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2011/7/22
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  • 同期・魁皇の最多勝に刺激受けた曙「プロレスで1000勝達成だ」
  • レジェンド軍(初代タイガー、藤波、長州)がリス虎(本田、泉田、菊地)に完勝
  • <DDT>会見でアイアンマン王座移動の珍事/サップvsディーノは異例の3分30R
  • ゆずポン豪快キック/桜花由美、植松寿絵が本社でV宣言
  • 【8・27オールスター戦連載】グレート小鹿「俺はトラブル阻止する番犬だった」
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ノア
2011/7/10
有明コロシアム

GREAT VOYAGE 2011 in Tokyo vol.3

GHCヘビー級選手権試合
杉浦貴vs潮崎豪

GHCジュニア・ヘビー級選手権
鈴木鼓太郎vs金丸義信

森嶋猛vs佐々木健介
秋山準vs中嶋勝彦
佐野巧真/石森太二/青木篤志vs髙山善廣/KENTA/平柳玄藩
齋藤彰俊vsモハメド・ヨネ
小川良成/リッキー・マルビンvs梶原慧/宮原健斗
谷口周平/井上雅央vs志賀賢太郎/起田高志

SMASH
SMASH.20全対戦カード発表会見/2/2

RINGSTARS
植松&桜花が決勝での対戦を約束

JWP
JWP練習生のリングネームが決定

K1
才賀紀左衛門を追跡

NJPW
1996/2/3
札幌中島体育
センター

蝶野vs辻アナ 電波ジャック 1日目
IWGPタッグ挑戦者決定リーグ戦
天山広吉/ヒロ斎藤vs安生洋二/高山善廣

NJPW
1996/2/4
札幌中島体育
センター

蝶野vs辻アナ 電波ジャック 2日目
IWGPタッグ挑戦者決定リーグ戦
天山広吉/ヒロ斎藤vs小島聡/西村修

AJW
クラッシュギャルズ『嵐の伝説』

AJW
ジャガー横田 vs デビル雅美 の歴史

AJW
デビル雅美『燃え尽きるまで』

AJW
1985/7/23
横須賀市総合
体育館

長与千種 vs ブル中野

AJW
ミミ萩原『セクシー・IN THE NIGHT』

AJW
1983/9/7
横浜文化体育館

ミミ萩原/立野記代 vs 長与千種/ライオネス飛鳥/2/2

ブシロード
2011/5/5

長島☆自演乙☆雄一郎

AJW
1979

トミー青山vsシェリル・デイ

-
Texas All Stars 86

ブルーザー・ブロディvsスコット・ケーシー(金網)
ブルーザー・ブロディ/キラー・ティム・ブルックスvsキマラ/ザンビア・エクスプレス
アイスマンvsバディ・マリノ
キマラ/ザンビア・エクスプレスvsワンマンギャング/マーク・ヤングブラッド/ビック・ブバ
ビック・ブバ/スコット・ケーシー


スティング/レックス・ルーガー インタビュー

-
女子プロ アイドル

Chikara
CHIKARA Event Center - Back in Philly on July 31st!

Zack Ryder
Z! True Long Island Story Episode # 23


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プロレス/格闘技
今日のテレビ放送/出演



USTTREAM   18:00
フライデー☆ミッドブレス

ゲスト:飯伏幸太

19:00
19時女子プロレス 80

IW19選手権
都宮ちい×真琴

志田光&エイプリル・デイヴィッズvs藤本つかさ&つくし

真琴
ミラクルハンター

真琴 ミラクルハンター

ICERIBBON MARCH
2011-3.21後楽園ホール
ICERIBBON MARCH 2011 3.21後楽園ホール

20:00
ハッスルマンズTV


21:00
カゲキックス

KING ブログ

サムライTV 22:00
Sアリーナ
2011年7月22日(金)号

●初代虎、藤波辰爾、長州力揃い踏み!
リアルジャパンプロレス 7.21後楽園
<ミキティコの「闘う天気予報」>
●週末のお天気は?

23:00
SMASH
「SMASH.19」
2011.7.15 後楽園ホール
●天龍源一郎&TAJIRI&朱里×藤原喜明&FUNAKI&華名
<初代SMASHディーバ王座決定トーナメント1回戦>
●セリーナ×中川ともか
<初代SMASH王座決定トーナメント1回戦>
●木藤勝利×VENENO
<同>
●矢郷良明×ゼウス
●ウルティモ・ドラゴン&カズ・ハヤシ&Ray×大原はじめ&Gamma&紫雷イオ
<初代SMASHディーバ王座決定トーナメント1回戦>
●真琴×都宮ちい
<ワールドトライアウトマッチ>
●AKIRA×YO-HEY
●児玉ユースケ×百田光雄

J-SPORTS  16:30 
NXT #73

タイタス・オニール vs ダレン・ヤング vs デリック・ベイトマン
ヨシ・タツ vs タイソン・キッド

ヨシタツ

WWE オーバー・ザ・リミット2011
WWE オーバー・ザ・リミット2011
WWE トップ50・スーパースターズ
WWE トップ50・スーパースターズ

24:00
ロウ #946

ジョン・シナ vs マイケル・マクギリキュティー&デヴィッド・オタンガ
ケリー・ケリー vs メリーナ
コフィ・キングストン&エヴァン・ボーン&アレックス・ライリー vs ザ・ミズ&Rトゥルース&ジャック・スワガー
ビッグ・ショー vs ドルフ・ジグラー&ドリュー・マッキンタイア

WWE キャピタル・パニッシュメント2011
WWE キャピタル・パニッシュメント2011
WWE RAW ベスト・オブ・2010
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1989年以前

AJW
1972/7/22

WWWA世界タッグ
ジャンボ宮本 & 星野美代子vsオパール・アンストン & マスクド・リー

WWWF
1974/7/22

WWWF世界ヘビー級王座
ブルーノ・サンマルチノvsジョン・トロス

AJPW
1982/7/22
串本町立体育館

天龍源一郎vs上田馬之助 1/2/2/2

AJW
1986/7/22

佐藤真紀メモリアル・トーナメント

AJPW
1986/7/22

ジャンボ鶴田 タイガーマスクvsテッド・デビアス ピート・ロバーツ 

NJPW
1988/7/22
札幌中島体育
センター

アントニオ猪木、日本人に初のホール負け!

長州力vsアントニオ猪木



IWGPヘビー級第3代王者・藤波辰巳のベルトを巡り、
アントニオ猪木、長州力、ビッグバン・ベイダー、
マサ斎藤、木村健吾の5選手で行われた
IWGP挑戦者決定リーグ戦。
この優勝者が8月8日の横浜文化体育館大会で
藤波に挑戦出来るというものであった。
サマーファイトシリーズ

○藤波辰巳、木村健吾
[9分19秒ドラゴンバックブリーカー→体固め]
バズ・ソイヤー、マニー・ヘルナンデス●

IWGP挑戦者決定リーグ戦
○マサ斎藤[9分32秒リングアウト勝ち]
ビッグバン・ベイダー●

IWGPジュニアヘビー級選手権試合
越中詩郎
[11分31秒ジャックナイフ式エビ固め]
ヒロ斎藤●

SSマシン、▲小林邦明
[9分46秒両者フェンスアウト]
スティーブ・アームストロング、
トレーシー・スマサーズ▲

○ジョージ高野
[12分5秒首固め]
キューバン・アサシン●

星野勘太郎、○山田恵一
[11分48秒メキシコ式逆エビ固め]
ブラソ・デ・オロ、ブラソ・デ・プラタ●

○保永昇男
[10分38秒回転十字固め]
ブラック・キャット●

○佐々木健介
[12分3秒逆エビ固め]
野上彰●

世代闘争
1987-1989
革命伝説 長州 力5


アントニオ猪木全集 6
闘魂伝承Ⅱ
弟子たちとの闘い
アントニオ猪木大全集 Ⅶ


アントニオ猪木大全集DVD紹介

昭和名勝負篇
昭和名勝負編


NJPW名勝負30DVD紹介

1987年-1990年
新日本プロレス全史 4


NJPW全史DVD紹介

闘魂神話 アントニオ猪木
スーパーバウツ 3
闘魂神話

同日の札幌大会で
”猪木、この男と戦うのか?”対決実現

IWGP挑戦者決定リーグ戦
マサ斎藤vsビッグバン・ベイダー

IWGP列伝 2
IWGP列伝2


AJPW
1989/7/22
石川県産業展示館

世界タッグ
ジャンボ鶴田/谷津嘉章vs天龍源一郎/スタン・ハンセン


ヤフオクで今、売れているプロレス商品は何?
ヤフオクプロレス


1900年代

NJPW
1990/7/22
月寒グリーンドーム

橋本真也vsアレキセイ・チューリン

平成名勝負篇
平成名勝負篇


NJPW名勝負30DVD紹介

Disk.7
最強の証明
"異種格闘技戦”
破壊王 橋本真也


橋本真也DVD紹介

闘魂三銃士見参
闘魂三銃士見参


Vol.15
闘魂三銃士見参
闘魂三銃士見参


武藤 蝶野 vs ザ・ロードウォリアーズ(LOD)

NJPW
1993/7/22
後楽園ホール

93 Summer Struggle

パワー/ホーク・ウォリアーvsスコット・ノートン/ハーキュリース

UWFインター
1995/7/13
静岡産業館

田村潔司vs垣原賢人
佐野直喜/桜庭和志vs安生洋二/マレンコ
中野龍雄vs高山善廣
ストーンvsネルソン
金原弘光vs山本健一

魂The UWF Spirits

パンクラス
1995/7/22
後楽園ホール

鈴木みのるvsジェイソン・デルーシア
柳澤龍志vsクリストファー・デウィーバー
ヴァーノン・”タイガー”ホワイトvsグレゴリー・スミット
伊藤崇文vsジェフ・マサギリ
稲垣克臣vs渋谷修身
ウェイン・シャムロックvsラリー・パパドポロス

ネオ・ブラッド・トーナメント
DAY 1
ネオ・ブラッド・トーナメント 1

PANCRAS
1996/7/22
後楽園ホール

フランク・シャムロックvs山田学
柳澤龍志vs高橋義生
近藤有己vsセーム・シュルト
山宮恵一郎vs長谷川悟史
国奥麒樹真vsピート・ウイリアムス
渋谷修身vsキム・ジョン・ワン

