ケビン・ナッシュ
Kevin Nash
1959/7/9
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アメリカ合衆国ミシガン州出身のプロレスラー。身長211cm、体重145kgの巨漢で、ディーゼル(Diesel)のリングネームで活躍したWWF時代はビッグ・ダディ・クール(Big
Daddy Cool)、nWoの中心メンバーとなったWCW時代はビッグ・セクシー(Big
Sexy)などの異名で呼ばれた。
来歴
レスラーになる以前はヨーロッパでプロバスケットボールの選手として活動していたが、膝の怪我が元で引退。その後WCWの養成所パワープラントに入門、1990年9月、ブレイド(Blade)ことアル・グリーンとのタッグチーム、マスター・ブラスターズ(Master
Blasters)のスティール(Steel)としてデビューした。
1991年のチーム解散後、オズの魔法使いをモチーフにしたオズ(Oz)に変身するが不発。同年10月には、負傷したエル・ヒガンテの代打として新日本プロレスにザ・グレート・オズのリングネームで初来日している。1992年からはカジノの用心棒をキャラクターにしたビニー・ベガス(Vinnie
Vegas)に変身し、ダイヤモンド・ダラス・ペイジとのコンビ、ベガス・コネクション(Vegas
Connection)で活動した。
WWF(1993-1996)
1993年、ショーン・マイケルズのボディーガード、ディーゼル(Diesel)としてWWFに初登場。1994年4月13日にレイザー・ラモンを破りインターコンチネンタル王座を獲得し、8/28にはマイケルズとのコンビでサムゥとファトゥのヘッドシュリンカーズからWWF世界タッグ王座を奪取した。
その後ベビーフェイスに転向し、1994/11/26にMSGにて行われたハウス・ショーでボブ・バックランドを破りWWF世界ヘビー級王座を獲得。以後翌1995/11/19のサバイバー・シリーズでブレット・ハートに敗れるまで、約1年間王座を保持。これはハルク・ホーガン以降のWWF王座の最長保持記録である。また、リング外ではマイケルズ、ラモン、1-2-3キッド、ハンター・ハースト・ヘルムスリーらとクリックを結成した。
しかし、WCWから巨額の契約金と年俸を提示されたため、1996年5月、まだ契約期間が残っているにもかかわらずWWFを退団。WWFでの最後の試合は通称カーテンコールとして知られている。
WCW(1996-2001)
1996年7月にラモンとのジ・アウトサイダーズを結成しWCWに参戦。当初はビンス・マクマホンの指示でWCWを潰しに来たと称していた。またジ・アウトサイダーズとして初登場した際に、放送ブースにいたエリック・ビショフに対し、「WWFの悪口を言い触らしているのはてめぇか!」と迫り、ブースから引きずり出したビショフを通路にジャックナイフで叩きつけている。
これはエリック・ビショフの考えた『WWF対WCW』というアングルに基づいてのものだった。さらに盟友のマイケルズ、ヘルムスリー、そして1-2-3-キッドことショーン・ウォルトマンの参戦を臭わす発言もしていたが、結局このアングルに関連して移籍してきたのはウォルトマンと、既にセミリタイアしていたジャック・ルージョー、契約だけで試合出場の機会のなかったジャン=ピエール・ラフィットだけだった。これはWWFが様々な対抗処置を講じた結果である。また、『ディーゼル』、『レイザー・ラモン』のリングネームはWWFが商標登録していたために、アウトサダーズはそれぞれリングネームを本名の『ケビン・ナッシュ』、『スコット・ホール』に直さなければならなかった。
そしてジ・アウトサイダーズ参戦から1月足らずで『WWF対WCW』は頓挫してしまい。WCWは急遽アングルの練り直しをするハメに陥ってしまう。そこで新たに考え出されたアングルがnWoだった。もっともこれはホーガンのアイデアだったらしく、当時WCWで浮き上がっていたホーガンが、トップ復帰を狙ってナッシュとホールを抱き込んで結成したものだった。
このnWoはライバル団体WWFを廃業寸前に追い込むまでの一大ムーヴメントを巻き起こすが、1998年にnWoは二派に分裂、ナッシュはnWoウルフパックを結成し、ホーガン率いるnWoハリウッドと抗争。その後ナッシュ自身も世界王座を獲得するなどトップとして活躍したものの、ストーリーのマンネリ化やバックステージにおける権力の乱用などにより、nWoおよびWCWの勢いは徐々に失速、ナッシュは2001年2月18日のSuper
Brawl Revengeにてスコット・スタイナーに敗れ引退し、WCWも2001年にWWFに買収され消滅した。
WWF/WWE(2002-2003)
WCW消滅後は沈黙を続けていたが、2002年にホーガン、ホールと共にオリジナルnWoを再結成し、WWFに再登場。しかし膝の負傷で欠場を続け、さらに大腿二頭筋断裂という重傷を負い長期欠場となる。翌2003年の4月に復帰し、トリプルHとの抗争や盟友ショーン・マイケルズと再び組むなどしたが、頚部の怪我が悪化し、同年末の契約満了に伴い退団した。
TNA(2004-2010)
その後はTNAに移籍、2004/5/15にはハッスルの第3回興行に、ホールとのジ・アウトサイダーズとして参戦している。
2008年にはカート・アングル、スティング、スコット・スタイナー、ブッカー・Tとメイン・イベント・マフィアを結成した。2009年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会に久々の来日。カートと共に蝶野正洋&長州力とタッグを結成し勝利を収めている。
2010年にはホール、ウォルトマン(シックス・パック)とTNA版nWoとも言えるThe
Bandを結成。途中シックスの代わりにエリック・ヤングが加入しTNA世界タッグ王座を獲得するが、ホールのTNA退団により消滅した。
WWE(2011)
2011年、WWEとレジェンド契約を交わし、1/30の『ロイヤルランブル2011』に出場。WWF時代のリングネームであるディーゼル名義で32番目にサプライズ登場を果たした。
獲得タイトル
WWF
- WWF世界ヘビー級王座:1回
- WWF世界タッグ王座:2回(w / ショーン・マイケルズ)
- インターコンチネンタル王座:1回
WCW
- WCW世界ヘビー級王座:4回
- WCW世界タッグ王座:9回(w / スコット・ホール×6、ダイヤモンド・ダラス・ペイジ×2、スティング×1)
TNA
nWoビデオ紹介
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