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2011/3/28
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  • 橋本大地がベイダー親子に完敗!ゼロワン大谷社長「勝てるレスラー」への育成に本腰
  • 「お前がプロレスの力を信じないでどうする」みのるが杉浦に〝正論〟説教
  • みちのく出身の底力!東郷V2
  • 福島在住のゴージャス松野が復活宣言
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AJPW

三冠統一
ジャンボ鶴田vsスタン・ハンセン

AJPW
三沢光晴/石川敬士vsドス・カラス/ビクター・ジョビカ

AJW
レッスルマリンピアード'93/2/2

ブル中野、レジー・ベネットvs.みなみ鈴香、堀田祐美子
神取忍、紅夜叉vs.井上貴子、長谷川咲恵
下田、伊藤、ASARI、白鳥vs.キューティー、プラム、ボリショイ、福岡
北斗晶vs.アジャ・コング
デビル雅美vs.井上京子
尾崎魔弓vs.豊田真奈美

AJWビデオ紹介トップ

World of Sport
1987/3/5

オーウェン・ハートvsマーティ・ジョーンズ

World of Sport
1987/3/21

フィンレーvsジョニー・セイント

DDT
2009/3/4

NON-FIX 3.4
チーム・イタリーvsチーム・フランス

大阪プロレス
2000/1/4

えっべさんvsくいしんぼう仮面

ZERO1
2001/10/25

大谷晋二郎vs高山善廣


AMAZON DVD ベストセラー


プロレス/格闘技
今日のテレビ放送/出演



USTREAM 23:30
チェリーの「さくらんぼ狩りナイト!」


サムライTV 22:00
Sアリーナ
2011年3月28日(月)号

23:00
ZERO1 3.27靖国神社・相撲場

J-SPORTS 22:00 
スマックダウン #604

エッジ vs ブロダス・クレイ
コフィ・キングストン vs シェイマス
トレント・バレッタ vs コーディ・ローデス
ケリー・ケリー vs レイラ
ビッグ・ショー&ケイン vs ザ・コア
クリス・マスターズ vs ジャック・スワガー
レイ・ミステリオ vs テッド・デビアス
クリスチャン vs アルベルト・デル・リオ


 
G+ 17:30
NOAH 福岡国際センターSP
(3/21開催) GHCヘビー級選手権試合
(第16代選手権者)杉浦貴
vs
(挑戦者)トレバー・マードック髙山善廣(髙山堂) vs 森嶋猛GHCジュニア・ヘビー級選手権試合
(第20代選手権者)鈴木鼓太郎 vs (挑戦者)石森太二 秋山 準&丸藤正道
vs
佐々木健介(健介オフィス)&中嶋勝彦(健介オフィス)モハメド ヨネ vs 金丸義信 潮﨑 豪&谷口周平
vs
吉江 豊(フリー)&相島勇人(フリー)小川良成&リッキー・マルビン vs KENTA&平柳玄藩青木篤志 vs ボビー・フィッシュ佐野巧真&齋藤彰俊
vs
宮原健斗(健介オフィス)
&ブライアン・ブレーカー田上 明 vs 井上雅央


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プロレス/格闘技
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1989年以前

日本プロレス
1962/3/28

NWAから独立し、新たに設立されたWWA。初代王者ブラッシーに力道山が挑み、ストレート勝ちで2代目王者に。

日本プロレス
1964/3/28

力道山亡き後の日本プロレスが新体制をスタート。故力道山の百田敬子夫人が代表から退くことも後日発表。

AJPW
1976/3/28
蔵前国技館
 

プロレス大賞
年間最高試合賞

ジャンボ鶴田試練の十番勝負
ジャンボ鶴田vsラッシャー木村



ジャンボ鶴田伝説 Vol.2
天才の章
ジャンボ鶴田伝説 Vol.2


国際プロレスとの全面対抗戦は4勝4敗1分1無効試合の五分

AJPW
1980/3/28
熊谷市体育館

チャンピオン・カーニバル
ジャンボ鶴田 vs カール・ファジー
テリー・ファンク vs レイ・キャンディ

AJPW
1987/3/28
後楽園ホール 

スタン・ハンセン/テッド・デビアス vs
ドリー・ファンクJr/輪島大士 


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1900年代

NKPW
1994/3/28
NKホール
 

パワー・ウォリアーvs小原道由

闘魂Vマニア Vol.1
闘魂Vマニア Vol.1

RINGS
1997/3/28
東京ベイNK
ホール
 

前田日明vs田村潔司

RINGS 10th ANNIVERSARY
RINGS


WCW
1998/3/28

WCW Saturday Night
永田裕志vsブッカーT



 
JWP
1999/3/28
後楽園ホール
 

福岡 晶引退試合
福岡晶/キャンディー奥津/矢樹広弓 vs
日向あずみ/カルロス天野/コマンド ボリショイ

JWP女子プロレス
15th ANNIVERSARY
JWP激闘史 vol.2
PURE HEART
PURE WRESTLING
JWP 15


AJPW
1999/3/28
愛知県体育館

チャンピオン・カーニバル
三沢光晴 vs ベイダー





2000年以降

NJPW
2000/3/28

中西・永田・ブライアン・ジョンストン・吉江豊・福田雅一と格闘ユニット「G- EGGS」を結成

FIGHTING G-EGGS
殻を破った男たち!
FIGHTING G-EGGS


AJPW
2002/3/28
呉市体育館

武藤敬司vsマイク・ロトンド

長井満也vs安生洋二

嵐vsジム・ステール

AJPW
2003/3/28
北海道立総合
体育センター

小島聡vsジョージ・ハインズ

武藤敬司vs嵐

小島聡vs嵐

カズ・ハヤシ/ジミー・ヤン高岩竜一/LOW-KI

チャンピオン・カーニバル優勝戦
小島聡 vs 嵐

嵐 vs 武藤敬司

河野 真幸が荒谷信孝を相手にデビュー

2003
CHAMPION CARNIVAL PART.1
CHAMPION CARNIVAL PART.1

NJPW
2004/3/28
両国国技館
 

IWGP
佐々木健介vsボブ・サップ
永田裕志vs蝶野正洋
IWGP タッグ
高山善廣&鈴木みのるvs天龍源一郎&中西学
中邑真輔復帰戦
天山広吉vs中邑真輔
棚橋弘至vs村上和成
ジョシュ・バーネットvs長井満也
ヒートvs金本浩二
獣神サンダー・ライガーvs成瀬昌由