格闘技のすすめ その3
格闘技のすすめ その3





2000年以降

吉本女子プロレスJd'
2001/7/22
後楽園ホール

富松 恵美が対ドレイク森松、阿部幸江戦(パートナーは亜利弥')でデビュー

WWF
2002/7/22

IC王者vsヨーロッパ王者 ラダー・マッチ
ロブ・ヴァン・ダム vs. ジェフ・ハーディ

ヒストリー・オブ・
インターコンチネンタル・
チャンピオンシップ
ヒストリー・オブ・インターコンチネンタル・チャンピオンシップ


AJPW
2004/7/22
後楽園ホール

川田利明 vs 長井満也

棚橋弘至 vs 本間朋晃

天龍源一郎/スティーブ・ウイリアムス vs 嵐/平井伸和

JWP
2007/7/22
板橋グリーンホール

Power up!!
希月あおい/野崎渚vs中島安里紗/紫雷イオ

NEO
2007/7/22
板橋

ミッドサマー・タイフーン

タニー・マウスvsチェリー
野崎渚vs真琴
三田英津子vs中島安里紗
宮崎有妃vs輝優優
田村欣子&さくらえみvs小林華子&森居知子
元気美佐恵&松尾永遠vs春山香代子&勇気彩

NEO2007

BJW
2007/7/22
博多スターレーン

南京ファッキンレスリング部 vs 猛獣惑星
大鷲透&ベアー福田&ヘラクレスオオ千賀&X vs 辻本恭史&沖本摩幸&ポコ本&関本大介

KAGETORA&宮本裕向 vs
佐々木貴&ミラニートコレクションa.t.

SUKIYAKI vs HELL DEMONS
近藤修司&谷嵜なおき&アントーニオ本多 vs
菅原拓也&バラモンシュウ&Ken45゜

大日本プロレスvsエルドラド
関本大介&井上勝正 vs 大鷲透&KAGETORA

谷嵜なおきデスマッチトライアル 
ハードコアマッチ
葛西純&MASADA vs 谷嵜なおき&宮本裕向

デスマッチどんたく in スターレーン
~蛍光灯タッグデスマッチ
佐々木貴/沼澤邪鬼vs伊東竜二/アブドーラ・小林

プロレス大感謝祭2007 HAKATA&SAPPORO
プロレス大感謝祭

センダイガールズ
2007/7/22
仙台サンプラザ

センダイガールズ
プロレスリング旗揚げ
1周年記念大会 戦場~WAR~トーナメント
センダイガールズプロレスリング旗揚げ1周年記念大会


WWE
2007/7/22

グレート・アメリカン・バッシュ2007
ジェフ・ハーディ vs. ウマガ

ヒストリー・オブ・
インターコンチネンタル・
チャンピオンシップ
ヒストリー・オブ・インターコンチネンタル・チャンピオンシップ


WWE王座戦
ジョン・シナ vs. ボビー・ラシュリー

ジョン・シナ
エクスペリエンス
ジョン・シナ エクスペリエンス


2009/7/22
アメリカ フロリダ

IWGPタッグ
B・レイ/B・ディーボンvsB・マグナス/D・ウィリアムズ

NJPW
2010/7/22

IWGP Jr.タッグ デビット&田口


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ザ・ファビュラス・ムーラ
The Fabulous Moolah
1923/7/22 - 2007/11/2

本名:メアリ・リリアン・エリソン / Mary Lillian Ellisonは、主にWWEなどで活躍したアメリカ合衆国の女子プロレスラー。

1940年代のデビュー以来、2007年に死去する寸前まで長きに渡りプロレス界に貢献。その晩年には『史上最高齢の現役女子レスラー』と呼ばれ、1995年に女性初のWWE殿堂入りを果たすなど、アメリカでの女子プロレスの地位を高めた。

来歴

10歳の頃に父親に連れられてプロレス観戦に行き、そこで観た女子王者ミルドレッド・バークに憧れてプロレスラーを目指すようになったという。公式には1949年のデビューとされているが、それ以前にも試合をしたという説もあり正式なデビュー年は不明。

デビュー時期が曖昧なのは、当時はまだ女子プロレスの地位が低く余興扱いだったために記録が残されてなかったせいでもある。ムーラもまた男性ヒールの添え物として扱われ、スレイブガール・ムーラSlave Girl Moolah)なるリングネームでバディ・ロジャースのセコンドとなり、観客の目を楽しませると共に、ロジャースの反則攻撃を助けるという役割を務めていた。

やがてファビュラス・ムーラに改名して本格的に選手として試合するようになり、1956/9/18には13人の選手によって行われたトーナメントを制覇、初代WWE女子王者となる。この王座は1984年7月23日に陥落するまで実に27年10か月の長期政権だったと記録されている。

しかし、これはNWA管理下において行われた王座戦がWWEでは公式記録として認められてないためであり、実際はその間に4度の王座陥落と返り咲きを繰り返している。とはいえ、いずれも陥落期間が短期間であり、約28年間のほとんどの時期においてムーラが王座を保持し続けていたことは事実である。抹消された記録の中には、1968/3/10に日本女子プロレス(全日本女子とは別団体)にて巴幸子が王座奪取したものもある(同年4/2にムーラが奪還)。

日本では分裂後の日本女子、その後継たる国際プロレスの女子部に参戦、小畑千代らと激闘を演じた。国際女子部崩壊後は全日本女子プロレスに活動の場を移し、ナンシー久美を相手に女子王座の防衛戦を行うなどした。

1972/7/1には弟子のビッキー・ウィリアムスを相手に、女性で初めてマディソン・スクエア・ガーデンでの試合を行う。1984年よりWWF(現・WWE)がビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で全米進出を開始すると、女子部門の中心人物として招かれ、かねてから保持していた女子王座も正式にWWFの認定タイトルとなった。

WWFでは悪徳マネージャーのキャプテン・ルー・アルバーノと結託し、1984/7/23のMSG定期戦では人気歌手のシンディ・ローパーがセコンドに付いたウェンディ・リヒターと対戦。試合には敗れ女子王座を失ったものの、"The Brawl to End It All" と題されたこの試合はMTVで放送され大きな反響を呼ぶ。以降もローパー&リヒターとの抗争アングルを展開し、1985年3月31日のレッスルマニア第1回大会にもリヒターの対戦相手レイラニ・カイのマネージャーとして出場、ローパーとのリング外での争いで大会を盛り上げた。翌1986年4月7日には現役王者としてレッスルマニア2に出場。このとき既に62歳だった。

1986年7月、シェリー・マーテルに敗れて王座陥落したのを最後に第一線から姿を消すものの、現役生活は続行。プロレス界の"クイーン" を自称し、"キング" のニックネームでWWFに参戦してきたハーリー・レイスとも共闘、1987年3月29日のレッスルマニアIIIでは、ボビー・ヒーナンと共にレイスのセコンドを務めた。1995年には女性初のWWF殿堂入りを果たしている。WWFがドラマ重視のアティテュード路線に転換すると、1999年頃から同い年のベテラン女子レスラー、メイ・ヤングとのコンビで登場するようになる。この頃にはもう試合はせず、スキットの登場人物として場を混乱させるコメディエンヌ的な役割が主だった。

しかしながら現役引退したわけではなく、1999/10/17のノー・マーシーにてアイボリーを破り、13年ぶりの王座戴冠を果たす。自身4度目(NWA時代を含めると9度目)の王座奪取は、実に76歳3か月という最高齢記録である。

2003/9/15放送のRAWではランディ・オートンのRKOを受けるなど、80歳を過ぎて尚、生涯現役であることをアピールした。

WWEへの最後の登場は2007/8/26のサマースラム。ここでも元気な姿を見せていたものの、同年11/2にサウスカロライナ州レキシントンにて84年の生涯を閉じる。翌週のRAWでは長年の功績を称えて追悼映像が流された。

家族

13人兄弟の末っ子として生まれた。8歳のときに癌で母親を亡くし、10歳になると親戚の綿花農場で働き始める。

14歳にて21歳の男性と結婚するが2年後に離婚。その間に1人の娘を出産。以降、通算5回の結婚を経て、最終的には6人の孫と6人のひ孫に囲まれていた。

弟子

1970年代初頭からレスリング学校を運営して多くの女子レスラーを指導し、また彼女たちのブッキングも管理していた。

見た目だけで採用されレスリング能力に欠けるレスラーも少なくなかった女子プロレス界に、しっかりとした試合のできるレスラーを多く輩出。後のWWF女子部門の土台をつくった。

主な門下生にビビアン・バション、レイラニ・カイ、ジュディ・マーチン、ウェンディ・リヒター、シェリー・マーテル、ルナ・バション、リタなどがいる。

獲得タイトル

  • NWA世界女子王座 : 5回
  • WWF女子王座 : 4回
  • JPWA女子王座
  • WWF殿堂 : 1995年度


ヒロ・マツダ
1937/7/22 - 199911/27

日本のプロレスラー、プロレス・トレーナー。本名は小島 泰弘(こじま やすひろ)。神奈川県横浜市鶴見区出身。アメリカ合衆国で大きな成功を収めた日本人レスラーの一人。

来歴

日体荏原高等学校野球部でエースとして活躍し、卒業後の1957年に日本プロレスに入団するが、1960年に退団。その後ペルーに渡った。この渡航は力道山が相撲部屋の慣習から持ち込んだ上下関係などの不文律や、日本独自の精神論(怪我も根性で治せる、負傷を理由に休む者は根性が無いとみなされる等)に反発したためといわれている。

ペルーではエルネスト小島Ernesto Kojima)のリングネームで活動する。その後メキシコ、アメリカと転戦し、アメリカでヒロ・マツダにリングネームを変更する。この“マツダ”のリングネームは、1880年代の「ソラキチ・マツダ」、1920年代の「マティ・マツダ」というアメリカ本土で活躍した2人の日本人レスラーに因んだリングネームだった。エルネスト小島時代には、メキシコでエル・サントとも闘っている。アメリカでは本格的なレスリングのテクニックを習得するべくカール・ゴッチに教えを乞い、いわゆるキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(ランカシャー・スタイル)を伝授された。なお自身最大のフィニッシュ・ホールドであるジャーマン・スープレックスはこの時期にゴッチの直伝で身に付けたものと思われ、おそらく日本人初の「正統派ジャーマン」の使い手ではないかと言われている。

