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2011/8/31
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  • 永田が「第3世代ALL TOGETHER」を呼びかけ!中西、小島、大谷、カシンみんな来い!
  • 9・4は「みちのくTOGETHER」だ!東北出身レスラーが後楽園ホールで復興マッチ
  • 【柴田惣一のズバリ直撃】大成功の裏にこの人あり!全日プロ木原リングアナに聞く
  • 嫌われ者KENSOにまさかのパートナー出現!9・11全日開幕戦で「TEAMビチッと!」始動
  • <10・15GRABAKA>菊田VS山本UWF裏遺恨戦実現!
リアルライブ
バトル・ニュース
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週刊プロレス No.1593 週刊プロレス 9月14日号
WEEKLY PRO-WRESTLING No.1593
2011年 8月 31日発売
A4変判
特別定価500円

  • ALL TOGETHER 8・27日本武道館
    棚橋&諏訪魔&潮﨑vs杉浦&中邑&KENSO
    武藤&小橋vs矢野&飯塚
    健介&秋山vs髙山&大森
    大会翌日の三王者を直撃 ほか
  • ■NOAH8・24後楽園
    【GHCジュニアタッグ】金丸&KENTAvs鼓太郎&青木
    潮﨑&谷口vs髙山&平柳 ほか
  • ●インタビュー
    中邑真輔 よろこびは一瞬
    対談 TAJIRI×本誌編集長
  • >試合リポート
    ZERO1 8・27土岐
    新日本8・22燕
    K-DOJO8・28千葉
    DRAGON GATE 8・25後楽園
    全日本8・28四日市
    SEM8・22&8・23川崎
    FREEDOMS8・24&8・25新木場
    DDT8・28後楽園
    スターダム8・28新木場
    WAVE8・28後楽園
  • >巻頭特集
    新プロレス伝説が生まれた!
    「ALL TOGETHER」を斬る
  • EYEコラム
  • >あらかると
    NOAHの留学生レスラー、ザック・セイバーJrをクローズアップ!
  • >REGULARS
    ●モノクロのページ
    オレ、CIMAやぞっ。<111>
    プロレス界で働く人々<59>
    読者参加型サバイバルコラム<183>
    プロレス大好き芸人コラム~ハチミツ二郎編<30>
    新・鈴木みのるの独り言<84>
    レスラーヒューマンストーリー<59>~青木篤志編
    流智美のプロレス検定塾<240>
    私たち、命懸けなんです!<89>
  • ●カラーページ
    龍魂継承<30>~諏訪魔~後編
    潮﨑豪のHERE WE GO!<30>
    WWEリポート
    闘撮<54>
  • >ニュース&情報 NEWS&INFORMATION
    団体別2カ月カレンダー
    週プロ&週モバ 小王国!
    ニュース・ファイル
    次号予告/編集後記
    プレゼントコーナー

 
 


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AMAZON 食品&飲料 ベストセラー
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NJPW
1985/11/29
北九州市立総合体育館

北九州市立総合体育館
藤波辰巳/木村健悟vsディック・マードック/マスクド・スーパースター/2/2

NJPW
1984/7/13

NWA Jr
ザ・コブラvsダイナマイト・キッド

NJPW
1984/12/28
MSG

WWF Jr.
ザ・コブラvsブラック・タイガー/2/2

アントニオ猪木vsデビッド・シュルツ

NJPW
1985/9/19
東京体育館

アントニオ猪木vs藤波辰巳/2/3/3/3
レフリー:ルー・テーズ

AJPW
2代目タイガーマスク誕生

AJPW
1984/8/26
田園コロシアム

タイガーマスクvsラ・フィエラ

NWA Jr.
マイティ井上vs大仁田厚/2/2
AJPW
1984/9/12
水戸市民体育館

世界最強Jr.タッグリーグ
優勝戦
マイティ井上/グラン浜田vsチャボ・ゲレロ/ヘクター・ゲレロ/2/2

NWA
リック・フレアーvs天龍源一郎/2/4/3/4/4/4

アルシオン2000/1/30 
アジャ・コングvsキャンディ奥津

AAA
2011/8/28

AAA/2/3/3/3

IWRG
2011/8/28

IWRG/2/7/3/7/4/7/5/7/6/7/7/7

AJPW
ワイルド対決会見

SMASH
SMASH.21 記者会見/2/3

CHIKARA
Throwdown Lowdown (8.30.11)


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プロレス/格闘技
今日のテレビ放送/出演



USTREAM 20:00
水曜カレープロレス

サムライTV 22:00
Sアリーナ
2011年8月31日(水)号

永田裕志と秋山準がタッグ結成!
BLUE JUSTICE..3 8.30後楽園

23:00
天龍プロジェクト 
「革命点火〜REBORN〜」
8.21新宿FACE

<世界6人タッグ選手権>      
●天龍源一郎&嵐&石井智宏×高木三四郎&竹田誠志&Mentallo
<IJタッグ&NWAインターコンチネンタルタッグ・ダブル選手権>
●折原昌夫&ブラック・タイガー(IJタッグ王者チーム)×佐藤耕平&KAMIKAZE(NWAインターコンチネンタルタッグ王者チーム)
<ランバージャックタッグマッチ>
●土方隆司&藤美月×TAJIRI&朱里
●THE KABUKI&金村キンタロー×NOSAWA論外&藤田ミノル
●百田光雄×リッキー・フジ

CSテレビ朝日 24:25
#157 アントニオ猪木特集

アントニオ猪木vsスーパースター・ビリー・グラハム
アントニオ猪木vsスタン・ハンセン


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1989年以前

AWA
1968/8/31
ミネアポリス

AWA世界ヘビー級王座
ドクターXvsバーン・ガニア

NJPW
1979/8/31
南九州短大体育館 

アントニオ猪木 vs タイガー・ジェット・シン

AJPW
1979/8/31
大阪府立体育会館

PWF
ジャイアント馬場 vs アブドーラ・ザ・ブッチャー

AJPW
1983/8/31
蔵前国技館

Forever! Forever! Forever! Japan

テリー・ファンク、涙の引退試合

ザ・ファンクスvsスタン・ハンセン/テリーゴディ



2/3 / 3/3

インターナショナルヘビー級
ジャンボ鶴田vsブルーザー・ブロディ

NWA認定インターナショナルジュニアヘビー級選手権
チャボ・ゲレロ vs 渕正信

NJPW
1984/8/31
南足柄市総合
体育館

長州 力vsジェリー モロー

アントニオ猪木/木村 健吾vsR・スミス/マイヤース

藤波 辰巳vsボブ バックランド

AJPW
1985/8/31
両国国技館

因縁の対決

NWA認定インターナショナルJr.ヘビー級選手権試合
二代目タイガーマスクvs小林邦明



2/2

三沢タイガー伝説 虎仮面7年の咆哮
DVD-BOX
三沢タイガー伝説~虎仮面7年の咆哮


三沢光晴/タイガーマスクDVD紹介

ザ・グレート・カブキ vs ハル薗田
スタン・ハンセン/テッド・デビアス vs ジャンボ鶴田/天龍源一郎
1/2
 / 2/2
タイガー・ジェット・シン/キラー・ブルックス vs
ジャイアント馬場/石川敬士

