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国際プロレス

かつて存在した日本のプロレス興行団体。なお国際プロレスは通称で、正式社名は「インターナショナル・レスリング・エンタープライズ (International Wrestling Enterprise、略称IWE)」である。名付け親はプロレス評論家の菊池孝。会社事務所は高田馬場、道場は埼玉県大宮市(現:さいたま市)に存在した。

概要

1967/1/18に東京都浅草台東体育館で、アントニオ猪木の東京プロレスとの合同興行で旗揚げ。TBSと東京12チャンネルで定期放送されていた。テレビの定期放送終了の半年後、1981/8/9の北海道羅臼町大会で活動を停止した。

旗揚げ・東京プロレスとの業務提携

創業者の吉原功社長は、早稲田大学レスリング部出身の元プロレスラーで、日本プロレス営業部長を務めていたが、力道山の死後、経営方針を巡る対立で日本プロレスを退社した人物である。創業当初は、旧来の「団体」という形ではなく、所属選手を抱えず試合をするリングのみを提供するという、アメリカの「興行会社」のスタイルを志向していた。ゆえに既存団体の選手を出場させるのも可能と考えていたという。もっとも、他団体が所属選手を抱えるタイプの団体(日本プロレス)しか存在せず、今と違って日本人のフリーランス・レスラーが日本国外活動組以外いなかったこの当時にあっては、この構想は機能するはずもなく、普通の所属選手を抱える団体に転換している(日本で最初に所属選手の契約書を作ったのは国際プロレスである)。

アメリカで活躍する日本人プロレスラー ヒロ・マツダをエース兼ブッカーとし、日本プロレスからアマチュアスポーツのトップアスリートだった、杉山恒治(サンダー杉山)、草津正武(グレート草津)を同道した。1967年の旗揚げに際しては、国際プロレスよりも先に旗揚げをしたものの、興行不振で単独での興行能力を失っていた東京プロレスからアントニオ猪木らが参加し、合同興行との形で旗揚げをしたものの、テレビ局との放映契約を結べなかったことや大物外国人選手を招聘できなかったことなどもあり、興行は振るわず東京プロレスとの提携もこの旗揚げシリーズのみで破綻する形となった。この時、猪木は永源勝(後の永源遙)、北沢幹之、柴田勝久らと日本プロレスへ帰参したが、木村政雄(後のラッシャー木村)、寺西勇らは国際プロレスに残留した。猪木らの離脱に入れ替わる様に、旗揚げ興行に参加しなかった豊登が参戦し、マツダとのタッグが看板チームとなったが、戦力、資金面でも日本プロレスとの差は歴然としていた。

TBSプロレスとして再起動

1967/8/1、TBSテレビとの放映契約がまとまり「来年1月からの中継開始」が発表された。国際プロレスは資金調達の名目で、広島の乳業会社社長であった岩田弘を相談役に迎えた上で、TBSテレビのバックアップを受ける形で仕切り直しを行った。その一環として、4年前に日本プロレスの契約を打ち切られたグレート東郷を新たなブッカーとして招聘し、外国人招聘を強化することとなった。東郷の関与を嫌ったマツダは国際プロレスから撤退し、再び海外へ活動拠点を移した。この時点では代表であった吉原は蚊帳の外に追いやられる形で、岩田とTBSの中継担当者であった運動部副部長の森忠大が運営を事実上掌握する形となっていた。

1968年1月より、TBSテレビのバックアップを受け『TBSプロレス』と改称し新シリーズを開幕。TBSの意向で新人の草津をエースにと目論むも、1月3日のテレビ放映第1戦でルー・テーズのバックドロップに失神負けを喫して頓挫。しかしながら日本プロレスの蔵前国技館とTBSプロレスの日大講堂の同一日興行は“隅田川決戦”としてマスコミの話題となり、以降プロレス界は日本テレビとTBSのテレビ2局の対立時代に入った。

ところが、再起動からわずか1か月後の同年2月には、ブッキングを巡る金銭問題から東郷が、招聘した外国人選手とともに参戦をボイコットする事態が発生し、そのままTBSプロレスと絶縁する事態となった。この緊急事態により、岩田とTBSは急速に発言力を失い、再び「国際プロレス」の名の下で、吉原が再度実権を取り戻す形となった。吉原は日本レスリング協会会長であった八田一朗の紹介を受けて、新たにヨーロッパからの外国人選手ルートの開拓に成功し、ビル・ロビンソンやモンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)らが国際プロレスに初来日を果たしている。

国際プロレスの興亡

その後は、豊登、杉山、草津らによる複数エース体制を経て、1971年からはストロング小林が、1975年からはラッシャー木村が、IWA世界ヘビー級選手権者としてエースを務めた。

1970年代には、新日本プロレス、全日本プロレスに次ぐ第三の団体という位置付けだったが、エースのストロング小林の離脱などスター選手不在に悩み、両団体と比較するとマイナー感は否めなかった。話題作りもあって、選手入場時のテーマ曲の採用、日本人選手同士の対戦、日本人初の覆面レスラー『覆面太郎』、金網デスマッチ、女子プロレスを取り込んだ女子部の創設、『独立愚連隊』による軍団抗争など、後に日本のプロレスで一般的になったことをいち早く取り入れるなど、進取の気風に富んでいたとも言える。

1980/7/26には、埼玉県大宮市にあった合宿所兼道場に乗用車が突っ込む事故でガス爆発を起こし全焼する事故が発生。幸い選手は巡業中で難を流れたが、この悪い流れに比例するがごとく観客動員の低迷が続いた。この危機状況を打開するために、1980年には放映局であった東京12チャンネル主導で『救世主』として大木金太郎を獲得したが、大木獲得を事前に知らされていなかった吉原代表と東京12チャンネル側との関係に齟齬を来す形となり、肝心の大木も同年11月に退団。また、翌1981年には目玉カードとしてルー・テーズより寄贈されたベルトを争う『ルー・テーズ杯争奪戦』も実施したが、起死回生には至らなかった。結局、1981年3月をもって東京12チャンネルからレギュラー中継を、6月で特番中継枠を相次いで打ち切られた。当時、重要な資金源であるテレビ放映権を失った国際プロレスは同年8/9、北海道・羅臼町大会を最後に単独での興行能力を失い、崩壊した。

金網デスマッチ

日本初の金網デスマッチは1970/10/8、大阪府立体育会館で行われたラッシャー木村vsドクター・デス(ムース・モロウスキー)戦。事前に告知をしない形での決行だった。

この金網デスマッチが実現した伏線として、当時、目玉選手として招聘を予定していたスパイロス・アリオンの参加キャンセル問題があった。当時、国際プロレスはヨーロッパルートに加え、アメリカ・ミネアポリスを本拠とし、NWAと比肩していたバーン・ガニア率いるAWAと提携し、名のある外国人レスラーも招聘できる態勢が整ってきていた。そこで、国際プロレスはデイリースポーツの協力を得て、当時来日が実現していなかった外国人選手を、ファン投票の結果で招聘する『あなたがプロモーター』企画を行い、1位となったアリオンを含む投票上位選手の招聘を行ったが、圧倒的な海外ネットワークを持つ日本プロレスにことごとく妨害された。アリオンも一度は来日に合意しながらもキャンセルとなったため、当初予定していたサンダー杉山とのIWA世界シングル戦も中止に追い込まれた。その代替カードとして浮上したのが、遺恨が発生していた木村とドクター・デスとの完全決着戦であり、日本初の金網デスマッチが実現する形となった。関係者は急ピッチで、アメリカで実際に行われた際の写真を参考に金網が製作されたが、余りにも急に製作したことから『金網に出入口を付け忘れてしまった』という珍事が起きている(『プロレス醜聞100連発!!』88P-89Pより)。

国際プロレスとしては、この金網デスマッチは一回限りと考えていた。しかしその後、全国のプロモーターから「ぜひうちの地域でも」と要求され、仕方なく行った。開催の要望が多かったことから乱発せざるを得なくなり、マンネリ化により団体の首を締める結果となってしまう。

他団体でも当時実現しなかった金網デスマッチは、正に国際の真骨頂という雰囲気はあった。しかし流血の度合いがおびただしく、前述のラッシャー木村vsドクター・デス戦はTBSが中継放映したが、その後局内でも放送の是非が問題視され、結局TBSは自主判断により以降の金網デスマッチの放映を封印した。

串間努『少年ブーム』、森達也『悪役レスラーは笑う』等によれば、この流血シーンの放送自粛処置の発端は1962年、フレッド・ブラッシーが日本プロレスに参戦していた頃、その試合中の流血をカラーテレビで視聴していた老人が2人ショック死したことが挙げられる。その後一時カラー放送が中止されている。

TBSでの定期中継打ち切り後、後継となった東京12チャンネルでは放映を解禁した。凶器攻撃や金網に乱打している最中は「このシーンは凄惨なため、放送をご容赦ください」というテロップと観客席を映しそのシーンを映さない策が講じられた。その映像のカットは激しい流血を伴う凶器攻撃の最中だけで、攻撃が終了した後は、おびただしい流血になろうと中継をカットすることはなかった。

1972/11/27、愛知県体育館で日本初の金網タッグデスマッチ、ストロング小林&グレート草津vsディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー戦が行われた。しかし、外国人組が隙をついてリングから脱出するという不可解な決着をしている。これは、外国人側がアメリカでは一般的なエスケープルールと誤認していたという説もある。この決着に納得しない観客が、「勝負がついていない」「完全決着ではない」と暴れたり座り込みをするなどの暴動に発展、機動隊が出動する騒ぎとなった。

外国人選手の招聘

当時の日本プロレス界は、「ガイジン至上主義」であり、プロレスのメッカはアメリカだった。大物外国人をアメリカマットから連れてくることこそステータスの時代だった。

国際プロレスでは設立当初、ヒロ・マツダをエース兼ブッカーとしてアメリカからのレスラー招聘責任者としたが、TBSの意向でグレート東郷がブッカーとして登用されたため、マツダは離脱する。その東郷もTBS放映開始まもない1968年2月には金銭トラブルから離別し、国際プロレスは北米ルートを完全に遮断されてしまう。

そのため吉原社長は八田一朗の力を借りヨーロッパに独自のコネクションを作り上げ、ビル・ロビンソンやモンスター・ロシモフ(のちのアンドレ・ザ・ジャイアント)などの多くの欧州強豪レスラーが、国際プロレスで初来日を果たした。なお、このヨーロッパのコネクションと吉原社長が協力して立ち上げたのが、団体崩壊までのタイトル統括組織となったIWAである。

その後アメリカルートも少しずつ繋がり始めたが、NWAのコネクションは日本プロレスが持っていたため、当時のアメリカの3大メジャー団体2位だったAWAと提携を結ぶ。これにより1970年以降、大物米国人レスラーが多く来日するようになり、世界ヘビー級王者のバーン・ガニアや世界タッグ王者チームを招聘し、日本国内で世界タイトルマッチも行われるようになった。アンドレがアメリカに行くきっかけも、この提携からである。しかし、1975年にはこのAWAルートも解消し、カナダのカルガリーに大剛鉄之助を支部長とする北米支部を設置し、ここを招聘窓口とした。後の関係者の回想によると、ガニアから「自分達(AWA)を取るか、大剛を取るか」を迫られ、吉原が大剛を選んだとされている。また、団体後期にはルー・テーズがUSAで興した団体(IWA)と提携して選手を招聘したこともある。

前述の通り日本プロレスが存在していた頃は、大物外国人をなかなか招聘できずに苦戦していた国際プロレスであったが、後に海外マットや他団体の新日本プロレスおよび全日本プロレスで活躍する選手の中には、国際プロレスが初来日となったケースは多く、前述のビル・ロビンソン、アンドレ・ザ・ジャイアントのほかにも、リック・フレアー、ダスティ・ローデス、ワフー・マクダニエル、スーパースター・ビリー・グラハム、キラー・トーア・カマタ、カルロス・コロン、リック・マーテル、ジェイク・ロバーツ、ダイナマイト・キッドなどがいる。

女子部

国際プロレスは1974年9月に女子部を創設した。これに伴い日本初の男女プロレス団体となった。

女子部創設の背景には東京12チャンネルで中継を始めるに当たって、日本女子プロレスを中継していた局側から女子プロレスを組み込んで男女並立で放送することを条件として提示されたことにある。ちなみに日女の旗揚げは国際プロレスと同じ1967年で、旗揚げ戦の会場も同じ台東体育館であった。

女子部には日女に最後まで残っていた小畑千代、佐倉輝美らが所属、外国人も日女に参戦していたファビュラス・ムーラが参加し、日女の実質的な後継となった。これに加えてムーラ門下生を中心に外国人を多く招聘、ビッキー・ウィリアムス、レイラニ・カイらが国際プロレスで初来日を果たした。