アメリカではダニー・ホッジとNWA世界ジュニアヘビー級王座をめぐって何度も対戦。史上最高のジュニアの試合と称され、各地でメインイベントを張った。ヘビー級がメインを張るのが通常だった当時のマット界では革命的な出来事である。また、アメリカ修行中のアントニオ猪木とタッグを組み、タイトルも獲得している。

1966年、力道山没後の日本プロレスに凱旋帰国を果たし、吉村道明とのコンビでアジアタッグ王座を獲得するなど旋風を巻き起こした。翌1967年、日プロ入団当初から旧知の吉原功と共に国際プロレスを旗揚げ。エース兼ブッカーを務めたが、最終的には吉原と決別して同年中に国際プロレスを離脱し、再びアメリカを活動の中心とした。NWA所属の団体で活動し、数々のタイトルを手中に収めた。日本には、日プロへのスポット参加を経て、1973年から1976年までは全日本プロレスに時々参戦した。1975年にはオープン選手権および力道山十三回忌追悼興行に参加、国際プロレスのマイティ井上を相手にNWA世界ジュニアの防衛戦を行っている。1978年11月にはプレ日本選手権参加のため新日本プロレスに登場。上田馬之助、マサ斎藤、サンダー杉山らフリーの日本人レスラー達と結成した狼軍団のリーダーとなり、新日本プロレスの反体制勢力として活躍した。プレ日本では猪木と優勝戦を闘い、翌1979年4月には斎藤とのコンビで北米タッグ王座を獲得した。後にマサ斎藤の誘いで長州力率いる維新軍団に加わり、スポット参戦ながら軍団に影響力を与える。

レスラーとして引退後はフロリダ州タンパに道場を設け、トレーナーとして選手の育成を行う。小島の門下生にはハルク・ホーガン、ポール・オーンドーフ、レックス・ルガー、ロン・シモンズなどアメリカン・プロレスを代表するレスラーが多数いた。特に入門志望のハルク・ホーガンを追い払うために足の骨を折った逸話は有名である。日本人レスラーのアメリカ遠征時の世話係も勤め、高千穂明久、マサ斎藤、剛竜馬、武藤敬司、西村修の面倒を見た。またNWA、WCWなどでブッカーとしても活動した。WCWでは1989年頃、スーツ姿でマネージャー役も担当し、日本の大企業の御曹司という設定でヤマサキ・コーポレーションYamasaki Corporation)なるヒール軍団を組織。リック・フレアー、バリー・ウインダム、ブッチ・リード、マイケル・ヘイズらをマネージメントした。

1990/12/26の新日本プロレス浜松興行において、木戸修とエキシビションマッチを行った。この試合が日本で行った最後の試合である。

1999年11月27日、肝臓癌によりフロリダで死去、62歳没。

獲得タイトル

海外
  • NWA世界ジュニアヘビー級王座 : 4回
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版) : 1回(w / アントニオ猪木)
  • NWA世界タッグ王座(フロリダ版) : 5回(w / デューク・ケオムカ×4、ディック・スタインボーン)
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版) : 3回
  • NWAフロリダ・タッグ王座 : 4回(w / ボブ・オートン、サイクロン・ネグロ、ティム・ウッズ、ミズーリ・モウラー)
国内
  • アジアタッグ王座 : 1回(w / 吉村道明)
  • 北米タッグ王座 : 1回(w / マサ斎藤)

育成選手

  • ハルク・ホーガン
  • ポール・オーンドーフ
  • ボブ・オートン・ジュニア
  • ディック・スレーター
  • マイク・ジョージ
  • ブライアン・ブレアー
  • ハーキュリーズ
  • スコット・ホール
  • レックス・ルガー
  • ロン・シモンズ

 etc.



デビッド・フォン・エリック
David Von Erich
1958/7/22 - 1984/2/10

アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はデビッド・アレン・アドキッセンDavid Allen Adkisson)。「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの息子(三男、レスラーのエリック兄弟としては次男)であり、兄弟の中では一番の長身だった。

来歴

高校ではバスケットボールのスター選手であり、アメリカンフットボールの選手でもあった。ノーステキサス州立大学に進学するも、レスラーになるために退学。1977年にデビューした。1979年5月に全日本プロレスに初来日。1981年5月の再来日では兄ケビンとのタッグでグレート小鹿&大熊元司からアジアタッグ王座を奪取したが、シリーズ中に石川隆士&佐藤昭雄に破れ短命王者に終わった。

次期NWA世界ヘビー級王者の最有力候補とされ、ハーリー・レイスやリック・フレアーに何度となく挑戦。1983/9/16にはセントルイスのキール・オーディトリアムでフレアーを破り、NWA世界王座への登竜門であるミズーリ・ヘビー級王座を獲得した。地元ダラスのWCCW(World Class Championship Wrestling)ではエース格として活躍し、看板タイトルのテキサス・ヘビー級王座には、ブルーザー・ブロディ、ジノ・ヘルナンデス、マーク・ルーインらを下し通算8回に渡って載冠している。

1984年2月、UNヘビー級王座を携え来日。天龍源一郎の挑戦を受ける予定であったが、2/10に急死。死因には諸説ある(全日本プロレスの公式発表では「内臓疾患」)。

2009/4/4、フォン・エリック・ファミリーとして父や兄弟たちと共にWWE殿堂入り。プレゼンターは1980年代前半にダラスで抗争を繰り広げたフリーバーズのマイケル・ヘイズが務めた。

幻のNWA世界ヘビー級王者

デビッドは1984年1月に次のNWA世界ヘビー級王者に推挙され、4月にベルトを巻くことが決定していたが、実際に王座を獲得する前に死去した。リック・フレアーは自著『To Be The Man』の中で、デビッドがチャンピオンとなっていれば長期政権を築くことができたであろうと記述している。

1984/5/6、デビッドの弟ケリー・フォン・エリックはテキサス・スタジアムでフレアーを破りNWA世界王座を獲得した。これは、存命であればフレアーを破りNWA世界王者となるはずであったデビッドに捧げられたものであると考えられている。ケリーはその18日後、フレアーに王座を明け渡している。

獲得タイトル

NWA
  • NWA北米タッグ王座(フロリダ版):1回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):1回
  • NWAフロリダTV王座:1回
  • NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回
WCCW
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:8回
  • NWAテキサス・タッグ王座:2回(w / ケビン・フォン・エリック)
  • NWAアメリカン・タッグ王座:1回(w / ケビン・フォン・エリック)
  • NWA世界タッグ王座(テキサス版):1回(w / ケビン・フォン・エリック)
  • NWA世界6人タッグ王座(テキサス版):2回(w / ケビン&ケリー・フォン・エリック)
全日本プロレス
  • アジアタッグ王座:1回(w / ケビン・フォン・エリック)
  • UNヘビー級王座:1回


ショーン・マイケルズ
Shawn Michaels
1965/7/22

アメリカ合衆国の元プロレスラー。アリゾナ州チャンドラー生まれ、テキサス州サンアントニオ出身。身長186cm、体重102kg。左利き。本名はマイケル・ショーン・ヒッケンボトムMichael Shawn Hickenbottom)。

1990年代から2000年代を代表するWWEのスーパースター。1988年から2度目の引退をした2010年まで、約20年以上WWEに在籍した。プロレスラーとして卓越した技術と圧倒的なカリスマ性、ド派手なパフォーマンスなどで絶大な人気を誇り、ベビーフェイスとヒール、シングルとタッグの両方で活躍した。ハートブレイク・キッドThe Heart Break Kid、略称HBK)、ショーストッパー=ショーの主役(The Showstopper)、ボーイ・トーイ(Boy Toy)、セクシー・ボーイ(Sexy Boy)、アイコン(The Icon)、メイン・イベンター(The Main Eventer)、ミスター・レッスルマニア(Mr. WrestleMania)など多くの異名を持つ。最終所属はWWEのRAW。

来歴

NWA〜AWA

18歳の頃にホセ・ロザリオに師事し、1984/10/16に地元サンアントニオ地区のテキサス・オールスター・レスリングにてアート・クルーズを相手にデビュー。ポール・ダイヤモンドとのタッグチーム「アメリカン・フォース」でキャリアを積み、海外武者修行中だった冬木弘道と川田利明の「ジャパニーズ・フォース」との抗争も行われた。

1985年、中西部のミズーリ州やカンザス州をサーキット・エリアとするNWAセントラル・ステーツ地区においてマーティ・ジャネッティとミッドナイト・ロッカーズ を結成し、セントラル・ステーツ・タッグ王座を獲得。その後ダラス地区などを転戦し、1986年にAWAに移籍(AWAでは当初「USエクスプレス」と名乗るプランもあった)。翌1987年1月、バディ・ローズ&ダグ・サマーズを破りAWA世界タッグ王座を獲得した。同年夏にWWFと契約するが、ナイトクラブでの乱闘事件が元でわずか2週間で解雇される。その後、ミッドナイト・ロッカーズはAWAに戻り、1987年12月にデニス・コンドリーとランディ・ローズの"オリジナル" ミッドナイト・エクスプレスを下し再びAWA世界タッグ王座を獲得。なお、当時のAWAには後にマネージャーを務めるシェリー・マーテルや、後世に語り継がれる名勝負を残すことになるスコット・ホールも在籍していた。

WWFへ

ザ・ロッカーズ

1988年、チーム名をザ・ロッカーズに改めWWFと再契約。立体的な空中戦と合体攻撃を武器に、後のライバル "ヒットマン" ブレット・ハート率いるハート・ファウンデーション(ブレット&ジム・ナイドハート)、ツイン・タワーズ(ビッグ・ボスマン&アキーム)、ファビュラス・ルージョーズ(レイモンド・ルージョー&ジャック・ルージョー)、ブレイン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)、リズム&ブルース(ホンキー・トンク・マン&グレッグ・バレンタイン)、デモリッション(アックス、スマッシュ&クラッシュ)、パワー&グローリー(ハーキュリーズ&ポール・ローマ)、オリエント・エクスプレス(サトー、タナカ&カトー)、ナスティ・ボーイズ(ブライアン・ノッブス&ジェリー・サッグス)などのチームと抗争を繰り広げ、女性や子供の観客を中心にアイドル的な人気を集めた。

