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NWA
1929年にNBA(National Boxing Association=全米プロボクシング協会、現在のWBAの前身)のレスリング部門として設立されたプロレス団体(National Wrestling Association=全米レスリング協会)、またはその後発足した別団体のプロレスプロモート連盟(National Wrestling Alliance=全米レスリング同盟)。

歴史

National Wrestling Association

NWA(アソシエーション)はNBA(全米プロボクシング協会)のレスリング部門でとして設立された。当初はNBAプロレスリング部であったが、1930年10月にNWAとして正式に独立した。名目上は各州の体育協会による運営で、実際はNWA(アライアンス)発足後の1960年代まで存続していた。

National Wrestling Alliance

NWA(アライアンス)は1948年7月に、アイオワ州のプロモーターであるピンキー・ジョージが中心となり、セントルイスのサム・マソニックやミネアポリスのトニー・ステッカーら5人のプロモーター達と共に結成された。第二次世界大戦後、プロレスを再興させるために「世界タイトルの認定」を行い、世界王者を抱えることによって興行的に大都市のプロモーターに対抗する意図があった。あくまで連盟であるため非営利組織であったが、談合カルテルとしての側面を持ち合わせており、1956年には独占禁止法違反によりアメリカ司法省に告訴された。

当初ピンキー・ジョージは、中西部地区に限った統一世界王座の構想を持ち、NWA結成を呼びかけたが、瞬く間に加盟するプロモーターの数が増え、間もなく発足メンバーの一人であるサム・マソニックに実権を奪われた。1960年代から1970年代にかけては、途中で脱退・分裂などの憂き目に遭うものの、マソニックのリーダーシップにより黄金期を形成した。しかし、1970年代後期になると、ケーブルテレビの普及や、興行戦争、オイルショック以降のガソリンの高騰(当時多くのレスラーは現在以上に車で移動していた)などにより、加盟地区の多くが低迷、NWAの力も衰退していくことになった。

1984年、WWF(現WWE)が豊富な資金とケーブルテレビの活用を背景に全米に勢力を拡大し始めると、次第に興行に行き詰まる地区が続出。AWAのバーン・ガニアと組んで対抗しようとしたが、資金力と団結に劣るNWAに勝ち目はなく、衰退の一途をたどり始める。1980年代後半に入ると王者リック・フレアーを擁するノースカロライナのプロモーター、ジム・クロケット・ジュニアの権限が強大化しNWA内部のバランスが崩れ、アライアンスとしてのNWAの体制は形骸化。ダラスのプロモーターで元会長のフリッツ・フォン・エリックのようにNWAからの独立に活路を求める者まで出る始末だった。しかし、ジム・クロケット・プロモーションズもWWFとの興行戦争に敗れ経営難となり、1988年11月、当時TV放映権を持っていたテッド・ターナーに買収され、新団体WCWが発足する。WCWでは買収後はNWA王座とWCW王座のタイトルマッチを並行して行っていたが、1993年にWCWもNWAから脱退した。

WCW脱退衰退後

現在もNWAは団体として存在するものの、マイナータイトルの一つという位置付けにすぎず、かつての威厳はない。かつての権威を取り戻す動きを起こしても、WWEの勢力が強く、また当時とはプロレスの位置付けや見方が大きく変わっているために、苦戦している。

その中でも2002年に設立されたプロレス団体、TNA(Total Nonstop Action)はNWAに所属する団体の中で急速に勢力が拡大している団体であり、単一メジャーのWWEに次ぐ勢力となりつつある。元WWE出身の選手も多く在籍する。しかし、2007年5月にNWAと業務提携を終了、NWAからタイトルを剥奪され 、TNA独自の新タイトルに切り替えることになった。

その他、ジョージア地区のNWAアナーキー(NWA Anarchy)は、2005年4月まで存続した団体、NWAワイルドサイド(NWA Wildside)の後を継いで、毎週全米とカナダで週一回のテレビ番組を供給している。NWAプロ・レスリング(NWA Pro Wrestling)は、ルチャ・リブレを取り入れたスタイルでアメリカ南西部、カリフォルニア、ニュージャージーを中心に興行を行なっている。

