BBM DRAGON GATE
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DRAGON GATE
兵庫県神戸市に本拠を置く日本のプロレス団体。略称はドラゲー、DG。
概要
以下の記述の一部は前身の闘龍門JAPAN時代の記述も含む。
2004/7/5に闘龍門JAPANから名称変更。日本の競技性、アメリカのエンターテイメント性、メキシコのスピード感をミックスしたレスリングを展開し、首都圏や本拠地である神戸、大阪、地上波中継枠を持つ福岡などで高い人気を持つ。
闘龍門時代から一貫して黒を団体のイメージカラーとしている。マットカラーは通常は黒で、一部の大規模な興行では白、KING OF GATE
2005ではピンクのマットを使用した。現在は通常興行でも白が使われている。
レスラーの特徴
所属選手の大半が前身の闘龍門JAPANの母体となったプロレスラー養成学校・闘龍門の出身である。所属する全選手が1970年以降の生まれで20代の選手の比率が高く、平均年齢は他団体に比べて若い。各レスラーにキャラクター付けがなされており、数年は前座で下積みを行なう既存の団体とは違ってデビュー当時からギミックが確立されている。
体格も身長160 - 170cm台、体重70 -
80kg台と従来のジュニアヘビー級レスラーよりもさらに一回り小柄な選手がほとんどで、従来の「超人」的なプロレスラー像とはかけ離れた等身大のプロレスラー像を掲げている。これは選手を囲んだ食事会や海外旅行ツアーなど身近でファンがレスラーと接する機会を設けたイベントが他団体に比べて多く行なわれることからも窺える。
プロレス関係以外のメディアへの出演として、「踊る!さんま御殿!!」に、CIMAが過去3度、B×Bハルクが2度、マグナムTOKYOが1度出演している。
マッチメイク
ルチャリブレをベースとしたプロレスを行っており、スピード感溢れる試合内容が特徴。特に6人タッグマッチがメインに組まれることが多く「タッグマッチではリング下に転落するとタッチが成立する」というルチャリブレにも取り入れられているルールが存在するため、リング上で選手が次々と入れ替わり立ち替わりする。所属選手のほとんどはユニット(チーム)に所属しており、アングルは主にヒールユニット対各ユニットのユニット間同士の抗争を中心に展開される。
また、ほぼ全興行でマイクパフォーマンスが行なわれるのも特徴である。ほとんどのレスラーがマイクパフォーマンスに特化しており、内容はこれまでのアングル展開の説明、アングルの発展、レスラー弄りと多彩である。マイクパフォーマンスを中心とするアングル展開は闘龍門創設者であるウルティモ・ドラゴンがWCWで学んだノウハウを組み込んだものである。
すぐにユニットのメンバーが入れ替る様は「花いちもんめ状態」と書かれたほど。ヒールユニット以外の各ユニットの関係は比較的良好であるため、Pos.HEARTSやルネッサンスなどユニットの掛け持ちも行われていた。
支持層
上記の要素が相まって旗揚げ以降それまでプロレスを見なかった層を取り込むことに成功し、20代の女性を中心に口コミで人気が広まり、現在では観客の半分強を女性が占める。地道な営業努力とわかりやすいキャラクター性から老若男女問わず支持層は広がっている。他団体・フリーの大物選手のほとんどを「X」扱いにし、客寄せに利用しない姿勢は、看板選手・ファンともに自家製で育ててきた自負に由来する。実際、天龍源一郎が闘龍門に初参戦した際の会場でのアンケートで、半数近くのファンが天龍を知らなかったという結果が出ており、プロレス団体として特異なファン層を築いていることを裏付けている。
運営方針
日本のプロレス団体の中で年間興行数が最も多く、ほぼ毎月全国的に巡業が行われている。あえて大会場での興行は殆ど行わず、後楽園ホール等の中規模会場を中心としている。最大の興行は毎年7月に行われる神戸ワールド記念ホール興行「KOBEプロレスフェスティバル」で大手メジャー団体を上回る観客動員を記録している。また月に1度のペースで「LIVE
GATE」として小規模なライブハウスで興行を行う。以前は神戸チキンジョージで行っていたが2006年からはSITE-KOBEを使用している。