1991年1月には、当時のWWFの日本での提携団体だったSWSに初来日。3月の再来日では同月30日に行われた『レッスル・フェストin東京ドーム』に出場し、ハート・ファウンデーションと対戦している(メインイベントは天龍源一郎&ハルク・ホーガン対リージョン・オブ・ドゥーム)。

The Heart Break Kid

1991/11/27、サバイバー・シリーズにおける同士射ちで相棒のマーティ・ジャネッティと仲間割れ。翌1992年初頭のブルータス・ビーフケーキのインタビュー・コーナー "バーバーショップ" で一旦は和解したかに見えたが、不意をついて放ったスウィート・チン・ミュージックでジャネッティをKO。以降、鏡を携えたセンセーショナル・シェリー(入場曲 "Sexy Boy" の初期ボーカルも担当)をマネージャーに、生意気な自惚れ男のギミック "ボーイ・トーイ" またの名を "ハート・ブレイク・キッド" としてヒールのシングルプレイヤーに転向した(ハート・ブレイク・キッドのネーミングは、"ミスター・パーフェクト" カート・ヘニングの考案による)。

ヒールターン後はティト・サンタナとの連戦を経てブレット・ハートとの抗争を開始し、1992年7月にブレットの保持するIC王座に挑戦。この試合はWWE史上初のラダー・マッチで行われたが、タイトル奪取には至らなかった。その後、同年10/27にブリティッシュ・ブルドッグを破り同王座を獲得、初のシングルタイトル載冠を果たした。

サバイバー・シリーズではブレットのWWF世界ヘビー級王座に挑戦するがシャープシューターで敗退。1993年3月のRAWではマーティ・ジャネッティにIC王座を奪われるも、短期間で王座を奪還する。同時期、マネージャーのシェリーと決別し(ジャネッティの急襲をシェリーを盾にして防いだことによる)、ボディーガードとして新しくディーゼルを雇っている。

そうした中、WWFを一時離脱。王座防衛を行わないことが理由とされたが、ステロイドが原因という噂もあった(本人は否定)。WCWとの接触も噂されるも、ほどなくして復帰。当時WWFと提携していたメンフィスのUSWAにも参戦している。11月のサバイバー・シリーズではハート・ファミリー(ブレット、オーエン、ブルース&キース・ハート)(w / スチュ・ハート)を相手に主将を務めた。

ショーンが離脱中の1993/9/27、空位のIC王座を争うバトルロイヤルに勝ち残ったレイザー・ラモンとリック・マーテルの間で王座決定戦が行われ、ラモンがマーテルを下して新王者になった。しかし、復帰したショーンはこれを認めずに互いに王者を主張し合った。真の王者を決めるべく行われたのが、1994年のレッスルマニアXでのレイザー・ラモンとのラダー・マッチである。試合には敗れたものの、双方ともに実力を出し切ったこの試合はショーンの大ブレイクにつながった。同年8/28、ボディーガード役のディーゼルとのコンビでザ・ヘッドシュリンカーズ(ファトゥ&サムゥ)を破り、ロッカーズ時代には果たせなかったWWF世界タッグ王座獲得を実現。しかし翌日のサマースラムでのIC王座を掛けたディーゼルvsレイザー・ラモンにおいて、誤ってディーゼルにスウィート・チン・ミュージックを見舞ってしまう。これが原因で2人の間に亀裂が生じ、11月のサバイバー・シリーズでのディーゼルの裏切りを誘発することとなった。

翌1995年、ロイヤルランブルでの優勝を経てレッスルマニアXIにてディーゼルの持つWWF世界ヘビー級王座に挑戦したが敗退。この際、新しいボディーガードとしてサイコ・シッドを雇うが敗北の翌日に襲撃され、しばらくの休養に入る。

その年の5月にベビーフェイスとして復帰。7月のイン・ユア・ハウスにてジェフ・ジャレットを破り、3度目のIC王座獲得に成功。8月のサマースラムではレイザー・ラモンとの再度のラダー・マッチにも勝利した。この時期にはクリックのリーダーとして舞台裏での影響力を強め、10月のイン・ユア・ハウスではディーン・ダグラスに王座を明け渡すことを拒否し、負傷による王座返上にアングルを変更させ、同日に仲間のレイザー・ラモンに王座を獲得させている。その後はオーエン・ハートらと抗争したがサバイバー・シリーズの翌日にオーエンにエンズイギリを食らい脳震盪を起こすストーリーを設け、短期間ながら欠場する。ちなみに、布石としてナイトクラブにおいて襲撃されるストーリーもあった。

1996年はロイヤルランブルに一番手として登場し史上初となるロイヤルランブル連覇を達成。レッスルマニアXIIでは、WWF世界ヘビー級王者ブレット・ハートとWWF史上初のアイアンマン・マッチで対戦。入場時は会場のアローヘッド・ポンドの屋外最頂部から滑車を使ってロープを滑り降りるという破天荒なパフォーマンスをやってのけた(この入場シーンの映像はショーンのハイライトを振り返る上で必ずと言っていいほど流される)。試合は後にショーンが「自分の現役生活でも最高の試合」と評するほどの激闘となり、延長戦の末勝利。初のWWF世界ヘビー級王座奪取を果たした。しかし、この時の経緯を巡りブレット・ハートは激怒し、彼との間に大きな確執を残すこととなった。また、同年5月19日にはMSGのリング上でカーテンコールを行い、後々に影響を及ぼしている。

名実ともにWWFの頂点に立ったショーンは、ブレットが長期休養を取ったこともあり、マンカインド、ベイダー、ブリティッシュ・ブルドッグらを相手に防衛を重ねるが、サバイバー・シリーズでサイコ・シッドにWWF王座を奪われた。翌1997/1/19、地元サンアントニオのアラモドームに6万人超の観客を集めたロイヤルランブルで王座を奪回するが、この試合で膝を痛め王座返上し、レッスルマニア13には不出場。しかし、これは直前にブレットが契約更改でビンス・マクマホンから高額な契約金を引き出したことに対しての試合ボイコットであった、という説もある。

復帰後の5/25には、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンと組んでオーエン・ハート&ブリティッシュ・ブルドッグからWWF世界タッグ王座を獲得。この年のサマースラムでは、ブレット・ハート対ジ・アンダーテイカーのWWF世界ヘビー級王座戦のゲストレフェリーを務めた。この試合の決着はショーンのテイカーへのイス攻撃誤爆によってブレットが勝利を奪った。これがきっかけとなりアンダーテイカーとの抗争が勃発、10月のバッド・ブラッドにて初のヘル・イン・ア・セルが行われた。試合は金網の外側にも及び、天井での攻防の末に5メートルしたに落下するなど激闘となり、結末はケインの乱入によってテイカーが敗北を喫した。この抗争の最中、9/20のイギリス・バーミンガム大会において、ブリティッシュ・ブルドッグからWWFヨーロピアン王座を獲得、これによって初のグランドスラムを達成している。

DX〜1度目の引退

1997年秋、再度ヒールターンしてハンター・ハースト・ヘルムスリー、チャイナらとD-ジェネレーションX(略称DX)を結成。ブレット・ハートをリーダーとしたハート・ファウンデーションと抗争を繰り広げた。同年11月、モントリオールで開催されたサバイバー・シリーズにおいて、すでにライバル団体WCWへの移籍が決定していたブレットのWWF世界ヘビー級王座に挑戦。しかし、ショーンがブレットの必殺技のシャープ・シューターを繰り出した瞬間、突如としてショーンの勝ちが宣告される不可解な事件が起こる(モントリオール事件)。結果的にショーンは王者に返り咲き、最大のライバルであったブレットはWWFを去ることになったが、DXは相変わらずの下品で下劣な行為に走っていた。この時期、WWFはライバル団体WCWとの視聴率戦争で苦戦を強いられており、それまでのニュー・ジェネレーション路線から、より過激なアティテュード路線への方針転換の過渡期を迎えていた。DXは、その始まりの象徴的な存在でもあった。

この頃から長年に渡るハードな受身が災いし、持病の椎間板ヘルニアが悪化。そうした中、ロイヤルランブルでジ・アンダーテイカーを相手に棺桶戦を行い、王座防衛こそしたがケガはよくならず、様々な治療やリハビリを試みたがこの時点では回復は困難と見られ、1998年3月29日、レッスルマニアXIVでのWWF世界ヘビー級王座を賭けたストーン・コールド・スティーブ・オースチン戦を最後に一度は引退した。なおストーリー上では、DXに加入して試合の特別立会人を務めたマイク・タイソンが、試合中にショーンを裏切りオースチンの勝利をアシスト、試合後にショーンがタイソンを問い詰めて張り手を放つも、タイソンから反撃のフックを浴びてKOされ、そのダメージが原因で離脱という形になった。

1998年-2001年

引退後は故郷サンアントニオに戻り、プロレスリング・スクール兼WWFファーム団体のTWATexas Wrestling Academy)を設立し、後進の育成に励んだ。TWAには若手時代のタッグパートナーでありAWAやWWFでも活動を共にしたポール・ダイヤモンドもヘッド・インストラクターとして協力しており、卒業生にはブライアン・ケンドリック、ポール・ロンドン、ランス・ケイド、ブライアン・ダニエルソンなど後にWWEで活躍する選手も多い。

また、この時期にはストーリー上WWFのコミッショナーに就任して、テレビにも時折出演。ビンス・マクマホンのコーポレーションに一時的に所属したり、ザ・ロックとトリプルHのアイアンマン・マッチのレフェリーを務めたりしたこともあった。1999/11/23に横浜アリーナで行われたFMW10周年記念大会では、特別レフェリーとして久々の来日も果たしている。私生活においては、親友ケビン・ナッシュの紹介で出会った元ナイトロ・ガールズのレベッカ・カーチと結婚した。