KING of SPORTS 2
KING of SPORTS2

K-1
2009/3/28
横浜アリーナ
 

レミー・ボンヤスキーvs.アリスター・オーフレイム

第2代K-1ヘビー級王者決定トーナメント 決勝
前田慶次郎 vs. グーカン・サキ

ピーター・アーツ vs. エロール・ジマーマン
グラウベ・フェイトーザ vs. 澤屋敷純一
エヴェルトン・テイシェイラvs.ジェロム・レ・バンナ
セーム・シュルト vs. ヘスディ・カラケス

第2代K-1ヘビー級王者決定トーナメント 1回戦
グーカン・サキ vs. タイロン・スポーン
前田慶次郎 vs. メルヴィン・マヌーフ

K-1 WORLD GP 2009
IN YOKOHAMA

IWC
2009/3/28
ペンシルベニア 
vv
ワンマン・ギャングvsジム・ドゥガン

風香祭
2010/3/28
後楽園ホール 

FUKA MATSURI FIN~風香引退記念試合~

風香 vs 高橋奈苗



2/3/3/3 

風香おまとめ動画

風香祭 FIN
風香引退記念試合
風香引退


オープニング セレモニー  

紫雷 イオvs花月
/2/2 

風香祭ランブル
/2/3/3/3

ティグレFUKA LEON vs
HIROKA プリンセサ・スヘイ
/2/2 

ウルティモ・ドラゴン/円華vsNOSAWA論外/ MAZADA
/2/2 

栗原 夏樹vs桜花 大畠
/2/3/3/3

NOAH
2010/3/28
パシフィコ横浜
展示ホール
 

GREAT VOYAGE 2010 IN YOKOHAMA

丸藤正道 vs. 高山善廣

 

2/2

イントロ
力皇 vs 佐野
金丸 vs 石森/2/2
川田 宮本 vs 斉藤 青木/2/2
ヨネ 平柳 vs 森嶋 梶原
秋山 マルビン vs 吉江 志賀
小川 井上 vs 起田 宮原


DDT
2010/3/28
大阪 WONDERLAND
 

劇的なドリームチーム
"FU*CK!"

高木三四郎/澤宗紀vsグレートカイザー/守谷弘明



2/2

K-1
2010/3/28
トルバルホール

ヨーロッパGP予選トーナメントA決勝
ダニエル・サプロションvsドミトリー・べズース

スーパーファイト
コンスタンチン・グルコフvsポール・スロウィンスキー

スーパーファイト
レミギウス・モリカビュチスvsミハウ・グロガフスキー

ヨーロッパGP予選トーナメント準決勝
ドミトリー・べズースvsトーマス・サララ
マルティス・クニゼリスvsダニエル・サプロション

K-1 WORLD GP 2010 IN WARSAW EUROPE GP Elimination Tournament
A
K-1 WORLD GP 2010 IN WARSAW

WWE
2010/3/28
ニバーシティ・オブ
・フェニックス・
スタジアム

WrestleMania XXVI
"Get All Fired Up"

ダーク・マッチ/26人バトルロイヤル
-Dark Match/26-man Battle Royal-
優勝者ヨシ・タツ

統一タッグ王座戦
-Unified WWE Tag Team Championship-
○ショー・ミズ(ビッグ・ショー&ザ・ミズ)(c) vs ジョン・モリソン&Rトゥルース●

トリプルスレットマッチ -Triple Threat Match-
○ランディー・オートン vs コーディ・ローデス vs テッド・デビアス●

マネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチ
-Money in the Bank Ladder Match-
○ジャック・スワガー vs クリスチャン vs ドルフ・ジグラー vs ケイン vs シェルトン・ベンジャミン vs MVP vs マット・ハーディー vs エヴァン・ボーン vs ドリュー・マッキンタイア vs コフィ・キングストン

○トリプルH vs シェイマス●

○レイ・ミステリオ vs CMパンク(w / ルーク・ギャローズ、セリーナ)●

ノー・ホールズ・バード・マッチ -No Holds Barred Match- ○ブレット・ハート vs ビンス・マクマホン●

-10人ディーヴァズ・タッグチーム・マッチ
-10-Diva Tag team Match-
○ヴィッキー・ゲレロ、ミシェル・マクール、レイラ、マリース&アリシア・フォックス vs ミッキー・ジェームス、ケリー・ケリー、イヴ・トーレス、ゲイル・キム、ベス・フェニックス●

世界ヘビー級王座戦
-World Heavyweight Championship-
○クリス・ジェリコ(c) vs エッジ●

WWE王座戦
-WWE Championship-
●バティスタ(c) vs ジョン・シナ○

連勝記録 vs キャリア
-Streak vs. Career-
○ジ・アンダーテイカー vs ショーン・マイケルズ● 
マイケルズは負けたら引退しなければならない。


レッスルマニア26
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プロレス/格闘技
今日のバースデイ / 忌日


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万年 東一 
1908/9/10 - 1985/3/28