長州力/谷津嘉章 vs ザ・ファンクス / 2/2

AJPW
1987/8/31
日本武道館  

ジャイアント馬場/タイガーマスクvs 輪島大士/石川敬士

PWF
スタン・ハンセン vs 谷津嘉章

プロレス大賞
年間最高試合賞
天龍源一郎 vs ジャンボ鶴田
* 天龍がリングアウト勝ちで鶴田戦初勝利


ヤフオクで今、売れているプロレス商品は何?
ヤフオクプロレス


1900年代

AJPW
1990/8/31
大阪府立体育会館

ジャンボ鶴田 vs 小橋健太 

三沢光晴/川田利明/菊地毅vs田上明/渕正信/マイティ井上

AJPW
1993/8/31
豊橋市総合体育館

アジアタッグ
ザ・パトリオット/ジ・イーグル vs 秋山準/菊地毅 

田上明/小川良成 vs 三沢光晴/浅子覚

ステーブ・ウイリアムスvs小橋健太

鉄人 小橋建太
~絶対王者への道

小橋建太DVDBOX


小橋建太DVD紹介

AJW
1994/8/31
大阪府立体育館

吉田万里子vs井上貴子

吉田万里子
リ・チャレンジ7番勝負!!
吉田万里子 リ・チャレンジ7番勝負!!

遠藤紗矢が対渡辺美佐恵戦でデビュー

FMW
1995/8/31
大阪府立体育館

ハヤブサvs大矢剛功
松永光弘vsW★ING金村

FMW グランドスラム
Part 1 2nd
FMW グランドスラム

新日本プロレス
1997/8/31 
横浜アリーナ 

長州力引退興行

佐々木健介vs橋本真也

グレート・ムタ/天山広吉/ヒロ斎藤vs長州力/藤波辰巳/天龍源一郎

GREAT MUTA大全集~神秘の毒霧伝説

グレート・ムタDVD-BOX紹介

IWGP列伝 8
IWGP列伝8


IWGP列伝/ジュニア・ヘビー級列伝ビデオ紹介

其ノ四
覇権闘争伝
覇権闘争伝


NJPW激闘史DVD紹介

革命戦士 長州力
'92-’97
引退試合までの軌跡
引退試合までの軌跡


アルシオン
1998/8/31
なみはやドーム

TOURNAMENT ZION'98
アルシオン2大トーナメントの第2回目は大阪で行われたZION。
補欠戦
ファビーvsレディ
アジャvs秋野
1回戦
浜田vsマリー
玉田vs二上
大向vs府川
吉田vsレジー
準決勝
浜田vs二上
大向vs吉田
決勝
浜田vs吉田

特別試合
タイガードリームデビュー戦、
タイガードリームvs矢樹広弓

ZION 98
TOURNAMENT
ZION 98


Perfect ARSION
アルシオン6年間の奇跡
アルシオン6年間の奇跡






2000年以降

JWP
2001/8/31
板橋産文ホール

JWP認定タッグ王座
輝優優&元気美佐恵vs日向あずみ&春山香代子

AJPW
2002/8/31
日本武道館

ドラゴン・キッド/望月成晃/ジミー・ヤン vs
マグナムTOKYO/ダークネス・ドラゴン/横須賀享 

ビル・ゴールドバーグ vs 太陽ケア

イリミネーション
天龍軍VS武藤軍
天龍/ウイリアムス/嵐/北原/折原vs武藤/馳/新崎/ハインズ/カズ

パンクラス
2003/8/31
両国国技館

IWAジャパン
2004/8/31

10周年記念興行
IWA世界王座争奪トーナメント

LLPW
2007/8/31

LLPW認定タッグ王座
アイガー/沖野小百合vs金成知佐子/金成幸子

ZERO1
2008/8/31

日高郁人/澤宗紀vs石川/吉川

大森隆男が退団

AJPW
2008/8/31
両国国技館

プロレスLOVE in 両国 Vol.5

三冠ヘビー級選手権試合
諏訪魔vs太陽ケア

IWGPヘビー級選手権
武藤敬司vs後藤洋央紀/2/2

天山広吉/小島聡vs真壁刀義/TARU

世界ジュニアヘビー級選手権
土方隆司vsKAI

西村/平井/真田/征矢vs
鈴木みのる/NOZAWA/MZADA/TAKEMURA

スコット・ダモール/ジョー・ドーリング/雷陣 明vs
近藤修司/ゾディアック/“brother”YASSHI

T28/フィル・アトラス/大和ヒロシvs
カズ・ハヤシ/エル・サムライ/アントニオ・トーマス

渕正信vs荒谷望誉 

風香
2008/8/3
やまと郡山城
ホール 

FUKA MATSURI5〜風香の奈良凱旋〜

<風香祭オープニング・ヤングファイト>
紫雷美央& 紫雷イオ vs 夏樹☆たいよう&帝嘩怒
<風香祭プレミアム・シングル>
堀田祐美子 vs AKINO
〜パニック・パワー シンギング・タイム〜
<風香祭MEN’sバトル>
ジャンピング・キッド沖本 vs モンスター・ブラック
<風香の奈良凱旋スペシャルタッグ>
風香&高橋奈苗 vs 元気美佐恵&勇気彩
<奈良凱旋エンディングマッチ>
風香&柿本政秀&柿本元気 vs モンスター・ブラック

風香祭 4, 5 & 6
風香祭3

アイスリボン
2009/8/31

頭部の治療の為に4月から欠場していた希月あおいがこの日をもって無期限休業。


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プロレス/格闘技
今日のバースデイ / 忌日


AMAZON 食品&飲料 ベストセラーは何?
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ジョー・ルダック
Jos LeDuc
1944/8/31 - 1999/5/1

ミシェル・ピジョンMichel Pigeon)は、カナダのプロレスラー。ケベック州モントリオール出身のフランス系カナダ人。ネルシャツとジーンズをコスチュームに、カナダのランバージャックをギミックとしたパワーファイターとして、カナダ各地をはじめアメリカ合衆国の主要テリトリーや日本でも活躍した。

