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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
9/20

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セクシー・スター
Sexy Star
1982/9/20

ドゥルセ・マリア・ガルシア・リーバスDulce Maria Garcia Rivas)は、メキシコ・ヌエボ・レオン州モンテレイ出身の女子プロレスラー。

経歴

プロレス入り前はボクシングやムエタイなどで活躍。

2006/8/29、FILLにおいてリングネーム「ドゥルセ・ポリー」でプロデビュー。FILLではHumberto Garza Jr.とのタッグでミックスタッグ王座、さらに12月にはFILL女子王座獲得。

2007年からはAAAに参戦。覆面レスラー「セクシー・スター」を名乗り、2009年にはレイナ・デ・レイナス王座を獲得するなど活躍を見せる。

2010年、「SEXY STAR JAPAN TOUR2010」と銘打ち、初来日が決定。11月27日のスーパーFMWを皮切りに、30日まで各団体に参戦する。

獲得タイトル

  • FILLミックスタッグ王座
  • FILL女子王座
  • AAAレイナ・デ・レイナス王座





工藤めぐみ
1969/9/20

1990年代に活躍した日本の女子プロレスラー。千葉県出身。愛称は「くどめ」「邪道姫」。
1990/3/10のFMW後楽園ホール大会で復帰

略歴

高校1年の1986年、全日本女子プロレスに入門。同期にアジャ・コング、バイソン木村、前田薫らがいる。当初は同期生の中で最も強かった。2年後に退団し、保育士の助手に転身したが、1990/3/10のFMW後楽園ホール大会に、全女時代同期だった豊田記代(後のコンバット豊田)・天田麗文と共に、乱入という形で参戦し現役復帰し、FMWの女子プロレスを活性化させる。

抜群のルックスを誇り、FMW参戦当初はヒールレスラーだったが、後にベビーフェィスに転向し、プロレス週刊誌において、男子レスラーを押しのけ、女子プロレスラーとして初の単独表紙を飾るなど、プロレス界随一のアイドルレスラーとして大仁田厚と共にトップに君臨。

1996/5/5にコンバット豊田とともに行ったデスマッチを皮切りに過激なプロレスの舞台に飛び込み、大仁田引退後はその代わりとなるように新生FMWの屋台骨を支え、『邪道姫』の通称で呼ばれた。

自身初の本格的なデスマッチとなった1996年のコンバットとの試合は、女性としては史上初の有刺鉄線デスマッチであっただけでなく、ロープの代用としての有刺鉄線を感電させたうえで、そこに爆薬を装着したもの―いわゆる『電流爆破デスマッチ』―であった。女性レスラーとしては前代未聞であったこの過激なデスマッチは、国外においても『史上初の女性によるハードコア・レスリング』として記録されることが多々ある。このことから、デスマッチ路線に突入したのはその経歴のごく晩期に過ぎないにもかかわらず、国外にあっては『デスマッチの工藤』や『ハードコアの工藤』、『ハードコアの女王』などとしてその名が現われやすい。

1997/4/29に横浜アリーナでのシャーク土屋との電流爆破マッチを最後に現役を引退。その年に発売されたプロレスのトレーディングカード「1997 SPARKLING FIGHTERS」に、150枚限定で工藤が実際に着用した水着を裁断し封入したカードが混入され話題を呼んだ。

1998年にBADBOY非道と結婚。現在は主婦業の傍ら、プロレス番組の解説や、女子格闘家のプロデュース及びタレントとして活動を行っている。

人物

  • 練習のスパーリングでは男子レスラーも圧殺する実力と強さを備えていたが試合では見せるプロレスに徹していた。
  • どんな重傷を負ってもドクターストップがかかっても試合を休まず危険なデスマッチを続ける根性と精神力と人間離れした打たれ強さから「不死身の女」の異名をとり選手を怖がらせた。
  • 全女「昭和61年組」の中で顔に似合わず一番気が強く倒れるまで練習する子だったと恩師ジャガー横田が語っている。
  • クールビューティーな美貌と性格から男子ファンだけでなく女性ファンも数多く小杉夕子など工藤の影響で女子プロレスラーになった。
  • 有刺鉄線デスマッチを行ったあたりからTBSとテレビ朝日が工藤を気に入り、サスペンスドラマやバラエティ番組によく顔を出すようになる。サンデージャングルでも特番としてとりあげられた。
  • 保育士であるため、リングから降りれば“優しいお姉さん”でもある。

