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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
9/29

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中川ともか
1981/9/29

身長155cm、体重57kg、血液型O型。北海道旭川市出身。2007/5/5付でKAIENTAI-DOJOからエスオベーションに移籍する。

経歴

2005年
  • 1/23、千葉・Blue Fieldにおいて、本名でデビュー戦、山縣優とのタッグでTAKAみちのく、筑前りょう太組を相手に戦い秒殺される。
2006年
  • 5/14、本名からTOMOみちのくに改名、みちのくブラザーズの3人目のメンバーとして登場した。
  • 6/4、TAKAみちのくとのタッグでWEWハードコアタッグ王座を獲得した。
  • 8月、膝のケガにより長期欠場。
  • 12/10、TOMOみちのくの引退を発表。
  • 12/23、TOMOみちのくのリングネームを返還し、本名に戻り再出発する。
2007年
  • 4/15、移籍を発表。
2008年
  • 8/16、OZアカデミー内のユニット「OZ正規軍」入りを直訴、認められOZアカデミーにレギュラー参戦。
  • 9月、木村響子・江本敦子のユニット「レボルシオン・アマンドラ」に合流。
2009年
  • 8/2、OZアカデミー内のユニット「OZ正規軍」から栗原あゆみとの内紛が原因でアジャ・コングが率いる「ジャングル・ジャック21」に移動。

タイトル歴

OZアカデミー
  • OZアカデミー認定タッグ王座 (第12代、パートナーは松本浩代)
KAIENTAI DOJO
  • WEWハードコアタッグ王座 (第17代)
SHIMMER
  • シマー・タッグチーム王座(第4代、パートナーはデイジー・ヘイズ)

入場テーマ曲

  • 初代:「Yuu」(A1-joko)※「KAIENTAI-DOJO vol.5」に収録
  • 二代目:「A GO!」(Masaki(ATT STUDIO))※キングレコード「KAIENTAI DOJO 2」に収録
  • 三代目:「YAMATO組曲4 ~TOMOバージョン~」

特記

  • プロレス界入り前は看護師をしていた。また彼女の写真集を望むファンも多いといわれる。
  • デビュー時は山縣優の入場曲とコスチュームをお下がりで使用していた。
  • 実家が農家という影響から、自宅で野菜を栽培するなど、家庭的な一面を持つ。
  • お酒が強い。

その他

テレビ出演

  • プロレスKING(GAORA)
  • 中居正広の金曜日のスマたちへ(TBS) ※エキストラ出演





真壁刀義
1972/9/29

本名は真壁 伸也(まかべ しんや)。神奈川県相模原市出身。新日本プロレス所属。血液型B型。神奈川県立城山高等学校→帝京大学出身。

経歴

高校時代までは柔道をしており(二段)、帝京大学時代、『プリン真壁』のリングネームで学生

経歴

高校時代までは柔道をしており(二段)、帝京大学時代、『プリン真壁』のリングネームで学生プロレスで活躍(サークルの後輩にDDTのHARASHIMA、AV男優のミートボール吉野がいる)。卒業後の1996年4月に新日本プロレス入団。同期には藤田和之がいる。

1997/2/15、神奈川県いすゞ自動車大和体育館での大谷晋二郎戦で、本名の真壁伸也でデビュー。しかし、藤田と比べ身体能力・技術に著しく劣る上に、一言多い性格が災いし、藤田や鈴木健想ら同期・後輩が続々とブレイクする中、真壁だけは何年もの間、長州力の雑用係をつとめながら前座のリングに立ちつづける不本意な日々を強いられた。

その後、長年の苦労が認められ、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアやタッグタイトル戦のパートナーとして次々と抜擢されるも結果を残せなかった。

2000年~2004年

2000年に開催されたヤングライオン杯ではかろうじて準優勝を果たすものの、2001年にプエルトリコに島流しともいえる形で無期限海外遠征に出発。

海外遠征から帰国後に藤田ミノルと組みヒールへ転身。しかし今度は棚橋弘至や柴田勝頼ら後輩が台頭するようになったため真壁は永田裕志や中西学ら第3世代組と「新闘魂三銃士(棚橋・柴田・中邑真輔)」の世代の狭間に埋もれてしまった。