愚連隊の首領、右翼活動家、総会屋。右翼団体大日本一誠会初代会長。全日本女子プロレス初代会長。山形県飽海郡松嶺町出身。


新間 寿 
1935/3/28

元新日本プロレス専務取締役営業本部長、新間事務所代表、元WWF(現・WWE)会長。

過激な仕掛け人」の異名を持ち、昭和期の新日本プロレスを語るのに欠かすことのできない人物である。実父は東京プロレスを立ち上げ、新日本プロレス役員も務めた新間信雄。息子の新間寿恒もユニバーサル・プロレスリングを立ち上げるなどプロレス業界の裏方で働いている。

来歴

1935年、東京都新宿区にて生まれる。 中央大学に入学後、柔道部に所属する傍ら、強い男に憧れ、当時日本橋人形町にあった日本プロレスの道場にボディビル練習生として通う。この時後に新間の人生を左右する事となる豊登と知り合う。大学卒業後、大手化粧品メーカーのマックスファクターでのサラリーマン生活を経て、1966年、豊登の誘いをうけて実父の信雄と共に東京プロレスの立ち上げに携わる。そこからアントニオ猪木との関係が生まれ、東京プロレス倒産後、小来川鉱山鉱夫、ダイナパワーセールスマン、寿屋パン店経営者を経て1972年に新日本プロレス入社。専務取締役営業本部長の肩書きで、猪木の右腕として数々の名勝負を実現へと導いた。その中で最大の功績は「アントニオ猪木対モハメド・アリ」戦を実現させたことである。また、タイガーマスクを現実の世界に登場させ、IWGPの構想を提唱するなど、新日本プロレスに残した足跡は計り知れない。1980年代前半の全盛期には「プロレスブームではなく、新日本プロレスブーム」との発言も残している。(新間の言う通り、1980年代にはライバルの全日本プロレスの中継は新日本よりも早くゴールデンタイムから撤退しており、第三団体の国際プロレスに至っては1981年夏に崩壊している。)アリ戦の巨額の赤字が問題となり形式上降格された時期があったが、その時期も変わらず辣腕を振るっていた。

1983年に「新日本クーデター未遂事件」の責任をとる形で解任され(この時猪木も代表取締役社長を一時解任されている)、UWFを設立するが、1年ほどで崩壊し、その後も新日本の裏方を続けた。猪木がNWA加盟を拒否されたため、新日本代表としてNWAの名義人となっていたのも、新間と坂口征二であった。また、その手腕を買われてジャパン女子プロレスの経営にも関与し、グラン浜田をコーチとして送り込んだこともある。

スポーツ平和党結成から猪木告発そして和解まで

  • 1989年には猪木が立ち上げたスポーツ平和党の幹事長に就任、1992年の第16回参議院議員通常選挙では比例代表より立候補し落選している。
    • スポーツ平和党の運営を巡っては猪木の税金未納疑惑が発覚すると江本孟紀副党首に金銭疑惑を追及され、党の行方が注目される中、政治評論家の菊池久から"親密な仲"と噂された佐藤久美子公設第一秘書が記者会見を行い決別を宣言、新間もその後袂を分かち、一時は猪木の告発本を執筆した。
    • 常日頃「私はアントニオ猪木とプロレスの悪口は言ったことがない」と公言し、告発したのは「一個人としての猪木寛至」であり、「プロレスラー・アントニオ猪木」ではないなどと発言していたが、スポーツ平和党幹事長だった1995年に告発本の出版予定日を繰り上げて記者会見を行い「女性の方は耳をふさいでください・・・アントニオ猪木のPKO・・・それは○ン○ン来い来い○マン○やろう」と放送禁止用語を発言しその模様は、TBSで全国に生中継された(ちなみに、この放送をたまたまリングス関係者が見ており、前田日明に「猪木さんが大変なことになってますよ!」と伝えたら「何言ってるんだ、いつものことや!そのうち仲直りするさ!」と全く取り合わなかった、という話がある)。また猪木の秘書を便所に連れこみ平手打ちをするなど毎日のようにワイドショーで取り上げられていた。
  • 猪木落選後は、猪木や新日本プロレスとの関係が疎遠となるが、2002年に東京スポーツ新聞社の桜井康雄元取締役が間を取り持ち猪木と新間電撃和解と報じる、そして猪木事務所のアドバイザーとして復帰すると、ジャングルファイトをプロデュースし、翌2003年の新日本プロレスの東京ドーム大会では約20年ぶりにリングに上り、その存在をアピールする。
  • 現在は「天下のプロレスご意見番」として雑誌などに登場し、プロレス界に苦言を呈している。
  • しかし、「暴露本」を出したミスター高橋のことは激しく非難している。ただし、新間が「これこの通り猪木のビッグマッチはほとんどミスター高橋以外が裁いている」と言って持ち出してきた試合一覧は、大半が他流試合と異種格闘技戦(つまり新日本側・プロレス側である高橋が裁くのはあり得ない試合)であった。

その他

  • WWE創業者一族のマクマホン家とは家族ぐるみの付き合いである。特にビンス・マクマホン・シニアとの交流は有名で、亡くなる直前、新日本に立会人として来日した際のパーティの挨拶で「ここに私の友人である新間がいないことは寂しい」とコメントした(新間はその時、プロレスの表舞台から消えている時だった。後にシニアの訃報を聞き、雑誌のインタビューで、追悼と共に、シニアのこのコメントに対する謝意を示していた)。
  • メキシコUWAの初代代表であるフランシスコ・フローレス、2代目代表のカルロス・マイネスからも絶大な信頼を受けていた。新間が提唱したIWGP構想に賛同して参加したが、新間への信頼から、律儀にメキシコ予選リーグ戦を開催した。IWGPリーグ戦第一回大会において、予選を勝ち抜いて本選に出場したのは、アジア代表の猪木、キラー・カーンと、中南米代表のエル・カネック、エンリケ・ベラだけである。
  • タレントで元参議院議員(当選無効)の新間正次は従兄弟、声優の高山みなみは姪にあたる。
  • なんでも鑑定団にて猪木VSアリ戦のもの(調印書かなにか書類)を持って来て350万円つけられた。

