本文へスキップ
管理サイト
 
YouTube
YouTube / superatoys

 
FC2動画
FC2動画 / superatoys

 
ブログ
 FC2 ブログ / superatoys


JPOP年代別ヒット曲
”J-Hits Club"

J-hits Club


ディスコ ソング
おまとめサイト
”Maria Club"
Maria Club

サイト内検索

Google

WWW を検索 http://wrestlinglove.web.fc2.com を検索
お勧め!







三沢光晴/三沢光晴DVD-BOX~緑の方舟~

三沢光晴/三沢光晴DVD-BOX~緑の方舟~
価格:15,732円(税込、送料別)


三沢光晴/三沢光晴~緑の方舟2~DVD-BOX

三沢光晴/三沢光晴~緑の方舟2~DVD-BOX
価格:13,221円(税込、送料別)






Ad




DMM.com DVD通販、レンタルなどの総合サイト





 


DMM.com AKB48 LIVE!! ON DEMAND




DMM.com CD&DVDレンタル


 
プロレスレンタル、借りるなら


 2010/5/27

プロレス/格闘技 ニュース

Sportsnavi
nikkansports.com
スポニチ
東スポ
デイリースポーツ
格闘技WEB
マガジンGBR
リアルライブ
 バトル・ニュース  




プロレス/格闘技
今日のテレビ放送/出演


サムライTV

プロレス/格闘技ショップ
マシュマロモンスター





今日のYouTube追加動画

 
栗原あゆみ 栗原あゆみ メキシコ遠征へ出発!
ダウンタウン アントニオ猪木VSジャイアント馬場(2008年、スガッスル)1/2
ダイナマイト四国VS武藤敬司(2008年、スガッスル)
ダイナマイト四国VS小川直也(2008年、スガッスル)



 
 



動画で紹介!
プロレス/格闘技 今日は何の日?



IWGP公式戦で猪木対前田の生涯唯一のシングル対決が実現。

アントニオ猪木vs前田明

1983/5/27
高松市民文化センター


格闘王 前田 日明 Part.1
格闘王 前田日明



昭和名勝負篇

昭和名勝負編


アントニオ猪木全集 5
闘魂伝承Ⅰ
~弟子たちとの闘い
アントニオ猪木大全集 Ⅵ


アントニオ猪木 
名勝負十番+1 III
日本人抗争編
日本人抗争編


前田 日明メモリアル1
黎明編
前田 日明メモリアル1


1983年-1986年
新日本プロレス全史 3



三沢光晴vs秋山準

1997/5/27
札幌中島体育センター



クリックで簡単検索!
ヤフオクで今、売れている
プロレス商品は何?

yahooオークション

プロレス/格闘技グッズが充実!
バックドロップ

 
 



DVD/ビデオの紹介!
プロレス/格闘技 今日は何の日?


 

流智美の黄金期
プロレス50選
vol.6
流智美の黄金期プロレス50選
1960/5/27


チーフ・ビッグ・ハート vs バディ・ロジャース


IWGP列伝 1
IWGP列伝1
1983/5/27
高松市民文化センター



ハルク ホーガンvsアンドレ ザ ジャイアント


藤波vs長州
'88革命戦争2連戦
藤波vs長州
1988/5/27
宮城県スポーツセンター


 

藤波辰巳vs長州力


WING デスマッチの
帝王の座を奪取せよ!
WING デスマッチ
1993/5/27
後楽園ホール


ケビン・サリバンvs金村ゆきひろ
ザ・ヘッドハンターズvsミスター・ポーゴ/ジェイソン・ザ・テリブル


U.W.F.vs新日本
全面戦争 VOL.2
U.W.F.vs新日本 全面戦争
1996/5/27
日本武道館



金原弘光 vs 野上 彰
垣原賢人 vs 越中詩郎


新日本 WAR 藤原組 撃破!
UWF包囲網
新日本 WAR 藤原組 撃破
1996/5/27
日本武道館


高田延彦vs藤原喜明
垣原賢人vs越中詩郎
安生洋二/高山善廣vs冬木弘道/外道
佐野直喜vs山本健一
中野龍雄vs北原光騎
金原弘光vs野上彰
田村潔司vs桜庭和志

