本文へスキップ
 
重要なお知らせ
2010/8月以降おまとめは休止しています。
但し、Youtube/ニコニコ動画/Dailymortionなど
日々追加しています。
5,000本以上ありますので検索キーワードを
↓に入れてお探しください。


Google

WWW を検索      
"極め”内検索


また、リンク切れ、レンタル、お探し中などの問い合わせは↓から
◆問い合わせ
ずく
 
 

プロレスレンタル、借りるならTSUTAYA



2011/6/30
プロレス関連商品
AMAZON


プロレス/格闘技 ニュース


AMAZON お勧めのスポーツDVD
AMAZON SPORTS DVD MAY

Sportsnavi
日刊スポーツ
スポニチ
デイリースポーツ
格闘技WEB
マガジンGBR
東スポ
  • 小橋復帰で発奮!秋山が3冠からGHCヘビー級王座取りに路線変更
  • <7・10IGF>売名王・澤田がピーター・アーツに挑戦状
  • GBH本間がCMパンク迎撃に名乗り
  • CIMAにベルト盗まれたキッド「本当の王者はオレ。リング上で取り返す」
  • 【東スポお宝写真館】凶器だけじゃない シンここ一番の大技
リアルライブ
バトル・ニュース
 ↑ トップへヤフーオークション
 
 


YouTube追加動画 ヤフーオークション

 

AMAZON 食品&飲料 ベストセラー
amazonfood


ディアナ
2011/4/17
ディファ有明



ディアナ旗揚げ

志 KOKOROZASHI 旗揚げ戦メインイベント
井上京子/勇気 彩vs伊藤薫/佐藤綾子

志 KOKOROZASHI 旗揚げ戦セミファイナル
Sareeevs里村明衣子(センダイガールズ)

志 KOKOROZASHI 旗揚げ戦第三試合
野崎渚vs髙橋奈苗(スターダム)

志 KOKOROZASHI 旗揚げ戦第二試合
青野敬子vs吉田万里子

志 KOKOROZASHI 旗揚げ戦第一試合
勇気彩vs佐藤綾子

 
バトラーツ
1999/9/23

佐野直喜vs日高郁人

バトラーツ
1999/10/5

日高郁人/藤田穣vs星川尚浩/薬師寺正人

バトラーツ
2009/2/15

華名vs及川千尋

DDT
2009/4/5

飯伏幸太/ケニー・オメガvs男色ディーノ/ヨシヒコ

みちのくプロレス
1996/3/16

サスケ/タイガーマスク/獅龍vsデルフィン/浪速/TAKA

NOAH
2011/5/8
有明コロシアム

GREAT VOYAGE 2011 in Tokyo vol.2

GHCヘビー級選手権試合
杉浦貴 vs 鈴木みのる

GHCタッグ選手権試合
高山善廣、佐野巧真 vs 秋山準、齋藤彰俊

GHCジュニア・ヘビー級選手権試合
鈴木鼓太郎 vs リッキー・マルビン

特別試合:1vs3ハンディキャップマッチ
モハメドヨネ vs KENTA、金丸義信、平柳玄藩

潮崎豪 vs 谷口周平
森嶋猛、吉江豊 vs 佐々木健介、起田高志
井上雅央、小川良成 vs 田上明、志賀賢太郎
青木篤志、石森太二、マイキー・ニコルス vs 中嶋勝彦、宮原健斗、梶原慧

WLW
小橋建太vsワイルド・ウェード・チズム/2/2

NJPW
2011/6/10
後楽園ホール

BEST OF THE SUPER Jr. XVIII ~Bring it on!~最終戦
BEST OF THE SUPER Jr. XVIII

BEST OF THE SUPER Jr. XVIII 決勝戦
田口隆祐 vs 飯伏幸太/2/3/3/3

棚橋弘至、永田裕志 vs 後藤洋央紀、本間朋晃/2/2
真壁刀義、小島聡 vs TAKAみちのく、タイチ
獣神サンダー・ライガー、金本浩二、タイガーマスク、ザ・グレート・サスケ vs 外道、邪道、石井智宏、フジタ“Jr”ハヤト/2/2

BEST OF THE SUPER Jr. XVIII 準決勝戦
[Aブロック1位]プリンス・デヴィット vs [Bブロック2位]田口隆祐
[Bブロック1位]飯伏幸太 vs [Aブロック2位]デイビー・リチャーズ

天山広吉、井上亘、キング・ファレ、三上恭佑 vs 矢野通、飯塚高史、田中将斗、高橋裕二郎/2/2
KUSHIDA、高橋広夢、マスカラ・ドラダ vs ケニー・オメガ、佐々木大輔、TJP

SMASH
"メキシコの神"VENENOが日本初降臨!!

CHIKARA
Video des Kreuzes (6.29.11)

ROH
Ring of Honor Wrestling returns to TV on 9/24/11


AMAZON DVD ベストセラー
AMAZON DVD MAY



プロレス/格闘技
今日のテレビ放送/出演



サムライTV 22:00
格闘ジャングル2 2011.6.30号

試合映像や記者会見など格闘技だけの最新
情報を毎週60分放送!
<ニュース>
●「DEEP 54 IMPACT」詳報

23:00
ディック東郷国内引退興行
「〜IKIZAMA〜」
2011.6.30 後楽園ホール<ニアライブ>

●ディック東郷×外道
●アントーニオ本多&邪道×TAKAみちのく&ザ・グレート・サスケ
●日高郁人&石井智宏&佐々木大輔×カズ・ハヤシ&FUNAKI&佐藤悠己
<ガントレットマッチ>
●出場予定チーム:MEN'Sテイオー&HANZO、GENTARO&ヤス・ウラノ、男色ディーノ&飯伏幸太、KUDO&マサ高梨、HARASHIMA&星誕期、石川修司&諸橋晴也、スペル・デルフィン&グラン浜田
●つぼ原人&たかぎ原人×新崎人生&気仙沼二郎
●関根龍一&松永智充×石井慧介&平田一喜


AMAZON PCのベストセラー
AMAZON PC



プロレス レンタルが充実、借りるならDMM
DMM.com CD&DVDレンタル

 ↑ トップへヤフーオークション

プロレス/格闘技 関連商品SHOP
BACKDROP





プロレス/格闘技
今日は何の日?

プロレス関連商品
AMAZON


AMAZON 本のベストセラー
AMAZON BOOKS MAY



1989年以前

NWA
1935/6/30

NWA
エド・ダン・ジョージvsダノ・オマホニー

NWA
1961/6/30
シカゴ

NWA
パット・オコーナーvsバディ・ロジャース

AJW
1970/6/30

WWWA世界タッグ王座
京愛子 & 宮本芳子vsマスクド・キラー & マスクド・マリー

ルチャ
1986/6/30

レディ・アパッチェがデビュー


ヤフオクで今、売れているプロレス商品は何?
ヤフオクプロレス


1900年代

1990/6/30 
猪木自身が金銭疑惑スキャンダルに対し釈明の記者会見。事態収拾に至らずワールドプロレスリングの番組からアントニオ猪木の出る試合は全て取り上げないことを決定。

NJPW
1990/6/30

蝶野 vs ソウルテイカー

AJPW
1990/6/30
後楽園ホール

川田利明 vs 小橋健太 

CMLL
1995/6/30
メキシコ・シティ

CMLL世界タッグチーム王座
シルバー・キング/エル・テハノvsザ・ヘッドハンターズ(A/B)

AJPW
1996/6/30

ジャイアント馬場ゲイリー・オブライトvs三沢光晴/小橋健太

1996/6/30
横浜アリーナ

冬木弘道/邪道vs北尾光司/望月成晃



2/2

メモリアル力道山 力道山

メモリアル力道山

藤波辰爾、○天龍源一郎
[13分51秒パワーボム→エビ固め]
長州力、北原光騎●

○武藤敬司、佐々木健介
[14分51秒ムーンサルトプレス→体固め]
橋本真也、平田淳嗣●

延長戦
△初代タイガーマスク
[3分00秒時間切れ引き分け]
4代目タイガーマスク△
▲初代タイガーマスク
[12分19秒両者リングアウト
]4代目タイガーマスク▲

▲藤原喜明[9分27秒両者リングアウト]安生洋二▲

○冬木弘道、邪道
[12分16秒ラリアット→片エビ固め]
北尾光司、望月成晃●

○百田光雄[8分35秒パワーボム→エビ固め]井上雅央●
長与、○福岡、矢樹
[13分23秒ムーンサルトプレス→片エビ固め]
関西、ボンバー光、植松●

○神取忍、大向美智子
[12分46秒裸絞め]
イーグル沢井、長嶋美智子●

○グラジエーター、大矢剛功
[12分23秒アッサムボム→エビ固め]
田中正人、中川浩二●

ケンドーナガサキ、○山川征二
[12分58秒原爆固め]
中牧昭二、谷口裕一●

○ターザン後藤
[16分11秒フェースバスター→体固め]岡野隆史●

○鶴見五郎[7分9秒足首固め]ザ・マミー●

○剛竜馬、宮本猛
[14分35秒日本海式回転足折り固め]
秋山文夫、冴夢来MAX●

NJPW
1997/6/30
岩手県営体育館

グレート・ムタ&天山広吉&nWoスティング vs
橋本真也&佐々木健介&飯塚高史

GREAT MUTA大全集~神秘の毒霧伝説

パンクラス
1997/6/30
博多スターレーン

近藤有己vsセーム・シュルト
船木誠勝vsウェスリー・ガサウェイ
バス・ルッテンvs冨宅飛駈
ガイ・メッツァーvs山宮恵一郎
渋谷修身vsブライアン・ガサウェイ
長谷川悟史vsアレックス・アンドラデ