そんな折、高山善廣とタッグを結成し、当時小橋建太と本田多聞が保持していたNOAHのGHCタッグに挑戦。敗れるも、小橋の本気を引き出し評価を上げた。その後は腰痛に苦しみ、なかなか結果を残せず。2004年10月に成瀬昌由と共に下剋上宣言を行い、トップ層との争いを目論むも頓挫。その後、成瀬がケガで欠場する間にBNJ入りを果たし暴れまわる。

2004/8/7のG1クライマックスよりリングネームを真壁刀義に変更。翌年のG1クライマックス2日目の中邑真輔戦でアキレス腱断裂の重傷を負った。復帰後は、ジャイアント・バーナードのタッグパートナーを務めた。WRESTLE LANDで「UNCHAINED GORILLA」という二つ名を付与されてから、鎖を首にかけて入場するようになりタッグパートナーは越中詩郎に替わった。

2006年~現在

2006/9/24のWEWヘビー級王座決定戦で金村キンタローを破り同王者を奪取、自身国内でのシングル初タイトルとなり、2007年6月まで王座を保持。これを皮切りに新日本、アパッチで怒涛のブレイクを果たした。その頃から「これが現実だ!」が決め台詞になる。「インディーの至宝」とも呼べるWEWヘビー級王座を乗っ取ったことで、「悪の王者」としてインディーファンから多くのブーイングを受けた。

同年10/2、所属する新日本内で天山広吉・矢野通・石井智宏らと「G・B・H」結成し活動。

2007年3月に行われたニュージャパン・カップでは決勝で永田裕志に敗れ準優勝に終わる。同年7月には永田が持つIWGPヘビー級タイトル初挑戦、G1クライマックスでは初の決勝トーナメント進出を果たした。この年には矢野と共に2007年東京スポーツプロレス大賞最優秀タッグチーム賞を受賞。

2008年1月4日、矢野と組み、TNAのTEAM3Dブラザー・レイ・ブラザー・ディボーンに挑戦したが敗戦。2月17日、矢野とIWGPタッグ王座のジャイアント・バーナード・トラヴィス・トムコに挑戦。キングコング・ニードロップでトムコを破り第51代IWGPタッグ王座になった。3月9日、中邑真輔・ジャイアント・バーナードを相手に初防衛戦を行ったが、バーナードのレフェリー暴行による無効試合となった。4/27、天山、飯塚高史組を相手に防衛戦を行い勝利(試合中に飯塚が天山を裏切り、そのまま飯塚はG・B・Hに加入した)。

8/3、ZERO1-MAX火祭りにてAブロックを1位通過。決勝に進むが田中将斗に破れ準優勝。G1、G1 TAG LEAGUEも準優勝に終わった。

2009年1月4日、ハードコアマッチでTEAM3Dの挑戦を受けるも防衛に失敗。本来は天コジ含めて3wayマッチが行われる予定だったが天山の網膜剥離によりハードコアマッチに変更されたものであった。

同年8/16、G1クライマックスにて二度目の決勝進出。勝ち点7で棚橋と並び、棚橋と引き分けだったため史上初のコイントスで1位2位が決められ、1位で決勝進出となった。決勝で中邑真輔に勝利し初優勝を決めた。12月にプロレス大賞敢闘賞を受賞。