来歴

ケベックの警察官を経て、同郷のポール・ルダックの勧めでプロレスラーに転向。1968年のデビュー後はポールの弟のジョー・ルダックを名乗り、ルダック・ブラザーズとして地元のモントリオールやカルガリーなどカナダの激戦区を転戦する。シングルでもモントリオールIWAのインターナショナル・ヘビー級王座を獲得し、マッドドッグ・バションやキラー・コワルスキーなどのビッグネームとも対戦した。1971年3月には日本プロレスの第13回ワールドリーグ戦に初来日。翌1972年3月の第14回大会にも、リングネームをカナディアン・ランバージャックCanadian Lumberjack)に変えて連続出場している。

1973年より、ポールとのコンビでアメリカ南部のフロリダ地区に参戦。ベビーフェイスの兄弟チームとして活動し、当時まだヒールだったダスティ・ローデスとディック・スレーターのコンビからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取した。

ポールとのタッグ解散後、1976年にAWAに登場。ラリー・ヘニングと組んでブラックジャック・ランザ&ボビー・ダンカンのAWA世界タッグ王者チームに再三挑戦した。1978年はテネシー州メンフィスのCWAでジェリー・ローラーやモンゴリアン・ストンパーと抗争。この時期よりヒールに転向し、1979年は古巣のフロリダにて、同地区のヒーローとなっていたダスティ・ローデスと遺恨試合を展開した。フロリダではハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦している。

1979年10月には国際プロレスへの参戦で久々の来日を果たし、ラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦(このときの来日では、全日本プロレスのシリーズ開幕戦にも出場している)。翌1980年4月にも国際に再来日したが、同時参加していたマイク・ジョージの活躍に食われて精彩を欠き、目立った戦績を残すことはできなかった。

1981年はニュージーランドに遠征し、マーク・ルーインと英連邦ヘビー級王座を巡る抗争を展開。アメリカに戻るとアラバマ地区でテリー・ゴディやジャック・ルージョーら若手とサウスイースタン・ヘビー級王座を争った。1982年からはジム・クロケット・ジュニアの運営するノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区に進出。9月にジミー・バリアントを破りTV王座を獲得するが、不正があったとしてタイトルを剥奪された。翌1983年4月には同地区との提携ルートで全日本プロレスに来日。帰国後の4月30日、ディック・スレーターを十八番のランバージャック・デスマッチで葬り、TV王座に返り咲いた。

以降もフロリダ、アラバマ、テネシー、ジョージア(ジム・バーネットのジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)など南部エリアを転戦しつつ、地元のモントリオールにも凱旋し、リック・マーテルとのコンビでロード・ウォリアーズとも対戦。1986年にはプエルトリコのWWCに参戦してブルーザー・ブロディと流血戦を演じた。1988年下期は、ザ・ヘッドバンガーThe Headbanger)のリングネームでWWFにも登場(ハルク・ホーガンの主演映画 "No Holds Barred" にも出演)。1989年12月にはFMWに来日し、ディック・マードックとの外国人同士のチェーン・デスマッチを行った。1990年代もインディー団体へのスポット出場を続け、1992年にはジム・コルネットが主宰するSMWに登場した。

1999年5月1日、肺感染症のため死去。54歳没。生涯最後の試合は1995年6月10日、テネシー州メンフィスのUSWA(かつて主戦場としていたCWAの後継団体)で行われたイベント "Memphis Memories II" における、フィル・ヒッカーソンと組んでの旧敵ジェリー・ローラー&ジミー・バリアント戦だった。

獲得タイトル

スタンピード・レスリング(カルガリー)
  • NWAインターナショナル・タッグ王座:1回(w / ポール・ルダック)
GPW / IWA(モントリオール)
  • GPWタッグ王座:2回(w / ポール・ルダック)
  • IWAインターナショナル・ヘビー級王座:1回
  • IWAインターナショナル・タッグ王座:1回(w / Tony Baillargeon)
CWF(フロリダ)
  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ポール・ルダック)
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:3回
  • NWA南部ヘビー級王座:1回
  • NWA USタッグ王座:3回(w / ソー・ザ・ヴァイキング、パク・ソン、ドン・ムラコ)
CWA(テネシー)
  • NWA南部タッグ王座(ミッドアメリカ版):1回(w / ジャン・ルイ)
  • AWA南部タッグ王座:1回(w / ジェリー・ローラー)
  • AWA南部ヘビー級王座:2回
SECW(アラバマ)
  • NWAアラバマ・ヘビー級王座:1回
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:6回
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座:5回(w / ボブ・アームストロング×2、ロバート・フラー×3)
その他
  • NWA TV王座(ミッドアトランティック版):2回
  • NWA英連邦ヘビー級王座(ニュージーランド版):2回
  • WWC北米ヘビー級王座:1回


アニマル浜口
1947/8/31

日本の元プロレスラーでボディビル指導者。本名は濱口 平吾(はまぐち へいご)。ボディビルダー出身で国際プロレスや新日本プロレスで活躍し、闘将のニックネームで呼ばれた。武蔵野学院大学日本総合研究所客員教授。アニマル浜口トレーニングジム主宰。女子レスリング選手の浜口京子は長女。

来歴・人物

生い立ち

島根県浜田市出身。父親が事業に失敗したため、小学5年生の時(1958年)、母親と妹と一緒に親戚の住む大阪府堺市へ移る。中学卒業後は家計を助けるため、高校進学を断念。工事現場を転々とする毎日だった。

国際プロレス時代

1964年に、17歳でボディビルを始め、1969年にミスター兵庫コンテスト準優勝を受賞。その後、ボディビル界との繋がりが強かった国際プロレスに入団、プロレスラーに転向する。

浜口には格闘技の経験がなく、身長も180cm未満でレスラーとしてはけっして恵まれた体格とは言えなかった。だが国際プロレス社長で著名なレスリング選手でもあった吉原功からレスリングの直接指導を受け基礎を築き(このときの経験が後の京子への指導に生かされることになる)、効率的なトレーニングの工夫と頭脳的(ときに狡猾)なプレーで頭角をあらわす。

1972年にはディック・ザ・ブルーザーが主宰するアメリカ・インディアナポリスのWWAへ遠征、ブルーザーとの抗争を展開しヒールのトップスターとなった。

1973年の帰国後は、国際プロレスのメインイベンターのひとりとなった。しばらくタイトルには恵まれなかったが、1977年3月、グレート草津とのタッグでビッグ・ジョン・クイン&クルト・フォン・ヘスを破りIWA世界タッグ王座を獲得。以降、末期国際プロレスの中心選手として活躍した。1979年に新日本プロレスのヤマハ・ブラザーズ(山本小鉄&星野勘太郎)に王座を奪われるが、同郷のマイティ井上とのコンビで奪回した。井上とのチームではこれ以前に全日本プロレスとの交流戦でアジアタッグ王座も獲得しており、和製ハイフライヤーズ(オリジナルのハイフライヤーズはAWAのグレッグ・ガニアとジム・ブランゼル)、浪速ブラザーズなどと呼ばれた名コンビだった。このコンビではザ・サモアンズ、上田馬之助&マサ斎藤、大木金太郎&上田、ジプシー・ジョー&キラー・ブルックス、マイク・ジョージ&ボブ・スウィータンら強豪チームを退けて王座を防衛している。