97アライブツアー
97アライブツアー

アルシオン
1999/6/30
後楽園ホール

アジャvs府川

玉田&矢樹vs浜田&秋野

TOURNAMENT SKY
TOURNAMENT SKY


Perfect ARSION
アルシオン6年間の奇跡
アルシオン6年間の奇跡






2000年以降

2002/6/30
立川競輪場駐車場

井上勝正がvs松崎駿馬にてデビュー

NJPW
2006/6/30

藤波辰爾が新日本プロレスを退団
その際に社員に挨拶に回ったが、ことごとく無視された

SMACK GIRL
2006/6/30

SGS公式ルール ミドル級 5分2R
端 貴代 vs 佐々木絹加

ミドル級第2代女王決定戦 5分3R
赤野仁美 vs モーリー・ヘイゼル

SGS公式ルール(寝技時間制限なし・パウンドあり)-61kg契約 5分2R
藤井 惠 vs たま☆ちゃん

SGS公式ルール
(寝技時間制限なし・パウンドあり)ライト級 5分3R 
辻 結花 vs WINDY智美

SGS公式ルール ミドル級 5分2R 
岡田 円 vs 立分 結

SGS公式ルール -51kg契約 5分2R 
Edge vs ハム・ソヒ

スマックガール大全集vol.2
スマックガール


K1
2006/6/30
横浜アリーナ

K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント決勝戦

トーナメント 決勝戦
アンディ・サワーvsブアカーオ・ポー.プラムック

武田 幸三vsフェルナンド・カレロス

トーナメント 準決勝戦
ドラゴvsブアカーオ・ポー.プラムック
魔娑斗vsアンディ・サワー

TATSUJIvs白須 康仁

トーナメント 準々決勝
ブアカーオ・ポー.プラムックvs佐藤 嘉洋
アルバート・クラウスvsドラゴ
アンディ・サワーvsヴァージル・カラコダ
魔娑斗vs小比類巻 貴之

ライアン・シムソンアルトゥール・キシェンコ
ヨーセングライ・フェアテックスvsカメル・エル・アムラーニ
野田 貢vs西脇 恵一

NEO
2007/6/30
板橋グリーンホール

Think Hard、Win More

栗原あゆみvs松尾永遠/2/2

希月あおいvs植松寿絵

WWE
2007/6/30

ロブ・ヴァン・ダムが契約満了に伴い更新を行わずWWEを退団

2009/6/30
「坂口道場」狛江は閉鎖

アイスリボン
2010/6/30
イサミレッスル
武闘館

さくらえみ、高橋奈苗、コマンド・ボリショイらJWP3選手、マスコミらを交えた公開討論会「女子プロレス向上委員会・おんな巌流島2010編」を開催。結果、JWP側の以下の主張を受け入れ、ノンタイトルとなる。
  • 無観客試合
  • ベルトのコミッショナーであるデイリースポーツの認可が得られていない
  • Ustreamではビジネスモデルが成立しておらず、現状ではタイトルマッチを行う環境として不適格


