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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
9/25

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メンタロ
Mentallo
1979/9/25

覆面レスラー。

来歴

  • 1997年にレスラーデビューを果たす。
  • 2002年3月、カナダの団体PCWを主戦場に移し、ケニー・オメガとの勝負が話題となる。

その後、PCWヘビー級王座、PCWタッグ王座、PCWジュニアヘビー級王座、GDW王座など、数々のタイトルを獲得する。

  • 長年に渡り所属していたPCWを離れる、各団体に参戦。ブライアン・ダニエルソンからも勝利する。
  • 2010年3月、「SMASH」に参戦。ワールドトライアウトマッチにてTAJIRIと対戦。

好ファイトが評価されトライアウトに合格。

現在、SMASHにレギュラー参戦中。

獲得タイトル

  • PCWヘビー級王座
  • PCWタッグ王座
  • PCWジュニアヘビー級王座
  • GDW王座





青木篤志
1977/9/25

元自衛官。東京都大田区出身。

来歴

自衛隊でレスリングの選手として活躍した後、ノアに入門。秋山準の付き人となった。

2005/12/24に行われた年末興行でデビュー。当時同じく新人だった太田圭則(太田一平(引退))と組み、三沢光晴&田上明組と対戦した。

2006年、スターネスに加入。

2007/12/23の「SEMful Gift in Differ '07」での秋山準との対戦を皮切りに、「青木篤志“閃光十番勝負”」が組まれる。その後、デイビー・リチャーズに勝利するも、KENTA、ブライアン・ダニエルソン、小川良成、カズ・ハヤシ、金丸義信、獣神サンダー・ライガー、丸藤正道、2010/2/28の鈴木みのるの順に敗れ、1勝9敗で終了した。

2009年新日本プロレス「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」に出場。初戦でタイガーマスクに敗れたものの決勝トーナメント出場を果たした。

2010/5/23、新潟市体育館で行われたAAA世界タッグ選手権で王者組の森嶋猛・石森太二に潮﨑豪とのタッグで勝利し、AAA世界タッグ王座(第6代)を獲得した。同年6/6、メキシコシティで行われたトリプレマニア18にて、AAA世界タッグ選手権(4WAY MATCH)に敗れ、王座から陥落した。

2010/7/11、新日本プロレスの後楽園大会において、プリンス・デヴィットが君臨するIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦するも、ブラディサンデーで敗れた。

2010年10月、第4回日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦にKENTAとタッグを組んで出場し、殆どの試合を自らがフォールを決めるなどしてKENTA以上の活躍をして優勝。

2010/11/23、後楽園大会において金本浩二&タイガーマスク組が持つGHCジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦するも敗退。2010/12/24、ディファ有明大会にて、パートナーを丸藤正道にして再度挑戦し、みごと金本浩二からアサルトポイントで勝利。初のGHCタイトルを戴冠した。

人物

  • 2007年の白GHCタッグトーナメントからは、リングコスチュームを青色のショートパンツから水色のロングタイツに変更。理由は、好きなプロレスラーがダイナマイト・キッドであったために彼と似たデザインとした。
  • レスリングのバックボーンからか非常に飲み込みが早く、自らの師匠である秋山準にも「青木はアドバイスしたら次の試合ではもう出来ているから凄い」と絶賛されている。
  • コスチュームは青色の物を使っていたが、これについては本人曰く「(レスリングでは)チャンピオンはいつも赤タイツ、だからいつでも挑戦者の気持ち、常にチャレンジ精神を持っていたい自分は青色である」とのこと。また、2008年の汐留街頭プロレスではゲスト解説のアナウンサーに地デジカラーと称された。現在は黒地に白いラインのショートタイツを使用している。
  • プライベートでは、秋山や橋、金丸等と行動を共にすることが多く、そのため秋山のブログ内で、橋と共によくネタにされている。
  • そのブログ内では、橋の天然な行動を後ろから眺めて笑っていることが多い。
  • マシン軍団のメンバーである、ストロング・マシン・ジュニアの正体と言われているが詳細は不明。
  • AKB48の柏木由紀推しとしても知られ、高木三四郎がプロデュースする「国民的プロレスグループ」のTKG48にも加入している。

タイトル歴

  • GHCジュニアヘビー級タッグ王座 第13代(パートナー:丸藤正道)
  • 日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦 優勝(2010年) (パートナー:KENTA)

AAA

  • AAA世界タッグ王座 - 第6代(パートナー:潮﨑豪)

