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2011/5/18
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JWP
2008/9/23
後楽園ホール

PURE-SLAM2008
中島安里紗/ピンキー真由香/桜花由美vs松本浩代/水波綾/紫雷イオ

SUN
8/5
新宿フェイス

風香vs夏樹☆たいよう

アイスリボン
TeensII~中間テスト~予告 みなみ飛香/りほ

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14th RING 浜崎朱加試合後インタビュー

13th RING 百花試合後インタビュー

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SECRETBASE 2011.05.25

FREEDOMS
2011/3/14

Freedoms 3.14.11 music video

NJPW
2010/10/11

NJPW Destruction 2010 10.11.10 music video

アイスリボン
2011/1/4

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みちのく
2008/4/4

Michinoku Pro Oogamania 4 4.13.08 music video

ユニオン
2011/1/3

UNION 1 Fuji, 2 Taka, 3 Union~ 1.3.11 music video


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プロレス/格闘技
今日のテレビ放送/出演



サムライTV 22:00
Sアリーナ
2011年5月18日(水)号

<ニュース>
●WAVE 5.17新木場大会
<「BEST OF THE SUPER Jr.」帯特集>

23:00
LEGEND THE PRO-WRESTLING
2011.5.7 大阪府立体育会館・第2競技場

<シングルマッチ 60分1本勝負>
●藤波辰爾×長州力
<シングルマッチ 45分1本勝負>
●初代タイガーマスク×小林邦昭
<タッグマッチ 30分1本勝負>
●大森隆男&石井智宏
×本間智晃&関本大介
<6人タッグマッチ 30分1本勝負>
●泉田&菊地&橋
×B・タイガー&S・タイガー&T・シャーク
<6人タッグマッチ 20分1本勝負>
●ヒロ&ベアー&藤田峰
×A大塚&間下&斎藤彰
<タッグマッチ 20分1本勝負>
●AKIRA&ニャムジャブ・ロブサンドルジ
×エル・サムライ&倉島信行

CSテレビ朝日 24:25
#145 異種格闘技特集

飯塚孝之vsハビーリ・ビクタシェフ
アントニオ猪木vsチャック・ウェップナー


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プロレス/格闘技
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1989年以前

国際プロレス
1969/5/18

IWA世界タッグトーナメントを豊登、ストロング小林組が制し、初代王者に。ベルトを日本に持ち帰った。

NJPW
1979/5/18
新潟市体育館

MSG
アンドレ・ザ・ジャイアント vs スタン・ハンセン

NJPW
1984/5/18
広島県立体育館

アントニオ猪木vs長州力

アントニオ猪木全集 6
闘魂伝承Ⅱ
弟子たちとの闘い
アントニオ猪木大全集 Ⅶ


ハルク ホーガン/マスクド スーパースターvs
ディック マードック/アドリアン アドニス

藤波 辰巳vsアンドレ ザ ジャイアント

 
新日本プロレス
1987/5/18
千葉公園体育館

'87IWGPチャンピオンシリーズ

アントニオ猪木/木村健吾vs
コンガ・ザ・バーバリアン/トニー・セントクレア
IWGPヘビー級王座決定Bグループ予選リーグ公式戦
マサ斎藤vs前田日明
坂口征二/ジョージ高野vs
ハクソー・ヒギンズ/アレックス・スミルノフ
藤原喜明vs上田馬之助
スコット・ホール/キラー・ブルックスvs木戸修/山崎一夫
ダリル・ピーターソンvs蝶野正洋
小杉俊二/後藤達俊vsドン荒川/橋本真也
野上彰vsクリス・ベノイ
船木優治vs安生洋二


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1900年代

AJPW
1994/5/18
横浜文化体育館

三沢光晴/小橋健太/菊池毅vs
スタン・ハンセン/スティーブ・ウイリアムス/ジョニー・エース
川田利明/田上明/渕正信/小川良成vs
秋山準/本田多聞/大森隆男/浅子覚
ジャイアント馬場/タッシャー木村vs
永源遙/マイティ井上

飛び出せあすなろ
2大決戦
飛び出せあすなろ 2大決戦

1996/5/18
大田区体育館

中尾・沼尾(GAEA) vs青野・沖野(LLPW)
天野(JWP)vsフェニックス(jd's)
佐藤(GAEA)vs上林(FMW)
元気(AJW)vs市来(IWA)
元気vs佐藤
布川・本谷vs矢樹・中山 
椎名(AJW)vs宮崎(JWP)
エンドー(AJW)vs宮口(JWP)
ベストバウト賞
田村(AJW)vs久住(日向)(JWP)
前川・タニー(AJW)vs加藤・永島
前川・タニー・元気vs加藤・永島・佐藤

WWWA世界スーパーライト級王座
ASARI(AJW)vs植松(GAEA)

玉田・里村vs大向・白鳥

第1回
ジュニアオールスター戦
第1回 ジュニアオールスター戦

AJPW
1997/5/18
後楽園ホール

ゲーリー・オブライト/ボビー・ダンカンJr vs
ジャイアント・キマラ/本田多聞

ジャイアント馬場/ラッシャー木村/池田大輔 vs
渕正信/永源遙/井上雅央

スティーブ・ウイリアムス/ザ・ラクロス vs 三沢光晴/秋山準

小橋健太/ジョニー・エース/ザ・パトリオット vs
川田利明/田上明/大森隆男

GAEA
1998/5/18
大阪府立第2

植松寿絵 vs 尾崎魔弓

ガイア ジャパン
Vol.8
ガイア ジャパン

WWF
1998/5/18

エディ・ゲレロ vs. ウルティモ・ドラゴン

レガシー・オブ・エディ・ゲレロ
レガシー・オブ・エディ・ゲレロ






2000年以降

NOAH
2001/5/18
北海道立総合
体育センター

GHC
三沢光晴vs田上明
森嶋猛vs志賀賢太郎

Navigation with Breeze
Navigation with Breeze


GLOBAL HONORED CROWN
『HEAVY WEIGHT CHAMPIONS』
GLOBAL HONORED CROWN


NJPW
2001/5/18

棚橋弘至と怪我から復帰した同期入門の鈴木健三(後に鈴木健想に改名)と、タッグチーム「キング・オブ・ザ・ヒルズ(略称:KOTH)」を結成。

NJPW
2002/5/18

矢野通がブルー・ウルフ戦でデビュー

WWE
2003/5/18
ノースカロライナ州
シャーロット
シャーロット・
コロシアム

ジャッジメントデイ 2003
ジャッジメントデイ 2003


第5回大会(2003年)WWE Judgment Day 2003


サンデー・ナイト・ヒート・マッチ -Sunday Night HEAT Match-
○ザ・ハリケーン vs スティーブン・リチャーズ●

○ジョン・シナ&F.B.I.(チャック・パルンボ&ジョニー・スタンボリ) vs クリス・ベノワ,ライノ&スパンキー●

○ラ・レジスタンス(シルヴァン・グラニエ&レネ・デュプリー) vs スコット・スタイナー&テスト(w/ ステイシー・キーブラー)●

ラダー・マッチ形式WWEタッグ王座戦
-Ladder Match for the WWE Tag Team Championship-

●チーム・アングル(シェルトン・ベンジャミン&チャーリー・ハース)(c) vs エディ・ゲレロ&タジリ○

バトルロイヤル形式WWEインターコンチネンタル王座戦
Battle Royal for the vacant WWE Intercontinental Championship

