日本のプロレスラー。群馬県前橋市出身。
体重160kgを誇り、その体型を生かした技も使用する。
実兄はフリー(かつてはWAHAHA本舗に所属)・ラジークイーンのよしえつねお(貧乏生活で『銭金』に「ビンボーさん」として出演)。
来歴
前橋市立第三中学校および樹徳高等学校時代は柔道をしており、プロレスラーを目指すために、アニマル浜口ジムに通いトレーニングを積む。
1994年2月に新日本プロレスに入門、同年12/9に小島聡戦でデビューする。しかしまもなく大怪我を負ってしまい、1年近くリングから遠ざかるという苦労を味わう。さらに他の第3世代よりも入門が遅くライバルに恵まれなかったことから伸び悩む時期が続いた。
1998年の長州力の引退試合(その後現役復帰し現在に至る)は長州が5人を相手にする(5試合のシングルマッチを続けざまに行う)スタイルで行われ、その2番手として登場した。
2000年に永田裕志・中西学・福田雅一らと「G-EGGS」を結成する。
2002年4月にワイルドII(森嶋猛&力皇猛(共にプロレスリング・ノア所属))の持つGHCタッグ王座に挑戦するも、敗れた。しかし、翌月のノアの大会で森嶋相手にシングル戦で勝利する。
棚橋弘至とタッグチームを組んで、2003/6/13にIWGPタッグ王座を獲得。
2005年1月に棚橋弘至と組み、新日代表として全日本プロレスの世界タッグ王座王者決定戦に出場するも太陽ケア&ジャマール組に敗れた。しかし、吉江はジャマールの魅力にとりつかれ、機会があればシングルで戦ってみたいと試合後に話すも、その後、ジャマールはWWEへ復帰し、2009/12/4に死去したため対戦は叶わなかった。2006年1月4日にジャイアント・バーナードが新日本へ参戦したり、曙とタッグを結成するなどの展開も見られた。
2006/1/19に吉江は新日本プロレスを退団し、同時に美奈夫人も勤めていた会社を辞め吉江のマネージャーとして活動を開始。フリーになって早々にZERO1-MAXの中村社長からおコメ(業界用語でお金のこと)ではなく米一俵と沖縄和牛の物品オファーを受けるが友人であるとの設定のマスクマンY2P-160kgを送り、吉江として最初に出場するのは全日本プロレスとなった。現在もZERO1-MAXではY2Pと5/19から不定期で吉江、全日本、DRAGON
GATEでは吉江として、ビッグマウス・ラウドではザ・グレート・カブキの新たなる家族というギミックとして「ザ・グレート・ユタ」という第二の化身も登場した。
2006/8/2に「無我ワールド・プロレスリング」のプレ旗揚げ戦に参戦、当初は継続参戦への態度は保留していたが、8/28に同団体への入団を表明した。ただし、オファーがあれば日程がバッティングしない範囲で他団体への参戦もあると明言していた(2007年夏のZERO1-MAX・火祭りなど)。
2006/12/3には、初となる吉江プロデュースの興行「吉江豊ふるさと祭り」を群馬県前橋市で開催した。吉江プロデュース興行は、2007年、2008年にも開催され、今後も年1回のペースで開催される予定。2008年以降は、ふるさと祭り以外にも「吉江豊イッパチプロレス」等と銘打った小規模な興業もプロデュースを行っている。
自分の体重に誇りを持ち、「デブは誉め言葉」とまで言い切っている(逆に「吉江、痩せたな」と言われたらショックだそうである)。新日本時代は、なかなか上昇のチャンスを掴めなかったせいか、自虐的コメントで注目を浴びたが、現在はもっぱらポジティブな発言が目立つ。全日本プロレス参戦時は、同じアンコ型レスラーでありながら精神的な弱さを見せるブルート一生のよき兄貴分となり、タッグを組んで「デブの戦い方」を伝授していた。
リング外での言動や体型、ピンクのコスチュームなどからコミカル系レスラーと誤解されそうだが、プロレスそのものに対する態度や、リング上でのファイトはかなり真摯なものである。川田利明との蹴りと肉弾の迫力ある試合を見せたことや、大麻取締法違反発覚により廃業状態になっていた嵐が無我ワールドで復帰しようとした際に強く異を唱えたことはその表れと言える。
2007/12/13には無我ワールド最終興行にて「DRAGON CUPトーナメント」優勝を果たし、新団体「ドラディション」のエースの自覚と活躍が見られている。また、平行して古巣・新日本での中西学との規格外タッグや、ハッスルでの「ボノちゃん部屋のおかみさん・よしえちゃん」としての活動も行っている。
2008/5/5に行われたPREMIUMに出場し、久しぶりに新日本プロレス所属の中西とシングルマッチを行った。
2009/7/23付でドラディションを退団し、再びフリーランスとなる。
入場曲
その他
- G-EGGS加入当時は渦巻状の奇抜なヘアースタイルで話題を呼んだ。それ以外にも奇抜な髪形をしており、「何か無いですかね」と田中リングアナに相談したこともある。
- 新日本プロレスの新人時代は、自他共に認める宴会部長であった(辻よしなりが実況で暴露し、G-EGGS同志の永田裕志に「試合と関係ねえことをベラベラ喋るんじゃねえ!」と罵倒され、中西学にはアイアンクロー攻撃を受ける。その吊るし上げを食らったシーンは中継された)。
- ちょっとクセのある言動とそのルックスやピンク色のレスリングタイツ姿から新日本の癒し系とも称された。
- そのピンクのコスチュームと女性の名前のような苗字からハッスルにボノちゃんが女性と思い込んでいたメル友よしえちゃんとして登場した。
- 技をかける際の掛け声は独特の、「オッケーイ」に近いものである。
- 愛称は「よっしぃ」。ただし、週刊プロレス以外で使われることは少ない。
- 体重のためか走るのが遅い。金澤克彦曰く、「彼のジョギング姿はせいぜい速歩き程度の速度」とのこと。
- 2003年8月に結婚。夫人も酒豪であるなどクセのある人物のようで、プロレス雑誌やブログなどで個性を発揮している。妻として、またマネージャーとして、(たまにツッコミを入れたり入れられたりしつつも)吉江が非常に頼れる人物といえる。
- 2007/6/25の仰天!噂のくいしん坊家族(テレビ東京)に美奈夫人と共に出演。吉江本人の大食漢なのは勿論だが、結婚後15キロも太ったという美奈夫人もかなりの健啖家。1回の食事に2リットルのミネラルウォーターを何本も摂取しながら3時間ぐらいは毎日かけて食事を摂るらしい。サミットストアでレジ袋4袋の買物をし、レポーターの山崎まさやが「それ一週間分の買物?」と聞くと「いや2日分」と平然と言い、1月の食事代は20万円という。それでも多く食べる中でも自炊の中ではダイエットを考えているようで、炊飯の時に粉寒天を入れたり肉をあらかじめ湯通しし油分を落としたり、キャベツを多く摂るように(1週間で14個)心掛けてはいる様である。
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