2010年1月4日、東京ドームのレッスルキングダムに出場、対戦者表明をしたモハメド・ヨネと対戦、快勝する。 2/28、プロレスリング・ノアの「The Second Navig.’10」最終戦で杉浦貴の持つGHCヘビー級王座に挑戦したが、敗れた。3月に行われたNEW JAPAN CUPでは決勝で後藤に敗れ準優勝に終わる。5月3日、「レスリングどんたく」で行われたIWGPヘビー級選手権で王者中邑真輔をキングコングニードロップで下し、同王座初載冠。潮崎豪、中邑真輔、田中将斗を相手に3度防衛するも同年に開催されたG1クライマックスで初の外敵優勝を果たした小島聡に敗退し、王座から転落。その後、G1タッグリーグに出場(パートナーは本間朋晃)。しかし、G1クライマックス以降抗争を繰り広げていた田中のチームと対戦した際、田中のハードコア攻撃で首を負傷し、無念の途中棄権となってしまった。

2011年1月4日、首の負傷が完治しない中で東京ドームの「レッスルキングダム」で田中と対決し、これを撃破。その後は、小島聡率いる「小島軍(仮)」との抗争の中、タイチを相手に抗争の渦中の1人となった。また、新日本に上陸し、新たに「小島軍(仮)」のメンバーとなったMVPとも対戦を重ねるようになり、日米怪獣対決としてリングを湧かせた。

3月のNJCに出場。1回戦は小島聡と対戦。小島のセコンドについたタイチの介入を棚橋弘至が阻止し、ドラゴンスープレックスで小島から3カウントを奪う。2回戦はMVPと対戦、キングコング二ードロップで勝利。しかし、準決勝で中邑真輔に敗れる。

4/3、KUSHIDAとタッグを組み小島、TAKAみちのく組と対戦、タイチの介入でKUSHIDAがTAKAに敗れる。試合終了後も小島とやりあい、乱闘終了後マイクを取り小島を挑発、小島が「やってやるぞバカヤロー!」と返答し再び殴り合いになった。 同月19日、後楽園ホールで小島とシングルマッチで対戦。途中タイチが椅子を片手に介入しようとするも撃退し、椅子を奪い取って小島を殴打。最後はキングコング二ードロップで勝利。

5/3、博多大会にてNJC以降因縁が深まっていた小島と再々戦。小島が試合前にタイチをセコンドから排除し、正々堂々1対1の完全決着戦となる。これに勝利し「一連の抗争にひとまず決着をつける意味」で小島に握手を求めるも拒否され真壁は一度退場する。しかし、直後に小島が突如現れた鈴木みのると結託したTAKAみちのくとタイチに襲撃された際にリングに駆けつけ小島の救出に入る。鈴木らが退場後に再び小島に握手を求め、小島と握手を交わした。

5/13 -5/ 15、新日本初のアメリカツアーでライノとハードコアマッチルールで対戦。ハードコアルールに合わせて「チェーンラリアット」を披露するなどいきいきとしたファイトを見せた後、キングコング二ードロップで勝利。

同月28日のディファ有明大会では試合後小島から握手を求められ、握手でこれに答えた事で晴れて共同戦線が決定。ただし、タッグとしての共闘は互いの目的と利害が一致していただけであり、信頼関係でできたタッグでない暫定的なものである事を小島と共に主張している。

6/18、大阪大会で「鈴木軍」の鈴木、ランス・アーチャー組と対戦、小島が鈴木にフォールを奪われ敗北。

タイトル歴

新日本プロレス

  • IWGPヘビー級王座(第54代)
  • IWGPタッグ王座:2回(暫定王者、第51代)
    • 暫定パートナーは越中詩郎、第51代パートナーは矢野通。
  • G1 CLIMAX 準優勝:1回 優勝:1回
    • 準優勝は2008年、優勝は2009年。
  • NEW JAPAN CUP 準優勝:2回(2007年、2010年)
  • G1 TAG LEAGUE 準優勝(2008年)
    • パートナーは矢野通。
  • ヤングライオン杯 準優勝(2000年)

ZERO1(旧:ZERO1-MAX)

  • 火祭り 準優勝(2008年)

アパッチプロレス軍

  • WEWヘビー級王座(第2代)