○クリスチャン vs ブッカー・Tvsバル・ビーナス vs クリス・ジェリコ vs. ケイン vs ゴールダスト vs ランス・ストーム vs ロブ・ヴァン・ダム vs テスト

ビキニ・コンテスト -Bikini Contest-
○トリー・ウィルソン vs セーブル●

○ミスター・アメリカ(w / ザック・ゴーウェン) vs "ラウディ" ロディ・パイパー(w / ショーン・オヘア)●

世界ヘビー級王座戦 -World Heavyweight Championship-
●トリプルH(c) vs ケビン・ナッシュ○
トリプルHの反則負けのため王座移動は無し

フェイタル4ウェイ形式WWE女子王座戦
-Fatal Four-Way Match for the WWE Women's Championship-

○ジャズ(c) vs ビクトリア vs トリッシュ・ストラタス vs ジャクリーン●

ストレッチャー・マッチ形式WWE王座戦
-Stretcher Match for the WWE Championship-
(SmackDown!)
○ブロック・レスナー(c) vs ビッグ・ショー●

アイスリボン
2007/5/18
市ヶ谷アイス
ボックス

希月あおいvs三田英津子

WWE
2008/5/18
ブラスカ州
オマハ
クエスト・センター

ジャッジメントデイ2008
ジャッジメントデイ2008


第10回大会(2008年)WWE Judgment Day 2008


ダーク・マッチ/世界タッグチーム王座戦
-Dark Match/WWE World Tag-Team Championship-

○ハードコア・ホーリー&コーディ・ローデス(c) vs サンティーノ・マレラ&カリート●

○ジョン・シナ vs JBL●

WWEタッグ王座戦 -WWE Tag Team Championship-
○ジョン・モリソン&ザ・ミズ(c) vs ケイン&CMパンク●

○ショーン・マイケルズ vs クリス・ジェリコ●

トリプルスレット形式女子王座戦
-Triple Threat Match for the WWE Women's Championship-


○ミッキー・ジェームス(c) vs ベス・フェニックス vs メリーナ●

世界ヘビー級王座戦 -World Heavyweight Championship-
○ジ・アンダーテイカー(c) vs エッジ●(カウントアウト)
GMのヴィッキー・ゲレロの判断により王座は空位のまま。

○ジェフ・ハーディー vs MVP●

スティール・ケージ・マッチ形式WWE王座戦
-Steel Cage Match for the WWE Championship
○トリプルH(c) vs ランディ・オートン●

戦極
2008/5/18
有明コロシアム

戦極 〜第二陣〜

ジョシュ・バーネット vs. ジェフ・モンソン
ホジャー・グレイシー vs. 近藤有己
ケビン・ランデルマン vs. 川村亮
中尾"KISS"芳広 vs. BIG・ジム・ヨーク
ジョルジ・サンチアゴ vs. 佐々木有生
光岡映二 vs. イ・グァンヒ
マイク・パイル vs. ダン・ホーンバックル
北岡悟 vs. イアン・シャファー

NOAH
2009/5/18
ディファ有明

三沢光晴 vs 青木篤司



2/2


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プロレス/格闘技
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マシオ駒
1940/5/18 - 1976/3/10

日本の元プロレスラー。本名は駒 秀雄。東京都世田谷区出身。

来歴

早稲田実業高校時代は野球部に所属(同期に王貞治)。卒業後の1961年6月に日本プロレスに入門し、同年10/11の平井光明(ミツ・ヒライ)戦でデビュー。この時期のリングネームには駒厚秀駒角太郎などがある。身長170cm程度とプロレスラーとしては小柄であるが、素早い動きと高さのあるドロップキックを武器に奮闘した。

1970年1月にメキシコ遠征、マシオ・コマのリングネームを用いた。同年8/28にエル・ソリタリオを下し、NWA世界ミドル級王者を獲得。その後アメリカに転戦し、アマリロ地区でファンク一家とのコネクションを得る。

1972年、ジャイアント馬場が日本プロレスを離脱すると馬場に合流し、全日本プロレスの立ち上げに参加する(この時、9月に行われた設立発表の会見時にはアマリロ遠征中であったため、10/21の旗揚げに間に合うよう急遽帰国した)。全日本プロレスではジョー樋口と共に外国人選手の招聘や、若手の指導を行うようになる。1973年のジャンボ鶴田入門時には、鶴田のアマリロ修行に同行、指導した。

1976/3/10、都内の病院で尿毒症による腎不全のため死去。同日、全日本プロレスの日大講堂大会で10カウントの弔鐘が行われた。

エピソード

  • 礼儀や生活態度に厳しい、練習熱心な人物像が伝えられている。薗田一治(後のハル薗田)が入門を希望して全日本プロレスを訪問した際、服装が宜しくないとしていきなり張り手を見舞ったというエピソードが残っている。そういった真面目な性格が尊ばれた一方、時には頑固過ぎる性格が軋轢を招いたこともあったらしく、グレート小鹿は「馬場に対し真っ向から意見できたのは駒だけ」「すでに若手でなくなっていた自分に対してでさえ、(メインイベントに登場する馬場が目立つようにするため)派手な技を使うことを禁止してきた」「言っては悪いが、駒がいなくなってから会社の雰囲気が明るくなった」(大意)と回想している。
  • ジャイアント馬場の最初の付き人でもあった。全日本プロレスに参加した後も馬場の片腕として活躍した。
    • 馬場も駒をかわいがっており、全日本プロレス立ち上げ時にアマリロ遠征中であった駒を中途帰国させる事となった。
    • 予定を切り上げて急遽帰国する事になった駒について、馬場は当地のプロモーターであり、NWA役員でもあったドリー・ファンク・シニアに挨拶をしなくては、と直接アマリロを訪問している。この時に得られたドリー・ファンク・シニアの支援やファンク一家とのコネクションが、後の全日本プロレスに多大な影響を及ぼす事となった。
  • 真面目で練習熱心、会社のために尽力した駒に対するジャイアント馬場の信頼は非常に厚く、駒が亡くなった際、馬場は「なぜなんだ!」と言ったきり絶句したという。
  • 日本プロレス時代の後輩にあたる山本小鉄は、駒同様に大変に練習熱心な人物として知られるが、二人はライバルであると同時に仲が良かった(山本はこれを「駒さんとは『手が合う』関係だった」としている)。日本プロレスが崩壊する過程で、全日本の駒に対し、山本は新日本プロレスと違う進路を取ることとなったが、共に若手の指導を行う立場となり、両団体がほぼ断交状態にあった中でも、練習方法や指導方法について相談し合う事が多かった。ザ・グレート・カブキの回想によると、駒は山本同様若手にはガチンコを徹底指導し、大技を使うことを厳しく制限していたという。
  • 野球の強豪校で活躍した実力から、力道山が作った野球チーム「レスラーズ」でもレギュラー選手として活躍した。

リングネーム

  • 駒秀雄
  • 駒厚秀
  • 駒角太郎
  • マシオ駒
  • マシオ・コマ(Maseo Koma)
  • ヒデオ・コマ(Hideo Koma)
    • アメリカでの活動時に本名が用いられており、フロリダでのヒロ・マツダらとのタッグ戦が確認できる。


