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三沢光晴 おまとめ動画集
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 1999/2000
1999年
  • 1月 - 大阪府立体育会館大会で川田利明に垂直落下式ブレーンバスターで敗れ、王座転落。ただし、川田は右腕尺骨骨折のため直後に王座返上。
  • 5月 - 1月に死去したジャイアント馬場の引退興行として行われた東京ドーム大会にてベイダーの持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦。王座奪回に成功し第23代王者に。大会後、選手会の強い要請を受け全日本社長に就任、三沢体制が誕生する。
  • 8月 - 広島市東区スポーツセンターにてアンタッチャブルとしてノーフィアーの持つ世界&アジア両タッグに挑戦、勝利し第39代世界タッグ王者、第67代アジアタッグ王者に。この時三沢は三冠ヘビー級王座、小川は世界ジュニアヘビー級王座を保持しており、二人で全日本に存在するタイトルを総ナメにした。その後アジアタッグは即返上。
  • 10月 - 愛知県体育館にて小橋&秋山組を相手に世界タッグ王座防衛戦、王座転落。日本武道館にて三冠統一ヘビー級王座にベイダーの挑戦を受けるも、敗北し王座転落。
2000年
  • 4月 - チャンピオン・カーニバルでベイダーを裏十字固めで骨折させ、勝利。
  • 5月 - 臨時取締役会議にて代表取締役を解任。
  • 6月 - 全日本プロレスを退団、プロレスリング・ノアを設立。
  • 8月5日 - プロレスリング・ノア旗揚げ戦開催。
  • 10月 - 「アンタッチャブル」を「WAVE」に名称を変更、池田大輔と丸藤正道が加わる。
  • 12月 - 有明コロシアムにて因縁のベイダーとのシングルマッチをランニングエルボーで勝利。
2000/2/27 三沢光晴 vs 秋山準 2/3 3/3
1999/10/19 三沢光晴 小川良成 vs 小橋健太 秋山準 2/3 3/3
1999/8/25
広島
三沢光晴 小川良成 vs 高山善廣 大森隆男 2/2  
1999/6/11
日本武道館
三沢光晴 vs 小橋健太  2/5 3/5
  5/5
1999/6/11
日本武道館
三沢光晴 vs 小橋健太 Highlight     
1999/3/2
東京ドーム
三沢光晴 vs ビック・バン・ベイダー 2/2  
1999/1/22
大阪
三沢光晴 vs 川田利明 2/3 3/3
       
       
       
       



 1997/1998
1997年
  • 1月 - 大阪府立体育会館にて小橋の持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦、40分を越える激闘を制し王座奪取。第17代王者になる。
  • 5月、小橋が超世代軍を正式に離脱。
  • 10月21日 - 日本武道館にて小橋を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。この年のプロレス大賞・ベストバウト賞に選ばれる大激闘だった。

1998年
  • 4月 - 日本武道館のチャンピオン・カーニバル優勝決定戦で秋山を下し3年ぶりの優勝。
  • 5月 - 全日本初の東京ドーム大会開催。川田に敗れ三冠統一ヘビー級王座を失う。長く続く激闘を考慮し、馬場社長の命を受け暫く休養に入る。8月に復帰。この間自ら志願して一部試合のマッチメイクを任される。
  • 9月 - 秋山戦に敗れた小川良成に試合後寄り添い、タッグチーム「アンタッチャブル」結成。超世代軍はこれをもって消滅。
  • 10月 - 日本武道館にて小橋の持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦。王座奪回に成功し第20代王者に。
  • この試合でプロレス大賞・ベストバウト賞を2年連続受賞。
1998/10/31 三沢光晴 vs 小橋健太 2/4 3/4
1998/5/1
東京ドーム
三沢光晴 vs 川田利明 2/4 3/4
1998/2/28 三沢光晴 vs ジョニー・エース    
1997/12/5
日本武道館
 三沢光晴 秋山準 vs 川田利明 田上明 2/4  3/4
1997/11/27  三沢光晴 秋山準 vs HAYABUSA 新崎人生 2/2  
1997/10/21
日本武道館
 三沢光晴 vs 小橋健太 2/4  3/4



