2007年はG・B・Hのリーダーとして軍団を引っ張っていたが5月から6月にかけ再三にわたり休場勧告。さらに昨年12月に負傷した首の状態が最悪であることも発覚した。このせいがあり、8月のG1
CLIMAXでは昨年の優勝者とは思えない不本意な成績に終わり、なおかつ越中のG・B・H脱退により本人も「もうアカン、気力だけで通用せぇへん」と休場とも思われる発言をしている。そして10月8日、かつての付き人後藤洋央紀と下克上マッチに敗北。この試合で、後藤が放った変形バックブリーカー(後の牛殺し)によってとうとう頸椎を損傷し長期欠場に追い込まれた。
2008/2/17、両国国技館で復帰するもタッグパートナーの石井智宏が天山の誤爆により敗北し試合後にG・B・Hを追放された。蝶野正洋がすぐさまレジェンド軍へ勧誘したが、張り手で拒否した。
3/9、NEW JAPAN CUP1回戦でG・B・Hの石井智宏と対戦。流血させられたが勝利。試合後、G・B・Hが天山をメッタ打ちにしているときに飯塚高史が救出。最初は、飯塚に冷たくあたっていたが、後に分かり合い合体。後に友情タッグと命名。4/27、同タッグで真壁刀義、矢野通が持つIWGPタッグに挑戦。試合終盤に飯塚からのまさかの裏切りにあい、敗戦。試合後飯塚は天山をイスでメッタ打ち。そしてG・B・Hに加入した。
7/8、裏切りの飯塚とランバージャック・デスマッチで対決。場外でG・B・Hメンバーからの攻撃で流血、後半はレフェリーを不在にさせ無法地帯と化すも最後は天山がアナコンダバイスで勝利。試合後納得のいかないG・B・Hが天山を奇襲。その時、盟友である小島聡が救出し、天コジ復活を遂げた。
G1 CLIMAXでは、初戦の川田利明をアナコンダバスターで勝利を奪ったが、G・B・Hの襲撃にあい、担架で運ばれる(2戦目の矢野通戦でも担架で運ばれた)。その後何度も襲撃にあい首が悪化。結果、1勝5敗と不本意な戦績で終わった。
10/13、飯塚高史と2度目のデスマッチ、チェーン・デスマッチで激突。セコンドの介入も小島が阻止したが、飯塚にチェーンで首を絞め上げるとレフェリーが危険とみなしTKO負けを喫した。後日行われたG1
TAG LEAGUEでは小島と組み天コジとして挑む。初戦こそ飯塚高史、石井智宏組相手に黒星を飾るものの、その後は無傷の連勝を重ね見事Aブロック1位通過。決勝戦で真壁刀義、矢野通組と対戦。小島の大流血、飯塚の乱入などで窮地に追い込まれたが、最後はアナコンダクロスを解禁。これで矢野をギブアップさせ、7年ぶり2度目の優勝を果たした。
さらに全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦では諏訪魔・近藤修司組を破り、2年ぶりの優勝を遂げ、初のメジャー大会ダブル優勝を飾り、2009/1/4に行われるIWGPタッグ王座に挑戦を決意。ところが12月29日に右目の上半分が見えなくなるという異常を訴え、病院で検査を受けたところ網膜剥離と診断された。12月31日に手術が行われ、休場を余儀なくされた。
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