ジミー・スヌーカ
Jimmy Snuka
1943/5/18

本名:ジェームズ・レイアーJames Reiher)は、フィジー出身のプロレスラー。アメリカや日本で活躍し、跳躍力を活かしたハイフライムーヴによりスーパーフライSuperfly)のニックネームを持つ。

養子のジミー・ライアー・ジュニアもプロレスラー(デュースの名でWWEに登場しタッグ王座も獲得、後にシム・スヌーカのリングネームで活動)。なお、第一次UWFに来日したジャック・スヌーカはジミー・スヌーカの弟を名乗ったが、単なるギミックで血縁関係はない。

来歴

ハワイでボディビルダーとして活動した後、1969年にアメリカ本土でプロレスラーとしてデビューし、太平洋岸北西部のPNW(Pacific Northwest Wrestling)でキャリアを積む。デビュー当時はラニー・ケオロハというリングネームだった。1971年9月にはインディアン・ギミックのグレート・スヌーカとして日本プロレスへの来日を果たしている(同名義では1974年11月の全日本プロレスにも参戦)。

その後、南洋の原住民スタイルのヒールに変身して飛躍のきっかけを掴む。PNWではパシフィック・ノースウエスト王座を1977年まで通算6回獲得し、ジャック・ブリスコのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦。1970年代後半からはジム・クロケット・ジュニアのNWAミッドアトランティック地区を主戦場に、リック・フレアー、リッキー・スティムボートらとの抗争で一躍トップスターとなる。ミッドアトランティック地区ではポール・オーンドーフやレイ・スティーブンスと組んでタッグ戦線でも活躍、同地区認定の世界タッグ王者となり、フレアー&スティムボート、マスクド・スーパースター&ブラックジャック・マリガンなどの強豪チームと対戦した。

日本では1981年5月より全日本プロレスを主戦場とするようになり、リッキー・スティムボートとの抗争も日本マットで再現。同年の世界最強タッグ決定リーグ戦ではブルーザー・ブロディとのタッグチームで優勝している。しかし、最終戦(12月13日、蔵前国技館)に乱入したスタン・ハンセンとブロディが組むようになると、翌1982年4月にブロディと仲間割れ。10月にブロディ対スヌーカの遺恨試合が行われたが、スヌーカがWWFに定着し全日本プロレスを離脱したため両者の抗争アングルは立ち消えになった。

WWF(現・WWE)には1982年3月より登場。当初はNWA時代と同様にヒールであったが(マネージャーはキャプテン・ルー・アルバーノ)、当時のWWF王者ボブ・バックランドとの抗争を通し、一連のハイフライムーヴにより観衆の喝采を集めベビーフェイスに転向。その後はバディ・ロジャースがマネージャー役に就くなど、一時はバックランドをも凌ぐ人気者となり、次期WWF王者の有力候補と噂された。

1983/10/17にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにて行われたドン・ムラコとの金網マッチでは、金網最上段からのスーパーフライを敢行。この試合をリングサイド3列目で見ていたプロレスラー志望の大学生ミック・フォーリーは、これがきっかけで本気でレスラーになることを決めたという。以降もWWFに定着し、1984年にビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下でスタートした全米侵攻にもベビーフェイスの主力として参加。ロディ・パイパーのインタビューコーナー『パイパーズ・ピット』への出演に端を発するパイパーとの抗争は、歴史的イベント『レッスルマニア』第1回大会への伏線ともなった。

1985年5月には当時WWFと提携関係にあった新日本プロレスに来日、IWGPリーグ戦へ出場した。同年11月のIWGPタッグ王座の初代王者チームを決めるタッグリーグ戦では、当時新日本へ参戦していたブロディとコンビを再結成し出場したが、外国人レスラーに王座を与えない新日本側の方針に反発してリーグ戦後の決勝戦を急遽キャンセルして帰国している(反発したのはブロディだけであり、スヌーカは巻き込まれただけだとする説が有力。その説を裏付けるように、後日坂口征二と和解した写真が各紙に掲載された)。

その間、アメリカでは1985年下期にWWFを離脱し、1986年よりAWAに参戦。AWAがWWFのレッスルマニアに対抗して開催したイベント "WrestleRock" ではタッグマッチでブロディとも対戦している(同イベントには当時のAWA世界ヘビー級王者スタン・ハンセンも出場)。1987年にはブロディとともに全日本プロレスに復帰、同年および翌1988年のブロディ死去後の世界最強タッグ決定リーグ戦に出場している(1988年のパートナーはタイガーマスク)。

1989年よりWWFに復帰し、ベテランの中堅として1992年2月まで所属。1991年4月には、ジ・アンダーテイカーのレッスルマニア初戦の相手も務めた。その後はインディー団体を転戦しつつ、初期のECWへも参戦。1992年4月に初代ECW世界ヘビー級王者にも就いている。1995年にはWARにボブ・バックランド、ミル・マスカラスと共に来日した。

1996年にWWF殿堂入りを果たし、2001年にはWCWにも出場。2004年にWWEとレジェンド契約を結び、折を見てストーリーラインに絡み、試合も行っている。WWE以外でも時折、インディー団体に参戦しているという。2009年4月のレッスルマニア25では、ロディ・パイパー&リッキー・スティムボートとレジェンド軍を結成し(セコンド役はリック・フレアー)、クリス・ジェリコとのハンディキャップ・イリミネーション・マッチを行った。

獲得タイトル

シングルタイトル
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:6回
  • NWAテキサス・ヘビー級王座(ダラス版):1回
  • NWA USヘビー級王座(ミッドアトランティック版):1回
  • ECW世界ヘビー級王座:2回
  • ECW世界TV王座:1回
  • WWF Hall of Fame:1996年度(プレゼンターはドン・ムラコ)
タッグタイトル
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:6回(w / ダッチ・サベージ)
  • NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):1回(w / ドン・レオ・ジョナサン)
  • NWAテキサス・タッグ王座(ダラス版):1回(w / ジノ・ヘルナンデス)
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):2回(w / ポール・オーンドーフ、レイ・スティーブンス)
    • スティーブンスは1983年にWWF入りし、かつてのパートナーだったスヌーカを裏切り者扱いして抗争を展開した。
  • NWAナショナル・タッグ王座(ジョージア版):1回(w / テリー・ゴディ)
    • 両者は1981年にジョージア地区のGCWでタッグを組んでおり、パートナーのゴディに合わせスヌーカもテンガロンハットを被っていた。


クレージー・セーラー・ホワイト
"Crazy" Sailor White
1949/5/18 - 2005/8/26

エドワード・ジョン・ホワイトEdward John White)は、カナダのプロレスラー。ニューファンドランド・ラブラドール州セントジョンズ出身のアイルランド系カナダ人。

そのリングネーム通り、船乗り上がりの荒くれ狂乱ファイターとしてカナダ大西洋岸やモントリオール地区を主戦場に活躍、日本では国際プロレスに度々参戦した。

来歴

セントジョンズの貧民街で育ち、10代の頃に違法行為を犯して投獄されたこともある。成人してからはニューファンドランド島で船員として働いていたが、持ち前の腕っぷしの強さと喧嘩っ早さを活かすべく、1972年にオンタリオ地区でプロレスラーとしてデビュー。以降、船乗り(Sailor)という自身のバックボーンをそのままギミックに取り入れ、セーラー帽を被り全身にタトゥーを施した巨漢ヒール、セーラー・ホワイトSailor White)となってカナダ各地を転戦する。

