横須賀 享
1978/2/18
日本のプロレスラー。本名は望月
享)。神奈川県横須賀市出身。闘龍門・DRAGON GATE所属。
経歴
中学卒業後に一時みちのくプロレスに入門、新日本プロレスに入っていたこともあったが、いずれも人間関係が原因で辞めた。
1997年、闘龍門3期生としてメキシコに渡り、1998/
11/22にプロレスデビューを果たした。デビュー戦直後に闘龍門の若手選手によって行われる大会“ヤングドラゴン杯”にエントリーされるも初戦敗退(この時の優勝者は堀口元気)。
翌年の“ヤングドラゴン杯”にも参加したが、結果は準決勝敗退。しかし、この大会後をきっかけに前々から意気投合した神田裕之と共にヒール転向する。
2000/1/2、メキシコで行われたIWRGインターコンティネンタル・タッグ初代王座決定トーナメントに、神田裕之と出場。見事にトーナメントを制覇し、初代IWRGタッグ王座を獲得した。その後もタッグ戦での実力を存分に発揮し、注目されるようになる。
2000/3/5、IWRGタッグ王座戦に敗れ王座陥落するも、裁定に納得できずに神戸大会をボイコットする。その直後にメキシコに渡る。
1か月後にメキシコから帰国し、突如福岡大会に現れる。その大会で無理矢理試合に参戦することを要求。その試合後にCRAZY-MAXに襲撃されてしまうが、当時闘龍門にフリーで参戦していた望月成晃に救出される。これがきっかけになり4/25に望月成晃、神田裕之とM2Kを結成する。
また、タッグ戦線だけに留まらず英連邦ジュニアヘビー級王座やNWAウェルター級王座などのシングル王座も積極的に挑戦し、NWAウェルター級王座の獲得は成功した。
2002/2/24に不完全燃焼がユニットの銘だったM2Kに、突如リーダーの望月成晃が完全決着推進のスローガンを掲げ、意見の違いから2人の間に遺恨が生まれる。そして「闘龍門に望月は2人もいらない」という理由から、自分と同姓である望月成晃と、「モチヅキ・コントラ・モチヅキ」という互いの姓字を賭けたコントラ・マッチを行い、敗退。試合前の条件により、リングネームを出身地にちなんだ現在の横須賀享に改めた。望月成晃が負けた場合は、江東成晃(えとうまさあき)になる予定だった(望月成晃は江東区出身)。
その後、神田裕之の引退と一緒にM2Kは封印され、Do FIXERに籍を置くこととなった。神田の次はK-ness.とタッグを組むようになり、2人のタッグをファンは「クネスカ」と呼ぶようになる。
2004/6/20に悪冠一色を追放され、襲撃される望月成晃を突如助ける。そしてDo FIXERを卒業という形で離脱し、再び望月成晃とタッグを結成。同じくDo
FIXERを卒業したK-ness.、無所属だった新井健一郎、土井成樹(当時:セカンド土井)とFinal M2Kを結成する。
2004/8/28、CIMAの持つオープン・ザ・ドリームゲート王座の挑戦権を賭けた試合“キーハンティング4Way戦”に出場し勝利。ドリームゲートの挑戦権を獲得する(この時の対戦相手はエル・ヌメロ・ウノ優勝者のドラゴン・キッド、当時DRAGON
GATE最重量の大鷲透、大本命のミラノ・コレクションA.T.だったため、享にとっては圧倒的に不利が予想されていたが、その予想を見事に覆した)。9/17にCIMAとオープン・ザ・ドリームゲート王座戦を行うが結果は敗退。
2005年の年末に行われたキング・オブ・ゲートに出場するも、決勝戦で斎藤了に敗れ準優勝となった。
2006/4/23に斎藤了の保持するオープン・ザ・ドリームゲートに挑み、勝利。第5代王者となった。
2006/8/11、数々の功績が認められ望月成晃からFinal M2Kリーダーの座を譲り受けるも、2007年1月Final M2Kは解散。
2007/3/30、ROHに参戦し、ドラゴン・キッドと対戦。
2007/12/23、肉体改造に成功しウェイトが軽くなったため、吉野正人の持つオープン・ザ・ブレイブゲート王座に挑戦するが30分近くの熱戦の末、敗退。
2008/5/5、愛知県体育館で斎藤了と共に新井健一郎&岩佐拓(通称:新岩)の持つオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座戦に勝利し、王座を獲得。
2008/11/16、大阪府立体育会館で鷹木信悟の保持するオープン・ザ・ドリームゲートに挑むも、敗北。
Typhoonの解散後は連敗が続き、そんな横須賀の姿を見た斎藤は、再びリョウスカの結成を提案。横須賀もその提案を受け、2009/2/15の博多スターレーン大会で、REAL
HAZARDのYAMATO&サイバー・コングが保持するオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に挑戦。しかし、試合中に斎藤の裏切りに遭い敗北、斎藤はREAL