AMAZON ゲームのベストセラー
AMAZON GAME MAY


 ↑ トップへヤフーオークション

DMM.com AKB48 LIVE!! ON DEMAND

DMM.com DVD通販、レンタルなどの総合サイト





プロレス/格闘技
プロレス/格闘技 誕生日/忌日


AMAZON 食品&飲料 ベストセラーは何?
AMAZON FOODS BEST



ラッシャー木村
1941/6/30 - 2010/5/24

日本の元大相撲力士、元プロレスラーである。本名は木村 政雄。北海道中川郡中川町出身。金網の鬼、ラッシング・パワー、吠える闘将などのニックネームで呼ばれた。2003年よりプロレスリング・ノア終身名誉選手会長。
来歴
力士時代 - 国際プロレス
佐久中学校を経て天塩高等学校に進学、ポール牧と同級生だった。卒業後、夢であるプロレスラーになるための基礎体力作りとして大相撲の宮城野部屋に入門し1958年3月場所初土俵。四股名は木ノ村(きのむら)、幕下20枚目まで昇進したが「十両に上がったら辞められなくなる」という理由で1964年9月場所限りで、親方(元横綱・吉葉山)の慰留を振り切り脱走して廃業した。
大相撲廃業後、日本プロレスに入団。東京プロレスを経て国際プロレスに移籍後、実力を上げ若手エースの座を掴んだが経営難からの話題作り目的で日本初の金網デスマッチを行ったことで意に反して「金網の鬼」の名が定着してしまう。
ストロング小林離脱後、一度はマイティ井上に先を越されるが1975年4月にメインイベントでマッドドッグ・バションを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得し国際プロレスが消滅する1981年夏まで6年間エースとして活躍した。この時期はバションを始めジプシー・ジョー、キラー・トーア・カマタ、アレックス・スミルノフ、モンゴリアン・ストンパーら北米ルートで来日するラフファイターらと流血戦を展開する一方、全日本プロレスとの交流戦ではジャイアント馬場、ジャンボ鶴田らと、また新日本プロレスのマットに上がり因縁の小林とも対戦するなど精力的に闘った。1979年8月のプロレス夢のオールスター戦ではセミファイナルで小林に勝利。10月にはAWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクルとダブルタイトル戦を行い、反則勝ちしている。
新日本参戦
国際プロレスの解散に伴い残党のアニマル浜口、寺西勇と共に新日本プロレスに参戦開始。本来団体対抗戦であったはずが新日本の手法に反感を持っていたマイティ井上らが全日本行きを選んだことから新日本に上がったのは木村・浜口・寺西の3人だけになり一気にトーンダウンした上、人気絶頂のアントニオ猪木に対するヒール軍団扱いされマスコミから「はぐれ国際軍団」の汚名を着せられる。
打倒猪木に執念を燃やし3人対猪木1人のハンディキャップマッチで対戦したり猪木抹殺の特訓と称して浜辺で漁船を3人で引っ張り回すなどのパフォーマンスを披露したが、2度目の一騎討ちで右肘を破壊されTKO負けを喫した後はIWGP構想の中で次第に目立たなくなり軍団は解散。浜口と寺西が長州力率いる維新軍団に加わったため、単独でバッド・ニュース・アレンと共闘するなど外人サイドから細々と参戦し続けた。
新日で勃発した内紛によって前田日明らと第一次UWFの創設メンバーに名を連ねたが、外国人レスラーのブッキングを巡るトラブルから数か月で剛竜馬と共に離脱する。
全日本移籍
UWF離脱直後に全日本プロレスへ移籍。1984年の世界最強タッグ決定リーグ戦でジャイアント馬場にタッグパートナーとして抜擢されたにもかかわらず、愛知県体育館での試合中に謀反した。これら一連の動きを木村は「(プロレス人生で)自分の意思で動いたのは、これが初めてだった」と述懐したが木村を「馬場の最良のパートナー」と評した専門誌もあった。
同じ国際プロレスの残党である剛竜馬と鶴見五郎、アポロ菅原、高杉正彦と「国際血盟軍」を結成し全日本軍と敵対するアングルを組まれ試合後に馬場を挑発するマイクパフォーマンスが次第に注目を集めた(これらの名言集は後述)が、華のないファイトスタイルと日本人選手の過剰から次々とリストラされてしまう。
1人残された木村は衰えを隠せなくなった馬場に対し「俺はお前を他人とは思えなくなったよ」との問いかけを発端として1988年の世界最強タッグ決定リーグ戦の前シリーズで「今そこで馬場に会ったんだが、最強タッグを組もうという話があるんだよ」とリング上で宣言し、場内は大受けとなった。これで馬場・木村の「義兄弟タッグ」が誕生し、木村も以前の「馬場!」から「アニキ!」と呼ぶことで絆を深めた。
馬場と兄弟の契りを交わすファミリー軍団(馬場・木村・百田光雄ら)と悪役商会(永源遙・大熊元司・渕正信・マイティ井上ら)のユーモラスな前座試合は全日のモットー「明るく・楽しく・激しいプロレス」の「明るく・楽しく」を担当するもので、そのユニークなキャラが買われ土曜深夜の『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS)にレギュラー審査員として出演し一人だけピンマイクではなく手持ちのマイクで喋っていた。桑野信義が『志村けんのだいじょうぶだぁ』で物まねをするなど、プロレス界の名物として定着した。
ノア立ち上げ・引退
馬場の病没後、全日で再度顕在化した内紛を経てプロレスリング・ノアに立ち上げメンバーとして参加。
2001年に還暦を迎えて生涯現役を宣言。翌年には馬場を抜いて日本人最高齢のレスラーとなるが精彩を欠き(最晩年にはまったく攻撃をしないまま終わる試合も珍しくなかった)、2003年3月の日本武道館大会を最後に体調不良により長期欠場に入る。
2004/7/10、体力の限界と「これ以上関係各者に迷惑をかけられない」との理由で東京ドーム大会にビデオレターを送って引退表明し、以降、公の場から姿を消した。
同年12月にはノアの終身名誉選手会長への就任が発表され、その後は病状など一切公表されなかったが、毎年の「選手興行」のポスターには顔写真が掲載された。「プロレス格闘技DX」内のノア公式ウェブサイトにて、ファンからの「木村さんは今でもノア所属なのか」との質問には三沢光晴社長が「終身名誉選手会長であり、現在も所属である」と答えていた。実は還暦を迎えた際、全日移籍の前に年金未納期間があったことが判明し、未納分の払込が完了し受給資格を得られるまで引退後もノアの社員として雇用することにしたという。
死去
2010/5/24、腎不全による誤嚥性肺炎のため死去。享年68歳。
関係者によると現役引退直後に脳梗塞で倒れ、車椅子生活であったという。木村が体調を崩して公の場から去った後に浜口や鶴見などかつての国際プロレスの仲間がラッシャー木村の見舞いを希望したが、木村本人は頑として誰にも会おうともしなかったことを浜口が語っている。
なお、ラッシャー木村は死去に際しては親族のみで葬儀を行ったことから、プロレスリング・ノア主催のお別れの会を2010年6月26日にディファ有明にて開催し、アニマル浜口が「プロレス界はあなたを忘れることはありません」と涙ながらに弔辞を読み、遺影に向かって「気合だ!」を叫んで故人を偲んだ。
また同日にディファ有明で行われた“プロレスリング・ノア創立10周年記念”『Summer Navig.10 part1』シリーズ開幕戦が、『ラッシャー木村追悼興行』と銘打って開催された。
略歴
1958年 大相撲宮城野部屋入門(四股名:木の村)
1964年 相撲を廃業。日本プロレス入門
1965/4/2 対高崎山猿吉(北沢幹之)戦(東京リキ・スポーツパレス)でプロレスデビュー
1966年 東京プロレスの設立に参加、日本プロレスより移籍
1967年 東京プロレス崩壊。国際プロレス入団
1969年 リングネームを本名の木村政雄からファンから公募した「ラッシャー木村」に変更
1970年 日本初の金網デスマッチを行い勝利(対ドクター・デス)
1973年 ブラックジャック・マリガンを破り、IWAワールド・シリーズ初優勝(第5回大会)
1975年 日本初の金網デスマッチによるタイトルマッチを行い、マッドドッグ・バションを下してIWA世界ヘビー級王者となる
1976年 全日本プロレスとの対抗戦で、ジャンボ鶴田と対戦(引き分け)
1978年 東京12チャンネルの特撮番組『スパイダーマン』(東映制作)にカメオ出演
1981年 国際プロレス崩壊後、アニマル浜口、寺西勇とともに「はぐれ国際軍団」を結成、新日本プロレスにヒールとして殴り込み
1984年 第一次UWF旗揚げに参加。短期間(4 - 10月)で離脱、11月より全日本プロレスに参戦
1990年 日本テレビ『いけない女子高物語』に出演
2000年 プロレスリング・ノアの旗揚げに参加
2001年 還暦記念試合を行う(満60歳)
2004年 プロレスリング・ノア東京ドーム大会にて自ら引退を発表
2010年5月24日 腎不全による誤嚥性肺炎のため死去
入場テーマ
Skydiver(ダニエル・ブーン)<国際プロレス時代>
Rebirth of the beat(サンディ・ネルソン)<国際プロレス末期 - はぐれ国際軍団時代、およびファミリー軍団時代>
安息の後ろ側(SOFA BACK)(FM)<国際血盟軍時代>
江戸の旋風 メインテーマ(服部克久)<プロレスリング・ノア時代>
マイクパフォーマンス
木村の独特でゆったりとした間で繰り出すマイクパフォーマンスは観客の受けが非常に良く木村の試合終了後、観客から「マイク! マイク!」とマイクパフォーマンスを求めるマイク・コールは木村が引退するまで定番となっていた。時事ネタから観客に対しての感謝・気遣い、同僚レスラーいじりなどバリエーションは豊富であった。彼のネタにされる選手達は、木村のマイクパフォーマンスを嫌がっていたが「観客が求めるから」と仕方なく許していたと言う。馬場曰く「最初は、なんてイヤなことをするんだろうと思っていたが、そのうちお客さんが(マイクパフォーマンスがないと)許してくれなくなっちゃったんですよ」と語っていた。
「こんばんは」事件
1981年9月23日、田園コロシアムで行われた新日本プロレスの興行に浜口、寺西勇を連れて現れた木村はリング上でアナウンサーからマイクを向けられると、決意表明に先立ち、まずは集まってくれた観客に対し挨拶をしなければと思い、「こんばんは…」と丁重に挨拶を行なった。これは団体対決に付き物の殺伐とした雰囲気を好む当時のファンを拍子抜けさせ、会場の失笑を買った。あまりにもおかしかったため当時ビートたけしが「こんばんは、ラッシャー木村です」とネタにしたこともあって、世間にギャグとして広まってしまった(ここからラッシャー木村のお家芸が金網からマイクパフォーマンスになる)。たけしについては当時自分の弟子を集めて結成した「たけし軍団」の一人に「ラッシャー板前」という名前をつけて、木村と同じ黒のロングタイツをはかせるなどしていた。なお笑われた木村本人は「初めてのところに行ってきちんと挨拶するのは当然なのに、なんで笑われなくちゃいけないんだ」とおかんむりだった。
マイクパフォーマンス一覧