1979年のプロレス夢のオールスター戦では後の盟友長州力とコンビを結成し全日本プロレスの「極道コンビ」グレート小鹿&大熊元司と対戦した。この活躍の一方で怪我や病気に襲われることも多く、1980年春に試合中の怪我のために王座を返上。その後奪回するが、翌1981年4月には肝臓疾患のため欠場して王座を再度返上、国際プロレスが活動を停止した同年8月も欠場中のまま迎えた。

新国際軍団時代

1981/9/23、新日本プロレス田園コロシアム大会に国際プロレスのエースだったラッシャー木村とともに来場。このときメインイベント前のリング上で新日本に宣戦布告するはずのところ木村がいきなり「こんばんは」と挨拶し、しらけた雰囲気になりかけた状況を救ったのが浜口のマイクアピールであった。

その年の10月に新日本プロレスとの全軍対抗戦に出場、そのまま木村・寺西と共に「はぐれ国際軍団」を組み新日に参戦する。国際時代とは一転、ヒールとして新日ファンからの憎悪を買った。なかでもアントニオ猪木1人と旧国際軍団3人(ラッシャー木村・寺西勇・アニマル浜口)の変則マッチは今でも当時を知るプロレスファンの語り草になっている。この試合では中堅をつとめ、フォール負けを喫するが アントニオ猪木のエネルギーを消耗させ、五分で渡り合った。そして主将であるラッシャー木村の勝ち(エプロンアウトでの勝利)に貢献した。

その後、1983年には国際軍団から離脱、長州力を中心とする維新軍団に合流して新日正規軍と対戦、同軍団の副将格、そして長州の参謀として大活躍した。なおこのときに始まる長州との交流は立場を違えてからも続き、浜口の引退時、長州は陰で声を上げて泣いたという。

ジャパンプロレス時代

1984年に突如、長州力・マサ斎藤らとジャパンプロレスを結成し全日本プロレスに参戦する。浜口自体に無類の強さという感じは無かったが、タッグとして主役級の相棒(タッグパートナー)を引き立てる“助演”が上手く、ジャイアント馬場からも評価されていた。これは浜口とタッグを組んだグレート草津、マイティ井上、ラッシャー木村、寺西勇、長州力、キラー・カーン、谷津嘉章らが異口同音に浜口を評する言葉である。(なお馬場は、鶴田vs浜口シングル戦のTV解説時、最初に「全日本のエース鶴田、負ける要素は何もありません」と言った実況アナウンサーの倉持隆夫に「あなたの言うようだと浜口には勝つ要素は何もないみたいだけど、浜口はそう軽い相手じゃありませんよ」とたしなめたことがあり、試合終了後も浜口のファイトを絶賛していた。)

1987年にジャパンプロレス分裂→長州らの新日復帰に合わせ、現役を引退。浜口の引退は新日からジャパンプロレスに移籍する際に交わした、「トラブルを起こした場合は引退する」という約束を貫くため(キラー・カーンも同様)、また体調を崩しシリーズ欠場中でもギャラを支払ってくれたジャイアント馬場への恩義が影響していると思われる。引退セレモニーで「私はこの四角(リング)の中に魂があったんですよ。ありがとうプロレス。さよならプロレス」という浜口節と10カウントで締めた。

浜口道場設立後

引退後は アニマル浜口トレーニングジムを東京都浅草に開設。同ジムには、主にアマレスや柔道といった格闘技の(経験者で)基盤がある人間はもちろんであるが、特に基盤が無い人間でも将来プロレスラーとしてデビューをしたいと志す人を対象に開設した、日本有数のプロレスラー(としての)養成施設である。指導者となる傍ら、自らも一から体を作りあげて、ボディビルの大会(シニア部門)に出場し優勝した(大会に出場するにあたり、100kg以上の体重を70kgまで落としている)。

1990年、長州力が昔とは別人のような、精彩を欠いた試合を続けていた頃、浜口は引退後初めて新日の会場に現れる。長州がその日も不甲斐ない試合をしたのを見届けた浜口は、突如、その試合後のリングに乱入する。「おいっ長州、お前何やってるんだよ。こんな試合をして恥ずかしくないのか。」と、涙ながらに叫んで長州を張り倒し、馬乗りになってなおも張り手を見舞っていった。その後「昔のようなギラギラとした奴に戻ってほしい」と、長州の景気付けのつもりで、長州とのタッグマッチの対戦限定で現役復帰をし、暫くの間ビッグバン・ベイダー等と共闘し、長州と対戦する。後年にキャッチフレーズとなる「燃えろー!!」、「気合だー!!」は、このころに初めて発したものである(その後、長州とは一騎打ちを経て和解し、ジャパンプロレス時代以来のタッグを復活させたりした)。

1994年、セミリタイヤ状態を経て、WARに舞台を移して再度現役復帰。1995年には天龍源一郎、北原光騎と組んでWAR6人タッグ王座を獲得した。王座陥落後はリングからは遠ざかっているが、正式な引退表明はしていない(もっとも前述のように1987年に一度引退セレモニーは行っており、公式サイトではそれを正式引退として扱っている)。

その一方、このころからは名伯楽としてもクローズアップされ始めた。ジムからは小島聡、大谷晋二郎、大森隆男、小原道由、SUWA、本間朋晃らを送り出した。また、長女の浜口京子をレスリングの世界チャンピオンに育て上げる名コーチとして注目を集めた。

現在

2004年アテネオリンピックにおける「気合だー!!」という言葉の連呼(同年流行語大賞トップテンに選出)と、場合によっては周囲の迷惑を顧みないと非難された派手な応援(とくに掲示板の得点表示ミスに関する抗議)は海外のメディアからも一定の注目を集めた。同オリンピックを国民的に盛り上げた功労者との見方もある。娘に向かって「気合だー!! オィッ!! オィッ!! オィッ!!」と叫ぶ姿でプロレスファン以外の世間にも顔を知られる存在となった。

2008年に行われた北京オリンピックではアテネ同様に家族総出で現地に応援に駆けつけ、娘の連続メダル獲得に大声で喜ぶ姿が世界各国のテレビで放映されただけでなく、地元の新聞の紙面をも飾った。ただ、浜口の言動に対し中華人民共和国の公安当局から「要注意人物」としてマークされ、自由な行動や発言は出来なかったとの報道もあった。

