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 2011/1/5

プロレス/格闘技 ニュース

Sportsnavi
nikkansports.com
スポニチ
東スポ
  • <新日1・4ドーム特集>凶獣組が怒りのIWGPタッグ防衛「東スポよ、我々が最強だ」
  • 飯伏との超絶空中戦制しデヴィットがIWGPジュニア防衛/永田は白目ひんむいて鈴木みのるを粉砕
  • 田中将斗を下した真壁「次はオレンジ豚」/内藤はTNA王者に返り討ち
  • 天山が復活勝/杉浦&髙山のMVPコンビが凱旋・岡田を一蹴/中邑はボマイェで潮﨑に雪辱
  • <WWEロウ大会>ミズがWWE王座防衛/次期挑戦者はオートン
デイリースポーツ
スポーツ報知
格闘技WEBマガジンGBR
リアルライブ
 バトル・ニュース
20回目のイッテン ヨンで小島から至宝を奪還した棚橋が、プロレス界のエース宣言!デヴィットvs.飯伏はまさしくドーム級の好勝負に
 
 


 
 

今日のYouTube追加動画

 
NJPW
2009/12/23
後楽園ホール

SUPER J-CUP 5TH STAGE
Land of Confusion Final
決勝
プリンス・デビッドvs丸藤正道

外道vsYAMATO
プリンス・デビッドvsYAMATO

NJPW
2010/2/14
両国国技館

CIRCUIT 2010 NEW JAPAN ISM

田口隆祐/プリンス・デビッドvs外道/ディック東郷

NJPW
2010/6/13
後楽園ホール

BEST OF THE SUPER JR. XVII ~STRIKE GOLD~

プリンス・デビッドvs飯伏幸太

NEO
2010/8/1
後楽園ホール

SUMMER STAMPEDE 2010

田村欣子/栗原あゆみvs華名/紫雷イオ
JWP認定無差別級
米山香織vsタニー・マウス

NEO
2010/7/25
千種区スポーツ
センター

Hailey Hatred vs Basara

NEO
2010/5/5
後楽園ホール

田村欣子/栗原あゆみvs松本浩代/大畠美咲
高橋奈苗/アメージング・コングvs井上京子/バネッサ・ザ・マウンテン

 
 


 
 

動画で紹介!
プロレス/格闘技 今日は何の日?



ジャイアント馬場/ザ・デストロイヤーvs ブルーザー・ブロディ/キング・イヤウケア

1975/1/5
川崎



小橋健太/タイガーマスクvsダイナマイト・キッド/スミス

1990/1/5
後楽園ホール



2/2


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DVD/ビデオの紹介!
プロレス/格闘技 今日は何の日?


 

流智美の黄金期
プロレス50選
vol.6
流智美の黄金期プロレス50選


1951/1/5
サイクロン・アナヤ vs バディ・ロジャース

ジャンボ鶴田伝説 Vol.2
天才の章
ジャンボ鶴田伝説 Vol.2

1979/1/5
川崎市体育館

ジャンボ鶴田vsフリッツ・フォン・エリック

ジャンボ鶴田試練の十番勝負
1976/3/10 日大講堂
ジャンボ鶴田vsバーン・ガニア
1976/3/28 蔵前国技館
ジャンボ鶴田vsラッシャー木村
1976/6/11 蔵前国技館 NWA
ジャンボ鶴田vsテリー・ファンク
1976/7/17 北九州市三萩野体育館
ジャンボ鶴田vsビル・ロビンソン
1976/9/9 大阪府立体育会館
ジャンボ鶴田vsボボ・ブラジル
1976/10/22 愛知県体育館
ジャンボ鶴田vsアブドーラ・ザ・ブッチャー
1976/12/3 川崎市体育館
ジャンボ鶴田vsクリス・テイラー
1977/6/11 世田谷区体育館 NWA
ジャンボ鶴田vsハリー・レイス
1977/7/28 品川スポーツセンター UN、アジア
ジャンボ鶴田vs大木金太郎
1979/1/5 川崎市体育館
ジャンボ鶴田vsフリッツ・フォン・エリック
通算成績
4勝2敗4引き分け


