丸藤正道
1979/9/26
埼玉県北足立郡吹上町(現・鴻巣市)出身。血液型O型。プロレスリング・ノア所属。取締役副社長。
概要
ジュニアヘビー級らしい軽い身のこなしが特徴で、トップロープやコーナーポスト、エプロンサイドなどリング全体を活かした技を得意としている。ただし、アマチュア時代はレスリングの経験に加えタイガージムに所属していたこともあり、関節技やグラウンドの技術についても高いものを持っている。
プロレスラーとしての技術に対する評価は高く、他の多くのレスラーや関係者から賞賛されることが多い。「ジュニアヘビー級だけでなく、日本のプロレス界を牽引する一人」「百年に一人の天才」「馬場、三沢のDNAを持つ男」とも呼ばれる。現在、ノアが管理するベルトの全てを獲得しているのは他団体を含め丸藤のみである。また、過去に高山善廣がプライドへ参戦する際には、高山からの要請によりスパーリングパートナーを務めている。
女性からの人気も高く、同じく二枚目のKENTAとのタッグチームは「イケメンタッグ」などと呼ばれることもあった。なお2005年10月に年下の女性と結婚している。
実兄の一人にアニメーターの丸藤広貴がいる。
来歴
入門前〜デビュー〜全日本時代
埼玉栄高校に入学し、レスリング部で活躍、インターハイ出場経験もある(一学年上には柔道部所属の土方隆司がいた)。ちなみに、この埼玉栄時代の卒業前には、ロンドンブーツ1号2号の番組に「全日本プロレス入団内定」という触れ込みで、名前を明かさなかった上、少しではあるが出演を果たしている。また、高校時代には大宮のスーパータイガージム(当時は朝日昇、エンセン井上が在籍)に通っていたことを自ら明かしている。高校2年生時、キングダムの入門テストに合格しているが、キングダム崩壊により、入団は果たされなかった。
卒業後、全日本プロレスに入門。1998/8/28、愛知県・岡崎市体育館の金丸義信戦でプロレスラーとしてデビューを果たした。丸藤がジャイアント馬場存命中最後のデビューとなったため、当時は「馬場の最後の弟子」とも呼ばれ、テレビで特集を組まれたこともあった。馬場の肩の上からミサイルキックを繰り出したこともある。
三沢光晴の付き人を務め、見習い扱いでアンタッチャブルに所属。
ノアへの移籍〜GHCジュニアヘビー級王者時代
2000年7月、三沢光晴を中心とした新設されたばかりのプロレスリング・ノアに移籍する。師匠・三沢光晴がリーダーを務めるユニット「WAVE」の一員として参加。
2001/12/19の有明コロシアム大会で、当時ZERO-ONE所属の高岩竜一を破り22歳で他団体に流出していたGHCジュニアヘビー級王座を奪還した。
2002/1/20、視察のために新日本の獣神サンダー・ライガーと田中稔がやって来ていたが、丸藤が自身の試合後にマイクを取り「ノアのジュニアは最強です」と挑発したことでライガーがブチ切れ、新日本との対抗戦に発展する。しかし、3月に左膝靭帯を損傷し、まともに歩けない状態でありながら4/7に橋誠との2度目の防衛戦に臨んだことから更に膝の状態が悪化、レフェリーストップで敗れることとなった。
三沢からの独立〜イケメンタッグ
復帰直後の2003年1月に、三沢とのシングルを経験する。結果は敗北。これを期に丸藤はWAVEを脱退し、三沢の付き人も同時に卒業する。その直後から「下克上」を旗印に、同じく若手のWILD
II(森嶋猛&力皇猛)やKENTAと共闘を始め「ジュニアの体のままヘビーに挑戦」と目標を定める。この一環で2003/4/5には秋山準&齋藤彰俊組が保持するGHCタッグ王座にも森嶋と共に挑戦を果たした。
同年7月には、KENTAとのタッグで初代GHCジュニアヘビー級タッグ王座決定トーナメントに参加する。順調に勝ち進み7月16日に行われた決勝戦で、因縁の相手であるライガー&村浜武洋組を破り初代GHCジュニアヘビー級タッグ王座に君臨した。その後、KENTAとのタッグは連戦連勝を重ね、ノアのジュニア戦線はヘビー級を上回る人気を獲得するようになる。
各王座戦線の最前線へ
2004/9/10、パンクラスの鈴木みのると対戦。試合には敗れたが、鈴木は丸藤を大きく評価、その後意気投合しタッグを結成した。そして、2004/10/16には、秋山準が創設した白GHCことグローバル・ハードコア・クラウンのタイトルにも挑戦する。王者・秋山とは体格差のハンデがあったものの、リングアウト勝ちを収め、第2代王者となった。