ただし、男女団体と言えども今日のようにミックスド・ファイトを組む混成団体ではなく、女子部は単独で興行を行うか男子の興行において提供試合という形で挿入されていた。

1976年女子部は解散。

なお、小畑・佐倉が国際プロレス時代に獲得したIWWA太平洋岸タッグ選手権は、後にジャパン女子プロレスに持ち込まれて復活している。

テレビ放送

旗揚げから1年後の1968年1月からTBSで『TWWAプロレス中継』のタイトルで、レギュラー番組として放送。一時は団体名も「TBSプロレス」と名乗った。当初は毎週水曜 19:00 - 19:55で、後に水曜 19:00 - 19:30→日曜 18:00 - 19:00→日曜 18:25 - 18:55→日曜 18:00 - 18:30→土曜 14:00 - 14:30となった。1974年3月30日をもって番組は終了(関東地区)。番組開始当初はモノクロビデオ放送だったが1970/4/22の放送分からカラー化された。

因みに、これに先駆けて定期放送開始前のパイロット版的なものとして、1967/8/11に大分県営体育館で行われた『パイオニア・サマー・シリーズ』大分大会のメインイベント(ヒロ・マツダ、サム・ステンボードvsロジャー・カービー、ビル・ドロモ)の模様が、当日の大会の主催者でもあった大分放送のみで、翌1967/8/12の23:05 - 23:50に録画放映されている(モノクロ放送、解説は森忠大)。なお、それまで大分放送は、既存のプロレス中継をネットした経験さえもなく、ゆえにこれが同局で初めてのプロレス放映となった。

TBSでの打ち切りが決定すると、TBS運動部長の森忠大の紹介で、1974年10月から東京12チャンネル(現・テレビ東京)で『国際プロレスアワー』のタイトルで放送されるようになり、1981年3月まで定期放送された。放送時間は、1974年10月から1980年9月までが毎週月曜 20:00 - 20:54、1980年10月から1981年3月までは毎週土曜 20:00 - 20:54。当時の東京12チャンネルは系列がないため、独立UHF放送局(近畿地方・東海地方)や、他系列局への販売を行っていた。

東京12チャンネルは、定期番組としては打ち切った後も、中継そのものは不定期ながらも存続させることにしていた。実際に、1981年5月3日 18:00〜、同年9月16日及び9月23日 24:15〜に、それぞれ1時間の「特別番組」という形で中継を放映した。なお最終放映時のタイトルは『東京12チャンネル プロレスアワー』と表示された。

テレビ旗揚げ第1戦

TBSテレビの定期放送第1回のメインイベントは、王者ルー・テーズにグレート草津が挑戦するTWWA世界ヘビー級選手権試合(この選手権は東郷の画策で1967年に設立されたいわばお手盛りのタイトル)。試合前、TBSの関係者がテーズに対し、エースに目論んでいた草津に「花を持たせる」ことをそれとなく要求する。歴戦をくぐり抜け何度となくNWA世界ヘビー級王座にも就いたテーズにとって、キャリア3年にも満たず大きな実績もない草津に負けることなど認めがたいことであり、大いに憤慨。吉原もTBS側の無礼ぶりを認めたが、「TBSに顔が立たないから表面上は了承したふりをしていてほしい。でも実際に従う必要はない」とテーズに語り、テーズも了承する。

そして試合が始まる。草津の受け身が未熟であることを見抜いたテーズは、必殺のバックドロップを見舞う。現在残された写真では、急角度の危険なものではなかったが、食らった草津はあえなく失神。草津自身は失神はしておらず、セコンドにいたグレート東郷の指示で寝ていただけだと語っている。草津はそのまま試合放棄で敗戦となり、TBSの目論みは潰れることとなった。「エース」が(テレビ放映の)初戦でこのような無残な負け方をするなど前代未聞であり、その後の国際の苦難の道を暗示した一戦といわれる。

団体解散後

団体解散後は、新日本プロレスとの対抗戦を模索するが、マイティ井上、阿修羅・原、冬木弘道(後のサムソン冬木)、アポロ菅原、米村天心らはそれに反発し、全日本プロレスに移籍。フリーになったり引退するレスラーもおり、新日本プロレスのリングに上がったのはラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の3選手のみ。彼らは国際軍団(はぐれ国際軍団)としてリングに上がり、ヒールとして、新日本プロレスのファンから憎悪を一身に浴びることになる。吉原功社長は新日本の顧問となったが、1985年に死去した。

のち、ラッシャー木村は元国際の剛竜馬とともにUWFへ、さらに全日本プロレスへ移籍。鶴見・菅原・高杉らとのユニットは「国際血盟軍」と呼ばれたが、剛・菅原・高杉はのちに解雇され「パイオニア戦志」を旗揚げ。木村の馬場とのタッグ結成、鶴見のSWS移籍により軍団としては崩壊した。

現在は、鶴見が吉原社長の遺族の了承を得て、自身の団体に「国際」の名前を冠している。

テレビ中継を行っていたテレビ東京の連結子会社であるFMラジオ局InterFMでは国際プロレスに関する特集を組んでおり、解散30年目に当たる2011年1月31日には国際プロレスに所属していた選手のテーマ曲を放送する特別番組『私の好きな国際プロレステーマ曲 名曲セレクション』が20:00 - 21:00に放送された。

DVD化

プロレスのビデオ・DVDソフト化は珍しいことではないが、こと国際プロレスに関しては、TBS中継終期の名勝負はビデオソフト化され発売されたものの、東京12チャンネル放映時代の中・末期の映像は、団体の倒産及び中継終了以来、当時の映像の放映さえも殆ど無かった(わずかに、メインの実況を務めた杉浦滋男が死去した際、1977年3月に蔵前国技館で行われたIWAワールドシリーズ決勝戦の映像の一部が、テレビ東京のスポーツニュースの枠で流れた事例がある)。

東京12チャンネルがテレビ東京と社名を変更し、本社社屋を神谷町から現在の虎ノ門に移転した際、その当時の映像は全て破棄されたという噂もあったが、ついに2007年3月に待望のDVD化がなされることとなった。1969年から1974年までのTBS時代の映像は(新たに発掘されたものも含め)『伝説の国際プロレス』と銘打ち改めて発売され、元週刊ゴング編集長の竹内宏介が監修を務めた。また、1974年から1981年までの東京12チャンネル(現:テレビ東京)時代の映像は『不滅の国際プロレス』と銘打って発売され、竹内宏介とプロレスライターの流智美が監修を務めた。2作品ともポニーキャニオンから販売されている。デイリースポーツによるとポニーキャニオンの高原万平が同2作品の企画者である。

2010年8月には東京12チャンネル時代の映像を収録した『国際プロレス クロニクル』(上巻)がクエストから発売された。『不滅の国際プロレス』同様に流智美が監修を務めた。

タイトル

IWA

IWAは「インターナショナル・レスリング・アライアンス(International Wrestling Alliance)」の略。

  • IWA世界ヘビー級王座
  • IWA世界ミッドヘビー級王座
  • IWA世界タッグ王座

その他

  • WWU世界ジュニアヘビー級王座

女子(IWWA)

  • IWWA世界女子王座
  • IWWA太平洋岸タッグ王座


 
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伝説の国際プロレス
国際プロレス


Disk.1
1969/10/29新潟市体育館
藤井三吉vs佐野浅太郎
大磯武vs大剛鉄之助

グレート草津/サンダー杉山/豊登vs
ゴージャス・ジョージJr./バディ・コルト/ゴードン・ネルソン

1972/5/4渋川市体育館
サンダー杉山/ラッシャー木村/寺西勇vs
モンスター・ロシモフ/ティト・コバ/イアン・バイデン

Disc.2
1972/5/4渋川市体育館
第4回ワールド・シリーズ準決勝
ストロング小林vsドン・レオ・ジョナサン

1972/5/6盛岡市体育館
第4回ワールド・シリーズ決勝
モンスター・ロシモフvsストロング小林

1973/7/9大阪府立体育館
IWA
ストロング小林vsラッシャー木村

1973/9/8日大講堂
第5回ワールド・シリーズ
アニマル浜口vsブラック・ジャック・マリガン

1973/9/8日大講堂
第5回ワールド・シリーズ
グレート草津vsウイリアム・ホール

1973/9/26後楽園ホール
第5回ワールド・シリーズ
ストロング小林vsラーズ・アンダーソン

1973/9/26後楽園ホール
第5回ワールド・シリーズ
アニマル浜口vsマイティ井上


Disk.3
1973/10/10長崎国際体育館
第5回ワールド・シリーズ優勝決定戦
ラッシャー木村vsブラック・ジャック・マリガン

1973/11/2宮城県スポーツセンター
IWA
ストロング小林vsレッド・バスチェン

1974/1/19川崎体育館
IWA
ストロング小林vsカウボーイ・ビル・ワット

1974/1/25茨城県スポーツセンター
新春パイオニアシリーズ
グレート草津/寺西勇vsバディ・ロジャース/ポール・バッション

1974/1/26足立区体育館
新春パイオニアシリーズ
ストロング/小林/グレート草津vs
バディ・ロジャース/J・ブラウン


不滅の国際プロレス
不滅の国際プロレス


DISK.1
1974/5/26
豊田市体育館
IWA世界ヘビー級挑戦者決定戦
(日本代表決定戦)
ラッシャー木村vsグレート草津

金網タッグデスマッチ
ビル・ロビンソン、マイティ井上vs
セーラー・ホワイト、レーン・ゴルト
1974/6/3
後楽園ホール
IWA世界ヘビー級王座決定戦
ビル・ロビンソンvsラッシャー木村
1974/9/15
後楽園ホール
ビリー・グラハム、アニマル浜口力比べ
アニマル浜口vsビリー・グラハム

バロン・フォン・ラシクvsマイティ井上
1974/9/23
両国日大講堂
IWA世界タッグ選手権試合
ラッシャー木村、グレート草津vs
ビリー・グラハム、バロン・フォン・ラシク
1974/10/7
越谷市体育館
IWA世界ヘビー級選手権試合
ビリー・グラハムvsマイティ井上
1974/11/4
後楽園ホール
IWA世界ヘビー級選手権試合
マイティ井上vsレイ・スチーブンス
1974/11/20
蔵前国技館
AWA世世界ヘビー級選手権試合
バーン・ガニアvsビル・ロビンソン
1974/11/21
大阪府立体育会館
アニマル浜口vsビル・ロビンソン

IWA&AWA世界タッグ選手権
ラッシャー木村、グレート草津vs
ニック・ボック・ウィンクル、レイ・スチーブンス

IWA&AWA世界タッグ選手権ダブルタイトルマッチ
バーン・ガニアvsマイティ井上
1975/1/6
後楽園ホール
グレート草津vsボブ・オートン

ラッシャー木村、マイティ井上vs
ダニー・リンチ、ブッチャー・リンチ
1975/3/9
越谷市体育館
金網デスマッチ
ラッシャー木村vsザ・ワイルドマン
1975/3/10
後楽園ホール
グレート草津、寺西勇vsジャック・クレイボーン、稲妻二郎
1975/4/10
足立区体育館
IWA世界ヘビー級選手権試合
マイティ井上vsマッド・ドッグ・バション
1975/5/26
後楽園ホール
マイティ井上vsジェフ・ポーツ

DISK.2
1975/5/26
後楽園ホール
IWA世界ヘビー級選手権試合
ラッシャー木村vsキラー・トーア・カマタ
1975/6/8
大宮スケート
センター
金網デスマッチ
ラッシャー木村vsキラー・トーア・カマタ
1975/6/29
後楽園ホール
IWA世界ヘビー級選手権試合
ラッシャー木村vsマイティー井上

寺西勇、スネーク奄美vsコマンド1号、2号

グレート草津、アニマル浜口vs
ビッグ・ジョン・クイーン、ギル・ヘイズ
1975/7/28
大田区体育移管
IWA世界ヘビー級選手権試合
ラッシャー木村vsビッグ・ジョン・クイーン
1975/9/8
石和町小松
パブリックホール
アニマル浜口vsスネーク奄美
1975/12/2
横浜文化体育会館
IWA世界タッグ選手権試合 金網デスマッチ
ザ・コンバットvsグレート草津、マイティー井上
1976/12/3
後楽園ホール
IWA世界ヘビー級選手権試合、金網デスマッチ
ラッシャー木村vsジプシー・ジョー
1977/2/27
後楽園ホール
マイティー井上、グレート草津 vs 
マッドドッグ・バション、ジプシー・ジョー
1977/3/15
豊橋市体育館
マッドドッグ・バションvsジプシー・ジョー
1977/3/26
蔵前国技館
IWA世界タッグ選手権試合
グレート草津、アニマル浜口vs
ビッグ・ジョン・クイーン、クルト・フォン・へス

ワールドシリーズ決勝戦
ラッシャー木村vsマッドドッグ・バション
1978/1/19
水戸市民体育館
IWA世界ヘビー級選手権試合、金網デスマッチ
ラッシャー木村vsセーラー・ホワイト
1978/2/22
岐阜市民センター
インターナショナル・タッグ選手権試合
大木金太郎、キム・ドクvsラッシャー木村、グレート草津

DISK.3
1978/4/27
津山市総合
体育館
バトルロイヤル

WA世界ヘビー級選手権 挑戦者決定戦
ジプシー・ジョーvsマイティー井上
1978/7/28
ソウル文化体育館
インターナショナル選手権試合
大木金太郎vs稲妻二郎
1978/10/4
札幌中島スポーツ
アニマル浜口vsデビッド・ショルツ