プロレス大賞

  • 2007年度最優秀タッグ賞
  • 2009年度敢闘賞

英連邦

  • 英連邦インターコンチネンタル王座

単発興行との相性

  • 他団体を含む、若手レスラーのみの興行「ライオンズロード」にてプロデューサーを務めるも、試合を提供した団体に「そこに戦いはあるのか」などと批判し、物議を醸す。DDT社長の高木三四郎と参戦していた同団体の選手HERO!(HARASHIMA)はこれに対して反論、かつて真壁の大学の後輩だったHERO!は対戦要求し受諾されるも実現には至ってなかった。その後、若手選手の成長もあり、同興行は打ち切りとなった。
  • 「LOCK UP」第1回興行でメインイベント後に乱入し、当日のメインイベントに出場していた金村キンタローに「真壁は呼んでないよ」と言われるも、空気を読まないギミックを貫いた。この金村の「真壁は呼んでいない」発言が真壁を覚醒させ、現在の“暴走コング”と呼ばれる地位を確立させたとも言われる。第2回興行ではリングから柔らかいコーナークッションを外し、蛍光灯などの凶器で血だるまになるほど殴られている関本大介をクッションで殴打するコミカルな一面を見せた。第3回興行でもコーナークッションを外すが、外すだけでその後は普通に試合を行った。しかし第5回興行ではマンモス佐々木との金網デスマッチでメインイベンターを務め、アパッチプロレス興行では前述の金村率いるアパッチ軍の強大な敵として存在を確立するなど、「単発興行との相性が悪い」というイメージを払拭した。
  • 前述のDDT・HARASHIMAとは、2010/3/14DDT後楽園大会でシングルマッチで対戦し真壁の勝利。試合後、メインイベンターを務めた前年の新日本・DDTそれぞれの両国国技館大会を例に挙げ、「同じ穴のムジナ」と話した。その後、関本大介とのKO-D無差別級選手権試合を控えたHARASHIMAを新日本道場に招いて合同練習を行い、自らスパーリングパートナーを務めるなど、仮想・関本としてHARASHIMAのKO-D無差別級王座奪取に貢献している。

入場曲

  • Immigrant Song / 布袋寅泰(現在)※ブルーザー・ブロディが使用していた入場曲「移民の歌」を布袋がカバーした物。
  • BLACK BETTY / Ram Jam

その他

  • 相手を挑発する際に「3分以内で倒す」と宣言することがあるが、宣言対象に3分以内で勝利したことはない。
  • 同じ新日本所属の天山広吉同様に「かみつく」「叩き潰す」「コラ(オラ)」などの伝統的な罵り方を好んで使う。
  • 新日本プロレス S.X.W のテレビCMで「俺達は飢えたジャッカルなんだよ!」と発言した。
  • 甘党で、学生プロレス時代のリングネームもそれに由来する。大好物はモンブランである。
  • ジャイアンツファンで、2010年と2011年の1月最初のジャイアンツの球場練習では、同じジャイアンツファンの4代目タイガーマスクと共に原辰徳監督と対談している。
  • 新日初のアメリカ大会でアメリカに滞在中、ワールドプロレスリングの特別企画のクイズコーナーで4代目タイガーマスクとタイガー服部の3人で回答者として参加した(回答場所はタイムズスクウェア、マディソン・スクエア・ガーデン前、エンパイア・ステート・ビル前)。

出演

TV
  • 激変!ミラクルチェンジ(TBS、2010年)
  • 地球侵略!ダバダバ大戦(フジテレビ、2011年1月10日)
CM
  • パチンコビッグタイガー (2010年)

