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武藤 敬司 おまとめ動画集(AJPW)
NJPW編
グレート・ムタ編

武藤 敬司(1962年12月23日 - )
日本のプロレスラーで全日本プロレス代表取締役社長。神奈川県横浜市青葉区在住、山梨県富士吉田市出身。山梨県立富士河口湖高等学校卒業。闘魂三銃士の1人で、タレントとしてサラエンターテイメントにも所属している。「武藤塾」の塾長、山梨県の観光大使も務めており、『日本マット界の至宝』と言われる。血液型はB型。娘は子役の武藤愛莉。


入場テーマ曲

他の闘魂三銃士やプロレス四天王が入場テーマ曲をほぼ固定化しているのに対し、武藤は頻繁に入場テーマ曲を変更している。しかし、ほとんどの曲がファンの間で認知されていることが武藤がどの時代にもプロレス界にインパクトを与えてきたことの証明であり、武藤の「天才」たる所以であろう。

曲名 作曲者 備考
武藤敬司
チャンピオン鷹 香港EXPLOSION デビュー当時に使用。
THE FINAL COUNTDOWN EUROPE 1986年10月からのスペースローンウルフ時代に使用。アメリカでストリップに行った時に、女の子がその曲を使って踊っていたため嫌になった。
HOLD OUT 鈴木修 1990年2月 - 1995年9月まで使用。興行やTV中継のOPで「HOLD OUT A」を使用。シリーズ興行のタイトルにも使用している。[CD:VICP-5189]
TRIUMPH Andre Andersen(ロイヤル・ハント) 1995年9月 - 1997年9月まで使用。1996年秋頃から、ビッグマッチでフル・バージョンを使用。[CD:WBSS-6100]
nWo TRIUMPH N.J.P. UNIT 1998年1月 - 2000年1月まで使用。[CD:WBSS-6100]
OUTBREAK 作曲:戸谷勉 演奏:N.J.P. UNIT 2000年12月 - 2002年6月まで使用。[CD:WBSS-6100]
TRANS MAGIC 作曲:Ven 演奏:HEART BLOW 「王道30 GIANT BATTLE in 武道館」(2002年7月20日) - 「プロレスLOVE in 両国 Vol.8」蝶野、鈴木みのる組戦(2009年8月30日)まで使用。2003年頃から前奏後にストーン・コールド・スティーブ・オースチンの入場曲と同様ガラスを割る効果音が挿入される。[CD:WBSS-6100]
閃光魔術 伍佰(ウー・バイ) 2008年11月に行われた台湾興行から、その年の最強タッグリーグ戦まで使用。PVにも出演した。 「武藤祭」TARU、歳三組戦(2009年6月10日)黒師無双の入場で使用した。[未CD化 ※台湾盤「太空彈」収録のインストバージョン]
SYMBOL 鈴木修 「FLASHING TOUR2009」(2009年9月)から使用。[CD:AJ11001]
グレート・ムタ
MUTA 鈴木修 「HOLD OUT」の和風アレンジバージョン。1990年 - 1995年まで主に使用。[CD:KICS-2272]
愚零闘武多協奏曲 作曲:安部潤 演奏:N.J.P. UNIT 「TRIUMPH」の和風アレンジバージョン。1996年 - 1999年、「WRESTLE-1 GP」佐々木健介戦(2005年10月2日)、「HOLD OUT TOUR 2006」小島戦(06年3月10日)や海外遠征でも使用した。[CD:WBSS-6100]
MUTA 摩天楼 作曲:安部潤 演奏:N.J.P. UNIT WCW所属選手として「導夢衝撃 ?DOME IMPACT?」蝶野戦(2000年4月7日)、「WRESTRING DONTAKU」パワー・ウォリアー戦(2000年5月5日)で使用。[CD:WBSS-6100]
TOKYO TAKEAWAY Osborne/Engstrom 2000年のWCW参戦時に使用。[CD:PSA-7LA]
MUTA 賛美華 作曲:安部潤 演奏:HEART BLOW 全日本プロレスに初登場した「王道30 GIANT BATTLE in 武道館」愚零斗孤士戦(2002年7月20日) - 「WRESTLE-1 GP」曙戦(2005年8月4日)まで使用。[CD:WBSS-6100]
MUTA -院殿- 鈴木修 2005年から勝利時に使用していたが、「プロレスLOVE in 両国 Vol.1」TAJIRI戦(2006年8月27日)から入場に使用している。[CD:HATCH-903]
MUTA - 闇の象徴 鈴木修 「プロレスLOVE in 両国 Vol.10」KENSO戦(2010年8月29日)の入場に使用。[CD:AJ12004]
黒師(使)無双
黒使無双 作曲:Eisuke Sato 演奏:N.J.P. UNIT 新日本プロレス時代に使用。※「LOVE みちのく」ヒロ、後藤組戦(2001年8月19日)はテーマ曲が間に合わず「MUTA 摩天楼」を使用した。[CD:WBSS-6100]
黒師戯曲 作曲:MINAKO 演奏:HEART BLOW 全日本プロレスに初登場した「SUPER POWER SERIES」愚零斗孤士、ジョージ・ハインズ組戦(2002年5月1日)から使用。[CD:WBSS-6100]