 1995/1996
1995年
  • 1月 - 山形県体育館にて川田&田上組を下し世界タッグ王座初防衛。
  • 4月 - チャンピオン・カーニバルの試合中に川田の蹴りを浴びて左眼窩骨折の重傷。以後、試合に出続けて、日本武道館での優勝決定戦で田上に勝利して初優勝。
  • 5月 - 札幌中島体育センターにてハンセンの持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦、勝利し第14代王者に。
  • 6月 - 日本武道館にて川田&田上組に敗れ世界タッグ王座から転落。初めて川田からピンフォール負けを喫した。この試合は1995年度プロレス大賞年間最高試合賞を受賞。
  • 12月 - 日本武道館にて小橋をパートナーに世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦で川田&田上組を下し2連覇。
1996年
  • 5月 - 札幌中島体育センターにて秋山をパートナーに川田&田上組の世界タッグ王座に挑戦。勝利し第29代王者になる。札幌中島体育センターにて田上を相手に三冠統一ヘビー級王座戦。田上の迎撃式のど輪落としに敗れ王座転落。
  • 9月 - 日本武道館にてウィリアムス&エース組に敗れ世界タッグ王座から転落。
1996/9/5
日本武道館
三沢光晴 秋山準 vs スティーブ・ウイリアムス ジョニー・エース 2/3 3/3
1995/10/25
日本武道館
三沢光晴 小川良成 vs 小橋健太 秋山準 2/3 3/3
1995/10/25 三沢光晴 vs 小橋健太 2/3 3/3
1995/7/24
日本武道館
三沢光晴 vs 川田利明  2/3  3/3
1995/6/5
日本武道館
三沢光晴 小橋健太 vs 川田利明 田上明  2/5  3/5
  5/5
       



 1993/1994
1993年
  • 1月、千葉県体育館にて世界タッグ王座防衛戦、ゴディ&ウィリアムス組に敗れ王座転落。
  • 4月、川田が超世代軍離脱を表明。いわゆる四天王プロレスが幕を開ける。
  • 12月 - 日本武道館にて小橋をパートナーに世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦で川田&田上組を下し優勝、第24代世界タッグ王者となった。
1994年
  • 3月 - 馬場から初のピンフォール勝ち。チャンピオン・カーニバルのダグ・ファーナス戦で喰らったフランケンシュタイナーが原因で歩行困難に。途中リタイアとなった。
  • 6月 - 日本武道館にてチャンピオン・カーニバル優勝者の川田利明を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛戦、タイガードライバー’91で防衛。
  • 7月 - 日本武道館にてスティーブ・ウィリアムスを相手に三冠統一ヘビー級王座防衛戦、ウィリアムスの殺人バックドロップの前に敗れ王座転落。
  • 12月 - 日本武道館にて小橋をパートナーに世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦でウィリアムス&エース組を下し優勝。第25代世界タッグ王者となった。
1994/7/28
日本武道館
三沢光晴 vs スティーブ・ウイリアムス 2/3 3/3
1993/9/9
日本武道館
三沢光晴 vs スティーブ・ウイリアムス 2/4 3/4
1993/7/2 三沢光晴 小橋健太 秋山準 vs 川田利明 田上明 小川良成 2/3 3/3
1994/6/3
日本武道館
三沢光晴 vs 川田利明 2/4 3/4
1993 三沢光晴 小橋健太 vs 川田利明 田上明 2/3  3/3
       
       
       



 1991/1992
1991年
  • 7月 - 石川県産業展示館にて川田をパートナーに世界タッグ王座挑戦、ゴディ&ウィリアムスを破り王座奪取。第17代王者となった。
  • 9月 - 日本武道館にて川田をパートナーに鶴田&田上明組と世界タッグ王座防衛戦。フェイスロックにより鶴田から初ギブアップ勝ちを奪う。世界最強タッグ決定リーグ戦に伴い王座返上。
1992年
  • 8月 - 日本武道館にてハンセンの持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦、勝利し第10代王者に。その直後、鶴田がB型肝炎発症を理由に長期離脱。名実共に全日本のエースになる。
  • 12月 - 日本武道館にて川田をパートナーに世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦で田上&秋山準組を下し優勝、第20代世界タッグ王者となった。
1991
日本武道館
三沢光晴 vs テリー・ゴディ 2/2  
1992/8/22
日本武道館
三沢光晴vsスタン・ハンセン 1/3 2/3 3/3
1991
後楽園ホール
三沢光晴 小橋健太 vs テリー・ゴディ スティーブ・ウイリアムス 2/2  
1991 三沢光晴 川田利明 vs テリー・ゴディ スティーブ・ウイリアムス 2/3 3/3
1991 三沢光晴 vs 田上明    
       