HAZARDに加入する。試合後もREAL HAZARDのメンバーから暴行を受けるが、そこにREAL HAZARDの前リーダーGammaが登場し、横須賀を救出し、新タッグの結成を表明。
3/1の大阪府立体育会館第2競技場大会でGammaとの新タッグでオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に再び挑戦し、これに勝利。第6代王者となった。試合後、年末から消息を絶っていたCIMAが登場し、横須賀享・Gamma・CIMA、そしてこの日REAL
HAZARDを脱退したKAGETORAの4人により、新ユニットWARRIORS-5の結成を電撃発表した。
4/26の博多スターレーン大会にて、斎藤了とシングルマッチで対戦するが敗北。しかし、6/11後楽園ホールでDr.マッスルに扮して斎藤を挑発し、7/10に再戦し、勝利した。
10/25、博多スターレーン大会にて、土井成樹の持つオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦し、土井のマスキュラーボムに対する返し技を使用するなどで、土井を追い詰めるものの、敗北。試合後、土井に挑戦を表明したB×Bハルクの発言に反発するが、CIMAとGammaに制止され、2人に対して不信感を抱き、ユニット内で孤立する。
11月に入り、不穏な動きが見られるようになり、同時期に登場したDr.マッスルの正体と噂されるようになる。
12/3の後楽園ホール大会でWARRIORS-5を離脱し、REAL HAZARDに加入した。(その後離脱、クネスカとしてK-ness.と活動)
タイトル
- オープン・ザ・ドリームゲート王座…第5代
- オープン・ザ・トライアングル・ゲート王座…第11代、第13代(いずれもパートナーはCIMA、斎藤了)
- オープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座…第3代、第6代(パートナーは斎藤了、Gamma)
- IJタッグ王座…第13代(パートナーは斎藤了)
- NWA世界ウェルター級王座
- UWA世界6人タッグ王座
入場曲
- My Big Mouth / OASIS
- Crash / ANTHRAX
- YOKOSUKA☆LINER(現在) ※なお、ピアノバージョンのYOKOSUKA☆LINERもある。
人物・エピソード
- “第一試合は負けてもいい”が本人のポリシーらしい。その言葉通りタイトル戦やメイン戦などは普段見られない底力を発揮する。
- イメージ・カラーは紫。
- デビューから試合の時はシャツを着ながら試合をしていたが、雑誌「かっこいいカラダ」Vol.6の表紙に載るために肉体改造を始め、2007年9月22日の大田区大会から初めて上半身裸での試合をした。
- 横須賀出身らしく、スカジャンを着て入場していた。夏季はコスチュームのまま。一時期新M2KとDo
FIXERの抗争決着戦である「スカジャン・コントラ・スカジャン」に敗れ、スカジャンをファンにプレゼントしてしまったが、その時の落ち込みぶりが酷かったために、ファンがスカジャンを返しにきたことがある。
- 小技の名手であり、そのキャリアの間に多くのベルト争いに絡んでいながら、無口で他のレスラーに比べ自己主張が足りないせいか、存在感が薄い。しかしその没個性的なキャラクターがアクの強いDRAGON
GATEのレスラーの中にあって逆に個性として際立っているとも言える。
- 団体1・2を争うほどの受身の名手でもあり、それまでピンフォール率100%だった技を跳ね返している。例として、CIMAのシュバイン、ドラゴン・キッドのドラゴン・ラナ、斎藤了のプレミアム・ブリッジ等
- コスチューム作りが得意で、自分の分だけでなく同団体の選手のコスチュームを製作している。
- 「足横須賀」「ジャンボの勝ち!」「高い高い」「腕吉野」など技の名前は適当に決める。
- コスチュームに書かれている「046」という数字は、横須賀市や葉山町の電話番号の市外局番である。
- K-ness.同様、フィギュアが好きであり、好きな仮面ライダーはライダーマン、好きな怪人は十面鬼ゴルゴス(仮面ライダーアマゾン)である(オフィシャルコラムブックより)
また、2010年のKING OF
GATEでは仮面ライダーWのファング・ジョーカー(白と黒のツートンカラー)を意識したショートパンツ、レガース・ブーツで試合を行った。
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