名言・迷言集

「これが現実だ!」
自分が勝利した際に相手レスラー、ファン、マスコミを挑発するために主に使用されるが、自分が負けた際にもそれを認める発言として時折使用される。
「ウ○コチ○チ○」
相手を罵るために使用する。加藤茶のギャグと同じフレーズであるが、これは放送禁止用語なのでワールドプロレスリング内で流れたことはない。
「なんでだかわかるか?」
試合後のコメントの最後に使用する。問われたアナウンサーや記者が「スーパースターだからです」と答えるとニヤリと笑い「わかってるじゃねぇか」と締めくくる。
「サンキューな」
ファンを"ヤツ"呼ばわりし、"言いたくない"と言いつつも放つ一言。一種のツンデレとも言える。
「ただ、それだけだよ」「Fuck on!」
言葉の締めくくりに使う。
「人に夢与える奴がよ、てめーで夢見なかったら夢なんて与えられねーんだよ。」
「時代がよぉ、俺みてぇなバカをさ必要としてんだよ。こういうプロレスラーをよ、夢の無い時代だろ?だから夢持つんだよ!」
「俺はヒールでもねぇ、ベビーでもねぇ。そんなモン超越したモンなんだよ」
G1初優勝後にコメントブースへ向かった真壁の前にZERO1の崔領二が乱入。その事に対しての挑発コメント。
「涙なんてねえんだよ、かれちまったよ、そんなもん」
「火祭り? 俺にとったら火遊びだよ」
「これだけは言っておくぞ。スピード厳守で走って来られたら、こちとら困るんだ。キップ切られる覚悟でよ、フルアクセルで突っ込んで来いよ、この野郎! 接触事故じゃねぇぞ。正面衝突だ」
プロレスリング・ノアの潮崎豪がIWGPヘビー級王座挑戦を表明したことについて

 
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森昭一郎
1971/9/29

兵庫県尼崎市出身のフジテレビのアナウンサー。
全日本女子プロレス中継(実況担当)





TAJIRI
1970/9/29

本名:田尻 義博は、日本のプロレスラーである。アメリカ合衆国WWEでの活躍により、地域によってはイチローや松井秀喜以上の知名度とも言われていたため、日本でも「プロレス版メジャーリーガー」と呼ばれる]。熊本県玉名市生まれ、神奈川県横浜市育ち。日本国内では熊本県出身としているが、日本国外では、日本国外でも知られた地名のある東京都や育ちの地である横浜市を出身地としている。一時期、覆面レスラー「アクエリアス」と名乗ったこともある。

経歴

デビューからWWE参戦まで

大学卒業後金融会社でのサラリーマンであったがプロレスラーへの夢を断ちがたくアニマル浜口ジムで修行し、IWA・JAPANのテストに合格し、同団体にて1994/9/19に岡野隆史戦でデビューを果たした。当初はふがいない戦いを専門誌からも厳しく批判されるなど苦労を味わったが、青いショートタイツに日の丸ルックで徐々に頭角を現した。

IWA・JAPAN退団後、メキシコに渡り、EMLLでルチャリブレの修行を積んだ。帰国後大日本プロレスに入団。1997年1月4日には大日本プロレスと新日本プロレスとの対抗戦のため、大日本軍のメンバーとして新日東京ドーム大会で大谷晋二郎と対戦。破れるも、大舞台のプレッシャーを感じさせない試合を見せた。同年、新日主催「BEST OF THE SUPER Jr.」に参戦し、大谷との再戦で勝利を収めた。

その後、現役への道を模索するために大日本プロレスを退団。再びメキシコに渡り、CMLLに参戦。1998年の終わりに、メキシコに来ていたポール・ヘイマンにスカウトされてECWに入る。スーパー・クレイジーとの抗争を通じて一気に人気が高まり、ECWの主要レスラーの1人となった。ECW後期にはマイキー・ウィップレックとタッグを組み、シニスター・ミニスターをマネージャーに付けたチーム、アン・ホーリー・アライアンスで活躍。また、スティーブ・コリノやライノらと共に、サイラス・ザ・ヴァイラス率いるザ・ネットワークの一員としても活動した。

2001年にはコンバット・ゾーン・レスリングのマットに参戦し、2月にはデラウェア州のドーバーを舞台にニック・バークを破ってCZWのヘビー級王座を獲得。この王座は同日にジョン・ザンディグの手に渡った。