田村がレガースを脱いで客席に放り込み、同団体を去った



最強伝説 1995-1996
最強伝説
1996/5/27
日本武道館


田村潔司 vs 桜庭和志
高田延彦 vs 藤原喜明


PRIDE.14
PRIDE.14
2001/5/27 
横浜アリーナ  


藤田和之 vs. 高山善廣
イゴール・ボブチャンチン vs. ギルバート・アイブル
ヴァンダレイ・シウバ vs. 大山峻護
ダン・ヘンダーソン vs. 小路晃
ビクトー・ベウフォート vs. ヒース・ヒーリング
ゲーリー・グッドリッジ vs. ヴァレンタイン・オーフレイム
チャック・リデル vs. ガイ・メッツァー
松井大二郎 vs. ジョゼ・"ペレ"・ランジ・ジョンズ
ニーノ・"エルヴィス"・シェンブリ vs. ジョイユ・デ・オリベイラ


K-1 WORLD GP 2005
IN PARIS
K-1 WORLD GP 2005
2005/5/27
パリ・ベルシー体育館


☆EUROPE GPトーナメント1回戦
内田ノボルvsアレクセイ・イグナショフ
ナオフォール“アイアン・レッグ”vsアジス・カトゥー
セーム・シュルトvsピーター・ボンドラチェック
フレディ・ケマイヨvsノブ・ハヤシ

☆EUROPE GPトーナメント準決勝
ナオフォール“アイアン・レッグ”vs内田ノボル
セーム・シュルトvsフレディ・ケマイヨ

☆EUROPE GPトーナメント決勝
セーム・シュルトvsナオフォール“アイアン・レッグ”

☆スーパーファイト
ジェロム・レ・バンナvsシリル・アビディ
角田信朗vsマーベリック


WAVEコレクション 5
WAVEコレクション
2009/5/27


シングルトーナメント
第1回「Catch the WAVE」開幕

スクランブルWAVE
GAMI、栗原あゆみvs輝優優、渋谷シュウ





プロレス/格闘技今日は何の日?

NJPW
1980/5/27
大阪府立体育
会館

WWFヘビー
ボブ・バックランド vs ダスティ・ローデス


NJPW
1983/5/27
高松市民文化
センター

ハルク ホーガンvsアンドレ ザ ジャイアント

アントニオ猪木vs前田 日明

NJPW
1986/5/27 
福岡スポーツ
センター

IWGP Jr.
王者・高田vs挑戦者・越中

 
NJPW
1988/5/27
宮城県スポーツ
センター

IWGP Jr.
馳 浩vsオーエン・ハート

藤波辰巳vs長州力

AAA
1994/5/27

ジェイク”ザ・スネーク”ロバーツvsコンナン

WCW
1996/5/27

WWFからの侵略者」としてスコット・ホールが登場
翌週、6/2にナッシュがナイトロに登場

 
AJPW
1997/5/27
札幌中島体育
センター

世界タッグ
小橋健太/ジョニー・エース vs 川田利明/田上明

三沢光晴vs秋山準

NOAH
2002/5/27
札幌スピカ

橋誠が負傷返上したNOAH Jr.を金丸義信が獲得

OZアカデミー
2006/5/27
新宿FACE 

OZアカデミー感謝祭

永島千佳世/カルロス天野vsタニー・マウス/宮崎有妃

UFC
2006/5/27
ステイプルズ・
センター

UFC 60: Hughes vs. Gracie

キャッチウェイトバウト
マット・ヒューズ vs. ホイス・グレイシー

ディーン・リスター vs. アレッシオ・サカラ
ディエゴ・サンチェス vs. ジョン・アレッシオ
ブランドン・ヴェラ vs. アスエリオ・シウバ
マイク・スウィック vs. ジョー・リッグス
ジェレミー・ホーン vs. チェール・ソネン
スペンサー・フィッシャー vs. マット・ワイマン
ガブリエル・ゴンザーガ vs. ファビアーノ・シェルナー
メルヴィン・ギラード vs. リック・デイビス

2007/5/27
後楽園ホール 

AWA世界女子王者
高橋奈苗vsウェズナー・ビュージックvsアメージング・コング

ZERO1-MA
2007/5/27

Everlasting


火祭り出場者決定戦 時間無制限1本勝負
田中将斗復帰戦
田中将斗 vs 佐々木義人

火祭り出場者決定戦 時間無制限1本勝負
NWA UNヘビー級選手権
関本大介vs神風

E-Memory
TAJIRI vs スティーブ.コリノ

ZERO1-MAX vs FEC
藤田ミノル vs 折原昌夫(FEC)