入場テーマ曲

  • ワンウェイ・ハート

テレビ出演

  • 月曜ドラマスペシャル「女のサスペンス2・ブライダルコーディネーターの事件簿 疑惑の花嫁」(1997年6月9日、TBS)

工藤めぐみブログ 「くどめ日記

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アーン・アンダーソン
Arn Anderson
1958/9/20

アメリカ合衆国の元プロレスラー、現在はWWE・RAWのシニア・プロデューサー。ジョージア州ローム出身。本名はマーティー・ルンディMarty Lunde)。愛称は「AA(ダブルA)」、ニックネームはジ・エンフォーサー(殺し屋)。

いわゆる「仕事人」タイプの実力者であり、シングルプレイヤーでの活躍以上に、タッグチームやユニット「フォー・ホースメン」の一員としての実績で知られ、数々のタッグ王座を獲得している。リック・フレアーとは年齢は離れているものの親友の間柄であり、WCWやWWEではフレアーの右腕として活躍した。

来歴

1982年1月に本名のマーティー・ルンディ名義でデビューし、アラバマ地区のSECW(CCW)で活動。1983年よりジョージア地区のGCWに転戦し、ブッカーのオレイ・アンダーソンに誘われてアーン・アンダーソンに改名。1960年代から1970年代にかけて一世を風靡したアンダーソン兄弟(ジン、ラーズ、オレイ)の末弟となり、伝統のタッグ・ユニット「ミネソタ・レッキング・クルー」をオレイと共に再結成する。これは単純にアーンの風貌がオレイとよく似ていた、ということが理由だった。

その後、ジョージア地区がノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーションズ)と合併すると、1986年にリック・フレアーやタリー・ブランチャードらとのヒール軍団「フォー・ホースメン」を結成。同地区のタイトルを独占するなど、プロレス史に残る名ユニットの一員として活躍した。なお、フォー・ホースメンというユニット名はアーンが命名している。

1987年にオレイがホースメンを離脱し、レックス・ルガーが新しく加入、翌1988年からはルガーと入れ替わりにバリー・ウインダムがメンバーとなるが、同年10月にアーンはタリー・ブランチャードと共にWWFに移籍する(これに伴いホースメンは事実上解散)。WWFではボビー・ヒーナンをマネージャーに、ブランチャードとのタッグチーム「ブレーン・バスターズ」で活躍。1989年7月にはデモリッション(アックス&スマッシュ)を破り、WWF世界タッグ王座を獲得した。

1989年末、NWA(ジム・クロケット・プロモーションを買収したWCW)に復帰。翌1990年1月、グレート・ムタからNWA世界TV王座を奪取する。1991年9月にはラリー・ズビスコとの「ジ・エンフォーサーズ」でWCW世界タッグ王座を獲得した。以降はポール・E・デンジャラスリーのデンジャラス・アライアンスに加入。その後、WWFから復帰してきたフレアーとフォー・ホースメンを再結成し、1993年8月には新メンバーのポール・ローマとのコンビで世界タッグ王座に返り咲いた。しかし、アンダーソン事件(後述)による負傷のため、この新生ホースメンも解体を余儀なくされる。1994年の復帰後はテリー・ファンクや "スタニング" スティーブ・オースチンとも共闘するが、1997年に首の故障により引退。引退後はWCWのロード・エージェントを担当し、フレアー不在のフォー・ホースメンの指揮を執っていたこともある。WCWのバックステージでは、派閥争いの関係で冷遇されていた。