エピソード

  • マックスファクター時代は、自社商品をレスラーに勝利者賞として提供していた。
  • IWGP構想を"世界制覇の大野望"と評し、リング上で発表する新間に対して"過激な仕掛け人"と呼んだのは、テレビ朝日アナウンサー時代の"過激なアナウンサー"こと古舘伊知郎だった。

著書・参考文献

  • リングの目激者(竹内宏介、桜井康雄との共著) 都市と生活社 1983年3月
  • プロレス仕掛人は死なず みき書房 1984年4月
  • これがジャパンライフの真実だ! 21世紀の流通に挑む不滅のJLシステム 青山書房 1986年6月
  • アントニオ猪木の伏魔殿 誰も書けなかった闇素顔 徳間書店 2002年
  • 新・リングの目激者 歴史の証人(竹内宏介、桜井康雄との共著) 日本スポーツ出版社 2004年3月


ヘウソン・グレイシー
Relson Gracie
1953/3/28

エリオ・グレイシー次男


カート・ヘニング
Curtis Michael Hennig
1958/3/28 - 2003/2/10

アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州ロビンズデール出身。なお、姓のスペリングにおいてHenningは誤り(読みも「ヘニグ」が原音に近い)。

第34代AWA世界ヘビー級王者。WWEではミスター・パーフェクトMr. Perfect)のリングネームでも活躍した。父はAWAなどで活躍した名レスラー、ラリー・ヘニング。息子のジョー・ヘニングもプロレスラーである。

来歴

父ラリーとバーン・ガニアのコーチを受け、1980年1月にデビュー(兄ランディはレスラー志望ではなかった)。ルーキー時代は太平洋岸北西部(オレゴン州、ワシントン州)に拠点を置くNWAパシフィック・ノースウエスト・レスリング(PNW)に所属。

1984年、父が主戦場としていたAWAに参戦。当時はWWF(現WWE)によるハルク・ホーガンを始めとするスター選手の大量引き抜き直後だったこともあり、早くから頭角を現して1986/1/18、スコット・ホールとのコンビでAWA世界タッグ王座を獲得。AWAの次代の主役候補と期待され、1987/5/2にはニック・ボックウィンクルを破ってAWA世界ヘビー級王者となる。しかし翌1988/5/9、ジェリー・ローラーにタイトルを奪われると自身もAWAを退団し、WWFに移籍した。

デビュー以来ベビーフェイスのポジションにいたが、WWFでは「何をやっても完璧な男」というギミックが与えられ、ミスター・パーフェクトの名でヒールとして登場。初期はザ・ジニアス(ランディ・サベージの実弟ラニー・ポッフォ)、後にボビー・ヒーナンをマネージャーにヒールサイドのトップグループに迎えられ、1990年8月には王座決定トーナメントの決勝でティト・サンタナを下しインターコンチネンタル王座を獲得。タイトルは一度テキサス・トルネードに奪われるが奪回し、サマースラム'91ではブレット・ハートを相手に防衛戦を行った。試合には敗れたものの、この試合はWWE史・プロレス史に残る名勝負として名高い。

しかし、この頃から首などの怪我に悩まされ始め、WCWから移籍してきたリック・フレアーのマネージャーやテレビ放送のコメンテーターなどを主に務めるようになる。その後も生涯ケガによる長期欠場と復帰を繰り返した。ケガが多くなってからはコーチとしても活動。ブロック・レスナー、ドン・フライ、ブライアン・ジョンストンらが教えを受けている。また、一時期は貴族ギミック時代のトリプルH(ハンター・ハースト・ヘルムスリー)のマネージャーも担当していた。

1997年、ライバル団体WCWに移籍。USヘビー級王座の獲得、nWoやフォー・ホースメンへの加入、バリー・ウインダムらとのカウボーイ系ユニット「ウエスト・テキサス・レッドネックス」(世界タッグ王座も奪取)などで活躍した後、2000年夏に退団。

2002年、ロイヤルランブル2002でWWEに復帰。同大会のロイヤルランブル・マッチでは最後の3人まで残るなど大活躍したが、わずか3か月後に退団。その後は当時旗揚げされたばかりのTNAに参戦した。

2003/2/9、試合出場のため訪れていたフロリダ州タンパのホテルで急死。怪我による鎮痛剤の過剰な服用が死因とされる。

2007年4月にはWWE殿堂入りを果たした。同年には息子のジョー・ヘニングがハーリー・レイス指導の下、WLWでプロレスラーとしてデビュー。その後WWEと契約し、現在は下部団体のFCWで修行中である。

日本には、1983年11月に新日本プロレスに初来日。MSGタッグリーグ戦にてボビー・ダンカンのパートナーを務めた。1985年にはニック・ボックウィンクルのパートナーとして全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に出場。ハーリー・レイス、ドリー・ファンク・ジュニア、スタン・ハンセンら大物に混じって新鮮なファイトが高く評価された(奇しくもボックウィンクルとは同じ年にWWE殿堂入りをしている)。以降も全日本に度々参戦し、1987年1月には新日復帰直前の長州力のPWFヘビー級王座に挑戦。1988年1月にはAWA世界ヘビー級王者として来日し、二代目タイガーマスクの挑戦を受けて防衛に成功している。WWF移籍後の1990年には日米レスリングサミットでリック・マーテルと元AWA世界王者コンビを結成、ジャンボ鶴田(こちらも元AWA世界王者)とタッグマッチで戦っている。

