JDスター女子プロレス
1996年に設立されたプロレス団体の1つで、以前の団体名は吉本女子プロレスJd’。
団体名はジャンヌ・ダルクの頭文字の『J』と『D』からとられている。
2007年7月16日を最後に活動を休止した。
アストレスの誕生
苦しい状況を打破するために、「新世紀スター誕生 アクション・シンデレラ・ オーディション」を開催。オーディションに合格した際には、2年間限定でプロレスを行い、
その後アクション女優として吉本興業がバックアップすると言う企画で、
これが後のアストレス(アスリートとアクトレスを合わせた造語)となる
(ただし、デビューして2年以上経過した現在でも、プロレスを続けている選手もおり、
アクション女優として大成したレスラーもいないため、
『アクション女優の育成』と言うテーマは成功したとは言い難いが、
それまでのレスラー像と違う女子プロレス像を作ろうとしたことは一部では評価されている)。
Jd’からJDスターへ
苦しい経営が続く中、大手商社による資金面によるテコ入れ等もあったものの、女子プロレスブームも終焉を迎えていたこともあり、2003年3月吉本興業が資本撤退し、
営権をジェイオフィス・グループに譲渡し、同年4月に団体名を『JDスター女子プロレス』と変え、
吉本はプロレス経営から退くことになる
終焉
経営者は変わったものの、経営は苦しいことに変わりなく、2004年4月にはアストレスの
一部を除き、Jd'時代の所属選手の多くが離脱、2005年9月にはAtoZと業務提携を行うものの、
わずか4か月で提携は解消。その後は団体としてではなく、
プロダクション形式で所属選手だけでなく、他団体の選手やフリーランスの選手を招き
『格闘美』のタイトルで興行を行っていたが、2007年5月20日に活動休止を発表、
7月16日に最終興行を行った。吉本興業のバックアップにより、旗揚げ前からのテレビ番組での
番宣や、所属選手達の番組出演など、他団体に比べ恵まれた環境にあったが、
団体を支えるべきスター選手が誕生しなかったことと、スタート時に全女を参考に
団体運営を行ったため、地味な印象を与えたまま、最後までそれを払拭できなかったことが
災いし、たとえ大手の芸能プロダクションがバックアップしても、それが成功するとは
限らないと言う前例を作ってしまったことが悲劇とも言える。
最終所属選手
- 桜花由美(アストレス2期生→プロレスリングWAVE)
- 風香(アストレス4期生→フリー「プラファー」)
- 渋谷シュウ(→フリー→プロレスリングWAVE)
- 大畠美咲(→エスオベーション)
過去に所属した選手
- ジャガー横田
- バイソン木村
- 白鳥智香子
- 李由紀
- ザ・ブラディー(ザ・ブラディー・フェニックス)
- 藤村奈々
- 阿部幸江
- 小山亜矢(月丸、亜利弥')
- 矢野和美
- 小杉夕子
- 曽我部美幸(Leoga)
- 垣谷美和
- ドレイク森松(龍羅、森松)
- 藪下めぐみ
- 坂井澄江
- おばっち飯塚(飯塚昌美、サイバー飯塚)
- KAZUKI(藤原和子)
- Cooga
- ファング鈴木(ファング)
- 宮崎有妃(エチセラ)
- 神田奈々子
- 武藤裕代(カニみそ花子)
- 福島美幸
- 鳥居はるみ(とりゐ、二等兵、鳥居竜童)
- 救世忍者乱丸
- 西千明
- 大森彩乃(アストレス1期生)
- 山本千歳
- MARU(丸山美和)
- 賀川照子(アストレス1期生)
- 柏田千秋(アストレス1期生)
- 古田圭子(アストレス1期生)
- 松尾永遠
- 富松恵美
- 東城えみ(アストレス2期生)
- 石川美津穂(アストレス2期生)
- TSUNAMI
- 斎藤啓子
- 小粂あかね(アストレス3期生)
- 和田優
- 秋山恵(アストレス3期生)
- 亜沙美(アストレス4期生)
- 木村ネネ
- 女子総合格闘家の井上明子(引退)も「アストレス5期生」として在籍していたが、 プロレスデビューすることなく退団した。
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