杉浦 貴
1970/5/31
愛知県名古屋市出身。プロレスリング・ノア所属。元自衛官。
ノアのタイトルであるグローバル・オナード・クラウン4王座すべてを奪取した経験を持つ。また、ノアのデビュー第1号レスラーである。
来歴
高校では柔道を経験、柔道二段。自衛隊に入りアマチュアレスリングを始める。アマチュアレスリングの全日本選手権グレコローマン82kg級優勝および国体で3度優勝の実績を持つ。その後、オリンピック出場を逃し、一般自衛隊員への異動を命ぜられるが、それを断り本田多聞を慕って全日本プロレスに入団、田上明の付き人となる。入団直後、デビュー前に同団体が分裂。練習生のままノアに移籍した。2000/12/23、東京・有明コロシアムにおける志賀賢太郎、金丸義信、森嶋猛戦で、ノア最初の新人レスラーとしてデビュー(パートナーは井上雅央と力皇猛)した。
2002/6/23、総合格闘技PRIDE.21に初参戦し、ダニエル・グレイシーに判定負け。
2003/9/12、マイケル・モデストを破りGHCジュニアヘビー級王座に、2005/6/5、金丸義信と組んで丸藤正道&KENTA組を破りGHCジュニアヘビー級タッグ王座を奪取。
2004年7月に齋藤彰俊・井上雅央とダーク・エージェント(D.A.)を結成。一方、ジュニア戦線では金丸義信ともタッグを結成。しばしば金丸にD.A.参入を誘うが、丁重に断られた。また、団体外の活動として、同年7/19、PRIDE
武士道 -其の四-に参戦し、ジャイアント・シルバにサッカーボールキックでKO勝ちした。
2005年9月に斎藤とのD.A.先輩後輩コンビで、GHCタッグ王座に初挑戦(王者は鈴木みのる・丸藤正道組)し、惜敗する。
2006年4月のパンクラスの「ヘビー級王座決定トーナメント」に出場。約3か月間練習期間を設けたものの、初戦で野地竜太にKO負けを喫した。同年6月に、GHCジュニアヘビー級王座に再度君臨、さらに8月に金丸と組んでGHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得し、ジュニア2冠を達成する。しかし12月から翌年1月に、GHCジュニア2冠を相次いで手放し、以降はヘビー級へと転向。
2007年からは、高山善廣や丸藤正道とタッグを組むようになり、10/27には丸藤正道と組んでGHCタッグ王座を獲得した。
2008/9/28の戦極 〜第五陣〜でシャンジ・ヒベイロと対戦し、スタンドの膝蹴りでTKO負けを喫した。
2009/1/4、三沢光晴とのタッグで新日本プロレスの東京ドーム大会に出場し、中邑真輔・後藤洋央紀組と対戦。中邑の腕ひしぎ逆十字固めに敗れる。
それ以後定期的に新日本のリングに上がるようになり、7月には棚橋弘至の保持するIWGPヘビー級王座にNOAH勢で初めて挑戦するも敗退。8月にはG1
CLIMAXにも出場した。
12/6、日本武道館にて潮﨑豪の保持するGHCヘビー級王座に挑戦し、これを奪取。丸藤正道以来となるGHC王座グランドスラム(白GHCを除く)を達成。これが認められ、12/10、2009年プロレス大賞殊勲賞を受賞。
2010年は、1/4のレッスルキングダムで新日本プロレスの後藤洋央紀を相手にGHCベルト初防衛に成功し、2/28にプロレスリング・ノア「The
Second Navig. '10」最終戦で後藤と同じ新日本プロレスの真壁刀義相手に勝利を収めたほか、高山善廣・秋山準・潮崎豪・森嶋猛など強敵を相手に防衛を続け、1年間ベルトを守り通した。この功績が認められてこの年のプロレス大賞最優秀選手賞を受賞した。
2011/1/1付けで森嶋猛の後任として選手会長に就任。
同年1/15、大阪府立体育会館においてバイソン・スミスを相手に8度目の防衛に成功。防衛回数は単独2位となった。その後3/5には有明でジャイアント・バーナードを、そして3/21の福岡国際センターではトレバー・マードックを退けて防衛回数を遂に2桁の10回に乗せた(GHCヘビーを10回以上防衛したのは、絶対王者でもある第6代王者・小橋建太が13回防衛して以来となる)。