 1989/1990
1989年
  • 3月 - 日本武道館にてリッキー・スティムボートの持つNWA世界ヘビー級王座に挑戦し敗北。
  • この試合後左膝の怪我が深刻化、手術を受けるために長期欠場に入る。この間に決起軍解散(馬場の「全然、決起してない」という一喝から)
1990年
  • 1月 - リング復帰。
  • 2月 - 新日本プロレスのリック・フレアー来日中止騒動の余波から「'90 スーパーファイトIN闘強導夢」に天龍とのタッグで出場。自身初の交流戦に挑む。長州力・ジョージ高野に勝利。
  • 4月13日 - 全日本プロレス、新日本プロレス、そしてWWF(現・WWE)との3団体合同による「日米レスリングサミット」を東京ドームにて開催。ブレット・ハートとのシングルマッチを戦い、20分時間切れで引き分ける。
  • 4月 - 岡山武道館にて小橋健太(現:小橋建太)をパートナーにカンナム・エクスプレスの持つアジアタッグ王座に挑戦、勝利。第51代王者となった。(5月14日、試合中に自らマスクを取って投げ捨て、素顔の三沢光晴に戻る。)
  • 5月17日 - 広島県立総合体育館にてアジアタッグ王座初防衛後に返上。
  • 6月8日 - 日本武道館にてジャンボ鶴田との一騎討ち。これに勝利して下の世代で初めて鶴田越えを達成。
  • 8月の強化合宿にて川田・田上・小橋・菊地毅・浅子と共に「超世代軍」結成。
  • 田上は鶴田のパートナー指名を受けて超世代軍としての活動を殆どしないまま離脱。
1990/5/14
タイガーマスク 川田利明 vs 谷津嘉章 サムソン冬木 2/2
1990/4/13
東京ドーム
タイガーマスク vs ブレット・ハート  
1989/3 タイガーマスク vs リッキー・スティムボード 2/2
1990/2/10
東京ドーム
タイガーマスク 天龍源一郎 vs 長州力/ジョージ高野 2/2
  タイガーマスク 仲野信市 vs
テリー・ゴディ スティーブ・ウイリアムス
2/2
1990/1/5
愛知
タイガーマスク/小橋健太vs
ダイナマイト・キッド/デ美ー・ボーイスミス 1/2
 2/2



 1987/1988
1987年
  • 7月 - 後楽園ホールにてジャンボ鶴田をパートナーにPWF世界タッグ王座に挑戦、スタン・ハンセン、テッド・デビアス組に勝利し第3代王者になるも8日後のリターンマッチに敗れ王座陥落。
1988年
  • 4月 - 両国国技館で開催された「'88格闘技の祭典」のメインイベントに馬場とのタッグで出場、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ジョージ・スコーラン組に勝利する。また、同興行にシューティングのエキシビションで出場していた初代タイガーこと佐山聡を激励する形で、初のツーショットが実現している。
  • 5月10日に現夫人と結婚。同時にタイガーマスクの正体を公表する。
  • 6月 - 仲野信市・高木功・高野俊二・田上明と共に決起軍を結成。
  • 9月 - 試合中の怪我で左膝の靭帯を切断。シリーズを数日間欠場しただけで無理をして復帰する。
1988/1/2
後楽園ホール
タイガーマスク vsカート・ヘニング 2/2
1987/9/1 タイガーマスク ジャイアント馬場k vs
輪島大士 石川敬士
2/2
1987/7/25 タイガーマスク vs テッド・デビアス  
1987 タイガーマスク/ジャイアント馬場/ジャンボ鶴田 vs
天龍源一郎/阿修羅原/川田利明
 
1987 タイガーマスク vs 天龍源一郎 2/2



 1985/1986
1985年
  • 6月 - 日本武道館にて小林邦昭の持つNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座にタイトル初挑戦するも敗退。
  • 8月 - 両国国技館にて再び同タイトルに挑戦し、15分36秒、タイガー・スープレックス'85で小林邦昭に勝利、シングル王座初戴冠。
  • 10月 - チャボ・ゲレロを相手に王座防衛の後、ヘビー級転向のため返上。
1985/10/25 タイガーマスク/ザ・ファンクス vs
テリー・ゴディ チャボ・ゲレロ/ビル・ロビンソン
2/2
1985/6/21
日本武道館
タイガーマスク vs 小林邦明 1/2 2/2
1985/3/9
両国国技館
タイガーマスク vs 小林邦明 2/2
     
