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越中詩郎 おまとめ動画集

越中 詩郎(1958/9/4 )
日本のプロレスラー。東京都江東区出身。血液型はB型。フリーランス。
タイトル
  • IWGPタッグ王座
  • NWAインターコンチネンタルタッグ選手権
  • WAR認定世界6人タッグ
  • IWGPジュニアヘビー級王座
  • '88トップ・オブ・ザ・スーパージュニア優勝
  • CMLL認定KO-Dタッグ選手権
オフィシャルブログ
koshinaka
 1999-2010

フリーランスとしての活動

2004年2月、大森隆男とともに、炎武連夢(大谷晋二郎・田中将斗組)からNWAインターコンチネンタルタッグ王座を奪取。さらに、プロレスリング・ノアにも参戦し、平成維震軍の仲間だった齋藤彰俊と共闘。ZERO1-MAXやキングスロードへも参戦。

2007年には、アメトーーク!でケンドーコバヤシによる越中のネタから「越中ブーム」が発生。それも背景に同年5/2、11年ぶりにIWGPヘビー級選手権試合に臨んだ。試合は敗北したものの、王者永田裕志に対しヒップアタックや侍ドライバー'84、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチといった、平成維震軍当時からの大技を遺憾なく発揮した。一時期は天山広吉、真壁刀義らと組み、G・B・Hで活躍したものの、2007年8月に離脱、長州力、蝶野らとともに「レジェンド」を結成した。

2008年に後楽園ホールで行われた『ハッスル・ツアー2008~7.11 in KORAKUEN』からハッスル参戦を表明。日本代表として出場した『ハッスルGP2008』においてザ・モンスター℃を下し、ハッスルデビュー戦を白星で飾った。

2009/8/27に行われたハッスル主催『越中詩郎デビュー30周年記念大会』では新日本の永田裕志、獣神サンダー・ライガーと組み、天龍源一郎、川田利明、TAJIRI組と対戦。15分18秒、TAJIRIを高角度パワーボムからのエビ固めで破り勝利。試合後、ファンと共にデビュー30年を振り返った。

平成維震軍解散から新日本離脱へ
1999年に平成維震軍を解散し新日本本隊に復帰。その後佐々木健介と組みIWGPタッグ王座に返り咲いた。また2000年には全日本プロレスに参戦し、三冠王者決定トーナメントに出場している。2003年1月、新日本プロレスを契約満了により退団し、WJプロレスに入団。当初は盟主である長州力の片腕的存在だったが、金銭面で揉め、大森隆男らと共にレイバーユニオンを結成。同年10/31付でフリーランスとなった。
2009/12/19
愛知
越中詩郎 小原 vs SOS 1/2 2/2  
2009/8/27
後楽園ホール
越中詩郎, 永田裕志 獣神サンダー・ライガー vs
天龍源一郎 川田利明 TAJIRI
2/5 3/5
4/5 5/5
2009/5/4 越中詩郎 ボノちゃん RG vs The Texas Napoleons w/Francoise1/2 2/2  
2009/4/23 越中詩郎 ボノちゃん vs The Texas Napoleons    
  越中詩郎 vs 本間    
  越中詩郎 SSマシン AKIRA vs 本間 邪道 外道    
2006/11/25 越中詩郎 真壁刀義 vs 中邑真輔 蝶野正洋 1/2 2/2  
2006/9/24
後楽園ホール
越中詩郎 vs 黒田哲広 1/2 2/2  
2003/12/6
横浜
越中詩郎 vs 三沢光晴 1/2  2/2  
2003/6/29
北海道
越中詩郎 長州力 vs 天龍源一郎 大仁田厚    
2003/3/1
横浜
越中詩郎 vs 大仁田厚    
2001/5 越中詩郎 飯塚 中西 vs ホール 蝶野 天山 2/2  
2/8
岐阜
越中詩郎 獣神サンダー・ライガー vs 蝶野正洋 金本浩二    
       
       
       
       
       
       



 1978-1998

デビューから新日本移籍まで

1978年に全日本プロレス入門。1979年に園田一治(後のハル薗田)戦でデビュー。若手のころはジャイアント馬場の付き人を務めた。1983年にはルー・テーズ杯争奪リーグ戦で三沢光晴を破り優勝し、翌年ともにメキシコに遠征。サムライ・シローの名で活躍した。しかし三沢がタイガーマスクとして先に凱旋帰国したことに危機感を抱き、1985年全日本プロレスを離脱。新日本プロレスに押し掛け同然で移籍して帰国(異説については後述)。なお、すぐに新日本プロレスに移籍せず、まず当時設立したばかりのプロモーションだったアジア・プロレスに移籍し、そこから新日に上がるという形を取っていた。