ジャイアント馬場(通称・兄貴)に向かって(第1声は必ず{敵対時は}「馬場っ」{義兄弟の契り以後は}「アニキーッ」と、必ずこれらいずれかで始まる)、
敵対初期のシングル戦を要求時「馬場、俺と勝負しろ!いつでもやってやる」
敵対初期のシングル戦で負けた後「馬場、勝ったとおもうなよコノヤロー」
「お前、最近なんか元気だと思ったらコノヤロー。やっぱりな、お前は、ジャイアントコーン食べてるなコノヤロー」
「俺はな、昨晩焼肉を15人前食って戦ったけど失敗したよ。だからな今晩は20人前食って戦ってやるぞ」
「馬場、馬場、お前な、ハワイでな、グアバジュース飲んで鍛えたかもしらんけどコノヤロー。俺だってコノヤロー、日本で、ポカリスエット飲んで鍛えたんだコノヤロー」(毎年年末になるとハワイの別荘で過ごす馬場に対して)
「馬場コノヤロテメー。まあ試合は別として、昨日な、大熊(大熊元司)に言っといたんだけど、今日は俺が、馬場に、新年のな、あいさつをするからな。(間をおいてから)あけましておめでとう」(新年のあいさつを宣言して場内が盛り上がる中、生真面目すぎるシンプルなあいさつに場内は笑いの渦に巻き込まれる)。そしてその後「今年こそはなぁ、馬場に勝とうと思って、俺はこの正月ずっと、餅食ってんだぞコノヤロー! 俺の肌を見ろよ。餅のおかげで、すっかりモチ肌になっちゃったよ!」と続けた
「俺はな、これだけ馬場と試合するとな、とてもな、他人とは思えないんだよ。だからな、だから一回でいいからな、今度な、お前のことをな、兄貴って呼ばせてくれ! いいなコノヤロー」(この時が義兄弟の契りを交わすきっかけとなる)
「この前の武道館で『お前のこと、兄貴って呼んでもいいか』って言ったよな? 俺は一度でいいから、馬場とタッグを組んで『兄貴ありがとう』って言ってみたいんだよ! だから最強タッグでは…俺の一生の頼みなんだよ!! 今度の最強タッグでは『兄弟コンビ』を組んでくれよ。俺は馬場の懐に飛び込んで、もっともっと馬場を研究したいんだよ! 俺のこの健気な気持ちを分かってくれよ! いいか、もう逃げても無駄だぞコノヤロー!」(上記から暫く後のテレビマッチ。同じ日の数試合後、どこからともなく木村がリング上に現れ「“俺と馬場のタッグをお客さんがどう思うかを聞いて来い”と(馬場に)言われたんだよ」と発言〔「全日本移籍 - ノア」の項参照〕。テレビ解説の山田隆は「タッグを組みたいなら手順を踏まないと…」と実況の倉持隆夫ともども唖然としたが、場内は「組め」コールでタッグ結成を後押し。木村は「それじゃあ、俺と馬場のタッグが実現するよう、皆さんも応援してください」と言うと、上機嫌で去っていった)
加山雄三の「君といつまでも」の台詞に乗せて「幸せだなぁ。俺は兄貴といるときが一番幸せなんだ。俺は死ぬまで兄貴を離さないぞ、いいだろ?」(馬場の骨折からの復帰戦において。このマイクの後、木村は馬場に抱擁するパフォーマンスも見せた)
渕正信の独身ネタ。ラッシャーのマイクでネタにされて以降、渕の独身ネタは広く知られるようになり、今に至る。
「(当時結婚して間もない田上明を引き合いに出して)渕、田上のイキイキしたファイト見たか? おい渕、なぜか分かるか? 結婚したからだよコノヤロー! お前もそろそろ、結婚しろコノヤロー! いいか? 仲人がいなかったら、俺がアニキに頼んでやるからな」
「(秋田での試合において)渕、秋田美人はどうだ? 秋田美人はいいぞ、渕! 秋田美人(を嫁に)もらえよコノヤロー!」
「おい、俺は最近俳句に凝ってるんだよ。今日は、最終戦だから、最後に一句詠ませてくれ。"永源ちゃん あんたはいつも いい男" "大熊ちゃん あんたもよく見りゃ いい男" "渕選手 お前は早く 嫁もらえ"」
「(ラッシャーが渕に)ところでお前、カラオケ好きか?ベ、ベサメ・ムーチョって歌知ってるだろ。この歌は女性を口説く時に歌う歌なんだよ。だから今度カラオケをやる時は必ずこの歌を歌いなさい。ここまできたら、これはいいと思うものは何でもやってみなさい!」
「(ラッシャーのタイツにマイクを入れた渕に)渕、オマエな、いい加減にしろよ。こんなタイツの中にマイクを入れて、マイクが病気になったらどうすんだコノヤロー!その時はな、オマエいいか、病院連れてけよ!」
「おい、最近、俺のオナラが全然臭くないんだよ」
1987年の世界最強タッグ決定リーグ戦、公式戦対戦前のタッグマッチでタイガーマスクに「公式戦ではドロップキック9連発するからなコノヤロー!」(公式戦では9連発どころか1発も放っていない)
1987/5/1のジョン・テンタのデビュー戦(馬場&テンタVS木村&鶴見)にて「琴天山(テンタの大相撲時代の四股名)、もっと馬場に鍛えてもらえ」
日本が米不足に陥った1993年限定ネタ
「永源! ところで日本の美味しいお米はどこにいったんでしょう…?」
「泉田! お前は太っているんだから、パンを食べなさい」
だんご三兄弟と銘打った悪役商会に対し「キマラ! お前、団子食ったことあるのか? もし無いなら、今度国に帰るときに、お土産に団子を買って帰りなさい」
「永源! お前は最近、ランバダで身体を鍛えてるらしいけど、俺も、今度はな、ジャズダンスやって鍛えるから覚悟しとけよコノヤロー」
泉田に対し「泉田!! お前最近(なっちゅーの)に凝ってるみたいじゃないか。お客さんにも見せてやれ! せーの、なっちゅーの!!」と発言していた。ちなみに「なっちゅーの」とは当時流行していたパイレーツの「だっちゅーの」のことである。
来日していたジョー・ディートンに対し「ディートン、お前はよく全日マットに上がるけど、もしかして俺に会いに来てるのか? そんなに俺が好きなのか? それとも俺が好きじゃないか、好きか嫌いかハッキリしなさい」と発言その後ディートンに「木村さん、愛してます」と言われた
観客に呼びかけるシリーズ
「山菜取りに絶好の季節になってきました。皆さん、山奥もいいけど、帰り道が分からなくならないように、気をつけてください。それではごきげんよう」
「暖かくなってサイクリングにはいい季節ですね。私も昨日誰かに自転車に轢かれました。でもその人は、謝るどころか笑いながら去ってしまいました。皆さん、悪いことをしたらちゃんと謝りましょう」
「ブッチャー、今日は試合に負けたけど、俺には、今夜はな、ススキノが待ってんだバカヤロー!」
ビートたけしと明石家さんまが司会を務めるテレビ番組に出演した際
「さんま! 家が売れたらしいじゃねぇか。安心してな、ゴルフばっかりやってちゃダメだぞ!」
「たけし! 俺も映画に出してくれ!! たまにはな、たまには、家に帰って、家庭サービスしなさい!」
去り際「たけし! さんま! お達者で!」
リングサイドで観戦していた原辰徳巨人軍監督(当時選手)に「燃えろ巨人・燃えろ辰徳」とエールを送っていた。
『全日本プロレス中継』に登場したウッチャンナンチャンに「ウッチャン、FOCUS見たぞ。お前なかなかやるなコノヤロー。ナンチャンもフォーカスに載るように頑張れ」
会場に偶然見に来ていた志村けんを発見し「やっぱり志村さんじゃないですか」と発言していた。
天龍源一郎とのタッグ戦ではエキサイトし観客の「マイクコール」に応えたが、セリフは「天龍! 次はシングル(で決着)だ!」と木村の殺気で会場は静まり返った(その直後に天龍はSWSに移籍してしまい、決着戦は幻となった)
引退コメント「私は体調を悪くしてリングを離れて、カムバックのためにリハビリしていましたが、思うようにいかず、これ以上やると会社やファンの皆様に非常に迷惑がかかるので、引退を決意しました。本当に長い間、ご声援有り難うございました。ごきげんよう、さようなら」
エピソード
ビクトル古賀からサンボ技を直伝され実は日本きっての関節技の名手(主に足関節技が得意)なのに、自分のスタイルに合わないからと試合ではサンボ技を殆ど見せぬまま引退した隠れシューターなのではないかと囁かれたり、ビル・ロビンソンの教えを乞い、相撲で鍛えた下地も考え合わせると実は日本で一番強かったのではないかと推測されたりと様々な都市伝説を生んでいる(少なくとも、馬場との「義兄弟タッグ」の時期になってもスポーツ会館でのサンボのトレーニングを欠かさなかった)。ちなみにルー・テーズは「馬場・猪木・木村の中で誰が一番強いか?」との問いに、「相撲とレスリングをマスターしている木村だ」と答えている。
“狂乱の貴公子”リック・フレアーが初来日したのは国際プロレスのリングであった。意外と知られていないが、ラッシャー木村はそのフレアーと金網デスマッチでシングルマッチを戦っている。フレアーが日本でデスマッチを戦ったのはこの時の木村との一戦のみである。
国際プロレスのリングで、アンドレ・ザ・ジャイアントから逆エビ固めでギブアップを奪っている。
愛犬家としても有名。新日本参戦時に熱狂的な猪木信者と思われる者から自宅への嫌がらせ、悪戯の被害をたびたび受けていたが、その時も、木村は自分のことよりも愛犬がストレスで円形脱毛症になったことを心配していたという。
髪型がアイパーだった頃はそれと合わせて体格と強面の顔が災いし、タクシーの乗車拒否は日常茶飯事だったという。
新日本プロレスでアントニオ猪木と抗争を広げた時に猪木の波状攻撃で繰り出されるチョップを耐えて耐えて耐え抜く木村の姿から、当時『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)の実況担当の古舘伊知郎からは「テトラポットの美学」という形容を付けられていた。ちなみに木村の死去の話題を、古館が司会の「報道ステーション」(テレビ朝日)で取り上げ「そうですか。木村さん亡くなられましたか。以前実況担当という立場で仕事を一緒にやらせて頂きましたが、とても優しい人で、真っ白な秋田犬を可愛がっていました・・・」というコメントを述べていた。
来歴欄にある「はぐれ国際軍団」当時の1982年5月に、浜口と寺西を日本に残して渡米。ロサンゼルス地区でミスター・トヨを名乗り、マンド・ゲレロやビクター・リベラらと抗争したり「はぐれ国際軍団」加盟を表明してロスについてきた剛竜馬と組んでライジング・サンズを名乗ってファイトしていた。渡米理由は「日本にいたらファイトがマンネリになる」だったが猪木が右膝手術や体調不良によりシリーズを欠場している時期であったため、他の選手とは絡みづらかった木村を新日本のフロントが海外に出して猪木復帰と共にまた抗争を再開させようという意図だったと見られている。
梶原一騎原作の『悪役ブルース』に登場している。
ジャンボ鶴田は筑波大学大学院を受験した際にそのことを全日本プロレスのレスラーたちには内緒にしていた。合格発表後にまず最初に木村に「木村さん、今度僕マスター(修士)になるんですよ」と打ち明けた。すると、木村は「そうか。頑張れよ。最初は小さい店なんだろうけど、月に一度は飲みに行ってやるからな」と飲み屋のマスター(店長)と勘違いした。
リングの上でのマイクパフォーマンスとは裏腹に、普段は口数が少なく若手を誘って酒を飲むのが好きな温厚な人物だった。マイティ井上は「木村さんのことを悪く言うレスラーは1人もいなかった」と振り返っている。また永源遙は「リングに上がったら性格の激しいところはありますけど、リングを降りたら紳士で優しくていい人ですね。」と語っており、木村の人柄の一端が伺える。
CM
マルナカ製麺(びわ湖放送のローカルCM)
鉄板麺(シマダヤ)