WWE・ハッスル時代

2001年にECWが破綻した後はWWEに入団する。入団当初はギミック上WWFコミッショナーであったウィリアム・リーガルのお茶汲み役であった。英語でのスキットであるにもかかわらず、必ず日本語で答えるという英語圏から見れば滑稽に見えるギミックは退団まで一貫された。初めてのTVショーでの試合で、ECWのトップレスラーだったことから観客の認知度が非常に高く、試合中ECWコールが起こるほどであった。

2002年にWWFの番組が2つに分割された際にはSmackDown!に所属。分割後トリー・ウィルソンとの恋愛ストーリーでベビーフェイスとして活動し、番組への登場も飛躍的に増えた。トリーとのストーリーはビリー・キッドマンとの抗争終了と共に終わった。

2003年にチャボ・ゲレロ・ジュニアが怪我でWWE離脱していた際にエディ・ゲレロとタッグを組んだ。このタッグの際、晩年のエディの定番入場となったローライダーによる入場が始まったが、これはストーリー上「車を盗んで会場に行こう」とTAJIRIがエディに提案したものとされる。

2003年10月19日からTAJIRIがRAWに移籍するまでの間、アキオ、サコダと組んで「兄弟」というヒールチームを結成していた。

2004年には、同じECW出身のライノとタッグを組むことが多かった。

2005年に入り、ウィリアム・リーガルのタッグパートナーユージンが怪我で離脱。TAJIRIがタッグパートナーとなった。2/4にさいたまスーパーアリーナで行われたRAWのTVショー「ROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOUR」で、ウィリアム・リーガルとのタッグで世界タッグ王座を奪取した。リーガルとのタッグはTAJIRIがECWワン・ナイト・スタンドに出演するまで続いた。エディ・ゲレロの死がきっかけとなり、プロレス雑誌での連載でWWE退団を示唆していた。同年12/8に、12/12のRAW収録をもってWWEを退団することが発表され、12日に行われたヒートでのグレゴリー・ヘルムズ戦をもって自主退団した。

日本に帰国後、プロレス団体ハッスルに所属する。

2009年7月、新日本プロレスの北海道月寒大会で当時IWGP王者だった棚橋弘至をグリーンミストで襲撃し、抗争を起こす。

2009年8月、G1クライマックスに出場。ジャイアント・バーナードと本間朋晃、棚橋に勝利しそれ以外はグリーンミストによる反則負けとなり予選リーグ敗退。この大会での本間戦では入場曲を利用して本間の背後から襲撃、グリーンミストからのバズソーキックで3秒殺に成功している。また、棚橋戦では持ち前の幻惑殺法で棚橋の額を流血させ、グリーンミストとバズソーキックで勝利。試合後に棚橋の「愛してまーす」をマイクで行い、直後にリングに上がって来た管林直樹新日本プロレス社長をグリーンミストで襲うなど、やりたい放題やってのけた。

2009年11月、棚橋とシングルマッチで激突。試合中、実況席で観戦していた管林社長にグリーンミストを行おうとするも棚橋に阻まれ、管林に張り手を食らう。その後、棚橋にグリーンミストを仕掛けるも失敗、ハイフライフローで敗れ抗争を終える。

2010年1月4日、東京ドーム大会でZERO1の田中将斗とタッグを組み、ブルーマウンテンズ(永田裕志・曙組)を相手にスペシャルタッグマッチで対決。邪道のアシストで永田と曙両名をグリーンミストで攻撃し、永田にバズソーキックを食らわせて勝利する(後日永田は試合前の公約通り、永田の出身地で自ら銅像になる罰ゲームを行った)。 同月30日、BAD INTENTIONSとタッグを組み、永田・NO LIMITと対戦。永田とNO LIMITの仲間割れを利用して永田にグリーンミストを噴射、反則負けになるも永田との抗争をより激化させた。また、翌31日にタッグマッチで永田と対決するも逆に永田のブルーミストを食らった。