千種怒りの私闘!
千種怒りの私闘

 1989/1/5
長与千種vsメドゥーサ 
 
格闘・美ING

1990/1/5
後楽園ホール 

グローブマッチ
堀田祐美子vs山田敏代  

ス-パ-レボリュ-ション'94
Vol.11
ス-パ-レボリュ-ション'94

1994/1/5
大阪府立体育会館


天龍源一郎/北原光騎vs武藤敬司/エル・サムライ
阿修羅原/冬木弘道vs越中詩郎/後藤達俊
ザ・グレート・カブキvs平井伸和
折原昌夫vsノーマン・スマイリー
栗栖vs来原
安良岡vs高岩
ミル・マスカラスvsピエロー・ジュニア
ウルティモ・ドラゴンvs維新力

 

神取忍vs工藤めぐみ
神取忍vs工藤めぐみ

1997/1/5
後楽園ホール


神取忍vs工藤めぐみ
風間ルミ/遠藤美月/大向美智子vs
イーグル沢井/長嶋美智子/ミス・モンゴル
ハーレーー斎藤/立野紀代vsキャロル美鳥/二上美紀子
紅夜叉vs沖野小百合
青野敬子vs和多部美穂

 

HISTORY OF Jd's
魂のプロレス
3年間の軌跡
吉本プロレス jd’s3

1997/1/5
後楽園ホール


ライオネス飛鳥vsCooga


ストーリー・オブ・ザ・F Ⅳ
愚か者の挽歌 28th
ストーリー・オブ・ザ・F

1999/1/5
後楽園ホール

           
シングル・トーナメント決勝

ZERO1-MAXIMPACT
VOL.5
ZERO1-MAXIMPACT 5

2003/1/5
後楽園ホール


ハラード・ブラザーズvsS.A.T
富豪2夢路/オージー・ビーフvs
プリンス・ナナ/サル・ザ・マン
高岩竜一/200%マシンvs佐藤耕平/横井宏考
CWアンダーソン/ホール・ロンドンvs
ディック東郷/日高郁人
LOWKIvsAJスタイルズ
スティーブ・コリノ/トム・ハワードvsMr.OTANI/MASA TANAKA
ハシフ・カーンvsジェイソン・アルカトラス

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番外編
プロレス/格闘技今日は何の日?


1974/1/5
WWA世界タッグ王座
ブルーノ・サンマルチノ/ディック・ザ・ブルーザーvs
バリアント・ブラザーズ

国際プロレス
1967/1/5
大阪府立
体育会館

東京プロレス勢も参戦して旗揚げ戦、猪木の勝利など初戦に花を添えた。
NWA Jr.
ヒロ・マツダvsダニーホッジ


旗揚げ・東京プロレスとの業務提携

創業者の吉原功社長は、早稲田大学レスリング部出身の元プロレスラーで、日本プロレス営業部長を務めていたが、力道山の死後、経営方針を巡る対立で日本プロレスを退社した人物である。創業当初は、旧来の「団体」という形ではなく、所属選手を抱えず試合をするリングのみを提供するという、アメリカの「興行会社」のスタイルを志向していた。ゆえに既存団体の選手を出場させるのも可能と考えていたという。もっとも、他団体が所属選手を抱えるタイプの団体(日本プロレス)しか存在せず、今と違って日本人のフリーランス・レスラーが日本国外活動組以外いなかったこの当時にあっては、この構想は機能するはずもなく、普通の所属選手を抱える団体に転換している(日本で最初に所属選手の契約書を作ったのは国際プロレスである)。