プロレスラー・アニマル浜口

現役時代のトレードマークはターザン風のワンショルダー、赤・青ツートンカラーのタイツ。得意技はダイビング・エルボー・ドロップ、ジャンピング・ネックブリーカー・ドロップ、エアプレーン・スピン。ネックブリーカーは本家のジャイアント馬場からも褒められた。エアプレーン・スピンはアンドレ・ザ・ジャイアントを回すのが現役当時の夢であった。また長州力と維新軍団としてタッグとしての試合においては、長州とのツープラトンので行うパイルドライバーが秀逸であり(長州がリング上で相手の首元を股に挟み、浜口がコーナーポストで相手の足首を持って相手を落とすが、行う前に浜口がいつも上を向き絶叫するのが得意のポーズだった)特にハイジャックパイルドライバーとも言われ相手に恐れられていた。

入場テーマは『マタドール』(曲:日野皓正)。国際プロレスおよび新日本プロレス参戦時には『フリーライド・サーファー(ZERO TO SIXTY IN FIVE)』という曲もテーマ曲にしていた。

獲得タイトル

  • NWAインターナショナル・タッグ王座(カルガリー版):1回(w / ミスター・ヒト)
  • WWC北米タッグ王座:1回(w / ゴードン・ネルソン)
  • IWA世界タッグ王座:4回(w / グレート草津×2、マイティ井上×2)
  • アジアタッグ王座:2回(w / マイティ井上、寺西勇)
  • WAR認定6人タッグ王座:1回(w / 天龍源一郎&北原光騎)

入場テーマ曲

  • ZERO TO SIXTY IN FIVE(PABLO CRUISE)
  • MATADOR(日野皓正)
  • バック・オン・トラック(マッド・スリック)

エピソード

  • 見た目は強面だが、優しく涙もろい性格である。その人柄を慕う者は多い(愛弟子・小島聡がプロレス大賞MVPを獲得した時のインタビューでは泣きながら喜んで語っていた。また、張本勲はサンデーモーニングの「週刊御意見番」でいつも褒め称えている)。
  • ジャパンプロレス時代に明石家さんまの番組に所属選手全員で出演した際、当時オールバックヘアーに口髭の強面だった為「この人は恐そう」と言われさんまを怒鳴りつけた事がある、逆に終始にこやかだった新倉史祐は「アンタは優しそうな顔やね」と言われた。
  • 熱狂的なジャイアンツファンでもある。
  • 国際プロレス時代にラッシャー木村とふたりで小料理屋に酒を飲みに行った時に、その店の娘に一目惚れし、後に結婚した。
  • 1995年5月、『リングの魂』(テレビ朝日系)の企画で、「憧れの人に会いたい」という企画で浜口の憧れの女優の沢たまきと一日デートが実現した。いつもの気合は何処へやら、終始デレデレした意外な浜口が見られた。
  • アテネオリンピックで有名になってからテレビ出演が多くなったが、その際に叫ぶ言葉は定期的に新しくなっており今では「気合だー!!」以外にも多くの種類がある。
  • 前述の全日本プロレスでの鶴田戦(1986年の日本武道館での全日本プロレス軍VSジャパンプロレス軍の7対7対抗戦)の直後、リング上で「負けたぁ〜!!」と絶叫し、その潔さを馬場をはじめとした多くの関係者から賞賛された。

著書

  • 『俺が気合いを入れてやる』ごま書房、1993年、
  • 『バカ野郎!』ごま書房、1993年、
  • 『「超」シェイプアップ法』双葉社、1996年、
  • 『プロレスラー』実業之日本社、1997年、
  • 『親父になれ!』ごま書房、1997年、
  • 『アニマル親子の「夢よ来い!」』講談社、1998年、
  • 『強い男になってみろ!』宙出版、1998年、
  • 『アニマル浜口最後は勝つ!』宝島社、2004年、
  • 『アニマル浜口の人生気合ダァ!!』大泉書店、2002年、
  • 『娘にもらった金メダル』ゴマブックス、2004年、
  • 『一瞬の喜びのために、人間は泣くんだ。』かんき出版、2004年、
  • 『気合ダァ!200連発!!』共著:アニマル浜口、宮崎俊哉、ぴあ、2005年、

出演

CM

  • 「リアルキアイダー」:2008年に、コカ・コーラが発売した飲料「リアルキアイダー」の顔になる。発売日当日には都内で記念イベントが催され、いつもの気合い注入を取材に来ていたマスコミ、イベントに参加していた人すべてに行っていた。アニマルが大きく描かれたラッピングバス(リアルキアイダー気合入魂バス)が全国を回り、アニマル自身のメッセージが更新されるブログも開設される。
  • 公共広告機構(現:ACジャパン)(2005年、九州地区限定)
  • ヱビスビール
  • P&G ボールド
  • ソフトバンクモバイル(プリモバイル)「ケータイもってないブラザーズ篇」※ガッツ石松、内藤大助、ダンテ・カーヴァーと共演(2010年 )

ほか

映画

  • 劇場版 NARUTO -ナルト- 大興奮!みかづき島のアニマル騒動だってばよ(2006年、マンモス役(声の主演))