試合スタイル

投げ技・大技はほとんど使用せず、基本的な打撃技と関節技だけで試合を構成してしまうプロレス史上屈指の試合巧者。また受身の技術も高く評価され、ミスター・パーフェクトの名は伊達ではなかった。そのためプロレスの手本的存在として高くリスペクトを受け、ヘニングの試合を観戦してプロレスを勉強する若手選手も多かった。試合スタイルと同様、入場時に常に右手に持っていた白タオルは、バディ・ロジャースからニック・ボックウィンクル、そしてヘニングへと受け継がれたものである。

死後もなお多くの選手から賞賛を受けており、WWEの若手選手からも憧れの存在として名を挙げられることも珍しくない。ジェフ・ジャレットもインタビューで「史上最高の選手」を問われ彼の名を挙げている。

獲得タイトル

PNW
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:1回
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:3回(w / ラリー・ヘニング、バディ・ローズ、スコット・マギー)
AWA
  • AWA世界ヘビー級王座:1回
  • AWA世界タッグ王座:1回(w / スコット・ホール)
WWF / WWE
  • WWFインターコンチネンタル王座:1回
  • WWE Hall of Fame(2007年)
WCW
  • WCW USヘビー級王座:1回
  • WCW世界タッグ王座:1回(w / バリー・ウインダム)
その他
  • WWCユニバーサル・ヘビー級王座:1回
  • FOWヘビー級王座:1回
  • MECWヘビー級王座:1回
  • i-ジェネレーション・ヘビー級王座:1回

逸話

WWE初登場時にはテレビでプロモーションビデオが流された(選手用に作られたのはこれが初めて)。内容はヘニングが野球、バスケットボール、ゴルフ、ダーツ、ボウリングなどで次々とスーパープレイを披露し、最後に「I'm Perfect.」と呟くものだったが、これは合成映像などではなく、すべて撮影時に実際にヘニングが(しかもほぼ1回で)決めてみせたものだ、というエピソードが残っている。



安生 洋二
1967/3/28

日本のプロレスラー・プロ格闘家。東京都杉並区出身。ニックネームは、Mr.200%

来歴

少年期〜UWF時代]

少年時代をニュージーランドで過ごす。第1次UWFでの高田延彦の試合を見て興味を覚え、埼玉県立和光高等学校卒業後、UWFに入門。スパーリングで高田と対戦し、その強さに尊敬の念を覚えた。

1985/7/8、広島県立体育館での星名治戦でデビュー。

同年末、第1次UWFが興行活動を停止後、UWF軍として新日本プロレスに属したが、のちに1988年の第2次UWFの設立に参加。

Uインター時代

1991年の第2次UWF解散後はUWFインターナショナルに加わり、選手として戦う傍ら、取締役として団体経営にも携わるようになる。特に、堪能な英会話力を生かして、外国人レスラーとの折衝にあたった。また、道場での強さを評して「ラッパ先生」と呼ばれた。

グレイシー道場破り事件

UWFインターに所属していた1994/12/7、ロサンゼルスのヒクソン・グレイシー柔術アカデミーへ道場破りに行き、ヒクソン・グレイシーに挑戦。非公式試合ながら多くのヒクソンの弟子たちが見守る中、なすすべなく倒されパウンドを浴び、チョークスリーパーで失神させられた。その1か月ほど前「ヒクソンには200%勝てる」と公言し、前夜も朝方まで忘年会で浴びるほどに酒を飲むなどの余裕を見せていた挙句の敗北であった。この行動は、ヒクソンと対戦交渉を進めていたUWFインター側が、なかなか結論を出さないヒクソンを挑発するために行った外交交渉の意味合いがあった。その使者(刺客)として送り込んだのが、当時道場でも一番の実力者とされた安生であったという。良くも悪くも、結果的にこの事件によりUWFインターは業界で大きな注目を集め、3年後にPRIDE(ヒクソンvs高田延彦戦)が企画されるきっかけにもなった。

グレイシー道場破り失敗の余波

グレイシー道場破りの失敗は安生本人にとって格闘家人生のトラウマとなり、後に「面と向かって高田さんの前に立てなくなった。自殺も考えた」と語っている。後述する「ゴールデン・カップス」の結成も道場破りでの敗北が遠因であるとし、「『笑い』に走らなければやっていられなかった」と振り返っている]。道場破りの件が影響して格闘家としての能力があまり評価されていないきらいがあるが、U-COSMOSでムエタイのチャンプア・ゲッソンリットと渡り合ったように、キックの技術は高いものがあった。

ゴールデン・カップス

1995年からは、新日本プロレスとの対抗戦に出場。高田延彦に次ぐUWFインターNo.2として長州力、佐々木健介、蝶野正洋といった大物と対戦した。長州、佐々木には完敗したが(特に長州にはバックドロップ→リキラリアット→サソリ固めの連携でわずか4分44秒で敗れ、実況の辻アナから「問題になりません!」などと言われるほどの負けっぷりであった)、蝶野にはメインイベントで変形足4の字固めで大金星といえる勝利を飾る。試合後、控室で「(頭を指差しながら)ここの差だね。“天才は天才を知る”と言いますが…」と発言した。数日後に行われた再戦では蝶野にバタフライロックで敗れた。また、「UWFは垣原とかに任せて、プロレス界は僕が背負って立ちます」と宣言するなど、ビッグマウスぶりが話題になる。その後はMr.200%を名乗り高山善廣、山本健一(現・山本喧一)と「ゴールデン・カップス」を結成する。ちなみに1995/10/9の東京ドームにおける安生戦での長州の試合後のコメントが、かの「キレてないですよ」(正確には「キレちゃいないよ」)である。一方の安生は長州戦後、「今日はあんまり無理はしなかった」「次回できれば無理しますよ」「これで僕も心を入れ替えて、謙虚に生まれ変わりますよ!」「謙虚イズベスト!」などとふざけたコメントを残し、記者達を爆笑させた。