アメリカで活躍する日本人プロレスラー ヒロ・マツダをエース兼ブッカーとし、日本プロレスからアマチュアスポーツのトップアスリートだった、杉山恒治(サンダー杉山)、草津正武(グレート草津)を同道した。1967年の旗揚げに際しては、国際プロレスよりも先に旗揚げをしたものの、興行不振で単独での興行能力を失っていた東京プロレスからアントニオ猪木らが参加し、合同興行との形で旗揚げをしたものの、テレビ局との放映契約を結べなかった事や大物外国人選手を招聘できなかった事などもあり、興行は振るわず東京プロレスとの提携もこの旗揚げシリーズのみで破綻する形となった。この時、猪木は永源勝(後の永源遥)、北沢幹之、柴田勝久らと日本プロレスへ帰参したが、木村政雄(後のラッシャー木村)、寺西勇らは国際プロレスに残留した。猪木らの離脱に入れ替わる様に、旗揚げ興行に参加しなかった豊登が参戦し、マツダとのタッグが看板チームとなったが、戦力、資金面でも日本プロレスとの差は歴然としていた。


全日本女子
1986/1/5 

長与千種の負傷欠場により
WWWA世界タッグ王座決定戦
ブル中野/コンドル斉藤vs山崎五紀/立野記代

FMW
1995/1/5
後楽園ホール

サンボ浅子が持病の糖尿病で体調を崩し大仁田厚戦で現役を引退。

 
アルシオン
2001/1/5

キャンディー奥津が、後楽園ホールでの対大向美智子戦で2度目の引退。
(1997/8/17、後楽園ホールでの対福岡晶戦で引退。JWP)

WJ
2004/1/5
後楽園ホール

中嶋勝彦,史上最年少15歳でプロレスデビュー
(2003/9/6、WJ主催の総合格闘技興行X-1でプロデビュー)

和田 城功vs火野 裕士
真霜 拳號vsジョー赤山
大森 隆男vsテングカイザー
臼田勝美/越中詩郎vs大谷晋二郎/田中 将斗
宇和野貴史/長州力/矢口壺狼vs
高岩竜一/佐々木義人/橋本真也
中嶋勝彦vs石井智宏

リキプロ
2005/1/5
後楽園ホール

新春・殴り込み!!

長州力vs金村キンタロー
石井 智宏vs宇和野 貴史
越中 詩郎/青柳政司vsBADBOY非道 /黒田 哲広
矢口 壹琅vsMIYAWAKI
日高郁人/藤田ミノルvsディック東郷/アジアン・クーガー
浪口 修vsGENTARO
佐々木義人vs佐々木貴

NOAH
2010/1/5

小橋建太が肘部管症候群によりシリーズ欠場を発表。

 
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プロレス/格闘技
今日のテレビ放送/出演


サムライTV 22:00
●至宝奪回か?新日本プロレス1/4ドーム
●アイスリボン1/4新木場大会
<NOAH特集!1/8有明&1.10横浜>
●チーム対決、丸藤軍vs KENTA軍!その他

丸藤正道/KENTA(NOAH)

23:00
JEWELS
女子総合格闘技ジュエルス 11th RING
2010/12/17 後楽園ホール

ジュエルスライト級GP決勝ラウンド
●準決勝Aブロック
浜崎朱加(AACC) vs
能村さくら(CB IMPACT)

●準決勝Bブロック
ハム・ソヒ(韓国/ CMA KOREA TEAM MAD)
vs 長野美香(CORE)

 
 


 
 

プロレス/格闘技
今日のバースデイ / 忌日


清美川 梅之
1917/1/5 - 1980/10/13

秋田県平鹿郡十文字町(現在の横手市)出身で伊勢ヶ浜部屋所属の元大相撲力士、旧全日本プロレス所属の元プロレスラー。

来歴

相撲時代

同郷の幡瀬川を頼って伊勢ヶ浜部屋に入門し、1934年1月場所で初土俵を踏む。当初の四股名は薩摩川。早くから有望視されるとともに順調に出世し、1938年1月場所に十両昇進、1940年5月場所に新入幕を果たした。1942年5月場所には、12日目に横綱双葉山を外掛けで倒し金星を挙げた。また、1943年5月場所には、11勝4敗の成績で優勝旗手の栄誉に輝いている。美男力士として人気があった。家業を継ぐこともあり、1946年11月場所を最後に廃業した。