高田との抗争

1986年、IWGPジュニア王座決定リーグ戦に出場し、初代IWGPジュニアヘビー級王座を獲得。その後、旧UWFから戻ってきた高田伸彦とジュニアベルトを争う。高田のキックを愚直にも正面から受けるファイトスタイルはUWFびいきのファンからも支持を集め、一躍人気レスラーとなった。そのキックや関節技を主体とした攻めの高田と、「耐える美学」「人間サンドバッグ」とまでいわれた受けの越中のシングルマッチは「ジュニア版名勝負数え唄」と形容され、当時のプロレスファンの圧倒的な支持を得た。その後武藤敬司とのコンビでIWGPタッグ王座も獲得。

ヘビー級転向と反選手会同盟結成

獣神サンダー・ライガーらの台頭や自身のウェイトアップによりヘビー級に戦いの場を移す。ドラゴンボンバーズへ入るも誠心会館との抗争に関して新日本プロレス選手会と対立しヒールに転向。頭を剃り上げて反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成し、一躍中堅からトップ戦線へ踊り出る。この時期、1995年のG1 CLIMAX初戦でIWGP王者(当時)武藤敬司を破るという実績も挙げている。

1998年、天龍源一郎と組みIWGPタッグ王座獲得。

1992/10/23 越中詩郎 木村健吾 vs 天龍源一郎 北原光騎 1/3 2/3 3/3
  越中詩郎 斎藤彰俊 vs 木村健吾 石川敬士    
1987/3/20
後楽園ホール
越中詩郎 武藤敬司 vs 前田日明 高田延彦 1/3 2/3 3/3
1987/2/16 越中詩郎 vs グレート・ムタ 1/2 2/2  
1986/8/5
両国国技館
越中詩郎 vs 高田延彦 1/3 2/3 3/3
1986/1/10
船橋
越中詩郎対ブラック・タイガー    
  越中詩郎 山田恵一 vs 高田延彦 山崎一夫 2/3  
1985/10/18
後楽園ホール
ザ・コブラ vs 越中詩郎    
1985/10/11
古河
ザ・コブラ 星野勘太郎 vs 越中詩郎 武藤敬司    
       
1983/4/22
札幌
越中詩郎 vs 三沢光晴    
 その他
越中詩郎 越中詩郎 越中詩郎 越中詩郎
越中詩郎 Theme Fortune 越中詩郎 Theme Samurai 越中詩郎特集 ケンドーコバヤシが越中にヒップアタック
越中詩郎 越中詩郎 越中詩郎 越中詩郎
風が吹くって! 越中詩郎 vs 剛竜馬 越中、新日本に移籍する(1985) 越中詩郎はケツで割り箸を割れるか?(1985)
       
       




ザ・コブラ/ジョージ高野 おまとめ動画集

高野 讓治(1958/6/23 )
福岡県北九州市出身のプロレスラー、元俳優、元大相撲力士。大相撲時代の四股名は高野。プロレスにおけるリングネームは「ジョージ高野」、覆面レスラー「ザ・コブラ」。正統派のストロングスタイルで、アントニオ猪木らとも臆することなく挑んでいったファイティングスピリットは往年のレスリングファンに知られている。ただし、「宇宙人」と呼ばれるほどの奇行の多さ、プロレスセンスの決定的な欠如がレスラーとしての大成を阻んだ。近年youtubeやテレビ朝日系『アメトーーク』プロレス特集などでかつてのファイトが再評価される機会が多くなり、幻の悲劇の名選手として再注目されている。

SWS移籍後

1990/4/27のNKホール大会でマシンvsコブラがマッチメイクされたが、高野は4/1に新日本プロレスからSWSへ移籍した。SWSでは3つの道場が設立され、高野は弟で全日本プロレスに移籍していた高野俊二(現高野拳磁)ら主に元新日本勢と「パライストラ」を結成し、道場主(エース)となる。旗揚げ戦のメインイベントにおけるタッグマッチでは、「REVOLUTION」道場主である天龍源一郎からピンフォール勝ちを奪うなど活躍した。

