年からはカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングなどを転戦した。1989年6月には新日本プロレスに初来日。1990年3月の再来日ではスコット・ホールと組んで坂口征二の引退試合の相手を務めた(坂口のパートナーは木村健悟)。

1991年、テネシー地区にて映画『悪魔のいけにえ』に登場する殺人鬼と同じネーミングおよびキャラクターのレザーフェイスLeatherface)に再変身し、プエルトリコを経て1992年7月にW★INGプロモーションに来日。劇中のレザーフェイスと同様のマスクを被り、チェーンソーを振りかざして観客を追い回す狂気的な入場パフォーマンスでセンセーショナルな存在となる。同年12月20日には松永光弘を相手に、日本では1978年のアントニオ猪木対上田馬之助戦以来となる釘板デスマッチを行い、松永を釘板上に転落させて勝利を収めた。

その後もW★INGの主力外国人ヒールとなって活躍したが、来日中に傷害事件を起こして6カ月間の禁固刑を科せられる。その間、W★INGの後継団体IWAジャパンではリック・パターソンが2代目のレザーフェイスを名乗っていたことから、復帰後はスーパー・レザーSuper Leather)と改名し、1995年6月よりFMWを主戦場に活動。ハヤブサやザ・グラジエーターらとハードコア・レスリングを繰り広げ、1996/2/23には大矢剛功から世界ブラスナックル王座を奪取した。

2002年の引退後、2006年10月にWWE.comにて死去が報じられ、日本のインディー団体では追悼セレモニーの10カウントゴングまで鳴らされたが、後に誤報と判明。トラックドライバーに転じて健在であることが明らかになった。この誤報は結果として彼の存在を再びクローズアップさせることとなり、2007年より本業の合間を縫ってインディー団体へのスポット出場を開始。レザーフェイスのギミックを復活させ、ヒップホップ・デュオのインセイン・クラウン・ポッシーが主宰するJCWなどに登場した。

日本にも、2010/1/26に新木場1stRINGで行われたスーパーFMWの第2弾興行に来襲。ミスター・ポーゴ&ジ・ウィンガーとW★ING軍を結成し、ターザン後藤、大矢剛功、リッキー・フジのFMW軍と対戦した。2カ月後の3/26には新宿FACEにおけるSMASHの旗揚げ戦『SMASH.1』に参戦し、コーポラル・カーシュナー時代からの得意技であるダイビング・フィスト・ドロップで小路晃に勝利。同年11月22日にJCBホールにて開催の『SMASH.10』にも出場し、キム・ナンプンと組んで女子プロレスラーのリン・バイロンとのハンディキャップ・マッチを行った。

獲得タイトル

W★INGプロモーション
  • 世界タッグ王座:1回(w / フレディ・クルーガー)
FMW
  • 世界ブラスナックル王座:1回
  • 世界ブラスナックル・タッグ王座:1回(w / ジェイソン・ザ・テリブル)
  • 世界ストリートファイト6人タッグ王座:1回(w / ザ・ヘッドハンターズ)

  


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