2008年には、EMLL(現:CMLL)のスターであったブルー・デモンの息子、ブルー・デモン・ジュニアがNWAメキシコ(NWA Mexico)を創立。彼はルチャドールで初めてNWA世界ヘビー級王座に就いた。

日本では2001年に橋本真也率いるプロレスリングZERO-ONEがNWAに加盟し、実質的な日本支部として活動を行い、「NWA」の冠の付いた王座を複数認定していた。2004年にZERO-ONEが崩壊したことで関係は一時途絶えるが、後継団体のZERO1では引き続き独自に「NWA」の冠がつくタッグ王座の管理・認定を続けた。2011年にはZERO1がNWAに加盟(実質的には再加盟)したことで、これらZERO1が管理するNWA王座もNWA側により追認された。

NWAのシステム

NWAは本部をセントルイスに構え、これを頂点として各国のプロモーターの個人加盟(団体単位ではない)によって成り立っている。加盟を認められるには審査を受けなければならない。年1回、毎年8月か9月に総会が開かれる。その他、必要に応じて臨時の総会や役員会が開かれる。

日本プロレスは1960年代後半に加盟し、崩壊までメンバーであった(名義人は芳の里淳三)。またジャイアント馬場はアメリカ遠征時代からNWAとの関わりが強く、全日本プロレス創立直後に芳の里がすでに加盟していたにもかかわらず臨時総会まで開いて加盟が認められている(全日本と友好関係にあったアマリロのプロモーター、ドリー・ファンク・シニアの強力な働きかけによるとされる)。1984年より馬場は、全日本プロレス会長の立場で4期に渡って日本人唯一のNWA第一副会長を務めた。日本では全日本プロレス、新日本プロレスの両団体の首脳が加盟していたが、新日本社長のアントニオ猪木は加盟を申請したものの当初NWA側から拒否されたこともあり、新日本側の加盟名義人は坂口征二と新間寿であった。なお、国際プロレスの吉原功社長も加盟申請したが却下されている。また、大木金太郎が韓国のプロモーターとして加盟している。女子部門では日本女子プロレスが創立してまもなく松永高司を名義人として加盟していたが、松永は日女を離脱して全日本女子プロレスを旗揚げしたためそのまま全女が引き継いだ。

NWAの加盟により、主に以下のようなことが可能となる。

  • NWA認定の王者を招聘することができる。
  • 他のプロモーターからのルートで様々な外国人レスラーを招聘することができる(逆に言えば、NWA非加盟団体はNWA傘下のプロモーターに選手を斡旋してもらえずに興行上大きく不利になる。旗揚げ直後の新日本がまさにこれであった)。

また、NWAに加盟するために、以下の条件がつけられる。

  • NWAに加盟できるのは一つの地区で一人のプロモーターに限り、同じ地区のプロモーターの加盟は認めない。
    「一つの地区に一人のプロモーター」とすることで、組織の権威を上げることはもちろんだが、同じテリトリーの中での争いに巻き込まれ、共倒れになることを防ぐ目的もある。ただし、日本だけは例外で、全日本プロレスと新日本プロレスの両団体が加盟している(だが、実際はヘビー級王者のタイトルマッチは全日本プロレスのみに限られ、新日本プロレスではヘビー級のタイトルマッチが行うことはできなかったりと、待遇には差があった。猪木はこれを逆用して「NWA王者は俺が怖くて挑戦を逃げた」と国内で宣伝し、日本のファンには受けたが他のレスラーやプロモーターからは顰蹙を買った。馬場は加盟したのが猪木より先だったこと、第一副会長を長らく務めていたことや、NWAの有力プロモーター・レスラーとは馬場のアメリカ修業時代以来の強い関係があったこともあり、全日本側が優遇された)。
  • 加盟プロモーターが所属する団体のタイトルから「世界」の表記を外さなくてはならない。
    これはNWAが認定する世界タイトルが本部が直轄するものだけであったためである(全日のPWFヘビー級王座や新日のNWFヘビー級王座がこれに当たる。また、WWF(現WWE)もNWA加盟時には「世界」の表記を外している)。ただし、本部が認可したものに関しては直轄のタイトルではなくても「世界」の表記をつけることが可能である。全日本プロレスのPWF世界タッグ王座がその一例である。これはNWAが本部直轄のタッグタイトルを持っていなかったため(NWA世界タッグと言うタイトルは存在していたが、本部直轄では無かった)と思われる。また実際上は、世界ジュニアヘビー級についてはオクラホマ地区のプロモーターであるレロイ・マクガーク、ライトヘビー級についてはメキシコのEMLLにそれぞれ管理が一任されていた。 尚、EMLLは独自にミドル級、ウェルター級の各階級でNWA世界王座を認定、NWAを脱退しCMLL世界王座を認定している現在でもNWA三王座を認定し続けている。