入場テーマ曲

  • ホテル・カリフォルニア / TOO CLOSE TO SEE
  • My First Kiss / Hi-STANDARD

 
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アジャ・コング
1970/9/25

プロレスラー・タレント。本名は宍戸 江利花(ししど えりか)。東京都立川市出身。プロレスラーとしてはOZアカデミーに、芸能人としてはWAHAHA本舗に所属。リングネームはアジアのコングから。

来歴

幼少期

米軍立川基地に勤務していたアフリカ系アメリカ人の父ヘンリー・マニゴールドと事実婚関係にあった日本人の母との間にハーフとして出生。「江利花」という名前は父親がエリカ属の花から命名した。しかし幼少時に父の突然の本国召還のため離別を余儀なくされ、母子家庭に育ち(母は父との関係から親戚全てから絶縁されていた)、中学卒業まで深刻なイジメに悩み続けていたという。

全日本女子プロレス時代

中卒後、全日本女子プロレス(以下「全女」と表記)入門。1986/9/25、秋田県男鹿市体育館の対豊田記代戦でデビュー。当時ジャパン女子プロレスでプロデビューした1期生が丁度同期であることから、対抗戦ブームの頃には同期対決で活躍した。入門時に母が肝臓癌で死去する事態に見舞われたが、その悲しみをバネに奮起することになった。

当初はブル中野率いるヒール軍団獄門党の一員だったが、長与千種に憧れ、ベビーフェイス志向だった本人にとっては不本意であった。長与とは試合をしたくないという思いで悩み、ダンプ松本と話し合っていたとき、通りかかった長与がアジャへサングラスを渡して「このサングラスが似合う悪党になれ。」と励ました事で踏ん切りがつき、悪役レスラーの道を突き進んだ。

男子中心に興行を行っていたユニバーサル・プロレスリングに全女の選手が出場し、そのセコンドとしてリング下にいた際、フェイスペイントやモヒカン刈りと巨体により観客から注目され、その後選手としても参戦した。この試合が好評を得て男子プロレスファンを全女リングに呼び込むことに成功し、飛躍のきっかけを掴んだ。試合内容で高い評価を受けたことで男性ファン層を拡大し、単純な勧善懲悪アングルが常だった女子プロレスに変革をもたらした。メドゥーサとの一連の抗争を経て、1990年代にはブル中野に反旗を翻して同期のバイソン木村と共に獄門党を離脱しジャングル・ジャックを結成(後に高橋美華、神谷美織も加入)。中野ら獄門党との抗争を繰り広げ、団体対抗戦突入以前の全女を盛り上げた。特に中野との抗争は、金網デスマッチでは金網最上段からのギロチンドロップを受けたり(それまで男子も含め日本の試合で金網最上段からの攻撃を見せた者はいなかった)、タッグマッチでは盲腸の手術1週間後に強行出場し試合中に傷口が開いて大流血するなど苛烈を極めた。

団体対抗戦に入ってからは、WWWA世界シングル王座を巡ってのダイナマイト・関西(JWP)とのヘビー級対決や、新人時代に苦手としていた工藤めぐみ(FMW)と対戦した。

フリー時代

1997年に全女を退団し、小川宏(元全女企画広報部長)とアルシオンを設立する(ファイティングプロデューサーの肩書きを持っていたが、所属選手ではなくフリーランスとして参加していた)が、のち小川と対立し退団。GAEA JAPANに戦いの場所を移す。2000年代はハッスル等の男子プロレスにも活動領域を広げている。尚ハッスルではリングネームを本名から取ったEricaとしており(アジャ本人はEricaは友人と主張)、「Erika乙女軍団」を率いて「高田アマゾネス軍」との抗争を繰り広げた。2006年に入り、更なる飛躍を目指して男子との対戦を開始し、全米No.1タッグチームともいわれるチーム3Dとの対戦を実現させた。

レイザーラモンHGこと住谷正樹のことが好きで、2005年9月のテレビ番組にて愛の告白をしたこともある。HGからは「友達から始めましょう」と言う返事をもらい、交友関係が生まれている。その後、HGもハッスルに参戦したが、試合での接点は無かった。

OZアカデミー時代

2006/10/23にOZアカデミー参戦を発表、チャンピオンベルトコレクターとして同団体の初代女王を目指すためと公言。後に尾崎魔弓の策略にはめられてOZ入りしたと発言。

2007/3/10の新宿FACEにおける第25回OZアカデミー興行「女王誕生」におけるOZアカデミー認定無差別級初代王者決定トーナメント決勝戦で、永島千佳世を破って宣言どおりに初代女王となった。

