ビッグバン・ベイダー/ベイダー
1955/5/14
レオン・ホワイト(Leon White)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州ロサンゼルス出身。
日本で活躍した外国人選手の一人で、三冠ヘビー級王座とIWGPヘビー級王座の両タイトルを獲得した最初のレスラーで、なおかつ唯一の外国人レスラーでもある。また世界タッグ王座、IWGPタッグ王座、GHCタッグ王座の3大タッグ王座を獲得した最初のレスラーでもある。
息子のジェシー・ホワイトもプロレスラー。
来歴
学生時代から全米オールスターのアメリカンフットボール選手として鳴らし、ジャパンボウルで来日。コロラド大学卒業後の1978年、NFLのロサンゼルズ・ラムズにドラフト3位で入団。1980年1月にはスーパーボウルにも出場した(対戦相手は当時最強のスティーラーズ)。ゆえに、本人の右手薬指には常に、その証となるスーパーボウルリングがはめられている。
膝の怪我で引退後、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンマイク・ウィーバーのスパーリングパートナーなどをしていたが、1985年にプロレス入りしベイビー・ブル(Baby Bull)のリングネームでAWAからデビュー。ブル・パワーのリングネームでヨーロッパCWAに転戦、オットー・ワンツを破りCWA世界ヘビー級王座を獲得。
その後マサ斎藤にスカウトされ、1987年12月にTPG(たけしプロレス軍団)の刺客、ビッグバン・ベイダーとして新日本プロレスに登場。アントニオ猪木対長州力のIWGPヘビー級王座選手権が予定されていたところに TPG が割り込んだため観衆の不満が爆発し、最終的に暴動にまでなるが、ベイダー自身はその騒ぎの中、猪木から3分弱でフォールを奪う(混乱の末に猪木があっけなく負けたことが観衆の怒りに拍車をかけ、新日本はこの件で会場の両国国技館を管理する日本相撲協会から国技館の使用停止処分を受けている)。
翌1988年から新日本の常連外人として定着、IWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座を獲得したほか、1991年より並行して当時新日本と提携していたWCWにも登場。WCW世界ヘビー級王座を獲得している。
1993年5月、UWFインターナショナルに移籍。スーパー・ベイダーに改名し、1994年8月には高田延彦を破ってプロレスリング世界ヘビー級ベルトを奪取した。
1996年1月に新日本プロレスに参戦し、正月恒例の東京ドーム大会でアントニオ猪木と対戦するも敗北。翌2月には WWFに移籍。1997年9月には、ケン・シャムロックとの試合貸し出しの形でFMW川崎球場大会に参戦。1998年5月、全日本プロレスに初登場する(リングネームは「ベイダー」を使用)。そしてWWFとの契約解除後の同年11月より本格的に全日本プロレスに参戦。年末恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場し、準優勝(パートナーはスタン・ハンセン、公式戦は全勝)。1999年3月、ジャイアント馬場没後初の三冠戦(王座決定戦)で田上明を破り三冠ヘビー級王座を獲得、4月にはチャンピオン・カーニバル優勝。5月の東京ドーム大会(馬場の追悼興行)で三沢光晴に敗れて三冠王座を陥落したものの10月に奪還。2000年2月にはスティーブ・ウィリアムスとコンビ結成し世界タッグ王座を奪取。
全日本プロレス分裂後の2000年10月からは、外国人勢では珍しくプロレスリング・ノアに参加。2001年10月にはスコーピオと組んで初代GHCタッグ王座を獲得。ノア離脱後はWJプロレスを経て、ハッスル、全日本プロレス、MAKEHEN、WWE、「レッスルランド」に登場。なお、新日本プロレス離脱後、日本国内では「スーパー・ベイダー」「ビッグ・ベイダー」、海外では「Vader」などとリングネームを変更した上、マスクやリングコスチュームも違うデザインのものを使用していたが、2005年頃から再びビッグバン・ベイダーのリングネームを使用している。
2008年現在はコロラドでプロレスリングスクールの準備やプロレス以外のビジネスなど幅広く活動している。
2009年2月に元WWEのテストとともに来日し、ベイダータイム1, 2を開催。7月にはトレバー・マードック、ヘイリー・ヘイトレッド、ランス・ケイドらを伴い、ベイダータイム3,
4を開催した。
2010/4/29、ベイダータイム5において、自らの復帰戦を息子ジェシー・ホワイトの日本デビュー戦とともに開催し、往年のライバル藤波と18年ぶりに対戦した。
近年は、リングネームの商法登録を持つ新日本プロレスが他の複数団体との交流があるため、他団体でもビッグバン・ベイダーのリングネームを用いることが多い。
リングネーム
現在、過去に用いたことがあるリングネーム(2008年時点)。
- ベイビー・ブル (Baby Bull)
- ブル・パワー (Bull Power)
- ビッグバン・ベイダー (Big Van Vader)
- ビッグ・ベイダー (Big Vader)
- スーパー・ベイダー (Super Vader) -
新日本プロレス離脱後、UWFインターナショナル登場時のリングネーム。元の「ビッグバン・ベイダー」が権利問題で使用できなかったための改名。
- ベイダー (Vader)
獲得タイトル
- 新日本プロレス
- IWGPヘビー級王座 : 3回
- IWGPタッグ王座 : 1回(w / クラッシャー・バンバン・ビガロ)
- 全日本プロレス
- 三冠ヘビー級王座 : 2回
- 世界タッグ王座 : 1回(w / スティーブ・ウィリアムス)
- チャンピオン・カーニバル : 1999年優勝
- プロレスリング・ノア
- GHCタッグ王座 : 初代王者(w / スコーピオ)
- UWFインターナショナル
- WCW
- WCW・世界ヘビー級王座 : 3回
- WCW・ユナイテッドステイツ王座 : 1回
- その他
入場曲
- Eyes of the world(rainbow)
- Mastadon
- Vader Time
コスチューム
新日本プロレス在籍時、甲冑姿でリングインののちこれをリング中央に置き、両手を広げて、「ベイダー!」の叫びと共にスモークが吹き出すギミック。この甲冑の制作費は5万ドル(当時のレートだと日本円で700万円)だったとのこと。
一応覆面レスラーではあるが、気合いが入ってくると覆面を脱いでしまい時には試合前から脱いでしまったこともあった。
その他
- 猪木引退における「ファイナル・カウントダウン」でシングル対決した際、試合中猪木に「ガンバッテー!ガンバッテェー!」と叫びながらベイダーハンマーで殴り続けるという異様な一幕がみられた。
- 映画「北斗の拳」(実写版)に出演している。
- コスチュームをあまり洗濯せず、対戦相手にとっては匂いも厄介な武器になる。三沢光晴は、「あいつのタイツは、剣道の籠手だよ」と語っている。
- 新日本プロレス登場当初、山本小鉄には「インベーダー」と、テレビ朝日のアナウンサーには「ビッグ・バンベイダー」と間違って呼ばれたことがあった。
- 左上腕に赤黒い傷が見えるが、猪木戦で凶器によって負った傷であり試合は猪木の反則負け。
- 日本においてソニーのCDラジカセのCMに出演したことがあり、それを自分の子供たちが誇りに思ってくれたとのこと。
- 自身のベストバウトに1990年2月10日のスタン・ハンセンとのIWGP戦を挙げている。
- ファイトスタイルは、「アメリカでやるより日本の方が向いてる」と語っている。
- 息子のジェシー・ホワイトもプロレスラー。
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