1992年のSWS解散後、ケンドー・ナガサキたちとNOWを旗揚げする。しかし旗揚げ戦後にジョージと俊二は離脱し、二人で1993年にPWCを設立したが、翌年にジョージが離脱。1995年に妻の実家がある北海道釧路市でFSRを設立し、タイガーマスク(佐山サトル)との一騎打ちで旗揚げ戦を行なった。しかしFSRは選手がジョージと若手しかいなかったこともあり、1997年に活動を停止。その後は故郷である九州に戻り、リングから離れた。

2001/4/18のZERO-ONE日本武道館大会で星川尚浩を相手にリングへ復帰。覆面を被りザ・コブラの名前で参戦したが、体重はかつての細身の身体とは見違えるほどに増加していた。以後、同団体に数回参戦。同年の第1回火祭りにはジャスティン・マッコリーの代打として、ジョージ高野の名で覆面を被ったまま参戦。同じブロックの田中将斗と両者リングアウトで引き分けただけの2敗1分に終わった。

2002/4/24の新日本プロレス西日本総合展示場大会で、「30周年スペシャルマッチ」として素顔で登場。SWS移籍後、初めて古巣のリングに上がった。蝶野正洋とタッグを組み、中西学・吉江豊組と対戦し勝利。ジョージ高野としてはこの試合を最後に、リングには上がっていない。(なお、ザ・コブラとしては2004年7月10日PVVC博多スターレーンにおける初代タイガーマスク、ザ・コブラVS維新力、折原昌夫が現時点でのラストマッチとなっている。)同年10/13に東京ドームホテルで開かれた「新日本プロレス創立30周年記念パーティー」ではOBとして壇上で挨拶した。

2004年3月に別冊宝島の企画で受けたインタビュー(『プロレススキャンダル事件史3』所収)において、外壁の施工工事の仕事に関わっている事、レスラーの活動がほとんど出来ていないが、引退はしていない事、活動を休止しているがFSRは消滅していない事を語った。しかし、2007/10/4放送のアメトーーク!(ANN系列)「昭和プロレス芸人」の放送の中で、現在はプロレスラーを引退し、電柱を埋める仕事に就いていることが報じられた。同年12/7にイノキ・ゲノム・フェデレーション公式サイトで「猪木ミニ・ミュージアム」の館長に就任したことが発表されている。またNPO法人設立などを経て、2009年に福岡市にあるシステム開発会社の統括ジェネラルマネージャーに就任している。

1997/11/24 ジョージ高野 vs 素人ファイター    
       
       
       
       
       
       
       
       
       



新日本プロレス在籍時

大相撲廃業後、1976年8月に新日本プロレスへ入団。デビュー前からTV特撮番組『プロレスの星 アステカイザー』に主人公のライバル役として出演した。この時、菅原文太の弟子として俳優に本格転向する予定もあったが、新日へ復帰し、1977/2/10にデビューした。そして抜群の運動能力と端正な顔立ちで若手の注目選手となる。その人気には前田日明も強く嫉妬したほどだった。なお、前田や平田淳二(現平田淳嗣)らと同期扱いをされる事が多いが、実際は佐山サトルと同期であり、デビュー戦の相手も彼である。これは上記の俳優転進〜新日復帰の経緯によるブランクのためである。

1982年1月にメキシコへ遠征。二年連続最優秀外国人選手賞を受賞するなど墨国マット界で活躍の後、翌年カルガリーに転戦。自身のヒール志向の実現のため覆面レスラーのザ・コブラとしてダイナマイト・キッドらと抗争を展開する。1983年夏の初代タイガーマスクの突然の新日本プロレス退社によって、その新日本Jr戦線の後継者として凱旋帰国を促されるも一度は辞退。その後師匠アントニオ猪木自らの説得により帰国を決意、11/3の日本デビュー戦でNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得した。その後もジュニア戦線のトップとして活躍した。ザ・コブラとしての詳細な活動については別項で述べる。

1986年6月にザ・コブラは姿を消して海外へ。すぐに覆面を脱いだジョージ高野の姿でヘビー級として「凱旋」。凱旋試合では後楽園ホールの2階席からスポットライトを浴びて登場し、テレビ放映もされた。しかしその後はタイトル戦線に絡むことがなく、活躍の機会もないままであった。