復活

2002年-2005年

2002年、nWoの新メンバーとしてケビン・ナッシュがショーンを連れてくる形で衝撃の復帰を果たしたが、スコット・ホールが不祥事を起こし離脱、ケビン・ナッシュも負傷休場してしまいnWoが崩壊してしまう。その後、ヴェンジャンスにてトリプルHに間接的にD-Generation Xの再結成を呼び掛ける。一時は再結成かと思われたがRAWにおいてショーンを裏切る恰好で抗争が始まり、サマースラムでのトリプルH戦(団体未公認試合)でついにリングへの復帰を果たし見事勝利するが試合後、トリプルHにハンマーで襲撃される。さらに抗争は続きサバイバー・シリーズで初のエリミネーション・チェンバー・マッチで初の世界ヘビー級王座をトリプルHを倒し獲得。年末のアルマゲドンでは決着戦としてスリー・ステージ・オブ・ヘル・マッチが行われ1勝2敗で王座を失った。2003年に入りクリス・ジェリコは自分が次のショーンであり、それ以上だと主張、ロイヤルランブルでは一番手で登場したマイケルズを二番手のジェリコが試合開始前に乱入、何もさせないまま退場させてしまう。抗争の決着は、レッスルマニアXIXでクリス・ジェリコと共に好試合を演じ勝利した。試合後二人は抱擁を交わすがジェリコはショーンに金的を食らわす形で因縁の継続を示唆した。

2003年は世界ヘビー級王者トリプルH、あるいはその派閥エボリューションとの抗争を続け、年末からはトリプルHとの試合を繰り返し、ロイヤルランブルでは世界ヘビー級王座を賭けたラストマン・スタンディング・マッチで決着を計るが血まみれの末に引き分けとなった。同じロイヤルランブルでの覇者クリス・ベノワが王座への挑戦権を得た上に王座挑戦権の死角をつき、当時スマックダウン所属ながらRAWの最高王座に挑戦を表明したため二人の抗争に割り込む形となった。レッスルマニアXXではトリプルH、ベノワとレッスルマニア初の三つ巴戦のメインイベントになりクリス・ベノワが戴冠した。翌月のバックラッシュでの再戦ではモントリオール事件がテーマとなり、ブレット・ハートと関係が深いベノワのシャープシューターにショーンがタップアウトした。以降はトリプルHとの抗争に戻り、バッドブラッドでは世界ヘビー級王座戦を差し置いてノンタイトル戦であるショーン・マイケルズ対トリプルHのヘル・イン・ア・セルがメインイベントとなる。試合は50分に迫る壮絶な激闘となり、お互いの必殺技をキックアウト。最後は合計3発のペディグリーを浴びて敗北、完全決着に至った。翌日のケインの襲撃を期に長期欠場に入った。復帰後はケイン、あるいはエッジと抗争。

2005年のロイヤルランブルにおいてカート・アングルを敗退させて以降、SmackDown!所属のスーパースターであるカート・アングルとの抗争を開始し、レッスルマニア21の番組対抗戦で対決、柔軟な試合をするもアンクル・ロックにタップアウトした。レッスルマニア21以降は一時復活したハルク・ホーガンとチームを組み、バックラッシュまでモハメド・ハッサン、デバリの嫌米チームと抗争。6月に行われたドラフトでカートがRAWへ移籍し、ヴェンジャンスで再戦しスーパーキックを見舞い雪辱を果たした。7/4の独立記念日に開催されたRAWでのマイケルズ&ホーガンvsカート&クリス・マスターズ戦の試合終了後、突如ホーガンにスウィート・チン・ミュージックを浴びせヒールに転向。以降ホーガンとの抗争を開始する。サマースラムのメイン戦でホーガンとのICON対決には敗れたが、再びベビーとなった。秋からは同じくベビーターンしたリック・フレアーと組み、マスターズと抗争を開始。マスターズとの抗争を終え、USAネットワークに戻ったRAWでカートとのアイアンマン・マッチを行い、スウィート・チン・ミュージックを浴びせてフォールするが3カウント直前で時間切れ引き分けとなり、カートに延長戦を呼びかけるがカートが拒否して立ち去った。その後のサバイバー・シリーズでのスマックダウンとの番組対抗の一連の抗争ではRAWの主将を務めたが、チームは敗れた。

2006年-2009年

2006年からは、モントリオール事件についても語られているブレット主演のDVDの発売の際にビンス・マクマホンがブレットを批判するマイクパフォーマンスをしているところにショーンが現れ、「俺はアンタとグルになってブレットをハメた。だが、俺もアンタももういい年こいてるんだから過去のことをいつまでも言わずに前に進め」と発言したことがビンスの怒りに触れ、ビンス、シェイン・マクマホンと抗争開始。サタデー・ナイト・メイン・イベントでのシェイン戦は、シェインがショーンに対してシャープ・シューターを出した瞬間にビンスがゴングを要請して試合が決着するという、モントリオール事件を再現するアングルが組まれた。レッスルマニア22ではビンスとのストリート・ファイト戦が組まれた。最後は特大のハシゴ上空からの数年ぶりにDXチョップをした後にダイビング・エルボー・ドロップをビンスに叩き込み、スウィート・チン・ミュージックで完全粉砕した(同日、別試合でトリプルHもDXチョップをした)。以後もマクマホン親子との抗争は続き、7月、トリプルHと組み、9年ぶりにD-ジェネレーションXを再結成した。相手を小馬鹿にし、時には下品に、時に過激なやり方で翻弄するパフォーマンスを披露し、マクマホン親子の手下であるスピリット・スクワッドやウマガに勝利、最後はビッグ・ショーとマクマホン親子とハンディキャップ・ヘル・イン・ア・セルで、「ビンスのケツにキスする会」を行っているビンスに対して、失神しているビッグ・ショーの尻を丸出しにしてビンスの顔を突っ込ませ、最後はスレッジ・ハンマーで殴打して勝利した。以降はDXを排除するためにタッグを組んだエッジとランディ・オートンのレイテッドRKOを相手に抗争するが翌年のニュー・イヤーズ・レボリューションでの戦い中で、トリプルHが脚を負傷してしまうアクシデントに見舞われる。この事態にDXのストーリーは急遽中止となった。

2007年のロイヤルランブルでは激闘の末、ジ・アンダーテイカーに優勝を奪われた。その後のジョン・シナの持つWWE王座への挑戦権を獲得。レッスルマニア23では負傷で出場できない相方トリプルHのために入場曲にDXのテーマ曲を使用して挑んだが、惜しくも王座奪取はならなかった。 同年、ランディ・オートンに頭を蹴られ(本当は足の怪我)欠場していたが、ノー・マーシーの翌日のRAWで復活した。その後はオートンと抗争。スウィート・チン・ミュージックを幾度となく叩き込むが、サバイバー・シリーズでの王座に挑む条件としてオートンの希望であるスウィート・チン・ミュージックの使用を禁止、ショーンの希望である反則裁定無しのルールのもと行われ、巧みな関節技を駆使して追い詰めながら一瞬の隙を突かれRKOに沈む。その後は、ミスター・ケネディと抗争した。

2008年、ロイヤルランブルでアンダーテイカーと共に1番手として出場したが、ケネディに落とされ失格。 レッスルマニアXXIVでは、ビンスにより試合に負けたら即引退を課されていたリック・フレアーと対戦。「子供の頃からの憧れであるフレアーを引退に追い込みたくない」と乗り気でなかったショーンにフレアーが活を入れる形で勝負、そしてこれに勝利し、フレアーを引退へと導いた。翌日の引退式典で涙の抱擁をかわした。 その後はバティスタやクリス・ジェリコにフレアーを引退させたこと責められる恰好で抗争する。特にジェリコとの戦いは私闘に発展していった。サマースラムでの今後の進退発表の場でジェリコに自分の実妻に対して結果的に拳を見舞われ激しく憤る。それはアンフォーギヴェンでの非公認試合にまで発展し、狂騒ともいえる内容になった。試合には勝利したが、ジェリコが同日の王座戦に出場し王者になったことで、今度は王座に照準を定める。決着はノー・マーシーでのラダー・マッチ形式世界ヘビー級王座となった。惜しくも王座獲得はならなかった。サバイバー・シリーズでチームJBLなどとの抗争で主将を務め勝利するなど番組の中心として活躍するが、アルマゲドンにて景気悪化の煽りを受け破産状態になったと「告白」、JBLの"従業員"となって彼の試合に介入、観客からブーイングを浴びると共にトリプルHとの仲も微妙になり、悩めるベビーフェイスとして葛藤の日々を続けた。

しかし2009年のノー・ウェイ・アウトで行われた、マイケルズが勝ったら今までの報酬が全て支払われるが負ければHBKやショーン・マイケルズの名前の権利がJBLに奪われるという "オール・オア・ナッシング" マッチに勝利し、ハート・ブレイク・キッドが復活した。

2月のRAW放送ではそれまで無敗を誇っていたウラジミール・コズロフをスウィート・チンで下すなど破竹の快進撃を続け、「ミスター・レッスルマニアの誇りに懸けてレッスルマニアXXVでアンダーテイカーのレッスルマニア無敗記録(16勝0敗)を破る」と宣言。

その後のスマックダウンにおいてテイカーの入場衣装と似ている白い衣装を着て現れ、「俺はテイカーを尊敬しているが恐れてはいない。たしかにお前はレッスルマニアで16勝無敗かもしれないが、俺はミスター・レッスルマニアだ。テイカーは暗黒より生まれた邪悪な力だが、俺は天界より生まれし聖なる力だ」と宣言して挑発。その後のRAWとスマックダウンにおいてもあの手この手でテイカーを挑発、翻弄して迎えたレッスルマニアXXVでは激闘の末に敗れ、テイカーの無敗記録を止めることはできなかった。この大会後は長期休養に入った。

その後8月放送のRAWにおいてランディ・オートン率いるレガシーのコーディ・ローデスとテッド・デビアスとのハンディキャップマッチに敗れたトリプルHが「テキサスに電話を一本かけるか」とDXの復活を示唆。翌週テキサスに飛び、とある会社の食堂でシェフをしていたショーンを発見する。ショーンは「俺はWWEに復帰する気はない。会社はシェフとしての俺を尊敬してくれてる」と言ったが直後に上司に罵倒され、スウィート・チンで撃沈。DXが再結成した(このスキットは映画『レスラー』のパロディ)。 再結成後はレガシーのローデス&デビアスと抗争。サマースラムではDXが勝利するが、モントリオールで開催されたブレーキング・ポイントでは史上初の試合形式であるサブミッション・カウント・エニウェア・マッチで闘い、モントリオール事件を根に持つ観客から "You screwed Bret!" のチャントが湧き起こるなかでローデスの鉄柱4の字固め、デビアスのミリオンダラー・ドリームのダブル攻撃に屈してしまい、DXとしては初めてのタップアウト負けを喫した。3度目の対戦となるヘル・イン・ア・セルでは勝利し、決着がついた。