旗揚げした2004年と2005年の夏にはフジテレビジョンのイベント『お台場冒険王』に「お台場毎日プロレス」と称して参加し、子供達にもわかりやすいプロレスを提供した。2004年の「お台場毎日プロレス」が開催されていた時は、お台場興行をダブルヘッダーで行なうなど選手の負担が大きかったことから、2006年は開催しなかった。
2005/11/17、中国河南省で初の海外興行を行った。また、2006年にはROHの3/30のデトロイト興行、3/31、4/1のシカゴ興行にCIMAや斎藤了など計6選手を派遣した。今後の海外活動の拠点としてアメリカ・テキサス州ヒューストンに現地法人と道場を設け、さらに2007年7月にはオーストラリアのプロレス団体AWFと共同でシドニーに道場を設立。2008年にはアメリカでDRAGON
GATE USA大会が行われた。
2007/1/14、プロレス業界初となる団体内レコードレーベルDRAGON GATE RECORDSを設立。
2009年にはDRAGON GATE USAを傘下団体化、2、3か月に一度のペースで定期的にアメリカ興行を開催している。2010年にはイギリスにDRAGON
GATE UKを設立し、PAC、マーク・ハスキンスが所属選手となる。
別ブランド興業
DRAGON GATEでは通常のシリーズ巡業とは別に以下のような興業が行われている。
- キャリアの浅い若手選手中心の興業。主に団体事務所併設のDRAGON GATEアリーナで開催される。
- 日本(DRAGON GATE)、アメリカ(ROH、PWGなど)、メキシコ(AAAなど)の3か国の団体の選手による合同興業。年に1度のペースで行われる。JAMはJAPAN、AMERICA、MEXICOの頭文字を合わせたもの。
- 武勇伝
- 望月成晃が企画した自主興行。団体外の選手が数多く参戦しているのが特徴で、かつて袂を分かった闘龍門MEXICO勢も参戦している。
他団体との交流
闘龍門時代から他団体との交流には慎重で、あくまでもカード提供や選手派遣に留めていることがほとんどで、互いのアングルに干渉するような大規模な対抗戦は行っていない。団体が追求しているものがあくまでもプロレスの「面白さ」や「格好よさ」で、大手メジャー団体のような「強さ」ではないためである。特に、他団体のレスラーと強弱の観点で比較されるのを、ギミック上のものと選手の技量両方の意味で極端に嫌う。
しかし、2006/11/24に団体の開国宣言、積極的に他団体と交流することを発表した。グローバル・レスリング連盟(GPWA)に参加していない立場を利用し全方位での外交を進めている。
- 新日本プロレス
- 望月成晃とB×Bハルクが新日本のLOCK UPに参戦したことをキッカケに本格的に交流を見せた。DRAGON GATEからは望月成晃やB×Bハルクの他、ドン・フジイや神田裕之、CIMAも新日本のリングに上がり、ハルクはベスト・オブ・ザ・スーパージュニアにもエントリーされた。逆に新日本からは獣神サンダー・ライガーを始めとする元C.T.Uのメンバーの邪道と外道、スポット参戦として金本浩二や永田裕志などがDRAGON
GATEに参戦。2009年にはYAMATOがベスト・オブ・ザ・スーパージュニアおよび第5回スーパーJカップへ参戦。
- プロレスリング・ノア
- ディファカップなどでの絡みはあった。2007年にCIMA、横須賀享、ドラゴン・キッド、土井成樹、堀口元気、新井健一郎、岩佐拓などが参戦。特にCIMAと丸藤正道、土井とKENTAの抗争も生まれた。一方のノアからもムシキング・テリーや、闘龍門時代にレギュラー参戦した経験があるリッキー・マルビン、さらにはKENTA、ストーカー市川の対戦相手Xとして秋山準もDRAGON
GATEに参戦した。現在は疎遠となっている。
- ZERO1(旧ZERO1-MAX)
