IWGPは元々は、「International Wrestling Grand Prix」というリーグ戦を意味するものであったが、1987年に開催された第五回大会「IWGP王座決定リーグ戦」の優勝者であるアントニオ猪木を初代チャンピオンとして防衛戦が行われ、現在まで継承されている。
タイトル制定以降、新日本プロレスを象徴する、同団体で最も権威のあるチャンピオンベルトとされている。デザインは初代から4代目まであり、初代は1983年の第1回IWGPリーグ戦開催にあたって作成され優勝したハルク・ホーガンが初めて巻き、1997年まで使用されたが、旗揚げ25周年を迎えて一新された。
2001年にPRIDEのリング上でアントニオ猪木から初代ベルト王者として指名を受けた藤田和之と、2代目のベルトを継承していた第28代王者スコット・ノートンとの間で4/9に大阪ドームで「IWGP新旧ベルト統一戦」が行われ、この一戦に勝利した藤田が2本のベルトを獲得したが、年末に練習中に右アキレス腱を断裂。2002/1/4、防衛戦が出来ずに2本のベルトを猪木に返上した。
その後は2代目のベルトを使用していたが、2005年7/11、通算最多防衛記録を持つ橋本真也が逝去。天山広吉に勝利して再び王者となった藤田が、橋本の功績を称え、橋本家に2代目ベルトを贈呈することになり、新デザインを作成。9/30にサイモン・ケリー猪木新社長就任披露パーティーにて米国で作成された3代目のベルトが藤田に授与された。10/9東京ドームでブロック・レスナーが獲得。その後、剥奪することになったが返還されることなく、新王者となった棚橋弘至が2代目ベルトを代替使用した。
3代目ベルトはその後、IGF旗揚げ興行で新日本とは無関係に行われた防衛戦でレスナーを下したカート・アングルに渡ったが、2008年に第48代王者の中邑真輔がカートとのベルト統一戦に勝利し、奪還に成功。3/2、ZERO1-MAX後楽園ホールのリングに上がり、佐藤耕平に勝利。試合後、橋本家に2代目ベルトを贈呈した。
新日本プロレスリング認定の「プロレスリング競技者規約 ・ IWGP各選手権ルール」第二条第一項によって体重100kg以上の選手を対象としている。しかし2007/2/18に棚橋弘至の持つ王座に金本浩二が挑戦したことで、事実上体重の制限はなくなったと考えられる。
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