人物

プロレスLOVE

武藤は1990年代末以降、自らプロレスへの深い愛の存在を各所で表明している。武藤のプロレスへの愛は彼自身が考案した「プロレスLOVE」というキャッチフレーズで知られている。両手で手話の「狐」のような形を作って投げキッスのように腕を展開する「プロレスLOVEポーズ」も有名である(その際「イャーーッ」の声もかかる)。このプロレスLOVEポーズの元ネタはウルフパックポーズである。「プロレスLOVE」を武藤が考案するきっかけとなったのは、2001/1/28の全日本プロレス東京ドーム大会「王道新世紀2001 ?ジャイアント馬場三回忌追悼興行?」における太陽ケアとの対戦である。武藤はこの時、初めて全日本プロレスで試合をしたが、それまで全く知らなかった対戦相手のケアに「なんだコイツ?いいレスラーだな」との感想を持ち、当時、総合格闘技路線に走っていた新日本プロレスの思想的な「グジャグジャ」状態に疑問を投げかける意味で「プロレスLOVEなやつら集まれ!」という思いが内面から湧いてきたと述懐している社長としての武藤もプロレス本来の魅力を大切にしたマッチメイクを心がけており、全日本プロレスの伝統と武藤のセンスを融合させた団体運営は高く評価されている。武藤率いる現在の全日本プロレスは、魅力的なヒール軍団を軸に据えた抗争、渕正信や荒谷望誉、NOSAWA論外らによるコミカルな試合、多彩なマイク・パフォーマンス、バックステージでのドラマ展開、TAKAみちのくを中心にしたルチャリブレ、そしてトップレスラー同士の激しいぶつかりあいを堪能出来る団体である。三沢達の離脱後に経営が大きく傾いていた全日本プロレスを、社長就任後に短期間で立て直した手腕はプロレス界以外に政財界等でも高く賞賛する声が多く、企業セミナーなどに講師として招かれたり、総選挙の際の各党からの出馬依頼なども多い。アメリカに遠征していたこともあり、英語に堪能である。非常に正義感が強く、橋本などが行っていた後輩へのいじめにも否定的であり、また、先輩に対しても、酔うと誰も止められなくなる前田日明に正面から制止するなど筋道を通す性格である。