バンクーバーではジン・キニスキー、モントリオールではマッドドッグ・バションに師事し、1974年3月にはバションの肝煎りで国際プロレスの『チャレンジ・シリーズ』に初来日。同シリーズには全日本プロレスのジャイアント馬場が友情参戦しており、そのユニークなキャラクターと度胸満点のラフファイトを馬場に買われ、4月開幕の全日本『第2回チャンピオン・カーニバル』にも継続参戦した。しかし、酒と博打で滞在中にギャラをすべて失ってしまったため、5月に開幕した国際の新シリーズにも引き続き参戦。結果として、2団体を股にかけた3シリーズ連続出場という珍記録を残すことになった。

以降も国際には1976年1月と1978年1月に参戦。ラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座にも挑戦し、金網デスマッチで大流血戦を演じた(東京12チャンネル・アナウンサーの杉浦滋男は、顔面が鮮血で真っ赤に染まった彼を見て「ホワイトではなく名前をレッドにしなければなりません」などと実況していた)。また、来日する度にウエイトが増量し、最後の来日では150kg級の巨体になっていた。1979年にはビッグ・ジョン・ストロンボーBig John Strongbo)のリングネームで南アフリカにも遠征している。

1980年末よりニューヨークのWWF(現・WWE)に登場。野獣系ギミックのムーンドッグ・キングMoondog King)に変身し、ムーンドッグ・レックスとのタッグチーム "ザ・ムーンドッグス" を結成する。キャプテン・ルー・アルバーノをマネージャーに迎え、1981/3/17にペンシルベニア州アレンタウンでトニー・ガレア&リック・マーテルからWWFタッグ王座を奪取。シングルでもペドロ・モラレスやミル・マスカラスと対戦している。しかし、一時カナダへ戻った際、過去の犯罪歴が当局に発覚してアメリカに再入国できなくなり、そのままWWF離脱を余儀なくされた(ホワイトは王座を剥奪され、ムーンドッグ・スポットが後任王者となった)。

その後はモントリオール地区を主戦場に、1982年にディノ・ブラボーを破りカナディアン・インターナショナル・ヘビー級王座を獲得。同地区には1985年頃まで定着し、ブラボー、リック・マーテル、パット・パターソン、ジャック・ルージョー、ネイル・グアイ、ミシェル・デュボアらと激闘を展開した。

しかし、私生活ではドラッグとアルコールを乱用し、1980年代後半にセミリタイア。売春斡旋やドラッグ絡みの殺傷予告事件を起こし逮捕もされたが、1990年にモントリオールの更生施設でドラッグ中毒を克服、新生キリスト教徒となって社会復帰を果たした。同年10/22にはWWFのオタワでの興行でデイビーボーイ・スミスと対戦、その後も1990年代はカナダのインディー団体へのスポット参戦を続けた。2000年4月には「議会はムーンドッグを必要としている」をスローガンにカナダ下院に立候補、2004年7月にもカナダの緑の党から再出馬している(いずれも落選)。

2004/12/2、乗っていたタクシーが交通事故を起こして首の骨を折る重傷を負い、長期間にわたって入院生活を続けていたが、2005年8月26日に入院先の病院で死去。56歳没。

獲得タイトル

  • NWAカナディアン・ヘビー級王座(ハリファックス版):1回
  • カナディアン・インターナショナル・ヘビー級王座:1回
  • カナディアン・インターナショナル・タッグ王座:3回(w / サージ・デュモン、ギルズ・ポイズン、リック・バレンタイン)
  • WWFタッグ王座:1回(w / ムーンドッグ・レックス)


ゲーリー・オブライト
Gary Albright
1963/5/18 - 2000/1/7

アメリカ合衆国のプロレスラー。ネブラスカ州リンカーン出身。

一撃必殺とまで称された強烈なスープレックスでKOの山を築いたことから「殺人風車」「殺人スープレックス」などの異名で呼ばれた。

来歴

中学時代にアメリカン・カレッジスタイル・レスリング(レスリング)を始め、ネブラスカ大学時代にNCAA(グレコローマン)レスリング選手権スーパーヘビー級を3度制覇。オリンピックでのメダル獲得が有力視されていたが、親の看護のために断念。1987年12月に当時のWCW副社長カウボーイ・ビル・ワットのスカウトでプロデビュー。1988年にはカナダ・アルバータ州カルガリーのスタンピード・レスリングにてインド人ギミックのヴォッカン・シンVokkan Singh)を名乗り、マッカン・シンとのコンビで12/30にブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)からインターナショナル・タッグ王座を奪取している。

1990年6月、新日本プロレスに初来日。当時はゲーリー・オルブライトと表記されており、橋本真也との一騎打ちも組まれた。1991年8月にはUWFインターナショナルに参戦。グレコ仕込の高速スープレックスで高田延彦をはじめ対戦相手を次々とKOし、旋風を巻き起こす。特にフルネルソン・スープレックス(ドラゴン・スープレックス)は受身を取ることができず、「殺人スープレックス」と恐れられた。

1995年10月にスティーブ・ウィリアムスに誘われて全日本プロレスに参戦し、スタン・ハンセンやスティーブ・ウィリアムスとタッグを組み世界タッグ王座を獲得、1996年3月には三沢光晴の三冠ヘビー級王座に挑戦、世界最強タッグ決定リーグ戦にも参加するなど活躍した。またウィリアムス、ザ・ラクロスとともにユニット「トライアングル・オブ・パワーT.O.P.)」を結成し、活躍した。1996/6/30、ジャイアント馬場と組んで三沢光晴&小橋健太と対戦するという異色の試合も行った。なお馬場とオブライトは1995年の最強タッグで対戦している。1997/8/26での世界タッグ選手権でスティーブ・ウィリアムスと組み、三沢光晴&秋山準と対戦した際、全日本プロレスとしては異例(しかもタッグ)の8分42秒という試合時間で、その際のフィニッシュ・ホールドがオブライトのフルネルソンスープレックスからの体固め、三沢からのピンフォールである。1998年の最強タッグでは、ジャイアント・キマラと組んで出場した。

2000/1/7、アメリカのインディー団体WXWの試合中に心臓発作で倒れ急死。最後の来日はウルフ・ホークフィールドとのコンビで出場した1999年の最強タッグだった。晩年は糖尿病を患っていたといわれており、体力の衰えから基礎練習もままならない状態だったという証言がある。なお、ウィリアムスはオブライトの死後も、試合の際に毎回ユニット「トライアングル・オブ・パワー」のポーズ(両手の親指と人差し指で三角形を作る)を見せていた。

オブライトがまだフルネルソン・スープレックスを出していなかった頃、プロレスライターの流智美に「もしオブライトがフルネルソン・スープレックスを使ったら」と話を向けられた安生洋二は「下手したら死人が出る。絶対考えたくない」と言ったという。



山田 学
1969/5/18

日本の総合格闘家。栃木県黒磯市(現・那須塩原市)出身。

来歴

硬式空手を経験後、シューティング(現・修斗)に入門。サラリーマン生活の傍ら、自主トレーニングを中心に栃木から週に一度ジムへ通い、1990年にプロデビュー。川口健次、本間聡と共にライトヘビー級で活躍。王座には手が届かなかったもの、桜田直樹やシューティング初の外国人選手との試合では勝利を収め、シューティングを代表する選手として活躍。

