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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
9/28

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今日は何の日?


矢島学
1971/9/28

日本テレビアナウンサー。長野県諏訪郡下諏訪町出身。血液型はA型。

矢島学とプロレス

世間一般には『ズームイン!!サタデー』の元メイン司会としてお茶の間にその存在を知られている。しかし、この放送中に日ごろからプロレスに慣れ親しんでいなければ、到底理解できないような発言(例えば「地球規模の崇高なる - 」や「ピンクといえば永源さん!」など)を最低一回は織り込んで、周囲を引かせる、またはスルーされるほどのプロレスジャンキーである。また、同番組のサイトにある自身の日記では、プロレスネタが無い日が珍しいほどプロレス色に染められており、最初から最後までプロレスの話題であることも珍しくない。特にプロレスリング・ノアの大大会直前にはそのことを告知し、直後の日記ではプロレスの話を延々と書き連ねるのが常である。そして矢島の『ズームイン!!サタデー』最後の出演時には、プロレスのリングを模したセットが作られ、そのリング上で最後の挨拶をした。しかし、その直後に三沢光晴と小橋建太が突然乱入し、番組でネーミングを募集した小橋に、その技「青春の一撃」をかけられ、挙句の果てには、その日テレの中継が入るノアの試合会場に拉致されてしまった。

現在はプロレス班副チーフを務め、趣味と実益を兼ねたファン丸出しという観点では、若林健治以来の実況を展開している。しかし、入社するまではプロレスを見たことが無く、突然上司からプロレス実況担当を言い渡されてからのファンである。近年のアナウンサーと同じようにテレビゲームで技を覚えていき、現場で直接四天王プロレスを感じることによってプロレスに目覚めていった。好きであるからか、実況資料のストックは凄まじく、他の実況アナに大変ありがたられているそうである。妻も熱心なプロレスファンであるため、日々の会話がすぐにプロレスに結びついたり、よくわからない技をかけてもらったりしているそうだ。なお、まだ小さい子どもも当然のごとくプロレスに影響されている。

また、2005年7月18日に行われたノア・東京ドーム大会では、小橋建太対佐々木健介の実況を担当した際、小橋が入場テーマをかつての「GRAND SWORD」に変更したことにいち早く気付いて、それについて絶叫してしまい、考えてきた台詞をすべて忘れてしまった。その絶叫は、解説者の高山善廣に「どこに注目しますか?」と振った際には、高山から「まずお前の声が裏返ったことに注目したよ」と返されたほどである。

最も感動した試合は2003年3月1日の「三沢対小橋」。自分が実況できたことに誇りを持っているらしく、実況中も「死んでしまうー!」と絶叫。

GPWA新プロレス連盟第1回大会では、男色ディーノに勝利者インタビューをしようとしたところ襲われ、労災認定されている。

名言

  • 何なんだ、この○○はー!
  • 死んでしまうー!(2003年3月1日の三沢・小橋戦で、三沢が小橋に花道からのタイガー・スープレックスを敢行した後)
  • こんな○○見た事無ーい!
  • これが本当のプロレスです!
  • 本物のプロレスだー! 地鳴りがする武道館!
  • こんなこと、こんなこと、してはいけませーん!
  • 今日、この日本武道館に来たファンは大正解!!
    • (2003年3月1日の三沢・小橋戦にて。同日開催のWJプロレス旗揚げ戦や、K-1 WORLD MAXを意識したものか)
    • (そのあと解説の高山善廣と「ホントそうだな。今日はもーういろんなとこで興行あるけど、ここに来なかったらアホだな!」「ですねー!!」と掛け合いをしている)
  • 10.8後楽園ホール、水道橋より業界No.1のプロレスをお送りしております。(明らかに新日のドーム興行に対する皮肉)
  • 夢ではありません! CGでもありません!(2004年7月10日、三沢と武藤敬司のタッグ対決)
  • 小橋が描く放物線は、栄光への架橋だー!(NHKアナウンサーの刈屋富士雄がアテネ五輪男子体操で用いた言葉のパロディ)
  • 高山善廣は、タレントでもなく、役者でもなく、プロレスラーです!帝王が帰ってきたー!!
  • 小橋が生きて帰って来ました!!(2007年12月2日、小橋復帰戦で、小橋花道登場時。声が震え、明らかに泣きながら実況している。)
  • 小橋が勝ちました!腎臓ガンに勝ちました!!(2007年12月2日、小橋復帰戦で小橋が敗れた直後)
  • 本当に強いとは、こういう事だ!(同じく小橋復帰戦で、小橋花道から退場時)