チェーンデスマッチ
ラッシャー木村vsオックス・ベイカー
1978/11/25
蔵前国技館
日本リーグ決勝トーナメント
ラッシャー木村vsキム・ドク
1979/3/24
茨城県境町市
体育館
IWA世界タッグ選手権試合
アニマル浜口、マイティー井上vsザ・サモアンズ
1979/4/9
後楽園ホール
阿修羅原vsジプシー・ジョー
1979/4/14
会津体育館
ラッシャー木村、アニマル浜口vs上田馬之助、マサ斎藤
1979/4/18
長野鼎体育館
ラッシャー木村、グレート草津vs上田馬之助、マサ斎藤
1979/4/19
長野市民体育館
ラッシャー木村、アニマル浜口、阿修羅原vs
上田馬之助、マサ斎藤、ミスター・ヒト

アームレスリング
ビリー・グラハムvs梁 承揮、遠藤光男
1979/4/21
高岡市民体育間
IWA世界ヘビー級選手権試合 金網デスマッチ
ラッシャー木村vsビリー・グラハム
1979/5/6
後楽園ホール
IWA世界タッグ選手権試合
アニマル浜口、マイティー井上vs
キラー・ブルックス、ジプシー・ジョー

DISK.4
1979/5/6
後楽園ホール
WWU世界ジュニアヘビー級選手権試合
ミレ・ツルノvs阿修羅原
1979/6/21
水戸市民体育館
ラッシャー木村vsアレックス・スミルノフ
1979/7/21
村上市民体育館
マイティー井上、アニマル浜口vs
アンドレ・ザ・ジャイアント、ヘイスタック・カルホーン

IWA世界ヘビー級選手権試合
ラッシャー木村vsアレックス・スミルノフ
1979/10/3
黒石市中央
スポーツ館
ルー・テーズvs寺西勇
1979/10/4
秋田市立体育館
ルー・テーズvs鶴見五郎
1979/10/5
後楽園ホール
NWA世界ジュニアヘビー級選手権試合
ネルソン・ロイヤルvs阿修羅原

IWA世界タッグ選手権試合
アニマル浜口、マイティー井上vs大木金太郎、上田馬之助

AWA&IWA世界ヘビー級選手権
ダブルタイトルマッチ
ニック・ボックウィンクルvsラッシャー木村
1979/10/6
沼津市民体育館
ラッシャー木村、グレート草津vs
ルー・テーズ、ニック・ボックウィンクル
1979/11/14
諏訪湖スポーツセンター
バーン・ガニアvs阿修羅原
1980/1/16
岡山武道館
金網デスマッチ
阿修羅原vsジプシー・ジョー

DISK.5
1980/3/15
越谷市体育館
大木金太郎、ラッシャー木村vs
ディック・ザ・ブルーザー、モンゴリアン・ストンパー
1980/3/20
大和車体工業
体育館
アニマル浜口vsディック・ザ・ブルーザー
1980/11/1
後楽園ホール
ラッシャー木村、アニマル浜口vs
アレックス・スミルノフ、キラー・カール・クラップ
1981/1/7
館山市民センター
ルー・テーズ杯争奪戦 予選リーグ
マイク・ジョージvsジム・スター
1981/6/25
清水市鈴代記念
体育館
IWA世界タッグ選手権試合
マイティー井上、阿修羅原vsジプシー・ジョー、カール・ファージー

 

 国際プロレス
クロニクル 上巻
国際プロレス コロニカル


Disc.1
1980/3/31 後楽園ホール
四大タイトルマッチ入場式
IWAタッグ選手権
アニマル浜口&マイティ井上 vs 木村健吾&永源遙
WWUジュニアヘビー選手権 61分1本勝負
阿修羅・原 vs 剛竜馬
AWAヘビー級選手権 61分3本勝負
ニック・ボックウインクル vs 大木金太郎
IWAヘビー級選手権 61分1本勝負
ラッシャー木村 vs ジョニー・パワーズ

1980/4/13 後楽園ホール
60分3本勝負
大木金太郎 vs ジョー・ルダック

1981/1/7 館山市民センター
ルー・テーズベルト争奪リーグ戦 
Aブロック 20分1本勝負
マッハ隼人 vs ホセ・アローヨ
ルー・テーズベルト争奪リーグ戦 
Aブロック 20分1本勝負
寺西 勇 vs ボブ・スイータン
ルー・テーズベルト争奪リーグ戦 
Cブロック 20分1本勝負
ラッシャー木村 vs マイティ井上

1981/1/20 大阪府立体育会館
ルー・テーズベルト争奪リーグ戦 
Bブロック 20分1本勝負
鶴見五郎 vs ジ・インベーダー
ルー・テーズベルト争奪リーグ戦 
Cブロック 20分1本勝負
ラッシャー木村 vs レオ・ロペス

DISC.2
1981/1/20 大阪府立体育会館
ルー・テーズベルト争奪リーグ戦 
寺西 勇 vs ホセ・アローヨ

1981/1/29 黒羽町総合体育館
ルー・テーズベルト争奪リーグ戦 
Dブロック 20分1本勝負
ラッシャー木村 vs ジ・インベーダー

1981/1/26 白浜会館
ルー・テーズベルト争奪リーグ戦 
Aブロック 20分1本勝負
ホセ・アローヨ vs ボブ・スイータン
ルー・テーズベルト争奪リーグ戦 
Bブロック 20分1本勝負
アニマル浜口 vs ジ・インベーダー
ルー・テーズベルト争奪リーグ戦 
Cブロック 20分1本勝負
ラッシャー木村 vs マイク・ジョージ

1981/2/28 後楽園ホール
メキシカンタッグマッチ 30分1本勝負
寺西勇&マッハ隼人 vs エローデス&エル・コバルデ
マイティ井上&アニマル浜口 vs レイ・キャンディ&レッド・デビル
ラッシャー木村 vs ルーク・グラハム

1981/1/31 車体工業体育館
マイク・ジョージ vs 鶴見五郎
アニマル浜口&マイティ井上 vs ホセ・アローヨ&ジ・インベーダー
ルー・テーズベルト争奪リーグ戦 
Dブロック 20分1本勝負
ラッシャー木村 vs ボブ・スイータン

1981/1/30 常陸太田市民体育館
アニマル浜口&寺西勇 vs ボブ・スイータン&ベン・アレキサンダー
IWA世界ヘビー級選手権
ラッシャー木村 vs マイク・ジョージ

1979/4/20 富山市体育館
マイティ井上 vs ビリー・グラハム
IWA世界ヘビー級選手権
ラッシャー木村 vs 上田馬之助

1981/4/18 後楽園ホール
テリー・ラザン&ポール・エラリング vs ラッシャー木村&マイティ井上
阿修羅・原 vs スティーブ・オルソノスキー

DISC.3
1980/10/11 越谷市民体育館
大木金太郎 vs アレックス・スミルノフ
IWA世界ヘビー級選手権
ラッシャー木村 vs ロン・バス

1979/11/13 三条市厚生福祉会館
アニマル浜口&鶴見五郎 vs 上田馬之助&ヤス・フジイ
マイティ井上 vs モンゴリアン・ストンパー
IWA世界ヘビー級選手権
ラッシャー木村 vs バーン・ガニア

1979/11/14 諏訪湖スポーツセンター
ラッシャー木村 vs アレックス・スミルノフ
寺西勇 vs モンゴリアン・ストンパー
阿修羅・原 vs バーン・ガニア
IWAタッグ選手権
アニマル浜口&マイティ井上vs上田馬之助&ヤス・フジイ

1979/11/16 和歌山県体育館
上田馬之助&モンゴリアン・ストンパー&鶴見五郎vs
アレックス・スミルノフ&ジプシー・ジョー&キューバン・アサシン
IWA世界ヘビー級選手権
バーン・ガニア vs ラッシャー木村

1980/3/15 越谷市体育館
ラッシャー木村&大木金太郎 vs ディック・ザ・ブルーザー&ザ・ストンパー

1980/3/21 浜北市民体育館
IWA世界タッグ選手権
アニマル浜口&マイティ井上 vs ザ・ストンパー&トム・スタントン
特別試合 
大木金太郎 vs ディック・ザ・ブルーザー

1981/5/16 後楽園ホール
IWAヘビー級選手権
ラッシャー木村 vs スティーブ・オルソノスキー

1981/5/16 後楽園ホール
IWAタッグ選手権金網デスマッチ
ポール・エラリング&テリー・ラザンvs 阿修羅・原&マイティ井上

1979/10/3 黒石市中央スポーツ館
IWA世界ヘビー級選手権
ラッシャー木村 vs ジョー・ルダック

1979/10/5 後楽園ホール
AWA・IWA世界ヘビー級選手権
ラッシャー木村 vs ニック・ボックウインクル

1980/6/29 後楽園ホール
IWA世界タッグ王座決定戦
マイティ井上&寺西勇 vs ストロング小林&永源遙

DISC.4
1980/7/15 富士市立体育館
ラッシャー木村 vs スパイク・ヒューバー
IWA世界タッグ選手権
ストロング小林&永源遙vsアニマル浜口&マイティ井上

1979/7/17 中川町体育館
ラッシャー木村&マイティ井上 vs アンドレ・ザ・ジャイアント&アレックス・スミルノフ

1979/7/19 木古内町公民館
マイティ井上 vs アンドレ・ザ・ジャイアント

1979/7/21 村上市民体育館
バトルロイヤル
英連邦ジュニア・ヘビー級選手権/
WWU世界ジュニア・ヘビー級選手権
阿修羅・原 vs ダイナマイト・キッド

1980/11/1 後楽園ホール
マイティ井上&マッハ隼人 vs カルロス・プラタ&エル・ドーベルマン
大木金太郎 vs ザ・グレート・ムルンバ

1977/11/29 高田馬場ビッグボックス
原進 プロレス転向記者会見

1977/11/30 駿府会館
アジア・タッグ選手権
アニマル浜口&マイティ井上 vs 高千穂明久&サムソン・クツワダ

1978/1/2 後楽園ホール
アジア・タッグ選手権
アニマル浜口&マイティ井上 vs グレート小鹿&大熊元司

1978/2/26 後楽園ホール
原進、遠藤光男入団あいさつ

1978/4/26 岡山武道館
金網デスマッチ
大位山勝三 vs ジプシー・ジョー

DISC.5
1978/4/26 岡山武道館
マイティ井上&稲妻二郎 vs ミスター・ヒト&ボブ・マーカス

1978/4/26 岡山武道館
ラッシャー木村&グレート草津 vs クルト・フォン・ヘス&ザ・モンゴリアン

1978/4/27 津山総合体育館
グレート草津 vs クルト・フォン・ヘス

1978/6/26大阪府立体育館
鶴見五郎 vs ベルモ・サルバトーレ
エキシビション・マッチ
原進 vs 寺西勇

1978/7/18 岩手県営体育館
IWA世界タッグ選手権3本目
グレート草津&アニマル浜口 vs ミスター・ヒト&アレックス・スミルノフ

1978/10/4 札幌中島スポーツセンター
グレート草津&マイティ井上 vs レッド・デビルズ1号・2号
『日本リーグ争覇戦』の全貌を語る吉原功社長

1979/4/21 高岡市民体育館
IWAタッグ選手権
アニマル浜口&マイティー井上vs上田馬之助&マサ斎藤

1979/4/21 高岡市民体育館
IWA世界ヘビー選手権金網デスマッチ
ラッシャー木村 vs スーパースター・ビリー・グラハム

1978/11/25 蔵前国技館
日本リーグ争覇戦決勝トーナメント
マイティ井上 vs ジャンボ鶴田

1979/1/28大和市車体工業体育館
阿修羅・原 vs チーフ・ブラック・イーグル

1979/1/29勝田市総合体育館
ラッシャー木村 vs ザ・アトミック

1979/2/23 千葉公園体育館
IWAタッグ選手権
山本小鉄&星野勘太郎vsアニマル浜口&マイティ井上

1980/1/16 岡山武道館
マイティ井上 vs キラー・カール・クラップ
ラッシャー木村&グレート草津 vs ケビン・ヒューズ&チーフ・ホワイトフェザー

1977/11/21 藤岡市体育館
アニマル浜口 vs スイート・ダディ・バンクス
ラッシャー木村&剛竜馬 vs キューバン・アサシン&ロバート・ハンビー
マイティー井上 vs キラー・ブルックス


