本文へスキップ
 



5,000本以上の動画から
キーワード検索!

Google

WWW を検索
"極め”内検索
重要なお知らせ
2010/8月以降おまとめは休止しました。
動画検索はキーワードで!!


リンク切れ、レンタル、
お探し中などの問い合わせ




プロレス/格闘技
誕生日/忌日
9/12

新着(ニュース、興行・結果、Youtube動画)
今日は何の日?


ラ・フィエラ
La Fiera
1961/3/17 - 2010/9/12
ラ・フィエラ

メキシコ・プエブラ出身のプロレスラー。

来歴

地元プエブラでプロレスラーだった父の教えを受け、1977年4月にデビュー、テクニシャンのルードとして活躍、1984/8/26に全日本プロレスに初来日し、二代目タイガーマスク(三沢光晴)のデビュー戦の相手を務めた。

2010年9月12日死去。






ドクトル・ワグナー
Dr. Wagner
1941/4/13 - 2004/9/12
ドクトル・ワグナー
本名:ビクトル・マヌエル・ゴンザレス(Victor Manuel Gonzalez)は、メキシコのプロレスラー。サカテカス州サカテカス 出身。息子達もプロレスラーで、長男はドクトル・ワグナー・ジュニア、次男はシルバー・キング。

来歴

サカテカス州サカテカス生まれのコアウイラ州トレオン育ち

獲得タイトル

  • ナシオナルライト級 : 3回
  • NWA世界ライトヘビー級
  • NWAアメリカスタッグ(パートナー:アンヘル・ブランコ)
  • ナシオナルタッグ(パートナー:アンヘル・ブランコ)

 
広告



ジュニオール・"シガーノ"・ドス・サントス
Junior "Cigano" dos Santos
1984/9/12

ジュニオール・ドス・サントス

ブラジルの総合格闘家。サンタカタリーナ州カサドール出身。ブラック・ハウス所属。リーチ77インチ(約196cm)。

総合格闘家としてはアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの直弟子にあたる。

来歴

2005年にブラジリアン柔術を始め、その後ボクシングも習い始めた。2006年にプロ総合格闘技デビューを果たした。

2008年にはUFCと契約を果たし、同年9月25日初参戦のUFC 90でファブリシオ・ヴェウドゥムと対戦。大方の予想に反し、開始から1分20秒に右アッパーでダウンを奪ってのKO勝ちという番狂わせを演じ、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを獲得した。

2009/2/21、UFC 95でステファン・ストルーフェと対戦、右フックでダウンを奪い、1分足らずでKO勝利を果たした。

2009/9/19、UFC 103でミルコ・クロコップと対戦。序盤から打撃で優勢に立ち、3Rには打撃で戦意を喪失させTKO勝ち、UFC3連勝となった。

2010/1/2、UFC 108でギルバート・アイブルと対戦し、左フックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ちを収めた。続く3月21日のUFC on Versus: Vera vs. Jonesではガブリエル・ゴンザーガを相手に左フックからのパウンドでKO勝ちを収め、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。

2010/8/7、UFC 117でロイ・ネルソンと対戦し、3-0の判定勝ち。キャリア初の判定決着となった。試合後にはヘビー級王者への挑戦をアピールした。

2011年1月、リアリティ番組「The Ultimate Fighter」シーズン13ではブロック・レスナーと共にヘッドコーチを務め、シーズン終了後のUFC 131で両者が対戦予定であったが、レスナーの疾病による欠場に伴いシェイン・カーウィンとの対戦へと変更された。6/11のUFC 131ではカーウィンを3-0の判定で降し、ケイン・ヴェラスケスの持つヘビー級王座への挑戦権を手にした。

ファイトスタイル

ブラジルのボクシングトレーナー仕込みのボクシング技術を巧みに総合格闘技スタイルと融合させていて、ほぼ完全にスタンドでのパンチが主体の選手である。総合格闘技には珍しく、ボディストレートも多用する。本人曰く「ほとんどの選手はどのようにしてボクシング技術を総合格闘技に活かしたらいいのか分かっていない」とも語っている。