12月に開催されたTLCでのTLC戦でクリス・ジェリコ&ビッグ・ショー組に勝利し、DX初の統一タッグ王者となる。

2010年 2度目の引退

2010/1/4のRAWで12年ぶりにWWEに復帰したブレット・ハートに呼び出され、モントリオール事件以来、確執が続いていると思われた両者が握手をして抱き合い、和解した。

翌週の1/11のRAWのゲストホストを務めたマイク・タイソンに対して、1998年のレッスルマニアXIVにてタイソンがDXを裏切ってマイケルズを引退に追い込んだ件の和解を求めたが拒否され、そこにDXによってRAWを追放されたクリス・ジェリコが割り込み、同日のメインイベントとしてDXvsジェリコ&マイク・タイソンのタッグ戦が実現。しかし、試合中にタイソンが自分の着ていたTシャツを脱ぐとその下にはDXのTシャツを着ており、ジェリコを裏切ってフック一撃でKOし、DXが勝利。12年前のレッスルマニアXIVでタイソンがマイケルズを裏切ってKOした後にオースチンのTシャツを着た場面を思い起こさせる決着で、試合後はタイソンとタイソンの息子と共に勝利を喜び合った。

2009年12月14日のRAWにおける2009年度WWEのスラミー賞授与式典において、レッスルマニアXXVのショーン・マイケルズ対ジ・アンダーテイカー戦が年間最高試合に選ばれ、受賞スピーチにてショーンが「俺はミスター・レッスルマニアだ! 次こそ俺はテイカーをレッスルマニアで倒せる! 俺とレッスルマニア26で再戦しろ!」と発言して以降、レッスルマニアでのアンダーテイカーへのリベンジに執念を燃やすようになる。

2010/1/18のRAWに現れた世界ヘビー級王者ジ・アンダーテイカーはショーンに対して、「たしかにお前はレッスルマニアで俺に挑んできた者の中でミスター・レッスルマニアに相応しく最も俺を追い詰めたが、それでも俺はお前を倒した。俺がもう一度お前に勝って何を得られると言うのだ? レッスルマニア26での再戦はしない。その代わりに今夜お前と戦ってやる」と返答。それに対してマイケルズは「今夜ではなくお前のレッスルマニア無敗記録を破らなければ、俺のミスター・レッスルマニアとしての誇りが許さない! お前が俺との再戦を望まないなら、俺はロイヤルランブルで優勝してレッスルマニア26でお前の世界ヘビー級王座に挑戦する!」と宣言。

翌週のRAWにてDXの相棒であるトリプルHに対して「俺達は友達だろ? 今年だけでいいから俺に優勝を譲ってくれ」と言うが、「お前の気持ちは痛いほど分かるが、WWEの全てのレスラーがレッスルマニアのメインイベント出場と世界王座を欲しがってるし、その目標を持たない奴はWWEから去るべきだ」と拒否され、納得こそしたものの、以降はギクシャクした関係になる。そしてロイヤルランブルで18番手として登場し、相棒のトリプルHを退場させるなど非情に徹するものの、30番目に登場したバティスタに落とされ、失格した直後は制止してきたレフェリーに八つ当たりのスウィート・チン・ミュージックを浴びせた。翌日のRAWでは完全に意気消沈してモチベーションを失い、エリミネーション・チェンバーでのWWE王座戦出場出場を懸けたランディ・オートンとの一戦では優勢に戦いながらも一瞬の隙を突かれて敗れた。試合後に心配して声をかけてきたトリプルHに対して、「テイカー以外に戦うべき相手なんていない」とだけ答えて去った。

2月8日のRAWでは、統一タッグ王座の防衛戦の試合前にトリプルHに対して「俺達はまだDXとしてレッスルマニアに出場したことがないから、レッスルマニア26では統一タッグ王座の防衛戦をやろうぜ!」と持ちかけるも、「俺はエリミネーション・チェンバーでのWWE王座戦に勝ってレッスルマニアのメインイベントに出場するつもりだから、お前とのタッグ戦をやるためにチェンバー戦にわざと負けるわけにはいかない」と拒否され、同日の防衛戦では自暴自棄になったショーンが勝利目前にブラインドタッチで勝手に交代した隙を突かれてビッグ・ショー&ザ・ミズに敗れて統一タッグ王座を奪われる。試合直後にテイカーが所属するSmackDown!のゼネラルマネージャーのセオドア・ロングに対して「エリミネーション・チェンバーでSmackDownの世界ヘビー級王座戦に出場させてくれ!そこで俺が世界王者になってレッスルマニア26でテイカーと防衛戦ができるなら俺はDXを捨ててSmackDownに移籍してもいい!」とまで必死の形相で懇願するが、既に出場メンバーが決まっていると拒否され、かけつけたトリプルHに「テイカー戦にこだわってDXとお前のキャリアまで捨てるのか!?」と問い詰められると、「俺のキャリアはもう終わりだ」と吐き捨ててロングGMにスウィート・チン・ミュージックを浴びせて立ち去った。

2/21のエリミネーション・チェンバーで行われたエリミネーション・チェンバー・マッチ方式での世界ヘビー級王座戦 にて、アンダーテイカーの世界王座防衛目前でリング下から突如としてショーンが乱入してテイカーにスウィート・チン・ミュージックを浴びせてテイカーを王座から陥落させた。翌日のRAWでテイカーに対して「俺に復讐したいだろ? ならレッスルマニア26で俺と再戦すればいい」と語ると、テイカーが「いいだろう。しかし一つ条件がある。俺に負けたら現役を引退しろ!」と返答し、ショーンが「勘違いするな。最初から俺はレッスルマニアでお前を倒すことにすべてを懸けてるんだ!」と応じたため、再戦が実現。

3/1のRAWの冒頭でリングに上がったショーンは「控え室にいる連中が“引退を懸けてテイカーの無敗記録に挑むなんてクレイジーだ”と小声で話してやがる。だが、この地球上の誰もが知ってる通り俺はミスター・レッスルマニアだ! 俺がレッスルマニアでテイカーに勝てないと思う奴は叩き潰してやるから今すぐ出て来い!」とマイクアピールすると、親友のトリプルHが登場し、ショーンは呆然としながら「15年来の親友のはずのお前が俺を信じないのか!?」と詰め寄ると、トリプルHは「お前がレッスルマニアでテイカーに勝てるかだって? 絶対に勝てる!! 観客やテレビカメラのことは忘れて俺の目を見てよく聞け! 俺は今まで15年以上も数々の強敵と戦ってきたが、間違いなくお前が最強だ!! 控え室の連中やファンから勝つと信じてもらえなきゃ不安か? そんなものが無くても、あの祭典の夜に立ったお前は“真のミスター・レッスルマニア”だ!! 俺達はレッスルマニアに向けて別々の道を歩むが確信を持って言えるのは、DXは決して死なない!! だが、これから祭典まで俺達はタッグを組めなくなる。だから俺は今夜WWE統一タッグ王座戦の再戦権を行使した。俺はタッグ王座奪回にこだわってるわけじゃない。タッグ王座を獲得したら30日以内に防衛戦を戦わなければならない。だから28日後、つまりレッスルマニア26翌日のRAWで、テイカーに勝って現役続行してるお前と一緒にタッグ王座防衛戦をやってDX流の祝勝会をやろうぜ!! 俺がお前とタッグ王座獲得を目指すのは、お前が絶対にレッスルマニアでテイカーに勝つと信じている証だ!!」と熱い友情と信頼を示し、ショーンも承諾したため同日のメインイベントでビッグ・ショー&ザ・ミズとの統一タッグ王座戦での再戦が実現。試合はDXが息の合った連携で優勢に進め、勝利を目前とした瞬間にタイタントロンにテイカーが映り、ショーンに向かって白目を剥いて睨みつけて心理戦を仕掛けられ、その隙を突かれて丸め込まれて3カウントを奪われて敗北、統一タッグ王座奪回はならなかった。

3/28、レッスルマニア26でアンダーテイカーのレッスルマニア無敗記録とショーンの現役引退を懸けた反則裁定無しの試合が行われた。この試合はWWE王座戦と世界ヘビー級王座戦を差し置いてメインイベントとして行われ、前年の対戦に勝るとも劣らないプロレス史上最高の名勝負を繰り広げた。終盤、アンダーテイカーの必殺技ツームストーン・パイルドライバーを浴びてもショーンはキックアウト。テイカーが首を掻き切るポーズでもう一発ツームストーンを放つ意思を示そうとしたが、敗れれば引退することになるショーンに対してトドメを刺すことを躊躇する。しかし、ショーンは「情けは無用だ!」とばかりにテイカーの代名詞である首を掻き切るポーズで挑発して張り手を浴びせ、激怒したテイカーのジャンピング・ツームストーン・パイルドライバーを浴びて敗北、引退が決定する。

翌日のRAWの放送で、引退セレモニーが行われ、ファンへの感謝を述べた。ファンは「Please, don't go!」「One more match!」など留意を促すチャントを何度も飛ばし、ショーンへの敬意を表すために顔を見せたアンダーテイカーに対して途中までブーイングを浴びせるなどした(極悪ヒールを演じていてもブーイングをほとんど浴びないアンダーテイカーにブーイングが飛ばされるのは異例のこと)。そして番組の最後でトリプルHと抱き合い、DXが3度目の終焉を迎えた。

以降もテレビに出演したり、地元サンアントニオでのRAWのバックステージに遊びにきたりと、元気な姿を見せている。

2011年にはWWE殿堂入りが発表され、それを受け1/10のRAWに登場した。スピーチを行おうとしたところに乱入し、「あんたに代わり俺が新たなミスター・レッスルマニアになる」と挑発するアルベルト・デル・リオにスウィート・チン・ミュージックを叩きこみ、現役時代と変わらぬ声援を集めた。

4月2日に行われたWWE殿堂セレモニー当日は「引退を後悔していない」と語り、家族をはじめとした自分を支えてくれた人々に感謝の言葉を述べた。スピーチの後にプレゼンターのトリプルHに加えクリックのケビン・ナッシュとショーン・ウォルトマンの祝福を受けた。