幕内在位13場所。幕内通算成績は72勝87敗1分10休だった。

プロレス時代

のちにプロレスへ転向し、山口利夫とともに旧全日本プロレスを旗揚げ。全日本プロレス消滅後は、メキシコ、南米、アフリカ、ヨーロッパなどで活躍した。

1970年に14年ぶりに帰国し、国際プロレスに参加した。帰国後はレフェリーに転向し、1974/3/19に蔵前国技館で開催されたアントニオ猪木 vs ストロング小林戦(NWF世界ヘビー級選手権試合)を裁いている。また、全日本女子プロレスのコーチも引き受け、ジャッキー佐藤を鍛えたことでも知られる。

その後、全日本女子プロレスを引退・退団した阿蘇しのぶらを擁し、女子プロレス団体『ワールド女子プロレス』旗揚げを画策。旗揚げ戦のポスターに自身も登場するなどしたが、諸事情により旗揚げ前に頓挫している。

その他

離婚して家族とは別居していたが、プロレスラーとして長期海外遠征中の1957年に元妻に引き取られた長男が少年誘拐ホルマリン漬け事件で12歳で殺害されている。


沢村 忠
1943/1/5

日本の元キックボクサー。剛柔流空手道参段。満州出身。本名は白羽秀樹(しらは ひでき)。娘はタレントの白羽玲子。半生を描いた漫画やアニメの『キックの鬼』の影響により、世間からは「キックの鬼」と呼ばれていた。

来歴

幼少より祖父から剛柔流空手道を習う。法政大学第一高等学校(現:法政大学高等学校)を経て、日本大学芸術学部映画科を卒業。大学在学中には全日本学生選手権で優勝し、60戦無敗であった。野口修はその実力を評価し、キックボクシングに勧誘した。

1966年(昭和41年)4月に日本キックボクシング協会が旗揚げされ、リングネームを“沢村忠”として参戦。大阪府立体育会館で行われたデビュー戦は“空手vs.ムエタイ”と銘打たれた試合で、ラークレイ・シーハーマンを2RKO勝利した。6月にはリキパレスで、ムエタイのルンピニーフェザー級8位のサマンソー・アディソンと対戦したが、16度のダウン(19の報道もあり)を奪われ25ヶ所以上の打撲を負い、4RKO負けを喫した。

しかし、この敗北を機に特訓を積み、当時、YKKアワー キックボクシング中継の実況をしていた石川顕が命名した真空飛び膝蹴りや飛び前蹴りを武器にKOを重ね、活躍。1973年には三冠を達成した読売ジャイアンツの王貞治を抑え、日本プロスポーツ大賞を獲得した。1976年(昭和51年)7月2日に最終試合を行い、翌年の10月10日に引退式を行った。最終成績は、241戦232勝(228KO)5敗4分(一説には500戦以上戦歴があるともされている)であった。

梅宮辰夫と結婚、スピード離婚した銀座「姫」のホステス・大門節子と婚約はしたものの結婚はしなかったようである。現在は、自動車の修理販売業を営む傍ら、子供達に空手を教えている。パチンコ台販売会社・セイブシステムリンクの常務取締役でもある。

