シャチ横内
1937/9/13 - 1982/12/15
愛知県名古屋市出身のプロレスラー。
本名は横内信一(よこうち しんいち)。リングネームは出身地・名古屋の名古屋城天守にある金の鯱が由来。
来歴
高校卒業後の1956年にブラジルへ移住し、起業するも失敗に終わる。その後アントニオ・ロッカに弟子入りしてプロレスラーとなり、南米を振り出しに欧州へ遠征。戦歴を重ね、1967年にアメリカ合衆国へ活動の場を移した。
1968/12/12にはテキサス州アマリロにて、ミスター・イトーこと上田馬之助との日本人コンビでザ・ファンクスからアマリロ版のNWA世界タッグ王座を奪取。その後、ダニー・ホッジが保持するNWA世界Jrヘビー級王座に挑戦し、王座を獲得するがクレームがつき、幻の王者となった。1969年にはドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座へ挑戦する等、アメリカマット界での実績を重ね、同年9月には国際プロレスへ参加。14年ぶりの帰国を果たしたが、日本側を裏切り外国人側に付いてファイトしたため、ファンから憎悪を買った。
当時、日本人選手のヒールは日本マット界では存在していなかったこともあり、国内における日本人ヒールの先駆けとなった(上田馬之助は横内を参考に後年、独自のヒール像を作り上げた)。
アメリカに戻ってからは国際プロレスで知り合ったヤス・フジイと組み、1973年にはスチュ・ハートの主宰するカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングにてワイルド・サモアンズとインターナショナル・タッグ王座を争っている。
また、ミスター・セキのマネージャーとしても活動した。引退後はフランスで日本人相手の旅行会社を経営していたが1982年12月15日に交通事故に遭い死去。45歳没
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