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国際プロレスラッシャー木村
国際プロレス
かつて存在した日本のプロレス興行団体。
なお国際プロレスは通称で、正式社名は「インターナショナル・レスリング・エンタープライズ
(International Wrestling Enterprise、略称IWE)」である。
名付け親はプロレス評論家の菊池孝。

 
   
 
 
復刻!
国際プロレス
Vol.1

モンスター・ロシモフvsストロング小林


1972/5/6 盛岡市体育館
第4回ワールド・シリーズ決勝
モンスター・ロシモフvsストロング小林
 
   


 
 


復刻!
国際プロレス
Vol.2

国際プロレス



1972/5/4 渋川市体育館
第4回ワールド・シリーズ準決勝
ストロング小林vsドン・レオ・ジョナサン

サンダー杉山/ラッシャー木村/寺西勇vs
モンスター・ロシモフ/ティト・コバ/イアン・バイデン


 
   


 
 
 
復刻!
国際プロレス
Vol.3
モンスター・ロシモフvsストロング小林


1973/7/9 大阪府立体育館 
IWA
ストロング小林vsラッシャー木村

1973/9/8 日大講堂
ワールド・シリーズ
アニマル浜口vsブラック・ジャック・マリガン


 
 
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国際プロレス
バーン・ガニアvsストロング小林


1969/12/5 大田区体育館
ヨーロッパ・タッグ
グレート草津/サンダー杉山vsエルマンソ・ブラザーズ

1970/2/26 東京体育館
AWA
バーン・ガニアvsストロング小林


1970/5/4 台東体育館
第2回ワールド・シリーズ決勝
ビル・ロビンソンvsストロング小林

1970/7/9 川崎市体育館
エドワード・カーペンティアvsグレート草津







国際プロレス Ⅱ
バーン・ガニアvsビル・ロビンソン


1974/11/20 蔵前国技館
AWA
バーン・ガニアvsビル・ロビンソン

1977/2/27 後楽園ホール
仲間割れ
マットドック・パッション/ジプシー・ジョーvsグレート草津/マイティ井上

1977/3/15 豊橋市体育館
マットドック・パッションvsジプシー・ジョー

1971/4/2 横浜文化体育館
ダイジェスト
カール・ゴッチvsビル・ロビンソン


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国際プロレス Ⅲ
ラッシャー木村vsジプシー・ジョー


1976/12/3 後楽園ホール
金網
ラッシャー木村vsジプシー・ジョー


 



