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2011/3/10
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アメトーーク!・女子プロレス芸人
出演:
博多大吉-キューティ鈴木
ケンドーコバヤシ-北斗晶
ユリオカ超特Q-ブル中野
ハチミツ二郎-ダンプ松本
東京03豊本-工藤めぐみ
Bコース・タケト-神取忍
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女子プロレスの歴史
ビューティペア(ジャッキー佐藤/マキ上田)
→今で言う少女時代!?少女時代-GEE
ビューティー・ペア~かけめぐる青春~

女子プロレス ファイティング AGAIN!
ビューティペア/ジャッキー佐藤・マキ上田
女子プロレス ファイティング AGAIN

ジャガー横田
参考動画
WWWA世界シングル決定戦 準決勝
ジャッキー佐藤vs横田利美/2/3/3/3
女子プロレス40年史
女子プロレス40年史

余談
ミミ萩原も欲しかった。
ミミ萩原おまとめ動画集
ミミ萩原 Banana Collection(ヌード)
Banana Collection

クラッシュギャルズ(長与千種/ライオネス飛鳥)
炎の聖書(バイブル)他
クラッシュギャルズVS極悪同盟
長与千種 vs ダンプ松本
敗者髪切りマッチ
敗者髪切りマッチ
1986/11/7
大阪城ホール
ROLLING SABOT Theme of Crush Girls クラッシュギャルズのテーマ
極悪同盟(ダンプ松本,ブル中野,コンドル斉藤)のテーマ

ジャパン女子プロレス ビデオ集
JWPビデオ集
(トップページがありませんので、こちらから
LLPWビデオ集
FMWビデオ集

団体対抗戦
憧夢超女大戦
Part.1-4
憧夢超女大戦 Part.1
1994/11/20
東京ドーム

現在の状況
OZアカデミー - 尾崎魔弓
JWP - コマンド・ボリショイ
LLPW - 神取忍
センダイガールズ ー 里村明衣子
ティアナ - 井上京子
19時女子プロレス - 帯広さやか
アイスリボン - さくらえみ
スターダム - 高橋奈苗
WAVE - GAMI
大阪女子プロレス - 下野佐和子

女子プロレス名場面
チャパリータASARI
参考:
WWWAスーパーライト級タイトルマッチ
中西百重VSチャパリータ・ASARI

江戸っ子

お好み焼き江戸っ子

ダイナマイト関西
参考
2フォールカウントマッチ
キューティー鈴木vsダイナマイト関西
お好み焼き”関西”
お好み焼き関西

豊田真奈美
豊田真奈美 飛翔天女  
豊田真奈美 飛翔天女

ライオネス飛鳥
ライオネス飛鳥
-闘夢終結ー
ライオネス飛鳥 -闘夢終結ー

北斗晶vs神取忍
神取忍 vs. 北斗晶 1/4 / 2/4 / 3/4 / 4/4
夢のオールスター戦!!
Part.3
夢のオールスター戦!!Part.3
1993/4/2
横浜アリーナ

北斗晶 vs 神取忍 1/4 / 2/4 / 3/4 / 4/4
国技館超女伝 st.FINAL
Part.2
国技館超女伝 st.FINAL Part.2
1993/12/6
両国国技館

北斗晶(宇野久子)アイドル???時代
海狼組 マリン・センセーション

神取忍 vs. 北斗晶 1/4 / 2/5 / 3/5 / 4/4/5/5
レッスルマリンピアード'90
レッスルマリンピアード 90
1990/11/14
横浜文化体育館


全女提供試合
女帝闘魂
堀田祐美子 豊田真奈美 VS 伊藤薫 中西百重
リングサイドに映っていたバット吉永は現在、中野さんのお店の店員さん
中野のぶるちゃん
参考
NJPW 闘魂記念日
Vol.1
闘魂記念日1
2002/5/2
東京ドーム

西口プロレス
・ハチミツ二郎/見た目が邦彦vsアップルみゆき/チェリー
はずかし固め


ブル中野
DREAM RUSH 川崎
1992/11/26
川崎市体育館


美女レスラー名鑑
美闘陽子-スターダム
春日萌花-WAVE
野崎渚-ティアナ
真琴-アイスリボン
紫雷姉妹-フリー
栗原あゆみ-フリー
栗原あゆみおまとめ動画集
愛川ゆず季-スターダム

栗原あゆみ/愛川ゆず季/美闘陽子 登場!
イジリー岡田のコーナーへ

栗原あゆみブログ
今日のマロン

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愛川ゆず季

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アメトーーク!・女子プロレス芸人

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AJW
KAORUvsアジャ・コング/2/3/3/3

SENDAI GIRLS
浜田文子vs里村明衣子/2/3/3/3

NEO
アマンドラvsラスカチョ/2/4/3/4/4/4

AJW
WWWA世界シングル
高橋奈苗vs浜田文子/2/3/3/3

AJW
5/2
後楽園ホール

WWWA世界シングル
アメージング・コングvs浜田文子/2/3/3/3

JWP
尾崎魔弓vsダイナマイト関西/2/3/3/3

JWP
尾崎魔弓/カルロス天野vs工藤めぐみ/RIE/2/3/3/3

NEO
田村欣子vs華名/2/2

Sendai Girls
里村明衣子vs尾崎魔弓/2/2

パッションレッド
パッションレッドvsSENDAI GIRLS/2/3/3/3

JWP
ドレスアップ・ワイルドファイト
堀田祐美子vs中島安里沙/2/2

アルシオン
アジャ・コングvs大向美智子/2/2

アルシオン
吉田万里子vsライオネス飛鳥/2/3/3/3

FMW
工藤めぐみvs神取忍/2/3/3/3

FMW
工藤めぐみvsシャーク土屋/2/2

アルシオン
浜田文子/アパッチvsラスカチョ2/3/3/3

FMW
有刺鉄線バリケード
工藤めぐみvs尾崎魔弓/2/2

OZアカデミー
2008

KAORU/井上貴子vs松本浩代/アジャ・コング/2/2

NEO
NEO認定タッグ
NEOマシンガンズvsアマンドラ/2/2

DDT
ユニオン学園予告
TKG会員番号17番参戦決定!
『BEST OF THE SUPER 路上プロレス?飯伏幸太編?』予告1
現役女子高生vs現役女子校生決定! チェリーvs石橋葵
『男色牧場クラシックvol.1 ?安部ユキヒロの憂鬱?』予告
諸橋晴也 スヴェンソンで毛髪増量!会見
"Bob" Sapp in DDT Ryougoku.