SMASH旗揚げ後

2010/2/2、経営難に陥ったハッスルを退団し、TAJIRIが中心になって創設したSMASHが旗揚げした。

その後フィンランド最大のプロレス団体FCFの総帥スター・バックからFCF王座を奪取したが、短期間で王座から転落した。 同月14日に新日本プロレスで闘争を繰り広げている永田裕志とのシングマッチが組まれ、試合開始直前と試合終盤にグリーンミストで永田を攻撃する。しかし、永田の白目をむきながらのバックドロップと腕折りで堪らずギブアップ。バックステージで永田に敬服する。

2010/6/20、新日本プロレスの大阪大会、ルーザー・ボールド・ルールで矢野通に勝利するも飯塚高史の乱入で髪を切られそうになった棚橋弘至を一番弟子のKUSHIDAと共に救出。矢野の頭を丸坊主にさせ、バックステージで棚橋・KUSHIDAの3人でユニット「タナスマ」を結成する。2010年度J SPORTS CROWNに同ユニットで出場し、準優勝にも輝いた。

7/11、タッグマッチの入場中に髪を丸坊主にされた矢野の襲撃で右膝を破壊される。試合後右膝の外側靭帯及び後十字靱帯一部断裂、半月板損傷と診断され、その後組まれていた全ての試合を全面欠場することになった。しかし、翌19日の北海道大会で破壊された右足を引きずりながらも矢野と対戦。テキサスクローバーホールドで敗れるも試合後にグリーンミストで矢野を攻撃し、痛み分けで終わる。

8月のG1クライマックスのスペシャルタッグマッチで遺恨のあった永田とタッグを組んで飯塚・高橋裕二郎組と対戦。序盤は永田からも見放され、未だ完治していない右ひざを終始攻撃されるも、次第に永田が手を差し伸べるようになる。試合はグリーンミスト噴射による反則負けになるも、永田のブルーミストとのコラボレーションと飯塚へのアイアンフィンガーフロムヘルによる地獄突きを行い、永田と固く握手をして和解する。翌日には中西学とタッグを組み飯塚・内藤哲也組と対戦、試合後に椅子を持って飯塚の右足を破壊しようとするが失敗に終わった。

11月、右ひざ完治後は矢野とのシングルマッチが組まれ、矢野の番傘を使ってのグリーンミスト対策と赤霧で1度は敗れるも、後日行われたシングルマッチで番傘で矢野のグリーンミスト対策を逆手にとり、傘の中で至近距離によるグリーンミストを噴射。バズソーキックでフォールを奪い再び痛み分けに終わるも矢野との抗争を終える。その後、新日本へのリングに上がらずSMASH内での活動に身を投じる。

2010/12/26、元同僚さくらえみ率いるアイスリボン後楽園大会に参戦。直前の3日には19時女子プロレスにゲスト出演した他、FIGHTING TV サムライ「Versus」でさくらと対談もしている。

その他

  • クルーザー級王者時代、会場から帰宅する際にロッカーに仕舞ってあったベルトがないことに気づき盗まれたと考えて意気消沈して帰宅し、後日ビンスに「タジリ、ベルトはどうしたんだ」と尋ねられて「なくしました」と告げると烈火のごとく怒られた。しかしこれはビンスのいたずらで、「バカ野郎、気をつけろよ」と笑いながらなくしたはずのベルトを渡されたという。
  • 既婚。2人の子供もいる。ブログではチビちゃん'sともよばれている。
  • 2011/7/6放送のシルシルミシルで山形県の高校生からグリーンミストの吐き方についての質問が紹介され、番組の協力で実際に投稿してきた高校生の自宅に向かい、5時間にわたりグリーンミストの吐き方を直接指導した。

タイトル歴

WWE
  • WWE・クルーザー級王座 : 3回
  • WWF・ライトヘビー級王座 : 1回
  • WWEタッグ王座 : 1回 (w / エディ・ゲレロ)
  • 世界タッグチーム王座 : 1回 (w / ウィリアム・リーガル)
ECW
  • ECW 世界TV王座 : 1回
  • ECW 世界タッグチーム王座 (w / マイキー・ウィプレック)
WCW
  • US王座 : 1回
大日本プロレス
  • BJW認定ジュニアヘビー級王座 : 1回
  • BJW認定タッグ王座 : 2回(w / 山川竜司)
CZW
  • CZW世界ヘビー級王座 : 1回
IWAプエルトリコ
  • IWAプエルトリコハードコア王座 : 1回
CMLL
  • CMLL 世界ライトヘビー級王座 : 1回
FCF
  • FCF王座:1回