過去の加盟地区・団体

  • セントルイス・レスリング・クラブ
  • ハート・オブ・アメリカ・スポーツ・アトラクションズ
  • ジム・クロケット・プロモーションズ
  • ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • WWF
  • WCW
  • WWC
  • EMLL
  • 日本プロレス
  • 全日本プロレス
  • 新日本プロレス
  • ECW
  • 日本女子プロレス
  • 全日本女子プロレス

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主なタイトル

NWA王座一覧
プロレス団体NWAが認定・管理していた、チャンピオンベルトの一覧である。

NWA世界ヘビー級王座
プロレスのチャンピオンシップである。NWA(National Wrestling Alliance)本部の直轄するベルトで、1980年代末にNWAが衰退するまでは、世界最高峰といわれたタイトルである。

1948年に設立された、新NWA(アライアンス)の初代王座にはオーヴィル・ブラウンがついた。1949年にブラウンと旧NWA(アソシエーション)の世界王者のルー・テーズによるタイトルマッチが行われるはずであったが、ブラウンが交通事故に遭い引退したため、テーズが第2代王者の認定を受けることとなった。

その後、新NWAはこの世界王座を正当化させるためにフランク・ゴッチを初代王者とし、2代目以降は適当に過去の団体の王者をつぎはぎした。そしてルー・テーズは第38代王者として認定を受けた。以後はここからNWA世界王者の代数をカウントしていくこととなる。

NWA世界ヘビー級王座は、ルー・テーズやジン・キニスキー、ドリー・ファンク・ジュニア、ハーリー・レイスなどの実力あるレスラーたちの功績により、1980年代前半まで世界最高峰のベルトとして広く認知されるに至った。このタイトルを手にした者は全米各地(時には日本を初めとする海外)のNWA会員のプロモーターのテリトリーを転戦し、その地区のローカルチャンピオンと防衛戦を行わなければならず、かなりの体力と精神力が要求された。このように、地元のスターレスラーと防衛戦を行う仕組みになっているため、NWA王者にはヒール(悪役)が多い。NWA王座は反則勝ち/負けでは移動せず、またオーバー・ザ・トップロープは反則というルールが存在したため、王者はそれらを巧みに利用してベルトの防衛を行った。

NWA世界ヘビーの銘を冠するベルトを獲得した日本人レスラーはこれまでに何人もいるが、NWA黄金期にこのタイトルを獲得したレスラーは、ジャイアント馬場(3度獲得)ただ一人である。ただし、いずれも戴冠期間は1週間以内で、NWA王者(ジャック・ブリスコ、ハーリー・レイス)の来日期間中に一時的に王座を貸与されていたものであり、いずれも前王者との再戦でベルトを奪還されている。

1980年代末、WWFの全米進出によってテリトリー制が崩壊し、NWA末期における最大の団体であったジム・クロケット・プロモーションズがテッド・ターナーに買収されてWCWが台頭した後は、NWA王座は実質的にWCWが管理するようになり、その際はWCWの管理する一王座という扱いであった。そのため、その権威は大きく下がり、さらにWCWのNWA離脱と共にスター選手もNWAから離れたため、権威は更に大きく下落した。1990年代後半から2000年代初頭にかけてはインディー団体の一王座にまで権威は低下した。

2002年に入り、NWAとの業務提携によりTNAが王座を管理する権利を獲得(管理する期間は2014年まで)。以降実質的にTNAの王座となっていたが、2007年5月業務提携終了によりベルトの管理権を剥奪された。

以降はROHなどアメリカのインディー団体や、メキシコのCMLLでタイトル戦が行われている。2008/10/25にはブルー・デモン・ジュニアがメキシコ人レスラー、覆面レスラーとして初のNWA世界ヘビー級王者となっている。

