須藤 元気
1978/3/8
日本の作家・タレント・俳優、元総合格闘家。拓殖大学レスリング部監督。東京都江東区出身。関東第一高等学校、拓殖短期大学卒業、サンタモニカカレッジ芸術学部中退。ニックネームは「変幻自在のトリックスター」。対戦相手を撹乱する変幻自在のファイトスタイルと、柔術・レスリングをベースとしたグラウンドテクニックを持つ。本職は総合格闘技だが、2002年から参戦した立ち技格闘技K-1
WORLD MAXにてトリッキーなファイトを見せ、人気を得た。リングネームは本名であり、父親がファンであった小山ゆうのボクシング漫画『がんばれ元気』が由来。現在はタレント業にシフトしつつも作家としても精力的に活動しており、2006年に発表した『風の谷のあの人と結婚する方法』は19万部以上のベストセラーを記録している。また総合格闘技大会DREAMではテレビ解説者を務めている。
来歴
関東第一高等学校時代に始めたレスリング(グレコローマンスタイル)が現在の格闘スタイルの基礎であり、全国高校大会3位に入賞を果たした。1996年に拓殖短期大学に進学すると、全日本ジュニアオリンピック優勝を果たし、世界ジュニア選手権に出場した。
拓殖短期大学を卒業した1998年4月に渡米して、ロサンゼルスのビバリーヒルズ柔術クラブに所属。アメリカの格闘技大会に出場して経験を積む。1999年8月の帰国後はパンクラスを主戦場として、この頃より凝った入場と格闘技の試合にプロレス技を繰り出すことで格闘技ファンの注目を集めた。パンクラスでは菊田早苗らともに格闘家チームGRABAKAの立ち上げメンバーとなるが、活動の範囲をさらに広げるべく、2000年12月に再渡米。
2001年に帰国してもパンクラスへ復帰することはなく、リングスやUFCで試合を行った。UFCでは試合後に「We Are All One」と書かれた旗(各国の国旗が小さくプリントされているもの)を掲げる・または纏うことでも有名。毎回衣装やダンスに凝り、時にはカンフー着のままで試合をする等、入場から試合後まで、全時間をパフォーマンスとして捉えている(後述)。
K-1 WORLD MAXでのデビュー戦は、2002/2/11の日本代表決定トーナメント。第一戦は、日本キックボクシング界のエース的存在であった小比類巻貴之であったが、バックブローで1Rに小比類巻からダウンを奪う。結局、逆転負けを喫したが、この試合でその後の自らのサクセスストーリーを描くこととなった。ちなみにこの試合で決定打を放ったバックブローを使った動きは、かつてシュートボクシングで活躍していたマンソン・ギブソンや、ボクシング界の異端児であったナジーム・ハメドを参考にしたと本人が後日語っている。その後、バックハンドブローのフェイントを多用するため、試合中何度も相手に背中を向ける展開が多かった。
以後はK-1系の総合格闘技イベントHERO'Sにも出場。試合中に相手選手にお尻を向け、怪しげな手と足の動きで歩み寄ったりすることが多いため、前田日明HERO'Sスーパーバイザーから、「トリッキーすぎる」と批判をされたこともあったが、須藤は「これが自分のスタイルです」とかわすなど、入場パフォーマンスを含めた自身のスタイルにこだわりを見せた。2005年以降は総合格闘技イベントHERO'S、Dynamite!!などK-1系の興行を主戦場に、CMや映画出演、雑誌への露出など芸能活動に活動の幅を広げた。
2002/10/19、『凶気の桜』で映画俳優デビュー。
2003/7/24、渋谷連続通り魔事件の被害に遭った。原付バイクで走っていた際、背後から右脇腹を刺されたが、かすり傷だったため、本人は刺されたことに気付いていなかった。次の日から新極真空手の合宿に参加している。
2003/12/31、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!にて、体重差110kgのバタービーンに2Rヒールホールドで一本勝ち。観戦していたヒクソン・グレイシーから小よく大を制す理想的な戦いでありサムライでもあると評される。
2004/5/22、K-1 MMA Championship ROMANEXにて、ホイラー・グレイシーに1RKO勝ち。KO後、ホイラーに対し手を合わせ「グレイシー柔術」に対する敬意を露にした。
2005/10/25、『幸福論』で作家デビュー。
2005/12/31、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にて、山本"KID"徳郁と対戦し、TKO負けを喫した。
2006年、『世界遺産 ナスカ展〜地上絵の創造者たち〜』(国立科学博物館)の応援サポーターを務める(ナスカ展は2007年以降に京都文化博物館でも開催)。
2006年9月4日、K-1 WORLD MAX 2006 〜世界王者対抗戦〜でイアン・シャファーに右上段後ろ回し蹴りでダウン後レフェリーストップで2R0分59秒TKO負けを喫した。
2006/9/6、「Love&Everything」で歌手デビュー。プロデュースはACIDMAN。
2006/12/31、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!にて、ジャクソン・ページと対戦、1R 3分5秒三角絞めで一本勝ちを収めた。試合後にはリング上で突然の引退宣言を行った。欠場を続けざるをえなかったほどの深刻な首の怪我が引退の原因と言われている。高校時代にこのビジョンを描いていたという。
