ヒューストン・ハリス(Houston
Harris、)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州ベントンハーバー出身のアフリカ系アメリカ人。日本では「黒い魔神」と呼ばれた。
ちなみにリングネームの「ブラジル」は「人種差別の無いブラジルに行きたい」という子供の頃の夢から。
来歴
プロ野球(黒人リーグ)選手を経て(事実ではないという説もある)、1951年にプロレスラーとしてデビュー。
1957年8月に日本プロレスに初来日。「ココバット」と呼ばれる頭突きで力道山を苦しめた。1966年にバディ・キラー・オースチンを破りWWA世界王座を獲得。1968年6月の来日では防衛記録を積み重ねていたジャイアント馬場を破りインターナショナル・ヘビー級王座を獲得。直後に行われた再戦で、馬場の必殺技「32文ロケット砲」三連発に沈みタイトルを奪回された。
1972年12月に空位となっていたインター王座を「頭突き世界一決定戦」と呼ばれた大木金太郎戦で勝利し、再び獲得した。しかし、また直後に行われた再戦で大木に敗れている。
1973年2月に全日本プロレスに参戦し、以降同団体の常連となるが、すでにロートルの感は否めずジャイアント馬場やジャンボ鶴田の引き立て役に廻った。
アメリカではNWA、WWA、WWWFを中心に活躍した。デトロイト地区でのザ・シークとの抗争は約30年に及んだ。後にWWWFでの功績が認められ1994年にWWF殿堂入り。1998年1月20日、脳梗塞により死去。享年73歳。
プロレス界でのボボ・ブラジル
黎明期のプロレス界においてボボ・ブラジルは代表的な黒人レスラーであり、その地位の向上に貢献した。アメリカでは「プロレス界のジャッキー・ロビンソン」と評されることもある。人種差別が色濃い時代に、好奇な目線の中で日米のリングで圧倒的な強さを見せ付けた。全盛期のボボ・ブラジルは大柄な体型にもかかわらず動きにキレがあり、長身から繰り出される必殺技「ココバット」は単純な技ながら破壊力は抜群で、大木金太郎との「頭突き世界一決定戦」では石頭で知られる大木でさえ何度もよろめいた。
当初は、「Boo-Boo Brazil:ブーブー・ブラジル」というリングネームだったが、プロモーターのミスで「BoBo Brazil:ボボ・ブラジル」と印刷してしまい、それ以来ボボ・ブラジルをリングネームにしてしまった。ボボリンクという鳥の名に由来するという説もある。なおブラジルポルトガル語で、「Bôbo」とは「馬鹿な、愚かな」という意味があるので、彼をブラジル人だと誤解する人も少なくなく、そのように誤解される向きもあるが、命名の由来からこれは正しくない。
全日本プロレスに参戦していたレスラー晩年期は、リング上で手渡された花束にムシャムシャかぶりつくパフォーマンスで異様な雰囲気を演出しようとしていた。理由には諸説あり、ザ・デストロイヤーの自伝『マスクを脱いだデストロイヤー』(ベースボール・マガジン社刊)によれば、リング上でヒールとして振舞う方法をボボ・ブラジルから尋ねられた際、黄色い花の花束を食いちぎるようにデストロイヤーがアドバイスしたためである。ブラジル本人によると、正統派としてデビューした弟を表に出すためわざと奇行をとったとのこと(ただし、最初にこのパフォーマンスを行ったのは、弟とタッグを組んだ日よりも前の試合である)。
獲得タイトル
シングル
- インターナショナル・ヘビー級王座:2回
- WWA世界ヘビー級王座(ロサンゼルス版):2回
- WWA世界ヘビー級王座(インディアナポリス版):2回
- NWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座:1回
- NWAビート・ザ・チャンプTV王座:1回
- NWAアメリカス・ヘビー級王座:3回
- NWA USヘビー級王座(サンフランシスコ版):1回
- NWA USヘビー級王座(デトロイト版):9回
- NWA USヘビー級王座(トロント版):1回
- NWA USヘビー級王座(ミッドアトランティック版):1回
- ESA北米ヘビー級王座:1回
- WWWF USヘビー級王座:4回
- WWF Hall of Fame:1994年度(プレゼンターはアーニー・ラッド)
タッグ
- WWAインターナショナルTVタッグ王座:4回(w / ウイルバー・スナイダー×2、サンダー・ザボー、プリモ・カルネラ)
- WWA世界タッグ王座(インディアナポリス版):1回(w / クリス・カーター)
- NWAカナディアン・オープン・タッグ王座:1回(w / ホイッパー・ビリー・ワトソン)
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):2回(w / エンリキ・トーレス)
- NWA世界タッグ王座(デトロイト版):8回(w / アート・トーマス、ビル・ミラー、Athol Layton、ザ・ストンパー、トニー・マリノ×3、フレッド・カリー)
- NWAフロリダ・タッグ王座:2回(w / スキップ・ヤング、ダスティ・ローデス)
逸話
- 漫画およびテレビアニメ『タイガーマスク』には「ポポ・アフリカ」という彼をモデルにしたレスラーが登場する。黒人でココバット(風の頭突き)が得意技である。
- 弟のハンク・ジェームスもプロレスラーで、兄弟コンビでも来日している。しかし、ジェームスはブラジルのパートナーとしては実力が伴わず、1970年1月に日本初の兄弟コンビでジャイアント馬場&アントニオ猪木のインターナショナル・タッグ王座に挑戦した時にはジェームスがねらい打ちにされストレート負けを喫した。あまりのふがいなさに試合後ブラジルは、控室でジェームスに鉄拳制裁を加えたという。ブラジルは1975年6月にも全日本プロレスにジェームスを帯同し、馬場&ジャンボ鶴田の同王座に兄弟コンビで再挑戦したが、このときも敗退している。
- ロックバンド "cocobat" の名前の由来は、彼の技からである。
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