また、WWEの世界ヘビー級王座は元々WCW世界ヘビー級王座を復活させたものであるが、WCWの番組内でWCWとNWAの両王座が統合された経緯を根拠に同一のものと主張、あるいは意図的に混同し、NWA、WCW、WWEに至る世界王座のDVDを販売している。


歴代NWA世界ヘビー級王者
NWAが管理するチャンピオンベルトであるNWA世界ヘビー級王座を獲得したことがある人物の一覧である。

ジャイアント馬場の初獲得を第49代とした場合で一覧は構成しており、旧NWAの初代から第37代を参考として掲載している。また、オービル・ブラウンを初代王者とする場合は下記に掲載されている第38代が第2代となる。

歴代NWA世界ヘビー級王者
NWAが管理するチャンピオンベルトであるNWA世界ヘビー級王座を獲得したことがある人物の一覧である。

ジャイアント馬場の初獲得を第49代とした場合で一覧は構成しており、旧NWAの初代から第37代を参考として掲載している。また、オービル・ブラウンを初代王者とする場合は下記に掲載されている第38代が第2代となる。


伝説の時代(初代〜37代)
NWA
戴冠日付 レスラー 戴冠
回数
初代 1905/10/1 フランク・ゴッチ 1
第2代 1906/12/1 フレッド・ビール 1
第3代 12/16 フランク・ゴッチ 2
第4代 1914/7/4 チャーリー・カトラー 1
第5代 1915/7/5 ジョー・ステッカー 1
第6代 1917/4/9 アール・キャドック 1
第7代 1920/7/4 ジョー・ステッカー 2
第8代 1921/12/13 エド・ルイス 1
第9代 1922/3/3 スタニスラウス・ズビスコ 1
第10代 3/22 エド・ルイス 2
第11代 1925/1/8 ウェイン・マン 1
第12代 4/25 スタニスラウス・ズビスコ 2
第13代 5/30 ジョー・ステッカー 3
第14代 1928/2/20 エド・ルイス 3
第15代 1929/7/4 ガス・ソネンバーグ 1
第16代 1931/2/10 エド・ダン・ジョージ 1
第17代 5/7 ヘンリー・デグレーン 1
第18代 7/7 エド・ダン・ジョージ 2
第19代 1935/6/30 ダノ・オマホニー 1
第20代 1936/3/2 ディック・シカット 1
第21代 4/24 アリババ 1
第22代 6/26 エベレット・マーシャル 1
第23代 1937/12/29 ルー・テーズ 1
第24代 1938/2/11 スティーブ・ケーシー 1
第25代 9/- エベレット・マーシャル 2
第26代 1939/2/23 ルー・テーズ 2
第27代 6/23 ブロンコ・ナグルスキー 1
第28代 1940/3/7 レイ・スチール 1
第29代 1941/3/11 ブロンコ・ナグルスキー 2
第30代 6/5 サンダー・ザボー 1
第31代 1942/2/19 ビル・ロンソン 1
第32代 10/17 ユーボン・ロバート 1
第33代 11/27 ボビー・マナゴフ 1
第34代 1943/2/19 ビル・ロンソン 2
第35代 1947/2/21 ホイッパー・ビリー・ワトソン 1
第36代 4/25 ルー・テーズ 3
第37代 11/21 ビル・ロンソン 3


鉄人テーズの時代(第38〜44代)
NWA

戴冠日付 レスラー 戴冠
回数
1948/1/5
デモイン
オーヴィル・ブラウン 1
第38代 1949/11/27
トロント
ルー・テーズ 4
第39代 1956/3/15 ホイッパー・ビリー・ワトソン 2
第40代 11/9
セントルイス
ルー・テーズ 5
第41代 1957/11/14
トロント
ディック・ハットン 1
第42代 1959/1/9
セントルイス
パット・オコーナー 1
第43代 1961/6/30
シカゴ
バディ・ロジャース 1
第44代 1963/1/24
トロント
ルー・テーズ 6
1962/8/31オハイオ州コロンバスにおいて、ビル・ミラーとカール・ゴッチが、NWA世界ヘビー級王者バディ・ロジャースと控え室でトラブルを起こし試合を控えてたロジャーズは欠場。一時 対戦相手のジャイアント馬場に移動するが結局 馬場は返上。レコードとしては認められていない。