1994年にパンクラスへ移籍。同年はマット・ヒュームなどの選手を連破し、年末の初代王者決定トーナメントではフランク・シャムロック、鈴木みのるを下して決勝進出。ケン・シャムロックに判定負けを喫するもの、準優勝となった。明るいキャラクターから、「親分」と呼ばれて人気を集めた。翌1995年も船木誠勝に勝利を収めるなどしたが、9/1にキックボクシングルールで行われたモーリス・スミス戦で腕を骨折。長期欠場を余儀なくされた。

以後は負傷に悩まされ、レベルが上がった外国人選手を相手に勝ち星を上げることも減っていくようになった。2000/1/23の近藤有己戦を最後に引退。

2001/1/8にはDEEP2001旗揚げ戦で菊田早苗と、同年5/13にはパンクラスで朝日昇と「山田学引退エキシビションマッチ」を行った。

愛知県で整体の修行を2年間行った後、2003年8月に東京都豊島区巣鴨で整体院ビープラスを開設、現在は豊島区大塚に移転して引き続き経営する傍ら、地元・栃木県で総合格闘技の指導を行っている。



カズ・ハヤシ
1973/5/18

ジュニアヘビー級のプロレスラー。本名は林 和広(はやし かずひろ)。東京都世田谷区出身。全日本プロレス所属兼同社取締役。現在までにユニバーサル・プロレス、みちのくプロレス、WCW、WWEに所属した。

2007年7月3日から、テレビ東京系で放送されている『キティズパラダイス』に、体操のお兄さん「マッスルフェアリーカズくん」としてレギュラー出演していた。

来歴

獅龍時代

1991年12月、ユニバーサル・プロレスリングに入門。1992/11/19、後楽園ホール大会でテリー・ボーイ(現:MEN'Sテイオー)と組み、モンゴリアン勇牙(現:新崎人生)&バッファロー張飛(引退)組を相手に覆面レスラー獅龍としてデビューを飾る。1993年、みちのくプロレス入団。みちプロ時代から並外れた身体能力は注目され、新日本プロレスのリング参戦時も「欽ちゃんジャンプ」で人気を博す。

1994年8月、SATO(現:ディック東郷)とテリーボーイとで平成海援隊を結成。1996年、船木勝一とTAKAみちのくが合流し、グループ名を海援隊★DXに改名。1998年海援隊★DXでWCWに参戦。一時帰国した海援隊から離れ単身メキシコへ。週刊誌の記事にて「元みちプロ、獅龍はメキシコにいた!」と2ページを飾ってしまった。2月23日のサクラメソト大会で1度敗れたウルティモ・ドラゴンと再戦するため覆面を脱ぎ、カズ・ハヤシに改名した。6月新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアには獅龍の名前でエントリーされていたが、改めてマスクを脱ぎカズ・ハヤシとして参加した。

WCW〜WWF

1998年7月にWCWと3年契約を結ぶ。2000年にはジミー・ヤン、ジェイミー・サンと共にヤング・ドラゴンズを結成しレギュラーポジションを獲得した。同年4月、第3回スーパーJカップトーナメントに出場する為一時帰国。1回戦でザ・グレート・サスケと恩讐を越えて戦うも、敗退。8日後の両国国技館大会にもトーナメント敗者によるタッグ戦に出場予定であったが「トーナメントに勝つために戻ってきたので、負けた以上日本に残る意味は無い」とこれを拒否。そのままWCWに戻る。2001年にはWCW最後のマンデー・ナイトロ生中継に唯一の日本人として出場した。

WCW崩壊後、WWFが選んだ24人の契約選手に残り、WWFと契約。しばらく下部組織のHAWでトレーニングをしていたが、2002年に全日本プロレスへ移籍したばかりの武藤敬司からのラブコールにより、WWFを退団し全日本プロレスに入団した。

全日本プロレス

2003年12月、小島聡と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦を制覇。ジュニア選手として、同リーグ戦を初めて制覇した。この時の公式戦で武藤敬司&嵐組に苦戦しながら、カズが嵐からフォールを奪った際の小島の発言「カズ、ありがとう。お前は男だ、男の中の色男だ。」から、「男の中の色男」がキャッチフレーズとなった。

2004/2/22、BLUE-K(TAKAみちのく)との王座決定戦に勝利し世界ジュニアヘビー級王座を獲得。その時、次期挑戦者としてアピールしにリングに上がったNOSAWA(現NOSAWA論外)に対し「お前は(挑戦者としては)論外だ」と言い放った。これを機にNOSAWAは“NOSAWA論外”というリングネームに改名した。ハッスルにも、レオナルド・スパンキー、ジミー・ヤンらとタッグを組み参戦。

2005/1/5、TAKAに世界ジュニア王座を奪われてからは、NOSAWA論外に強引に組まされる形でユニット「論カズ」を結成、コミカル路線に走りかけるも、結局は全日本ジュニアを熱く盛り上げる道を選択。この頃から練習生にトレーニングの指導を始める。

2006年、全日本プロレスの第1回ジュニア・ヘビー級リーグ戦で優勝し、8/27近藤修司の持つ世界ジュニア王座に挑戦したが、奪還出来なかった。

2007/2/20、全日本プロレスを無期限で欠場すると宣言。メキシコに渡った。その直後、全日本プロレスに「メキシコ・アミーゴス」なる謎のメキシカン・レスラー3人組が参戦。その中にはミゲル・ハヤシJrという、カズ・ハヤシに似たレスラーも含まれていた(他の2人は「ペペみちのく」と「エル・ノサワ・メンドーサ」)。 「メキシコ・アミーゴス」は「メキシコ・アミーゴスDX」と改名後、2007/12/16に「全日本プロレス 2007ファン感謝デー」にて解散した。この時には「正体を知らないふりをしてくれてありがとうございました」のコメントを残した。

2008年からは、ジュニア最前線復帰を宣言。2年ぶりのジュニア・タッグリーグ戦はエル・サムライとのタッグで出場するが、決勝戦で土方隆司、中嶋勝彦組に敗れ準優勝。世界最強タッグ決定リーグ戦では西村修と、第81代アジアタッグ王者決定トーナメントでは武藤敬司とのタッグで出場した。

2009年2月6日、丸藤正道からジュニアヘビー級王座を奪取し、第28代王者となる。

4月、5年ぶりにチャンピオン・カーニバルに出場。決勝では鈴木みのるに敗れたものの、ジュニア選手ながら準優勝を成し遂げた。直後のジュニア・タッグリーグ戦でも近藤修司とのタッグ「チーム246」で出場し、優勝決定戦で稔&歳三組に敗れ準優勝。

2010/9/20に菊地毅とのジュニアヘビー級王座防衛戦に勝利し、世界ジュニアヘビー級王座最多連続防衛記録を更新した。2011/1/2の後楽園ホール大会にて稔に敗れるまで17回の防衛に成功した。