ミュージック・ビデオ

  • 島谷ひとみ「Neva Eva」 浜口部長役

アニマル浜口ジム
アニマル浜口ジム

主な出身プロレスラー

※五十音順に記載(公式サイトに記載されていない者は除外。カッコ内は最終所属団体、2010年現在)
  • 安沢明也(新日本プロレス)引退-1981/1/9
  • 磯崎ともか(救世忍者乱丸)(1998年デビュー)
  • 井上亘(新日本プロレス)-1973/8/27
  • 植田使徒(ZERO1)-1982/7/30
  • 越後雪之丞(大日本プロレス)
  • 大谷晋二郎(ZERO1、第3号レスラー)-1972/7/21
  • 大森隆男(フリー)-1969/10/16
  • 岡本衛(フリー)
  • 小原道由(引退、第1号レスラー)-1967/11/15
  • 鹿糠智樹(パレストラ岩手)
  • ガルーダ(WMF)-1978/9/26
  • 河野真幸(全日本プロレス)-1980/4/12
  • 神田菜々子(Jd')
  • K-ness.(DRAGON GATE)-1974/4/16
  • 小島聡(フリー、第2号レスラー)-1970/9/14
  • 小島弘之(フリー)
  • KAI(全日本プロレス)-1983/5/20
  • 坂田亘(EVOLUTION、ハッスル)-1973/3/11
  • 佐々木義人(大日本プロレス)1982/3/12
  • 駿河一(全日本プロレス)引退-1982/11/15
  • シュウ(フリー)-1977/8/30
  • SUWA(フリー)引退-1975/8/31
  • 関直喜(フリー)
  • 瀬野優(大阪プロレス)引退-1977/1/13
  • 鷹木信悟(DRAGON GATE)-11982/11/2
  • 高橋奈苗(スターダム)-1978/12/23
  • 高橋裕美(フリー)
  • TAJIRI(SMASH)-1970/9/29
  • 田中純二(九州プロレス)
  • T28(全日本プロレス)-1983/4/5
  • ドン・フジイ(DRAGON GATE)-1970/7/6
  • 内藤哲也(新日本プロレス)-1982/6/22
  • 中之上靖文(全日本プロレス)-1986/6/14
  • 滑川康仁(Team M.A.D)-1974/10/27
  • 夏樹☆たいよう(スターダム)-1984/5/7
  • 橋本和樹(大日本プロレス)-1990/5/25
  • 日高郁人(ZERO1)-1972/8/5
  • 富豪富豪夢路(フリー)-1969/6/21
  • 藤田峰雄(ドラディション)-1979/11/28
  • FUNAKI(フリー)-1968/8/24
  • 本間朋晃(新日本プロレス)-1976/11/18
  • マグナムTOKYO(DRAGON GATE)引退→ハッスルより復帰-1973/1/9
  • 宮川順也(パンクラス)
  • ミラノコレクションA.T.(新日本プロレス)引退-1976/8/27
  • 矢口壹琅(フリー)-9/20
  • 山崎直彦(FMW)引退
  • YOSHIYA(KAIENTAI-DOJO)-1976/12/21
  • 吉江豊(フリー)-1974/1/5
  • 吉橋伸雄(新日本プロレス)-1982/5/25
  • 横山佳和(ZERO1)-1988/3/22
  • 和田城功(リキプロ)引退-1978/3/15


ジェフ・ハーディー
Jeff Hardy
1977/8/31

アメリカ合衆国のプロレスラー。ノースカロライナ州キャメロン出身。本名ジェフリー・ネロ・ハーディー (Jeffrey Nero Hardy)。兄のマット・ハーディーもプロレスラーである。体の至る所にタトゥーを入れている。

来歴

レスラーとしてのキャリア初期は兄と共に歩んでいる。ドリー・ファンク・ジュニアの元でプロレスラーとしての基礎トレーニングを積んだ後、1993年ECWFにて兄との兄弟対決で共にプロレスデビュー。兄弟はタッグとして歩み、WWF(後のWWE)とは、1994年、1996年に契約のチャンスがあったものの契約に至らなかった(何度かジョバーとして試合を行なっている)。その間、兄マットがプロデュースする、オメガ・レスリングなどのインディー系プロレス団体で活動を行っていた。オメガ・レスリングには、後のリタ、シャノン・ムーア、グレゴリー・ヘルムズ、クリストファー・ダニエルズなども所属していた。彼らはプライベートでも仲が良く、現在でも「The Hardy Show」という番組制作をいっしょに手掛けている。また、1998年には格闘探偵団バトラーツに覆面レスラーのウィローとして来日している。

小柄ながらヘビー級戦線で活躍。端正なルックスと捨て身のレスリングで高い人気を得ているが、遅刻や薬物など問題行動が多く、団体からのプッシュ中に謹慎を受けるなどチャンスを自ら棒に振ることが少なくない。

WWF / WWE

1999年に兄弟ともにWWFと契約。初期はジンクス・ブラザーズという覆面レスラーのタッグチームで出場していたがまったく成功せずフェードアウト。以降ハーディー・ボーイズとしてタッグ戦線で活躍する。2001/4/10のSmackDown!にて、トリプルHを破り、当時の最年少記録でIC王座を獲得している。しかし、翌週トリプルHに敗れ、わずか一週間で王座から陥落してしまった。最年少での王座獲得や、相手がトップヒールのトリプルHだったこともあり、本人もこの勝利には思い入れが強い。ちなみに、この王座はハーディー・ボーイズ初のシングル王座である。兄弟でのタッグチーム活動は2002年まで続くことになる。

2002年、ハーディー・ボーイズはRAWデビュー直後のブロック・レスナーの最初の抗争相手を務めたが、レスナーをプッシュするためのジョバーとも言うような役回りであった。ジェフは4/21に行われたBacklash 2002でレスナーのTVマッチデビュー戦の相手をし、敗退した。レスナーとの抗争が終わると、ハーディー・ボーイズは前年からの遺恨が残るジ・アンダーテイカーに絡むようになる。7月1日のRAWで行なわれたジ・アンダーテイカーとのラダー・マッチ形式のWWE王座戦は、ジェフのキャリアにおいて、自他共に認めるベストバウトと言う程の高評価を得た。この試合をきっかけにジェフはシングルでの試合が多くなり、2002/7/8ウィリアム・リーガルからWWE欧州王座を奪うなど活躍した。ジェフが活躍が増えるにつれマットの活躍が少なくなり、それに嫉妬したマットがジェフを裏切りSmackDown!へ移籍、ハーディー・ボーイズは解散した。

2003年、シングルでトリッシュ・ストラタスとのストーリーが展開中であったが、4/22にWWEを解雇された。解雇の原因は、表向きはバンド活動に専念したいとWWEに訴えが、却下され対立したとの発表があったが、実際は、精神的に追い詰められ、ドラッグに手を出し、リハビリも断ったために解雇されたのが真相である。

TNA

WWE解雇後はROHへ所属した後、2004年7月から自身のバンドPeroxwhy?genの宣伝の一貫としてTNAに所属する。TNAでは、Xディヴィジョン戦線のレスラーとして活動していたが、ジェフ・ジャレットとのヘビー級王座をめぐる抗争ではラダーマッチや、アビスとの抗争では画鋲の上に落とされたりとかなり激しいハードコアマッチもこなした。TNA内でのジェフの人気は高く、彼のグッズの売上はTNA所属レスラーの中でも常に上位にあった。

ちなみに、ROH参戦当初は相変わらず治らない遅刻癖と、レスリングよりバンドを選ぼうとしてWWEを解雇されたことから非常に嫌われており、「We want Matt!(マットを出せ!)」と激しいブーイングを受けていた。一方でマットはWWE在籍時ジェフを妨害する形でヒールターンしていたため、「We want Jeff!(ジェフを出せ!)」とヤジられていた。