総合格闘技への態度

武藤は、アメリカでの活動経験から、プロレスはスポーツと格闘技と舞台芸術が融合された「エンターテインメント」であるという価値観を強く持っている。それ故、総合格闘技を「競技」と言い切っている。武藤によれば、柔道の強化選手として、格闘技の頂点、自らの格闘者としての限界を垣間見たため、格闘技の追求には何ら幻想を抱いていないとのことである。またUWFスタイルに対しても「柔道と同じ」と表現する等、いわゆる格闘技路線には価値を見いだしていない。格闘技路線で売り出していた小川直也とグレート・ムタとして対戦した際は、背負い投げで投げたり腕をとってのドラゴンスクリューの様な技など正統な技に加え、小川の帯を抜き取って首を絞めたり、三角絞めで組まれた際に顔面への毒切り噴射などの反則も交えて終始圧倒、最後は指2本をとっての腕ひしぎ逆十字でTKO勝ちを納めた。(ちなみに、この試合のレフェリーは猪木が務め、彼に毒霧を吐き、ビンタを受けて試合は始まった)。しかし、新日本プロレス所属時代の1996/9/23日、北尾光司を始めとする日本人を次々と撃破していたバーリトゥードの猛者ペドロ・オタービオと異種格闘技戦(プロレス)を行って、マウントパンチでギブアップ勝ちしたこともある。

膝の故障

膝に負担のかかる技を使い続けたため、両膝の軟骨の減少・摩滅等、膝に持病を抱えており、直立したつもりでも膝が「く」の字に曲がっている。後遺症は重く、カニ歩きでないと階段を昇り降り出来ない、プライベートでは300m以上は断続的でなければ歩けないなど酷い状態である。 手術後のリハビリを充分に行う事無く、プエルトリコへの海外遠征を行ったことが致命的となったことを自伝で告白している(この時の遠征はブルーザー・ブロディ刺殺事件の起こった大会である。)。

2010年現在で、すでに右膝を4度、左膝を1度手術をしているが、現代の医学では完全回復は不可能だと医師から告げられている。適切な治療を行うことで、普通に日常生活を送れる程度まで回復はできるが、その手術をすると「もうプロレスが出来なくなる」為にそのままにしている。

なお、武藤がショートタイツからロングタイツへと変えたのは、膝に何重にも巻かれた痛々しいテーピングを隠すためである。

俳優、タレント業、飲食店オーナー

武藤はプロレスをやる傍ら、俳優やタレント業の仕事も多くこなしているレスラーとしても知られており、プロレスラーの中でもかなりの人気・知名度を得ている。映画初主演した「光る女」は、プロレスラーとしては実に力道山以来の主演映画となった。しかし、俳優の仕事は自分を売るためだけにやっており、決まったことをやる俳優よりも、リング場で自分の思うままに演じられるプロレスラーの方がおもしろいと語っている。また、前もって渡された台本を全く覚えてこないため、撮影現場ではNGを連発することでも知られている。2008/11/19、東京都港区麻布十番に「麻布武藤」をオープンし、武藤の故郷である山梨の野菜やうどん、鶏を扱った。本人が店に出ることもあり、店の前には本人の手形が飾られていたが、2010/10/31に閉店した。また、2008/12/10に、兵庫県朝来市和田山町に「焼肉 武藤道場」をOPEN。店内に設置された37型テレビで試合を収録したDVDなどを放送したり、オリジナルグッズも販売している。


長期欠場からの復帰

2010/3/9、変形性膝関節症による右膝関節内遊離体除去の手術を行うことを発表し、4月5日に手術を行い成功。全日本に移籍してからは初めてとなる長期に渡り試合を欠場したが、9/10、船木誠勝とのシングルマッチで復帰。試合は引き分けになるものの、欠場以前と変わらぬムーブを見せた。また、9/20後楽園ホールではKAIとのシングルマッチに勝利。その日の世界ジュニアヘビー級王座戦の試合後にリングに上がり、最多の連続防衛を記録した王者のカズ・ハヤシに挑戦表明し物議を醸したが、翌日の会見で、「気分は(あしたのジョーの)力石。そこにカズ・ハヤシがいるから(挑戦する)」と、世界ジュニア王座への挑戦を正式に発表した。また、それに合わせて体重の減量も行われ、1ヶ月で約10kgの減量に成功して挑んだが敗れた。




