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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
9/30

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キャンディス・ミシェル
Candice Michelle Beckman-Ehrlich
1978/9/30

アメリカ合衆国の女子プロレスラー、ディーヴァ。ウィスコンシン州ミルウォーキー出身。アメリカのプロレス団体WWEに所属していた。現在はフリー。

経歴

10代の頃からモデルとして、雑誌やテレビなど様々なメディアに出演する。その中にはヌードモデルやポルノ映画への出演も含まれる。

2004年に行われたディーヴァサーチで最終の10人には選ばれなかったがその後WWEと契約を交わす。契約直後は試合以外で何度かRAWに出演していたがその後トレーニングを重ね試合にも出るようになる。

2005年6月にSmackDown!に移籍するが8月にRAWに戻り、トリー・ウィルソンやビクトリアと共に2005年のディーヴァサーチの優勝者のアシュリーをいじめるヒールキャラとなる。その後トリッシュ・ストラタスやミッキー・ジェームスがアシュリーに付き抗争を繰り広げる。

2006年になるとトリーと仲間割れし、ビクトリアと共にトリーと対立する。7月にはビクトリアと対立しベビーターンする。その後リタなどと抗争するが10/27のRAWで負傷し、戦線離脱する。

2007年のニュー・イヤーズ・レボリューションで復帰し、ミッキー対ビクトリアの女子王座戦でビクトリアに加勢しようとしたメリーナをマリアと共に排除し、ミッキーの王座防衛をアシストする。1/22のRAWでミッキーと組み、復帰戦を行いビクトリア&メリーナ組に勝利する。 復帰後はメリーナと抗争を開始し、6月のヴェンジェンスでメリーナから女子王座を奪取する。その後は何度か王座を防衛するが10月のWWE・ノー・マーシーでベス・フェニックスに敗れ王座を失う。10/22のRAWで鎖骨を骨折し、欠場する。

2008年の2/18のRAWで復帰する。3/17に復帰後の初試合を行い、復帰戦を勝利で飾る。しかし試合中左肩を負傷し、またも欠場となる。レッスルマニア24に出場が決まっていたが怪我のためアシュリーが代理で出場となる。そして9/1のRAWで復帰し、復帰戦で勝利する。10月のノー・マーシーで女子王者のベス・フェニックスに挑むも王座奪取とはならなかった。その後もベビーとして活動する。

2009年になってからは試合よりバックステージの映像や他のディーヴァのサポートといった形での出場が多くなる。その後足首を負傷し、出場が予定されていた4月5日のレッスルマニア25のディーヴァ・バトルロイヤルには優勝者へのプレゼンターとして出場する。 その後追加ドラフトでSmackDown!へ移籍が決定するが移籍後SmackDown!に登場することなく6/19に解雇される。

WWE所属時はディーヴァとして活動する傍らPLAYBOYの表紙を飾ったり、テレビなど様々なメディアに出演するなどWWE以外での活動も盛んであった。

タイトル履歴

WWE・女子王座 : 1回

入場曲

  • What Love is





イーブス・エドワーズ
Yves Edwards
1976/9/30

バハマの総合格闘家。ナッソー出身、現在はアメリカ合衆国在住。アメリカン・トップチーム所属。

ボクシング技術が高い打撃中心のファイターだが、寝技も得意。UFCとPRIDEに同時に出ていた時期があり、PRIDEでは「UFCの黒豹」と呼ばれていた。

来歴

2001/9/28、UFC 33でUFC初出場を果たすも、マット・セラに判定負けを喫した。

2003/8/10、修斗で川尻達也と対戦し、判定負けを喫した。

2004年はUFC 47でエルメス・フランカ、UFC 49ではジョシュ・トムソンを破る。しかしUFCがライト級の試合を組まなくなったため、タイトルマッチには辿り着かなかった。

2005/5/22、PRIDE初参戦となったPRIDE 武士道 -其の七-で三島☆ド根性ノ助と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。

2005/9/25、PRIDE 武士道 -其の九-で行われたライト級GP1回戦でヨアキム・ハンセンと対戦し、判定負けを喫した。

2006/4/2、PRIDE 武士道 -其の拾-で池本誠知と対戦し、判定勝ちを収めた。

2006/7/8、UFC 61でジョー・スティーブンソンと対戦し、額のカットによるTKO負け。この試合後、UFCからリリースされた。

2008/2/16、EliteXCでエドソン・ベルトと対戦。タックルに来たところにカウンターで膝蹴りを入れKO勝ち。6/14にはKJヌーンズの持つライト級王座に挑戦、右ストレートでダウンを奪われ、開始48秒でTKO負けを喫した。