獲得タイトル歴

全日本プロレス
  • 世界ジュニアヘビー級王座 : 2回(第21代・第28代)
  • 世界タッグ王座 : 1回(第49代)
    パートナーは小島聡。
  • アジアタッグ王座 : 1回(第75代)
    獅龍として戴冠。パートナーはグレート・コスケ(小島聡)。
  • チャンピオン・カーニバル準優勝 : 1回(2009年)
  • ジュニア・ヘビー級リーグ戦優勝 : 1回(2006年)
  • ジュニア・タッグリーグ戦優勝 : 1回(2011年)
KAIENTAI-DOJO
  • CHAMPION OF STRONGEST-K : 1回(第2代)
K-AWARD
  • 年間最高試合賞(シングルマッチ部門) : 1回(2004年)
その他
  • 中央アメリカミドル級王座
  • NWA インターナショナルライトヘビー級タッグ王座
    • パートナー はスパンキー。

入場テーマ曲

  • 和魂(やまとだましい)/オリジナル曲
  • 舌 / Laputa(旧テーマ曲)

リングネーム

  • カズ・ハヤシ
  • 獅龍
  • エル・ボスケ(プロモ・アステカで使用)
  • 2億%マシーン(コスチュームに884(ハヤシ)と書かれている)
  • ミゲル・ハヤシJr.(メキシコ・アミーゴス時代に使用。)
  • バワプロ仮面(対アントニオ・トーマス , TAKAみちのく組に使用。)

エピソード

  • カズ・ハヤシと獅龍が同一人物であることは明白だが、本人は「獅龍なんて知らない」と言い張っている。またそれと歩調を合わせるように第3回スーパーJカップで対戦したザ・グレート・サスケも「カズ・ハヤシ?誰だソレ?久々の対戦?知らねぇナァー」と答えている。かつて獅龍でアジアタッグ、カズで世界タッグを保持(パートナーはグレート・コスケ=小島聡)していたときに、同日に両王座の防衛戦が行われ、このときもそれぞれ別人を強調していたが、2度目?の登場の際にはなぜか汗びっしょりでかなり疲労困憊した様子で登場していた。
  • 獅龍はメキシコ在住である。
  • 獅龍時代のマスクはほとんど自作である(当初はケンドー製を使用)。
  • 獅龍時代、1996年3月に平成海援隊から海援隊★DXに改名する際、SATOはディック東郷に、テリー・ボーイはMEN'Sテイオーにそれぞれ改名することになり、自身も東京GIN(当時流行っていた森高千里の曲「GIN GIN ジングルベル」に便乗して、また自身が東京出身であることから)に改名するはずだったが、ファンからの反対意見が殺到したため、会社側から止められ断念した。(東京GINと紹介された興行ポスターは告示されるも、東京GINでリングに上がることはなかった。)。
また改名できなかったため、この頃からマスクをイメチェン、丸みのある王道マスクとなった。
  • カズはWCW崩壊後、WWFと契約したものの結局一度も出場できなかった。この理由としては、WWF幹部がカズの起用法に困っており、当時WWFで活躍中だったTAJIRIとキャラが被ることが原因だと言われている。なお、カズもTAJIRIもファイトスタイルのモチーフはグレート・ムタである。
  • WWFの下部団体だったHWAにいた頃、飲酒運転でクビになる直前のエディ・ゲレロやジャマール、ロージー、ディーロ・ブラウン、チャーリー・ハースなどと一緒だったという。
  • ヴィジュアル系バンド、Laputaのファンで入場曲や技名にも取り入れられている。
  • 2006年にブログにて結婚を発表した。
  • マイクアピールが下手である(解説者席の武藤敬司から「止めとけ」と言われた)。
  • 道場で若手選手に練習を教えており、近年の全日本プロレスにおける若手選手の充実ぶりに大いに貢献。しかし、あまりにも厳しい練習を課すことがあるようで、一部選手からはサド・ハヤシと呼ばれている。

カザ・ハヤシブログ


男色ディーノ
1977/5/18

DDTプロレスリング所属のプロレスラー。広島県尾道市生口島出身。リングネームは漫画「魁!!男塾」のキャラクター男爵ディーノに由来する。

経歴

大阪学院大学経営科学部卒。同校の学生プロレス団体OWF(大阪学院大学プロレス研究会)に入団以来、現在まで同じリングネーム、キャラクターを貫いている。デビュー戦では本名でリングに上がっていたが、1回生の学園祭シリーズを前に先輩から男色ディーノと命名された。当初はリングネームとは裏腹にストロングスタイルを標榜としていたが、試合を重ねるにつれてゲイキャラクターを身につけていった。学生時代はプロレスに打ち込むあまり留年に留年を重ね、支払った学費の総額から「ミスター1000万」の異名を取る。

2002/1/8のタイガーハート戦をもって学生プロレスを引退、同年5月CMAプロレスに入団。葛飾区金町地区センターで行われた、対高田慎一対SHURA対虎龍鬼対ジャンクハンター吉田対安倍健二戦でプロデビューを果たした。プロデビュー当初はプロレスだけでは飯が食えず、同団体所属レスラーのジャンクハンター吉田が経営する編集プロダクションに入社しテレビゲームの知識を生かしてファミ通XBOX、ゲームラボ、映画秘宝、宝島社のPC関係ムックなどで雑誌ライター業をこなした。現在はPCゲームの情報サイトである「4Gamer.net」で連載記事「男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ」を執筆している。

CWAプロレス退団後、DDTプロレスリングに移籍。そのキャラクターのユニークさからプロレスリング・ノア、ZERO-ONE MAX、大日本プロレス、マッスル、リキプロなど他団体のリングにも次々登場し、プロレス界で異彩を放つ人気レスラーとなっている。

2009年、8/23両国国技館の「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」にて保持していた

  • DDT EXTREME級選手権
  • 大森夢フェア認定世界大森級選手権
  • 大中華統一四川流無差別級選手権
  • 梅村パソコン塾認定世界コピー&ペースト級選手権
  • DJニラ認定世界および史上最高級王座

と、マサ高梨が保持していた

  • GAY世界アナル級選手権
  • JET世界ジェット級選手権
  • 世界ミッドブレス級選手権
  • DJニラ認定世界および史上最強級王座

との9冠統一戦に勝利し、史上初の9冠同時戴冠を達成する。

12月22日 - 23日に新日本プロレス主催で行われたSUPER J-CUP(本人曰く『SUPER ゲイCUP』)に初出場。初戦の邪道戦では新技、ゲイ道クラッチで大金星を挙げる。当初の目的であったプリンス・デヴィット戦ではデヴィットの唇を奪うことには成功した。

2010/1/10、今池ガスホール大会を体調不良で欠場しDDT EXTREME級選手権を返上。2/11、石川修司の持つKO-D無差別級選手権に挑戦するも、王座奪取ならず。3/27、アイアンマンヘビーメタル級をマサ高梨より奪取。再び9冠王者となる。その後4/21に安部行洋に奪われるも直後に奪還する。5/5、ZEPP NAGOYA大会にてDDT EXTREME級選手権を王者GENTAROより奪還に成功。これにより史上初の10冠王者となった。6/5、DDT直営のスポーツバー「ドロップキック」で行われていた「高梨エイド」で泥酔して眠りこけているうちにマサ高梨にアイアンマンヘビーメタル級を奪われ再び9冠に転落。