2010/3/1 武藤敬司 船木誠勝 ve 太陽ケア 鈴木みのる/2/4 3/4 4/4
2010/2/28
後楽園ホール
武藤敬司 棚橋弘至 パワプロ仮面 vs ザ・ラード・ウォリアーズ 2/2  
2010/2/14 武藤敬司 渕正信 vs TARU ジョー・ドーリング    
2010/1/22
後楽園ホール
武藤敬司 船木誠勝 S1マスク vs ブードー・マーダーズ 2/2  
       
       
       
       
       
       
       
       

古巣・新日本参戦、旧全日本四天王と交流

2004年から他団体のリングに積極的に進出するようになる。2年ぶりに新日本のリングに上がり、1/4にはボブ・サップとタッグを組み、蝶野&天山広吉に勝利。その後、10/9には、付き人を務めた西村修と組み、棚橋弘至&中邑真輔と対戦したが敗れている。ZERO-ONEのリングでは、2/29に大森隆男と対戦して勝利。4/25には、橋本とタッグを結成して勝利を収めたが、奇しくもこれが最後となった。 武藤と並ぶ天才としてプロレスファンから対戦を熱望されていた三沢光晴との対戦アングルが開始された。(試合ではないがこれ以前に2001年にプレイステーション2用ソフト『オールスター・プロレスリング2』のCMとデモムービーの撮影で2人は共演している。また2人の対談は『リングの魂』(テレビ朝日)において実現している)。2004/7/10に行われたNOAH東京ドーム大会で初対戦(三沢・小川良成組 vs 武藤・太陽ケア組)。この試合では敗れたが、「夢の続き、見ませんか?」と三沢にメッセージを送った。これがきっかけに加えて、小島の対戦直訴により、三沢は古巣である全日本プロレスへの参戦を果たした。10/31、両国国技館での武藤敬司デビュー20周年記念興行において武藤は三沢とドリームタッグを結成。馳浩・佐々木健介組と対戦して勝利を収めた。

2005/5/14、新日本・東京ドーム大会でロン・ウォーターマンに勝利。3年ぶりに挑んだ三冠戦に挑戦したものの、小島に敗北。その後、大相撲の横綱であった曙を呼び、プロレスラーとして育てた。その年の、最強タッグ準優勝に、プロレス大賞では最優秀タッグチーム賞にも輝いた。

2006年、年末の最強タッグリーグ戦には、闘魂三銃士とプロレス四天王のタッグとして川田利明と組み話題性があったものの、小島&天山広吉の「天コジタッグ」にリベンジされて敗退。優勝を明け渡したが、2007/1/4の新日本・東京ドーム大会で8年ぶりに蝶野とタッグを組み、天コジタッグに勝利した。3月には3度目のチャンピオン・カーニバル優勝を果たし、7月の三冠戦(鈴木みのる)には敗れたが、年末の最強タッグリーグ戦では、ジョー・ドーリングと組んで、6年ぶりに優勝。

2008/1/3、タッグリーグ戦に優勝した勢いで世界タッグ王座を獲得した。4/27、新日本・大阪大会で中邑を破り、1999年以来となるIWGPヘビー級王者になった。8/31には、全日本のリングで初めてIWGPヘビー級選手権試合が行われて、G1 CLIMAX2008優勝者の後藤洋央紀を破って防衛に成功。その後、準優勝者の真壁刀義、リベンジに挑んだ中邑に勝利して、4度の防衛に成功。三冠王者になったムタの活躍も併せて評価されて、7年ぶりにプロレス大賞を受賞した。

2009/1/4、レッスルキングダムIIIで棚橋に敗れて5度目の防衛に失敗。3/14、ムタとして高山善廣に敗れて三冠王座も失った。その後、サムライTVの企画で蝶野と対談。お互いにデビュー25周年興行を行い協力することになり、8/30にデビュー25周年興行を開催。24年ぶりに同期生の船木誠勝とタッグを結成して、蝶野&鈴木みのる組に勝利した。