2001年のWCW崩壊後はWWFに迎えられ、引き続きロード・エージェントとして活動。現在でも、時折WWEの番組に出演することがある。

アンダーソン事件

1993/10/28、イギリス遠征中のホテル内でのラウンジでシッド・ビシャスと諍いを起こし(ビシャスの度重なる大言壮語をアンダーソンが戒めたことによる)、逆上したビシャスにハサミで胸部や腹部など10数箇所を刺される大怪我を負った。これを俗にアンダーソン事件Arn Anderson's stabbing incident)という。これはビシャスがステロイド剤の使用で情緒不安定になっており、自分の感情をコントロールできなかったことがわかっている。

獲得タイトル

SECW
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座:4回(w / ジェリー・スタッブス×3、パット・ローズ)
GCW
  • NWAナショナル・タッグ王座:1回(w / オレイ・アンダーソン)
ミッドアトランティック / WCW
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):2回(w / タリー・ブランチャード)
  • NWA TV王座:2回
  • WCW TV王座:2回
  • WCW世界タッグ王座:3回(w / ラリー・ズビスコ、ボビー・イートン、ポール・ローマ)
WWE
  • WWF世界タッグ王座:1回(w / タリー・ブランチャード)





矢口壹琅
9/20

日本のプロレスラー、ミュージシャン、俳優。東京都台東区浅草出身。ニックネームは「矢口様」「愛の宣教師」「史上最強のミュージシャン」など。最終学歴は、アメリカバークリー音楽大学ジャズ作曲科卒。

経歴

子供の頃から音楽と格闘技にしか興味がなかった矢口は、幼少期から家の近所の台東体育館(浅草のプロレスのメッカ)に通ってプロレスの醍醐味を味わう。プロレスラーの夢をかなえるため、学生時代は柔道の選手として活躍。その後、サンボ、合気道などの格闘技も修行。高校時代、腰痛(形態的先天異常 第1仙骨の腰椎化)によりプロレスへの夢を断念。残された音楽に夢を切り替え、それから格闘技は趣味と自ら決断しプロレスラーへの夢を一度断念する。

作曲法を学ぶため日本の大学を中退し、アメリカのボストンにあるバークリー音楽大学ジャズ作曲科に留学、同校を卒業後しばらくアメリカに住む。ジャズ作曲と共に、音楽療法を研究する。また、アメリカ在住時、格闘技のコーチや領事館での要人警護などをしていた。格闘技の練習に励むと同時に、当時はWWF(現WWE)ハルク・ホーガン全盛期で、毎月行われるWWFボストン定期戦を観るためにボストンガーデンのすぐ近くにアパートを借りていたという程の、生粋のアメリカンプロレス好きでもある。当時WWFの誘いを蹴り、マサチューセッツ州のインディペンデント団体に出ていたブルーザー・ブロディに影響を受け、インディーズのプロレスの面白さをアメリカで体感している。

矢口本人は、グリーンカードをとってアメリカに永住するつもりだったが、ある夏の日の不思議な夢により、日本へ帰国する。帰国後、アニマル浜口ジムで格闘技のための体力作りとして身体を鍛える。(こういった経緯から、アニマル浜口ジム出身であるが、プロレス道場出身ではない)その後、サンボワールドカップ出場第4位となり、プロレス界からスカウトが来る。スカウトが来たのはW☆INGであったが、道場で練習させてもらっていた義理からオリエンタルプロレスでデビューすることに。デビュー前にはW☆ING群馬道場や藤原組道場へも出稽古に行っていた。

