マーク・ヘンリー
Mark Jerrold Henry
1971/6/12
アメリカ合衆国テキサス州出身の元ウエイトリフティング選手、現プロレスラー。WWEのRAW所属。セクシャル・チョコレート(Sexual
Chocolate)、ワールド・ストロンゲスト・マン(World's Strongest
Man)のニックネームを持つ。
来歴
プロレスラーとなる前は重量挙げ選手として、1992年のバルセロナオリンピックに出場し、10位となる。1995年のパンアメリカン競技大会では銀メダルを獲得した。
1996年 -
2001年
1996年のアトランタオリンピックの後、WWF(現WWE)と異例の10年契約を結び、プロレスラーへ転身。スチュ・ハートとブレット・ハートのトレーニングを受け、1996/9/22のジェリー・ローラー戦でデビューを果たす。
当初は元重量挙げ選手であることを生かし、車をも持ち上げる怪力キャラクターのベビーフェイスとして登場。ほどなくしてファルーク率いる「黒人政治結社」ネーション・オブ・ドミネーション(NOD)に加入し、ヒールに転向する。NODの消滅後、セクシャル・チョコレートを名乗るプレイボーイ・ギミックに変身。チャイナとのデートなどのスキットを番組内で展開した。1999年には元NODのメンバーでもあったディーロ・ブラウンを下し、WWFヨーロピアン王座を獲得。
この時期にヘンリーが関わったアングルで特筆すべきは、2000年初頭に展開されたメイ・ヤングとの恋愛ストーリーである。このストーリーは、ヘンリーとヤングが肉体関係を持ち、妊娠したヤングが手だけを出産してしまうというものだった。これはWWE史に残る珍場面として有名なシーンである。同年、体重オーバーによりOVWに降格。2001年から2002年始めまでは再び重量上げの大会などに参加するようになり、ワールド・ストロンゲスト・マン・コンテストにも出場した。
2002年 - 2007年
2002年春、WWEがブランド分けを行った際はスマックダウンにドラフト9位で指名され、一軍に復活。しかし程なくして脚を故障、手術とリハビリのため約一年に渡って欠場。
2003年8月、RAWで復帰して、当時「黒人の地位向上運動家」ギミックのマネージャーだったセオドア・ロングの部下となる。相変わらずの怪力でビル・ゴールドバーグやブロック・レスナーなどにも対抗する存在として活躍するが、2004年1月、RAWに移籍してきたばかりのクリス・ベノワとの試合で肩を負傷し、再び手術となり長期欠場。
2005/12/27のスマックダウンで、突如MNM対バティスタ&レイ・ミステリオとの試合に乱入し、約2年ぶりにWWEに復帰。バティスタがヘンリーとの試合中に怪我で長期欠場に入ったため、代わってカート・アングルとの抗争を展開、デバリをマネージャーに世界ヘビー級王座にも挑戦。WrestleMania
22ではジ・アンダーテイカーと対戦し敗北。
2006/7/7、抗争途中だったバティスタがスマックダウンにて復帰。二人の決着はPPVのThe Great American Bash2006にて付けられる事となったが、PPV目前のSaturday
Night's Main Event XXXIIIの試合でヘンリーが膝を負傷してしまい、バティスタの対戦相手は急遽Mr.ケネディに変更された。この怪我は深刻であり、またも長期欠場となってしまう。
2007年の5月にアンダーテイカーを襲い復帰。ケインと抗争をした後はジョバーと対戦することが多く、アンフォーギヴェンでアンダーテイカーの復帰に伴い対戦するも敗退。同年をもってWWEとの10年契約が切れ一時はレスラー引退という憶測も飛んだが、最終的にはWWEと再契約した。
2008年
6月に行われたドラフトでECWへ移籍。6/29に行われたPPVWWEナイト・オブ・チャンピオンズではケインの保持するECW王座を賭けてビッグ・ショー、ケインとトリプル・スレット形式で勝利し、新王者となる。
翌週のECWではWWE殿堂者で往年の名黒人レスラー、トニー・アトラスが登場。微妙な絡みを見せ始める。またこの日のメイン戦ではトミー・ドリーマーと対峙するが、この試合でアトラスが乱入しドリーマーを襲撃。試合はノー・コンテストに終わるも、この試合の特別リングアナウンサーであったアトラスはマーク・ヘンリーを勝者だと告げた。またその翌週のECWでは、同団体のゼネラルマネージャーであるセオドア・ロングから銀色(新デザイン)のECW王座ベルトを授与される。授与式にはアトラスを伴って登場した(アトラスはこの日からヘンリーのマネージャーに就任)。