邪道
1968/9/28

本名は秋吉 昭二(あきよし しょうじ)。東京都港区出身。

人物

デビュー以来一貫して「兄弟」こと外道とのコンビで活動している(但し、ユニバーサル・プロレスリング時代に外道がパット・タナカ&ビジャノ3号と『バッドカンパニー』を結成し、一時敵対したことがある)。外道とのタッグは後記するパニクラ時代も含めて20年以上もほぼ断続的に活動しており、現存するタッグチームでは国内最長である。過去の参戦団体を見た場合、外道と共にその団体を離脱すると活動停止となることが非常に多い。 また、レスラーとしてのキャリアのほとんどをヒールとして活動し、外道と共に過去さまざまなヒールユニットに在籍している。

インディー団体出身選手ではあるが最近では、プロレスの価値観が他の新日本の選手と同じく「自分達が一番」と主張し、他団体を見下す発言を繰り返している。特に、かつての同士だった金村キンタローを「デスマッチしかできない奴」と批判。

新日本プロレスに参戦した当初、外道共々「女性ファンから声援を送られて、(FMW時代と比べて)違和感があった」と週刊プロレスのインタビューで答えている。特に邪道は顔立ちが整っていたため、女性ファンから「さん付け」で声援されることが多い。今でも女性人気は高い。

外道に比べて喋ることは少ない。外道との区別は背の高い方、タトゥーを施しているが方が邪道で、顔が泉谷しげるに似ている事を自他共に認めている。一方入場時に頭にバンダナを巻いて出て来るのが外道である。また嗜好では外道は下戸の上、タマネギアレルギーである。(一方の邪道は酒もいける口で、食べ物の好き嫌いは無い)

一方、安沢明也が引退をするときは送別会で餞別を渡すなど、リングを降りると面倒見のいい兄貴的な先輩としても有名。プライベートでは子煩悩な一面も持ち、うなじにある「杏」というタトゥーは娘の名前である。

レスリング・マスターと言うニックネームには「まだまだ極めていないし、まだそんな顔(実力が伴っていないの意味)じゃない」と困惑している一面もある。

経歴

1988年、たけしプロレス軍団 (TPG) のオーディションに合格してプロレス入り。当初のリングネームは本名の秋吉昭二。

デビュー戦は、1989/3/19オランダ・アムステルダムのエイデンホールにおける、モンキーマジック・ワキタ(現・スペル・デルフィン)戦。同年、旗揚げ直後のFMWで1試合のみ、ベトナム難民出身と言うギミックの覆面レスラー『ボートピープルジョー』として試合を行っている。

1990年3月、ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げに参加。クーリー・SZ(しょうじ)のリングネームでブルドッグ・KT(後の外道)と共に、タッグチーム『パニッシュ&クラッシュ(略称:パニクラ)』を結成。ロード・ウォリアーズのオマージュ・キャラクターのような出で立ちで活躍。この頃に後記する合体技、スーパーパワーボムを開発し、この技でデルフィンを沈めている。後に、クーリー"クラッシュ"SZ(しょうじ)と改名。

1991年4月、ブルドッグと共にメキシコ遠征に出発。同年11月に帰国し、UWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座を獲得。

1992年11月、ブルドッグと共にフリーに転向。現在のリングネーム邪道に改名し、再度、メキシコ遠征に出発する。

W☆INGなどのインディー団体を渡り歩き、1994年2月、外道と共にWARに主戦場を移してからは、冬木弘道、外道とともに冬木軍を結成し、メジャー・インディー問わずに暴れまわる。この頃、龍魂継承者決定リーグ戦で優勝を果たしてしまい、全く受け継ぐつもりなどない天龍源一郎の魂を受け継いだ。また、ヘビー級時代(当時110kg)に、まだ線の細かった高山善廣(当時105kg)にシングル戦にてラリアットで勝利したことがある。