1996/1/4、新日本の東京ドーム大会で実現した冬木弘道との試合では、冬木のわきがが臭いとの公言どおり、デオドラントスプレーを持参しリングインし、ボディーチェックの際に「腋にスプレーしろ」と強要するものの逆に口にガムテープをぐるぐる巻きにされた上、ラリアートを浴び敗戦。また、同年夏まで続いた冬木軍対ゴールデン・カップスの抗争は、ガムテープ以外にも、パンティー、生卵、生きたタコ等が凶器として使用されるハチャメチャなものだった。後に冬木とはタッグを結成。

1996/7/20、声優の富沢美智恵とゴールデン・カップスの共同名義で、CDアルバム『OHTACO』をリリース。記者会見では「今年の紅白歌合戦に出る」と宣言するも、出場はできなかった。

1996/6/30には力道山メモリアル(横浜アリーナ)にも参戦し藤原喜明と対戦(両者リングアウト)。また、同年8/17には神宮球場で高田延彦と「Uインター頂上対決」を行うも、キックの連打の前にTKO負け。

Uインター解散からハッスル始動まで

1996年末にUWFインター解散。翌1997年にキングダムを設立するもののまもなく活動停止に追い込まれた(1998年3月)。その後は全日本プロレスなどに参戦する傍ら、総合格闘技やK-1にも出場。K-1では佐竹雅昭と対戦するもTKO負け。

2003年には長州力が設立したWJプロレスに参戦。

2004年からはプロレスイベント「ハッスル」で、高田モンスター軍のアン・ジョー司令長官として参戦していた。この年は道場破りから10年となる節目の年でもあり、同年12/31の『PRIDE 男祭り 2004』ではグレイシー一族のハイアン・グレイシーと対戦。敗れはしたものの一区切りをつけた。

ハッスルでの立場

ここでは安生洋二との違いを主に記載する。主にハッスルでは高田モンスター軍に属しており、高田総統の側近として活躍する。アン・ジョー司令長官と安生洋二の関係は、高田総統と高田延彦、島田工作員と島田裕二のそれに近い。

アン・ジョー司令長官

ハッスルでは鬼教官の異名を持つ。ニックネームは、Mr.300%。高田総統の「ビターン」により、様々な姿に変身する。主な言語は英語である。日本語も話すが、一部の単語は英単語を用いる場合が多く、基本的に日本語文を読むことはできない。

ファイトスタイルは安生洋二とほとんど同じであるが、対戦相手に応じて攻撃パターンが異なり、新人や若手レスラーに対しては拷問刑に近い技を繰り出し、怪我が完治していない相手に対しては怪我の部位を徹底的に攻略するなど、頭脳プレーも時折見せている。

2004年の「ハッスル・ハウス クリスマスSP」ではモンスター軍全敗の責任を負い、降格こそ免れたが(インリン様がNo.2に昇格したため、実質的には降格となった)、インリン様に腕を折られるという制裁を味わった。

アン・ジョー之助

アン・ジョー司令長官に高田総統が「ビターン」を注入した姿であるが、アン・ジョー司令長官自身はアン・ジョー之助とは別人と主張している。タイガー・ジェット・シンとタッグを組むことが多い。主に竹刀を持って登場し、相手に対して攻撃する姿は上田馬之助に酷似している。

前田日明との確執

1994年、リングスとUWFインターナショナルとの対抗戦の交渉時に「前田(日明)なんて前の(第2次)UWFで終わった人間。高田(延彦)さんを出すまでもない。僕でも200%勝てますよ」と発言。また交渉決裂後も罵りあう(この際、「自宅を襲撃する」などの脅迫めいた発言を前田がしたとされる])。

1996年6月、FIGHTING TV サムライ開局のパーティーでは前田が安生を裏拳で小突いたとされる。レスラーやマスコミ等が周囲にいる中での出来事で、アントニオ猪木が仲裁したと言われる。

1999/11/14には、UFC-J会場において、「前にやられた時のお返し」として突如として背後から前田を襲撃。安生は傷害罪により略式裁判で30万円の罰金刑となった。罵り合いから双方の事件まではお互いに期間が空いているが、安生によると期間が空いたのは「それまで会う機会がなかったため。会ったらやり返すつもり(自分が殴られた時は『パーティー』という場であることを考え、応戦を思いとどまったそうである)だった」とのこと。

人物

  • 実兄は国際資格取得の専門学校と人材派遣業運営を主とする会社「ANJOインターナショナル」(2006年倒産)創業者だった安生浩太郎(現在は株式会社SPACEサーチ社長)。
  • 芸能事務所「株式会社アネット」の社長を務めている。アネットにはエスパー伊東らが所属している(エスパー伊東とは同じ高校出身である)。
  • 阪神タイガースファンであり、「優勝したら千本ノックを受ける」と発言した。その後、2003年に優勝したが、実際に千本ノックを受けたかどうかは不明である。

入場テーマ曲

  • 「OVERHEAD KICK」(通常)
  • 「JAMES BROWN IS DEAD」(廃盤)
  • 「PROMENADE; TABLEAUX D'UNE EXPOSITION(『展覧会の絵』より)」/MODEST MUSSORGSKY(アン・ジョー司令長官として)

タイトル歴

  • TWAタッグ
  • WAR認定6人タッグ
  • 世界タッグ王座


ウマガ/ジャマール
1973/3/28 - 2009/12/4

エディ・ファトゥEddie Fatu)サモアのプロレスラー。、全日本プロレス、WWEなどに所属した。巨体を活かしたパワフルな試合を得意とする一方、軽量級選手のような飛び技もこなした。兄にプロレスラーのリキシことソロファ・ファトゥをもつ。叔父はワイルド・サモアンズとして活躍したアファ・アノアイとシカ・アノアイ。