また、6/13に三沢が急逝したため、ライセンス、コミッショナー問題を含めて、再びノアと交流。9/27に5年ぶりにノアへ参戦。田上明と社長タッグを結成して、小橋建太と初対戦したが敗れた。10月12日に、蝶野のデビュー25周年記念試合で新日本、全日本、ノアによる6人タッグマッチが実現。武藤、蝶野、小橋がトリオを結成して勝利。これで旧全日本の「プロレス四天王」とすべてタッグを結成した。


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2009/12/1
後楽園ホール
武藤敬司 船木誠勝 vs 諏訪魔 河野 / 2/4 3/4 4/4
2009 武藤敬司 船木誠勝 vs TARU ジョー・ドーリング 2/2  
2009/11/3
後楽園ホール
武藤敬司 船木誠勝 vs 長州力 征矢学 2/3 3/3
2009/10/24
博多スター
レーン
武藤敬司 船木誠勝 渕 vs F4 2/3 3/3
2009/10/12
両国国技館
武藤敬司 Kenta Kobashi 蝶野正洋 vs 秋山準 中西 小島 / 2/4 3/4 4/4
2009/9/27 武藤敬司 田上明 vs 小橋健太 高山善廣/2/7/3/7/4/7/5/7 6/7 7/7
2009/9/23
後楽園ホール
武藤敬司 西村 カズvs 諏訪魔 クレイジー 征矢 2/3 3/3
2009/8/30 武藤敬司 船木誠勝vs蝶野正洋 鈴木みのる / 2/4 3/4 4/4
2009/1/4
東京ドーム
武藤敬司 vs 棚橋弘至 / 2/4 3/4 4/4
2008/9/21 武藤敬司 vs真壁刀義 2/2  
2008/8/31 武藤敬司 vs 中邑真輔 2/2  
  武藤敬司 vs 中邑真輔    
2008/4/9 武藤敬司 vs 川田利明    
2007/7/1
横浜
武藤敬司vs鈴木みのる 1/3 2/3 3/3
2007/6/10 武藤ランブル    
2007 武藤敬司 vs 川田利明 2/3 3/3

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全日本プロレス移籍から社長就任へ

2002年1月、藤田和之を中心とした格闘技路線に重心を移した新日本プロレスでは自身のアメリカでの実績なども潰されることになると考え、弟分の小島聡、ケンドー・カシン及び新日本プロレスの事務方スタッフの一部と共に 新日本プロレスを突如退団。2/26に全日本プロレスに入団する。この時武藤は「全日本プロレスに骨の髄までしゃぶっていただきたいと思います。」という名言を残した。なお、この時本当は「骨を埋める覚悟で……」と言うつもりであったが、あがっていたせいで「骨の髄までしゃぶっていただきたいと思います」と言ってしまったのだという。その他に馳浩からの勧誘もあったとされる。移籍直後のチャンピオン・カーニバルでは初出場にして優勝を果たした。G1クライマックスとチャンピオン・カーニバルの両方を制覇したレスラーは武藤が初めてである(2005年には佐々木健介も達成)。 7月20日の日本武道館大会では、黒師無双⇒武藤敬司⇒グレート・ムタと1日3変化で3試合をこなして、すべて勝利している。8/30の日本武道館大会では、自らプロデュース興行を行った。10月には馬場元子社長から全日本プロレスの株式を譲り受け、オーナー兼社長となった。同年中には、K-1の石井和義と組み、エンターテイメントの要素を強く取り入れたプロレス「WRESTLE-1(レッスル・ワン)」という興行も行っている。2003年には盟友・橋本真也率いるZERO-ONEに全日本プロレスの選手を率いて乱入。「全面戦争、やるのかやらないのかはっきりしろよ!」という言葉で宣戦布告する。この後、全日本プロレスとZERO-ONEは激しい抗争を繰り広げることになる。 また、4月29日に行われた「BAPE STA!! PROWRESTLING ZEPP TOUR」のZEPP FUKUOKA大会では覆面レスラーTHE APEMAN PLATINUMに変身した。