黄金期(第45〜60代)
NWA

戴冠日付 レスラー 戴冠
回数
第45代 1966/1/7
セントルイス
ジン・キニスキー 1
第46代 1969/2/11
タンパ
ドリー・ファンク・ジュニア 1
第47代 1973/5/24
カンザスシティ
ハーリー・レイス 1
第48代 7/20
ヒューストン
ジャック・ブリスコ 1
第49代 1974/12/2
鹿児島市
ジャイアント馬場 1
第50代 12/9
豊橋市
ジャック・ブリスコ 2
第51代 1975/12/10
マイアミ
テリー・ファンク 1
第52代 1977/2/6
トロント
ハーリー・レイス 2
第53代 1979/8/21
タンパ
ダスティ・ローデス 1
第54代 8/26
オーランド
ハーリー・レイス 3
第55代 10/31
名古屋市
ジャイアント馬場 2
第56代 11/7
尼崎市
ハーリー・レイス 4
第57代 1980/9/4
佐賀市
ジャイアント馬場 3
第58代 9/19
大津市
ハーリー・レイス 5
第59代 1981/4/27
オーガスタ
トミー・リッチ 1
第60代 5/1
ゲインズビル
ハーリー・レイス 6


リック・フレアーの時代(第61〜72代)
NWA

戴冠日付 レスラー 戴冠
回数
第61代 1981/6/21
アトランタ
ダスティ・ローデス 2
第62代 9/17
カンザスシティ
リック・フレアー 1
第63代 1983/6/10
セントルイス
ハーリー・レイス 7
第64代 11/24
グリーンズボロ
リック・フレアー 2
第65代 1984/3/21
ウェリントン
ハーリー・レイス 8
第66代 3/23
シンガポール
カラン
リック・フレアー 3
第67代 5/6
アービング
ケリー・フォン・エリック 1
第68代 5/24
横須賀市
リック・フレアー 4
第69代 1986/7/26
グリーンズボロ
ダスティ・ローデス 3
第70代 8/9
セントルイス
リック・フレアー 5
第71代 1987/9/25
デトロイト
ロニー・ガービン 1
第72代 11/26
シカゴ
リック・フレアー 6

 
 
WCW管理下の時代(第73〜82代)

NWA
戴冠日付 レスラー 戴冠
回数
第73代 1989/2/20
シカゴ
リッキー・スティムボート 1
第74代 5/7
ナッシュビル
リック・フレアー 7
第75代 1990/7/7
ボルチモア
スティング 1
第76代 1991/1/11
イーストルーサー
フォード
リック・フレアー 8
第77代 3/21
東京
藤波辰爾 1
第78代 5/19
セントピーターズ
バーグ
リック・フレアー 9
第79代 1992/8/12 蝶野正洋
東京(リック・フレアーWCW離脱後のNWA王座復活トーナメント優勝での獲得)
1
第80代 1993/1/4
東京
ザ・グレート・ムタ 1
第81代 2/21
アッシュビル
バリー・ウインダム 1
第82代 7/18
ビロキシ
リック・フレアー 10
この後、WCWがNWAより離脱したため、王座凍結


インディ王座の時代(第83〜94代)

戴冠日付 レスラー 戴冠
回数
第83代 1994/8/27
フィラデルフィア
シェイン・ダグラス
王座決定トーナメントで2・コールド・スコーピオを倒しての戴冠
1
第84代 11/19
チェリーヒル
クリス・キャンディード
王座決定トーナメントでトレイシー・スマサーズを倒しての戴冠
1
第85代 1995/2/24
アーランガー
ダン・スバーン 1
第86代 1999/3/14
横浜
小川直也 1
第87代 9/25
シャーロット
ゲーリー・スティール 1
第88代 10/2
トマソン
小川直也 2
第89代 2000/9/19
タンパ
マイク・ラパーダ
王座決定トーナメントでジェリー・フリンを倒しての戴冠
1
第90代 11/14
タンパ
サブゥ 1
第91代 12/22
ナッシュビル
マイク・ラパーダ 2
第92代 2001/4/24
タンパ
スティーブ・コリノ 1
第93代 12/15
マクニースポート
橋本真也
スティーブ・コリノ、ゲーリー・スティールを倒しての戴冠
1
第94代 2002/3/9 ダン・スバーン
東京
2
この後、2002/5/28よりTNAが管理する王座となり、ダン・スバーンの王座は取り上げられている。