総合格闘家になる道程

ズッファ製作のバイオグラフィーによれば、21歳のドス・サントスは、バックパック一つを抱えて人生を発見するための旅に家を出た。そして長旅の末たどりついたのがバイア州のサルバドルであり、そこで飛び込んだのが格闘技のジムだった。長髪をポニーテールにしたむさくるしい浮浪者のような風体に、ジムの仲間は不定住流浪民を意味するシガーノ(ジプシー)というあだ名をつけた。ジムでサンドバッグを相手に一日中猛練習することで短期間での実力をつけたドス・サントスは、とんとん拍子に勝ち続けて総合格闘家としてのキャリアを確立した。







佐々木有生
1976/9/12

佐々木 有生

北海道釧路市出身。GRABAKA所属。北海道釧路西高等学校卒業。

空手とムエタイで鍛えられた打撃と、GRABAKAで鍛えられた寝技を駆使するオールラウンダー。GRABAKAの創生期を支えたメンバーの1人であり、リーダーの菊田早苗のスパーリングパートナーを最も長く務めている。

来歴

高校2年生の時にUFC 1のホイス・グレイシーの戦いを見て格闘家を志す。地元の大道塾に入門し、19歳で単身タイへ飛びムエタイ修行を積む。

帰国後、寝技習得のために上京し、偶然格闘技道場で出会った菊田早苗と意気投合。公共の体育館で2人だけで練習するようになり、それが後のGRABAKAの原点となった。

1998/4/10、初参戦となった修斗で割田康士と対戦し、ヒールホールドで一本勝ち。同年の7/18には竹内出から判定で勝利し、その後も修斗で2連勝。

1999/5/27、修斗で桜井隆多と対戦し、ヒールホールドで一本勝ち。

2001年からはパンクラスを主戦場とし、2/4、デビュー戦となった渡辺大介戦では腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2001/2/4、パンクラスで美濃輪育久と対戦。序盤から打撃で美濃輪を苦しめるも、3R開始直後にアンクルホールドで一本負け。

2001/10/1、パンクラスでパンクラスismとGRABAKAとの5対5の対抗戦が行われる。佐々木は副将として石井大輔と対戦、強烈な左ハイキックを石井にヒットさせ、そのまま腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2002/9/29、パンクラスにて「ブラジリアン・キラー」アレックス・スティーブリングと対戦し、3-0の判定勝ち。

2002/12/23、『PRIDE.24』に参戦。念願のPRIDE初参戦となったがホドリゴ・グレイシーに判定負け。

2006/8/17、『UFC Fight Night 6』にてディーン・リスターと対戦するも、判定負けを喫した。

2007/11/16、Strikeforceのミドル級トーナメント1回戦でジョルジ・サンチアゴと対戦予定であったが、MRI検査で異常が発見され、カリフォルニア州アスレチックコミッションからライセンスが発行されず欠場となった。

2008/5/18、戦極初参戦となった戦極 〜第二陣〜でジョルジ・サンチアゴと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。

2008/9/28、戦極 〜第五陣〜のミドル級グランプリ1回戦で近藤有己と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。

2009/10/17、フィンランドで開催されたFight Festival 26でショーン・サーモンと対戦し、判定負け。

2010/2/25、Bitetti Combat 6でパウロ・フィリォと対戦予定であったが、フィリォの欠場により試合が消滅した。12/4、Bitetti Combat 8で改めてフィリォと対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2010/12/30、戦極 Soul of Fightでマメッド・ハリドヴと対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した。