国際プロレス
クロニクル 下巻
国際プロレス クロニクル 下巻


DISC.1
マティ鈴木×流智美×緑健輔鼎談「吉原 功が残したパイオニア精神の検証」
・昭和41年相撲体質からの脱却を目指した二人きりの日本プロレス離脱
・所属団体からの援助なし!本物のフリーレスラーとして暴れた一匹狼 マティ鈴木の足跡
・旗揚げイヤー 疾風怒涛の昭和42年を完全レビュー
・東京12チャンネル時代の総括と人間・吉原 功の思い出
1979/3/26 福島・原町市体育館
 30分1本勝負
 グレート草津&阿修羅・原 vs 金光殖&梁承揮
 タッグマッチ 45分1本勝負
 マイティ井上&寺西 勇 vs ザ・サモアンズ
 IWA世界ヘビー級選手権 61分3本勝負
 ラッシャー木村 vs ジョン・トロス
1979/4/19 長野・長野市民体育館
 30分1本勝負
 グレート草津 vs スーパースター・ビリー・グラハム
1979/4/18 長野・鼎町民体育館
 30分1本勝負
 阿修羅・原 vs ビッグ・ダディ・リッター
 30分1本勝負
 マイティ井上&寺西 勇 vs ジプシー・ジョー&キラー・ブルックス
 45分1本勝負
 アニマル浜口 vs スーパースター・ビリー・グラハム
1978/1/19 茨城・水戸市民体育館
 30分1本勝負
 マイティ井上&アニマル浜口 vs ジョー・ベンチュラ&ボブ・ダラセーラ          
1978/1/22 岐阜・岐阜市民センター
 アジアタッグ選手権 60分3本勝負
 マイティ井上&アニマル浜口 vs グレート小鹿&大熊元司
1978/7/28 韓国・ソウル市奨忠体育館
 30分1本勝負
 ミスター・ヒト vs 梁承揮
 30分1本勝負
 マイティ井上 vs 呉大均特典付録DVD-ROM
伝説の名勝負が甦る!秘蔵写真集
ルー・テーズvsグレート草津、ルー・テーズvs豊登、ルー・テーズvsダニー・ホッジ、ルー・テーズ&ハンス・シュミットvs豊登&ストロング小林、カンガルーズvs草津&杉山、草津vsメイビア、井上vs大剛、ロビンソンvsホワイトウルフ、豊登&杉山&田中vsチャールス&コパ&リトルベア、草津vsチャールス、S小林vsホール、ルター・レンジvs田中、豊登&杉山vsゴーディエンコ&メイビア、田中vsビリー・ジョイス、ロビンソンvs草津、ロビンソンvsモンスター・ロシモフ、ロシモフ&クレメントvs黒潮&クレインボーン、ラッシャー木村vsブルドッグ・ブラワー、ホッジvs田中、小林&浜口vsブロンド・ボンバーズ等
国際プロレス全パンフレット(後半)
創立から崩壊までの15年間に発行された全てのパンフレットを全ページあますところ無く完全収録。下巻には、1974年、ダイナマイト・シリーズから最後のシリーズとなった1981年、ビッグ・サマー・シリーズまでの51シリーズ分を収録。

DISC.2 
1978/7/28 韓国・ソウル市奨忠体育館
 60分3本勝負
 ラッシャー木村&寺西 勇 vs 大木金太郎&金光殖
1978/8/2 韓国・ソウル市文化体育館
 30分1本勝負
 マイティ井上&アニマル浜口 vs 金光殖&呉大均
 IWA世界ヘビー級選手権 61分1本勝負
 ラッシャー木村 vs 梁承揮
1978/11/28 山形・鶴岡市体育館
 30分1本勝負
 寺西 勇&マイティ井上 vs ミスター・サクラダ&大熊元司
 日本リーグ争覇戦準決勝 45分1本勝負
 ジャンボ鶴田 vs プロフェッサー・タナカ
 日本リーグ争覇戦準決勝 45分1本勝負
 ラッシャー木村 vs ディーン・ホー
1978/11/30 千葉・千葉公園体育館
 日本リーグ争覇戦決勝 60分1本勝負
 ラッシャー木村 vs プロフェッサー・タナカ
1978/11/25 東京・蔵前国技館
 30分1本勝負
 ストロング小林 vs ミスター・ヒト
 寺西 勇 vs 小林邦昭
 日本リーグ争覇戦決勝進出者入場式セレモニー
1979/1/29 茨城・勝田市総合体育館
 IWA世界タッグ選手権 61分3本勝負
 山本小鉄&星野勘太郎 vs マイティ井上&アニマル浜口
1978/11/5 東京・後楽園ホール
 日本リーグ争覇戦予選リーグ公式戦
 アニマル浜口 vs 石川隆士
1979/11/7 青森・弘前市体育館
 WWUジュニアヘビー級選手権 金網デスマッチ時間無制限1本勝負
 阿修羅・原 対 ジプシー・ジョー
1979/11/15 岐阜・飛騨高山体育館
 60分1本勝負
 マイティ井上 vs バーン・ガニア
1980/9/20 静岡・焼津スケートセンター
 ラッシャー木村 対 ドン・バス
 インターナショナル・ヘビー級選手権 61分1本勝負
 大木金太郎 vs ビル・ドロモ
1980/10/4 滋賀・近江八幡市立運動公園体育館
 IWA世界タッグ選手権 61分3本勝負
 アニマル浜口&マイティ井上 vs アレックス・スミルノフ&ザ・USSR

DISC.3
1980/10/4 滋賀・近江八幡市立運動公園体育館
 インターナショナル・ヘビー級選手権 61分1本勝負
 大木金太郎 vs 上田馬之助
 IWA世界ヘビー級選手権 61分1本勝負
 ラッシャー木村 vs ビッグ・ジョン・クイン
1980/10/8 愛知・豊田市立体育館
 30分1本勝負
 アニマル浜口 vs ランディ・ローズ
 45分1本勝負
 大木金太郎&金光殖 vs アレックス・スミルノフ&ザ・USSR
 60分1本勝負
 ラッシャー木村&マイティ井上 vs ビッグ・ジョン・クイン&ロン・バス
1980/10/11 埼玉・越谷市体育館
 45分1本勝負
 マイティ井上&アニマル浜口&vs ビッグ・ジョン・クイン&ランディ・ローズ
1981/3/12 広島・府中市商工会議所大ホール
 IWA世界タッグ選手権 61分1本勝負
 マイティ井上&アニマル浜口 vs エル・コバルデ&エローデス
1981/3/24 宮城・泉市民体育館
 メキシカンキャプテンフォールマッチ 6人タッグ 45分3本勝負
 アニマル浜口&寺西勇&マッハ隼人vsエル・コバルデ&エローデス&鶴見五郎
 IWA世界ヘビー級選手権 61分1本勝負
 ラッシャー木村 vs レイ・キャンディ
1980/1/16 東京・後楽園ホール
 61分1本勝負
 ラッシャー木村&グレート草津 vs キラー・カール・クラップ&ジプシー・ジョー
1980/11/22 和歌山・新宮市総合体育館
 IWA世界ヘビー級選手権 61分1本勝負
 ラッシャー木村 vs アレックス・スミルノフ
1980/11/27 千葉・千葉公園体育館
 IWA世界タッグ選手権 61分3本勝負
 マイティ井上&アニマル浜口 vs カルロス・プラタ&エル・ドーベルマン
1980/9/15 東京・後楽園ホール
 マイティ井上 vs ランディ・ローズ
 大木金太郎&金光殖 vs ビル・ドロモ&ノーベル・オースチン
1979/7/9 宮城・仙台市宮城県スポーツセンター
 金網デスマッチ 60分1本勝負
 ラッシャー木村&グレート草津 vs アレックス・スミルノフ&オックス・ベーカー

DISC.4
1980/3/8 鹿児島・鹿児島県立体育館
 45分1本勝負
 マイティ井上&アニマル浜口 vs ジェイク・ロバーツ&マイク・ボイエッティ
 IWA世界ヘビー級選手権 61分3本勝負
 ラッシャー木村 vs モンゴリアン・ストンパー
1978/11/28 山形・鶴岡市体育館
 60分3本勝負
 大木金太郎&キム・ドク vs グレート草津&アニマル浜口
1978/11/30 千葉・千葉公園体育館
 45分3本勝負
 マイティ井上 vs キム・ドク 大木金太郎 vs アニマル浜口
1979/10/4 秋田・秋田市立体育館
 WWUジュニア・ヘビー級選手権 61分1本勝負
 阿修羅・原 vs ローラーボール・マーク・ロコ
1981/6/25 静岡・清水市総合運動場鈴与記念体育館
 30分1本勝負
 ラッシャー木村 vs ティエラ・ビエント・イ・フェゴ
1980/1/26 静岡・磐田市体育館
 ラッシャー木村 vs ケビン・ヒューズ
1980/1/28 愛知・蒲郡市民体育館
 IWA世界ヘビー級選手権
 ラッシャー木村 vs キラー・カール・クラップ
1980/5/15 埼玉・大宮スケートセンター
 インターナショナル・ヘビー級選手権
 大木金太郎 vs ジョー・ルダック
1980/5/10 青森・八戸市体育館
 IWA世界ヘビー級選手権
 ラッシャー木村 vs マイク・ジョージ
1980/7/25 北海道・札幌中島スポーツセンター
 45分1本勝負
 大木金太郎 vs ランディ・タイラー
 IWA世界タッグ選手権 金網デスマッチ 時間無制限1本勝負
 マイティ井上&アニマル浜口 vs スパイク・ヒューバー&ロッキー・ブリューワー
1980/7/13 兵庫・八鹿町民体育館
 IWA世界ヘビー級選手権 61分1本勝負
 ラッシャー木村 vs ランディ・タイラー
1980/11/12 岐阜・岐阜市民センター
 メキシカンタッグマッチ 45分1本勝負
 アニマル浜口&寺西勇&マッハ隼人 vs カルロス・プラタ&エル・ドーベルマン&鶴見五郎
 ラッシャー木村&マイティ井上 vs アレックス・スミルノフ&キラー・カール・クラップ
1980/11/22 和歌山・新宮市総合体育館
 45分3本勝負
 マイティ井上&寺西勇 vs カルロス・プラタ&エル・ドーベルマン
1980/4/26 茨城・土浦スポーツセンター
 45分1本勝負
 大木金太郎 vs マイク・ジョージ

DISC.5 ダイジェスト集
1974/9/15 東京・後楽園ホール
 ラッシャー木村&グレート草津 vs ニック・カーター&スイート・ウィリアムス
1974/10/7 埼玉・越谷市体育館
 小畑千代&佐倉輝美 vs サンディ・パーカー&ポーラ・ケイ
 ラッシャー木村&グレート草津&寺西勇 vs バロン・フォン・ラシク&ニック・カーター&スイート・ウィリアムス
1974/11/4 東京・後楽園ホール
 小畑千代&佐倉輝美 vs ビッキー・ウィリアムス&ドナ・クリスチーヌ
 グレート草津&寺西勇 vs キューバン・アサシンズ1号・2号
 ラッシャー木村 vs ニック・ボックウィンクル
1974/11/20 東京・蔵前国技館
 45分3本勝負
 小畑千代 vs ビッキー・ウィリアムス
 45分3本勝負
 マイティ井上 vs ニック・ボックウィンクル
1974/11/21 大阪・大阪府立体育会館
 IWWA太平洋沿岸タッグマッチ選手権
 小畑千代&佐倉輝美 vs ドナ・クリスチーヌ&ビッキー・ウィリアムス
昭和50/1/6 東京・後楽園ホール
 45分3本勝負
 小畑千代&千草京子 vs スーザン・グリーン&ペギー・パターソン
 45分3本勝負
 アニマル浜口 vs ボビー・スローター
1975/1/7 埼玉・行田市体育館
 小畑千代 vs ペギー・パターソン
 30分1本勝負
 寺西勇 vs ボブ・オートン
 45分3本勝負
 マイティ井上 vs ボビー・スローター
 IWA世界タッグ選手権
 ラッシャー木村&グレート草津 vs ダニー・リンチ&ブッチャー・リンチ
1975/2/2 東京・後楽園ホール
 45分3本勝負
 グレート草津 vs ボビー・スローター

 ラッシャー木村 vs ブッチャー・リンチ
 IWA世界ヘビー級選手権 61分3本勝負
 マイティ井上 vs ダニー・リンチ
 20分1本勝負
 寺西勇&田中忠治 vs 大位山勝三&稲妻二郎

 小畑千代&佐倉輝美 vs ペギー・パターソン&スーザン・グリーン
1975/3/9 埼玉・越谷市体育館
 小畑千代&千草京子 vs ビッキー・ウィリアムス&ジョイス・グレーブル
 30分1本勝負
 田中忠治&寺西 勇 vs 大位山勝三&稲妻二郎