評価

派手なパフォーマンスが注目されがちであるが、身体能力と受身技術は非常に高く、リック・フレアーらの前世代のマットレスリング技術を継承している数少ない一人である。また、相手や状況によって様々なファイトスタイルを選ぶことができ、飛び技やラフファイト(特にラダー・マッチに関しては当代の第一人者の一人と言われる)からサブミッションまで、あらゆる局面に巧みに対応することができる稀有なレスラーである。レッスルマニアなどの大舞台でも、極めて高いパフォーマンスを安定して残しており、リック・フレアーが彼を「Mr.レッスルマニア」と呼ぶのにも頷ける。キャリア末期は故障の蓄積や身体能力の衰えもあり、かつてのようなスピードや跳躍力をメインにした試合の組み立てはしなかったものの、レスリングテクニックと華やかなパフォーマンス、そしてここぞという時に見せる華麗かつ大胆な飛び技は健在だった。

獲得タイトル

WWF / WWE
  • WWE王座 : 3回
  • 世界ヘビー級王座 : 1回
  • インターコンチネンタル王座 : 3回
  • WWF欧州王座 : 1回
  • WWFタッグ王座 : 3回(w / ディーゼル×2、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン×1)
  • 世界タッグ王座 : 1回(w / ジョン・シナ)
  • WWE統一タッグ王座 : 1回(w / トリプルH)
  • ロイヤルランブル優勝(1995年、1996年)
  • グランドスラム達成(1997年)
  • WWE殿堂入り(2011年)
NWA
  • NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座:1回(w / マーティ・ジャネッティ)
AWA
  • AWA世界タッグ王座:2回(w / マーティ・ジャネッティ)
CWA
  • AWA南部タッグ王座:2回(w / マーティ・ジャネッティ)
その他
  • TASWテキサス・タッグ王座:2回(w / ポール・ダイヤモンド)
  • TWAヘビー級王座:1回
PWI
  • 最優秀抗争(2008) vsクリス・ジェリコ
  • 年間最高試合(1993)vsマーティ・ジャネッティ戦 マンデーナイトRAWにて
  • 年間最高試合(1994)vsレイザー・ラモン戦 レッスルマニアXにて
  • 年間最高試合(1995)vsディーゼル戦 レッスルマニアXIにて
  • 年間最高試合(1996)vsブレット・ハート戦 レッスルマニアXIIにて
  • 年間最高試合(2004)vsクリス・ベノワ、トリプルH戦 レッスルマニアXXにて
  • 年間最高試合(2005)vsカート・アングル戦 レッスルマニア21にて
  • 年間最高試合(2006)vsビンス・マクマホン戦 レッスルマニア22にて
  • 年間最高試合(2007)vsジョン・シナ戦 4月23日のマンデーナイトRAWにて
  • 年間最高試合(2008)vsリック・フレアー戦 レッスルマニアXXIVにて
  • 年間最高試合(2009)vsジ・アンダーテイカー戦 レッスルマニアXXVにて
  • 年間最高試合(2010)vsジ・アンダーテイカー戦 レッスルマニアXXVIにて
  • 最も心に残ったレスラー(2010)
  • 最も人気のあったレスラー(1995)(1996)
  • 最優秀レスラー(1996)
Wrestling Observer
  • 五つ星試合(1994)vsレイザー・ラモン戦 レッスルマニアXにて
  • 五つ星試合(1997)vsジ・アンダーテイカー戦 バッド・ブラッドにて
  • 最優秀ベビーフェイス(1996)
  • 最優秀抗争(2004)vsトリプルH&クリス・ベノワ
  • 最優秀抗争(2008)vsクリス・ジェリコ
  • 年間最高試合(1994)vsレイザー・ラモン戦 レッスルマニアXにて
  • 年間最高試合(2008)vsクリス・ジェリコ戦 ノーマーシーにて
  • 年間最高試合(2009)vsジ・アンダーテイカー戦 レッスルマニアXXVにて
  • 年間最高試合(2010)vsジ・アンダーテイカー戦 レッスルマニアXXVIにて
  • 最もカリスマのあったレスラー(1995)(1996)
  • 最優秀タッグ(1989)withマーティ・ジャネッティ (ザ・ロッカーズ)
  • レスリング・オブザーバー殿堂入り (2003年)

入場曲

  • Sexy Boy
現在は自らのボーカル。当初はマネージャーを務めていたセンセーショナル・シェリーがボーカルのバージョンだった(現バージョンでは喘ぎ声のみ)。
  • Break It Down

その他

  • 1996年、PWI500(ProWrestlingIllustrated誌が選ぶプロレスラーベスト500)で1位に選出。
  • 1997年にはヨーロピアン王座の獲得によりWWE史上初のグランドスラム(IC王座、欧州王座、WWFタッグ王座、WWF王座を獲得)を達成。
  • WWEでは初のグランドスラム、ラダー・マッチ、ヘル・イン・ア・セル、エリミネーション・チェンバー・マッチ、ロイヤルランブルで一番手での優勝とパイオニアとしての話題に事欠かない。
  • 2005年秋に自伝『Heartbreak & Triumph』を発売。
  • 自称、物凄い音痴。入場曲『Sexy Boy』は自ら歌っているが、かなり編集され、聞ける所までになったと言っている。
  • ケビン・ナッシュ、スコット・ホール、ショーン・ウォルトマン(1-2-3キッド、Xパック)、トリプルHとは団体の垣根を超えた親友の間柄にあり、正式なユニットではないが「KLIQ」(クリック)と呼ばれる。

DVD(日本語)

  • WWE ショーン・マイケルズ マイ・ジャーニー [2010]
  • WWE ショーン・マイケルズ ハートブレイク・アンド・トライアンフ(3枚組) [2008]
  • WWE DX ニュー・アンド・インプルーブド [2007]再結成後
  • WWE D-ジェネレーション-X [2006]VHS版の再発売
  • WWE ショーン・マイケルズ ボーイフッド・ドリーム [2004]
  • WWE ショーン・マイケルズ フロム・ザ・ヴォルト [2003]


薬師寺 保栄
1968/7/22

元プロボクサーでタレント、俳優、ボクシング解説者。大分県津久見市出身、愛知県小牧市育ち。現役時は松田ボクシングジム所属。元WBC世界バンタム級王座で4度王座を防衛した。現役時代の入場曲はアース・ウィンド・アンド・ファイアーの「Let's Groove」。


椿 志保
1973/7/22

日本のプロレスラー、パフォーマンス集団RING主催。本名は中見川 志保(なかみがわ しほ)。

経歴

7歳から空手、13歳からレスリングを習い、全日本大会では最高3位という成績を残す。14歳から全日本女子プロレスの練習生となり、15歳の時に道場で練習しているところを「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のプロデューサーにスカウトされ、同番組に2度出演。その出演が全日本女子プロレス会長であった松永高司の目にとまり、1990年1月、16歳で全日本女子プロレスオーディションに合格。同年12月にプロデビュー。同年の新人王トーナメントにて優勝し、新人王を獲得。

1993年に同団体を引退し、1995年、W★INGプロモーション所属の金村ゆきひろ(現・金村キンタロー)と結婚。

2000年には渡米し、当時ハードコア・スタイルを中心としていたプロレス団体ECWにて日本人初のディーヴァとなる。

2005年に金村と離婚。同年にパフォーマンス集団RINGを設立し、同団体の代表に就任する。六本木ヴェルファーレやShibuya O-EAST等でのイベントをプロデュースし、インターネットテレビGyaOにて配信。プロレスと他ジャンルの融合を目指す。また、2007年にはプロレスラーとしてリング復帰し、現在はインターネットTV夢現代(むげんだい)の運営等を手掛けるプランニング・プロデューサーとして活動する傍ら、レスラーとしてKAIENTAI-DOJO等にも参戦中である。

2011年より東京国際テレビの番組制作会社MINATO ENTERTAINMENT INC.のプロデューサーとして活動開始。


椿志保


藤本 祐介
1975/7/22

日本のキックボクサー。京都府出身。MONSTER FACTORY所属。正道会館京都支部に入門し、後にプロとしてK-1に転向。現在は主に正道会館本部道場でトレーニングを積んでいる。

がむしゃらにパンチを振り回すことから、JAPANのブンブン丸と呼ばれている。パワーの強さは日本人選手随一と言われており、4トンのバスを引っ張ることが出来る。パンチのみでなく、キックの威力も割と高い。

K-1戦士養成学校モンスターファクトリーオーディションの1期生であり、かつてノブ・ハヤシ、鈴木政司と共に「K-1 JAPAN モンスターパワーズ」というユニットを結成していた。

来歴

2006/6/3、K-1 WORLD GP 2006 in SEOULで優勝。デビュー10年目にして初めてGP開幕戦への切符を手に入れた。なお、K-1の海外予選で日本人が優勝したのは藤本が初めてである。

2006/9/30、K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦でアーネスト・ホーストと対戦。左右のフックで果敢に飛び込むも、カウンターのローキックを浴びせられ3RKO負け。

2007/3/4、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAで武蔵を延長の末に左ハイキックでKOし、4年前のK-1 JAPAN GPの借りを返した。

2007/4/28、K-1 WORLD GP 2007 in HAWAIIにおいて、バダ・ハリとK-1ヘビー級(100kg以下)初代王者決定戦を行ない、圧倒的な差を見せ付けられ、ハイキックで1RKO負け。

2007/8/5、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGで開催されたASIA GPに出場。1回戦では石洪堅に3R判定勝ち、準決勝では金泰泳にKO負けしたものの、金のドクターストップにより決勝進出。決勝では王強と対戦、KO勝ち。ASIA GPの2連覇を達成した。

2007/9/29、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16で澤屋敷純一と対戦。1Rに左フックで鼻から出血させた。しかし、その後はカウンターやストレートを喰らい続け、数度のダウンを喫した。3R、スタミナが切れ3ダウンを奪われてKO負け。

2008/4/13、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAで極真空手世界王者エヴェルトン・テイシェイラと対戦。延長2Rに3度のダウンを奪われKO負け。この試合で右腕を骨折した。