1997年2月、FMWに再登場してからは、金村やミスター雁之助らと「ブリーフ・ブラザース」というユニットを結成。リング上でコントを演じたりもした。12月には山川竜司&田尻義博組を破りBJW認定タッグ王座を獲得。

1997年1月、山川竜司&田尻義博組に取り返される形でBJW認定タッグ王座から転落。

1999/12/11、FMW後楽園ホール大会でリッキー・フジ&フライングキッド市原&チョコボール向井組を破り、外道&中川浩二と共にWEW6人タッグ王座を獲得。

2000/4/25、東京・渋谷ON AIR EASTで冬木弘道&井上京子&チョコボール向井組に敗れ王座転落するも、5/3、博多スターレーン大会において外道&中川浩二と共にWEW6人タッグ王者に返り咲く。しかし5/28の後楽園大会でまたしても冬木弘道&井上京子&チョコボール向井組に敗れ王座転落。9月17日にはディファ有明大会でパートナーを外道&中山香里に変更し、3度目の同王座獲得。

2001/1/27WEW6人タッグ王座を返上。2月、外道、田中将斗、中山香里と「コンプリート・プレイヤーズ」を結成し、同月11日に外道、田中将斗とコンプリート・プレイヤーズとしてタッグで、WEW6人タッグ王座決定戦を冬木弘道&GOEMON&怨霊組と行いこれに勝利。4度目の同王座獲得するも、わずか10日後の2/21に外道、田中将斗と共にFMWを離脱。再度フリーへと転向し、同王座は空位となった。その後、大日本プロレス、格闘探偵団バトラーツなどのインディー団体を中心に参戦し、同年6月、外道と共にTEAM 2000のメンバーとして新日本プロレスに参戦。体重を落とし、ジュニアヘビー級にその主戦場を移す。この頃から外道と共にプロレス界には珍しく科学的なトレーニングを取り入れ肉体改造を行い、筋骨隆々な肉体へと変貌を遂げ始める。同年7月20日、獣神サンダー・ライガー&エル・サムライ組を破り、外道と共にIWGPジュニアタッグ王者となった。さらに外道とのタッグは、プロレス大賞の年間最優秀タッグ賞を受賞した。

2002年、IWGPジュニアタッグ王座6度目の防衛を達成し、同王座歴代最多防衛記録を更新するも、同年5/2、獣神サンダー・ライガー&田中稔組に敗れ、王座転落。

2003/10/13、東京ドーム大会で4代目タイガーマスクが返上したIWGPジュニアヘビー級王座を賭けて行われた時間差バトルロイヤルで優勝。自身初の国内シングル・タイトルを獲得。さらに11/29、金本が負傷のため、返上したIWGPジュニアタッグ王座をかけて宮城県スポーツセンター大会で田口隆祐&後藤洋央紀組と対戦。外道と共に同王座2度目の獲得を果たし、12月14日、名古屋レインボーホール大会でヒートに敗れ、IWGPジュニアヘビー級王座を失うまでジュニア二冠王者となった。

2004/3/12、国立代々木競技場第2体育館においてカレーマン&アメリカン・ドラゴン組に敗れIWGPジュニアタッグ王座も失う。しかし6/5、大阪府立体育会館大会でのリターン・マッチに勝利し外道と共に3度目のIWGPジュニアタッグ王座を獲得し、ライガーらとC.T.U(Control Terror Unit)を結成。

2005/3/4、後楽園ホール大会で金本浩二&井上亘組に敗れ王座転落するも5度の防衛を記録し、またしても長期政権を築いた。

2006/7/8、ツインメッセ静岡でエル・サムライ&田口隆祐組を破り、外道と共に4度目のIWGPジュニアタッグ王座を獲得。同年には天山広吉に対してトレーニング指導を行った。