追悼・ラッシャー木村特集

闘将 ラッシャー木村
ファイト&マイク メモリアル
闘将 ラッシャー木村~ファイト&マイク メモリアル
国際プロレス クロニクル
上巻

国際プロレス コロニカル

国際プロレス クロニクル
下巻

国際プロレス クロニクル 下巻


会場 対戦カード
1976/3/28
蔵前国技館
鶴田試練の十番勝負
ラッシャー木村vsジャンボ鶴田
1977/12/10
宮城県スポーツ
センター
世界オープンタッグ選手権
ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田vs
ラッシャー木村、グレート草津
1977/12/14
大阪府立体育
会館
世界オープンタッグ選手権
大木金太郎、キム・ドクvs
ラッシャー木村、グレート草津
1978/2/18
蔵前国技館
全軍激突戦
ジャイアント馬場vsラッシャー木村
1984/12/8
愛知県体育館
世界最強タッグ決定リーグ戦
ジャイアント馬場、ラッシャー木村vs
ジャンボ鶴田、天龍源一郎
1985/3/9
両国国技館
6人タッグ
ジャイアント馬場、石川敬士、マイティ井上vsラッシャー木村、鶴見五郎、剛 竜馬
1985/6/21
日本武道館
PWFヘビー級選手権
ジャイアント馬場vsラッシャー木村
1988/8/29
日本武道館
馬場と最後のシングルマッチ
ジャイアント馬場vsラッシャー木村
1991/1/27
後楽園ホール
お笑いライバル対決
ラッシャー木村vs永源 遙
2001/6/24
愛知県体育館
還暦試合
ラッシャー木村、百田光雄vs
永源 遙、菊地 毅
2003/3/1
日本武道館
現役最後の試合
ラッシャー木村、百田光雄vs
永源 遙、川畑輝鎮
2004/7/10
東京ドーム
VTRによる引退発表
2010/6/26
ディファ有明
お別れの会


テリー・ファンク
Terry Funk
1944/6/30

アメリカ合衆国のプロレスラー。インディアナ州ハモンド出身。本名はテレンス・ファンクTerrence Funk)。「テキサス・ブロンコ」・「テキサスの荒馬」の異名を持つ。実兄であるドリー・ファンク・ジュニアとタッグチーム「ザ・ファンクス」を組み、日本でも活躍した。

何度となく引退と復帰を繰り返している。俳優として活動していたこともある。

来歴

NWA〜WWF

プロレスラーのドリー・ファンク・シニアの次男として生まれ、兄のドリーと共にレスリングの英才教育を受けながら育つ。

キャニオン・ジュニアハイスクール、ハイ・スクール卒業後、ウェスト・テキサス州立大学(現ウェスト・テキサスA&M大学)入学。1965年にプロレスラーとしてデビュー。1970年6月に日本プロレスに初来日。1971/12/7にはドリーとの「ザ・ファンクス」でジャイアント馬場・アントニオ猪木のBI砲を破りインターナショナル・タッグ王座を獲得。1972年10月に全日本プロレスの旗揚げシリーズに参加、以降全日の常連となり活躍した。

アメリカでは、1975/12/10にジャック・ブリスコを破って第51代NWA世界ヘビー級王者となり、兄ドリーと並んで史上初の兄弟世界王者となった。1977/2/6、兄と同じくハーリー・レイスに敗れ王座陥落。

1977年12月の世界オープンタッグ選手権では「地上最凶悪コンビ」アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組を退けて初優勝。1979年と1982年の世界最強タッグ決定リーグ戦でも優勝した。

日本において絶大なベビーフェイス人気を博していた同時期、本国アメリカではレッドネックのワイルドさを強調したラフファイト主体のヒールとして活躍。ロサンゼルスではチャボ・ゲレロ、フロリダではダスティ・ローデス、テネシーではジェリー・ローラー、サンアントニオではワフー・マクダニエルなど、各地のヒーローと流血の抗争を繰り広げ、業界誌の不人気部門(すなわち悪党人気部門)では常に上位にランキングされていた。

1983/8/31に全日本のリングで現役を引退したが、1984年8月に復帰。1985年6月にWWFと契約し、ジミー・ハートをマネージャーにカウボーイ・ギミックのヒールとしてハルク・ホーガンやジャンクヤード・ドッグと抗争劇を展開。1986年1月にはドリーもホス・ファンクのリングネームでWWF入りし、同年4月7日のレッスルマニア2(ロサンゼルス大会)にはザ・ファンクスとして出場している。

その後、膝を負傷してWWFを離脱。再び引退宣言して俳優活動に入り、『オーバー・ザ・トップ』など数本の映画やドラマに出演。

WCW、ECW以降

1989/5/7、リック・フレアーとリッキー・スティムボートのNWA王座戦に採点ジャッジとして参加。試合後、勝者フレアーに襲い掛かり、史上初とも言われる「テーブル上でのパイルドライバー」を敢行。フレアーとの因縁ドラマでは「イカレた中年Middle Aged and Crazy)」のヒールとして活躍。

以降インディ団体を転戦するようになり、旧敵ザ・シークの甥であるサブゥーとの邂逅などもあり、かつて南部地区でダスティ・ローデスやジェリー・ローラーらと繰り広げてきた荒っぽいラフファイト路線に回帰。ハードコア・レスリングの先駆者として再評価された。

1993年からは創世記のECWに参加。1997年末までのECW全盛期を主役の一人として支えた。1998年からはECWと提携関係にあったWWFにチェーンソー・チャーリーChainsaw Charlie)のリングネームで久々に登場。弟子のような存在であるフォーリーとのタッグで活躍し、レッスルマニアXIVではニュー・エイジ・アウトローズのWWF世界タッグ王座に挑戦。その後はジャスティン・ブラッドショーとのカウボーイ・タッグも結成した。2000年からは末期のWCWに参戦し、ハードコア・タイトルを獲得している。

現在も数多くのインディ団体に登場し、一時期は初期TNAにも登場した。2005年にWWEがECWを復活させると、当初は反WWEの立場を取っていたが、翌年のECWワン・ナイト・スタンド2006には参戦した。

2009年、兄ドリーと共にWWE殿堂に迎えられている。2011年には、流血の大抗争を展開した因縁のライバル、アブドーラ・ザ・ブッチャーのWWE殿堂入りのインダクターを務めた。

評価

レスラーとしての姿勢

NWA王者として活動し超一流のレスラーとしての名声を得た後でも、新しいことに果敢にチャレンジする姿勢は、「リビング・レジェンド」(生ける伝説)と讃えられている。 前述のハードコアマッチやデスマッチへの挑戦、50歳を過ぎてからムーンサルトプレスを使い始めるなど(形は不完全であったが)、後に続く者からのリスペクトは絶えない。後年は若手育成にも力を入れ、ECW時代は積極的に若手とも試合を行なっている(他のベテラン勢は自分のポジションを奪われるのを嫌がり、若手との対戦は避けていたという)。

また、長年の酷使により膝が完全に壊れているため、膝サポーターは欠かせず、常にロングタイツを着用している。鎮痛剤を常用しているといわれ、その副作用のせいか、単なる性格的なものなのかは不明だが、感情を抑制出来ず癇癪を起こすことが多いと伝えられている。

日本での活躍

テリー・ファンクは1970年代後半から1980年代前半にかけて、日本のプロレス界で最も成功した外国人レスラーの一人である。1977年の「オープンタッグ選手権」決勝戦において、凶器攻撃を繰り返すブッチャー・シーク組に「テキサス魂」で真っ向勝負を挑む姿に、男女を問わず熱狂的なファンが付き親衛隊も生まれた。

大成功を収めた「オープンタッグ選手権」は、年末の興行は不振とされていた日本のプロレス界の定説を覆し、以降「世界最強タッグ決定リーグ戦」へと発展して全日の看板シリーズとなった。日本では絶対的なベビーフェイスとして認識されているが、アメリカではヒールとして活動していた期間が長い。

ブッカーとしても敏腕でスタン・ハンセンの新日本プロレスから全日本プロレスへの引き抜きにも成功した。同様にハルク・ホーガンとも契約書を交わすまで至ったが、ホーガンがこれを新日本に提示しギャラの上乗せを要求したため、ホテルでホーガンを殴ったとジャイアント馬場は語っている。しかし、テリー本人は自著などで暴行に関しては否定している。

1984年2月のニック・ボックウィンクルvsジャンボ鶴田の一戦では特別レフェリーを務めた。

なお、一度目の引退を発表したのは1982年で、前述の1983年の引退試合までの約1年間、来日したシリーズ全てに「テリー・ファンクさよならシリーズ」と副題がついていた。

1993/5/5にはFMWのリングで弟子ともいえる大仁田厚と川崎球場にてデスマッチ対決。1995/5/3には福岡ドーム大会で新日マットに初参戦した。また、IWAジャパンでは1998年、ザ・グレート・カブキの引退試合のタッグパートナーも務めている。