 インターンズ1号・2号 vs グレート草津&アニマル浜口
 45分3本勝負
 ジャック・クレインボーン vs マイティ井上
1975/3/10 東京・後楽園ホール
 小畑千代&佐倉輝美 vs ビッキー・ウィリアムス&ジョイス・グレーブル
 田中忠治 vs 米村 勉
 ラッシャー木村&アニマル浜口 vs インターンズ1号・2号
 マイティ井上 vs マッドドッグ・バション
1975/4/9 茨城・岩瀬町体育館
 千草京子 対 ジョイス・グレーブル
 太平洋沿岸選手権 3本勝負
 小畑千代 vs ビッキー・ウィリアムス
 アニマル浜口 vs 稲妻二郎
 マイティ井上&寺西勇 vs インターンズ1号・2号
 IWA世界タッグ選手権
 ラッシャー木村&グレート草津vsマッドドッグ・バション&ジャック・クレインボ-ン
1975/4/10 東京・足立区体育館
 IWWA太平洋沿岸タッグ選手権
 小畑千代&佐倉輝美 vs ビッキー・ウィリアムス&ジョイス・グレーブル
 ラッシャー木村&アニマル浜口 vs ジャック・クレインボーン&稲妻二郎
1975/5/26 東京・後楽園ホール
 45分3本勝負
 小畑千代&佐倉輝美 vs ドナ・クリスチーヌ&ディジー・メイ
 グレート草津&アニマル浜口 vs ブッチャー・ブラニガン&デューク・サベージ
1975/6/8 埼玉・大宮スケートセンター
 小畑千代&千草京子 vs ドナ・クリスチーヌ&ディジー・メイ
 IWA世界タッグ選手権王座争奪リーグ1回戦
 グレート草津&マイティ井上 vs ジェフ・ポーツ&ブッチャー・ブラニガン
 ラッシャー木村&寺西勇 vs キラー・トーア・カマタ&デューク・サベージ
1975/6/29 東京・後楽園ホール
 45分3本勝負
 小畑千代 vs ドティ・ドーンズ
1975/6/30 神奈川・大和市車体工業体育館
 45分3本勝負
 ラッシャー木村 vs ザ・コマンド1号
 IWA世界タッグ選手権
 グレート草津&マイティ井上 vs ビッグ・ジョン・クイン&ギル・ヘイズ
1975/9/7 東京・後楽園ホール
 小畑千代&千草京子 vs トニー・ローズ&シュリファー・シェファード
 グレート草津&寺西勇 vs ホセ・リベラ&アイザック・ロザリオ
 45分3本勝負
 マイティ井上 vs ジプシー・ジョー
1975/9/8 山梨・石和町小松パブリックホール
 IWA世界タッグ選手権
 グレート草津&マイティ井上 vs ジプシー・ジョー&ザ・キラー
1975/10/6 東京・後楽園ホール
 小畑千代&佐倉輝美 vs トニー・ローズ&シュリファー・シェファード
 IWA世界ヘビー級選手権
 ラッシャー木村 vs ジプシー・ジョー
1975/11/3 東京・後楽園ホール
 国際プロレス・全日本プロレス交流試合
 スネーク奄美 vs 肥後宗典
 国際プロレス・全日本プロレス 交流試合 20分1本勝負
 アニマル浜口&寺西勇 vs 高千穂明久&サムソン・クツワダ
プロレス技ハイライト

 
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所属選手・スタッフ
wikipediaより


吉原 功 
1930/3/2 - 1985/6/10

日本のレスリング選手、プロレスラー、実業家。元国際プロレス社長。岡山県出身。


ラッシャー木村
1941/6/30 - 20105/24

日本の元大相撲力士、元プロレスラーである。本名は木村 政雄(きむら まさお)。北海道中川郡中川町出身。金網の鬼、ラッシング・パワー、吠える闘将などのニックネームで呼ばれた。2003年よりプロレスリング・ノア終身名誉選手会長。


ラッシャー木村追悼特集

闘将 ラッシャー木村
ファイト&マイク メモリアル
闘将 ラッシャー木村~ファイト&マイク メモリアル


会場 対戦カード
1976/3/28
蔵前国技館
鶴田試練の十番勝負
ラッシャー木村vsジャンボ鶴田
1977/12/10
宮城県スポーツ
センター
世界オープンタッグ選手権
ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田vs
ラッシャー木村、グレート草津
1977/12/14
大阪府立体育
会館
世界オープンタッグ選手権
大木金太郎、キム・ドクvs
ラッシャー木村、グレート草津
1978/2/18
蔵前国技館
全軍激突戦
ジャイアント馬場vsラッシャー木村
1984/12/8
愛知県体育館
世界最強タッグ決定リーグ戦
ジャイアント馬場、ラッシャー木村vs
ジャンボ鶴田、天龍源一郎
1985/3/9
両国国技館
6人タッグ
ジャイアント馬場、石川敬士、マイティ井上vsラッシャー木村、鶴見五郎、剛 竜馬
1985/6/21
日本武道館
PWFヘビー級選手権
ジャイアント馬場vsラッシャー木村
1988/8/29
日本武道館
馬場と最後のシングルマッチ
ジャイアント馬場vsラッシャー木村
1991/1/27
後楽園ホール
お笑いライバル対決
ラッシャー木村vs永源 遙
2001/6/24
愛知県体育館
還暦試合
ラッシャー木村、百田光雄vs
永源 遙、菊地 毅
2003/3/1
日本武道館
現役最後の試合
ラッシャー木村、百田光雄vs
永源 遙、川畑輝鎮
2004/7/10
東京ドーム
VTRによる引退発表
2010/6/26
ディファ有明
お別れの会


ストロング小林
(覆面太郎)
1940/12/25 -

日本の元プロレスラー、俳優、タレント。本名は小林 省三(こばやし しょうぞう)。プロレスラーとしての全盛時のリングネームはストロング小林だが、俳優・タレントに転じてからはストロング金剛(ストロングこんごう)を芸名に活動した。東京都青梅市出身。現役晩年以降はスキンヘッドが特徴。

サンダー杉山
1940/7/23 - 2002/11/22

リングネームでの活躍で最も知られる杉山恒治(すぎやま つねはる)は日本のプロレスラーである。新潟県糸魚川市出身。現役引退後はタレント活動の他、実業家としても成功していた。


グレート草津
1942/2/13 - 2008/6/21

日本の元ラグビー選手、プロレスラー。本名は草津 正武(くさつ まさたけ)。
息子は、K-1に参戦していた格闘家、草津賢治
(1976/7/15)



豊登 道春
1931/3/21 - 1998/7/1

福岡県田川郡金田町(現在の福智町)出身で立浪部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。本名は、定野道春(さだの みちはる)。最高位は、前頭15枚目。大相撲時代の体格は、身長173cm、体重105kg。レスラー時代の体格は身長174cm、体重114kg。


大木 金太郎
1929/2/24 - 2006/10/26

韓国・全羅南道出身の元プロレスラー。本名は金一(キム・イル、김일)。身長185cm、体重120kg(現役当時)。生年はかつては1933年とされていた。


剛 竜馬
1956/3/23 -2009/10/18

東京都新宿区三光町出身、神戸育ちのプロレスラー、俳優。本名は八木 宏(やぎ ひろし)。


マイティ井上
1949/4/12

国際プロレス・全日本プロレスの元プロレスラー、元レフェリー・解説者である。本名は井上 末雄(いのうえ すえお)。大阪府大阪市福島区出身。リングネームの「マイティ」の由来は、新人時代のコーチ、マティ鈴木である。


アニマル浜口
1947/8/31

日本の元プロレスラーでボディビル指導者。本名は濱口 平吾(はまぐち へいご)。ボディビルダー出身で国際プロレスや新日本プロレスで活躍し、闘将のニックネームで呼ばれた。武蔵野学院大学日本総合研究所客員教授。アニマル浜口トレーニングジム主宰。女子レスリング選手の浜口京子は長女。

アニマル浜口ジム
アニマル浜口ジム

主な出身プロレスラー

※五十音順に記載(公式サイトに記載されていない者は除外。カッコ内は最終所属団体、2010年現在)
  • 安沢明也(新日本プロレス)引退-1981/1/9
  • 磯崎ともか(救世忍者乱丸)(1998年デビュー)
  • 井上亘(新日本プロレス)-1973/8/27
  • 植田使徒(ZERO1)-1982/7/30
  • 越後雪之丞(大日本プロレス)
  • 大谷晋二郎(ZERO1、第3号レスラー)-1972/7/21
  • 大森隆男(フリー)-1969/10/16
  • 岡本衛(フリー)
  • 小原道由(引退、第1号レスラー)-1967/11/15
  • 鹿糠智樹(パレストラ岩手)
  • ガルーダ(WMF)-1978/9/26
  • 河野真幸(全日本プロレス)-1980/4/12
  • 神田菜々子(Jd')
  • K-ness.(DRAGON GATE)-1974/4/16
  • 小島聡(フリー、第2号レスラー)-1970/9/14
  • 小島弘之(フリー)
  • KAI(全日本プロレス)-1983/5/20
  • 坂田亘(EVOLUTION、ハッスル)-1973/3/11
  • 佐々木義人(大日本プロレス)1982/3/12
  • 駿河一(全日本プロレス)引退-1982/11/15
  • シュウ(フリー)-1977/8/30
  • SUWA(フリー)引退-1975/8/31
  • 関直喜(フリー)
  • 瀬野優(大阪プロレス)引退-1977/1/13
  • 鷹木信悟(DRAGON GATE)-11982/11/2
  • 高橋奈苗(スターダム)-1978/12/23
  • 高橋裕美(フリー)
  • TAJIRI(SMASH)-1970/9/29
  • 田中純二(九州プロレス)
  • T28(全日本プロレス)-1983/4/5
  • ドン・フジイ(DRAGON GATE)-1970/7/6
  • 内藤哲也(新日本プロレス)-1982/6/22
  • 中之上靖文(全日本プロレス)-1986/6/14
  • 滑川康仁(Team M.A.D)-1974/10/27
  • 夏樹☆たいよう(スターダム)-1984/5/7
  • 橋本和樹(大日本プロレス)-1990/5/25
  • 日高郁人(ZERO1)-1972/8/5
  • 富豪富豪夢路(フリー)-1969/6/21
  • 藤田峰雄(ドラディション)-1979/11/28
  • FUNAKI(フリー)-1968/8/24
  • 本間朋晃(新日本プロレス)-1976/11/18
  • マグナムTOKYO(DRAGON GATE)引退→ハッスルより復帰-1973/1/9
  • 宮川順也(パンクラス)
  • ミラノコレクションA.T.(新日本プロレス)引退-1976/8/27
  • 矢口壹琅(フリー)-9/20
  • 山崎直彦(FMW)引退
  • YOSHIYA(KAIENTAI-DOJO)-1976/12/21
  • 吉江豊(フリー)-1974/1/5
  • 吉橋伸雄(新日本プロレス)-1982/5/25
  • 横山佳和(ZERO1)-1988/3/22
  • 和田城功(リキプロ)引退-1978/3/15


寺西勇
1946/1/30

富山県射水郡(現・射水市)出身で立浪部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。本名は、寺西等(てらにし ひとし)。大相撲時代の四股名は寺西(てらにし)、最高位は三段目1枚目。


冬木 弘道
1960/5/11 - 2003/3/19

日本の元プロレスラー。東京都江東区生まれ、神奈川県横浜市育ち。横浜商科大学高等学校出身。身長180cm、体重128kg。


ヒロ・マツダ
1937/7/22 - 1999/11/27

日本のプロレスラー、プロレス・トレーナー。本名は小島 泰弘(こじま やすひろ)。神奈川県横浜市鶴見区出身。アメリカ合衆国で大きな成功を収めた日本人レスラーの一人。


鶴見 五郎
1948/11/23

日本の男性プロレスラー、ジム経営者。神奈川県横浜市出身。本名は田中 隆雄。身長181cm、体重135kg。


大位山 勝蔵
1945/3/5

兵庫県宍粟郡山崎町(現在の宍粟市)出身(本籍地は、同県姫路市)で三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士、国際プロレス所属の元プロレスラー。本名は松本 勝三(まつもと かつぞう)。力士時代の四股名は大位山(その他、三保ノ松と名乗っていた時期もある)、プロレス時代のリングネームは大位山 勝三。相撲時代の得意手は、右四つ、寄り、押し。最高位は東前頭12枚目(1968年11月場所)。大相撲時代の体格は、179cm、126kg。プロレス時代の体格は、179cm、115kg。


(初代)マッハ隼人
1951/3/5

鹿児島県揖宿郡山川町(現指宿市)出身の元プロレスラーである。本名は肥後 繁久。身長176cm、体重98kg。

二代目・マッハ隼人は南条隼人(1968/12/8)


スネーク奄美
1951/5/25 - 1981/4/30

鹿児島県日置郡(現在の南さつま市)出身で井筒部屋所属の元大相撲力士、国際プロレス所属の元プロレスラー。大相撲時代の四股名は(さかえ)、本名は栄勇(さかえ いさむ)。


阿修羅・原
1948/1/8

元プロレスラー。ラグビーの日本代表選手を経てプロレスに転向した。本名は原 進(はら すすむ)。長崎県北高来郡森山町(現諫早市)出身。


アポロ菅原
1954/2/10

日本のプロレスラー。本名は菅原 伸義。秋田県男鹿市出身。


ミスター珍
1932/10/12 -
1995/6/25

本名は、出口 雄一(でぐち ゆういち)。兵庫県宝塚市出身。身長168cm、体重83kg(全盛期)。

くちひげがトレードマーク。プロレス界から離れていた一時期、テレビタレントや俳優としても活動した。


若松 市政
1942/1/1

日本の元プロレスラー、マネージャー、現政治家(北海道芦別市議)である。北海道函館市出身。


高杉 正彦
1955/6/17

日本のプロレスラー。神奈川県平塚市出身。175cm、110kg。
ウルトラセブンのリングネームでマスクマンに転向。


米村 天心
1946/12/16

秋田県鹿角郡(現在の鹿角市)出身で高島部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代の四股名は高昇 紀彰(たかのぼり としあき)で、最高位は幕下75枚目。本名は、米村勉(よねむら つとむ)。