1989年にスーパー・ストロング・マシンとユニットを結成。ユニット名はテレビで公募されていたが、結局ジョージ自らが発案した烈風隊という名前となった。3/16、長州力・マサ斎藤組を破り、IWGPタッグ王座を獲得した。ヘビー級転向後初のタイトルである。しかし7月16日に長州力と若手の飯塚孝之組に敗れて陥落。その後烈風隊は、目立った活動が見られないまま自然消滅する。

1990/2/10
東京ドーム
ジョージ高野 長州力 vs 天龍源一郎 タイガーマスク 1/3 2/3 3/3
1989/3/16 ジョージ高野 SSマシン vs 長州力 マサ斎藤 1/3 2/3   3/3
       
1987 ジョージ高野 アントニオ猪木 武藤敬司 vs
クラッシャー・バンバン・ビガロ キュー版・アサシン トニーセント・クレアー 1/2
 2/2  
1986/6/17
愛知
ザ・コブラ vs 高田延彦 1/3 2/3 3/3
1985/10/25
大阪
ザ・コブラ 武藤敬司 vs 越中詩郎 小杉俊一  2/3  3/3 
1985/6/28 ザ・コブラ vs ヒロ斎藤 1/4 2/4 3/4
4/4  
1985/6/7
松本
ザ・コブラ 高野俊二 vs ディック・マードック アドリアン・アドニス    
1984/7/1
帯広
ザ・コブラ アントニオ猪木 藤波辰巳 vs
ダイナマイト・キッド デイビー・ボーイ・スミス デビッド・シュルツ
   
1984/8/10 ザ・コブラ vs エル・カネック 1/2  2/2   
1984/2/9
大阪
ザ・コブラ vs 小林邦明 1/2 2/2   
19847/2/7
蔵前国技館
ザ・コブラ vs ダイナマイト・キッド    
  ザ・コブラ 越中詩郎 vs 高田延彦 山崎一夫    
  ザ・コブラ 坂口征二 vs クリス・アダムス ジャッカル    
  ザ・コブラ vs デイビー・ボーイ・スミス    
MSG ザ・コブラ vs ブラックタイガー    
1983/12/9
トロント
ザ・コブラ 藤波辰巳 vs デイビー・ボーイ・スミス ブレット・ハート 1/2 2/2  
  Best of "ザ・コブラ     

高野 拳磁/高野俊二 おまとめ動画集

高野 拳磁(1964/2/16)
福岡県北九州市出身のプロレスラー。本名は高野 俊二(たかの しゅんじ)。
身長200cm、体重130kg。キャッチフレーズは野良犬
実兄のジョージ高野(ザ・コブラ)もプロレスラー。

 
     
     
     
     
     
     
     
     

1981/12/8、新日本プロレス・蔵前国技館での新倉史祐戦でデビュー。豪快な勝利で将来のエースを予感させた。翌1982年初め、協栄ボクシングジムより新日本プロレスへ日本人初のボクシング世界ヘビー級王者を誕生させる計画が持ち込まれ、候補として高野がピックアップされた。その後当時WBA世界ライトフライ級王者だった渡嘉敷勝男とハワイでトレーニングを開始するが、毒入りオレンジ事件の余波でプランは中止。プロレスに復帰後すぐにカナダのカルガリーに武者修行に出発。

1984年、長州力らの離脱による日本人選手層の薄さをカバーするために帰国。未完の大器という扱いでメインやセミでタッグパートナーとして抜擢され、この当時暗黒増殖団としてはびこっていたマシン軍団との抗争の一派に名を連ねる。また一方でビッグネームの外人選手との対決も多く組まれたが、対戦成績は芳しくなく、デビッド・シュルツとのシングルマッチでは何とトップロープからのエルボー・ドロップで1分持たず敗戦という苦い経験もする。ただ、ブルーザー・ブロディには気に入られており、4度のシングル戦のうち後半2回はブロディの希望だったことを、後に雑誌のインタビューで高野本人が語っている。しかし、生来のムラッ気から試合毎の落差が激しく、マシン軍団との6人タッグマッチでのコーナーポストでの戦意喪失によるKO負けや、あまりのふがいなさにアントニオ猪木がリングに飛んできて活を入れるというシーンまであった。