グラバカ佐々木のブログ






ショッカー/スペル・ショッカー
Shocker/Super Shocker
1971/9/12

ショッカー

ホセ・ルイス・ハイル・ソリアJosé Luis Jair Soria )は、メキシコハリスコ州グアダラハラ出身の男性プロレスラー。

来歴

父は1960年代に活躍したルーベン・パト・ソリア。父やディアブロ・ベラスコのジムでルチャを学び、1992/10/16に地元からマスクマンでデビュー。1年ほどインディーマットを転戦する。1994年に開催された第2回CMLLトルネオ・グラン・アルタナティバでシルバー・キングのパートナーとして抜擢され優勝を果たす。1997/5/4にブラック・ウォリアーを破りNWA世界ライトヘビー級王座を初栄冠。1998/1/23にミステル・ニエブラと組んでドクトル・ワグナー・ジュニア、エミリオ・チャレス・ジュニア組を破りCMLL世界タッグチーム王座を奪取。1999年に新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに出場。同年9月に行われたCMLL66周年記念のイベントでミステル・ニエブラと組んでアトランティス、ビジャノ3号組にマスカラ・コントラ・マスカラマッチで破れて素顔になる。2001/10/17にビジャノ3号を破りCMLL世界ライトヘビー級王座を奪取。2004/1/23にラ・パルカ(初代)と組んでウルティモ・ゲレーロ、レイ・ブカネロ組を破りCMLL世界タッグチーム王座を再び奪取。同年5/3にバンピーロを破りNWA世界ライトヘビー級王座を再び奪取。2005年4月にTNAに参戦。同年5月にAAAに移籍。同年にはTNAにてクリストファー・ダニエルズの持つTNA Xディヴィジョン王座に挑戦、また2006年にはワールドXカップ2006にメキシコチームのリーダーで出場。2007年にCMLLに復帰。2007/3/4に後藤洋央紀の持つNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座に挑戦も奪取に失敗。2010/12/13にテハノ・ジュニアを破りNWA世界ヒストリックライトヘビー級王座(NWA世界ライトヘビー級王座を改称)奪取。

獲得タイトル

  • オクシデンテライトヘビー級王座
  • オクシデンテトリオ王座
  • CMLL世界ライトヘビー級王座
  • CMLL世界タッグチーム王座:2回(w/ ミステル・ニエブラ w/ ラ・パルカ)
  • NWA世界ライトヘビー級王座(NWA世界ヒストリックライトヘビー級王座):3回

  




大刀光電右エ門
1963/9/12

大刀光電右エ門

千葉県千葉市出身で友綱部屋所属の元大相撲力士、現在はプロレスラーで、リングネームは大刀光(たちひかり)。本名は河原 修(かわはら おさむ)。大相撲時代は身長195cm、体重148kg、プロレスラー時代は身長195cm、体重135kg。得意手は右四つ、上手投げ、波離間投げ。最高位は西前頭15枚目(1993年7月場所)。

来歴

東京・安田学園高校では寺尾の1年後輩で相撲を取っていたが、寺尾が2年生の時に中退したこともあり自身も1年で中退した。食肉会社で働いていたときに大相撲を勧められて、1982年1月場所で初土俵を踏む。師匠から期待されて、大正時代に友綱部屋から初土俵を踏んだ大関力士である「太刀光」の四股名を与えられた(のちに大刀光と改名)。1988年7月場所で新十両に昇進し、十両で一進一退を続けたのち、1992年7月場所新入幕。長身を生かしての右からの上手投げに威力があり、大刀光スペシャルと称された。またいかつい容貌に長い揉み上げが特徴だった。しかし、立合いに厳しさがなく、また肩越しに上手をとって相手を振り回したり、土俵際のはりま投げなど逆襲に頼る相撲は幕内では通用せず、幕内在位は1場所で終わった。1994年1月場所限りで廃業した。

その後、WARにて、顔にペイントを施し『大和』と名乗り、相撲軍団のメンバーとして活動した後、正式にプロレス入りし、WARのみならず、大日本プロレス、SPWFプロレスなどのリングで闘った。さらに、恵まれた巨体に加えて大相撲出身特有の足腰の強さと突進力を武器に2000年のPRIDEグランプリ参戦を皮切りに、DEEPなど総合格闘技にもチャレンジしている。また一時期千葉市内でスナックを経営していた。