Sundayスペシャル「What is pro-wrestling?」
村上和成(BML) vs ランジェリー武藤

ZERO1-MAX vs ドラゴンゲート
日高郁人 vs スペル.シーサー(ドラゴンゲート)

浪口修vs高西翔太


楽天 プロレス関連商品
AMAZON

プロレス/格闘技グッズが充実
バトルロイヤル




 
 
DMM.com AKB48 LIVE!! ON DEMAND


プロレス/格闘技
今日のバースデイ / 忌日


安田 拡了
1954/5/27

フリーのプロレス・格闘技ライター。岐阜県出身。ニックネームはヤスカク

来歴

夕刊紙「名古屋タイムズ」の社会部記者、ラーメン店経営などを経て、フリーライターに転身。主に週刊プロレスで執筆し、新日本プロレス、パンクラスといった特定の団体に熱狂的な賛辞を送る一方、リングス、ハッスルといったオポジションの団体にはこじつけに近い批判を展開することで知られる。パンクラスに批判的な言動を行った村濱武洋の自宅にまで電話をかけ、恐喝に近い抗議を行った“事件”などもインターネット上で話題にされている。

新日本プロレスがテレビ中継(テレビ朝日『ワールドプロレスリング』)の放送時間を縮小される際、「レギュラー放送時間は縮小されるが、年6回の特番枠が用意される」との記事を書いた。

2006年、「G1 CLIMAX」の開催前にスポーツニュースウェブサイトにて、「棚橋弘至と永田裕志の2人は9分9厘 決勝リーグに勝ち上がってくるだろう」と述べたものの、2人とも予選リーグで敗退した。

週刊プロレスでは、試合評だけでなく、いくつかの連載コラムも執筆。また、携帯サイト「バトル三昧」では、コラム「ヤスカク飛び込みナビ」を連載した。

古巣である名古屋タイムズでは「格闘技インサイド・獅子たちの時代」という週一掲載のコラムを執筆していた。2007/8/9付け掲載分で連載500回、2008/8/7付け掲載分で終了した(全548回)。こちらでも新日本や、その派生団体を賞賛する傾向が強かった。例えば藤波辰爾が新日本を退団した直後、アントニオ猪木が単発興行「INOKI GENOME」の発表を行ったのを「藤波の退団によるマイナスイメージを緩和した」と述べていた。

ボクシングも取材領域であり、お膝元・名古屋の松田ジムに所属していた薬師寺保栄の取材を積極的に行っていた。1989/3/1、薬師寺が同年1/15に行ったとされる暴走行為が道路交通法違反にあたるとして、愛知県警察に通常逮捕された際、同年3/3付けの名古屋タイムズに「“リングの星”堕つ」といった見出しでこの事件の記事を書いたのは、同社社会部記者時代の安田だったという。


エリック・ビショフ
Eric Bischoff
1955/2/27

アメリカ合衆国のプロレス・プロモーター、プロデューサー。2005年12月まで、WWEのTV番組ロウにおいてゼネラルマネージャー(GM)を務めていた。何か企んでそうな笑顔が特徴である。近年はTNAにて活動。

空手、拳法の有段者ということになっているが、本人によれば完全なギミックでもなく若い頃実際に道場で鍛えたそうである。プロレスラーではないが、ストーリーに応じて時折リングで試合を行うこともあった。

来歴

AWA

いくつかの職を経てAWAに営業職として就職、1989年に急遽インタビュアーを代理で始めたのがテレビに出た最初の仕事である。その後正式にインタビュアーを務めるようになったが、1991年にAWAが活動を終了。WWE(当時:WWF)への入団を希望したが採用されず、WCWへリングアナウンサーとして再就職。この経緯が後の彼の大きなモチベーションとなる。

WCW

WCWでもリングアナウンサーからプロモーター、ブッカーへと仕事を移していき、もともと優秀なビジネスマンだったこともあり1993年にはWCWの副社長まで上り詰めた。ビショフが現場の責任者となってストーリー構成の中心者になってからは、1995年にWWFのロウの裏番組としてマンデー・ナイトロを開始し、WWFに対して視聴率戦争(マンデー・ナイト・ウォーズ)を仕掛ける。またWWF、ECWから多額の移籍金で数多くのスーパースターを引き抜くようになる。