NJPW
KUSHIDA新日本プロレスリング入団会見

SMASH
2011年3月9日に行われた『SMASH.15』(2011.3.18/後楽園ホール)記者会見/2/2

栗原あゆみ
栗原あゆみ写真集「A-STYLE」

Chikara
CHIKARA Podcast-A-Go-Go 254
Throwdown Lowdown (3.8.11)

紫焔
期間限定コメ有り!紫焔 2010.07.24 『メインイベント』 日本橋

AJW
1991/10/4

ブル中野vsデビー・マレンコ

NJPW
2011/3/7
太田市新田
文化会館

真壁刀義/本間朋晃/プリンス・デヴィット/田口隆祐vs小島聡/MVP/TAKAみちのく/タイチ

JWP
福岡晶vs豊田真奈美


AMAZON DVD ベストセラー


プロレス/格闘技
今日のテレビ放送/出演




テレビ朝日 23:15
アメトーーク!・女子プロレス芸人

出演:
博多大吉-キューティ鈴木
ケンドーコバヤシ-北斗晶
ユリオカ超特Q-ブル中野
ハチミツ二郎-ダンプ松本
東京03豊本-工藤めぐみ
Bコース・タケト-神取忍
ユウキロック-豊田真奈美

サムライTV 22:00
Sアリーナ格闘ジャングル2 2011.3.10号

23:00
DDT〜ドラマティックファンタジア#314
「Into The Fight 2011」
2011/2/27 後楽園ホール(2)

<KO-Dタッグ選手権>
●(王者)GENTARO&ヤス・ウラノ×KUDO&大石真翔(挑戦者)
<敗者髪切りマッチ/ノーD.Q.マッチ>
●佐藤光留×高尾蒼馬
●アントーニオ本多&佐々木大輔×中澤マイケル&松永智充


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プロレス/格闘技
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1989年以前

1945/3/10
両国国技館が、東京大空襲によりまたも焼失

日本プロレス
1965/3/10

社長が故力道山の百田敬子夫人から定野道春(豊登)へ

全日本プロレス
1976/3/10

鶴田試練の十番勝負がスタート、10戦4勝2敗4分。


鶴田試練の十番勝負

ジャンボ鶴田おまとめ動画集
ジャンボ鶴田ビデオ集

1976/3/10
日大講堂
vsバーン・ガニア[1-1]△
1976/3/28
蔵前国技館
vsラッシャー木村[1-1]△
1976/6/11
蔵前国技館
vsテリー・ファンク[1-2]●
1976/7/17
三萩野体育館
vsビル・ロビンソン[1-1]△
1976/9/9
大阪府立体育館
vsボボ・ブラジル[2-1]○
1976/10/22
愛知県体育館
vsアブドーラ・ザ・ブッチャー[2-1]○
1976/12/3
川崎市体育館
vsクリス・テイラー[2-1]○
1977/6/11
世田谷区体育館
vsハーリー・レイス[1-2]●
1977/7/28
品川スポーツセンター
vs大木金太郎[1-1]△
1979/1/5
川崎市体育館
vsフリッツ・フォン・エリック[2-1]○
AJPW
1987/3/10
郡山市総合
体育館

ザ・ロード・ウォリアーズ vs 輪島大士/石川敬士 

NWA
リック・フレアー vs ジャンボ鶴田


ヤフオクで今、売れているプロレス商品は何?

yahooオークション


1900年代

FMW
1990/3/10

クラッシャー前泊がデビュー

ユニバーサル
1991/3/10
後楽園ホール
 

グラン浜田/ペロ・アグアイヨvsクーリーSZ/ブルドックKT
エル・シグノ/ブラック・パワーvsシルバー・キング/エル・テハノ
浅井嘉浩/ソラールvsフェリナーノ/ゲレーロ
プラソ・デ・オロ/プラソ・デ・プラタvsビジャノ/ケンドー
ビジャノⅢ/ビジャノⅣvsスペル・プラソ/エル・プラソ

グラン・エストレージャ 91
Part.1
UWA世界タッグトーナメント
Vol.4
グラン・エストレージャ 91

浅井嘉浩インタビュー
スペル・プラソ/エル・プラソvsエル・シグノ/ケンドー

グラン・エストレージャ 91 Part.3
一周年ベストセレクション
Vol.6
グラン・エストレージャ 91


K-1
1996/3/10
横浜アリーナ
 

ムサシvsキット・ライキンズ・ザ・ホワイト・ドラゴン
サム・グレコ vs ペリー・テリグッド
マイク・ベルナルド vs ジェフ・ルーファス
アーネスト・ホースト vs スチュアート・グリーン
ミルコ・タイガー vs ジェロム・レ・バンナ
スタン・ザ・マン vs サダウ・ゲッソンリット
アンディ・フグ vs バート・ベイル
ピーター・アーツ vs ジャン・クロード・リビエール

室崎剛将 vs 速水勇
バンダ-・マーブ vs マイケル・トンプソン

K-1 GrandPrix '96 開幕戦
K-1 GrandPrix '96


パンクラス
1995/3/10
横浜文化体育館
 

キング・オブ・パンクラス
ウェイン・シャムロックvsバス・ルッテン
船木誠勝vsフランク・シャムロック
鈴木みのるvsグレゴリー・スミット
山田学vsジェイソン・デルーシア