7/25の『両国ピーターパン2010 〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜』に向け、同時期にゲイレスラーとして、また学生レスラーとして活躍したもの同士としてレイザーラモン・HGとの対戦を熱望。これに対してRGは、HGの怪我が完治していないこと、引退宣言をしていることを理由に相方を出場させることを拒絶するが、HG本人がディーノの熱意に押される形で受諾。RGを加えてのハンディキャップマッチが行われ、最終的にディーノがHGの古傷である膝を狙い膝十字固めで勝利した。

8/29、後楽園ホール大会で、高木三四郎&澤宗紀の「チーム変態大社長」の持つCMLL認定KO-Dタッグ選手権に越中詩郎をパートナーとして挑戦。(試合はMIKAMI&タノムサク鳥羽組を加えた3Wey)高木にゴッチ式男色ドライバーを決め勝利。再び10冠王者となる。

人物

  • 大学時代から一時中断した時期をはさみつつも、一貫してゲイレスラーのキャラクターで活動している。
  • 使用する技の大半が自分の股間を押し付けたり相手の体をまさぐるものであり、肉体的よりも精神的なダメージで対戦相手を追い込むことを得意とする。コスチュームはMEN'Sテイオーのそれに酷似しているが、決定的に異なるのは男性器の部分に大きく「男」とプリントされている点である。
  • 得意技として二重に履いたタイツの間に相手の顔を入れ、逆さ吊りにしてマットに叩き落とす「男色ドライバー」などがある。
  • 入場時には毎回観客席に乱入し、好みの男性客を物色してディープキスをお見舞いしたり逃げまどう客にカルピスをぶちまけるなどのパフォーマンスを敢行する。
  • 親にバレたら引退とブログにて表明していたが、2006年7月1日DDT興行地元広島にて両親にプロレスラーであることを知られてしまう。その直後にモバイルゴングのコラムにて引退をほのめかしていたが]、同年8月のDDT主催・ビアガーデンプロレスにおいて、自らプロデュースした試合中に現役続行を宣言。サプライズゲストとして出場した実母からも事実上の了承を得た。
  • レスラーの中ではZERO1-MAXの藤田ミノルがお気に入りで、2006年1月の新木場大会においては当初日高郁人・藤田組VSディーノ・ランジェリー武藤組というカードが組まれていたが、勝利者チームにリゾートホテルのペア宿泊券が贈呈されるという言葉にディーノが欲情し、新木場コミッショナー(崔領二)との協議の結果、クジでパートナーを決定するという異例の「タッグパートナー組み直し」が行われた。
  • GPWA新プロレス連盟第1回大会では、CS放送(それも日本テレビ系列の日テレG+での)生放送中にもかかわらず入場時に実況席の蛯原哲にキスをし(しかもその模様は地上波放送のプロレスリング・ノア中継でも流れている)、試合中も何も恐れずいつも通りの戦い(?)を見せ、更にはKUDOと5分以上にわたるディープキスを交わしたまま控え室に直行した。
  • 透明人間(ミステロン)、ダッチワイフ(ヨシヒコ)相手にプロレスを行うなど学生プロレス時代に培ったアイデアをDDTに持ち込むなどしている。
  • SUPER J-CUPの初戦後、リング上にてレフェリーのタイガー服部に色目を使いつつ握手を求めたが、逃げられたのをさらに追いかけてともに退場した。ケンカ最強とも噂されるタイガー氏をもドン引きさせた。
  • 同じくSUPER J-CUPにてそのファイトスタイルに山本小鉄が激怒。2回戦にて山本小鉄に襲いかかろうとしたがセコンド陣が本気で制止。コレに関してディーノは 「(『ディーノのストロングスタイルとは?』)私が追い求めても仕方が無いものと思ってるわ。私のやり方でやるしかない。だから、ストロングスタイルの中に私がいて、初めて際立つということが手応えとして分かったの。私はこれで『J-CUP』の1回戦を突破して、第7回の優勝候補に名乗りを上げる予定の男色ディーノよ。(山本)小鉄さんがなんだって言うの。小鉄さんのやり方で行き詰ったから、今こんなにいっぱい団体があるんじゃない。私のような生き方も許されると思うわよ」

タイトル歴

  • DDT
    • DDTエクストリーム級王座(第5、9、11、13代)
    • GAY世界アナル級王座(第2、5代) - ディーノによる自作ベルト
    • 大森夢フェア認定世界大森級王座(第4代)
    • 大中華統一四川流無差別級王座(第4824代)
    • 梅村パソコン塾認定世界コピー&ペースト級王座(初代)
    • JET世界ジェット級王座(第3代)
    • 世界ミッドブレス級王座(第2代)
    • DJニラ認定世界および史上最高級(初代)
    • DJニラ認定世界および史上最強級(第2代)
      • ※2009年8月23日のDDT両国大会において上記9王座の同時戴冠に成功し9冠を達成
    • KO-D無差別級王座(第21代)
    • アイアンマンヘビーメタル級(第102、108、115、119、125、127、133、145、147、149、166、169、738、741、791、811、837、841代)
    • CMLL認定KO-Dタッグ王座(第15代:パートナーはグレン“Q”スペクター、第32代:パートナーは越中詩郎)
    • IMGP世界ヘビー級王座(初代)
  • OWF
    • OWFヘビー級(第16、18代)
    • OWFタッグ(第10代、パートナーはボビー・マクガイヤー)
    • NWAタッグ(第7代)
  • その他
    • 世界レノマ級(第2代)
    • UWA世界6人タッグ(パートナーはマサ高梨、佐藤光留)

入場曲

  • スリル / 布袋寅泰


矢野 通
1978/5/18

日本のプロレスラー。東京都荒川区出身。新日本プロレス所属。

経歴

中央大学レスリング部でジャンボ鶴田の2年先輩だった矢野修の息子として生まれ、7歳から父の指導のもと、アマレスをはじめる。京北中学校・高等学校時代には全国高校選抜レスリング選手権、全国高校総合体育大会と様々な全国大会で優勝を果たした。卒業し日本大学進学後も、世界学生選手権日本予選97kg級で優勝。全日本学生選手権ではフリー、グレコの両部門にて制覇しており様々な大会を制する。

大学卒業後の2001年4月、新日本プロレス傘下の闘魂クラブに入団し、2002年より新日本プロレスに入団。同年5/18にブルー・ウルフ戦でデビューを果たした。2003/8/31にはパンクラス両国大会に出場し、渋谷修身を相手に総合ルールに挑戦し敗退するも、内外から評価を得た。

2004年から、金髪・田吾作タイツ・はっぴ・下駄という酒飲みキャラに扮する。矢野曰く「くこれが自分の本性を出した第2のデビュー戦」とのこと。ヒロ斎藤、後藤達俊というヒール職人に師事し、反則負けを幾度となくやってきた。

2005年2月、蝶野正洋のバックアップを受けて海外武者修行に出発した。同年5月に帰国後、ブラックニュージャパン入りし、真壁刀義とともに反則三昧のプレーを展開した。しかし、11月に突然ベビーターンした(これは当時現場監督に復帰した長州力の「あいつは正統派ならもっと上にいける」という方針からだった)。スコット・ノートンのタッグパートナーを務めている。2006年5月からは石井智宏と「平成の極道コンビ」という名目でタッグを組むようになった。

2006年より天山広吉ら「G・B・H」に石井と共に合流。以降は天山・真壁をサポートする役割に徹していたが、2007/7/29に金村キンタローを破りWEWヘビー級王座を奪取した。2007/9/22にマンモス佐々木に敗れ同王座から陥落した。