扇山 民雄
1938/3/27

宮城県栗原郡金成町(現在の栗原市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士、および国際プロレス所属の元プロレスラーである。本名は高橋 民雄(たかはし たみお)。リングネームは扇山 大五郎(おうぎやま だいごろう)。大相撲時代は身長177cm、体重103kg。プロレスラー時代は身長178cm、体重105kg。最高位は東前頭5枚目(1963年1月場所・1967年1月場所)。


大磯 武
1944/4/8

富山県新湊市出身で立浪部屋所属の元大相撲力士、東京プロレス、国際プロレス所属の元プロレスラー。本名は、摺崎武ニ(するさき たけじ)。大相撲時代の四股名は大磯浪(おおいそなみ)、最高位は三段目14枚目。プロレスラー時代は身長181cm、体重117kg。


大剛 鉄之助
(仙台強)
1942/3/10

宮城県仙台市出身で二所ノ関部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー、ブッカー・トレーナー。本名は、栄田 幸弘(さかえだ ゆきひろ)。大相撲時代の四股名は仙台(せんだい)、最高位は幕下6枚目。プロレス時代のリングネームはトーキョー・ジョーの名でも知られ、不幸な交通事故によりプロレスラーを引退した。


佐野 浅太郎
1948/3/30

滋賀県栗太郡栗東町(現在の栗東市)出身で朝日山部屋所属の元大相撲力士、国際プロレス所属の元プロレスラー。大相撲時代の四股名は日吉山 浅太郎(ひよしやま あさたろう)で、最高位は序二段62枚目。本名は、佐野 実(さの みのる)。


ジェリー・モロー
"Champagne" Gerry Morrow
1949/9/10

フランス領マルティニーク出身、アフリカ系フランス人のプロレスラー。本名はジェラール・エティフィアGerard Etifier)。日本の国際プロレスでは、稲妻二郎(いなずま じろう)のリングネームで日本人陣営の一員となって活躍した。


小畑 千代
1938

元女子プロレスラー。日本女子プロレス・国際プロレス女子部のエースとして活躍した。東京都台東区出身。


フリー参戦


シャチ横内
1937/9/13 - 1982/12/15

愛知県名古屋市出身のプロレスラー。

本名は横内信一(よこうち しんいち)。リングネームは出身地・名古屋の名古屋城天守にある金の鯱が由来。


清美川 梅之
1917/1/5 - 1980/10/13

秋田県平鹿郡十文字町(現在の横手市)出身で伊勢ヶ浜部屋所属の元大相撲力士、旧全日本プロレス所属の元プロレスラー。


上田 馬之助
1940/6/20

愛知県海部郡(現在の弥富市)出身で追手風部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代は、海部錦(あまにしき)の四股名で最高位は序二段12枚目。プロレス時代は、頭髪をまだらに金髪に染めていたことから「まだら狼」「金狼」と呼ばれた。全盛期は身長190cm、体重118kg。本名は上田 裕司(うえだ ひろし)。


ミスター・ヒト
1942/4/25 - 2010/4/21
大阪府大阪市天王寺区出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士、日本及びアメリカ合衆国やカナダで活動した元プロレスラー、トレーナー、マネージャー。本名は安達 勝治(あだち かつじ)。力士時代の最高位は幕下17枚目。元阪神タイガースの安達智次郎は甥に当たる。


タイガー戸口
1948/2/7

東京都葛飾区出身のプロレスラー。キム・ドクタイガー・チャン・リーのリングネームでも知られる。在日韓国人2世で、本名は金徳(キム・ドク)。通名は戸口 正徳(とぐち まさのり)。身長193cm、体重125kg(全盛時)。引退宣言はしていないが、現在はセミリタイア状態。


マサ斎藤 
1942/8/7

元レスリング選手、元プロレスラー、健介オフィススーパーバイザーである。本名斎藤 昌典(さいとう まさのり)。東京都中野区出身。信条は「Go for broke」(当たって砕けろ)である。

 
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外国人選手


ビル・ロビンソン
Bill Robinson
1939/9/18

イギリス・マンチェスター出身の元プロレスラー。「ビリー・ライレージム」(通称:Snake pit、蛇の穴)出身。「人間風車」「ヨーロッパの帝王」の異名を持つ。

テーマ曲は「人間風車」の別名が付いているが、原曲は『ブルー・アイド・ソウル』である。後年、川田利明もこの曲をハッスルK時代のテーマ曲に使用しており、『燃えよドラゴン』の冒頭部に続けて流していた。


バーン・ガニア
Verne Gagne
1923/5/10

本名:LaVerne Clarence Gagne、アメリカ合衆国の元プロレスラー。AWAのオーナー兼プロモーターとしても活躍し、AWAの帝王と呼ばれた。息子のグレッグ・ガニア(1948/7/27)もプロレスラーである。


ニック・ボックウィンクル
Nick Bockwinkel
1934/12/6

ウォーレン・ニコラス・ボックウィンクルWarren Nicolas Bockwinkel、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミネソタ州セントポール出身。生年は、1936年や1938年とされる場合もある。


ルー・テーズ
Lou Thesz
1916/4/24 - 2002/4/28

(ハンガリー語: Tijas Lajos(ティヤシュ・ラヨシュ)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はアロイジャス・マーティン・ルー・テーズ(Aloysius Martin Lou Thesz)。ミシガン州バナット生まれ、ミズーリ州セントルイス出身。

日本では「鉄人」の異名をとり、多くのレスラーから20世紀最強であるといわれた、不世出のレスラーである。身長191cm、体重110kg。ジョージ・トラゴス、アド・サンテル、エド・ルイスなどにプロレスを教えられる。16歳でのデビューから、74歳での引退まで実に58年間もの現役生活を通した。


ダニー・ホッジ
Danny Hodge
1932/5/13 -

ダニエル・アレン・ホッジDaniel Allen Hodge )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。オクラホマ州ペリー出身。日本では「鳥人」、海外では「Dynamite(ダイナマイト)」の異名をとった。

ビル・ロビンソンをして、ルー・テーズ、カール・ゴッチと並ぶアメリカの3大シューターと言わしめた。アメリカでは「世界中の偉大なスポーツマン・ベスト100」や過去75年間のプロレスラートップ12にも選ばれている。


モンスター・ロシモフ
アンドレ・ザ・ジャイアント
André the Giant
1946/5/19 - 1993/1/27

(本名:アンドレ・ルネ・ルシモフAndré René Roussimoff)フランス・グルノーブル出身のプロレスラー。

巨人症のため非常に巨体のプロレスラーとして知られ、公式プロフィールによれば、身長が7フィート4インチ(約223cm)、体重が520ポンド(約236kg)とされる(ただし体重については年齢と共に増加していたことが映像でも確認できる)。彼の巨体に対抗できるレスラーが限られていたため、生涯多くのハンディキャップ・マッチやバトルロイヤルに出場していた。

圧倒的な体格もさることながら、アームロック等のレスリングテクニックでも観客を惹きつけることができる、数少ない巨人レスラーだった。



カール・ゴッチ
Karl Gotch
1924/8/3 - 2007/7/28

プロレスラー、プロレスコーチ。日本においてはプロレスの「神様」と称される。本名はカール・イスターツKarl Istaz)。1961年まではリングネームとしてカール・クラウザーKarl Krauser)と名乗っている。プロフィール上はドイツ・ハンブルク出身とされているが、実際はベルギー出身と言われている。得意技はジャーマン・スープレックス。


ジョージ・ゴーディエンコ
George Gordienko
1928/1/7 - 2002/5/13

カナダ・マニトバ州ウィニペグ出身の元プロレスラー、画家。いわゆる「最強伝説」を持つ史上屈指の実力者だが、後述する理由によりプロレス史の表舞台に立つことはなかった。日本での異名は『岩石男』。


ドン・レオ・ジョナサン
Don Leo Jonathan
1931/4/29

アメリカ合衆国の元プロレスラー。ユタ州ソルトレイクシティ出身。本名はドン・ヒートンDon Heaton)、日本での異名は「人間台風」「モルモンの暗殺者」。


エドワード・カーペンティア
Édouard Carpentier
1926/7/17 - 2010/10/30

(本名:エドワード・ヴィクツEdouard Weicz)、1940年代から1980年代までアメリカ、カナダ、フランスなどで活動したプロレスラーである。ポーランド出身。ニックネームは『マットの魔術師』。


ビル・ミラー
Bill Miller
1927/6/5 - 1997/3/24

ウィリアム・M・ミラーWilliam M. Miller)アメリカ合衆国のプロレスラー。オハイオ州フリーモント出身のドイツ系アメリカ人。

獣医師の免許を有していたことから「ドクター」の異名を持ち、覆面レスラーのドクターXミスターXミスターMに変身しての活動でも知られる。第5代AWA世界ヘビー級王者(ミスターMとして載冠)。実弟のエド・ミラーとダン・ミラーも元プロレスラーである。


ディック・ザ・ブルーザー
Dick The Bruiser
1929/6/27 - 1991/11/10

ウィリアム・リチャード・アフィルスWilliam Richard Afflis)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。インディアナ州インディアナポリス出身。

生傷男」の異名で知られた。


クラッシャー・リソワスキー
Crusher Lisowski
1926/7/11 - 2005/10/22

アメリカ合衆国のプロレスラー。ウィスコンシン州サウスミルウォーキー出身のポーランド系アメリカ人。本名はレジナルド・リソワスキーReginald Lisowski)。生年月日、出自、デビュー年に関しては不明な点が多く、出身地はペンシルベニア州ピッツバーグという説もある。


マッドドッグ・バション
Mad Dog Vachon
1929/9/14

カナダの元プロレスラー。ケベック州モントリオール出身。本名はモーリス・バションMaurice Vachon)。

レスリングオリンピック代表の地力をベースにしながらも、それを感じさせない凶暴な喧嘩ファイトで、180cmに満たない小柄な体格ながら30年以上トップスターとして活躍した。モントリオールではプロモートも行った。弟のブッチャー・バション(ポール・バション)もプロレスラーで、兄弟タッグとしても実績を残した。妹のビビアン・バションもまたプロレスラー(夫はバディ・ウォルフ)。女子プロレスラーのルナ・バションはポールの娘でモーリスの姪にあたる(夫はデビッド・ヒース)。


ターザン・タイラー
Tarzan Tyler
1927 - 1985/12/20

カナダの元プロレスラー。ケベック州モントリオール出身のフランス系カナダ人。本名はCamille Tourville。日本での異名は「密林王」。


ビル・ワット
"Cowboy" Bill Watts
1939/5/5

(本名:William Watts )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、プロモーター。オクラホマ州オクラホマシティ出身。正しくは「ビル・ワッツ」と発音するが、本項では日本のプロレス史における慣例的な表記に準ずる。

1960年代後半から1970年代を全盛期に、カウボーイ・スタイルの大型ファイターとして活躍。オクラホマ・スタンピードの第一人者でもある。1979年よりミッドサウス地区(ルイジアナ、ミシシッピ、アーカンソー、オクラホマ)に自身の団体MSWA(後にUWF)を設立、大プロモーターとして一時代を築いた


キング・イヤウケア
King Curtis Iaukea
1936 - 2010/12/4

アメリカ合衆国の元プロレスラー。ハワイ州ホノルル出身。日本での異名は流血大王ハワイの巨象。息子はプロレスラーのロッキー・イヤウケア。なお、若い頃はプリンス・イヤウケアを名乗っていた。


ピーター・メイビア
"High Chief" Peter Maivia
1937/4/6 - 1982/6/13

アメリカ領サモア出身のプロレスラー。本名はファネネ・ピタ・メイビアFanene Leifi Pita Maivia)。より原音に近い表記は「マイヴィア」。生年は1935年説もある。かつてWWEで活躍した元プロレスラーの俳優、ドゥエイン "ザ・ロック" ジョンソンの祖父として知られる。下腹部から大腿部にかけて一面に彫られたサモア民族の入れ墨を "ハイ・チーフ" のシンボルとしていた。


ホースト・ホフマン
Horst Hoffman
1940

ドイツ出身の元プロレスラー(出生地はアルメニア。生年は諸説あり)。現役選手時代はヨーロッパを代表する正統派の本格テクニシャンとして活躍した。


ラリー・ヘニング
Larry "The Axe" Hennig
1936/6/18

(本名:Lawrence Henry Hennig )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミネソタ州ミネアポリス出身。

"ミスター・パーフェクト" カート・ヘニング(1958/3/23-2003/2/10)の父親であり、技巧派の息子とは対照的に重量級のラフ&パワーファイターとして活躍した。スペリングの通り、ファミリーネームは正しくは「ヘニッグ」と発音するが、本項では日本のプロレス史における慣例的な表記に準ずる。


レイ・スティーブンス
Ray "The Crippler" Stevens
1938/9/5 - 1996/5/3

アメリカ合衆国のプロレスラー。ウェストバージニア州ポイント・プレザント出身。本名はカール・レイモンド・スティーブンスCarl Raymond Stevens)。

現役選手時代は"Blond Bomber"の異名を持つ金髪のヒールとして活躍した。小柄ながら、気風のいいファイトスタイルとケレン味のある試合巧者ぶりで一時代を築き、スーパースター・ビリー・グラハムやリック・フレアーをはじめ彼から影響を受けた選手は数多い。