渋谷 修身デビュー

シャムロック、初防衛!
61秒でルッテンを秒殺!
シャムロック、初防衛


WAR
1998/3/10
後楽園ホール
 

旗揚げ以来の不動のエースが新たなる戦いを求めて新日本プロレスに参戦。平成維震軍大将の越中と衝撃の合体を果たし、荒谷&石井組を撃破。突然の大激震に襲われたW.A.R.マットでの、天龍ラストマッチまでの3ヶ月を振り返る。さらに、嵐&安良岡vs北原&折原など全12試合

さらば天龍!
天龍&越中衝撃合体!
さらば天龍

LLPW
1999/3/10
代々木第二体育館

神取忍vs堀田祐美子

LLPWvs
全日本女子プロレ
~春雷炸裂~
春雷炸裂






2000年以降

2002/3/10
GCM TheCONTENDERS X-RAGE02
所英男vs 矢野卓見

所英男 2001-2005
BOUT COLLECTION
所英男 2001-2005

AJPW
2006/3/10
大田区体育館
 

三冠ヘビー級選手権試合 
グレート・ムタ vs 小島聡
 
GREAT MUTA大全集
~神秘の毒霧伝説
GREAT MUTA大全集~神秘の毒霧伝説



リアルジャパン
2006/3/10
後楽園ホール

初代タイガーマスク vs 丸藤正道

STRIKEFORCE
2006/3/10

Strikeforce: Shamrock vs. Gracie

○ フランク・シャムロック(1R 0:21 KO)
シーザー・グレイシー ×
○ カン・リー(1R 3:51 KO)マイク・アルトマン ×
○ クレイ・グイダ(判定3-0)ジョシュ・トムソン ×
【世界ライト級王座決定戦】
○ ギルバート・メレンデス(2R 0:44 ギブアップ)
ハリス・サリエント ×

OZアカデミー
2007/3/10
新宿FACE

第25回興行「女王誕生」
アジャ・コングvs永島千佳世

2007/3/10
板橋グリーンホール
 

NEO
HIGH SPEED

栗原あゆみvs田村欣子



2/2


WWE RAW
2008/3/10

IC王座
ジェフ・ハーディーvsクリス・ジェリコ

 

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プロレス/格闘技
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AMAZON 食品&飲料 ベストセラーは何?


オーヴィル・ブラウン 
Orville Brown
1908/3/10 - 1981/1/24

カンザス州シャロン生まれの元プロレスラー、プロモーター。1948年に初代NWA世界ヘビー級王者に認定された。1949年11月の自動車事故による負傷でプロレスから引退した。

来歴

幼少期

オーヴィル・ブラウンは1908年3月10日、まだ西部開拓時代を色濃く残すカンザス州のシャロンの農場で生まれ、5人兄弟の末っ子として育った。オーヴィルの生まれた2週間後には父親が行方不明になり、1919年、オーヴィルが11歳の時に母親も死去。カウボーイとしてロデオの大会で実績を作りながら、農場で働き家計を支えた。家計上の理由で高校には1年間通ったのみであった。

1927年には結婚し、1929年に一子をもうける。1930年、折からの世界恐慌でオーヴィルはトウモロコシの皮むきの仕事をし、収穫後にはカンザス州ウォーレスで鍛冶工の仕事に就く。

中西部時代

1931年初め、オーヴィルは地元のレスラーのマネージャー兼トレーナーであったアーネスト・ブラウンに出会った。ブラウンはオーヴィルにレスラーとしての才能を認め、その後オーヴィルは、朝にはランニングをし、日中は鍛冶工をして晩にはウォーレス高校で練習をする日々を過ごした。

当時のカンザス、アイオワ、ネブラスカなど中西部の一部では、プロのシューターを支援する独特のレスリングとギャンブルの文化が残っていた。ほとんどの若い農民は毎週日曜日、教会に行った後やカーニバル、フェアで集まり、シュート・レスリングのイベントを企画し、参加した。そんな中、オーヴィルは1931年10月にデビューし、その後71か72連勝したと言われるが、記録としては今日残っていない。当時のオーヴィルの相手は地元の農家や町一番の腕自慢というレベルであった。

オーヴィル・ブラウンは、ジム・ロンドスやエド・ストラングラー・ルイスといった元世界ヘビー級チャンピオンらとの試合で、多くの人々に彼のレスリング技術の強い印象を与えた。彼はのちにカンザスヘビー級王座を勝ち取った。オーヴィル・ブラウンは1940年から1948年まで、 カンザスを拠点にしたMidwest Wrestling Association(略称MWA、のちのハート・オブ・アメリカ・スポーツ・アトラクションズ)世界ヘビー級チャンピオンの王座を11度防衛する記録を残した。

NWA創設以降

1948年、ピンキー・ジョージをはじめとしたプロモーターたちは、新しく創設されたNWAの初代世界ヘビー級チャンピオンにオーヴィル・ブラウンを認定した。ブラウンは当時あった様々な世界ヘビー級王座を、NWAのベルトと統一する計画を実行し始めた。ブラウンはNWA王座を二度防衛したが、1949年11月1日に自動車事故に遭い、引退を余儀なくされた。1949年11月25日に予定されていたルー・テーズとの統一試合はキャンセルされ、王座はルー・テーズに移動した。

引退後

引退後、オーヴィル・ブラウンはミズーリ州カンザスシティでプロモーターとなり、NWAが創立した1948年からMidwest Wrestling Association(MWA)をプロモートした。この団体は1958年にボブ・ガイゲルに売却され、ハート・オブ・アメリカ・スポーツ・アトラクションズと名前を変えた。