スーパースターの引き抜き、自らも加入したnWoの大ブレイクなどでWWFに対し人気優位に立ち、一時はWWFを倒産寸前まで追い詰めるもベテラン中心のストーリーで若手が育たず、またストーリーもマンネリ化が目立った。その間WWFはストーン・コールド・スティーブ・オースチンとビンス・マクマホンの抗争ストーリーなどで巻き返し、WCW側が窮地に立つ。ビショフは1999年にWCWを解雇されるも半年後に復帰。しかし2001年にはWCWが崩壊。

WCW崩壊後はTV番組のプロデューサーを務めたり、またインディー団体に関わるなどした。

WWE

2002年に電撃的にロウのGMとしてWWEと契約、ファン・関係者を驚愕させた。過去のWCWとWWEとのTV番組抗争、更にレスラーを引き抜いては十分に使わないで解雇するといった印象が強かったこともあり、GM就任以来一貫して強力なヒールを演じた。特にECWファンからは嫌われており、2005年に開催されたPPV、ECW ワン・ナイト・スタンドに反ECW義勇軍を率いて登場した際も、観客から多くのブーイングを浴びた。

ヒールらしく独裁的なGM活動を行い、2002/9/2に世界ヘビー級王座をトリプルHに授与する形で創設したり、同年10/20の統一戦でインターコンチネンタル王座を消滅させたりしていた(後に復活する)。また、WWEで最も過酷なデスマッチ形式「エリミネーション・チェンバー・マッチ」を考案したのも彼である。

2004年2月に来日し、2005/2/4に開催された、さいたま大会ROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOURにも参加し、同大会の開会宣言を務めた。

2005年10月から始まったロウとスマックダウンとの抗争にて、スマックダウン側にも登場。サバイバー・シリーズでの敗戦後、巻き返しをビンスに誓うも同年12月にGMを解任された。2006年秋、自伝「Controversy Creates Cash」(物議が金を生む)を出版、自書のプロモーションも兼ねてWWEのテレビ画面に復帰した。

2007年、WWEとの契約満了により退団(ストーリー上では解雇ということになっている)。

2009年にTNAと契約した。

入場曲

  • I'm Back(WWE時代)

エピソード、その他

  • 現場においてはハルク・ホーガン、ケビン・ナッシュ、DDPなど自分と仲のいい選手をプッシュし、また彼等が望めば簡単に高額の契約金を払ったことから「ATMエリック」と陰口を叩かれた。一方でリック・フレアーの派閥とは非常に仲が悪かった。
  • かつてはビル・ゴールドバーグと共に絶対にWWEには登場しないであろう人物の筆頭に挙げられていた。ビンス・マクマホンは宿敵であった彼を雇った理由を「自分の部下として働かせるなんて最高の復讐だ」と語っている。
  • 夫人のローリー・ビショフは「全米で最もセクシーな女性」の一人に選ばれたほどの美人である。
  • WCWのエグゼグティブ時代に、K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦の日本武道館大会に来場し、リング上でアンディ・フグに花束を渡したことがある。

ブル・ラモス
"Apache" Bull Ramos
1935 -
2006/5/27

マニュエル・ラモスManuel Ramos、インディアンの血を引くメキシコ系アメリカ人のプロレスラー。テキサス州ヒューストン出身。

インディアン・ギミックのレスラーでは珍しくヒールのポジションで活動し、ミル・マスカラスやブルーノ・サンマルチノなどの大人気スターを相手に狂乱ファイトを繰り広げた。日本での異名は「殺人アパッチ」。

来歴

学生時代からボクシングで鳴らし、テキサス州のゴールデングローブで優勝した実績を持つ。プロレスファンの叔父の勧めでヒューストンのプロモーターだったポール・ボーシュにコンタクトを取り、プロレスラーのダニー・マクシェインのトレーニングを受けて1956年にデビュー。当初は「ジョン・アルバーノ」なるイタリア系レスラーとして売り出される予定だったが、インディアンの出自をもとに "アパッチ" ブル・ラモスをリングネームとした。