2005/8/4、「WRESTLE-1 スペシャルタッグマッチ」にて同じく往年のスター選手ミル・マスカラスとコンビを組み、若手選手の本間朋晃&中嶋勝彦組に勝利。

2010年1月4日、新日本プロレス「レッスルキングダムIV IN 東京ドーム」に参戦。長州力、蝶野正洋、中西学と組み、ブッチャー、矢野通、飯塚高史、石井智宏組と対戦した。

獲得タイトル

NWA
  • NWA世界ヘビー級王座 : 1回(第51代)
  • NWA世界タッグ王座(テキサス版) : 2回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)
  • NWA世界タッグ王座(ロサンゼルス版) : 1回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)
  • NWA USヘビー級王座(ミッドアトランティック版) : 1回
  • アメリカス・ヘビー級王座 : 1回
  • ウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座 : 7回
  • ウエスタン・ステーツ・タッグ王座 : 2回(w / リッキー・ロメロ)
  • ブラスナックル王座(アマリロ版) : 1回
  • ミズーリ・ヘビー級王座 : 1回
  • フロリダ・ヘビー級王座 : 1回
  • フロリダTV王座 : 1回
  • 南部ヘビー級王座(フロリダ版) : 2回
  • 北米タッグ王座(フロリダ版) : 1回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)
  • フロリダ・タッグ王座 : 1回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)
  • ジョージア・タッグ王座 : 1回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)
  • ジョージアTV王座 : 1回
ECW
  • ECW世界ヘビー級王座 : 2回
  • ECW TV王座 : 1回
WWF / WWE
  • WWF世界タッグ王座 : 1回(w / カクタス・ジャック)
  • WWE Hall of Fame : 2009年度(プレゼンターはダスティ・ローデス)
WCW
  • WCW USヘビー級王座 : 1回
  • WCWハードコア王座 : 3回
日本プロレス / 全日本プロレス
  • インターナショナル・タッグ王座 : 3回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)
  • 世界オープンタッグ選手権優勝: 1回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)
  • 世界最強タッグ決定リーグ戦優勝 : 2回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)
その他
  • SCWサウスウエスト・ヘビー級王座 : 1回
  • SCW世界タッグ王座 : 1回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)
  • USWAユニファイド世界ヘビー級王座 : 1回

etc.

俳優での出演作品

  • うわさの刑事 テキーラとボネッティ(ヌーゾ)
  • パラダイス・アレイ(本作での役作りのため、1977年の世界オープンタッグは頭髪を短く刈り込んで出場した)
  • オーバー・ザ・トップ(ルーカー)
  • タイムマシーンにお願い


“マイク”マイケル・ジェラルド・タイソン
Michael Gerard "Mike" Tyson
1966/6/30

アメリカ合衆国の元プロボクサー。1980年代後半から1990年代にかけての全盛期にはパウンド・フォー・パウンドともいわれた、アメリカのヘビー級ボクサーである。身長180cm(諸説あるが、慈恵医大で測定したところ180cmだった。)、リーチ180cm。周囲50cm超の首を誇る。顔と両腕、そして腹部に刺青を彫っている。絵柄は毛沢東(右腕)、アーサー・アッシュ(左腕)、チェ・ゲバラ(左脇腹)。

ヘビー級としては小柄ながら巨漢ボクサーをガードごと薙ぎ倒す桁外れのパンチ力と、ヘビー級史上最速の評価をモハメド・アリと分かつスピード、急所を正確にコンビネーションで打ち抜く高度なオフェンス技術、そして相手のパンチをガードのみに頼らず、そのほとんどを空に切らせる鉄壁のディフェンス技術を武器に次々に大男たちをマットに沈め、モハメド・アリ引退後のヘビー級の停滞期を打ち破りパウンド・フォー・パウンドの頂点に君臨した。現役時代のみならず、長いボクシングの歴史の中においても、最盛期のタイソンはモハメド・アリと並んで最強ボクサーの有力な候補である。

フロイド・パターソンと同門下であり、ともに小柄であることや、グローブを噛むような独特のピーカブースタイルなど、両者には共通点が非常に多い。

プロボクシング:58戦 50勝 44KO 6敗 2無効試合

日付 対戦相手 勝敗 時間 内容
1985/3/6
アメリカ合衆国
プロデビュー戦
ヘクター・メルセデス
1R 1:47 TKO
1985/4/10
アメリカ合衆国
トレント・シングルトン 1R TKO
1985/5/23
アメリカ合衆国
ドナルド・ハルビン 4R KO
1985/6/20
アメリカ合衆国
リッキー・スペイン 1R 0:39 KO
1985/7/11
アメリカ合衆国
ジョン・アンダーソン 2R TKO
1985/7/19
アメリカ合衆国
ラリー・シムズ 3R 2:04 KO
1985/8/15
アメリカ合衆国
ロレンゾ・キャナディ 1R 1:05 KO
1985/9/5
アメリカ合衆国
マイケル・ジョンソン 1R 0:39 KO
1985/10/9
アメリカ合衆国
ドニー・ロング 1R 1:28 TKO
1985/10/25
アメリカ合衆国
ロバート・コーリー 1R 0:37 TKO
1985/11/1
アメリカ合衆国
スターリング・ベンジャミン 1R 0:54 TKO
1985/11/13
アメリカ合衆国
エディ・リチャードソン 1R 1:17 KO
1985/11/22
アメリカ合衆国
コンロイ・ネルソン 2R TKO
1985/12/16
アメリカ合衆国
サミー・スカフ 1R 1:19 TKO
1985/12/27
アメリカ合衆国
マーク・ヤング 1R 0:50 TKO
1986/1/11
アメリカ合衆国
デビッド・ジャコ 1R 2:16 TKO
1986/1/24
アメリカ合衆国
マイク・ジェームソン 5R 0:46 TKO
1986/2/16
アメリカ合衆国
ジェシー・ファガーソン 6R 1:19 TKO
1986/3/10
アメリカ合衆国
スティーブ・ゾウスキー 3R 2:39 KO
1986/5/3
アメリカ合衆国
ジェームス・ティリス 10R 判定3-0
1986/5/20
アメリカ合衆国
ミッチ・グリーン 10R 判定3-0
1986/6/13
アメリカ合衆国
レジー・グロス 1R TKO
1986/6/28
アメリカ合衆国
ウィリアム・ホシー 1R 2:03 KO
1986/7/11
アメリカ合衆国
ロレンゾ・ボイド 2R 1:43 KO
1986/7/26
アメリカ合衆国
マービス・フレージャー 1R 0:30 KO
1986/8/17
キューバ
ホセ・リバルタ 10R TKO
1986/9/6
アメリカ合衆国
アルフォンソ・ラトリフ 2R 1:41 TKO
1986/11/22
カナダ
WBC世界ヘビー級タイトルマッチ
トレバー・バービック
2R 2:35 TKO
1987/3/7
アメリカ合衆国
WBC・WBA世界ヘビー級タイトルマッチ・WBC防衛1
ジェームス・スミス
12R 判定3-0
1987/5/30
アメリカ合衆国
WBC防衛2・WBA防衛1
ピンクロン・トーマス
6R 2:00 TKO
1987/8/1
アメリカ合衆国
WBC・WBA・IBF世界ヘビー級タイトルマッチ・WBC防衛3・WBA防衛2
トニー・タッカー
12R 判定3-0
1987/10/16
アメリカ合衆国
WBC防衛4・WBA防衛3・IBF防衛1
タイレル・ビッグス
7R 2:59 TKO
1988/1/22
アメリカ合衆国
WBC防衛5・WBA防衛4・IBF防衛2
ラリー・ホームズ
4R 2:55 TKO
1988/3/21
アメリカ合衆国
WBC防衛6・WBA防衛5・IBF防衛3
トニー・タッブス
2R 2:54 TKO
1988/6/27
アメリカ合衆国
WBC防衛7・WBA防衛6・IBF防衛4
マイケル・スピンクス
1R 1:31 KO
1989/2/25
イギリス
WBC防衛8・WBA防衛7・IBF防衛5
フランク・ブルーノ
5R 2:55 KO
1989/7/21
アメリカ合衆国
WBC防衛9・WBA防衛8・IBF防衛6
カール・ウィリアムス
1R 1:33 TKO
1990/2/11
アメリカ合衆国
WBC・WBA・IBF王座陥落
ジェームス・ダグラス
10R KO
1990/6/16
アメリカ合衆国
ヘンリー・ティルマン 1R 2:47 KO
1990/12/8
アメリカ合衆国
アレックス・スチュワート 1R 2:27 TKO
1991/3/18
アメリカ合衆国
ドノバン・ラドック 7R 2:22 TKO
1991/6/28
アメリカ合衆国
ドノバン・ラドック 12R 判定3-0
1995/8/19
アメリカ合衆国
ピーター・マクニーリー 1R 失格
1995/12/16
アメリカ合衆国
バスター・マシスJr 3R 2:32 KO
1996/3/16
イギリス
WBC世界ヘビー級タイトルマッチ
フランク・ブルーノ
3R 0:50 TKO
1996/9/7
アメリカ合衆国
WBA世界ヘビー級タイトルマッチ・WBC防衛1
ブルース・セルドン
1R 1:49 TKO
1996/11/7
アメリカ合衆国
WBA王座陥落
イベンダー・ホリフィールド
11R TKO
1997/6/28
アメリカ合衆国
WBA世界ヘビー級タイトルマッチ
イベンダー・ホリフィールド
3R 失格
1999/1/16
南アフリカ共和国
フランソワ・ボタ 5R 2:59 KO
1999/10/23
アメリカ合衆国
オーリン・ノリス NC 1R 3:00 ノーコンテスト
2000/1/29
イギリス
ジュリアス・フランシス 2R 1:03 TKO
2000/6/24
アメリカ合衆国
ルー・サバリーゼ 1R 0:38 TKO
2000/10/20
ポーランド
アンドリュー・ゴロタ NC 2R ノーコンテスト
2001/10/13
デンマーク
ブライアン・ニールセン 7R TKO
2002/6/8
イギリス
WBC・IBF・IBO世界ヘビー級タイトルマッチ
レノックス・ルイス
8R 2:25 KO
2003/2/22
アメリカ合衆国
クリフォード・エティエンヌ 1R 0:49 KO
2004/7/30
イギリス
ダニー・ウィリアムズ 4R 2:51 KO
2005/6/11
アイルランド
ケビン・マクブライド 6R 3:00 TKO