大剛 鉄之助 
1942/3/10

宮城県仙台市出身で二所ノ関部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー、ブッカー・トレーナー。本名は、栄田 幸弘。大相撲時代の四股名は仙台(せんだい)、最高位は幕下6枚目。プロレス時代のリングネームはトーキョー・ジョーの名でも知られ、不幸な交通事故によりプロレスラーを引退した。

経歴

大相撲時代

少年時代から気性が激しく、喧嘩に強い素質を見込まれ大相撲の二所ノ関部屋に入門し、1959年7月場所に本名の栄田の四股名で初土俵を踏んだ。同年11月場所から四股名を栄岩に改名し、小兵ながら激しい相撲で注目を受ける。1964年1月場所からは出身地にちなんで四股名を仙台と改めたが伸び悩み、1966年5月場所限りで廃業した。

プロレスラー時代

大相撲廃業後は、1966年に東京プロレス設立に伴いプロレスに転向し、入門同期には寺西勇・大磯武・柴田勝久・永源遙らがいる。当時、東京プロレスには道場もリングもなかったため、旗揚げ戦までの間、彼らは合宿先であった伊東市の海水浴場の砂浜でレスリングの基本を教わった。

同年、豊登が名付け親で出身地にあやかり仙台強の名でデビューを果たすも、東京プロレスが2シリーズで経営に行き詰まり、翌1967年1月、国際プロレスとの合同興行を経て崩壊。アントニオ猪木の日本プロレス復帰の際に、同期の柴田・永源は同行出来たが大剛・寺西・大磯らは残されてしまい、同じく残されたラッシャー木村らと共に、国際プロレスに移籍。大剛鉄之助に改名し、前座・中堅を務めた。

同期・後輩らが海外武者修行に出て行く中、チャンスに恵まれなかったが、1973年3月、マッドドッグ・バションの引きで、カナダモントリオール地区のGWAに行く。現地ではトーキョー・ジョーを名乗り、バションやエドワード・カーペンティアと抗争してメインイベンターとなり、ブルーノ・サンマルチノがGWAに参戦した際は、タッグマッチながら対戦相手を務めた。

1974/3/26に故郷仙台での凱旋帰国試合が組まれたため、バションに帰国を申請したが契約を楯に許可が出なかったため、当時インディアナポリス地区で武者修行をしていた後輩のデビル紫を呼び寄せ、後釜に据えることでやっと帰国OKを貰った。そして3/18、合流したデビル紫を伴って、後輩の八木宏(剛竜馬)が武者修行をしていたカルガリーへトレーラー・カーで行く途中、スリップ事故を起こし立ち往生。対処のためトレーラーを外しているところに19歳の少年が運転する乗用車が追突し、挟まれた大剛は右足の切断の重傷を負った。

ブッカー時代

事故によりレスラー生命を絶たれた大剛は、IWA北米支部長の肩書きでカナダに残り、ジョー・タイゴーの名でブッカーとして外人レスラー招聘を行なう。当時、国際プロレスはAWAと提携していたが、大剛ルートからの招聘の比重が高まるに至り、バーン・ガニアから「自分達(AWA)を取るか、大剛を取るか」と迫られ、この際に吉原功代表が大剛を選んだために提携は解消され、AWAは全日本プロレスとの提携に踏み切る。この後、国際プロレスはヨーロッパルート、大剛ルート、ルー・テーズが興したIWAルートからの選手招聘を行なうが、WWWFと提携した新日本プロレス、NWA・AWAと提携した全日本プロレスに比べると見劣りがあり、後の団体解散の遠因の一つとなった。

1981年の国際プロレス解散後も、カナダでモントリオール地区を中心にブッカーを続け、ジェリー・モロー(稲妻次郎)を全日へブックしたり、若松市政をカルガリーにマネージャーとしてブックしたりしていたが、1984年7月、一連の騒動の中で新日が吉原功を顧問として迎えたことが縁で北米支部長に就任する。しかしこのことにより、カルガリーでブッカー・トレーナーとして新日へ選手派遣や、海外武者修行の若手の面倒をみていたミスター・ヒトの怒りを買い、それまでのギャラ支払いトラブルと合わせ、ヒトは新日と縁を切りジャパンプロレスと提携、ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスを全日に参戦させる事態となった。

ブッカーとしては、キングコング・バンディ、ジャイアント・グスタブ、ザ・ジャッカル、クラッシャー・バンバン・ビガロの初来日やアレックス・スミルノフ、ホーレス・ボウダーの新日移籍などの手腕を発揮するが、長州復帰後の新日の、外国人選手招聘制限(日本人中心の興行)の流れにより、1990年代より新日若手選手の海外武者修行の受け皿として、トレーナーの比重が高まる。

エピソード

  • 国際プロレス代表・吉原功に対する傾倒は、若松市政と双璧をなす。東京プロレス崩壊後に自分を引き取ってくれ、国際プロレスがTBSと放送契約を結ぶまでの間は、吉原功が自宅を抵当に入れて生活費を出してくれたことに加え、前述の招聘ルート選択に多大なる恩義を感じたためである。
  • 右足切断となった交通事故の賠償では、交渉中に相手の少年が別の事故を起こして死亡してしまったことから、保険会社とのみの交渉となり、相当苦労した。このことがブッカーとしての交渉の際に生きた、と後に専門誌のインタビューで語っている。
  • ミスター・ヒトとの不仲は相当なもので、ヒトがカルガリーに定着した経緯、ブッカーとして商売敵であったことなどが主な原因であるが、長州力・マサ斎藤らの新日復帰に伴う、ヒトの新日との復縁後も、誰が仲介しても一言も口を聞かない関係だったらしい。後年、ヒトが帰国して経営していたお好み焼き屋を閉める間際に、関係者が大剛をお店に招待するまで、その関係は続いた。
  • 大剛の下で見事な肉体改造をして凱旋帰国する新日若手選手が続いたことから、トレーナーとしてステロイド剤の使用が叫ばれるが、トレーニングと食事の量も半端ではないらしい。当時、練習の虫である佐々木健介らに新日道場でしごかれていた若手達が音を上げるのだから、相当なものであったと推測される。
  • 口が悪く、北米での武者修行時代に訪ねてきた蝶野正洋に対し、「鼻くそ」と呼んでいた。