エピソード

  • 1964年(昭和39年)に空手道代表として中村忠は、ルンピニー・スタジアムでムエタイ選手と対戦してKO勝利した。野口はその強さにあやかり、白羽に「沢村忠」と命名した。
  • あまりにも試合が多く、短いインターバル期間では足の腫れがひかないこともあった。そんな時は「炊いた飯をタオルにくるんで足を温めることで無理矢理治していた」とインタビューで答えている。
  • 1970年代前半、日本に2台しかないシボレー・コルベットの所有者だった。しかし、もう一人の所有者大場政夫が同車運転中に事故死したため、沢村も手放した。
  • キックの鬼が放映されていた頃、試合で真空飛び膝蹴りをしたとき、あるファンから「手抜きするな!」と野次られたという逸話がある。「アニメの真空飛び膝蹴りは高く飛ぶが、実際はそこまで飛ばないため、そう思われたのであろう」と、のちに本人が懐かしのアニメソングの番組の中で語っている。
  • 噂の出所は不明だが、一時期「引退後、酒で身を持ち崩した」「死亡した」という説が出回っており、現在でも年輩者には信じている人もいる。沢村曰く「こっちが子供みたいに怒って、いちいち(雑誌の出版社に)電話して『無礼者!』とか言ったってしょうがないですからね。そういえば目黒の蕎麦屋で元選手と飯食ってたんだけど、キックの話がでるじゃない。そこのおばあちゃんが『キックと言えば、あの沢村って死んだんだってね』と言われて、思わず『そうですね』と答えたんだけど、店を出てから、ふたりで笑い転げましたね」とある。本人はまったく「アルコールを受け付けない体質」で前述した通り、引退後は堅実な人生を歩んでいる。
  • 佐山聡は「格闘技を好きになったのは、小学生の時に沢村さんをテレビで観てから。最初にお会いできた時にはもうびっくりしちゃって・・・。その時にキックを教えてもらったんですが、理論がしっかりしていて驚いた。それまでいろんなキックボクシングジムでいろんなテクニックを教わり、なんでこうなるんだろう?という疑問が、沢村さんに教わり、全部解決した」と語っている。
  • 小堺一機は、出演するラジオの深夜番組で、野球の沢村栄治の話題が出た際に、沢村忠のことかと勘違いしたことがある。小堺は野球に疎く、野球選手の名前を間違えることが時々あった。ちなみに、『巨人の星』ではこの二人の「沢村」の名前を別々に両方とも取り上げ、両者の似顔絵も掲載している。
  • 水木しげるの漫画『コケカキイキイ』にゲスト出演(?)している。
  • ポケットモンスターのキャラクターの一種であるサワムラーは、沢村の名を元にしてつけられた。

SHINOBI
1972/1/5

日本のマスクマンのプロレスラー。鳥取県日野郡日南町出身。VAMOS、ルチャリブレ日本に所属。

デビュー戦 1994年7月メキシコ・ピスタ・レボルシオン、対エスペクトロJr&モグール&ハビエルクルス(パートナーはオーニタJr&アギラソリタリア)にてデビュー。

経歴

高校卒業後に実家である理容店を継ぐために大阪の理容学校に進学する。

しかしプロレスラーになる夢が断ち切れずに、理容学校卒業後のインターン中に理容師への道を捨て道路工事などのアルバイトでメキシコに渡るべく実費を稼ぎ、1993年に単身メキシコへ渡る。

1993年2月にエスペクトロJr、弟のカダベル・デ・ウルトラトゥンバ(カオス)と出会い二人に師事する。

二人の師匠に徹底的にシゴかれルチャリブレの基礎を叩き込まれる。その練習のかいもあり、師匠にも認められCMLL所属選手として1994年7月にメキシコ・ピスタ・レボルシオン大会でプロデビュー。

その後CMLL6人タッグチャンピオン決定トーナメントやメキシコのG-1といわれるグランプリックストーナメント等のTVマッチにも出場。

1995年4月には右膝の靭帯損傷、更に同年の12月には右肘脱臼剥離骨折などの怪我に泣かされる。

しかしその間にIWAジャパンに待望の凱旋帰国も果たし、逆輸入ルチャドールとして日本のプロレスファンにもその存在をアピールした。

1997年にCMLLがCMLL JAPANの名で日本に初上陸し全国ツアーを行う。ここでブッキングや興行開催にあたって指揮を執ったのがこのSHINOBIであった。

1997年12月には後楽園ホールでアルカンヘル・デ・ラ・ムエルテの持つゲレーロ州ウェルター級王座に挑戦。見事に奪取して新王者となる。その後2回の防衛を経たが1999年6月にアルカンヘル・デ・ラ・ムエルテに取り返されてしまう。