TNA王座の時代(第95〜112代)

戴冠日付 レスラー 戴冠
回数
第95代 2002/6/19
ハンストビル
ケン・シャムロック
王座決定バトルロイヤルを制しての戴冠
1
第96代 8/7
ナッシュビル
ロン・キリングス 1
第97代 11/20
ナッシュビル
ジェフ・ジャレット 1
第98代 2003/6/11
ナッシュビル
A.J.スタイルズ 1
第99代 8/22
ナッシュビル
ジェフ・ジャレット 2
第100代 2004/4/21
ナッシュビル
A.J.スタイルズ 2
第101代 5/19
ナッシュビル
ロン・キリングス 2
第102代 6/2
ナッシュビル
ジェフ・ジャレット 3
第103代 2005/5/15
オーランド
A.J.スタイルズ 3
第104代 6/19
オーランド
レイヴェン 1
第105代 9/15
オールド
キャッスル
ジェフ・ジャレット 4
第106代 10/23
オーランド
ライノ 1
第107代 11/3
オーランド
ジェフ・ジャレット 5
第108代 2006/2/12
オーランド
クリスチャン・ケイジ 1
第109代 6/18
オーランド
ジェフ・ジャレット 6
第110代 10/22
デトロイト
スティング 2
第111代 11/19
オーランド
アビス 1
第112代 2007/1/14
オーランド
クリスチャン・ケイジ 2
2007/5/13、TNAとの業務提携終了によりNWA王座を剥奪した。

 

インディ王座の時代(第113〜)

戴冠日付 レスラー 戴冠
回数
第113代 2007/9/1
プエルトリコ
アダム・ピアース
王座決定トーナメントを制しての戴冠
1
第114代 2008/8/2
ニューヨーク
ブレント・オブライト 1
第115代 2008/9/20
フィラデルフィア
アダム・ピアース 2
第116代 2008/10/25
メキシコシティ
ブルー・デーモン・ジュニア 1
第117代 3/14
シャーロット
アダム・ピアース 3
第118代 2011/3/16
ハリウッド
コルト・カバナ 1

 
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NWA世界タッグチーム王座


NWA世界タッグチーム王座
NWA World Tag Team Championship
プロレスの王座である。管理組織はNWAで、タッグチームを対象とした王座となっている。TNAが2014年までの独占管理権を有しており、実質的にTNAのタッグチーム王座となっていたが、2007年5月にTNA新王座設立により剥奪している。

概要

王座の設立は1975年である。シングルレスラーを対象としたNWA世界ヘビー級王座と比較した場合、設立年代が遅い。しかしながら王座設立までNWAのタッグチームを対象とした王座が存在しなかったわけではなく、1950年に設立されたNWAサンフランシスコ地区のタッグチーム王座などのように、NWAの各地区ごとにはタッグ王座は存在した。

  • NWA世界タッグチーム王座(サンフランシスコ版)
    • 全米でもっとも古いタッグ選手権でプロモータージョー・マルセウィッツが1950年4月から1961年8月まで認定・管理、後に1968年7月からプロモーターがロイ・シャイアーに変わり1979年4月まで存在。
  • NWA世界タッグチーム王座(シカゴ版)
    • 1953年から1960年8月まで後にAWA(アメリカン・レスリング・アソシエーションのAWAではなくアメリカン・レスリング・アライアンス、プロモーターバルク・エスティス)と言う団体が1964年4月まで認定・管理した。
  • NWA世界タッグチーム王座(ジョージア版)
    • 1954年5月から1969年3月まで認定・管理。
  • NWA世界タッグチーム王座(ミネアポリス版)
    • 1957年1月から1960年8月まで認定・管理、後にAWAがAWA世界タッグチーム王座として認定・管理。
  • NWA世界タッグチーム王座(テキサス版)
    • 1957年7月から1982年4月まで認定・管理。
  • NWA世界タッグチーム王座(テネシー版)
    • 1957年2月から1977年4月まで認定・管理。
  • NWA世界タッグチーム王座(セントラルステーツ版)
    • 1958年6月から1960年6月まで、1962年から1963年、1973年から1979年までハート・オブ・アメリカ・スポーツ・アトラクションズによって認定・管理された。後にNWAセントラルステーツタッグチーム王座と名前を変え1973年3月からはNWAノースアメリカンタッグチーム王座と名前をまた変え1978年10月まで認定・管理。
  • NWA世界タッグチーム王座(ロサンゼルス版)
    • 1957年10月から1982年5月まで認定・管理。
  • NWA世界タッグチーム王座(フロリダ版)
    • 1961年1月から1959年2月まで認定・管理。
  • NWA世界タッグチーム王座(デトロイト版)
    • 1964年から1980年6月まで認定・管理。
  • NWA世界タッグチーム王座 (バンクーバー版)
    • 1966年から1967年まで認定・管理。
  • NWA世界タッグチーム王座(ミッドアトランティック版)
    • 1975年1月から1991年1月まで認定・管理。以降はWCW世界タッグチーム王座として認定され、2001年にWCWを買収したWWF(現・WWE)によりWWF世界タッグチーム王座に統一された。