- ディファカップにエントリーされたスペル・シーサーがいち早く参戦し、その後は望月成晃と、バトラーツからの友人同士である日高郁人の繋がりから2007年の夏から望月が本格的に参戦。インターナショナル・ジュニアヘビー級王座を獲得した他、天下一Jr.や火祭りにも参加している。ちなみに元ドラゴン・ゲートの菅原拓也と6人タッグ戦ながら望月は対戦している。ドラゴン・ゲートと元ドラゴン・ゲートがリングで顔を合わせるのは、望月と菅原が初である。ストーカー市川も大森隆男と対戦している。その後は望月と鷹木信悟が定期参戦している。
- みちのくプロレス
- 闘龍門旗揚げ戦の前にメキシコから逆上陸し初参戦した団体が、みちのくプロレスである。DRAGON GATEに名称を変更した後もザ・グレート・サスケや新崎人生がゲスト参戦し、さらにはフジタ"Jr"ハヤト、元闘龍門の南野武や野橋真実(新井小一郎)が望月成晃の自主興行“武勇伝”に参加するなど友好的な関係は今でも続いている。
- 大日本プロレス
- 「武勇伝」に関本大介やMEN'Sテイオーなどが数回参戦したが、デスマッチが主軸の大日本とルチャが主軸のドラゴン・ゲートが交わることは無い。一度退団し、再びドラゴン・ゲートに戻ってきた谷嵜なおきが、大日本に継続参戦していた。
- 大阪プロレス
- 同じ関西に地盤を持つ大阪プロレスとは闘龍門時代から犬猿の仲と言われており、初めて接点を持ったのは2004年の大阪プロレス主催のスーパーJカップだったが、ギリギリまで参戦を渋っていた。元所属選手のマグニチュード岸和田、Gammaが参戦していることから繋がりを持つ可能性は低いと思われていたが、スペル・デルフィンが大阪プロレスから離れたことにより状況は一変。VKFのマットでシーサーズが大阪プロレスの選手と対戦。2008年11月にはストーカー市川がデルフィンアリーナに乗り込み、闘龍門出身の松山勘十郎とタイトルマッチをおこなった。その後、望月成晃やドン・フジイも参戦し、秀吉の正体とされる人物が過去に旧闘龍門JAPANに参戦していたことを明かした。また、CIMAはテッド・タナベ追悼興行に単発参戦。2010年、CIMAが週刊プロレスのコラム上で大阪プロレスを批判する内容を記載したことから、DRAGON
GATEの大阪大会にタイガースマスクとブラックバファローが乱入し抗争が勃発。2010/4/18にスペル・シーサーがタイガースマスクに敗北しオープン・ザ・ブレイブゲート王座が流出。6/18に両団体のエースであるCIMAとビリーケン・キッドのシングルマッチを含む全面対抗戦の開催が決定した。6月にはスタジオマッチにタイガースマスク、ブラックバファロー、THE
BODYGURDの新生LOVが乱入。
- KAIENTAI-DOJO
- K-DOJO旗上げとT2Pの旗上げが、ほぼ同時期。両団体の選手の平均体重が近い、小柄なレスラーが多いという共通点があるなどで、2005年の半ばから交流を持ち、主に旭志織と大石真翔の2名が定期的に参戦した。それ以外にもPSYCHO、アップルみゆき、SUPER-X(現:円華)、火野裕士、TAKAみちのくが数回参戦した。DRAGON
GATEから参戦した選手は望月成晃、フロリダ・ブラザーズ、鷹木信悟である。特に鷹木と火野の抗争もあったが、大きな対抗戦には発展していない。
- その後は、「武勇伝」や年末のインディーサミットで顔を合わせる程度になり、しだいに疎遠になってしまった。しかし、2008年にTAKAみちのくが久しぶりに参戦。円華もK-DOJOを離れる前にWORLD-1の助っ人やKING
OF GATEに出場している。
- DDTプロレスリング
- 2007/4/18にはDDTプロレスリングとの合同特別興業DDGを開催。2008年にも同じくDDGを成功させたが、その後は主だった交流は無い。
- 健介office
- 健介オフィス旗揚げ前に佐々木健介、中嶋勝彦、北斗晶が頻繁に参戦し、佐々木はフロリダ・ブラザーズのメンバー“ケンスキー佐々木”として、中嶋はFinal
M2Kの助っ人として、北斗晶は佐々木のセコンドやストーカー市川とのコメディマッチが定番だった。
- 健介オフィスを立ち上げてからは特に関わっていなかったが、武勇伝で再び急接近し交流が再開している。ちなみに、現在は引退しているが、元DRAGON
GATEの三島来夢は、退団後に健介オフィスに所属した。
- ROH