1998年末に自分の地元である中国地方に密着したルチャリブレ団体で「村おこし、町おこし」を目指し旗揚げ準備のために日本へ完全帰国。

旗揚げまでの間にもIWA JAPANや華☆激等の様々な団体に出場する。

1999/7/25に地元である鳥取県日野郡日南町の日南町社会体育館にて中国地方限定ルチャリブレ団体「VAMOS」を旗揚げ。会場は超満員となり大盛況を得る。

その後磁雷矢、SHIIBA、飛影等と共にメキシコで活動してきた日本人ルチャドールユニット「ルチャリブレ日本」を結成。

2000/7/23に全日本プロレス日本武道館大会にて全日本プロレス初参戦を果たした。その後も東京ドーム大会など定期的に全日本プロレスに参戦。

VAMOSの活動と平行して全日本プロレスや華☆激を中心としたの様々な団体に出場する。


薬師寺正人
1973/1/5

引退
1993/7/28 岩手二戸市体育館でデビュー 
vsテリーボーイ(Men’sテイオー)

大阪プロレスデビュー戦
1999/4/29 大阪:なみはやドーム
薬師寺正人&スペル・デルフィン&星川尚浩vs
ディック東郷&ビオレンシア&ブラックバファロー

2000/11/12 愛知・名古屋Club OZONで引退。
vs 村浜武洋/モンキーマジック
(パートナーは菅本嘉人) 
所属
みちのくプロレス(1993~1999)
大阪プロレス(1999~2000)

吉江 豊
1974/1/5

日本のプロレスラー。群馬県前橋市出身。

体重160kgを誇り、その体型を生かした技も使用する。

実兄はフリー(かつてはWAHAHA本舗に所属)・ラジークイーンのよしえつねお(貧乏生活で『銭金』に「ビンボーさん」として出演)。

来歴

前橋市立第三中学校および樹徳高等学校時代は柔道をしており、プロレスラーを目指すために、アニマル浜口ジムに通いトレーニングを積む。

1994年2月に新日本プロレスに入門、同年12/9に小島聡戦でデビューする。しかしまもなく大怪我を負ってしまい、1年近くリングから遠ざかるという苦労を味わう。さらに他の第3世代よりも入門が遅くライバルに恵まれなかったことから伸び悩む時期が続いた。

1998年の長州力の引退試合(その後現役復帰し現在に至る)は長州が5人を相手にする(5試合のシングルマッチを続けざまに行う)スタイルで行われ、その2番手として登場した。

2000年に永田裕志・中西学・福田雅一らと「G-EGGS」を結成する。

2002年4月にワイルドII(森嶋猛&力皇猛(共にプロレスリング・ノア所属))の持つGHCタッグ王座に挑戦するも、敗れた。しかし、翌月のノアの大会で森嶋相手にシングル戦で勝利する。

棚橋弘至とタッグチームを組んで、2003/6/13にIWGPタッグ王座を獲得。

2005年1月に棚橋弘至と組み、新日代表として全日本プロレスの世界タッグ王座王者決定戦に出場するも太陽ケア&ジャマール組に敗れた。しかし、吉江はジャマールの魅力にとりつかれ、機会があればシングルで戦ってみたいと試合後に話すも、その後、ジャマールはWWEへ復帰し、2009/12/4に死去したため対戦は叶わなかった。2006年1月4日にジャイアント・バーナードが新日本へ参戦したり、曙とタッグを結成するなどの展開も見られた。