山田 花子 
1975/3/10

日本のお笑いタレント。大阪府堺市北区出身。大阪府立福泉高等学校卒業。

本名;福島 京子、旧姓・渡邉(わたなべ)。

愛称は「花子」、「花ちゃん」。

よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本部所属。身長148~9cm(公称150cm)、 体重51kg(公称55kg)、公称スリーサイズB・92、W・78、H・92。 靴のサイズ23cm。

高校卒業後、一時はプロレスラーを目指して、JWP女子プロレスの練習生となった。しかし、受け身が出来ず、練習中に頭蓋骨を骨折する重傷を負い断念(ある番組に於いて本人が「『受身ができないと危険だから、悪いけどプロレスラーになるのは諦めてくれ』と涙ながらにお願いされた」と発言)



マシオ駒
1940/5/18 - 1976/3/10

日本の元プロレスラー。本名は駒 秀雄。東京都世田谷区出身。

来歴

早稲田実業高校時代は野球部に所属(同期に王貞治)。卒業後の1961年6月に日本プロレスに入門し、同年10/11の平井光明(ミツ・ヒライ)戦でデビュー。この時期のリングネームには駒厚秀駒角太郎などがある。身長170cm程度とプロレスラーとしては小柄であるが、素早い動きと高さのあるドロップキックを武器に奮闘した。

1970年1月にメキシコ遠征、マシオ・コマのリングネームを用いた。同年8/28にエル・ソリタリオを下し、NWA世界ミドル級王者を獲得。その後アメリカに転戦し、アマリロ地区でファンク一家とのコネクションを得る。

1972年、ジャイアント馬場が日本プロレスを離脱すると馬場に合流し、全日本プロレスの立ち上げに参加する(この時、9月に行われた設立発表の会見時にはアマリロ遠征中であったため、10/21の旗揚げに間に合うよう急遽帰国した)。全日本プロレスではジョー樋口と共に外国人選手の招聘や、若手の指導を行うようになる。1973年のジャンボ鶴田入門時には、鶴田のアマリロ修行に同行、指導した。

1976/3/10、都内の病院で尿毒症による腎不全のため死去。同日、全日本プロレスの日大講堂大会で10カウントの弔鐘が行われた。

エピソード

  • 礼儀や生活態度に厳しい、練習熱心な人物像が伝えられている。薗田一治(後のハル薗田)が入門を希望して全日本プロレスを訪問した際、服装が宜しくないとしていきなり張り手を見舞ったというエピソードが残っている。そういった真面目な性格が尊ばれた一方、時には頑固過ぎる性格が軋轢を招いたこともあったらしく、グレート小鹿は「馬場に対し真っ向から意見できたのは駒だけ」「すでに若手でなくなっていた自分に対してでさえ、(メインイベントに登場する馬場が目立つようにするため)派手な技を使うことを禁止してきた」「言っては悪いが、駒がいなくなってから会社の雰囲気が明るくなった」(大意)と回想している。
  • ジャイアント馬場の最初の付き人でもあった。全日本プロレスに参加した後も馬場の片腕として活躍した。
    • 馬場も駒をかわいがっており、全日本プロレス立ち上げ時にアマリロ遠征中であった駒を中途帰国させる事となった。
    • 予定を切り上げて急遽帰国する事になった駒について、馬場は当地のプロモーターであり、NWA役員でもあったドリー・ファンク・シニアに挨拶をしなくては、と直接アマリロを訪問している。この時に得られたドリー・ファンク・シニアの支援やファンク一家とのコネクションが、後の全日本プロレスに多大な影響を及ぼす事となった。
  • 真面目で練習熱心、会社のために尽力した駒に対するジャイアント馬場の信頼は非常に厚く、駒が亡くなった際、馬場は「なぜなんだ!」と言ったきり絶句したという。
  • 日本プロレス時代の後輩にあたる山本小鉄は、駒同様に大変に練習熱心な人物として知られるが、二人はライバルであると同時に仲が良かった(山本はこれを「駒さんとは『手が合う』関係だった」としている)。日本プロレスが崩壊する過程で、全日本の駒に対し、山本は新日本プロレスと違う進路を取ることとなったが、共に若手の指導を行う立場となり、両団体がほぼ断交状態にあった中でも、練習方法や指導方法について相談し合う事が多かった。ザ・グレート・カブキの回想によると、駒は山本同様若手にはガチンコを徹底指導し、大技を使うことを厳しく制限していたという。
  • 野球の強豪校で活躍した実力から、力道山が作った野球チーム「レスラーズ」でもレギュラー選手として活躍した。

リングネーム

  • 駒秀雄
  • 駒厚秀
  • 駒角太郎
  • マシオ駒
  • マシオ・コマ(Maseo Koma)
  • ヒデオ・コマ(Hideo Koma)
    • アメリカでの活動時に本名が用いられており、フロリダでのヒロ・マツダらとのタッグ戦が確認できる。