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2003/3/24
後楽園ホール
武藤敬司 vs スティーブ・ウイリアムス    
2003/3/2
両国国技館
武藤敬司 嵐 vs 橋本真也 大谷晋二郎 / 2/4 3/4 4/4
  武藤敬司 嵐 vs 橋本真也 大谷晋二郎    
2003/1/19
東京ドーム
武藤敬司 Goldberg vs KroniK 2/2  
2002/7/17 武藤敬司 太陽ケア vs KroniK 2/2  
       
       




全日本プロレス参戦 - 史上初の六冠王者

その後、武藤はWCWにグレート・ムタとして参戦。空港に着くなり、多数の報道関係者に取り囲まれ、アメリカ国内での人気はいまだに衰えをしらなかった。「あのプロレス史上最凶のヒールが帰ってきました」の賛辞で迎えられるが、バンピーロとのコンビで世界タッグ王座は獲得し、スティングと抗争を行ったりしたものの、WWF(当時)より移ってきたビンス・ルッソーらにより、試合の機会を満足に得られないまま帰国。ちなみに武藤の帰国直後にWCWは消滅している。2000/12/31の大阪ドームで開催されたINOKI BOM-BA-YE 2000で国内復帰(この間、武藤が猪木との対談DVDを出すなどしていたことから、蝶野が一時期、武藤までも猪木にとりこまれたか?と警戒感を示したこともあった)。高田延彦と一夜限りのタッグを組み、ドン・フライ、ケン・シャムロック組と対戦。この試合は高田のバックドロップでシャムロックより勝利。ちなみに武藤がスキンヘッドになったのはこの試合からである。2001年より新日本プロレスに復帰。1/28、全日本プロレス・東京ドーム大会に参戦して太陽ケアに勝利。以後、定期的に全日本に参戦することになる。団体の垣根を超えた超党派ユニット「BATT(BAD ASS TRANSLATE TRADING)」を結成する。武藤は新必殺技シャイニング・ウィザードを引っ提げ、史上初の六冠王者(三冠ヘビー級王座、IWGPタッグ王座、世界タッグ王座(当時のプロレス誌のグラビアに、横たわった武藤の胴体や顔にまで6本のベルトが巻かれた写真があった)。ただし三冠ヘビー級王座と世界タッグ王座は事実上それぞれ一つのタイトルであるので実際は三冠王者)となった。さらに全日本プロレスの年末恒例の大場所である世界最強タッグ決定リーグ戦も制して、同年のプロレス大賞MVPに選ばれる。10月には全日本のリングで新日本プロレス所属同士で蝶野正洋と三冠戦が行われた。新日本プロレス、全日本プロレスの主力ベルトで、その時点で保持していないのは過去に自らも保持していたIWGPヘビー級王座のみとなり、武藤自身も次の標的は「猪木イズムの継承者」藤田和之と示唆していたものの、既に格闘技路線への疑問を公言していたこともあり、遂に実現しなかった。

 


2001/10/28
福岡
武藤敬司 太陽ケア vs 藤波辰爾 西村修 2/3 3/3
2001/10/8 武藤敬司 馳浩 vs 永田裕志 秋山準 2/3 3/3
2001/9/23 武藤敬司 vs スコット・ホール  2/2  
2001/6/8
日本武道館
天龍源一郎vs武藤敬司 1/3 2/3  
2001/2/8 武藤敬司 ドン・フライ vs
スコット・ノートン スコット・ホール
   
2001
札幌
武藤敬司 大谷晋二郎 vs 蝶野正洋 ドン・フライ    
  武藤敬司 太陽ケア vs 藤波辰爾 西村修    
  武藤敬司 太陽ケア vs天龍源一郎 安生洋二    
  武藤敬司 vs 蝶野正洋    
  武藤敬司 vs スコット・ホール    
  武藤敬司 太陽ケア vs 中西学 西村修    
  武藤敬司 ライガーr vs 永田裕志田中みのる    
       