来歴

アファ・アノアイが運営するワイルド・サモアン・レスリングスクールで練習し、1995年にプロレスデビューする。

翌年には、日本にかつて存在した団体FMWにアルマゲドン1号の名で参戦し、アルマゲドン2号(マット・アノアイ)とのタッグでFMWハードコアタッグ王座を獲得している。

その後もインディ団体で、マット・アノアイとのタッグアイランド・ボーイズで活躍する。

WWE

2002年7月からはWWEにアイランド・ボーイズとして参戦。リングネームをジャマール、マット・アノアイはロージーに変え、後にスリー・ミニッツ・ウォーニング(3分間警告隊)というユニットで活躍する。エリック・ビショフの用心棒で、ビショフから抹殺命令が出されると、女性だろうが老人だろうが容赦なく叩き潰していた。その後2003年6月に解雇となった。

全日本プロレス

WWEを離脱後はTNAのリングに参戦し、太陽ケアの誘いにより全日本プロレスに本格参戦する。TAKAみちのく率いるRO&Dに加入し、いきなりジャスティン・クレディブルとのコンビで、世界最強タッグ決定リーグ戦準優勝を果たした。その後RO&Dの中心選手として、健介ファミリー、ボブ・サップ、VOODOO-MURDERSらと激しい抗争をすることになる。

2004年世界最強タッグリーグ優勝、2005年には太陽ケアとのコンビで第51代世界タッグ王座を獲得し、最強外国人とまで言われるようになり、全日本の外国人エースに君臨した。全日ラスト試合ではフライング・ソーセージで勝利し、最後のRO&D集合写真では涙を流していた。

WWE復帰

2006/4/3にウマガのリングネームでWWE復帰を果たした。マネージャーにアルマンド・アレハンドロ・エストラーダを従え、顔にはマオリ風のペイントを施したポリネシア先住民ギミックとして活躍。10月の日本公演では久々の日本での参戦となり、観客からはジャマール・コールが起こるなど大きな声援を受けた。また、日本公演の際には秋葉原のプロレスショップに現れた。同じ頃に、抗争中だったケインとの怪物対決を制し、WWEのトップ戦線を張るレスラーに成長。ターゲットをWWE王者であるジョン・シナに絞り、激しい王座戦を繰り広げることとなった。2007/2/19には、ジェフ・ハーディーを破りIC王座を獲得した。自身初のシングル王座であった。

レッスルマニア23では、ビンス・マクマホンとドナルド・トランプとの代理戦争に、ビンス側の代表として戦ったが敗戦。以後、ボビー・ラシュリーとマクマホン・ファミリーの抗争に参加している。イタリアのミラノで行われたRAWでタイトルを賭けて観客から対戦者を募り、観戦していたサンティーノ・マレラと対戦。ビンスの提案により、試合はノー・ホールズ・バードマッチに。シェイン、ウマガと共に3人でいたぶるはずが、ラシュリーの乱入によりIC王座を奪われてしまう。その後何度もマレラとIC王座戦を繰り広げ、7/2奪還に成功。

8月6日、ランディ・オートンとカリートがシナ潰しのためにウマガを対戦相手に指名するが、試合中に乱入したオートンとカリートの行為に怒り、二人を攻撃する。翌週にはシナとタッグを組みベビーターンした。8/26のサマースラムでは、ケネディ、カリートとIC王座をかけたトリプルスレットマッチを行い、実質2対1の状況ながらも圧倒的なパワーで防衛に成功。しかし翌日のRAWで復帰したジェフ・ハーディーに攻撃を仕掛け、大ブーイングを浴びてしまった。9/3に行われたRAWでは、IC王座をジェフ・ハーディーに獲られ、その後トリプルHと対戦した際に、大流血に追い込まれ全治1か月の欠場が発表された(これはドラッグテストで陽性反応が出た罰であり、実質は1か月の謹慎処分となる)。

2009年、ケガから復帰し、1/30のSmackDown!でジミー・ワン・ヤンに勝利し完全復活を果たした。5月にはスマックダウンに移籍してきたCMパンクを襲撃し、抗争を開始。しかし、6/8にWWEから解雇される。両者合意の上の退団とされていたが、実際はドラッグテストに引っかかり、施設でのリハビリを拒否したための解雇と言われている。

その後、11/28にハルク・ホーガンが立ち上げた新団体の旗揚げ興業に参加したが、12/4にテキサス州の病院で心臓発作のため死去。36歳だった。 偶然にもその翌日の12/5に、WWE時代のマネージャーであったエストラーダがケン・アンダーソン(Mrケネディ)との引退試合を行った。アンダーソンはウマガの最後の試合相手でもあった。

リングネーム

これまでに使ったリングネーム

  • ウマガ (Umaga) - 最後に使用したリングネーム
  • ジャマール (Jamal) - WWE、全日本プロレス参戦時代
  • アルマゲドン1号 - FMW参戦時代
獲得タイトル
WWE
  • WWE・インターコンチネンタル王座 : 2回
全日本プロレス
  • 世界タッグ王座 : 第51代王者(&太陽ケア)
  • チャンピオン・カーニバル : 2005年度準優勝
  • 世界最強タッグ決定リーグ戦 : 2004年度優勝
FMW
  • FMWハードコアタッグ王座 : 第2代王者(&マット・アノアイ)
HCW
  • HCWケカウリキ・タッグ王座(&太陽ケア)
HWA
  • HWAタッグ王座(&キモ)
MCW
  • MCW南部タッグ王座(&キモ)