2006/1/19に吉江は新日本プロレスを退団し、同時に美奈夫人も勤めていた会社を辞め吉江のマネージャーとして活動を開始。フリーになって早々にZERO1-MAXの中村社長からおコメ(業界用語でお金のこと)ではなく米一俵と沖縄和牛の物品オファーを受けるが友人であるとの設定のマスクマンY2P-160kgを送り、吉江として最初に出場するのは全日本プロレスとなった。現在もZERO1-MAXではY2Pと5/19から不定期で吉江、全日本、DRAGON GATEでは吉江として、ビッグマウス・ラウドではザ・グレート・カブキの新たなる家族というギミックとして「ザ・グレート・ユタ」という第二の化身も登場した。

2006/8/2に「無我ワールド・プロレスリング」のプレ旗揚げ戦に参戦、当初は継続参戦への態度は保留していたが、8/28に同団体への入団を表明した。ただし、オファーがあれば日程がバッティングしない範囲で他団体への参戦もあると明言していた(2007年夏のZERO1-MAX・火祭りなど)。

2006/12/3には、初となる吉江プロデュースの興行「吉江豊ふるさと祭り」を群馬県前橋市で開催した。吉江プロデュース興行は、2007年、2008年にも開催され、今後も年1回のペースで開催される予定。2008年以降は、ふるさと祭り以外にも「吉江豊イッパチプロレス」等と銘打った小規模な興業もプロデュースを行っている。

自分の体重に誇りを持ち、「デブは誉め言葉」とまで言い切っている(逆に「吉江、痩せたな」と言われたらショックだそうである)。新日本時代は、なかなか上昇のチャンスを掴めなかったせいか、自虐的コメントで注目を浴びたが、現在はもっぱらポジティブな発言が目立つ。全日本プロレス参戦時は、同じアンコ型レスラーでありながら精神的な弱さを見せるブルート一生のよき兄貴分となり、タッグを組んで「デブの戦い方」を伝授していた。

リング外での言動や体型、ピンクのコスチュームなどからコミカル系レスラーと誤解されそうだが、プロレスそのものに対する態度や、リング上でのファイトはかなり真摯なものである。川田利明との蹴りと肉弾の迫力ある試合を見せたことや、大麻取締法違反発覚により廃業状態になっていた嵐が無我ワールドで復帰しようとした際に強く異を唱えたことはその表れと言える。

2007/12/13には無我ワールド最終興行にて「DRAGON CUPトーナメント」優勝を果たし、新団体「ドラディション」のエースの自覚と活躍が見られている。また、平行して古巣・新日本での中西学との規格外タッグや、ハッスルでの「ボノちゃん部屋のおかみさん・よしえちゃん」としての活動も行っている。

2008/5/5に行われたPREMIUMに出場し、久しぶりに新日本プロレス所属の中西とシングルマッチを行った。

2009/7/23付でドラディションを退団し、再びフリーランスとなる。

入場曲

  • Wild night(現在使用中)