復活版王座遍歴

NWAの世界タッグチーム王座として最後まで存続していたミッドアトランティック版は、1988年まで王座を管理していたジム・クロケット・プロモーションズがテッド・ターナーに買収され、新会社WCWが発足したことにより、1991年にWCW世界タッグチーム王座に名称が変更された。NWA王座は空位扱いとなったが、1992年にWCWにて復活し、テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスが王者チームとなった。しかし、翌1993年にWCWがNWAを脱退したため再び王座は空位となり、最後の王者チームだったアーン・アンダーソン&ポール・ローマは、そのままWCW世界タッグ王者として認定された。

以降、王座は1995年にミッドサウス・エリアで復活し、当時ジム・コルネットのスモーキー・マウンテン・レスリングやジェリー・ジャレットのUSWAを主戦場としていたロックンロール・エクスプレスが新王者となった。1998年には、当時WWFのブッカーを担当していたコルネットの「NWA対WWF」というアングルのもと、WWFでタイトルマッチが行われたこともある。その後、王座はNWA本部の直轄のもとインディー団体を舞台に争われ、2002年から2007年まではTNAに管理が一任されていた。
獲得年月日 獲得レスラー/チーム名 獲得
回数
1992/7/12
オールバニ
テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス #
1992/9/21
アトランタ
バリー・ウインダム&ダスティン・ローデス #
1992/11/18
メイコン
リッキー・スティムボート&シェーン・ダグラス #
1993/3/2
メイコン
スティーブ・オースチン&ブライアン・ピルマン #
1993/8/18
デイトナ
アーン・アンダーソン&ポール・ローマ
WCWがNWAを脱退したため空位
#
1995/4/11
ダラス
ロックンロール・エクスプレス
(ロバート・ギブソン&リッキー・モートン)
トーナメント決勝でディック・マードック&ランディ・ローズを破り戴冠
1995/6/26のPG-13戦後、王座預かりとなり空位
1
  空位  
1995/7/3
メンフィス
ロックンロール・エクスプレス
リターンマッチでPG-13を破り戴冠
2
1995/12/9
埼玉
ターザン後藤&ミスター雁之助
争奪リーグ戦決勝でタイガー・ジェット・シン&カクタス・ジャックを破り戴冠
1996年8月、王者チームが管理団体のIWAジャパンを離脱したため空位
1
1996/9/14
ゴールドストン
パット・アンダーソン&C.W.アンダーソン
王者決定戦でザ・ファンタスティックスを破り戴冠
1
  空位  
1998/1/2 ロックンロール・エクスプレス
1997年は空位で特別にNWAより認定を受けた。
3
1998/2/17
ウェイコ
ザ・ヘッドバンガーズ 1
1998/3/30
オールバニ
ニュー・ミッドナイト・エクスプレス(バート・ガン&ボブ・ホーリー) 1
1998/8/14
グリーンビル
ボーダー・パトロール 1
1998/9/12
リンカーントン
バリー・ウインダム&タリー・ブランチャード 1
1998/10/10
キャメロン
ボーダー・パトロール 2
1998/10/24
チェリーヒル
エリック・スブラッチャ&ナックルス・ネルソン 2
1999/6/10
ダラス
エリック・スブラッチャ&リック・フラー 1
1999/6/17
ボストン
パブリック・エネミー(ジョニー・グランジ&ロッコー・ロック) 1
1999/6/19
ドーチェスター
エリック・スブラッチャ&デュークス・ダルトン 1
1999/9/25
シャーロット
チーム・エクストリーム 1
1999/11/26
リッチランドヒルズ
マーダーInc. 1
1999/12/17
リッチランドヒルズ