入場曲

  • Virtual Voodoo

エピソード

  • 全日本プロレスを離れた理由は、家がハリケーンによって壊されてしまい、どうしてもお金が必要だったと週刊プロレスで語っている。この時、お金をたくさん稼いだら、必ず全日本プロレスに戻るとも宣言した。
  • 2006年10月に行われた日本公演では、日本でお世話になった感謝の意で、普段使用することのできないシャイニング・ウィザードを披露し観客から歓声を受けた。本人はその後コメントで、「あまりうまくできなかった」と冗談混じりで話している。
  • ザ・ロック曰く、ウマガの意味はサモアの言葉で「萎びた猿のペニス」。レッスルマニア23開催前に、ロックがウマガの敗戦を予想した理由として取り上げた。
  • 試合コスチュームにNBAプレイヤーのユニフォームを着用している。


門脇 英基 
1976/3/28

日本の総合格闘家。千葉県市原市出身。和術慧舟會東京本部所属。元修斗世界ライト級王者。

腹固めとチョークスリーパーを複合させた技である「門脇スペシャル」を得意技とする。

来歴

2000/9/10、全日本アマチュア修斗選手権ウェルター級に出場。決勝で杉江大輔に敗れ、準優勝となった。

2000/11/12、修斗でプロ総合格闘技デビュー。

2001年9月2、修斗で山本"KID"徳郁と対戦し、右フックでKO負け。

2002/11/15、修斗2002年度新人王トーナメント・ライト級決勝で小松寛司に判定勝ちし、新人王となった。

2004/12/14、修斗世界ライト級王者アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラとノンタイトルマッチで対戦し、フロントチョークで一本負け。

2005/12/11、D.O.G IVで志田幹と対戦し、判定ドロー。

2007/9/22、修斗で佐藤ルミナと対戦し、門脇スペシャルで一本勝ち。

2008/3/28、修斗のメインイベントで王者田村彰敏と修斗世界ライト級チャンピオンシップで対戦し、判定勝ち。第7代修斗世界ライト級王者となる。しかし11/29の初防衛戦ではリオン武に判定負けし、王座から陥落した。

2009/3/20、戦極初参戦となった「戦極 〜第七陣〜」のフェザー級グランプリ1回戦でナム・ファンと対戦。右フックでダウンしたところにパウンドで追撃されTKO負けを喫した。

2010/1/23、修斗環太平洋ライト級王者決定戦で土屋大喜と対戦し、判定負けで王座獲得ならず。

2010/12/18、修斗で2009年ライト級新人王&MVPの矢地祐介と対戦し、3-0の判定勝ち。連敗を4で止めた。



ウルティモ・グラディアドール
1978/3/28

ジェラルド・カンポス・ポサGerardo Campos Poza)は、メキシコ出身の男性プロレスラー(マスクマン)。


来歴

おじはエル・パンテーラ、ブラック・マン、ロッキー・サンタナのコーチの元、1997/6/11アレナ・ナウカルパンでルード「エル・ポトロ」のリングネームでデビュー。ローカル団体IWRGを拠点とする。一時期「メガ」と名乗ってマスクマンで活動していた時期もある。この頃コントラ・マッチで当時闘龍門所属であったCRAZY-MAXのSUWAと対戦し勝利しSUWAを坊主にした。2002年からAULL、2004年から「ウルティモ・グラディアドール」のマスクマンでAAA所属になる。AAAではエレクトロ・ショック、ドクトル・ワグナー・ジュニアでロス・マニアコスで活躍中。2010年6月シルバー・キングと組んでAAA世界タッグを奪取。

獲得タイトル

  • AAA世界タッグ


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今日のプロレス 興行日程
[今後の興行]
お近くの人は是非見に行きましょう!

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団体 会場 
みちのくプロレス
鹿児島・平和公園串良平和アリーナ 18:30
みちのくプロレス

沖縄プロ
沖縄・デルフィンアリーナ国際通り 20:00

プチでら外伝 
入江茂弘プロデュース興行
また会えたらいいね
愛知Sportiva 20:00

入江茂弘、石井慧介 vs 小峠篤司、原田大輔
高井憲吾 vs くいしんぼう仮面
ばってん多摩川 vs 小仲=ペールワン
宮本武士、彰人 vs 笠木峻、TAKASHI





試合結果

沖縄プロ
○グルクン・ダイバー[9分50秒 横入りエビ固め]×キジムナー
▽3WAYマッチ
○ヤンバルクイーンナ[10分22秒 ヤンバルジャーマン]×めんそーれ親父
※もう1人の選手はウルトラ☆マンゴー
シーサー王、○怪人ハブ男[13分31秒 亜留魔下首領]スペル・デルフィン、×ミル・マングース

プチでら外伝
○原田大輔、小峠篤司(17分35秒 片山ジャーマン・スープレックス・ホールド)石井慧介、入江茂弘×
○高井憲吾(11分30秒 ビタワン・バスター)くいしんぼう仮面×
○小仲=ペールワン(10分10秒 首固め)ばってん多摩川×
○TAKASHI、笠木峻(10分21秒 トップレス・ドライバー)彰人、宮本武士×

みちのく
○ザ・グレート・サスケ、FUNAKI、山上康弘(5分48秒 サンダーファイアー・パワーボム)佐藤秀、野橋太郎、佐藤恵×
△ザ・グレート・サスケ、FUNAKI、山上康弘(13分38秒 両者リングアウト)佐藤秀、佐藤恵、野橋太郎△
○フジタ“Jr”ハヤト、南野タケシ(12分35秒 ヘルム)拳王、大柳錦也×
○ヤッペーマン2号、1号(12分21秒 ウラカンラナ)日向寺塁、ラッセ×
○Ken45°(8分25秒 リンガルス)剣舞×
○気仙沼二郎(10分19秒 痛風)佐々木大地×

  


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