その他

  • G-EGGS加入当時は渦巻状の奇抜なヘアースタイルで話題を呼んだ。それ以外にも奇抜な髪形をしており、「何か無いですかね」と田中リングアナに相談したこともある。
  • 新日本プロレスの新人時代は、自他共に認める宴会部長であった(辻よしなりが実況で暴露し、G-EGGS同志の永田裕志に「試合と関係ねえことをベラベラ喋るんじゃねえ!」と罵倒され、中西学にはアイアンクロー攻撃を受ける。その吊るし上げを食らったシーンは中継された)。
  • ちょっとクセのある言動とそのルックスやピンク色のレスリングタイツ姿から新日本の癒し系とも称された。
  • そのピンクのコスチュームと女性の名前のような苗字からハッスルにボノちゃんが女性と思い込んでいたメル友よしえちゃんとして登場した。
  • 技をかける際の掛け声は独特の、「オッケーイ」に近いものである。
  • 愛称は「よっしぃ」。ただし、週刊プロレス以外で使われることは少ない。
  • 体重のためか走るのが遅い。金澤克彦曰く、「彼のジョギング姿はせいぜい速歩き程度の速度」とのこと。
  • 2003年8月に結婚。夫人も酒豪であるなどクセのある人物のようで、プロレス雑誌やブログなどで個性を発揮している。妻として、またマネージャーとして、(たまにツッコミを入れたり入れられたりしつつも)吉江が非常に頼れる人物といえる。
  • 2007/6/25の仰天!噂のくいしん坊家族(テレビ東京)に美奈夫人と共に出演。吉江本人の大食漢なのは勿論だが、結婚後15キロも太ったという美奈夫人もかなりの健啖家。1回の食事に2リットルのミネラルウォーターを何本も摂取しながら3時間ぐらいは毎日かけて食事を摂るらしい。サミットストアでレジ袋4袋の買物をし、レポーターの山崎まさやが「それ一週間分の買物?」と聞くと「いや2日分」と平然と言い、1月の食事代は20万円という。それでも多く食べる中でも自炊の中ではダイエットを考えているようで、炊飯の時に粉寒天を入れたり肉をあらかじめ湯通しし油分を落としたり、キャベツを多く摂るように(1週間で14個)心掛けてはいる様である。

渡辺大介
1977/1/5

渡辺大介 パンクラスism
テレビで見たパンクラス特集に衝撃を受け、入門を決意。
高校3年時の1994年11月、第3回入門テストを受験。見事合格し、翌年4月に入門。
2004年10月、NEO FIGHT ヘビー級トーナメント 準優勝。

大畠 美咲
1989/1/5 

日本の女子プロレスラー。宮城県仙台市出身。エスオベーション所属。

経歴・戦歴

2006年
  • JDスター女子プロレスに入門。
  • 12/10、新木場1stRING大会の対松本浩代戦でデビュー。
2007年
  • 4/30、LEAGUE PRINCESS公式戦で大木香相手に初勝利。
  • 7/16にJDスターが活動停止。翌7月17日付でエスオベーションに移籍。
2008年、松本浩代とチーム「3S」を結成。
2009年
  • 2月 - 4月、センダイガールズ主催「第2回じゃじゃ馬トーナメント」ベスト4。
  • 5/31、息吹・後楽園ホール大会。松本浩代からJWP認定ジュニア王座&POP王座を奪取。初タイトルを獲得した。
2010年10月より地元仙台を本拠とするセンダイガールズプロレスリングにおいて大畠そっくりな「杜野都」がデビューしているが、「大畠の三つ子の妹(次女)」ということになっている。

入場テーマ曲

  • 「恋のメガラバ」(マキシマムザホルモン)

マリーンズ・マスク
1/5

K-DOJO所属。正体はPSYCO?千葉県千葉市美浜区出身。2010/1/11千葉市民会館/マリーンズマスク&飯伏幸太 vs 柏大五郎&タイガースマスク
でデビュー。
タイトル
インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級

 
    


 
 
今日のプロレス 興行日程
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団体 会場  

全日本
AJPW

群馬・グリーンドーム前橋サブイベントエリア 18:30
 
 


 
 

試合結果
nikkansports.comより

○太陽ケア、船木誠勝、鈴木みのる(17分48秒 TKO34th)諏訪魔、征矢学、真田聖也×
○曙、西村修、KAI(14分21秒 ランニング・ボディプレス)TARU、KONO、スーパー・ヘイト×
○近藤修司、カズ・ハヤシ(11分06秒 キングコング・ラリアット)稔、MAZADA×
○KENSO(9分37秒 ダブル・ニードロップ)NOSAWA論外×
○浜亮太、BUSHI(14分18秒 ヒップドロップ)渕正信、中之上靖文×
○大和ヒロシ(7分53秒 逆エビ固め)征矢匠×
 
 
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