日本の元プロレスラー。米国のWWE世界女子王者を獲得した唯一の日本人。他に世界王座獲得多数。日本の女子プロレスが絶頂を極めた1990年代、その頂点として君臨していた。
本名は青木 恵子(旧姓・中野)。埼玉県川口市出身。あだ名はブルちゃん、ブル様。引退後は小料理店を経営している。
来歴
プロレス
前史
川口市立芝東中学校出身。学生時代はいじめに遭い、父親が強い子になるように無理矢理プロレスに入門させたが、バリバリのツッパリだった説もあり、はっきりとしていない。本人は母の影響でプロレスを見るのは好きだったものの、やるのは不本意だったという。当時が母が好きだったレスラーはアントニオ猪木。
駆け出し時代
本名の中野恵子にて1983年にプロレスデビュー。女子プロレスラーとしては恵まれた身長(170cm)をしており、それが最後まで役に立った。運動神経は当初は鈍かったが、努力で向上していった。本名で活動していた時代には全日本ジュニア王座も獲得している。太っているため、当初の同団体の慣例通り悪役(ヒール)に回された。当時先輩レスラーから無視され、誰も相手にされてなかった所をダンプ松本が世話するようになり、ヒールになったとも言われている。
悪役
極悪同盟
中野がレスラーとしてブレイクしたのは、パンクをモチーフにした、わかりやすいヒールの外観にギミックチェンジした後、ダンプ松本、クレーン・ユウらと組んだヒール軍団
"極悪同盟" での活動である。特にクレーン・ユウ引退後、ダンプ松本とのタッグチームはベビーフェイスのクラッシュギャルズとの抗争が人気を博し(このタッグチームは当時アメリカのマディソン・スクエア・ガーデンでも再現されている)、トップレスラーとしての地位を確立した。しかし、もともとヒール役は中野本人が志望したものではなく、上役からの指示によるものであった。ヒール役に指名され、かつインパクトのある右側の髪を半分残した坊主頭(ただし、この髪型は獄門党の初期まで)にダンプから切り落とされた時は号泣したことを後に告白している。
獄門党
1988年にダンプ松本が一時引退した後は自己をリーダーとした "獄門党" を結成、グリズリー岩本、アジャ・コング、バイソン木村らの実力派を従えて引き続きヒールの頂点として活動。クラッシュギャルズ引退後の1990/1/4に、後楽園ホールにて行われたWWWA世界シングル王座決定トーナメントで西脇充子を破って優勝し、第37代王者に輝く。以後約3年間に渡りチャンピオンとして全日本女子プロレスの屋台骨を支え、その強さから
"女帝" と呼ばれるようになる。
善悪を超えたヒロインへ
その実力から、ヒールでありながら女子プロレス界の最高位を占めた。このとき、最終的にはベビーフェイスがヒールを倒すという従来の対立構造が崩れ、さらには獄門党から配下のアジャ・コング、バイソン木村の両名からなる「ジャングル・ジャック」の独立を許し、ヒール対ヒールというかつてなかった対立構図が団体の中心となった。また、女子プロレスではそれまでなかった金網デスマッチやチェーン・デスマッチの敢行、大柄・巨体のレスラーとしてありえないはずのムーンサルト・プレスやトペ・スイシーダといった宙を舞う華麗な空中殺法など、あらゆる意味で女子プロレスの歴史を塗り替える顕著な働きを見せた。特に、このころから始まった団体対抗戦(他団体トップ選手との試合)は盛り上がり、ここでは(善玉悪役すべてを飛び越えて)会社を代表して臨んだ。
1990/11/14に横浜文化体育館で行われたアジャ・コングとの金網デスマッチにて、金網ゲージの頂上から飛び降りて放ったギロチン・ドロップで、一気にブレイクする。
1992/11/26、川崎市体育館においてアジャ・コングに敗れてWWWA世界シングル王座を失った後、1993年からアメリカのWWF(現WWE)へ長期遠征し、ルナ・バションをマネージャーに女子戦線のトップヒールとしてアランドラ・ブレイズと抗争した。WWE世界女子王座を獲得した唯一の日本人レスラーでもある。WWEのRAW10周年のイベントの際にはショーン・マイケルズがスピーチで彼女について少し触れている。ジム・ロスはUnforgiven
2007の実況の中で、ベス・フェニックスについて「アメリカのブル中野」と評した。
1994年に日本に復帰し、神取忍と女子初のチェーンデスマッチを行い勝利を収めた。1996年に再びアメリカへ遠征。WCWにてメデューサらと抗争を繰り広げた。この頃から「お前らが結婚して、子供作っても、ブル中野のプロレスを見せてやる」と長々とマイクパフォーマンスをする等、1ヒールレスラーから、女子プロレス界のご意見番としてヒール、ベビーフェイスを越えた存在となっていく。
1997年に左靭帯2本を切ってしまい、プロレスラーを引退。ただし、正式な引退試合や引退式は行っていないが2011年内に、体重を再び100キロ代に戻し1夜限りの引退試合を行う予定。その後、再びダイエットして60キロ台にするという。
ゴルフ
引退後は渡米しゴルフ修行。第二の人生としてプロゴルファーを目指すが、プロにはなれなかった。
ダイエット
プロレスを辞めゴルフに専念する過程で、ダイエットを実施し、50kgの減量に成功した。このダイエットの体験を基に後にダイエット本(後述)を執筆した。テレビ番組『リングの魂』内の企画においても、ダイエットスクールを開講したことがある。
近年もダイエット術を披露するため2010年4月20日放送の『魔女たちの22時』で10年ぶりのテレビ出演を行った。ここで紹介したダイエット術は特殊なもので、ある「色」を部屋中に張り巡らし、心理的効果で食欲を減退させるというものであった。また、2010/2/14にムエタイ選手の青木大輔と入籍したことを同番組内で発表した。
小料理屋
昔から、料理が得意で、味・レパートリーの多彩なことで知られていた。またかなりの酒豪でもある。帰国後にそれらを生かして、2010/7/23、小料理店「中野のぶるちゃん」を開店した。場所はもちろん中野である。
獲得タイトル
- 全日本女子プロレス
- WWWA世界シングル王座 : 1回
- WWWA世界タッグ王座 : 3回(w / ダンプ松本、コンドル斎藤、岩本久美子)
- オールパシフィック王座 : 1回
- 全日本ジュニア王座 : 1回
- WWF / WWE
- CMLL
入場テーマ曲
- GENOCIDE (「BEAUTIFUL FIGHTERS」に収録)
- 女帝〜Boss of the World〜 (「完全版全日本女子プロレス選手別テーマ曲集」に収録)
著書
- 金網の青春 (自伝) フジテレビ出版(1991年12月)
- ブル中野のダイエット日記―19号サイズの私が9号サイズに(中野恵子名義での出版)(1998年6月)
- ブル中野の「ちがう自分」になる本―今日からあなたも変われる (中野恵子名義での出版)青春出版社(2003年3月)
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