これと同時に進行していたKENTAとのタッグでは、防衛回数を積み重ね「ジュニア版絶対王者」とまで称された。計9回の防衛に成功し、2005/5/7・5/8に行われたジュニアの祭典第二回ディファカップでも決勝の日高郁人&藤田ミノル組を破って優勝。しかし6/5、過去2度KENTAとのタッグで敗れている金丸&杉浦組に三敗目を喫し、同王座から陥落した。
しかし王座陥落直後の6/18、イギリス・モアカムにおいてスコーピオ&ダグ・ウイリアムス組に鈴木とのタッグで勝利し、第10代GHCタッグ王者となった。
KENTAとのベストバウトから対ヘビー級戦線へ
2006/1/22、KENTAが持つGHCジュニアヘビー級王座に挑戦。敗れたものの高評価を得た。この試合でジュニア戦線に一区切りをつけた丸藤は、ヘビー級を超えるべくヘビー級戦線に参入した。
3/5の日本武道館大会では5大シングル戦の一戦として、当時前GHCヘビー級王者であった田上明とシングルで対決。最後は隙を突いて完璧首固めで四天王の一角から金星を奪った。
3/10、リアルジャパンプロレスにてジュニア界の伝説・初代タイガーマスクと初対決。丸め込まれ敗れはしたものの、佐山(タイガー)を「日本のプロレスにはまだ凄いのがいる。」と驚かせた。
4/23、日本武道館で小橋建太とシングルマッチを行うも、敗北。
GHCヘビー級王座戴冠&グランドスラム達成
2006/9/9、先の田上戦、小橋戦で対ヘビー級の自信を掴んだ丸藤はGHCヘビー級王者・秋山準に挑み、完璧首固めで勝利(27分29秒)。第10代GHCヘビー級王者となるのと同時に、ノア創立以来史上初のGHC全王座獲得(ヘビー・ジュニア・タッグ・ジュニアタッグ・ハードコア)を達成した。
10/29には1月にGHCジュニア選手権で敗れたKENTAを次期挑戦者に指名。変形フィッシャーマンズ・ドライバー(後に週刊誌にてポールシフトと発表)にてGHC戦最長タイ(2004年の小橋vs秋山戦)の35分34秒の死闘に終止符を打つ。
しかし12/10、三沢との防衛戦で雪崩式エメラルド・フロウジョンで敗れ、王座から陥落した。
他団体進出・GHCタッグ、ヘビー戦線へ
2006/12/24、第四回力道山杯を受賞。
2007/4/1にDDTプロレスリング初参戦。男色ディーノとのタッグでKUDO&マッスル坂井と対戦し、試合中ディーノの求愛行動に手こずりながらも彼の勝利をアシストした。
4/30にはKAIENTAI-DOJO初参戦。円華とのタッグで真霜拳號&房総ボーイ雷斗と対戦し、雷斗の卑怯な攻撃に翻弄されるもしっかりと勝利をアシストした。
6/8にビッグマウス・ラウドの村上和成と初対戦。注目を集めたこの試合で丸藤は大流血。村上らしさに巻き込まれ、5分50秒、変形STOに敗北。
Shiny Navigation '07では、GHCヘビー級選手権次期挑戦者決定リーグ戦にもエントリーし齋藤彰俊に敗れる波乱がありつつも優勝決定戦に進出。優勝決定戦では森嶋猛と対戦し丸藤が勝利する。優勝したことにより第11代GHCヘビー級選手権者・三沢への挑戦権を手に入れた。挑戦権を行使して2007/9/29大阪府立体育会館でGHCヘビー級王座を奪われた三沢に挑戦するも26分28秒、変型エメラルド・フロウジョンで敗北。
2007/10/27、日本武道館大会にてディーロ・ブラウン、ブキャナンの持つGHCタッグ王座に、杉浦貴と組んで挑戦。25分を超える激闘の末、見事勝利し第16代GHCタッグ王者となった。獲得後、2度防衛をしたが、2008/5/23新潟市体育館で齋藤彰俊、バイソン・スミス組に破れ王座陥落。
欠場、復帰、メジャー3団体ジュニア制覇、初対決
2008/9/28、古巣の全日本プロレスで高校時代の先輩・土方隆司を25分30秒、ポールシフトで破り世界ジュニアヘビー級王座を獲得。
2008年10月27日、日本武道館大会で再びKENTAとの丸藤の持つ世界ジュニアヘビー級王座とKENTAの持つGHCジュニアヘビー級王座のダブルタイトル戦が行われたが60分時間切れ引き分けに終わり、両者防衛成功となった。この興行はノアの主催であったが、試合は世界ジュニアヘビー公式PWFルールで行われ、場外カウント10という方法がとられ、レフェリーとして和田京平が裁いている。
