サイクロン・ネグロ/カリプス・ハリケーン
Cyclone Negro/Caribs Hurricane
1932/4/7
ロモン・エドゥアルド・ロドリゲス(Romon Eduardo Rodriguez )は、ベネズエラ出身のプロレスラー。
来歴
プロレス転向前はベネズエラにてアマチュア・ボクシングの選手として活躍、1951年にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された第1回のパンアメリカン競技大会ではフロイド・パターソンとも対戦した。
1956年、首都カラカスにてシクロン・ベネズエラーノ(Ciclón
Venezuelano)のリングネームでデビュー。1958年からヨーロッパ各地を転戦し、1960年よりアメリカ合衆国に進出。ダラスやヒューストンなどテキサスの東部地区にてトルベリーノ・ブランコ(Torbellino
Blanco)のパートナーとなり、彼のリングネーム「白いつむじ風」に合わせ、「黒い台風」を意味するサイクロン・ネグロ(Cyclone
Negro)に改名、マッドドッグ・バションとブッチャー・バションのバション・ブラザーズを相手にNWAテキサス・タッグ王座を争った。
1964年4月、日本プロレスの『第6回ワールドリーグ戦』にベネズエラ代表として初来日。この日本遠征では覆面レスラーのカリプス・ハリケーン(Caribs
Hurricane)に変身し、アメリカ遠征から帰国したジャイアント馬場と蔵前国技館大会にて時間切れ引き分けに持ち込み、タッグではジン・キニスキーと組んで豊登&吉村道明からアジア・タッグ王座を奪取するなどの活躍を見せた。
1960年代後半はフロリダ地区で活動し、1971年からテキサス西部のアマリロ地区に定着。テリー・ファンクやロード・アルフレッド・ヘイズとNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を巡る抗争を展開した。1973年8月29日にはキラー・カール・コックスとのコンビで、日本から流出してきたインターナショナル・タッグ王座をザ・ファンクスから奪取している。
その間、1972年12月にアマリロとの提携ルートで全日本プロレスに初参戦。このときは素顔のサイクロン・ネグロとして来日したが、以降の来日では再び覆面を被り、カリプス・ハリケーンのギミックで全日本の常連中堅外国人となる。1973年3月には『チャンピオン・カーニバル』の第1回大会に出場し、1975年1月にはザ・デストロイヤーの「覆面10番勝負」第5戦の相手を務めた。
アメリカでも1978年下期に、古巣のフロリダ地区でカリプス・ハリケーンと同じデザインの覆面を被り、ミスター・ウガンダ(Mr.
Uganda)なるマスクマンに変身[8]。12月12日にダスティ・ローデスからNWAフロリダ・ヘビー級王座を奪取したが、1週間後にジョー・ルダックに敗れ短命王者に終わった。以降は素顔に戻り、1982年頃までフロリダ、ロサンゼルス、プエルトリコなどを転戦した。
1983年2月には全日本プロレスへの最後の参戦を果たし、キャリア最末期の1984年11月には旧UWFに登場した(いずれも素顔のサイクロン・ネグロ名義での来日)。1985年の引退後は、かつての主戦場であるフロリダに居住している。
獲得タイトル
テキサス東部
- NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
- NWAテキサス・タッグ王座:2回(w / トルベリーノ・ブランコ)
- NWA世界タッグ王座(テキサス版):(w / ドリー・ディクソン、オスカー・サラザール、リッキー・スター)
フロリダ
- NWAフロリダ・ヘビー級王座:2回
- NWAフロリダ・タッグ王座:5回(w / ジャック・ブリスコ×2、サム・スティムボート、オマール・ネグロ、パク・ソン)
- NWAブラスナックル王座(フロリダ版):2回
テキサス西部
- NWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座:5回
- NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / カール・フォン・スタイガー)
- NWAインターナショナル・ヘビー級王座(アマリロ版):4回
- NWAブラスナックル王座(アマリロ版):2回
トライステート
ロサンゼルス
- NWAブラスナックル王座(ロサンゼルス版):2回
- NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回
オーストラリア
- IWA世界タッグ王座:1回(w / バロン・マイケル・シクルナ)
プエルトリコ
- WWCカリビアン・ヘビー級王座:1回
- WWC北米タッグ王座:1回(w / ウラカン・カスティーヨ)
日本プロレス / 全日本プロレス
- アジア・タッグ王座:1回(w / ジン・キニスキー)
- インターナショナル・タッグ王座:1回(w / キラー・カール・コックス)
- 第1回チャンピオン・カーニバルに「PWF南米ヘビー級王者」として来日したが、実態もその後の発展も特になかった。
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