2007/11/22に一般女性との結婚を発表した。
2008/8/23公開の日本映画『R246 STORY』(6編の短編から成るオムニバス映画)の中の「ありふれた帰省」で映画初監督(自身も主演)を務めた。
2008/11/1、拓殖大学レスリング部監督に就任した。
2008/12/30、テレビ朝日『ビートたけしの超常現象(秘)Xファイル』に出演し、量子論による意識の解釈で論争を巻き起こした。
2009/1/29、拓殖大学大学院に新設された地方政治行政研究科に合格。同年4月に入学した。
2009/3/22、東京マラソン2009に出場し、5時間46分19秒で完走した。
2009年5月22日、拓大レスリング部監督として東日本学生リーグ戦で就任以来初となる優勝を決め、最優秀監督賞を受賞した。
2009年、北海道網走市に夢だったログハウスを建て、1か月のうち1 - 2週間ほど生活している。
2009年、パフォーマンスユニット「WORLD ORDER」を結成し、同年12/16にデビュー曲『WORLD ORDER』をiTunes先行配信で発売。
2010/8/7公開の映画『仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ』に泉京水(ルナドーパント)役で出演。
2010/9/18、拓大レスリング部監督として全日本学生レスリング王座決定戦で優勝を決め、4度目の最優秀監督賞を受賞。監督就任後2年で4冠を達成する。
2010年10月、世界大学レスリング選手権大会に参加する日本代表チームのグレコローマンスタイル監督に就任。イタリアでの大会に同行。
人物・嗜好・親交
- レッド・ホット・チリ・ペッパーズを好み、背中にメンバーのアンソニー・キーディスのものと酷似したタトゥー(ナスカの地上絵「コンドル」)が彫られている。
- 格闘業の傍ら、俳優・モデル・歌手業もこなしていた。歌手活動のプロデュースは親交の深いACIDMANのメンバーが行った。もともと学生時代にバンド活動やソロでライブを行っており、本人曰く格闘家にならなかったら歌手を目指したという(フジテレビ「魁!音楽番付」での発言)。
- 入場時、エキストラを用いた本格的なパフォーマンスを披露、様々な演出表現を伴ってリングに上がることで知られていた。このパフォーマンスの練習には18時間も費やし、ダンサーの人件費・衣装代等はすべて自費で、主催者側からは受け取っていない。
- 本人はプロボクサーのナジーム・ハメドのファンであることを公言しており、上記の派手な演出やファイトスタイルの一端にもハメドの影響が垣間見られる。
趣味
- 読書 : 好きな作家は司馬遼太郎、三島由紀夫
- 書道 : 2006年には書道歴2年で日本最大の書道展である毎日書道展に入賞。初出展での入選で書道展関係者を驚かせた
- 写真 : リコーGRデジタル、ライカM8使用
- 温泉
- 精神世界の勉強
親交
- ACIDMAN
- 五味隆典 : 「義兄弟の盃を交わした」盟友である
- 窪塚洋介、RIKIYA : 『凶気の桜』で共演
- 岡田准一(V6) : 『フライ,ダディ,フライ』で共演
テレビ番組等出演時のエピソード
- 日本テレビ『世界一受けたい授業』に出演した際、古武術研究家の甲野善紀に、うつ伏せの防御体勢(総合格闘技での基本防御の体制)の状態を“平蜘蛛返し”という技で簡単にひっくり返される。不思議そうな表情で「もう一度良いですか?」と何度か挑戦するが結果は同じで、共演者から「めっちゃ弱く見えますよ」と冷やかされる。しかし、甲野に対し熱心に技の質問をしている姿も映り、格闘技に対する真摯な姿勢も見られた。
- 毎日放送『ちちんぷいぷい 出演時には、趣味の読書から得たであるとされる知識を活かし、政治の問題と過去の歴史上の出来事とをうまく並べて積極的にコメントするなど、造詣の深さを呈す。
- 日本テレビ『メレンゲの気持ち』(2009年4月11日放送)では自宅を紹介し猫2匹を飼い、高校時代は格闘家かミュージシャンのどちらにするか悩んだと言った。
- 映画『仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ』で演じた泉京水は、当初は関西弁のオラオラ系キャラクターであったが、同様のキャラクターがいるということと須藤自身が関西出身ではないということで、話し合いの結果、オカマキャラに決定したとインタビュー等で語っている。なお、このオカマキャラというアイディアを出したのは須藤自身で、劇中のキャラの動きや一部のセリフなどはほぼアドリブであるという。
- 2010/12/31、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜で解説を務めた際、青木真也と長島☆自演乙☆雄一郎の対戦において1Rでは逃げ回っている青木を「元々空気読むタイプじゃないっスからね、ここまで徹底すると好感もてますね」と強烈に皮肉を述べ、青木が2Rで秒殺KOされた際には共に解説を務めた魔裟斗とともに爆笑しつつ「しょっぱい逃げ方してるから」、「バチが当たった」と評した。
|