入場テーマ

  • Smack My Bitch Up by The Prodigy (ECW)
  • T.I.W. by Harry Slash & The Slashtones (ECW)
  • Asiattacker by Jim Johnston (WWE)
  • Imperial City by Jesus Mercedes from Extreme Music Library (WWE)






スカンドル・アクバ
"General" Skandor Akbar
1934/9/29 - 2010/8/19

本名:James Saied Whebbe)元プロレスラー、マネージャー。テキサス州ヴァーノン出身のアラブ系アメリカ人

来歴

1963年にJimmy Wehba名義でデビュー後、1966年よりフリッツ・フォン・エリックの提案で、アラビア語で「アレキサンダー大王」を意味するスカンドル・アクバに改名。以降、シーク・スタイルのアラブ人ヒールとして、オクラホマのトライステート地区やジョージアのGCWなど、NWAの南部テリトリーで活動した。日本には1970年1月に日本プロレス、1973年6月に国際プロレスへ来日しており、1975年にはオーストラリアにも遠征している。

1977年に現役を退き、ヒールのマネージャーに転向。以降1980年代全般はダラスのWCCWを本拠地に、フロリダのCWFやビル・ワット主宰のMSWA(UWF)にも登場した。1990年代からはWCCWの後継団体であるGWFで活動。1995年には一時的にベビーフェイスとなり、旧敵ケビン・フォン・エリックのマネージメントを担当した。

20年強に及ぶマネージャー時代の担当選手には、若手時代のスティーブ・オースチン、マーク・キャラウェイ、ミック・フォーリー、ジョン・レイフィールド、武藤敬司など、後にプロレス界を代表するトップスターとなったレスラーも少なくない。

近年はテキサス州ダラス郡のガーランドに住み、トレーナーとして後進の指導にあたる一方、テキサスのインディー団体へのスポット出場を続けていた。2010年8月19日、前立腺癌のため死去。75歳没。

獲得タイトル

  • NWA北米ヘビー級王座(トライステート版):1回
  • NWA USタッグ王座(トライステート版):1回(w / ダニー・ホッジ)
  • NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / オックス・ベーカー)
  • NWAメイコン・タッグ王座:2回(w / バディ・コルト、ロケット・モンロー)
  • NWAオーストラアジアンヘビー級王座:1回
  • NWAオーストラアジアン・タッグ王座:1回(w / George Gouliovas)

担当選手

  • アブドーラ・ザ・ブッチャー
  • ディック・マードック
  • マーク・ルーイン
  • キラー・ブルックス
  • レロイ・ブラウン
  • ザ・グレート・カブキ
  • キングコング・バンディ
  • スコット・アーウィン
  • ビル・アーウィン
  • フィッシュマン
  • カマラ
  • ミッシング・リンク
  • キラー・カーン
  • ケンドー・ナガサキ
  • カリーム・モハメッド
  • ワンマン・ギャング
  • ブッチ・リード
  • ボリス・ズーコフ
  • テッド・デビアス
  • スティーブ・ウィリアムス
  • ビッグ・ブバ・ロジャース
  • ノード・ザ・バーバリアン
  • ハーキュリーズ
  • ダニー・スパイビー
  • スーパー・ブラック・ニンジャ
  • ジミー・ジャック・ファンク
  • スティーブ・オースチン
  • ザ・パニッシャー
  • キャクタス・ジャック
  • ボツワナ・ビースト
  • モアディブ
  • ジョニー・ホーク
  • ケビン・フォン・エリック
  • グレッグ・バレンタイン
  • ホンキー・トンク・マン

 etc.



  

















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