その後、新格闘プロレスで青柳館長らとともにサンボを生かした格闘プロレスで活動。修斗の佐山聡やSAWの木村浩一郎らとも稽古した。東京プロレス、W☆ING、国際プロレスプロモーション、西日本プロレス、大日本プロレス、IWAジャパン、他多数のインディー団体に参戦。 新格闘プロレス所属時代には、天龍源一郎のWARに参戦。冬木弘道、邪道、外道らと闘い、仙台で行われたWAR認定世界6人タッグ王座決定トーナメントにも参戦している。阿修羅・原引退興行ではウルティモ・ドラゴンとも闘っている。また、横浜文化体育館で、師アニマル浜口とシングルマッチを行っている。ちなみに浜口ジム出身者で、浜口本人とシングルマッチを戦ったことがあるのは矢口と小原の二人である。デビュー時より仲が良かったビクター・キニョネスからWWFへの参戦を、ボストン出身のケビン・サリバンからはWCWへの参戦を勧められたが、やはり義理を重んじて、アマレスの大先輩である谷津嘉章のSPWF『Super Professional Wrestling Federation(スーパープロレスリング連盟)』へ参戦することを決めた。この頃、グレッグ・バレンタイン、クリス・アダムスらとも対戦している。

SPWFに参戦後から、突如変身する。顔面にペイントをし、髪を金髪ロン毛、十字架に有刺鉄線を巻き、神格闘十字軍の教祖様として大ヒール軍団を結成し、SPWFを暴れまわり、他のインディー団体へも布教活動をする。当時の矢口のシモベとしてタッグを組んでいたのは、ザ・マーダラー、ワンマン・ギャング、紫炎龍、エキサイティング吉田、ミサ岡田、ウンモ星人など。まったくサンボ技を使わず、巨体を生かした大技や凶器攻撃や反則攻撃ばかりのファイトスタイルに変わったのは、本人のアメリカンプロレス志向と、上田馬之助の影響があったという。またSPWF在籍時、タッグを結成し行動を共にしていたパートナーのワンマン・ギャングからWWF行きを誘われたが、その後ワンマン・ギャングの事情により話は流れている。この頃、グリズリー・スミスのテリトリーから多数の大型外人レスラーがSPWFに参戦、ジェイク "ザ・スネーク" ロバーツの実弟 "カウボーイ" サム・ヒューストン、アクション・ジャクソン、ロッド・プライス、ザ・セッドマンらとも闘っている。

谷津を執拗に追いかける矢口は、その後、谷津と再び闘いたくてWJプロレスへの参戦を決めた経緯がある。WJプロレス時代は、長州力、天龍源一郎、越中詩郎、佐々木健介、鈴木健想、大森隆男、安生洋二、橋本真也、大谷晋二郎、ビッグバン・ベイダー、ロード・ウォリアーズ、ザ・クラッシャーズ(トッド・シェーン、マイク・シェーン)らと闘っている。

1994年から冴夢来プロレスに参戦していたマスクマン忌神(イマジン)が矢口ではないかといわれる。剛竜馬、北尾光司、藤原喜明、高野拳磁、タイガー・ジェット・シンらと闘う。出場したFMW川崎球場大会では『イマジン』コールが起こる。また、当時闘っていたタイガー・ジェット・シンからWWFアジアの構想に参加要望があったが、その後構想自体が頓挫。

2000年から大阪プロレスに参戦していた怪獣キングマンドラが矢口ではないかといわれる。

神格闘十字軍〜愛の宣教師〜インディー活性化へ

SPWF『Super Professional Wrestling Federation(スーパープロレスリング連盟)』に入ると、怪覆面・ザ・マーダラーを引き連れ、神格闘十字軍を結成し谷津嘉章に敵対する。十字架に有刺鉄線を巻きつけACDCのHELLS BELLSで入場。軍団はだんだんとその勢力を拡大していき、やがて、他の主要なインディー団体へも次々に出場し布教活動を広げていった。その布教活動のテーマは、「プロレスは愛だ!」と「インディー活性化」。試合後に矢口は「1、2、3、愛、だぁぁぁ〜!!」と叫び右手で「Lの字」(LOVEのL、世界共通の手話)を高々と掲げ天に祈りをささげた。全国各地へ追っかける「信者」と呼ばれたファン達もいた。