2008年1月4日のレッスルキングダムでブラザー・レイ、ブラザー・ディーボン組(以後チーム3D)とハードコアマッチルールで対戦。凶器をうまく使用し追い詰める場面も多く見られたが敗北。同年2/14、ひたちなか大会でジャイアント・バーナードを相手に、シングルで初勝利を果たすと2/17、真壁刀義と組みIWGPタッグ王座を獲得。以降4度の防衛を果たすも2009年1月4日、チーム3DとIWGPタッグ王座を賭けてリベンジマッチに挑むもののこの試合でも敗北。IWGPタッグベルトが海外流出を許してしまう。2/15に3度目の正直でチーム3Dに挑むがここでも敗北。3連敗を喫してしまった。

同年4/5、タッグパートナーだったはずの真壁に対して椅子で側頭部を殴打し決別。この日、真壁と対戦した中邑真輔と共闘を宣言。後に中邑、本間朋晃を除いたG・B・Hメンバーと共にCHAOSを結成した。6/20に真壁とシングルマッチで対戦。乱入してきた中邑のアシストの経て、真壁を鬼殺しで葬ったが、7月シリーズに幾度となく真壁が乱入。7/20に再度シングルマッチが組まれるも、キングコングニードロップでピンフォール負けを献上。

2010年に入ると棚橋弘至に標的を定め、2/14に対戦。敗れはしたが、ハサミを持ち出し棚橋の髪を切るという暴挙に出て両者に遺恨が勃発。5月3日のレスリングどんたくにて清算を晴らすべく再戦。ここでも棚橋を新技ハーフネルソン式サイドバスター(後に鏡割と命名)でピンフォールを奪う。試合後、バリカンを持ち出し棚橋の髪を刈ろうと襲い掛かるも失敗に終わる。6/19にルーザー・ボールド・ルールで完全決着を果たすべく3度目の対戦。最後は十字架固めでピンフォールを負けを喫するも、髪を切られるのに抵抗。しかし、駆けつけて来たKUSHIDA、TAJIRIに押さえつけられとうとう髪を刈られてしまった。

2011年1月4日、レッスルキングダムにおいて、ハードコアマッチルールでTNAのロブ・ヴァン・ダムと対戦するも敗北。その後は、ロブ・ヴァン・ダムをマネして「ヤノ・トー・ルー」と言ってアピールするようになった。 3月のNJCに出場、1回戦に井上亘、2回戦に天山広吉に勝利し、準決勝に永田裕志と対戦するも敗退する。

獲得タイトル

新日本プロレス
  • IWGPタッグ王座(第51代)
  • G1 TAG LEAGUE 準優勝(2008年)
    パートナーはいずれも真壁刀義。
アパッチプロレス軍
  • WEWヘビー級王座(第4代)
EPW
  • EPWタッグ王座(初代)
    パートナーはケンドー・カシン。
プロレス大賞
  • 2007年度プロレス大賞 最優秀タッグ賞


宮本 武勇志
1980/5/18

日本のプロキックボクサー。埼玉県南埼玉郡出身。治政館所属。新日本キックボクシング協会ミドル級王者。

花咲徳栄高等学校卒業。平成国際大学中退。高校時代の一つ先輩には現WBA世界スーパーフェザー級王者・内山高志、同期に元日本スーパーフェザー王者・矢代義光などがいる。

来歴

高校、大学とアマチュアボクシングで活躍し、1998年高校総体、かながわ・ゆめ国体少年ライト級3位の成績を残した。スポーツ特待生として大学に入学するも、一年生のときに右膝半月板損傷。手術をしリハビリに励んだが再度、怪我。競技復帰が難しく、ボクシングを断念。2年時に大学を中退。

2002年4月、格闘技が諦めきれず、2年のブランクを経て、治政館に入門。

2003年5月18日、後楽園ホールにて、ウェルター級・宮本 武蔵(みやもと たけぞう)でプロデビューし、金子翔英(尚武会)に3RKO勝ち。

2006年9月3日、ミドル級に転向。ディファ有明にて、青木克眞(トーエル)と対戦し、判定ドロー。

2008年1月20日、新日本キックボクシング協会「BRAVE HEARTS 7」で阿久澤英一と対戦予定であったが、病気のために欠場となった。

2008年7月13日、IMF世界スーパーウェルター級王者・後藤龍治(伊原)と対戦、15戦目に初黒星を喫した。

2009年10月25日、日本ミドル級王者・後藤龍治(伊原)と対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得した。王座獲得後「宮本 武勇志」に改名。

2010年5月16日、初防衛戦で挑戦者・同級1位の喜多村誠(伊原)と対戦し、3-0の判定ドローで初防衛に成功した。

2010年7月25日、同級2位の今野明(市原)と対戦し、3-0の判定勝ち。

2010年8月29日、金龍(韓国)と対戦し、2R TKO勝ち。

2010年12月30日、戦極 Soul of Fightに出場。小又大貴(エス/WPMF日本ミドル級王者)と対戦し、1-0(宮本)の判定ドロー。

獲得タイトル

  • 第3代新日本キックボクシング協会ミドル級王座

テレビドラマ出演

  • 示談交渉人 ゴタ消し 最終話(2011年3月31日、読売テレビ)警察官役


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団体 会場 / 時間
全日本
RISE UP TOUR 2011
山口・バタフライアリーナ 18:30

諏訪魔、太陽ケア、近藤修司 vs カズ・ハヤシ、真田聖也、征矢学
曙、大森隆男 vs 船木誠勝、鈴木みのる
KENSO、浜亮太、BUSHI vs TARU、KONO、ジョー・ドーリング
KAI、大和ヒロシ vs 稔、MAZADA
渕正信、魁 vs レネ・デュプリ、スーパー・ヘイト

水曜カレー
プロレス(仮) 

愛知Sportiva 20:00~
彰人、佐藤泰 vs 影山道雄、TAKASHI
ノリ・ダ・ファンキーシビレサス vs 杉浦透

アイスリボン
アイスリボン292
埼玉・イサミレッスル武闘館 19:30

インターナショナルリボンタッグ選手権試合 20分1本勝負
【王者】さくらえみ/Rayvs大石真翔(フリー)/新田猫子
※第15代王者4度目の防衛戦

飯田美花(フリー)vs成宮真希

藤本つかさ/松本都vs星ハム子/宮城もち

真琴vs都宮ちい


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試合結果


◆全日本

○ドーリング、KONO、TARU[10分37秒 エビ固め]×BUSHI、浜亮太、KENSO
大森隆男、○曙[14分42秒 体固め]鈴木みのる、×船木誠勝
近藤修司、太陽ケア、○諏訪魔[25分30秒 岩石落とし固め]征矢学、真田聖也、×カズ・ハヤシ


◆アイスリボン
インターナショナルリボンタッグ選手権試合 20分1本勝負
【王者】さくらえみ○/Rayvs大石真翔(フリー)/新田猫子×
(12分38秒 ラ・マヒストラル)
※第15代王者4度目の防衛

飯田美花○vs成宮真希×
(4分18秒 津軽固め)

藤本つかさ/松本都×vs星ハム子○/宮城もち
(9分57秒 体固め)

真琴○vs都宮ちい×
(13分8秒 ジャーマンスープレックスホールド)

  


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