7月のグレート・アメリカン・バッシュではトミー・ドリーマーを相手に初めてのECW王座の防衛戦を行う。アトラスとドリーマーの弟子であるコリン・デラニーの助けを借り防衛に成功する。8月に行われたサマースラムでは、同年の6月のドラフトで共にスマックダウンから移籍してきたマット・ハーディーと自身の保持するECW王座を賭け対戦。試合開始後すぐにマットのツイスト・オブ・フェイトによりフォールカウントを奪われそうになるも、セコンドにいたアトラスの介入を借り、反則裁定での負けながら王座の防衛に成功。
9月のアンフォーギヴェンにてマット・ハーディー、ミズ、チャボ・ゲレロ、フィンレー。4人のECWのレスラーを相手にECW王座を賭けたチャンピオンシップ・スクランブル戦へ出場。他の選手達をパワーで圧倒したが、試合時間残り3分でマットがミズをフォールカウントしそのまま試合終了。結果マット・ハーディーにタイトルを奪われることとなる。
2009年
4月のWrestleMania 25ではマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに出場。コーナーポストから場外へダイブしようとしたがフィンレーに阻止される場面もあった。その後エヴァン・ボーンとの抗争を経て、6月にRAWへ移籍する。そして移籍後初の試合でオートンと対戦する。オートンは降参しようとしたがヘンリーは気にもせず攻撃を続け勝利する。これによりベビーターンをする。その後はオートンの子分のコーディ・ローデスや統一タッグ王者のクリス・ジェリコなどヒールから次々と勝利を収めている。8月頃からはMVPとタッグを組み、衣装もMVPのように背中にワールド・ストロンゲスト・マンの頭文字であるWSMと刻まれたものを着用し始める。9月のブレーキング・ポイントではジェリコとビッグ・ショーの持つ統一タッグ王座に挑むが王座獲得とはならなかった。その後は調子に乗って演説するヒールレスラーの前に突然現れて倒したりした。
2010年
NXTシーズン2ではラッキー・キャノンを指導するプロとして登場した。 マネー・イン・ザ・バンクで行われたマネー・イン・ザ・バンクラダー・マッチには怪我をしたR-トゥルースの代わりに出場。ハシゴの上いる人をハシゴごとなぎ倒したり大健闘を見せたが惜しくもカバンを取ることはできなかった。ナイト・オブ・チャンピオンズのWWEタッグ王座戦ではエヴァン・ボーンと組み、ハート・ダイナスティを破り、暫定チャンピオンにあったウーソズ(ジミー・ウーソ
& ジェイ・ウーソ)を倒し暫定チャンピオンとなった。だがコーディ・ローデス & ドリュー・マッキンタイアに敗れ、王座獲得とはならなかった。これを機にボーンとタッグを組み活動していたが、10月にボーンが肩を負傷したため、11月からはヨシ・タツとタッグを組んで活動していたがすぐにフェードアウトし、シングルに転向した。
タイトル歴
WWE
- ECW王座 : 1回
- WWE・ヨーロピアン王座 : 1回
PWI
Arnold Classic
- 2002年度Arnold Classic
Strongest Man(重量挙げ部門)(優勝)
マーク・ヘンリーは175+ポンドのバーベルを挙げた史上最初の人物。また、規定以上を片手(右手)だけで挙げた史上最初の人物である。
パンアメリカン競技大会
入場曲
Nation of Domination時代
- Sexual Chocolate
- Start Rockin'
- Race Against Time
- MacMillitant
- Echo
- Somebody's Gonna Get It (Three 6 Mafia) - 現在使用中
その他
- 現在は妻と息子と共にニューヨークで暮らしている。
- 2002年度のArnold Strongman Classicの優勝商品として手に入れたハマーを現在も運転している。
- 公式サイトのプロフィールに記載されている年齢は実際より5歳サバを読んでいる。
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