- CIMAが最初にROHに参戦し大成功を収めたことから交流を持ち始め、ROHのリングには鷹木信悟、斎藤了、ドラゴン・キッド、堀口元気、土井成樹、吉野正人など数多く参戦。逆にROHからもマット・サイダル、ジャック・エヴァンスがDRAGON
GATEにレギュラー参戦しており、その他オースティン・エイリース、ロドリック・ストロング、デリリアス、ジミー・レイブなどが続々参戦。さらにROHジャパン・ツアーをDRAGON
GATEとプロレスリング・ノアが全面協力し、ROH日本興行を成功させた。その後、金銭トラブルによって関係が悪化したため、提携を破棄している。
- その他
- 提携関係はないが土井成樹と吉野正人がTNAからのオファーを受け参戦した。WWEにはCIMAがトライアウトという形でダーク・マッチに出場。なおWWEはECWの放送の中で、かつて参戦していたマット・サイダル(エヴァン・ボーン)について、解説のマット・ストライカーが「彼はDRAGON
GATEで磨かれた」と実際に団体名を挙げて評価した。
- アメリカだけではなく、斎藤了はイギリス遠征、新井健一郎はドイツ遠征に行き、DRAGON GATEの本隊も中国で興行する。
- ストーカー市川は豊田真奈美の自主興行やアジャ・コングの自主興行、いわゆる女子プロレスにも参加。プロレスだけでなく、総合格闘技イベント「HEAT」で戸澤塾のメンバーが提供試合をしている他、ストーカー市川も選手として総合格闘技DEEP
IMAPCTに参加した
特殊な試合形式
- オープン・ザ・ドリームゲート次期挑戦者決定キーハンティング3WAY(または4WAY)マッチ
- 挑戦者が3人以上名乗り出た場合の挑戦者決定戦。リングのコーナーにある全12個のコーナーマットの裏に隠されているカギを見つけるか、フォール、ギブアップで勝ち残った者が勝者。
- ルールは、試合開始5分までは通常の3WAYまたは4WAYマッチ。5分経過後にコーナーマットを外すことが出来るようになる。コーナーマットは3WAYマッチの時は一人4個まで、4WAYマッチの時は一人3個まで外すことができ、4個または3個外した時点でカギが見つからなかった選手は失格になる。しかし退場者が出て、最後の二人になった時点ではその制限がなくなる。
- DRAGON
GATEのコーナーマットは他団体と違って、マジックテープで固定されているので簡単に外すことができる。また試合が進むにつれてどんどんとコーナーの金具がむき出しになっていくので、コーナーの危険度があがっていくようになっている。
- なにわ式イリミネーションマッチ
- ユニット同士の決着戦用に、吉野正人が考案した試合形式。時間差バトルロイヤルとイリミネーションタッグマッチを合わせたもの。
- ルールは、まず試合前に先攻と後攻を決めておく。最初はシングルマッチで始まり、残りの選手は90秒毎にテーマ曲と共に入場する。フォール、ギブアップの他にオーバーザトップロープでも退場になり、最終的に相手ユニットの選手を全て倒した陣営の勝利。
- 先攻、後攻の順番で入場していくので、先攻のユニットが早く全員揃うことから先攻有利と言われている。
- ジャンケンやクジ等、先攻後攻の決め方は、ユニット同士の決着戦用というには、平和的である。
- 大江戸式カウントダウンイリミネーションマッチ
- ルールがなにわ式と若干異なり、くじ引き・先攻・後攻がないフェアなルール。最初はシングルマッチで始まり、90秒毎にリング外に用意されたケージから両チームの選手をそれぞれ任意で1名投入出来る。フォールまたはギブアップで退場する。
- 名古屋式イリミネーションマッチ
- ドラゴン・キッドが考えたルール。最初はシングルマッチで始まり、残りの選手は数字が書かれた紙が入っている封筒をくじ引きし、90秒毎に若い数字を引いた選手から入場していく。全員揃うまではフォール・ギブアップ・オーバーザトップロープで退場する。全員揃うとオ-バーザトップロープが退場条件から外される。くじの結果いかんによっては、序盤にかなり戦力差がついてしまうルールであり、初めてこの形式での試合が行われたときに、ドラゴン・キッドは3対1という劣勢に立たされてしまった。
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