電流爆破と大仁田厚

ターザン後藤とのタッグで電流爆破デスマッチを、大仁田以外で初めて行う。その時に負った200針を超える全身の傷は選手生命を縮めたが、矢口は、電流爆破デスマッチの世界最多出場記録保持者となり、未だに誰もこの記録は破られていない。

1998年にFMWを追放された大仁田から突如オファーがあり、それから大仁田興行に参戦。連日超満員の会場で大仁田の対戦相手としてファイト。電流爆破デスマッチや、ルーサー、ハニバルとの怪奇派タッグや天龍とのデスマッチなど破天荒な試合で会場を沸かした。

また、2001年には戦時中のアフガニスタンに救援物資をとどけ、以後3度アフガニスタンの地を訪問。翌年にアフガニスタン首都カブールで『平和のためのプロレス大会』を主宰し大仁田と二人だけで3試合シングルマッチで闘う。2005年には、後楽園ホールで行われた大仁田厚プロレス卒業試合で、大仁田のパートナーとして選ばれ、天龍源一郎&越中詩郎と「ノーロープ有刺鉄線ストリートファイトトルネード・バリケードマット・ダブルヘル・デスマッチ」で対戦した。

その後、復帰した大仁田と2007/4/29、夕張市でチャリティー興行に参戦し、メインの有刺鉄線デスマッチで別レフェリーに迎えた衆議院議員の鈴木宗男にファイヤー攻撃を仕掛けようとしたりと、破天荒な試合を繰り広げた。大仁田とはライバルの様な兄弟の様な不思議な関係が今も成り立っている。

長州力インディー批判事件へのリベンジ

1995年に旗揚げした大日本プロレスにSPWF所属として谷津と出場、以後参戦し続けていたが、1996年に行われたプロレスオールスター戦での長州のインディー批判に対し、当時誰一人発言するものはいなかった時に、後楽園ホールのファンの前で矢口がただひとり長州に喧嘩を売った。「ふざけんな!長州力!プロレスにはインディーもメジャーもねぇんだ!」とマイクで叫ぶや後楽園ホールの観客が大歓声となり後押しした。何も決められてはいない、むしろフライングとして出た矢口自身の心の叫びだった、がしかし、それがきっかけとなり新日本プロレスと大日本プロレスとの東京ドーム決戦へと進むきっかけとなったのだが、東京ドームへ出場するにあたり、大日本プロレス側から所属選手になるよう求められる。しかし、谷津とSPWF選手を裏切るわけにはいかず、矢口は様々な大人の事情により、大日本プロレスを去る(もしこの時、矢口が大日本プロレス所属となっていれば、東京ドームでひょっとしたら長州と闘う予定だったとかという噂がある)。その後はSPWFで、よりインディー色を極めるため、神格闘十字軍ムーヴメントを起こすことになる。

それからしばらくたって、大仁田厚と闘っていた矢口は2003年に旗揚げされたWJプロレスのマットに登場。初戦は越中詩郎と有刺鉄線バリケードマットで対戦。WJ参加第2戦目となった、群馬大田大会で因縁の長州と闘うことになる。そして、この日計3度のリキラリアットに沈む。その後も幾度となく対戦し、後楽園ホールでの試合(矢口壹琅&安生洋二対長州力&天龍源一郎)では矢口の椅子攻撃で長州を本気でキレさせた。しかし、今までインディー批判をしていた長州にとって初めてのインディー選手との対戦相手となった矢口の闘いぶりに(大仁田は超メジャー選手)長州の心が動き、後に「もうメジャーとかインディーとかは関係ない。プロレスラーとして良いか悪いかだけだ。」と発言させた。結果、メジャーとインディーの壁を取り払い、矢口は7年越しのリベンジを自身の体とプロレスで果たした結果となる。

