関本大介
19812/9
日本のプロレスラー。大阪府大阪市鶴見区出身。血液型O型。大日本プロレス所属。
鍛え上げられた肉体が特徴で、その肉体自体が「凶器」と自称する。大日本プロレスにの代名詞であるデスマッチはあまり行わないが、メジャー団体の選手とも頻繁に試合を行なっている。
来歴
明徳義塾高等学校卒業。幼い頃からプロレスラー志望であったが、父親の希望もあり、在校中は野球部に所属。ただし本人曰く「四軍まである中で文句無しの四軍」だったのこと。しかし、控えゆえ監督・コーチの目が届きにくいことを逆手に3年間、野球の練習ではなく筋トレに終始し、プロレスラーとしての素養を磨く。
大日本プロレス入団後の1999/8/10、地元大阪での対伊東竜二戦でプロレスデビュー。
2005年 -
2006年
2005年にアブドーラ小林とのタッグチーム『マッスル&ファットです。』で、2006年には友人でもある佐々木義人とのタッグでBJW認定タッグ王座にも就いている。
2006年1月、大日本道場を利用したジム運営を行うと発表し、5/11にスポーツジム『横浜マッスルファクトリー』を正式にオープンする一方、自ら目標とする田中将斗・マンモス佐々木との、力と力の勝負を繰り広げる。
5/5の大会にて、DDTの柿本大地とのタッグで、佐々木健介・中嶋勝彦と対戦。
2007年 ]
1/31の大会では、小島聡、金村キンタローとタッグを組み、川田利明と初対決した。そして3/8の大会で崔領二の持つNWA認定UNヘビー級王座に挑戦し、大熱戦の末、18分00秒ジャーマン・スープレックス・ホールドでベルトを奪取。第7代王者となった。
4/29の大日本プロレスの大会で、新日本プロレスの中西学との対戦熱望を表明。関本・井上勝正vs中西・平澤光秀戦が予定されていたが、試合3日前から頭痛を訴え、大会当日に診察した結果、脳浮腫と診断され、大日本統括部長・登坂栄児から、対中西戦の中止は勿論、改善が見られるまで全ての大会を欠場させると発表。
5月の大会から復帰すると、5/27、ZERO1-MAXシングルマッチ 火祭り出場者決定戦 時間無制限1本勝負 NWA UNヘビー級選手権で対神風戦に勝利。
7月には念願の関本vs中西のシングルマッチが行われたが、敗戦。それから間もなくの大日本後楽園大会では、LOCK UP狭山大会のメンバーに、裕次郎(中西側)・マンモス佐々木(関本側)を加えた6人タッグマッチが行われ、平澤をジャーマン・スープレックスでフォールし勝利。中西に対し8/20・大日本後楽園大会でのシングルでの再戦を要求、受理された。
8/20、大日本・後楽園大会で中西との二度目のシングルが行われたが敗戦。その後、LOCK UPで中西とタッグを組み、中西のプロレス理論を学ぶ。
11月、ZERO1-MAXのNWA認定UNヘビー級選手権試合で、パートナーでもある佐々木義人に敗れ、ベルトを失う。
12/11、プロレス大賞技能賞を受賞。
2008年
10月のプロレス・エキスポではライバル田中将斗とタッグを結成し、大陸別タッグトーナメントで優勝を果たした。(準優勝はモーターシティ・マシンガンズ)
2009年 -
2010年
2009年4月のZERO1の大会で崔領二の持つ世界ヘビー級王座に初挑戦したが敗戦した。やがて7月の大会にて岡林裕二とともに木高イサミ&竹田誠志の持つBJW認定タッグ王座に挑戦し勝利。第27代王者となった。
2010年1月のZERO1の大会にて、川田利明の持つ世界ヘビー級王座に挑戦したが敗戦。2月のユニオンプロレスの大会で石川修司の持つKO-D無差別級王座に挑戦し勝利。第31代王者に。7/25、DDT両国大会にてHARASHIMAの挑戦を受け敗退しKO-D無差別級のタイトルを失う。9/9にはバンビキラーの持つZERO1世界ヘビー級王座に再挑戦し勝利、第9代王者となった。
タイトル歴
- KO-D無差別級選手権(第31代)
- BJW認定ヘビー級王座
- BJW認定タッグ王座
- NGBトーナメント優勝
- WEWハードコアタッグ王座
- NWA認定UNヘビー級王座(ZERO1-MAX)
- 天龍PROJECT認定世界6人タッグ王座(初代)
- ZERO1 世界ヘビー級王座(第9代)
テーマ曲
- CROW OF WINNER(大日本プロレステーマ曲コレクションに収録)
エピソード
- 大相撲横綱・朝青龍とは高校の同期であり、一緒にウエイトトレーニングをしながら意地を張り合っていたと某プロレス誌のインタビューで語っている。
- CS放送であるFIGHTING TVサムライのプロレス中継の実況担当の一人である塩野潤二によれば、関本を≪肉体のアマゾン≫と形容し、また相手の無理くりバックをとり得意技のジャーマンスープレックスに(ぶっこ抜きジャーマン)入る光景も≪人間ブルドーザー≫との形容で呼ばれている。
- ZERO1-MAXの大谷晋二郎に気に入られており、そのためか巡業に帯同することが多い。大谷とは2001/12/2の大日本横浜アリーナ大会セミファイナル、2001/9/1ZERO-ONE後楽園ホール大会「火祭り」公式戦でシングルマッチで対戦しており、好勝負を繰り広げた。
- 2002/5/2の新日本プロレス創立30周年記念東京ドーム大会に出場しており、オープニングマッチで金村キンタローと闘い、田中秀和リングアナに高評価を得ている。
- 藤川球児と一打席だけ対戦したことがある。結果はセカンドフライ。
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