魔裟斗
1979/3/10

日本のキックボクサー、タレント、スポーツ解説者。本名は小林 雅人。千葉県柏市出身。妻は女優・タレントの矢沢心。シルバーウルフ所属。

日本人初のK-1 WORLD MAX世界王者。2009/12/31を以って現役を引退した。

人物

  • K-1のミドル級では№1の実力を持っている。パンチ主体のファイトスタイル。ボクシング世界王者をパンチだけでKOしたこともある。
  • リングネーム『魔裟斗』の名付け親は、同ジムの加藤重夫会長。最初に藤 山海山なる名前を提案されるも断り、2番目に提案された魔裟斗に落ち着いた。当の魔裟斗は「暴走族みたいで嫌でしたよ。」と各方面で述べていた。
  • K-1 WORLD MAX開始当初は、ライバルと目されていた小比類巻貴之のストイックぶりと比較された。魔裟斗は「これだけ練習したのだから負けることはない」と豪語するほど練習熱心であり、真の「ミスターストイック」は魔裟斗であると評価する関係者も多い。その一方で、当の「ミスターストイック」の異名を持つ小比類巻を「六本木で飲んでいる時バッタリ出会った」事を『さんまのまんま』(関西テレビ)出演時に明かしている。
  • 握手するときは右手と決まっている。
  • 試合当日は、必ず母手作りのおはぎを食べていた。
  • 試合後は勝敗に関係無く温泉に入りに箱根へ行くという。
  • 普段の体重は74kg前後だが、試合に向けて食生活などを変えながら、K-1ミドル級のリミットである70.0kg丁度になるように仕上げることを信条としている。また、「殴られすぎてパンチドランカーになった人を何人も見てきた」ことから、自身の体調管理にはかなり気を使っている。「パンチドランカーになった姿を子供に見せたくない」旨を引退理由の一つに挙げている。
  • K-1が1日で3試合も戦う1DAYトーナメント制を採用していることについてK-1参戦前から批判しており、「トーナメントは運の要素が強すぎて最強は決まらないのは明らかだし、選手の命を危険に晒してるから選手もファンも皆が迷惑してる」とコメントしており、K-1の世界トーナメントで優勝した以降の現在もその考えに変わっていない。また、2007年の世界トーナメント終了後に、一度はトーナメントから撤退してワンマッチに専念することを示唆していた。
  • ラスベガスでビッグマッチを戦うことを夢として挙げており、2003年にK-1 WORLD MAX初優勝を果たした後には「K-1 WORLD MAXで3連覇したら、ラスベガスでボクシング史上初の4団体統一世界ミドル級王者バーナード・ホプキンスと戦って引退したい」と発言したり、2008年6月のSRSと格闘技通信での武蔵との対談では「今年のK-1 WORLD MAXで優勝して来年はラスベガスでボクシング史上唯一の6階級制覇王者オスカー・デ・ラ・ホーヤと戦いたい」と発言していた。
  • 2007年頃からフジテレビ放送のK-1 WORLD GPシリーズに解説者としても出演している。
  • 格闘技以外の活動としては、後述の通り数々のテレビドラマ・映画・CMなどに出演、フレグランスやシルバーアクセサリーのプロデュースも手掛けていた。2009年にはスイスの時計ブランドであるオーデマ・ピゲと、日本人で初めて契約し、オリジナルデザインの「ロイヤル オーク オフショア MASATOモデル」を発表した。
  • 2010年12月31日のDynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜の長島☆自演乙☆雄一郎対青木真也にてテレビ放送の解説を務めていたが、2R(総合ルール)開始4秒にて長島のKO勝ちとなると、立ち上がって長島の勝利を祝福し、「K-1なめんなっつーの!」と発言した。
  • 理由は謎だがブログが削除されている。

ファイトスタイル

10代の頃にボクシングジムに通っていた魔裟斗は、元々はパンチを武器とする典型的なインファイターであった。しかし、近年では、左右両方のパンチのコンビネーション・キック・膝蹴りなどの打撃を放つスタイルへと変わった。ディフェンステクニックで相手が放つ大振りなパンチをかわし、カウンターを合わせる。最も得意とするブローは相手の右を左でブロックし、即左フックを返すというものである。また、ローキックをブロックした直後に左のインローを返す得意技も公開している。近年ではリードブローに磨きがかかり、飛び込みざまに放つ左ジャブが相手の顔面を捉える場面をよく見かけるようになった。相手のガードの隙間を縫うような右アッパーも得意技の一つ。

2003年にK-1 WORLD MAXチャンピオンになった翌年の2004年は、ディフェンスを最重要視し、ポイントアウトを狙う戦い方を貫いた。本人は後にこれを反省し、観客に魅せるファイトスタイルに改めた。ポイントで圧倒的にリードしている場面でも、積極的に打ち合いにいく姿勢が評価を集めた一方、実際に相手からパンチをもらう場面も多く見られた。

来歴

両親の都合で千葉県柏市から埼玉県新座市へ引っ越す。埼玉栄高校中退。中退理由は、友人数人と「勢い」で辞めたと『ジャンクSPORTS』(フジテレビ)に出演した際に述べている。

高校中退後は10種類余りの職を転々とした。中でも焼き鳥店に至っては、勤務初日に「昼ご飯を食べに行く」と言い残し、そのまま戻らず辞めたという。

1994年、15歳でボクシングの名門ヨネクラボクシングジムに入門。しかしプロテストをドタキャンし、そのままジムを去る。その後、「喧嘩に使えそうだから」との理由でキックボクシングに転向、17歳で藤ジムに入門する。

1997/3/23、全日本キックボクシング連盟でのプロデビュー戦で竹原太と対戦し、1RKO勝ち。

1997/5/30、小比類巻貴之と対戦し、膝蹴りの連打により3RKO負け。初黒星を喫した。共にデビュー2戦目同士で3回戦の前座扱いであったが、メイン、セミの試合のキャンセルが相次ぎ、繰上げでその日の興行のメインイベントになった。この試合を、『格闘技通信』(ベースボール・マガジン社)は急遽見開き2ページ、オールカラーで掲載した。