1985年、スーパー・ストロング・マシン、ヒロ斎藤と共にカルガリーハリケーンズを結成し、新日を離脱。全日本プロレスを主戦場とし、AWA地区への二度目の武者修行へ。しかし帰国前後にスーパー・ストロング・マシンとヒロ斎藤の新日復帰を受けてカルガリーハリケーンズは解散となり、正式に全日本プロレス所属となる。三沢光晴や高木功、田上明、仲野信市とともに『決起軍』を結成するが、ジャイアント馬場の「全然決起しないから」の一声ですぐに解散となる。しかし、馬場は高野の素材に期待をしており、積極的にジャンボ鶴田とのタッグをマッチメイクしていた。

1990年にSWSへ移籍し、新日本プロレスから移籍していた兄ジョージ高野とパライストラを結成する。1992年に同団体が解散したため、ケンドー・ナガサキを始めとする『道場・檄』のメンバーとNOWを旗揚げするものの、プレ旗揚げ戦後に兄弟揃って脱退。

ジョージとともに1993年、PWCを設立。しかし兄弟仲が険悪となったためジョージのみ離脱。これは、活動資金をジョージが出していたが、拳磁の団体経営に不満があったためとされる。

PWCは所属選手の不足と高野自身の素行不良が重なって旗揚げ後数か月で財政難となり、観客数も伸び悩んで興行を打つのもままならない状況になる。約1年後、当時所属していた黒田哲広をはじめとする選手達が離脱(脱走)。一人残った拳磁は、デスマッチ路線に活路を見出そうと将軍KYワカマツ率いる宇宙パワー軍との抗争を開始。宇宙パワーX、同XXと増殖していく宇宙パワー軍を相手に、高野は金村ゆきひろ(現:金村キンタロー)、荒谷信孝(現:荒谷望誉)、松崎和彦らと「地球防衛軍」を結成。有刺鉄線ボードや五寸釘ボードを用いる血みどろの戦いが繰り広げられた。その際、後のキャッチフレーズとなる『野良犬』と呼ばれるようになる。「野良犬」の由来は、宇宙パワー軍との闘いに敗れた後のマイクアピールで、「リングは盗まれ事務所も閉鎖、みっともなくて情けねえよ。だがよ、俺は飼い犬にはならねえ!!」と絶叫したことによる。当時のインディー団体の交流組織であったレスリング・ユニオンに加盟したため、他のユニオンの加盟団体にも上がっていた。

このころピザーラのCMに出演し、「ピザーラ、お届け!」のセリフが受けて脚光を浴びた。続いて作られたピザーラの深夜限定CMでは背景真っ黒で音楽も無い中たった一人で視聴者を威圧するように「こんな遅くにテレビ見てんじゃねえよ、ピザーラ閉まっちまったじゃねえかよ」と語るシーンが深夜族に受けて、同じ深夜の大人気番組である『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に山崎邦正などの当時の若手お笑い芸人を怖がらせたり襲う役などで度々出演するなど、プロレスファン以外にも知名度を上げた。

1994年には西日本プロレスに参画するもわずか1試合で電撃離脱し、PWCを復興。新たな戦力を確保し、持ち直したかと思われた。またこの時期、みちのくプロレスに覆面レスラー『ザ・グレート・ゼブラ』として登場している。しかしPWCは所属選手が一斉に離脱し、開店休業状態となる。

その後はFULLに参戦し「ジャイアント・ドスカラス」になったりもしたが、徐々にプロレス界からフェードアウト。そのキャラクターを活かし、2006年頃まで映画やVシネマに出演していた。その後はアメリカへ行き、2009年では実業家として法人を立ち上げているという

1990 高野俊二 渕正信 仲野信市 vs ジャイアント馬場 アンドレ・ザ・ジャイアント ザ・グレート・カブキ 1/2  2/2   
1990 高野俊二 田上明 仲野信市 vs 小橋健太 北原 菊池毅 1/2 2/2   
1990
豊橋
高野俊二 谷津嘉章 vs アブドーラ・ザ・ブッチャー イワン・コロフ 1/2  2/2   
1990 高野俊二 佐藤昭夫 田上明 vs アブドーラ・ザ・ブッチャー イワン・コロフ ランディ・ローズ    
1989 高野俊二 ザ・グレート・カブキ vs ナスティー・ボーイズ    
1988 高野俊二 ジョン・テンタ Vs スタン・ハンセン テリー・ゴディ 1/2 2/2   
1985/7/26
弘前
高野俊二 SSマシン vs ストロング・マシン No.2/3 1/2 2/2   
1984/10/5
越谷
高野俊二 vs ブレット・ハート    
  高野俊二 vs Duke Meyers    
       
       
       
       
       
       
       
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