チーム・エクストリーム 2
2000/3/4
コーネリア
トリプルXXX 1
2000/4/7
エスカン
メイン・イベント 1
2000/4/12
倭館
ロックンロール・エクスプレス 4
2000/4/17
烏山市
L.A.スティーブンス&ビッグ・ババ・ベイン 1
2000/4/19
沖縄
トリプルXXX 2
2000/8/15
タンパ
バッド・アティテュード 1
2001/2/3
ナッシュビル
バッド・ストリート・ボーイズ 1
2001/2/17
コーネリア
バッド・アティテュード 2
2001/3/22
アセンズ
ダン・ファクター&デビッド・フレアー 1
2001/3/23
コア
バッド・アティテュード 3
2001/3/24
タンパ
ヘブンリー・ボディーズ 1
2001/12/28
デランド
グレイシャー&ジェイソン・シュガーマン 1
2001/12/29
ライブオーク
ヘブンリー・ボディーズ 2
2002/1/26
コロンビア
ジェフ・ダニエルズ&ティム・レネスト 1
2002/4/17
ウィンター・ヘブンズ
ヘブンリー・ボディーズ 3
2002/6/8
ペルー リマ
マイク・シェーン&トッド・シェーン 3
2002/7/3
ナッシュビル
A.J.スタイルズ&ジェリー・リン 1
2002/9/18
ナッシュビル
アメリカズ・モスト・ウォンテッド 1
2002/11/13
ナッシュビル
ブライアン・リー&スラッシュ 1
2003/1/8
ナッシュビル
アメリカズ・モスト・ウォンテッド 2
2003/1/22
ナッシュビル
LOW-KI&エリックス・スキッパー 1
2003/3/12
ナッシュビル
クリストファー・ダニエルズ&LOW-KI 1
2003/4/16
ナッシュビル
アメージング・レッド&ジェリー・リン 1
2003/5/7
ナッシュビル
クリストファー・ダニエルズ 1
2003/6/25
ナッシュビル
アメリカズ・モスト・ウォンテッド 3
2003/8/27
ナッシュビル
サイモン・ダイアモンド&ジョニー・スウィンガー 1
2003/11/26
ナッシュビル
BGジェイムス,ロン・キリングス&コナン 1
2004/1/28
ナッシュビル
ジョー・レジェンド&ケビン・ノースクット 1
2004/2/4
ナッシュビル
アビス&A.J.スタイルズ 1
2004/4/7
ナッシュビル
ダラス&キッド・キャシュ 1
2004/4/14
ナッシュビル
アポロ&ディーロ・ブラウン 1
2004/4/21
ナッシュビル
ダラス&キッド・キャシュ 2
2004/6/4
オーランド
アメリカズ・モスト・ウォンテッド 4
2004/7/7
ナッシュビル
ナチュラルズ 1
2004/9/8
ナッシュビル
クリス・ハリス&エリックス・スキッパー 1
2004/9/24
オーランド
クリストファー・ダニエルズ&ジェームス・ストーム 1
2004/10/15
オーランド
ボビー・ルード&エリック・ヤング 1
2004/11/7
オーランド
BGジェイムス&コナン 2
2004/12/5
オーランド
ボビー・ルード&エリック・ヤング 2
2005/1/16
オーランド
アメリカズ・モスト・ウォンテッド 5
2005/4/26
オーランド
ナチュラルズ 2
2005/10/22
オーランド
アメリカズ・モスト・ウォンテッド 6
2006/6/18
オーランド
クリストファー・ダニエルズ&A.J.スタイルズ 1
2006/8/24
オーランド
LAX 1
2006/9/24
オーランド
クリストファー・ダニエルズ&A.J.スタイルズ 2
2006/10/22
オーランド
LAX 2
2007/4/15
オーランド
チーム3D 1
2007/7/8
マッカレン
ジョーイ・ライアン&カール・アンダーソン 1

 
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