※日本では「レイ・スチーブンス」と表記されていたが、本項では原音に近い表記に準ずる。


ワフー・マクダニエル
Wahoo McDaniel
1938/6/19 - 2002/4/19

アメリカ合衆国オクラホマ州バーニス出身のプロレスラー、アメリカンフットボール選手。本名はエドワード・ヒュー・マクダニエルEdward Hugh McDaniel)。プロレスラーとしての現役選手時代は、羽飾りのコスチュームや得意技のトマホークチョップなど、自身の出自であるインディアン・スタイルで活躍。ラフファイトにも強いベビーフェイスとして絶大な人気を誇った。日本では「狼酋長」の異名を持つ。


ダスティ・ローデス
Dusty Rhodes
1945/10/12

ヴァージル・ラネルズ・ジュニアVirgil Riley Runnels, Jr. )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、現WWEプロデューサー。


ディック・マードック
Dick Murdoch
1946/8/16 - 1996/6/15

リチャード・マードックHoyt Richard Murdoch)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州ワクサハチー出身。


ブラックジャック・マリガン
Blackjack Mulligan
1942/11/26

ロバート・ウインダムRobert Deroy Windham)は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州スイートウォーター出身。現役選手時代はカウボーイ・ギミックの大型ラフファイターとして活躍し、NWA、AWA、WWEの各団体で実績を築いた。

バリー・ウインダム(1960/7/4)は長男、ケンドール・ウインダムは次男、マイク・ロトンド(1958/3/30)は娘婿。マイク・ロトンドの息子である孫のウィンダム・ロトンダ(ハスキー・ハリス-1987/5/23)とタイラー・ロトンダ(ボー・ロトンド-1990/5/25)もプロレスラーとしてデビューしている。


ジャック・ランザ
Jack Lanza
1942/10/14

アメリカ合衆国の元プロレスラー、現WWEプロデューサー、ロード・エージェント。ニューメキシコ州アルバカーキ出身。

現役選手時代はブラックジャック・ランザBlackjack Lanza)のリングネームで知られ、ブラックジャック・マリガンとのタッグチーム「ザ・ブラックジャックス」などで活躍した。


ボビー・ヒーナン
Bobby Heenan
1944/11/1

アメリカ合衆国の元プロレスラー、マネージャー。本名レイモンド・ルイス・ヒーナンRaymond Louis Heenan)、イリノイ州シカゴ出身。ニックネームはザ・ブレイン(頭脳、The Brain)、通称はボビー"ザ・ブレイン" ヒーナン。またWeasel(イタチ、卑怯者)と呼ばれることもある。ヒールとしてのキャラクター・イメージからプロフィール上はカリフォルニア州ビバリーヒルズ出身とされる。

現在でも多くのレスラーやファンから「史上最高のマネージャー」と讃えられる生粋の悪徳マネージャー。数多くの名選手をマネージメントし、見方によってはハルク・ホーガン最大の宿敵であった。また彼によってマネージメントされた選手のグループはヒーナン・ファミリーThe Heenan Family)と呼ばれる。

ヒーナン・ファミリー
WWF
  • ケン・パテラ-1942/11/6
  • ビッグ・ジョン・スタッド-1948/2/19-1995/3/20
  • キングコング・バンディ-1957/11/7
  • プレイボーイ・バディ・ローズ-1952/11/5-2009/4/28
  • ミッシング・リンク-1939/2/28-2007/8/16
  • ハーキュリーズ-1956/5/7-2004/3/6
  • ポール・オーンドーフ-1949/10/29
  • ブルックリン・ブロウラー
  • リック・ルード-1958/12/7-1999/4/20
  • ハーリー・レイス-1943/4/11
  • タマ
  • ハク-1959/2/3
  • アンドレ・ザ・ジャイアント
  • タリー・ブランチャード-1954/1/22
  • アーン・アンダーソン-1958/9/20
  • レッド・ルースター-1955/8/12
  • ザ・バーバリアン-1958/9/6
  • ミスター・パーフェクト
  • リック・フレアー-1949/2/25

NWAジョージア
  • ブラックジャック・ランザ
  • マスクド・スーパースター(ビル・イーディー)-1947/12/27
  • キラー・カール・コックス-1931/4/26
  • アーニー・ラッド-1938/11/28-2007/3/10
  • プロフェッサー・タナカ-1930/1/6-2000/8/22
  • クリス・マルコフ
  • ロン・バス
  • ボビー・ジャガーズ-1948/1/8

AWA / WWA
  • ニック・ボックウィンクル
  • レイ・スティーブンス-1935/9/5-1996/5/3
  • ブラックジャック・マリガン
  • ブラックジャック・ランザ
  • ボビー・ダンカン-1944/8/14
  • バロン・フォン・ラシク-1940/10/17
  • ボリス・ブレジニコフ-1947/10/14
  • ガイ・ミッチェル-1941/7/8-2010/3/11
  • ジミー・バリアント-1942/8/6
  • ジョニー・バリアント-1946/11/25
  • ボブ・オートン・ジュニア-1950-11/10
  • スーパー・デストロイヤー・マークII(サージェント・スローター)-1948/8/27
  • スーパー・デストロイヤー・マークIII(ネイル・グアイ、ザ・ハングマン)-1942/7/21
  • アドリアン・アドニス-1953/9/15-1988/7/4
  • スタン・ハンセン-1949/8/29


イワン・コロフ
"The Russian Bear" Ivan Koloff
1942/8/25

カナダ・オンタリオ州出身 の元プロレスラー。本名はJames Perras

北米での発音は「アイバン(アイヴァン)・コロフ」。生年は1936年ともいわれる。現役選手時代はロシア系ギミックの悪役レスラーとして活躍した。第3代WWWF世界ヘビー級王者としても知られる。


バロン・フォン・ラシク
Baron Von Raschke
1940/10/17

アメリカ合衆国の元プロレスラー。ネブラスカ州オマハ出身。本名はジェームズ・ドナルド・ラシクJames Donald Raschke)。日本での異名は妖獣


スーパースター・ビリー・グラハム
"Superstar" Billy Graham
1943/9/10

アメリカ合衆国の元プロレスラー。アリゾナ州パラダイスバレー出身。本名はエルドリッジ・ウェイン・コールマンEldridge Wayne Coleman)。本名で呼ぶ場合は通常ウェイン・コールマン。


ジン・アンダーソン
Gene Anderson
1933 - 1991/10/31

ユージン・A・アンダーソンEugene A. Anderson)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州セントポール出身。

1960年代から1980年代にかけて一世を風靡したヒールの極道兄弟ユニット、ミネソタ・レッキング・クルーMinnesota Wrecking Crew)の「長兄役」として活躍した。


ラーズ・アンダーソン
Lars Anderson
1939/3/14

アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミネソタ州ミネアポリス出身。本名はローレンス・ジョージ・ハイニエミLawrence George Heiniemi)、通称ラリー・ハイニエミLarry Heinemi)。

1960年代から1980年代にかけて一世を風靡したタッグチーム・ユニット、ミネソタ・レッキング・クルーMinnesota Wrecking Crew)のオリジナル・メンバーとして知られる。


オレイ・アンダーソン
Ole Anderson
1942/9/22

アラン・ロゴウスキーAlan Robert Rogowski、)は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、ブッカー。ミネソタ州ミネアポリス出身のポーランド系アメリカ人。


アンジェロ・モスカ
"King Kong" Angelo Mosca
1938/3/13

アメリカ合衆国の元アメリカンフットボール選手、プロレスラー。マサチューセッツ州ウォルサム出身。

カナディアン・フットボール・リーグで活躍し、ハミルトン・タイガーキャッツに長期間在籍。プロレス転向後は主にヒールのポジションにいたが、タイガーキャッツの本拠地ハミルトンをはじめカナダのオンタリオ州ではベビーフェイスとして観客の声援を集めた。


バグジー・マグロー
Bugsy McGraw
1945

アメリカ合衆国の元プロレスラー。ノースカロライナ州シャーロット出身。本名はマイケル・デービスMichael Davis)。現役選手時代は巨漢のラフ&パワーファイターとして活躍した。


ケン・パテラ
Ken Patera
1942/11/6

アメリカ合衆国の元プロレスラー。オレゴン州ポートランド出身。本名はケネス・パテラKenneth Patera)。

オリンピック重量挙げ出身のパワーファイターとして、NWA、AWA、WWE(WWWF / WWF)の各団体で活躍した。


リック・フレアー
Ric Flair
1949/2/25

アメリカ合衆国のプロレスラー。テネシー州メンフィス出身。本名はリチャード・モーガン・フレイアーRichard Morgan Fliehr)。ニックネームはネイチャーボーイNature Boy)、略して「ネイチ」と愛称で呼ばれることもある。

その試合巧者ぶりから「業界一卑劣な男Dirtiest Player in the Game)」の異名を取った。日本でのニックネームは「狂乱の貴公子」。息子のデビッド・フレアー(1979/3/6)とリード・フレアーもプロレスラー。


サージェント・スローター
Sgt. Slaughter
Sergeant Slaughter
1948/8/27

アメリカ合衆国のプロレスラー。コネチカット州ウィルマー出身。本名はロバート・リーマスRobert Remus)。『鬼軍曹』と呼ばれる軍人ギミックで1970年代から1990年代後期まで活躍した。

元WWF世界ヘビー級チャンピオン、WWE殿堂入り選手。愛称は『サージ』。


ムース・モロウスキー
Moose Morowski
1935/7/6

スタン・マイキートビッチStan "The Moose" Mykietovitch )は、カナダ・マニトバ州ウィニペグ出身の元プロレスラー。


オックス・ベーカー
Ox Baker
1934/4/19

アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミズーリ州セダリア出身。本名はダグラス・ベーカーDouglas A. Baker)。


ワイルド・アンガス
Wild Angus
1934/10/19 - 2005/4/21

フランシス・パトリック・オイFrances "Frank" Patrick Hoy)は、イギリス・北アイルランドのエニスキレン出身のプロレスラー。

英国マットを本拠地に、アメリカやカナダにも参戦。ヨーロッパ流の本格テクニックを持ちながら、ザンバラ髪に髭面という悪相と巨体を武器に、異能派のラフ&パワーファイターとして活躍した。


ミスター・ギロチン
Mr. Guillotine
]1946/10/19

英国人プロレスラー "ケンドー・ナガサキ" ことピーター・ソーンリーPeter Thornley )の日本におけるリングネーム。

1980年代以降にケンドー・ナガサキを名乗った桜田一男はギロチンとは別人。


ビッグ・ジョン・クイン
Big John Quinn
1941

カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身の元プロレスラー。現役選手時代はカナダやヨーロッパを主戦場に、大型パワーファイターとして活躍した。


クルト・フォン・ヘス
Kurt Von Hess
1942/4/10 - 1999/3/13

カナダのプロレスラー。オンタリオ州ハミルトン出身。本名はウィリアム・E・テリーWilliam E. Terry)、通称ビル・テリーBill Terry)。

全盛時はナチ・ギミックのドイツ系ヒールとなって、カナダを主戦場に活躍。日本でも昭和期の各団体に参戦し、主にタッグ・プレイヤーとして実績を残した。


ジプシー・ジョー
Gypsy Joe
1933/12/2

プエルトリコ出身のプロレスラー。本名はヒルベルト・メレンデスGilberto Melendez)、愛称はペペPepe)。

全盛時は流血戦を得意とするラフファイターとして活躍した。小柄だが無類のタフネスを誇り、スチール製の椅子で殴打されても反対に椅子の方が折れ曲がってしまうほどの驚異的な肉体の持ち主で知られる。


キラー・トーア・カマタ
"Killer" Tor Kamata
1937/3/9 - 2007/7/23

マクロナルド・カマカMacronald Kamaka)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ハワイ州ホノルル出身。カナカ人の血を引くとされる。

選手時代は悪役レスラーとして活躍し、流血大王の異名を持つ。実弟のコーア・ティキもプロレスラーで、1972年7月に新日本プロレスに来日したことがある。


アファ・アノアイ
Arthur "Afa" Anoa'i, Sr.
1942/11/21

アメリカ合衆国の元プロレスラー。アメリカ領の東サモア諸島出身。

アノアイ・ファミリーの総帥であり、弟のシカ・アノアイとのタッグチーム、ワイルド・サモアンズThe Wild Samoans)での活動で知られる。1980年代の新日本プロレスにワイルド・サモアンのリングネームで度々来日したサムラ・アノアイ(1963/5/29)、WWEでレガシーのメンバーだったマヌーことアファ・アノアイ・ジュニアは彼の息子である。


シカ・アノアイ
Leati "Sika" Anoa'i
1945/4/5

アメリカ合衆国の元プロレスラー。アメリカ領の東サモア諸島出身。

アノアイ・ファミリーの総帥である兄のアファ・アノアイとのタッグチーム、ワイルド・サモアンズThe Wild Samoans)での活動で知られる。息子のマット・アノアイ(1970/4/7)とジョー・アノアイ(1985/5/25)もプロレスラーである。


アレックス・スミルノフ
Alexis Smirnoff
1947/2/9
カナダ・ケベック州出身の元プロレスラー。本名はミシェル・ラマーシュMichel Lamarche)。ロシア系ギミックの悪役レスラーとして活躍し、日本では「流血怪人」の異名で知られた。