2008年3月場所より実子の河原正実が阿武松部屋から本名で相撲をとっている。

エピソード

  • 高校の1年先輩に寺尾がいる。高校時代によく稽古を付けてもらったが、新入幕の場所に寺尾と対戦し勝利を収め、「恩返し」を果たした。
  • 新十両の時、「目標とする力士は?」との質問に「陣岳関」と回答した。二人は体格は似ているものの相撲ぶりはあまり似ていなくて、回答の真意は謎である。このことがやくみつるの漫画のネタとなった。
  • 同じ角界出身の高木功(嵐)とは『チーム・コンボイ』の名でタッグを組んで試合をする機会が多かった。ほとんどの試合ではそれぞれ『嵐』『大刀光修』名義で試合をしたが、デスマッチをメインに行う団体(大日本プロレスなど)では本名の『高木功』『河原修』名義で試合を行った。






ホーク・ウォリアー/
ロード・ウォリアー・ホーク
Hawk Warrior/
Road Warrior Hawk

1957/9/12 - 2003/10/19

ホーク・ウォリアー

マイケル・ヘグストランドMichael James Hegstrand)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州ミネアポリス出身(ギミックの上ではイリノイ州シカゴ出身を自称していた)。

来歴

ミネソタ州ミネアポリスで育ち、スコット・ノートンはヘンリー高校の同窓生である。プロレスラーとなった後はロード・ウォリアー・アニマルと組んで、タッグチーム「ロード・ウォリアーズ」(WWF(現・WWE)ではリージョン・オブ・ドゥーム)を結成。彼らは、モホーク族のようなヘアースタイル(モヒカン刈り)、棘つきのショルダーパッドとフェイスペイントで現代風のならず者を演出した。インタビューにおいても、シカゴのワルを意識したマイクパフォーマンスを行っている。

彼らの活動は大規模で、日米を股にかけて暴れ回り、全日本プロレスや全米のプロレス団体で数々のタッグタイトルを獲得した。 さらにホークは新日本プロレスで佐々木健介扮するパワー・ウォリアーと共に、タッグチーム「ヘルレイザーズ」を結成し、ここでも大活躍した。

2003年10月19日フロリダ州に構えていた自宅で心臓発作に見舞われ死去。彼はもともと心臓に不安を抱えており、あるいはプロレスラー時代に使用していたというステロイド剤や、その他薬物が彼の心臓発作の原因の一つではないかとも言われている。

2011年、アニマルとのロード・ウォリアーズとしてWWE殿堂に迎えられた。

獲得タイトル

WWE
  • WWF世界タッグ王座 : 2回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • WWE Hall of Fame : 2011年度(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
NWA
  • NWA世界タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • NWAナショナル・タッグ王座 : 3回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • NWA世界6人タッグ王座 : 3回(w / ロード・ウォリアー・アニマル&ダスティ・ローデス×2、ロード・ウォリアー・アニマル&天龍源一郎×1)
  • NWAクロケット・カップ・タッグトーナメント優勝:1986年(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • NWAアイアンチーム・トーナメント優勝:1989年(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
AWA
  • AWA世界タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
全日本プロレス
  • インターナショナル・タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
新日本プロレス
  • IWGPタッグ王座 : 2回(w / パワー・ウォリアー)
その他
  • CWA世界ヘビー級王座(欧州版) : 1回
  • i-ジェネレーション・タッグ王座 : 2回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • IPWハードコア・タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • PCW世界タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • MTWタッグ王座 : 1回(w / ボボ・ブラジル・ジュニア)
  • 中部大西洋タッグ王座 : 1回(w / ダグ・ギブソン)
  • MEWFタッグ王座 : 1回(w / アルティメット・コメット)













 ↑ トップへヤフーオークション
 


 Copyright(c) Mitsuishiya, Inc. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system