WWE

2006年

2006年8月にWWEと再契約し、SummerSlam 2006翌日のRAWに登場している。RAW登場後は、ジョニー・ナイトロとのIC王座を巡る抗争を展開する。そして10/2のRAWで自身2度目となるIC王座を獲得した。その後11月5日に行われたCyber Sunday 2006では、カリートの挑戦を受け、王座を防衛している。 そしてその後、ナイトロとの抗争が再び本格化し、11月6日に行われたIC王座戦で一度はメリーナの介入による反則で勝利するものの、エリック・ビショフが登場しNO DQで試合を強制再開させ、ナイトロにベルトで殴られ王座から転落する。 その翌週のRAWでもIC王座戦が行われ、ナイトロの一瞬の隙をつきジェフが勝利し3度目の王座に返り咲いた。

2007年

その後、2007年の1/29にはザ・グレート・カリとのIC王座戦に臨んだが、カリの長身と怪力には全く歯が立たず、カリの凄まじいチョップを浴び、リング外に転落し10カウントで敗れる。しかしカウントアウトでは王座は移動しないというルールに救われ防衛を果たした。 2月19日のRAWで、WWE会長のビンス・マクマホンがウマガにIC王座に挑むチャンスを与えた。これは、ビンスが当時抗争していたドナルド・トランプへの見せしめに組まれた試合であり、実際に試合が始まるとウマガはサモアンスパイクでジェフを圧倒、IC王座はウマガの物となってしまった。

その後、WrestleMania 23のマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに出場。その試合には破れたが、大会翌日のRAWで行われた10チームバトルロイヤル戦で兄マット・ハーディーと世界タッグ王座を獲得。4/29のBacklash 2007では、ランス・ケイド&トレバー・マードック組の挑戦を受け、勝利し防衛する。6月3日のWWE One Night Stand 2007では、ワールド・グレイテスト・タッグチーム(WGTT)とラダー・マッチによる王座戦を行い王座を防衛するが、翌日のRAWでビンス・マクマホンにより王座戦を組まれ、前日の試合でのダメージも影響し、ランス・ケイド&トレバー・マードックに奪取される。

その後再びIC王座戦線に復帰し、7/22のThe Great American Bash 2007でウマガの持つIC王座に挑戦するも敗れる。この試合を皮切りに、ウマガとのIC王座抗争が繰り広げられる予定であったが、7/23のRAWで行われたMr.ケネディとの試合で首と背中を痛め、それが原因でジェフが試合を無断で休んでしまったため(本人は許可を得たと主張している)、WWEから1か月の謹慎処分を言い渡され実現には至らなかった。その後、8/27のRAWでMr.ケネディとの試合で復帰した。ジェフの復帰に伴い本格的にウマガとの抗争が始まると思われたが、今度はウマガが薬物違反での謹慎処分を受けたために、完全に頓挫してしまった。それに伴い、9/2のRAWでウマガからIC王座を奪う。

12/16に行われたArmageddon 2007でトリプルHとの勝者WWE王座挑戦権獲得マッチに勝利し、ロイヤルランブルでランディ・オートンの持つWWE王座に挑戦する権利を得る。これは、ジェフにとって2度目の王座挑戦となる。

2008年

1/27のRoyal Rumble 2008にてWWE王座戦に臨んだが、ランディ・オートンに敗れ、王座獲得とはならなかった。翌日のRAWではGMのウイリアム・リーガルがNo Way Out 2008にて、WWE王座挑戦権争奪エリミネーション・チェンバー・マッチを行うと発表。ジェフもその出場者に名を連ねることになる。そして、2月17日のNO WAY OUT 2008のエリミネーション・チェンバー・マッチでは、最後の二人まで残るがトリプルHに敗れ、WWE王座挑戦権獲得とはならなかった。その翌日のRAWで、ジーン・スニツキーとのマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチ予選試合に勝利し、出場権を獲得した。

3/10のRAWでクリス・ジェリコにIC王座を奪われる。これは、その直前に薬物違反が発覚し、60日間の謹慎処分(謹慎期間は3月11日から5月11日まで)を受けたための処置であり、WrestleMania24のマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチの出場権も剥奪され、欠場することになった。今回のジェフの薬物違反は通算で二度目。WWEは三回の薬物違反で解雇するという規定があるため、再度薬物違反が発覚した場合、WWEから強制解雇になる可能性がある(7月のインタビューで、薬物違反について「自分はファンを裏切ってしまったことを、本当に申し訳ないと思っている」とコメントした。また、週に2、3回ほど採尿検査を受けているとのこと)。

この謹慎中の3月15日に自宅のトレーラーハウスが全焼し、愛犬ジャックが死んでしまうという事故が起きる。ジェフは愛犬がいなくなった時は、WWEの番組収録をサボってまで探しに行くほど溺愛していたため心労で体調を崩した。

5/12のRAWで無事に復帰を果たし、ファンから大声援を受ける。ファンに復帰の報告している最中にGMでキングのウィリアム・リーガルにウマガとの対戦を命じられるが自らの復帰戦を勝利で飾る。6/23、RAW3時間特番のドラフトにてSmackDown!へ移籍。WWE王座を巡ってUnforgiven、No Mercy、Cyber Sundayにて同じくドラフトでSmackDown!へと移籍したトリプルHに挑むもいずれも敗北。12/14のアルマゲドンで行われたエッジ、トリプルHとのトリプルスレットマッチに勝利し、WWE王座を奪取する。

2009年

Royal Rumble前にノースカロライナ州で当て逃げ事故に遭う。その数週間後、「カッティング・エッジ」に出演する際、入場時の花火がジェフに向かって暴発し、また事故に遭う。(いずれもアングル上の出来事)そして、そのRoyal Rumbleでマットの裏切りに遭い王座から陥落する。2月のノー・ウェイ・アウトでのエリミネーション・チェンバー・マッチで王座を取り戻そうとするも失敗に終わる。ロイヤルランブル以降もマットの妨害や挑発は続き、マネー・インザ・バンク戦出場をかけた試合でもマットの乱入により敗北する。その翌週のスマックダウンではリング上でジェフに起きた一連の事故の犯人は自分だとマットが語ったことに激怒し、本格的に抗争を開始する。そして4月5日のWrestleMania 25で対戦、敗れるが4/26のBacklash 2009で"アイ・クイット"マッチでマットに勝利し雪辱を果たした。その後世界ヘビー級王座の第一挑戦者となったジェフがJudgment Day 2009でエッジをあと一歩のところまで追い詰めたところでまたもやマットの乱入に遭い王座奪取とはならなかった。6/7のエクストリーム・ルールズでのラダーマッチでエッジに勝利し世界ヘビー級王座を獲得するが、試合後現れマネー・イン・ザ・バンクの権利を行使したCMパンクに敗れ戴冠後すぐに王座を失った。ここからCMパンクとの抗争が開始され、7/26のNight Of Cnampions 2009でパンクに勝利し世界ヘビー級王者に返り咲く。その後マットが復帰、ジェフに謝罪したためハーディー・ボーイズが再結成され、ジョン・モリソンと共にパンク、ハート・ダイナスティと闘い、全盛期のように見事な連携を見せた(マットがパンクにツイスト・オブ・フェイトを決め勝利)。続く8/23のSummerSlam 2009でパンクとの再戦がTLC形式で行われるが、これに敗れ再び王座から転落する。さらにサマースラム直後のスマックダウンにおいてパンクとの間で敗者はWWEから追放となるスティール・ケージ・マッチが行われ、これにも敗れたジェフはWWEから姿を消すこととなった。(実際はジェフの自身の活動に専念したいという希望による離脱) 離脱した翌日、薬物所持の違反で逮捕された。ジェフはこの容疑を否認している。