マイク・タイソンDVD紹介

マイク・タイソン
THE MOVIE
マイク・タイソン THE MOVIE

ベスト・オブ・
マイク・タイソン
KOスペシャル
ベスト・オブ・マイク・タイソン KOスペシャル

マイク・タイソン
DVD-BOX
マイク・タイソン DVD-BOX

マイク・タイソン物語
マイク・タイソン物語

ビッグファイト、ビッグマネー
マイク・タイソン「拳の告白」
ビッグファイト、ビッグマネー マイク・タイソン「拳の告白」

タイソンはなぜ耳を
噛み切ったのか
タイソンはなぜ耳を噛み切ったのか



ファブリシオ・"ピットブル"・モンテイロ
Fabricio "Pitbull" Monteiro
1983/6/30

ブラジルの総合格闘家。グレイシー・フュージョン所属。

来歴

2006/12/20、DEEP 27 IMPACTで國奥麒樹真と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。

2007/4/13、DEEP 29 IMPACTで北岡悟と「PRIDEライト級GP出場者決定戦」を行い、肩固めでタップアウト負け。

2008/3/5、戦極旗揚げ戦の第1試合でニック・トンプソンと対戦し、判定負け。入場時には12月に死去したハイアン・グレイシーの写真を持って入場した。



コーディ・ローデス
1985/6/30

コーディ・ラネルズCody Runnels、男性)は、アメリカ合衆国のプロレスラーである。ケンタッキー州ルイビル出身。WWEのSmackDown!で、のリングネームで活躍している。父はダスティ・ローデス、その息子であるダスティン・ローデスは異母兄弟にあたる。英語圏では名前をローズと発音するのが一般的だが、本項では以降日本でよく知られている名前のローデスを使用する。

来歴

2006年8月にWWEとディベロップメント契約を結び、OVWに送り込まれる。早くに南部タッグ王座を獲得し、2007年2月には、ポール・バーチルからOVWヘビー級王座を奪取した。3月31日に行われた父親のWWE殿堂入り表彰式に出席している。

その後リングネームをコーディ・ローデスに変え、5月にスマックダウンのダーク・マッチに出場。そして7/2のRAWに、父ダスティの紹介で初登場する。父と共にランディ・オートンと抗争した。

2007年10月頃より師匠的存在のハードコア・ホーリーとタッグで活動。同年12月のRAW15周年大会では父も見守る中、世界タッグ王座を獲得した。

2008年6月のWWE Night of Champions 2008ではテッド・デビアス・ジュニアとミステリアスパートナーとの対戦が決定。PPV当日には実はコーディがテッド・デビアス・ジュニアのパートナーであることが発覚。ハードコア・ホーリーを裏切り一瞬の隙を突いてDDT放ちデビアスにフォールさせ、異例な形ながら自身にとって二度目の世界タッグ王座を獲得した。この出来事によって、ヒールターンする。

その後7月のRAWにてジョン・シナ&バティスタ組と対戦し王座陥落する。しかし翌週のRAWで再度シナ&バティスタ組と対戦し、相手側の内輪揉めを利用し三度目の世界タッグ王座を獲得した。このタッグ王座は後にCMパンク&コフィ・キングストンに奪われる。タッグパートナーのテッド・デビアス・ジュニアがランディ・オートンに襲撃され欠場したことからオートンとの抗争が始まるかと思われたが、同じく二世レスラーのマヌと共にオートンの誘いを受け"レガシー"の一員となった。さらにシム・スヌーカもレガシーに加わる。

2009年からレガシーはオートン、デビアス、ローデスの3人体制となった。以降は試合に乱入し抗争相手を襲撃するなど、デビアスと共に主にオートンのサポートとして活動していた。デビアスと共にトリプルHの王座獲得を阻んでいたため、トリプルHと抗争をしていた。その後トリプルHが休場していたショーン・マイケルズを呼びよせD-ジェネレーションXを再結成したためDXと抗争を繰り広げる。DXとの抗争終了後はレガシーのリーダーであるオートンとの関係が徐々に険悪なものとなる。そして2010年3月28日のレッスルマニア26でトリプルスレット形式でオートンと戦うがオートンのパントキックを浴び、デビアスと共にオートンに敗れる。これによりレガシーは完全に解散となった。4月末の追加ドラフトによりSmackDown!へ移籍する。

NXTシーズン2ではハスキー・ハリスを指導するプロとして登場している。

移籍後、ディーヴァによる最もハンサムな男投票でジョン・シナなどを退けて1位に輝き、この後からナルシストキャラになり、リングネームを"ダッシング" コーディ・ローデスに改める。その後"グルーミング・ティップス(自分磨きのヒント集)"というコーナーを持つ。その後からドリュー・マッキンタイアと共に行動し始める。

9/19のナイト・オブ・チャンピオンズではタッグチーム・ターモイル形式のWWEタッグ王座戦にマッキンタイアと共に出場し、マーク・ヘンリー & エヴァン・ボーン組を破り、王座を獲得する(王者であったハート・ダイナスティはすでにウーソズに敗れていたため、王座から陥落していた)。

10/24のブラッギング・ライツでジョン・シナ & デビッド・オタンガに破れ、王座を失う。王座陥落後のスマックダウンでは王座再冠を目指しビッグ・ショー&コフィ・キングストン組と対戦したが終盤にマッキンタイアに見捨てられて敗北。試合後のバックステージでも口論になりタッグを解散した。

11月に二年ぶりに開催されたキング・オブ・ザ・リングトーナメントでは予選でレイ・ミステリオを破るが、1回戦でジョン・モリソンに敗れた。

2011/1/14のミステリオ戦でヒザ当てが剥き出しになったヒザで顔に619を決められて鼻を骨折、戦線離脱する。

レッスルマニア直前に復帰するが昔のような男前では無くなったと顔にプロテクトマスクを着用。ミステリオに対して自慢の顔を壊された上にロイヤルランブルやエリミネーション・チェンバーの欠場を余儀なくされた事を激しく非難し謝罪を要求した。この状況を見かねたコーディの父ダスティ・ローデスが和解の場を設けるが結局ローデス親子が裏切りミステリオのマスクを剥ぎ取ってしまい抗争が激化しレッスルマニアでの一騎打ちにまで発展した。この頃から入場曲が暗い曲調にアレンジされ顔を直視されることを嫌がりスーツを着たまま試合したり硬いプロテクトマスクで頭突きを見舞うなど異常な片鱗を見せた。WrestleMania XXVIIでは因縁の発端となったミステリオのニーブレスを奪って奇襲し必殺技のクロスローズへつなげ勝利した。

獲得タイトル

WWE
  • 世界タッグ王座 : 3回(w / ハードコア・ホーリー、テッド・デビアス×2)
  • WWEタッグ王座 : 1回(w / ドリュー・マッキンタイア)
OVW
  • OVWヘビー級王座
  • OVW TV王座
  • OVW南部タッグチーム王座 : 2回

入場曲

  • Smoke And Mirrors (Matt White)
  • Out To Kill
  • Priceless
  • It's a New Day