クレージー・セーラー・ホワイト
"Crazy" Sailor White
1949/5/18 - 2005/8/26

エドワード・ジョン・ホワイトEdward John White)は、カナダのプロレスラー。ニューファンドランド・ラブラドール州セントジョンズ出身のアイルランド系カナダ人。

そのリングネーム通り、船乗り上がりの荒くれ狂乱ファイターとしてカナダ大西洋岸やモントリオール地区を主戦場に活躍、日本では国際プロレスに度々参戦した。


キラー・ブルックス
"Killer" Tim Brooks
1947

アメリカ合衆国の元プロレスラー。本名はティモシー・ポール・ブルックスTimothy Paul Brooks)。テキサス州ワクサハチー出身。生年は1944年ともされる。

火のついた葉巻きをくわえ動物の骨を振りかざして入場する狂乱ファイターとして知られ、試合スタイルも殴る・蹴る・凶器攻撃主体のラフファイトを徹底。国際プロレス参戦時以外はエース級の存在ではなかったものの、名脇役として日本でも昭和の各団体で活躍した。


デビッド・シュルツ
David "Dr. D" Schultz
1955/6/1

アメリカ合衆国テネシー州出身の元プロレスラー。生年は1950年ともされる。

引退後は犯罪者を捕えて報酬を得るプロのバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)として活躍している。


プロフェッサー・タナカ
Professor Tanaka
1930/1/6 - 2000/8/22

チャールズ・カラーニ・ジュニアCharles "Charlie" Kalani, Jr.)は、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身のプロレスラー。現役引退後は、俳優に転じた。

グレート東郷(1911/10/11-1973/12/17)と並んで東洋の悪魔として恐れられ、当時のアメリカマットを席巻した典型的な日系悪役レスラーだが、出自は不明な点が多い。トール・タナカToru Tanaka)あるいはタロー・タナカTaro Tnaka)を名乗り日系人を自称していたがギミックの可能性が高く、実際はハワイ生まれのフィリピン系とされている。その他、ミンダナオ島出身説やタイの山岳民族であるとの説もあった。


ディーン樋口
Dean Higuchi
1938

アメリカ合衆国の元プロレスラー。ハワイ州ホノルル出身の日系アメリカ人。第8代WWWF世界タッグ王者。

ディーン・ホーDean Ho)のリングネームで知られ、日系選手では珍しくベビーフェイスのポジションで活躍した(オリエンタル・ギミックは用いず、レイやウクレレを小道具に使用するなどハワイアンとしての出自をアピールしていた)。


ヘイスタック・カルホーン
Haystacks Calhoun
1934/8/3 - 1898/12/7

ウィリアム・ディー・カルホーンWilliam Dee Calhoun)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。アーカンソー州モーガンズ・コーナー出身。

元WWWF世界タッグ王者(第6代)。1960年代を代表する巨漢レスラーであり、日本では「人間空母」「お化けカボチャ」などの異名で呼ばれた。


ザ・モンゴリアン・ストンパー
The Mongolian Stomper
1944/11/2

カナダ・アルバータ州出身の元プロレスラー(生年は1936年ともされる)。本名はアーチボルド・エドワード・ゴルディーArchibald Edward Gouldie)、通称アーチー・ゴルディーArchie Gouldie)。

そのリングネーム通り、強烈なストンピング(踏みつけ・踏み蹴り)を攻撃の主体とするブルファイターとして活躍した。日本では「踏み潰し野郎」の異名を持つ。アントニオ猪木のアメリカ修行時代のタッグ・パートナーとしても知られる。


ジョー・ルダック
Jos LeDuc
1944/8/31 - 1999/5/1

ミシェル・ピジョンMichel Pigeon)は、カナダのプロレスラー。ケベック州モントリオール出身のフランス系カナダ人。

ネルシャツとジーンズをコスチュームに、カナダのランバージャックをギミックとしたパワーファイターとして、カナダ各地をはじめアメリカ合衆国の主要テリトリーや日本でも活躍した。


ジェイク・ロバーツ
Jake "The Snake" Roberts
1955/5/30

アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はオーレリアン・ジェイク・スミス・ジュニアAurelian Jake Smith, Jr.)。テキサス州ゲインズビル出身。1980年代のスーパースターの一人で、DDTの開発者としても有名。

父親のオーレリアン "グリズリー" スミス(1932/8/6-2010/6/12)、弟の"カウボーイ" サム・ヒューストン、妹のロッキン・ロビンもプロレスラー。


リック・マーテル
Rick "The Model" Martel
1956/3/18

リシャール・ヴィニョーRichard Vigneault)は、フランス系カナダ人の元プロレスラー。カナダのケベック州ケベックシティ出身。第31代AWA世界ヘビー級王者。

全盛時の1980年代は甘いマスクの二枚目ベビーフェイスとして黄色い声援を集め、円熟期に入った1990年代はルックスの良さを鼻にかけたナルシシスト系ヒールに転じて観客のブーイングを煽るなど、善悪両方のポジションで活躍した。


ザ・ジャンクヤード・ドッグ
The Junkyard Dog
1953/12/13 - 1998/6/2

(、通称 "JYD")は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ノースカロライナ州ウェイズボロ出身のアフリカ系アメリカ人。本名はシルヴェスター・リッターSylvester Ritter)。生年は1952年ともされる。

1980年代を全盛期に、WWFや南部エリアを中心に活躍、陽気なキャラクターを持つベビーフェイスのブルファイターとして、主に子供の観客からの人気を集めた。


ザ・ダイナマイト・キッド
The Dynamite Kid
1958/12/5

イギリス出身の元プロレスラー。本名トム・ビリントンTom Billington)。日本では「爆弾小僧」などの異名を持った。

ビリー・ライレージム出身で、カナダのカルガリーで頭角を現し、1980年代後半はWWFでも活躍。日本マットにおいてはタイガーマスクと抗争を展開し、「肉体の表面張力の限界」とまで言われた鍛え抜かれた筋肉を備え人気を博した。

過剰なまでの受身で対戦相手の攻撃を引き出す一方で、スピーディかつ直線的、自らの危険すら顧みない妥協なき攻撃スタイルから「剃刀戦士」と形容された。このスタイルは後世のレスラーらにも多大な影響を与え、彼を目標に掲げるレスラーは今なお多い。


マイク・ジョージ
Mike George
1950

アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミズーリ州マーシャル出身。

現役選手時代は正統派のパワーファイターとして活躍し、NWA世界ヘビー級チャンピオン候補の呼び声も高かった。


ロン・バス
"Outlaw" Ron Bass
1948

アメ"Outlaw" Ron Bassリカ合衆国の元プロレスラー。アーカンソー州ハリスバーグ出身。本名はロナルド・ハードRonald Herd)。

現役選手時代はカウボーイ・スタイルの大型ヒールとして活躍。スタン・ハンセンのパートナーとなり、インターナショナル・タッグ王座に就いたことでも知られる(第30代王者)。


ジョニー・パワーズ
Johnny Powers
1943/3/20

カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身のプロレスラー、プロモーター、実業家。本名はデニス・ウォーターズDennis Waters)。

鍛え上げられた肉体から鋼鉄男と称され、また徹底的に相手を痛めつける冷徹な試合振りから死神の異名をとった。日本ではアントニオ猪木にNWF世界ヘビー級王座を奪われたレスラーとして知られる。


キラー・カール・クラップ
Killer Karl Krupp
1934/5/13 - 1995/8/24

カナダ・ニューブランズウィック州(出生地はオランダ、ギミック上はドイツ・ハノーファー)出身のプロレスラー。

本名はジョージ・モンバーグGeorge Momberg)。ナチ・ギミックの悪役レスラーとして知られ、1960年代後半から1980年代前半にかけてアメリカ合衆国やカナダで活躍した。

ナチ・ギミックの先達であるフリッツ・フォン・エリック同様にクロー攻撃を得意とし、ブロンズ・クロー青銅の爪と称された。総合的な評価としては一流半のB級悪役レスラーというところであるが、来日時期のめぐり合わせもあり日本マットでは比類ない実績を残した。


レイ・キャンディ
Ray Candy
1950/11/30 - 1994/5/23

アメリカ合衆国のプロレスラー。ジョージア州アトランタ出身のアフリカ系アメリカ人。


クレイジー・ルーク・グラハム
"Crazy" Luke Graham
1940/2/5 - 2006/6/23

ジェイムズ・グラディ・ジョンソンJames Grady Johnson)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ジョージア州ユニオンポイント出身。生年は1936年ともされる。

ゴールデン・グラハムズGolden Grahams)ことグラハム四兄弟(ジェリー、エディ(1930/1/15-1985/1/21)、ルーク、ビリー) の「三男役」として活躍した。兄弟の中では一番の巨漢だが、彼らが「兄弟」であることはギミック上の設定であり、実際には血縁関係はない。


"プレシャス" ポール・エラリング
"Precious" Paul Ellering
1953/8/22

アメリカ合衆国の元プロレスラー、マネージャー。ミネソタ州メルローズ出身。

現役選手時代はスーパースター・ビリー・グラハム系の筋肉美を誇るヒールとして活躍。引退後はロード・ウォリアーズのマネージャーとなって名を馳せた。


ジ・エンフォーサー
The Enforcer
1935/1/14

アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミシガン州デトロイト出身のイタリア系アメリカ人(生年は1943年ともされる)。


女子部


ザ・ファビュラス・ムーラ
The Fabulous Moolah
1923/7/22 -
207/11/2

(本名:メアリ・リリアン・エリソン / Mary Lillian Ellison)は、主にWWEなどで活躍したアメリカ合衆国の女子プロレスラー。

1940年代のデビュー以来、2007年に死去する寸前まで長きに渡りプロレス界に貢献。その晩年には『史上最高齢の現役女子レスラー』と呼ばれ、1995年に女性初のWWE殿堂入りを果たすなど、アメリカでの女子プロレスの地位を高めた。


ビッキー・ウィリアムス
Vicki Williams
1956/4/21

アメリカ合衆国の女子プロレスラー。ジョージア州サバンナ出身。ベアフットの選手として知られた。


レイラニ・カイ
Leilani Kai
1960/1/1

アメリカ合衆国の女子プロレスラー。フロリダ州タンパ出身。身長170cm、体重73kg。本名はパトリシア・シュローダーPatricia Schroeder)。リングネームは容貌がハワイアンを思わせるところから由来。

1970年代から80年代にかけて日米のリングで活動し、多くのタイトルを獲得。WWFではジミー・ハートをマネージャーに、ジュディ・マーチンとのタッグチーム「グラマー・ガールズThe Glamour Girls)」で活躍、JBエンジェルズ(立野記代&山崎五紀)と抗争を繰り広げた。近年もアメリカのインディー団体へのスポット参戦を続けている。


関連項目


竹内 宏介
1947/1/6

日本のプロレス評論家。元週刊ゴング編集長・日本スポーツ出版社元社長、のち編集顧問。静岡県熱海市生まれの東京都台東区出身。通称「熱血・週刊ゴング編集人」。現在の愛称は魂のプロレス請負人。現在は脳梗塞で倒れ病床にある。


山田 二郎
1936/5/7

フリーアナウンサー。


杉浦 滋男
1935/12/15 -
1997/12/6

東京12チャンネルの元アナウンサー。


国際プロレスプロモーション

概要

SWS解散後、NOWに在籍していた元国際プロレスの鶴見五郎はNOW崩壊後、高杉正彦や関係者と共に1993年、インディー団体統括組織であるレスリング・ユニオンを立ち上げ、同時にその傘下団体として1993年にIWA格闘志塾(あいだぶりゅえーかくとうしじゅく)の名前で旗揚げした。レスリング・ユニオンはその後有耶無耶となって消滅したが、IWAの名前はIWA湘南と同様しばらく付けたままであった。

地元である横浜市鶴見区、鶴見がジムを持つ神奈川県茅ヶ崎市を中心に、鶴見青果市場、茅ヶ崎青果市場、新大津スイミングクラブ等の小規模会場での興行を主とし、マスクを付けた怪奇派のキャラクターレスラーを登場させていた。

フリーランスのレスラーの他に、自身が経営するトレーニングジム「鶴見五郎ジム」にてプロレスラーを養成し、リングに上げるスタイルをとっていて、佐野直(1979/6/11)はこの団体の出身である。

1997/5/11の興行をもって、名称をIWA格闘志塾から国際プロレスプロモーションと改称し、国際プロレスの王座であったIWA世界ヘビー級王座をはじめとする各王座を復活させた。なお、命名及び王座の復活にあたっては、国際プロレス創業者吉原功の遺族に許可を得ている。

小規模ながらも息の長い興業を続けてきたが、茅ヶ崎市のジムからリングを運搬していた中古2tトラックが2004年末、首都圏のディーゼル車排ガス規制(自動車NOx・PM法)に抵触。DPF(粒子状物質減少装置)を付けたり、買い換えたりする金がなかったため、定期的に開いていた鶴見青果市場での興行を中止することとなった。。

その後は東京で興業を行ってきたが、2006年に鶴見が引退を表明し、セミリタイア状態となったことから、2007年5月を最後に興業は行われていない


 
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