トレバー戦終了後のインタビューで鈴木みのるを挑戦者に指名する。しかしそのインタビューで杉浦が東日本大震災の被災者への「落ち着いてから応援してくれれば…」と解釈出来るコメントに対し鈴木はまったく異なる意見を持っていたため、3/27の6人タッグマッチ戦で鈴木に敗北した直後、鈴木から「俺は、お前に言いたい事がある」と前置きの上マイクを通して4分近くに渡り「プロレス感の相違」についての怒りをぶつけられ、バックステージインタビューでも「お前が俺と闘いたい?百年早いんだよ!」と鈴木がコメントし、GHC選手権の挑戦者指名を拒否されてしまう。しかし、4月16日の後楽園ホール大会に鈴木が来場。杉浦の試合後にマイクを取り、鈴木が「自ら挑戦」を表明する事により一転してカードが成立。そして5/8の有明コロシアム大会にて鈴木とベルトを賭けて対戦。オリンピック予選スラムで防衛に成功し、防衛記録は11回となった。
続いて、同月の欧州ツアーにて自ら連続防衛戦を希望。1度防衛するごとに次大会で防衛戦開催を決定するというスタイルで、見事に3連続防衛(デイブ・マスティフ、クラウディオ・カスタニョーリ、鈴木鼓太郎)に成功し、小橋建太の13回の記録を一気に突破し、GHC連続防衛新記録を達成した。
エピソード
- 札幌大会では特に張り切る。札幌大会限定で、GHCジュニアヘビー級ベルトを模した紙製オリジナルベルト「キャバクラベルト」(Global Cabakura
CrownまたはGlobal Honored Cabakura)を装着してリングに上がる。
- 2004年9月15日、新日本プロレスDEVILOCK NIGHT PRO-WRESTLING大会に出現した"ケンドーカ・シン"(ケンドー・カシンとは別人)という覆面レスラーが杉浦に酷似しているという指摘がある。
- マスクマン疑惑についてはその他にも、NOHA選手会興行にゲスト参戦したスーパー・ストロング・マシン率いる「マシン軍団」のマスクマンの一人ではないかという指摘もある。
- 総合格闘技ルールの試合にも出場している。
- 使用タイツの後ろには「反り投げ」という文字がペイントされている。タイツは黒色と白色の2つの種類がある。白タイツは「勝負タイツ」であり、特別な試合にしか使用しない。
- 東京スポーツ紙上で人生相談を行っている。自らのことをスピリチュアル・カウンセラーと称している。
- 日清食品チルド「つけ麺の達人 」のCMに出演している。
タイトル歴
プロレスリング・ノア
ノア2人目のGHCジュニア2冠王者で(本人はキャバクラベルト含め3冠だと言い張っている)、ノア2人目のGHC4王座獲得経験者である。
- GHCヘビー級王座
GHCタッグ王座
GHCジュニアヘビー級王座
GHCジュニアヘビー級タッグ王座
- 第2代 - 防衛2回(パートナーは金丸義信)
- 第4代 - 防衛1回(パートナーは金丸義信)
グローバル・タッグ・リーグ戦
- 2008年大会 - 3チームタイ準優勝(パートナーは丸藤正道)
- 2009年大会 - 4チームタイ準優勝(パートナーは高山善廣)
- 2010年大会 - 準優勝(パートナーは谷口周平)
プロレス大賞
- 2009年 殊勲賞
- 2010年 最優秀選手賞(MVP)
入場テーマ曲
ロック音楽に造詣が深く、ほとんどがロック歌手・グループの楽曲を使用している。
- WAR / ブルース・スプリングスティーン
- DO THE EVOLUTION / パール・ジャム
- FELL IN LOVE WITH A GIRL / ザ・ホワイト・ストライプス
- ROAD TO SUSUKINO〜ススキノへ行こう!〜 / 札幌太郎と北海兄さんずwith五十嵐浩晃(北海道大会限定)
- ミサイルマン / ザ・ハイロウズ
- When Love Comes To Town / U2(現在)
- |
対戦相手 |
試合結果 |
勝敗 |
戦極 第五陣 2008/9/28 |
シャンジ・ヒベイロ |
3R 0:51 KO(右フック) |
× |
パンクラス
PANCRASE 2006
BLOW TOUR 2006/4/9 |
野地竜太 |
1R 3:25 KO(踏みつけ) |
× |
PRIDE 武士道
-其の四- 2004/7/19 |
ジャイアント・シルバ |
1R 2:35 TKO
(サッカーボールキック) |
○ |
PRIDE.21 2002/6/23 |
ダニエル・グレイシー |
3R(10分/5分/5分)終了 判定1-2 |
× |
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