2000/1/21、全日本キックボクシング連盟主催『LEGEND-I』のダブルメインイベント(セミファイナル)でモハメッド・オワリ(ベルギー)と対戦予定であったが、魔裟斗が試合出場を拒否し「試合放棄」とされた。3/14付けで藤ジムと全日本キックボクシング連盟に退会届を提出し、同連盟ウェルター級王座も返上、「シルバーウルフ」所属となった。その後しばらくは、総合格闘技団体・パンクラスの東京道場や新日本キックボクシング協会の伊原道場を間借りして練習を行う。魔裟斗は「自分のジムもなくて、いつ試合ができるかも分からないこの時期が一番つらかった」と語っている。

2000/7/26、初の自主興行『Wolf Revolution』を開催し、メインイベントでクレイトン・コリヤーに1RKO勝ち。

2000/11/1、K-1 WORLD MAXの前身に当たる興行『K-1 J・MAX』で、ムラッド・サリ(フランス)とI.S.K.A.世界オリエンタルウェルター級タイトルマッチを行い、2Rに左フックでKO勝ち。王座奪取成功。試合後、リング上でマイクを握った魔裟斗は「これからは俺の時代です」と宣言した。この試合は大きなターニングポイントになったと後に語っている。

2000/12/5、タイで行われた『タイ国王生誕記念大会』でスリヤー・ソー・プルンチットと対戦し、判定負け。小比類巻貴之戦以来、3年6か月ぶりの敗戦となった。

2001/1/12、Wolf Revolution 〜Second Wave〜にて1年前に対戦予定だったモハメッド・オワリを一方的に打ちのめして3RTKO勝ち。試合後、「俺が逃げたわけじゃないってことが証明できた」とコメントした。

2001/3/30、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主催『ODYSSEY-1』で伊藤隆の引退試合(エキシビションマッチ)の相手を務めた。

2002/2/11、K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントに出場。1回戦、準決勝共にKO勝ちで決勝に進出し、小比類巻貴之と対戦。的確にパンチをヒットさせ判定勝ち。

2002/5/11、K-1 WORLD MAX 2002 世界一決定戦の準決勝でアルバート・クラウス(オランダ)と対戦。2Rにクラウスの右ストレートでダウンを奪われ判定負け。試合後の控室に向かう途中、嗚咽を漏らし号泣した。

2002/10/11、K-1 WORLD MAX 2002 世界王者対抗戦でアルバート・クラウスと対戦。雪辱を誓ったものの、互いに決め手を欠き引き分け。

2003/3/1、K-1 WORLD MAX 2003 日本代表決定トーナメントに出場。3試合とも判定勝ちながら危なげない試合運びでトーナメント2連覇。

2003年7月5日、K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメントの1回戦でマイク・ザンビディス(ギリシャ)と対戦。1R、わずかな隙を見せたザンビディスに跳び膝蹴りを見舞いダウンを奪うも、その後ザンビディスの反撃によりポイントを奪い返され、2-1の判定で辛勝。決勝戦で前年度王者アルバート・クラウスを2R、左フックでKOし、優勝を果たした。

2003/12/15、『WOLF REVOLUTION meets LUZ』で宇野薫とエキシビションマッチを行った。1Rはキックボクシングルールであったが、2Rは総合格闘技ルールとなり、オープンフィンガーグローブでの戦いを披露した。

2004/7/7、K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメントでジャダンバ・ナラントンガラグ(モンゴル)、アルバート・クラウスをそれぞれ判定で下し、決勝戦でブアカーオ・ポー.プラムック(タイ)と対戦。連戦によるダメージが蓄積し、なおかつ片目が塞がった状態での戦いを強いられた。ブアカーオの攻撃に成す術もなく3Rにはフラフラの状態で戦っていたのにもかかわらず、3R終了時点判定1-0で延長R突入となり、延長Rで判定負け、準優勝となった。この判定は問題となり、大会終了後の7/9に「3R終了時点の判定はミスジャッジングであり、不適格かつ不可解」であったとして、角田信朗を始めとした審判員の処分を発表した。また、3R終了時点でブアカーオが3-0の判定勝ちであったことを正式に認証することになったが、公式記録上の変更は行わなかった。

2004/12/31、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で山本"KID"徳郁とK-1ルールで対戦。1R、山本にダウンを奪われた直後、ローキックが山本の金的を直撃し試合が中断する。山本自身「手足が震えた」というほどの致命的なダメージであった。この時、リプレイ映像を見た解説の船木誠勝が魔裟斗の視線が下に行っているのを指摘、故意であることを匂わせる発言をしている。そして5分の休憩の後、精彩を欠いた山本から2Rにダウンを奪い返し、判定勝ちを収めた。

2005/7/20、K-1 WORLD MAX 2005 世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝でマイク・ザンビディスと対戦。ダウンを奪い判定勝ちしたが、自身の蹴りで左足腓骨を骨折し準決勝を棄権。

2005/12/31、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!で復帰。大東旭に2RTKO勝ち。

2006/6/30、K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝で小比類巻貴之と通算3度目の対戦。3Rにボディブローを効かせ、直後の左ストレートでダウンを奪い判定勝ち。準決勝でアンディ・サワー(オランダ)に3R終了間際にダウンを喫し判定で敗れ3位に終わる。

2006/12/31、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!において対戦予定だった元WBA世界スーパーウェルター級王者・チェ・ヨンス(韓国)が練習中に負傷したことにより、試合10日前に対戦相手がボクシング元日本ミドル級王者・鈴木悟に変更。結果は2RKO勝ち。

2007/2/11、女優・タレントの矢沢心と6年間の交際、5年間の同棲を経て入籍。翌2008/4/20、都内のホテルで結婚披露宴を行った。

2007/10/3、K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント決勝戦では、自ら指名した前年度王者ブアカーオ・ポー.プラムックと準々決勝で対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪い、判定勝ち。準決勝ではアルトゥール・キシェンコ(ウクライナ)に2Rにカウンターの左フックでKO勝ち。決勝ではアンディ・サワーと対戦したが、2試合を戦ったダメージの蓄積に加え、サワーの猛攻で足が限界に達し、2R終了時に立ち上がることが出来ず、セコンドがタオルを投入しTKO負け。準優勝に終わった。