       
       



<主な出演作品>

映画
  • 「光る女」 (1987) 松波仙作役 主演 (秋吉満ちる、安田成美と共演)
  • 「ポップコーンLOVE」 (1990)
  • 「妖獣伝説 ドラゴンブルー」 (1996) 竜崎慎役 田中広子とダブル主演
  • 「新・空手バカ一代 格闘者」 (2003)
  • 「実録ヒットマン 北海の虎. 望郷」 (2003) ロマノフ藤原役 誠直也とダブル主演
  • 「力道山」 (2004) ハロルド坂田役
  • 「不良少年(ヤンキー)の夢」 (2005) 山口芳之役
ドラマ
  • 「毎度おさわがせしますIII」 (1987)
  • 「Age,35 恋しくて」 (1996)
  • 「武蔵 MUSASHI」 (2003) 阿厳役…2002年のNHK紅白歌合戦に白組応援としてゲスト出演した。
  • 「西遊記」 (2006) 岩傑役 メインゲスト
  • 「佐々木夫妻の仁義なき戦い」第8話ゲスト(2008/3/9、TBS)
  • 「土曜時代劇 陽炎の辻2?居眠り磐音 江戸双紙?」第5回ゲスト 薬王寺役(2008/10/4、NHK)
  • 「崖っぷちのエリー?この世でいちばん大事な「カネ」の話」第3回ゲスト(2010/7/23、テレビ朝日・ABC)
Vシネマ
  • 「倒産回避請負人 裁きの銀」 (2002)
  • 「誇り高き野望」 1話 - 6話(2005年、2006年、内田組組長役)

番組・CM

番組
  • 『武藤敬司の喝!』(文化放送)1997年頃の約半年間放送。毎週土曜日夕方4時 - 5時15分。アシスタントは伊藤佳子アナウンサーでスポンサーは山之内製薬(当時、現・アステラス製薬)
  • 『武藤敬司 プロレスの砦』(FIGHTING TV サムライ)
  • 『武藤敬司のスポーツ大百科』(東海テレビ) 2006年11月 - 2007年1月
  • 『武藤敬司☆SHOW』(FIGHTING TV サムライ)現在放送中
  • 銀玉王(サンテレビ) - リーチボーイズとして出演。
  • 芸能人パチンコバトル P・リーグリターンズ(テレビ愛知) 2008年1月 - 2008年3月
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日スペシャル!! (第1部)
  • 秘密のケンミンSHOW(読売テレビ) - 山梨県民のパネラーとして出演。
  • 出没!アド街ック天国(テレビ東京)-「横浜 青葉台」で出演。
CM
  • サントリー 「サントリーコーヒーボス 贅沢微糖」(贅沢武藤役。伊藤淳史ほかと共演)
  • 江崎グリコ 「パワープロダクション」
  • スパイク 「キングオブコロシアムII」
  • ユークス 「レッスルキングダム」 「闘魂列伝」
  • セガ 「ゴールデンアックス2」
  • 東洋水産 「マルちゃん 昔ながらのソース焼きそば」(蝶野正洋と共演。)他に「焼きそばバゴォーン」、「俺のドロ」
  • アキレス 「アキレスシューズ」
  • フジボウ 「B.V.D.」(蝶野正洋と共演。)
  • アテナ 「プロ麻雀・極 NEXT II」
  • ウッドホーム
  • ピーキャストワークス http://www.p-cast.com
  • 日刊スポーツ(スカイ・Aスポーツプラスで放送中。「日汗してます」編)
  • サントリー -196℃ストロングゼロ<ダブルレモン> 『記者会見で説教篇』(石原さとみ、蝶野正洋と共演)(2010年2月2日 - )



 


 



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