2007年12月25日のハッスルでの試合では、めちゃ×2イケてるッ!のコーナーフジTV警察24時(2007昼の部)でもやった沢尻エリカネタを披露、「特にありません」「別に」という映画館での態度を真似し、金村キンタローに「ネタが古いねん」と突っ込まれた。

2008年1月、カルロス天野に王座を奪われると、松本浩代・AKINO・輝優優(後に中川ともかが加入)をメンバーに迎え、尾崎軍に続く派閥を結成。後にチーム名を「ジャングル・ジャック21」と命名。2009年1月には、松本浩代と共にOZアカデミー認定タッグ王座を獲得した。

2011年現在、プロレスラーとしてはOZアカデミーの他、プロレスリングWAVEやJWP、センダイガールズにも参戦している。特にセンダイガールズでは、代表者・里村明衣子の最大の敵として、旗揚げ戦や眼窩底骨折からの復帰戦など、節目の試合などでシングル戦の相手を務める事が多い他、里村の良き理解者として里村が主催するトークショーにも出席したりする。

俳優・タレントとしての活動

1994年から1997年にかけて、キリンビバレッジ社の清涼飲料水「きりり」のCMで瀬戸朝香と共演し、これがきっかけで瀬戸が所属していた芸能事務所フォスターに全女退団時より所属し、テレビ番組にも出演するようになった。一斗缶や裏拳でお笑い芸人を殴るスタイルは有名となり、芸能人としても全国区の知名度になった。レギュラー化される前のクイズ!ヘキサゴンでは決勝まで残った。

2007年10月27日公開の映画「自虐の詩」に主人公の親友「熊本さん」役で出演した。

2010年6月末には、芸能活動の所属を同年7/1よりWAHAHA本舗に移すことを発表した。移籍理由は「[居心地が良すぎると、居心地が悪くなる]という、私のおかしな性質がムクムクと頭をもたげてきてしまいまして」と自身のブログで説明している。WAHAHA本舗では劇団本公演への出演はもちろんのこと、猫ひろしとのユニット結成などを計画していることを明らかにしている。同年8月、老人介護の闇を暴く映画「老獄/OLD PRISON」(辻岡正人監督)で、主演の看護婦役に抜擢された。。

入場テーマ曲

  • THE HELLION〜ELECTRIC EYE (JUDAS PRIEST)

タイトル歴

  • 全日本女子プロレス
    • WWWA世界シングル王座
    • オールパシフィック王座
    • 全日本選手権
    • 第8回(1992年)・第12回(1996年)ジャパン・グランプリ優勝
    • WWWA世界タッグ王座
    • 全日本タッグ
    • 第7回(1992年)タッグリーグ・ザ・ベスト優勝
  • アルシオン
    • クイーン・オブ・アルシオン
    • ツインスター・オブ・アルシオン
  • GAEA JAPAN
    • AAAWシングル
    • AAAWタッグ
  • ハッスル
    • ハッスル・スーパータッグ
  • OZアカデミー
    • 初代・第5代OZアカデミー認定無差別級王座
    • 第3代OZアカデミー認定タッグ王座

出演

  • 女子刑務所東三号棟 第1話(1998年6月29日、TBS) - (「宍戸江利花」名義でクレジット)
  • 月曜ドラマスペシャル「目撃者-女探偵vs嘘つき少年」(1999年4月4日、TBS) - (「宍戸江利花」名義でクレジット) - アイ 役
  • 花とアリス(2004年3月13日公開、東宝) - 「サルとルー」面接参加者 役
  • DRAMA COMPLEX 輝く女シリーズ 第3弾「プリズン・ガール」(2006年4月18日、日本テレビ) - マリ 役
  • 自虐の詩(2007年10月27日公開、松竹) - 熊本さん 役
  • ハンチョウ〜神南署安積班〜シリーズ4 〜正義の代償〜 第8話(2011年5月30日、TBS) - 郁恵 役
  • 老獄/OLD PRISON(2011年公開予定) - (主演)
  • AKBINGO!(2011年7月20日、日本テレビ) - 「ムチャぶりドッジボール」企画のプロレス技のプレゼンター、「エリカ様」として出演。

aja-kong オフィシャルブログ ジャングルクルーズ





ジャンボ堀
1962/9/25

本名は堀 あゆみ(ほり あゆみ)。身長180cm、体重80kg、血液型A型。東京都武蔵村山市出身。日本の女子プロレス史上最長身の体格を誇った。

経歴・戦歴

1978/12/2、茨城・常陸太田市民体育館において、対平田二三代戦でデビュー。入門後すぐ足首を複雑骨折したため、デビューは同期にくらべ大幅に遅れた。同期には、デビル雅美がいる。