人物

  • 1日6時間、365日休まず毎日練習を続けている。しかし、こうした妥協を許さない性格が災いしたのか、K-1デビュー後程なくして、頭髪および眉毛を失った。しかし、本人はさほどこのことを気にかけておらず、逆に、スキンヘッド姿が藤本の特徴となった。また、眉毛が再び生えたことを自身のブログの中で喜んでいた。
  • 以前は整体師として生計を立てていたが(ブログで白衣姿を披露したこともある)、現在は整体の仕事を辞めている。
  • 無名時代に永谷園「カルシウムふりかけ」のCMに出演したことがある。
  • 2009年12月に本格的に出張整体を始める。

獲得タイトル

  • 第1回モンスターチャレンジ 重量級 優勝
  • モンスターチャレンジ2000 重量級 優勝
  • K-1 JAPAN GP 2003 準優勝
  • K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII 準優勝
  • K-1 WORLD GP 2006 in SEOUL 優勝
  • K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG 優勝


アブドーラ小林
1976/7/22

本名:小林洋輔(こばやし ようすけ)は日本出身のプロレスラー。長野県千曲市出身。身長175cm、体重130kg。大日本プロレス所属。愛嬌あるキャラクターとして君臨している。プロレスでの師匠はアブドーラ・ザ・ブッチャー。リングネームもその師匠の名前から取っている。師匠譲りのファイトを展開し、「信州信濃の流血マシーン」の異名を持つ。自ら起業したレスラーズ運輸という運送会社の代表を務める傍ら、「スーパー銭湯おふろの国」での催しとしてマグロ・鮭・タコ・真鯛・ロブスターなどとも戦ってきた。

経歴

大日本プロレスの草創期メンバーの一人。2004年まではBJW認定デスマッチヘビー級王座に一歩届かなかったものの、2005年は関本大介とのコンビ、「マッスル&ファットです。」を結成し、これが観客に大ウケ。パワー溢れるプレーを持ち前に、伊東竜二&佐々木貴組、「045邪猿気違's」こと葛西純&"黒天使"沼澤邪鬼と抗争を繰り広げていた。

2005/10/14、後楽園ホールで「045邪猿気違's」と空位になっていたBJW認定タッグ王座を争い、「蛍光灯250本デスマッチ」で激突。試合途中からはズボンを脱ぎ捨ててふんどし姿で奮闘し、見事必殺のダイビング・バカチンガーエルボーwith蛍光灯で葛西を沈め、タッグ王者に輝いた。

さらに12/21横浜文化体育館大会で伊東のBJW認定デスマッチヘビー級王座奪取をかけて「蛍光灯&建築現場デスマッチ」で激突。見事に打ち負かしてタイトルを奪取した。

しかし、その後の試合は2006年3月現在全て全敗、しかも全てタッグ戦でほとんどパートナーがやられてばかりで、挙げ句の果てには、伊東竜二や佐々木貴に「ベルトの価値を落とした」とボロクソに罵られる始末。これが発端となり、2006/3/31、佐々木貴との防衛戦として、「蛍光灯&剣山デスマッチ」を行ったが、敗戦。ベルトを失ってしまった。

2007/9/24後楽園大会「デスマッチ・ロイヤルランブル」で優勝し、デスマッチヘビー級次期挑戦権を獲得し、第21代王者・"黒天使"沼澤邪鬼と、10/14後楽園大会で、長嶋茂雄の通算本塁打数にちなんだという「蛍光灯444本デスマッチ」で対戦したが、あえなく敗戦。再度のベルト奪取はならなかった。

2010年には渡米したうえでコンバット・ゾーン・レスリングのトーナメント・オブ・デスに参戦。ニック・ゲージとの第一回戦を制したのち、JCベイリーとの第二回戦で敗れ去った。

戴冠歴

  • BJW認定デスマッチヘビー級王座
  • BJW認定タッグ王座
  • WEWハードコアタッグ王座
  • スーパー銭湯ヘビー級

入場曲

  • 「新・仁義なき戦いのテーマ」布袋寅泰
  • 「B・BLUE」BOOWY

その他

小学生の時点で170センチメートルの身長に80キログラムの体重を誇っていた。

公式プロフィールには身長175cmとなっているが実際は174cmである。 大日本プロレスの入団条件のひとつに身長が175cm以上というものがあり、アブドーラ小林はこの条件をクリアするために面接担当であったグレート小鹿社長の前で密かにつま先立ちしていた。小鹿自身はその工作を既に見抜いていたが、アブドーラ小林の眼差しの強さに「この子は本当にプロレスが好きなんだな」と感じ取り入団を許したという。(MBSラジオ・ゴー傑Pにて発言)

2005年の5月に『大日本プロレス運輸』という運送会社を起業。しかしながらこの社名がそれ以前からあった『プロレス運輸』という同業者の登録商標を侵しているとして訴訟を受けるに至り、同年の12月をもって『レスラーズ運輸』と改称。 以来この会社の代表を務め、スタッフには大日本プロレスの同僚らを起用してきた。 鶏料理を売りとする「居食酒屋海坊主」を新横浜で経営してもいたが、2011年東北地方太平洋沖地震で被害を受け、店舗復旧の目処がたたない為、同年3月31日を持って閉店した。

「スーパー銭湯おふろの国」ではサウナイベント《ロウリュウサービス・ハマ熱波》でサウナへの情熱を親方として若手に指導。サウナでのサービスロウリュ・アウフグース全国のスパ・健康ランド・スーパー銭湯・温泉施設の加盟する日本ロウリュ熱波ワークの親方である。2008年8月には激流素麺、11月には突撃ウナギとも戦った。2010年4月にはスーパー銭湯おふろの国のサウナ激汗サービス“ハマ熱波“(ロウリュ)において人類未到の15時間16回熱波を達成。

ソフト・オン・デマンドの「女空手家vsレイプ魔」にレフリーとして出演している。

インターネットラジオ・オフロナイトニッポンレギュラー出演。

セブンスターを愛煙。強いのが好き。(本人談)

最近では実家の飼い猫「レオ」が巨大ネコとして話題となり、小林自身もネコを飼い、同様に体格がいいという。



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今日のプロレス 興行日程
[今後の興行]
お近くの人は是非見に行きましょう!

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団体 会場 / 時間
新日本
北海道・函館市民体育館 18:30

棚橋弘至、永田裕志、本間朋晃 vs 中邑真輔、飯塚高史、ヒデオ・サイトー
真壁刀義、小島聡、MVP vs 鈴木みのる、TAKAみちのく、タイチ
後藤洋央紀、KUSHIDA vs 矢野通、石井智宏
天山広吉、井上亘、プリンス・デヴィット、田口隆祐 vs 田中将斗、高橋裕二郎、外道、邪道
獣神サンダー・ライガー、三上恭佑 vs タイガーマスク、高橋広夢
キング・ファレ vs 渡辺高章

全日本
富山・ありそドーム 18:30

諏訪魔/船木誠勝/近藤修司vs真田聖也/征矢学/浜亮太
曙/MAZADAvs関本大介/岡林裕二
カズ・ハヤシ/稔vsKAI/大和ヒロシ
KENSO/レネ・デュプリvs中之上靖文/大森隆男
太陽ケアvs曹駿
ジョー・ドーリングvsBUSHI

ノア
静岡・ふじさんめっせ 18:30

第5回日テレG+杯ジュニア・ヘビー級タッグリーグ戦
Bブロック
中嶋勝彦/梶原慧vs小峠篤司/原田大輔

第5回日テレG+杯ジュニア・ヘビー級タッグリーグ戦
Aブロック
高岩竜一/浪口 修vsジャック・エバンス/アエロ・スター

ドラゴンゲート
NEX 第80回大会
神戸ドラゴンゲートアリーナ 19:30

健介オフィス
埼玉・健介オフィス道場 19:30

宮原健斗vs柴田正人(STYLE-E)

西川潤/志賀賢太郎vsバラモンケイ/バラモンシュウ

なまずマンvs新井健一郎(DRAGON GATE)

K-DOJO
第57回茂原七夕まつり
千葉・茂原七夕まつりフェスタ21 18:00

【出場予定選手】茂原七夕7(セブン)、マリーンズマスク、真霜拳號、HIROKI、稲松三郎、関根龍一、他

19時女子プロレス
IW19選手権
都宮ちい×真琴

志田光&エイプリル・デイヴィッズvs藤本つかさ&つくし


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試合結果


◆新日本

石井智宏、○矢野通[10分52秒 片エビ固め]×KUSHIDA、後藤洋央紀
MVP、小島聡、○真壁刀義[14分8秒 体固め]×タイチ、TAKAみちのく、鈴木みのる
本間朋晃、永田裕志、○棚橋弘至[15分15秒 片エビ固め]ヒデオ・サイトー、×飯塚高史、中邑真輔

◆全日本

○デュプリ、KENSO[14分33秒 首固め]大森隆男、×中之上靖文
岡林裕二、○関本大介[13分13秒 ぶっこ抜き原爆固め]×MAZADA、曙
近藤修司、船木誠勝、○諏訪魔[22分45秒 体固め]×浜亮太、征矢学、真田聖也

◆ノア

▽日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦Aブロック
○アエロ・スター、エバンス(2点)[13分7秒 片エビ固め]×浪口修、高岩竜一(2点)
▽同Bブロック
梶原慧、○中嶋勝彦(2点)[18分13秒 エビ固め]原田大輔、×小峠篤司(0点)
○吉江豊、森嶋猛[16分30秒 体固め]×谷口周平、潮崎豪

◆ドラゴンゲート

○スペル・シーサー[7分48秒 エビ固め]×ジャクソン・フロリダ
○琴香[8分40秒 ハーモニー]×シーサーBOY
トマホークT.T、○Kzy[10分35秒 片エビ固め]×超神龍、リッチ・スワン

◆健介オフィス

○新井健一郎[10分38秒 KO]×なまずマン
○バラモンケイ、バラモンシュウ[14分10秒 片エビ固め]志賀賢太郎、×西川潤
○宮原健斗[13分2秒 原爆固め]×柴田正人

◆K-DOJO

○HIROKI[6分44秒 片エビ固め]×関根龍一
マリーンズマスク、真霜拳號、○茂原七夕7[16分57秒 片エビ固め]×千葉怪人B、千葉怪人A、稲松三郎

◆19時女子

○エイプリル・デイヴィッズ、志田光[9分18秒 原爆固め]つくし、×藤本つかさ
▽IW19選手権試合
都宮ちい(王者)[時間切れ引き分け]真琴(挑戦者)


  


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