デビュー当時は100kgにも満たなかったものの、キャリアを重ねるにつれてスーパーヘビー級のウエイトとなり、その巨体を見込まれ1967年よりニューヨークのWWWFに登場。翌1968/2/19、新造されたマディソン・スクエア・ガーデンでのオープニング興行において、メインイベントでブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦した。1969年からはロサンゼルス地区に進出し、当時西海岸で大旋風を巻き起こしていたミル・マスカラスと熾烈な抗争を展開。マスカラスの覆面を破り裂き、髪と覆面を賭けて闘う「ヘアーvsマスク(カベジェラ・コントラ・マスカラ)」の遺恨戦に持ち込むも、試合に敗れ髪の毛を切り落とされた。マスカラスとは、得意のチェーン・マッチでも闘ったことがある。

1970年7月にはテキサスのアマリロ地区でテリー・ファンクからウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取。以降は1970年代末まで太平洋岸北西部のPNWを主戦場とし、看板タイトルのパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座をダッチ・サベージやジミー・スヌーカらと争った。その間、テキサスをはじめオクラホマやニューメキシコなど南西部のテリトリーにも参戦。同じくインディアンの血を引くメキシコ系のリッキー・ロメロらと抗争した。

一貫してヒールだったラモスだが、1978年にダラス地区でベビーフェイスとなり、マーク・ルーインやキラー・カール・クラップと対戦している。しかし、翌1979年にはヒールに戻って古巣のロサンゼルスを襲撃、アル・マドリルからNWAアメリカス・ヘビー級王座を奪取した。1980年はビル・ワットが主宰するMSWAに参戦、4月にマイク・シャープを破りミシシッピ・ヘビー級王座を獲得している。

1982年に膝を負傷して現役を引退。リタイア後は地元のヒューストンで救援サービス業に就いていた。2006年5月27日、肩の感染症により死去。晩年は糖尿病の影響で足を切断し、盲目となっていた。1970年代にテキサスやロサンゼルスで闘ったチャボ・ゲレロのホームページ上での弔辞によると、ラモスは周囲を陽気にさせるムードメイカーであり、ドレッシングルームの規律を正す牢名主的存在でもあったという。

日本での活躍

日本には通算8回来日している。初来日となる1969年2月の日本プロレスでは、ザ・デストロイヤーと組んでジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が保持するインターナショナル・タッグ王座に挑戦した。シリーズ終了後の3月には韓国に遠征し、ソウルで大木金太郎のアジアヘビー級王座にも挑戦。以降も日プロに度々参戦し、1972年8月の来日時はクリス・マルコフを相手に乱闘事件を起こしている(マルコフの人種差別的な態度に激昂したことが原因とされている)。

1973年6月には全日本プロレスに参戦。以降は全日本を日本での主戦場とするようになり、1975年8月の来日では同タイプの巨漢ラフファイターのキング・イヤウケアとタッグを結成。「カメハメハ王朝の末裔・イヤウケア」と「インディアン酋長の子孫・ラモス」というキャラクター設定から、両者のチームはザ・タイクーンズと名付けられた。1977年4月には第5回チャンピオン・カーニバルに出場。公式戦で対戦したアブドーラ・ザ・ブッチャーとのコンビで馬場&ジャンボ鶴田のインタータッグにも挑戦した。1978年1月の最後の来日では、イヤウケアとのタイクーンズで大木金太郎&キム・ドクの同王座に連続挑戦している。

獲得タイトル

ロサンゼルス
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回
  • NWAアメリカス・タッグ王座:2回(w / ブラック・ゴードマン)
アマリロ
  • NWAブラスナックル王座:1回
  • NWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座:2回
  • NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / ザ・ビースト)
ニューメキシコ
  • ロッキーマウンテン・ヘビー級王座:1回
ダラス
  • NWAテキサス・タッグ王座:2回(w / キャプテンUSA、タイガー・コンウェイ・ジュニア)
PNW
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:4回
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:5回(w / ケン・マンテル、リッパー・コリンズ、ジェシー・ベンチュラ×2、アイアン・シーク)
トライステート / MSWA
  • NWA北米ヘビー級王座:1回
  • ミッドサウス・ミシシッピ・ヘビー級王座:1回

  


 
 
プロレス レンタルが充実、借りるならDMM
DMM.com CD&DVDレンタル


今日のプロレス 興行日程
[すべて見る]
お近くの人は是非見に行きましょう!


団体 会場  


試合結果
nikkansports.comより




 
 

楽天 売れ筋
NO.1


 
楽天 売れ筋
No.1
スイーツ編



楽天 売れ筋 No.1
日本酒/焼酎編

 
楽天 売れ筋
No.1
食品編


 ↑ トップへ
 




inserted by FC2 system