獲得タイトル

  • 世界ボブワイヤーストリートファイト王座
  • レッスルブレインカップ王座

入場曲

  • HELLS BELLS / AC/DC

音楽活動

  • バークリー音楽大学ジャズ作曲科卒業
  • ソニー・プレイステーションゲーム音楽作曲
  • 学校法人東放学園専門学校東放ミュージックカレッジ音楽理論講師
  • プライエイド・レコーズ(ユニバーサルミュージック傘下のポリスターの子会社)よりCDメジャーデビューしている。
  • フジロックフェスティバルに2年連続出場している。
  • 現在、横浜市でブルースを演奏している。

李世福(松田優作作詞「灰色の街」の作曲者でありチャイニーズロックの第一人者)、エディ藩(ザ・ゴールデン・カップスのギタリストで「横浜ホンキートンクブルース」の作曲者である横浜を代表するブルースメン)、中村裕介(「横浜市歌ブルースバージョン」の作曲者であり横浜を代表するブルースギタリスト&歌手)、内海利勝(元キャロルのギタリスト)、ジョニー大倉(元キャロルのボーカル&ギタリスト)、和田静男(元ダウン・タウン・ブギウギバンドのギタリスト)、新井武士(元ダウン・タウン・ブギウギバンドのベーシスト)、ジョニー吉長(ジョニー・ルイス&チャーなどで活躍のドラマー)、クールス、花岡献治(憂歌団のベーシストであり作曲家)、近藤房之助、KOTEZ(日本を代表するブルースハープの第一人者)、小川浩史(CREATIONのベース)、相良宗男、川勝陽一、市川ジェームス洋二、ダイヤモンド☆ユカイ、野島健太郎ら、日本を代表するブルース&ロックミュージシャン達と次々に共演している。

  • ハヤブサ、リッキー・フジ、コマンド・ボリショイ、らと『シンガーソングレスラーズ』としてライブで共演している。
  • ハワイアンオールスターズで2度東京ディズニーランド、東京ディズニーシーでライブを行っている。

俳優活動

映画

  • 孕み〜白い恐怖(アトラス)(監督:田尻裕司、主役:前田亜季)にて準主役で映画デビュー。

[出演者] 前田亜季/矢口壹琅/高瀬アラタ/中山玲/磯貝誠/はやしだみき/今井悠貴/絵沢萠子 [監督] 田尻裕司 [プロデューサー] 生駒隆始 [脚本] 佐藤有記 [撮影監督] 飯岡聖英 [音楽] 奥慶一

舞台

舞台

  • 仁義なき戦い

Zepp Tokyo

  • メリッサのゆりかご ジルの監獄

豊島区立舞台芸術交流センター 池袋あうるすぽっと メガバックスコレクションミュージカル ○作・演出 滝 一也 ミシュラン役: 矢口壹琅

テレビ番組

  • 筋肉番付
  • リングの魂
  • サムライTV - 矢口壹琅特集。
  • 奇跡体験!アンビリバボー - 2回特集で出演。

CM

  • 明星食品一平ちゃん
  • トヨタ自動車キャンペーンCM

  • 『不器用な王者たち』

李春成/[著] 頑固、偏屈、愚直、一匹狼…個性派アスリート達を追った骨太ノンフィクション 矢口壹琅、永田裕志、村浜武洋、菊田早苗、小倉隆史、増岡浩、市川哲也、久保竜彦、新田佳弘、岩本輝雄、奥野僚右、岩渕健輔、加藤大治郎 出版社:ぴあ

  • 『トンパチ』

大槻ケンヂ&紙のプロレス監修。トンパチなプロレスラーへのインタビュー本。 矢口壹琅、ザ・グレート・サスケ、松永光弘、邪道・外道、折原昌夫、ジョージ高野、将軍KYワカマツ、セッド・ジニアス、ターザン山本、レッドマン。 インタビュアーは、大槻ケンヂ、浅草キッド。 出版社:芸文社

  • 『孕み〜白い恐怖』

(角川ホラー文庫) (文庫) 佐藤 有記 (著) 出版社: 角川書店(2006年1月)





  

















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