2009/2/6、後楽園ホールにてカズ・ハヤシに進化型WA4で3カウントを奪われ王座転落。
2009/3/11の有明大会で合体パイルドライバーをかけた際に、相手の体重が右ヒザにかかり負傷。翌12日にMRI(磁気共鳴画像装置)検査を受け、右ヒザ前十字靱帯(じんたい)断裂で全治9か月と診断された。様子を見ながら4月に手術を受ける。年内絶望の重傷と言われた。
2009/12/6、「青木篤志“閃光十番勝負”第9戦」(元々は最終戦のはずだったが中嶋負傷欠場のため第9戦になった)で復帰し、タイガー・フロウジョンで勝利を収めた。
2009/12/23、ノアの自身プロデュースの試合のメインイベントに出場した後、新日本プロレス「SUPER J-CUP 5th STAGE」に出場。ノアの試合とJ-CUP決勝までの3連戦の計4試合を勝ち抜き、大会初の2連覇を達成した。
2010/1/4、新日本プロレス東京ドーム大会にて、王者タイガーマスクを下しIWGPジュニアヘビー級王座を奪取。メジャー3団体(新日本・全日本・ノア)のジュニアヘビー級シングルベルトを全て獲得した。
2010年4月に開催されたSpring Navig. '10の「グローバル・リーグ戦10」で川田利明と初対決するも敗戦。
2010/6/19、大阪府立体育会館にて、プリンス・デヴィットに雪崩式ブラディ・サンデーで3カウントを奪われ、IWGPジュニアヘビー級王座6度目の防衛に失敗、王座から転落する。
2010/7/24、ノア創立10周年記念 第2弾大阪府立体育会館大会で新日本プロレスの中邑真輔とタッグで初対決。
2010/7/25、DDTプロレスリングの両国国技館大会で負傷し、変形性頸椎症性神経根症と診断された。この怪我が原因で翌月に出場予定だったG1クライマックスの欠場を余儀なくされ、IWGPジュニア王者のプリンス・デヴィットが丸藤の代役として出場することとなった。
2010年10月より放送されているパチンコ『FEVERタイガーマスク』のTVCMでタイガーマスクを演じる(敵役のレスラー全員、ノアの選手)、本人は当初マスクマン希望だったため、念願が叶った。
2010/12/5、日本武道館大会のKENTA戦で復帰を果たした。
2011/4/17、変形性頸椎症性神経根症再発の疑いにより再び欠場
タイトル歴
プロレスリング・ノア
GHCヘビー級王座
10代(防衛2回)
GHCタッグ王座
第10代(防衛2回)&鈴木みのる
第16代(防衛2回)&杉浦貴
GHCジュニアヘビー級王座
第3代(防衛1回)
GHCジュニアヘビー級タッグ王座
初代(防衛9回)&KENTA
第13代 丸藤正道&青木篤志
GHC(グローバル・ハードコア・クラウン)無差別級王座
第2代(防衛2回)
※団体創立から初めて全てのノア公式王座を獲得している。
全日本プロレス
世界ジュニアヘビー級王座
第27代 (防衛4回)
新日本プロレス
IWGPジュニアヘビー級王座
第59代(防衛5回)
その他
WEWタッグ王座
第8代(防衛1回)&本田多聞
スーパーJカップ
第4回・第5回優勝
ディファカップ
第2回優勝
プロレス大賞
1999年 新人賞
2003年 最優秀タッグチーム賞(丸藤正道&KENTA)
2006年 年間最高試合賞(丸藤正道×KENTA)、殊勲賞
2008年 年間最高試合賞(丸藤正道×近藤修司)
入場テーマ曲
テレビゲーム好きのため、新人の頃はダンスダンスレボリューションの曲を使用していた。
- BRILLIANT 2U / NAOKI
- 5,6,7,8 / The Steps
- めちゃ×2イケてるッ!のコーナー「めちゃSTEPS」に他のノア所属選手らと共に出演した際、岡村隆史からプレゼントされ、三沢から半ば脅迫に近い形で使用させられる。しかし、その試合で敗北したため使用は1試合のみに終わった。
- HYSTERIC
- HYSTERIC(Trance Version)
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