 
所属選手
長めのパンチパーマに長いモミアゲ、額には無数の傷跡。力道山を髣髴とさせる黒のロングタイツ。ストロング小林離脱後のエースであり、金網デスマッチでは無類の強さを誇り”金網の鬼”と呼ばれた。2004年引退、2010年逝去。
  • ストロング小林(覆面太郎)
当初は日本人初のマスクマンとしてデビューも、欧州遠征後エースとして台頭。その後フリー宣言し1974年の新日本の猪木戦を機に新日本へ移籍。移籍後は北米タッグ等タイトル奪取、1984年の引退後はストロング金剛として坊主になり強面のタレントになる。
  • サンダー杉山
東京オリンピックのレスリング日本代表、雷電ドロップ(ヒップドロップ)を得意としていた。1972年に全日本プロレスに円満移籍。後にビジネスを興し成功するが糖尿病を患い、2002年逝去。
  • グレート草津
吉原功社長に溺愛され、体格や出自に恵まれていたが、デビュー戦のルー・テーズ戦で惨敗。大成することなく選手生活を終える。2008年逝去。
  • 豊登
東京プロレス崩壊後、国際プロレスに入団。ストロング小林とのタッグでIWA世界タッグ王座を奪取。1970年に引退するが、2年後、新日本プロレスでカムバック。1998年逝去。
  • 大木金太郎
韓国の猛虎。TBSプロレス時代にグレート東郷の誘いを受けて、参戦を計画していたが事前に断念している。その後1980年、国際プロレスに救世主として入団するものの、半年ほどで退団。2006年逝去。
  • 剛竜馬
国際プロレスの新人公募入団1号選手。藤波辰巳への挑戦を表明し、国際を脱退し新日本へ参戦。その後はインディマット界を中心に活動。2009年逝去。
  • マイティ井上
ヨーロッパ仕込みのテクニシャン。国際の崩壊後は全日本に入団。その後はプロレスリング・ノア専属レフェリー兼テレビ中継解説者も務めた。2009年にノアとの契約満了で退団、2010年に引退興行がとり行われた。
  • アニマル浜口
“和製ブルーザー”の異名を持ち、パワー&全力ファイトが身上。国際崩壊後はラッシャー木村、寺西勇と共に新日本へ参戦。後に長州力とともに『維新軍団』を結成する。女子レスリングの浜口京子の父親である。
  • 寺西勇
空中殺法を得意にし、“和製カーペンティア”の異名有り。国際崩壊後はラッシャー木村、アニマル浜口と共に新日本へ参戦。
  • 冬木弘道
末期の国際プロレスに入団。崩壊後は全日本プロレス→SWS→WAR→FMWと団体を渡り歩く。理不尽キャラで人気を博すも2003年逝去。
  • ヒロ・マツダ
初期の国際プロレスのエースとして期待されていたが、グレート・東郷のブッカー就任を不服として早々と退団する。1999年逝去。
  • 鶴見五郎
1979年に国際正規軍から造反し、大位山と独立愚連隊を結成。後にヒールへの道を歩む礎となった。国際崩壊後はドイツ遠征後、全日本プロレスへ転戦、SWS、NOWなどを経てIWA格闘志塾を設立。吉原社長の遺族の了解を得て『国際プロレスプロモーション』を名乗る。
  • 大位山勝三
大相撲出身。鶴見と独立愚連隊を結成した。
  • マッハ隼人
覆面の元祖「逆輸入レスラー」。単身メキシコでデビュー。
  • スネーク奄美(栄勇)
レスリング仕込みのテクニックを駆使して前座戦線を沸かせていたが、病魔に倒れ、1981年、29歳の若さで逝去。
  • 阿修羅・原(原進)
団体崩壊時のジュニアヘビー級のエース。「和製チャールズ・ブロンソン」「星の王子様」といったコンセプトで、アイドル的に売り出された。崩壊後は全日本に移籍。
  • アポロ菅原
ボディビル出身。国際崩壊後は全日本プロレスへ転戦。
  • ミスター珍
プロ柔道出身。日本プロレス→国際プロレス、その間にタレント活動でレスラー生活休業を挟む。晩年は重度の糖尿病で人工透析を受けながら、FMWに参戦したが、1995年逝去。
  • 若松市政(後の将軍KYワカマツ)
当初は営業部員として入社するものの、プロレスラーになりたい未練から、31歳の高齢でデビューを果たした。その後も団体崩壊まで営業とレスラーの2足わらじを兼務。のちにSWSの旗揚げにも大きく関わる。現在は芦別市議会議員。
    マネージャー遍歴
1983年8月 カルガリー ザ・コブラのマネージャー
    1984年8月 〝キン肉マン〟共に後楽園ホールに乱入
1985年 マシン軍団
    86/5/1 両国国技館 アンドレ/若松vs猪木/上田
86年6/20 京都市体育館 アンドレがワンナイトトーナメントで優勝。白のコスチュームから赤と黒のコスチュームに変更
    88/5/25 後楽園ホール。ナガサキ、ポーゴ組のマネージャー
90/5/10 SWS入団記者会見
    90/10/18 横浜アリーナ。SWS旗揚げ戦 vs新倉史祐
08/5/12 後楽園ホール 昭和プロレス マシン6号
  • 高杉正彦
学生時代はフットボーラー。全日移籍後は一時期、ウルトラセブンのリングネームでマスクマンに転向。パイオニア戦志、オリエンタル・プロレスを経て湘南プロレスを設立。現役。
  • 米村天心
大相撲出身。団体崩壊後全日本プロレスへ転戦するも廃業。故郷でちゃんこ料理店を営む。

    * ウィキペディアより引用
 






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