2007/12/31、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でチェ・ヨンスと対戦。3年続けて元ボクシング選手との対戦となった。1Rにダッキングに合わせたハイキックでダウンを奪うと、その後もパンチやローキックで攻め立てて3Rタオル投入によるTKO勝ち。

2008/10/1、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのトーナメント準決勝で、かねてから魔裟斗との対戦を熱望していた佐藤嘉洋と対戦。3Rに左フックでダウンを奪われるが、その後手数で上回り延長Rにもつれ込む。その際、当時は「優勢選手に必ず10ポイントを付ける」というルールであったが、レフェリーの角田信朗がジャッジの点数を不正に改竄(ジャッジペーパーでは10-9となっていたが、わかりやすさを優先するという名目で9-8に)佐藤のトレーナーは判定を聞く前にこれ10-9にされたらドローだからな。と言っているしたため、不信と混乱を招いた。その後延長Rで形勢逆転し、判定勝ち。続くアルトゥール・キシェンコとの決勝戦でも同様の判定が起こり、2Rに右フックでダウンを喫するも3R巻き返し、3R終了時の判定はドローとなり、延長Rに判定勝ち。2度目のK-1 WORLD MAX世界王者となった。優勝直後にはリング上で「15年間やってきて、一つのことを頑張るといいことがあるって思ったね。皆も色々とあるだろうけど、途中で投げずに続ければ、結果はどうであれ、充実できると思う。はっきり言って俺は99%の努力と1%の才能でここまで来たけど、“継続は力なり”じゃないけど、ずっと続けたことが、このチャンピオンベルトにつながったと思います」とコメントした。

2009/3/22、東京マラソン2009に出場し、3時間51分41秒で完走した。

2009/4/1、記者会見を開き、2009年末を以って引退する旨を表明。「大晦日のDynamite!!で今年のトーナメント優勝者と戦いたい」「アンディ・サワーとは2度戦ってまだ勝っていないから、是非ともサワーに優勝してもらって挑戦したい。最後に俺がサワーに勝って終わるのは俺の運命」と発言した。

2009/4/21、引退発表後の「初戦」として出場したK-1 WORLD MAX 2009 FINAL16で、「魔裟斗の後継者」と目されるHIROYAとエキシビションマッチを行った。

2009/7/13、K-1 WORLD MAXでのラストマッチとなったK-1 WORLD MAX 2009 FINAL8にて、ファン投票で推薦された総合格闘家・川尻達也と対戦。試合決定直後から、川尻の打撃トレーナーである山田武士も加わり激しい舌戦を繰り広げた。1Rに右ストレートでダウンを奪い、2Rにパンチのラッシュで追い込んだところで川尻陣営からタオルが投入されTKO勝ちを収めた。

2009/10/26、K-1 WORLD MAX 2009 FINALにてジョルジオ・ペトロシアンが圧倒的な強さで優勝。その直後に魔裟斗はリング上でペトロシアンに対して「大晦日空いてるかな?」「大晦日、日本で待ってるよ。」と挑戦を表明した。しかし、その翌日、ペトロシアンが準決勝山本優弥戦の時点で既に右手の指を骨折していたことが発覚したため、対戦の正式決定には至らなかった。

2009/11/7、「SILVERWOLF presents FINAL REVOLUTION 〜大宮司進 FINAL〜」で行われた「大宮司進引退エキシビションマッチ」(K-1ルール・3分2R)で大宮司進と対戦した。

2009/11/12、世界王者ジョルジオ・ペトロシアンの右手の指の骨折が完治しないため、準優勝者であり過去2戦2敗のアンディ・サワーとの大晦日での引退試合が決定した。これについて、魔裟斗は「サワーとの試合はやり残し。過去2度の対戦は、既にダメージが溜まっているトーナメントの準決勝と決勝だったけど、お互いが無傷で公平なワンマッチなら俺の方が強い」と語っていた。

2009/12/31、さいたまスーパーアリーナにて行われたDynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜でアンディ・サワーとK-1特別ルール(3分5R延長1R、サワーが希望するシュートボクシングのロングスパッツ着用可)で自身の引退試合を行った。4Rにカウンターの右フックでダウンを奪うもサワーも盛り返し、最終5Rまでもつれ込んだが3-0の判定勝ちを収め、現役を引退した。


戦績
63試合55勝6負2分

獲得タイトル]

  • 全日本キックボクシング連盟ウェルター級王座(0度防衛)
  • I.S.K.A.世界オリエンタルウェルター級王座(0度防衛)
  • K-1 WORLD MAX 2002 日本代表決定トーナメント 優勝
  • K-1 WORLD MAX 2003 日本代表決定トーナメント 優勝
  • K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメント 優勝
  • K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメント 準優勝
  • K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント 準優勝
  • K-1 WORLD MAX 2008 世界一決定トーナメント 優勝

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団体 会場  
大阪プロ

大阪ミナミ・ムーブ・オン・アリーナ

13:00
沖縄プロ

沖縄・デルフィンアリーナ国際通り

20:00




試合結果

◆大阪プロ

○タダスケ[7分54秒 片エビ固め]×アルティメット・スパイダーJr
○原田大輔[9分25秒 片エビ固め]×松山勘十郎
ビリーケン・キッド、○アップルみゆき[12分5秒 飛びつき式回転エビ固め]小峠篤司、×くいしんぼう仮面

◆沖縄プロ

○めんそーれ親父[9分2秒 親父の卍]×仙台幸子
スペル・デルフィン、○ヤンバルクイーンナ[13分6秒 クイナの卵]×ミル・マングース、ウルトラ☆マンゴー
シーサー王、○怪人ハブ男[11分28秒 猛毒波布空爆]グルクンダイバー、×キジムナー

  


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