1979年 一年後輩の新人に混ざって新人王決定トーナメントに参加、優勝。

1980年 ピーター・フォーク主演のアメリカ映画「カリフォルニア・ドールズ」にミミ萩原と共に出演。

1980年12月、当時破竹の上昇気流に乗る横田利美と組んでWWWA世界タッグ王座を獲得するが、シングル指向の横田の意向もあり、すぐに返上。

1981年2月、横浜文化体育館でナンシー久美と組んでWWWA世界タッグ王座を再び獲得。2度の防衛後、11月に沖縄・奥武山体育館でミミ・大森ゆかり組に王座を明け渡す。

1982年1月、千葉公園体育館で空位のオールパシフィック王座をワイルド香月と争い、勝利。第7代王者となる。2度の防衛後王座を返上し、ミミとのコンビでWWWA世界タッグ王座に挑戦するが、当時の王者チーム、デビル雅美・タランチェラ組の牙城を崩せず。

1983年〜1984年 新たに大森とタッグチーム「ダイナマイト・ギャルズ」を結成し、デビル・タランチェラ組の保持するWWWA世界タッグ王座に挑戦。王者組の反則暴走がエスカレートし、ベルトは協会預かりに。同メンバーで、異例の3番勝負による決着が宣言される。大阪・川崎と会場を移しながら1-1のイーブンで迎えた6/14・札幌の決戦も、引き分け裁定。急遽3日後の6月17日・旭川で4戦目が行われたが、タランチェラの両膝負傷による不本意なTKO勝ちで新王者に。

8月後楽園ホールで突然ブレイクしたライオネス飛鳥、長与千種の「クラッシュ・ギャルズ」の挑戦を受け勝利するも、少女ファンのブーイングを浴びる。強力なライバル出現で、闘いのモチベーションは急上昇。1984年1月にクラッシュの再挑戦、6月にダンプ松本・クレーン・ユウ組の挑戦を退け、最強王者ぶりをいかんなく発揮。8月に後楽園ホールでクラッシュに敗れるまで、7度の王座防衛に成功した。

1984年 ミミ萩原に次ぎヌード写真集「チャンピオン・ハイウェイ」を出版。撮影はマイク岡田。

1985年 持病の腰痛が悪化し、リング上で精彩を欠くようになる。8月、夢だった日本武道館大会では新人選手に混ざり、第一試合に出場。その後元力士との結婚を理由に引退を発表し、12月大田区体育館で引退試合&セレモニーを行う。

1998/8/14に川崎市体育館で行われたOGマッチ「メモリアル・オールスター戦〜あの時、君は強かった!!」にダンプ、大森と共に発起人として参加。

2005年8月、後楽園ホールで行われたLLPWの「立野記代25周年記念バトルロイヤル」にOGとして参加し、大森と合体攻撃を見せた。

その後、フリーとして現役復帰。LLPWなどで不定期に試合を行っている。2007年には孫が誕生し、日本人初のおばあちゃんレスラーになっている。

タイトル歴

  • WWWA世界タッグ王座
  • オールパシフィック王座
  • 昭和54年度新人王

入場テーマ曲






ジム・ガービン
Jim Garvin
1952/9/25

本名はジェームズ・ウィリアムスJames Williams )。フロリダ州タンパ出身。

1980年代を全盛期に、主にヒールのポジションでNWAの南部テリトリーを中心に活動した。

来歴

9歳の頃にレスリングを始め、1968年に17歳でデビュー。当初はボウ・ジェームズBeau James)なるリングネームを用いたが、マネージャーを務めていたテリー・ガービンおよびロン・ガービンの「弟」としてジム・ガービンJim Garvin)と改名。以降、モントリオール、テネシー、地元のフロリダなど各地を転戦してキャリアを積む。

エディ・グラハムの主宰するフロリダのCWFでは1970年代後半よりベビーフェイスの新鋭として頭角を現し、ジャック・ブリスコやスティーブ・カーンのパートナーを務め、ディック・スレーター、ボブ・ループ、スコット・アーウィン、バグジー・マグローなどのヒール勢とタイトルを争った。