2008/11/21、初参戦となったStrikeforceでドゥエイン・ラドウィックと対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2010/8/12、初参戦となったBellator FCでルイス・パロミーノと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2010/9/15、4年2か月ぶりのUFC参戦となったUFC Fight Night: Marquardt vs. Palharesでジョン・ガンダーソンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2011/1/22、UFC: Fight for the Troops 2でコディ・マッケンジーと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトおよびサブミッション・オブ・ザ・ナイトを獲得した。


 
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稲垣克臣
1969/9/30

日本の元総合格闘家。本名は稲垣 一成(いながき かずなり)。長野県佐久市出身。パンクラス稲垣組代表。

来歴

中学、高校時代は柔道を行っていた。

明治大学を中退し、プロフェッショナルレスリング藤原組に入団。デビューを目指し、練習を行っていたが、1992年12月の船木誠勝・鈴木みのるを筆頭とした大量離脱に帯同し、藤原組を退団。

1993/1/31、第2回トーワ杯カラテジャパンオープンに出場、2回戦は勝利したものの、3回戦で正道会館の金泰泳に右バックブローでKO負けを喫した。

同年9/21、パンクラス旗揚げ戦の第1試合において、鈴木みのると対戦。チョークスリーパーにより、黒星デビューとなった。パンクラスデビューに際し、本名から稲垣克臣へ改名を行った。

パンクラスにおいて実績を重ねながらも、度重なる怪我により精彩を欠くようになる。

2001/11/21、キングダム・エルガイツのメインイベントで入江秀忠と対戦し、15分を戦いポイント差により敗れた。

2003/6/22、パンクラスで行なわれた引退試合で國奥麒樹真と対戦し、チョークスリーパーで一本負けを喫した。

引退後は、P's LAB大阪でインストラクターを務めながら、パンクラス稲垣組の代表として、前田吉朗を中心とした後進の指導に当たっている。






天田麗文
1969/9/30

日本の元女子プロレスラー。身長169cm、体重70kg、血液型O型。中華人民共和国・上海出身。中国残留孤児2世。全日本シングル・タッグ・ジュニアの三冠王に君臨した唯一の選手である。

度重なる怪我により活動した期間は短いが、FMWにおけるヒールレスラーとしての独特な存在感がファンに強い印象を残した。杉作J太郎はその頃の天田の追っかけを敢行していた。

経歴・戦歴

プロレス入り前
  • 小学生時代に日本に移住するが、言葉も分からない慣れぬ土地で、一人部屋でテレビを見ているばかりの生活を送る。そんな時、テレビに映しだされた全日本女子プロレス中継に出ていた長与千種に魅せられ、プロレスラーを志す。
1986年
  • 全日本女子プロレスに入門。
  • 9/25、埼玉・大宮スケートセンターにおいて、対平田八千代戦でデビュー。
1988年
  • 12/11、豊田真奈美を下し全日本ジュニア王座獲得。
1989年
  • 3/4、神谷美織とのタッグで全日本タッグ獲得。
  • 8/24、全日本シングル王座獲得により三冠達成。
  • 10/6のタッグリーグ・ザ・ベスト'89最終戦を最後に、肩の怪我や腰痛のため、全女を退団。
1990年
  • 4/5、FMWに工藤めぐみ、コンバット豊田と共に乱入という形でカムバックし、ヒールのトップとして活躍、後にベビーフェイスに転向した工藤と抗争を展開し、決着戦では壮絶なKO負けを喫した。女子部活性化への土台を築いた一人とされる。
  • カムバック後、全女時代に患った腰痛が再発し、プロレスを続けることが困難になり、12/22、姫路市でのFMW女子初の単独興行「YAMATONADESHIKO」での対コンバット豊田戦を最後に引退。
  • その後は完全にプロレス界から離れ、一般人と家庭を築いている。

タイトル歴

  • 全日本ジュニア王座
  • 全日本シングル王座
  • 全日本タッグ王座




  

















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