アリシア・フォックス
Alicia Fox
1986/6/30

ビクトリア・クロフォード(Victoria Crawford)はアメリカのモデル、プロレスラーである。フロリダ州出身。WWEに所属。

経歴

2006年にWWEとディベロップメント契約を交わし、OVWの所属となる。2007年にはFCWへと移り、トレーニングを続ける。

2008年の6月には当時SmackDown!のGMであったヴィッキー・ゲレロとその恋人であったエッジが結婚式を挙げることとなりその際のウェディング・プランナー役としてSmackDown!に初登場する。その後トリプルHにより、エッジの浮気相手だと発覚する。7月のグレート・アメリカン・バッシュでのエッジとトリプルHのWWE王座戦では試合終盤に乱入しエッジの手助けをしようとしたが同じく乱入してきたヴィッキーに襲撃される。このストーリー終了後再びFCWへと戻ることとなる。

その後10/18のECWでDJガブリエルのマネージャーとして登場する。2009年1月にはケイティ・リー・バーチル相手にデビュー後初試合を行うが敗れる。4月の追加ドラフトによりECWからSmackDown!へ移籍する。移籍後はミシェル・マクールに付き従い、ヒールとなる。その後6月のトレードによりRAW所属となる。RAW移籍後もヒールとして活動する。9月にはディーヴァズ王座の第一挑戦者となり、10月のヘル・イン・ア・セルでミッキー・ジェームスに挑むが王座獲得とはならなかった。

2010年の6月に行われたフェイタル・4ウェイでのディーヴァズ王座戦で勝利し、王座を獲得する。しかし8月のサマースラムでの同王座戦でメリーナに敗れ王座陥落する。

NXTシーズン3ではマキシンを指導するプロとして登場した。

2011年4月末に行われた追加ドラフトでスマックダウンに移籍した。

獲得タイトル

WWE
 WWE・ディーヴァズ王座 : 1回
OVW
 OVW女子王座 : 1回

入場曲

  • Shake Yo Tail


玉田 育子
6/30

たまだ やすこは、日本の総合格闘家。東京都品川区出身。AACC所属。

来歴

2002/10/14、女子グラップリング大会「第1回GFC (Girl Fight Challenge)」に出場。

2004/5/16、スマックガールのグラップリングトーナメントに出場。決勝で茂木康子と対戦し、判定負けで準優勝となった。

2005/4/29、SGG 1Dayトーナメント2005 -48kg級に出場。決勝で尚美と対戦し、フロントスリーパーホールドで一本勝ちを収め優勝を果たした。

2006/6/11、G-SHOOTOストロー級プラストーナメント決勝で吉田正子と対戦し、0-2の判定負けで準優勝となった。

2006/7/23、SMACKGIRL GRAPPRING QUEEN TOURNAMENT 2006・フライ級に出場。決勝で兼谷絵里と対戦し、判定負けで準優勝となった。

2007/9/9、ZST SWAT!-RX1で行なわれたZST初の女子試合で奥村ユカにチョークスリーパーで一本勝ち。

2007/9/24、SMACKGIRL GRAPPRING QUEEN TOURNAMENT 2007・フライ級に出場。決勝で花澤直と対戦し、判定負けで準優勝となった。

2008/3/21、修斗で村浪真穂と対戦予定であったが、村浪の右膝靭帯損傷により試合が中止となった。

2008/7/27、DEEP初参戦となったDEEP 36 IMPACTで浜田福子と対戦し、3-0の判定勝ち。

2008/8/24、ZST SWAT! in FACE vol.1でグラップリングタッグマッチに出場。

2008/8/31、Giグラップリング2008 QUEEN TOURNAMENT・エキスパート48.0kg以下級(3名出場で玉田は決勝のみ)に出場。決勝で八木沼志保に勝利を収め優勝を果たした。

2008/11/8、VALKYRIE旗揚げ戦VALKYRIE 01 CAGE FORCE-EXで大室奈緒子と対戦し、1-0の判定ドロー。

2009/2/4、JEWELS初参戦となったJEWELS 2nd RINGで瀧本美咲と対戦し、3-0の判定勝ち。

2010/2/11、VALKYRIE 04の女子フライ級初代チャンピオン決定トーナメント準決勝でハッピー福子と対戦し、3-0の判定勝ち。4/11のVALKYRIE 05で決勝が行なわれる予定であったが、大室奈緒子の怪我により延期となり、玉田は関友紀子と対戦し、3-0の判定勝ち。6/19、VALKYRIE 06で行なわれた決勝で大室奈緒子と対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得した。

2010/11/28、王座獲得後初戦となったVALKYRIE 08で女子フライ級より重い47.0kg契約でスギロックと対戦し、0-3の判定負けを喫した。

獲得タイトル

  • 初代VALKYRIE女子フライ級王座


プロレス/格闘技 関連ショップ
LASTHOBBY


 ↑ トップへヤフーオークション



今日のプロレス 興行日程
[今後の興行]
お近くの人は是非見に行きましょう!

プロレス関連商品
AMAZON


AMAZON スポーツのベストセラー
AMAZON SPORTS EQUIPMENT

団体 会場 / 時間
ドラゴンゲート
静岡・ふじさんめっせ 18:30

なにわ式イリミネーションマッチ
B×Bハルク、斎藤了、戸澤陽、リコシェ vs 望月成晃、鷹木信悟、YAMATO、横須賀享

神田裕之 vs PAC
谷嵜なおき vs 吉野正人
堀口元気 vs ドラゴン・キッド
CIMA、土井成樹 vs Gamma、リッチ・スワン

DDT
ディック東郷国内引退興行~IKIZAMA
東京・後楽園ホール 19:00

国内引退興行シングルマッチ
ディック東郷 vs 外道

アントーニオ本多、邪道 vs TAKAみちのく、ザ・グレート・サスケ
日高郁人、石井智宏、佐々木大輔 vs カズ・ハヤシ、FUNAKI、佐藤悠己

ガントレットタッグマッチ
出場予定チーム:
・MEN'Sテイオー、HANZO
・GENTARO、ヤス・ウラノ
・男色ディーノ、飯伏幸太
・KUDO、マサ高梨
・HARASHIMA、星誕期
・石川修司、諸橋晴也
・スペル・デルフィン、グラン浜田

つぼ原人、たかぎ原人 vs 新崎人生、気仙沼二郎
関根龍一、松永智充 vs 石井慧介、平田一喜

大阪プロ 大阪ミナミ・ムーブ・オン・アリーナ 19:00
沖縄プロ 沖縄・デルフィンアリーナ国際通り 20:00

AMAZON DVD ベストセラー
AMAZON DVD MAY



試合結果


◆ドラゴンゲート

なにわ式イリミネーションマッチ
×斎藤了、B×Bハルク、戸澤陽、リコシェ(1人残り)望月成晃、YAMATO、横須賀享、鷹木信悟○
×斎藤了(26分51秒 MADE IN JAPAN)鷹木信悟○
×戸澤陽(25分02秒 OTR)鷹木信悟○
△B×Bハルク(23分51秒 両者OTR)望月成晃△
○斎藤了(22分08秒 OTR)YAMATO×
×リコシェ(21分04秒 武者返し)YAMATO○
○戸澤陽(19分33秒 高角度原爆固め)横須賀享×
○PAC(10分56秒 超高角度シューティングスター・プレス)神田裕之×
○吉野正人(11分22秒 ライトニング・スパイラル)谷嵜なおき×
○堀口元気(11分30秒 バックスライド・フロム・ヘル)ドラゴン・キッド×
○土井成樹、CIMA(12分48秒 バカタレ・スライディングキック)Gamma、リッチ・スワン×

◆DDT

ディック東郷国内引退試合
○ディック東郷(25分23秒 ダイビング・セントーン)外道×
○ザ・グレート・サスケ、TAKAみちのく(16分59秒 サスケスペシャルX ver.10.2セグウェイ・ものまね禁止)邪道、アントーニオ本多×
○佐々木大輔、日高郁人、石井智宏(13分56秒 NOW OR NEVER)カズ・ハヤシ、FUNAKI、佐藤悠己×
○ヤス・ウラノ、GENTARO(8分58秒 ツームストーン・パイルドライバー)石川修司、諸橋晴也×
○GENTARO、ヤス・ウラノ(5分04秒 キドクラッチ)HARASHIMA、星誕期×
○ヤス・ウラノ、GENTARO(3分15秒 首固め)KUDO、マサ高梨×
○マサ高梨、KUDO(4分54秒 首固め)飯伏幸太、男色ディーノ×
○男色ディーノ、飯伏幸太(1分18秒 レフェリー暴行→反則)スペル・デルフィン、グラン浜田×
○グラン浜田、スペル・デルフィン(3分56秒 腕ひしぎ十字固め)MEN'Sテイオー、HANZO×
○新崎人生、気仙沼二郎(9分50秒 ロープ渡り自爆→片エビ固め)つぼ原人、たかぎ原人×
○関根龍一、松永智充(5分20秒 龍切)石井慧介、平田一喜×
◆大阪プロ

○タダスケ[8分50秒 体固め]×三原一晃
○HAYATA[7分58秒 片エビ固め]×タコヤキーダー
松山勘十郎、○アルティメット・スパイダーJr[12分53秒 片エビ固め]原田大輔、×えべっさん



  


 ↑ トップへヤフーオークション
 Copyright(c) Mitsuishiya, Inc. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system