2007/5/2、後楽園ホール大会でディック東郷&TAKAみちのく組に敗れ王座転落。同年7月、C.T.U解散(公式的な解散は8/26)に伴い、天山率いるG・B・Hへ加入。天山が追放され真壁刀義が新たなリーダーとして陣頭指揮を取るようになると、それに追随してG・B・Hとして活動を続ける。

2009年4月、矢野通の裏切りによってG・B・Hが空中分解した後は、矢野に追随する形で新ユニットCHAOSを結成。同年5/30より開催されたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦、3勝3敗の成績で予選リーグ敗退。同年8/30、後楽園ホールにて邪道、外道デビュー20周年記念興行を開催。外道と共にメインで登場し、プロレスリング・ノア所属の金丸義信&平柳玄藩組と対戦。クロスフェイス・オブ・JADOで平柳を下し、外道と共に有終の美を飾ったが、全日本参戦時代にタッグを組んだこともあった金丸との因縁が勃発。10/3、ノアの大阪府立体育会館大会で金丸&鈴木鼓太郎組が持つ、GHCジュニアタッグ王座に挑戦するも外道が金丸からフォール負けを喫し、敗戦。

12/4に外道と組んでIWGPジュニアタッグ王座に挑戦する予定だったが、2日の試合で金本のキックを頭に受けた外道が昏倒してK.O負けを喫し、検査の結果脳震盪と診断され、1週間安静と言い渡される。そのためタイトルマッチは中止となってしまった。22日にはスーパーJカップに参戦。1回戦でDDTプロレスリング所属の男色ディーノと初対決。ディーノの男色殺法に付き合わず(あえて付き合わないことでディーノの男色殺法を際立たせるとも見ることができる)逆水平チョップを幾度となく繰り出し、ディーノの胸を真っ赤に腫れ上がらせるも、この日のために用意した(ディーノ談)、ゲイ道クラッチに敗れる。皮肉にも長年のタッグ・パートナーである外道の得意技、外道クラッチの男色バージョンの前に1回戦で敗れ去った邪道は試合後、「執念だな。あいつ(ディーノ)のデヴィットとやりたいっていう執念に負けた。」とコメントを残した。

2010/2/14、田口隆祐、プリンス・デヴィットの持つIWGPジュニアタッグ王座を賭けたタイトルマッチが組まれていたが、1/31に行われた試合中にケニー・オメガが放ったラ・ケブラーダをまともに食らい昏倒、レフェリーストップ負けを喫した。試合後も動かない邪道は担架で運ばれ退場し、心配するファンからも声援が飛んだ。後日の検査の結果で頸椎捻挫と診断されシリーズも全戦欠場。タイトルマッチはまたもや流れてしまった。

タイトル歴

新日本プロレス
  • IWGPジュニアヘビー級王座 : 1回(第45代)
  • IWGPジュニアタッグ王座 : 4回(第7代、11代、13代、17代)(&外道)
    • 最多戴冠回数、最多連続防衛、最多通算防衛記録を保持。
  • ジュニアトライアスロンサバイバー優勝
WEW
  • WEWタッグ王座
  • WEWハードコアタッグ王座 : 1回(第4代)
  • WEW6人タッグ王座 : 4回(第2代、6代、10代、11代)(&外道、中川浩二x2→&外道、中山香里→&外道、田中将斗)
DRAGON GATE
  • IJタッグ王座
WAR
  • WAR世界6人タッグ王座
FMW
  • FMW世界ストリートファイト6人タッグ王座
WWC
  • WWCカリビアンヘビー王座
UWA
  • UWA世界6人タッグ王座
  • UWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座
大日本プロレス
  • BJW認定タッグ王座 : 1回(第3代)
プロレス大賞
  • 2001年プロレス大賞 年間最優秀タッグ賞(&外道)

リングネーム

現在、過去に用いたことがあるリングネーム

  • 邪道(現在も使用中)
  • クーリー"クラッシュ"SZ
  • クーリー・SZ
  • ボートピープルジョー
  • 秋吉昭二(本名)

入場テーマ曲

  • Sharp Dressed Man / ZZ Top
  • Whassup Dawg?
  • Caboose / Sugar Ray

 
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