     
 <1984
三沢は1984/8/26、ラ・フィエラ戦で2代目タイガーマスクとしてデビュー。はじめは小林邦昭を破ってNWAインターナショナル・ジュニア王座を獲得するなどジュニアヘビー級で活躍し、1985年10月にヘビー級に転向した。タイガーマスク時代の三沢は、本来自身が目指すプロレスを前面に出せない(渕正信によると、三沢には「もっと寝技をやりたい」という願望があった)ことと、初代タイガーマスク(佐山聡)が確立した華麗な空中技を受け継ぐ必要性に苦しんだ。また空中技を多用したことで膝に負担がかかり、左膝前十字靱帯断裂を引き起こし、負傷箇所の手術を受けるため1989年3月から1990年1月にかけて長期欠場を余儀なくされた。なお、全日本プロレスは「タイガーマスクは1年に1つ新しい技を開発する」と宣伝していたため、三沢がタイガーマスク時代に開発した技の名前には「タイガー・スープレックス84」といった具合に開発年がついている。ちなみに三沢は2代目タイガーマスクとして活動していた最中の1988年5月に結婚したが、その際記者会見で正体を明かし、その上で2代目タイガーマスクとしての活動は続行させるという、覆面レスラーとしては異例の行動に出ている。

2代目タイガーマスクとして活躍

1984年春、三沢は越中詩郎とともにメキシコへ遠征に出た。数か月が経ったある日、三沢は馬場に国際電話で「コーナーポストに飛び乗れるか」と問われ、飛び乗れると答えたところ帰国するよう命じられた。帰国後、三沢は馬場に2代目タイガーマスクとなるよう命令を受ける。三沢は佐山聡の初代タイガーマスクの二番煎じであったことに抵抗を感じたが、すでに2代目タイガーマスクのデビュー戦のスケジュールは組まれていた。

新たなる挑戦~タイガーマスク
吠えろ!タイガー

全日本プロレスに入門

高校卒業後の1981/3/27、全日本プロレスに入団。同年8/21に浦和競馬場正門前駐車場で行われた越中詩郎戦でデビューした。入門から5か月でのデビューは全日本プロレス史上最速であった。三沢の1年前に入団したターザン後藤によると三沢は受け身を覚えるのが早く、またたく間に後藤と同じレベルに達したという。当時の全日本プロレスでは、ジャンボ鶴田や桜田一男(ケンドー・ナガサキ)など、身長190センチ前後のレスラーが活躍する傾向にあったが、若手レスラーの指導に当たっていた佐藤昭雄の後押しを受けて頭角を現すようになる。

1981年
  • 8月21日 - 埼玉・浦和競馬場正門前特設リングにて同期の越中詩郎を相手にプロレスデビュー。
  • 10月 - シングル戦初勝利。
1983年
  • 4月 - ルー・テーズ杯争奪戦で準優勝。
1984年
  • 3月 - 越中と共にメキシコに遠征に出発。メキシコシティなどで試合を行う。

    (同年7月極秘帰国し、2代目タイガーマスクに変身)

  • 8月26日 - 田園コロシアムにてラ・フィエラを相手にデビュー戦を行い、8分37秒、タイガー・スープレックス'84で勝利。
1984/8/26
田園コロシアム
タイガーマスク vs ラ・フィエラ 2/2
1983/4/22
札幌中島体育センター
三沢光晴 vs 越中詩朗  
     
     
     
 不明 - ご存知の連絡お願いします。
高崎 タイガーマスク vs リック・フレアー      
  タイガーマスク vs ザ・グレート・カブキ 2/2    
  タイガーマスク vs 長州力      
  タイガーマスク vs ピラタ・モルガン      
  タイガーマスク ジャイアント馬場 vs
ジャンボ鶴田 天龍源一郎
2/3 3/3  
  タイガーマスク vs マーティ・ジュネッティ      
  タイガーマスク/・石川敬士対小林邦明/仲野信市      
  タイガーマスク対ミル・マスカラス 1/2 2/2    
  三沢光晴vsスタン・ハンセン 1/3 2/3 3/3  
金沢  三沢光晴 川田利明 vs
テリー・ゴディ スティーブ・ウイリアムス
2/4 3/4 4/4
  三沢光晴 川田利明 vs ブラック・ハーツ 2/2    
  三沢光晴 vs 小橋健太  2/5 3/5  4/5
  5/5    
日本武道館 三沢光晴 vs 田上明 2/3 3/3  
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