1980年10月、フロリダとの提携ルートを持っていた新日本プロレスの『闘魂シリーズ』に初来日したが、同シリーズには当時「まだ見ぬ強豪」として話題を集めていたポール・オーンドーフも初来日しており、ハルク・ホーガンの2度目の来日とも重なって、ガービンが注目されることはなかった。帰国後はオーンドーフが主戦場としていたビル・ワットのMSWAに参戦し、1981年3月にアーニー・ラッドを破りルイジアナ・ヘビー級王座を獲得。1982年からは古巣のフロリダでヒールに転向し、バリー・ウインダムやミスター・レスリング2号と抗争した。

ヒールターン後の1983年、"ゴージャス" ジミー・ガービン"Gorgeous" Jimmy Garvin)と名乗ってテキサス州ダラスのWCCWに登場。従妹のサンシャインSunshine)ことバレリー・フレンチを女性マネージャーとして帯同し、7月にデビッド・フォン・エリックからNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取した。抗争相手のクリス・アダムスにサンシャインを奪われると、今度は妻のパティ・ウィリアムスをプレシャスPrecious)と名乗らせて新しいマネージャーに起用、アダムス&サンシャイン対ガービン&プレシャスのミックスド・タッグマッチも行われた。

1984年8月には、プレシャスを同伴して全日本プロレスの『スーパー・パワー・シリーズ』に来日。当時まだ日本では女性マネージャーの存在が珍しかったこともあって、新日本での初来日時とは比較にならないほどの注目を浴び、天龍源一郎のUNヘビー級王座にも挑戦した。

1985年からはバーン・ガニアのAWAに進出、ミスター・エレクトリシティことスティーブ・リーガル(ロード・スティーブン・リーガルとは別人)とタッグチームを組み、9/29にミネソタ州セントポールにてロード・ウォリアーズからAWA世界タッグ王座を奪取。翌1986年1月にスコット・ホール&カート・ヘニングに敗れるまで保持した。

王座陥落後はジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区(JCP)に参戦、ワフー・マクダニエルとの抗争を経て、1987年よりベビーフェイスに転向。プレシャスを巡るリック・フレアーとのアングルも組まれ、4月から7月にかけてフレアーのNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した。ロン・ガービンとのガービン・ブラザーズThe Garvin Brothers)も復活させ、1988年はバーシティ・クラブと抗争を展開するが、9月に足を負傷してしばらく欠場することになる。

1989年、ジミー "ジャム" ガービンJimmy "Jam" Garvin)と名乗り、WCCW時代の旧友マイケル・ヘイズが再編したファビュラス・フリーバーズの新メンバーとして、JCPを買収したテッド・ターナーのWCWにて復帰。6/14にはトーナメントの決勝でボビー・イートンとスタン・レーンのミッドナイト・エクスプレスを下してNWA世界タッグ王座を獲得した。以降もロックンロール・エクスプレスやリック&スコットのスタイナー・ブラザーズなどと抗争、1991/2/24には黒人タッグチームのドゥーム(ロン・シモンズ&ブッチ・リード)を破り、WCW世界タッグ王座にも戴冠している。

1993年にWCWを離れ、古巣WCCWの後継団体でもあるダラスのGWFに参戦。テリー・ゴディとフリーバーズを再結成し、1994年6月にブラック・バート&ジョニー・ホークからGWFタッグ王座を奪取した。引退後はUSエアウェイズのパイロットとなって活躍している。

獲得タイトル

CWA
  • AWA南部タッグ王座:1回(w / ボブ・エリス)
CWF
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:2回
  • NWAフロリダ・タッグ王座:2回(w / スティーブ・カーン、ジャック・ブリスコ)
  • NWA USタッグ王座(フロリダ版):2回(w / キラー・カール・コックス)
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):2回
  • NWAフロリダ・グローバル・タッグ王座:1回(ビッグ・ジョン・スタッド)
NWAトライステート / MSWA
  • NWA USタッグ王座(トライステート版):1回(w / ハーブ・カルバート)
  • ミッドサウス・ルイジアナ・ヘビー級王座:1回
WCCW
  • NWAアメリカン・ヘビー級王座:4回
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
  • WCCWテレビジョン王座:1回
AWA
  • AWA世界タッグ王座:1回(w / スティーブ・リーガル)
JCP / WCW
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / マイケル・ヘイズ)
  • WCW USタッグ王座:2回(w / マイケル・ヘイズ)
  • WCW世界タッグ王座:1回(w / マイケル・ヘイズ)
  • WCW世界6人タッグ王座:1回(w / マイケル・ヘイズ&バッドストリート)
GWF
  • GWFタッグ王座:1回(w / テリー・ゴディ)

  

















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