2010年

1/4TNAのスティールアサイラムマッチ終了後、観客席からホミサイドを襲撃して電撃復帰した。

10月、PPV Bound For Gloryメインイベントの3WAY世界王座戦で乱入したハルク・ホーガンの持ち込んだ松葉杖を使って ミスター・アンダーソンを殴り、電撃的なヒールターンを果たすと同時にTNA世界ヘビー級王座を奪取。

2011年

新日本プロレス1.4東京ドーム大会で内藤哲也とTNA世界ヘビー級王座戦を行い見事勝利し防衛を果たす。しかしGenesisにおいてミスター・アンダーソンに敗北、世界ヘビー級王座を失った。その後Against All Oddsで行われたラダー・マッチにおいてアンダーソンに勝利、再び世界ヘビー級王座を獲得した。

場曲

  • Loaded (Zack Tempest)
    元々はハーディーボーイズのテーマ曲。それぞれシングルプレイヤーに
    移行後はジェフのテーマ曲となっていた。
  • Modest(Peroxwhy?gen)
    2010年までのTNA所属時に使用。
  • No More Words (EndeverafteR)
  • Another Me(Jeff Hardy and Dale Oliver)

タイトル歴  

WWF / WWE
  • WWE王座 : 1回
  • 世界ヘビー級王座 : 2回
  • インターコンチネンタル王座 : 4回
  • ヨーロピアン王座 : 1回
  • ハードコア王座 : 3回
  • WWF・ライトヘビー級王座 : 1回
  • WWE世界タッグ王座 : 6回(w / マット・ハーディー)
  • WCWタッグ王座 : 1回(w / マット・ハーディー)
  • グランドスラム達成(2008年)
OMEGA Pro Wrestling
  • OMEGA Pro Wrestlingタッグ王座 : 1回(w / マット・ハーディー)
TNA
  • TNA世界ヘビー級王座 : 2回
その他
  • NWA 2000タッグ王座 : 1回(w / マット・ハーディー)


ミッキー・レイリー・ジェームス
Mickie Laree James
1979/8/31

アメリカ合衆国バージニア州出身の女子プロレスラー。

来歴

プロレス好きであった父の影響でミッキー自身もプロレスのファンとなり、養成施設でトレーニングを開始する。1999年にインディ団体でプロレスデビューし、アレクシス・レイリーの名で活動する。その後ROHで活動する傍らTNAにも参加するようになる。

2004年にWWEと契約し、OVWでトレーニングを開始する。2005年10月のRAWに当時女子王者だったトリッシュの大ファンというギミックでデビューする。以降トリッシュと共に活動し、ビクトリアやキャンディス・ミシェルらと抗争する。その後、トリッシュへの憧れは大きくなり、トリッシュに近づく者を排除し、服装などを真似てトリッシュそのものになろうとするサイコキャラとなる。このころから徐々にヒール化していく。しかし自分のことを理解してくれないトリッシュを次第に憎むようになり抗争を始める。そして2006年のレッスルマニア22ではトリッシュから女子王座を奪取する。

王座奪取後はミッキーに恨みを持つ旧友というギミックでデビューしたベス・フェニックスと抗争を開始するがベスが怪我により戦線離脱したため抗争は立ち消えとなる。8月にリタに王座を奪われ、リタとの抗争でフェイスターンし、11月のサバイバー・シリーズでリタに勝利し、再び女子王者となる。その後はメリーナやビクトリアと抗争を繰り広げる。

2007年7月からは怪我から復帰したベス・フェニックスと再び抗争を開始する。その後女子王者となったベスに幾度と挑み敗れていたが、2008年4月にベスを下し、女子王座を奪取する。新王者となってからもベスとの抗争は続き、8月のサマースラムで当時IC王者だったコフィ・キングストンと組み、ベス・フェニックス、サンティーノ・マレラ組とダブルタイトルマッチを行うが、ベス&マレラ組に敗れコフィと共に王座を失う。その後もベスと王座を巡り争う。

2009年に入ってからは王座戦線から離れていたが4月のドラフトでRAWに移籍してきたマリースの持つディーヴァズ王座に狙いを定め、ディーヴァズ王座の第一挑戦者となり、7/26のナイト・オブ・チャンピオンズでマリースから王座を勝ち取る。以降防衛を続けていたが10/12のRAWでジリアンとの王座戦で敗れ王座を失った。またディーバ・トレードにより、スマックダウンへ移籍することとなった。スマックダウン移籍後は女子王者のミシェル・マクールやレイラから執拗な攻撃を受ける。12月のTLCではミシェルの王座は奪えなかったが、2010/1/31のロイヤルランブルで王座を奪取する。しかし2/26のSmackDown!でマクールに敗れ王座を失い、4/22にWWEから解雇された。

2010/7/24のSMASHで、同じく元WWEのユージン、スカリーIIホッティとともに来日して試合を行う予定だったが、練習中の負傷のため欠場。

9月にTNAと契約。TNA Xplosionで一試合調整してから10/7のTNA iMPACT!の放送においてデビュー。また2011年7月にはメキシコのAAAにも参戦した。

獲得タイトル

WWE
  WWE・女子王座 : 5回
  WWE・ディーヴァズ王座 : 1回
TNA
   TNA女子ノックアウト王座 : 1回

入場曲

  • Obsession
  • Ice Breaker


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今日のプロレス 興行日程
[今後の興行]
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団体 会場 / 時間
大阪プロ 大阪ミナミ・ムーブ・オン・アリーナ 19:00

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試合結果


◆大阪プロ

○ブラックバファロー[6分33秒 片エビ固め]×HAYATA
▽3WAYマッチ
○アップルみゆき[12分44秒 飛びつき式回転エビ固め]×松山勘十郎
※もう1人は原田大輔
○小峠篤司、タイガースマスク[18分37秒 片エビ固め]×えべっさん、三原一晃


  


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