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所属レスラー
(2011/3/31現在)




武藤 敬司
1962/12/23

日本のプロレスラーで全日本プロレス代表取締役社長。神奈川県横浜市青葉区在住、山梨県富士吉田市出身。山梨県立富士河口湖高等学校卒業。闘魂三銃士の1人で、タレントとしてサラエンターテイメントにも所属している。「武藤塾」の塾長、山梨県の観光大使も務めている。『日本マット界の至宝』と言われる。血液型はB型。娘は子役で「マハリガールズ」メンバーの武藤愛莉。

武藤敬司ブログ
武藤敬司ブログ

焼肉”武藤道場”
焼肉”武藤道場”


諏訪魔
1976/11/23

日本のプロレスラー。本名は諏訪間 幸平(すわま こうへい)。神奈川県藤沢市出身。全日本プロレス所属。既婚。



浜 亮太
1979/11/21

大阪府茨木市出身のプロレスラー。全日本プロレス所属している。1994年から2008年まで、大相撲八角部屋所属の力士として活動した。四股名は北勝嵐(ほくとあらし)、最高位は幕下6枚目。

力士時代は身長175cm、体重182kg。プロレスラー転向後は、公称体重189kgとされていたが、実際には体重は200kgを超えており、一説には203kgとも言われていた。身長はヘビー級としてはかなり低めだが、体重に至っては日本出身プロレスラー史上最重量となる。本名は、濱 亮太(はま りょうた)。


雷陣 明
1978/7/17

日本の男性プロレスラー。本名は川畑 顕(かわばた あきら)。兵庫県宝塚市出身。全日本プロレス所属。階級はヘビー級。

父親は西宮市議会議員で元プロ野球選手の川畑和人。


中之上 靖文
1986//6/14

日本のプロレスラーである。本名は中上 靖文(なかうえ やすふみ)。大阪府箕面市出身。全日本プロレス所属。アニマル浜口ジム出身。


曹駿
1990/8/6

日本のプロレスラーである。本名は曹駿(ツァオ ジュン)。中国上海市出身。全日本プロレス所属。全日本、新日本、ノアのいわゆるメジャー3団体の中では初の中国人レスラーとなる。


征矢 匠
1987/8/4

日本のプロレスラーである。 長野県上伊那郡出身。全日本プロレス所属。兄は同じく全日本プロレス所属の征矢学。


KENSO
1974/7/25

鈴木 健想(すずき けんぞう)は、日本の男性プロレスラーである。本名および旧リングネームは鈴木 健三(読み同じ)。愛知県碧南市出身。レプロエンタテインメント所属。


ゾディアック
Zodiac
1977/2/28

アメリカ合衆国の男性プロレスラーである。本名はアーロン・アグリアAaron Aguilera)。カリフォルニア州オレンジカウンティ出身。身長198cm、体重110kg。

なお、ボブ・オートンやバリー・オートンが一時期、ザ・ゾディアックの名で活動していたときがあるが、同人物とは無関係である。


真田 聖也
1998/1/28

日本のプロレスラー。新潟県新潟市出身。全日本プロレス所属。

真田聖也


征矢 学
1984/12/23

全日本プロレス所属のプロレスラーである。長野県上伊那郡箕輪町出身。身長180cm、体重108kg。坂口道場出身。弟は全日本プロレス所属の征矢匠。

征矢学


ショーン・スピアーズ
Shawn Spears

ロニー・アルニールRonald William "Ronnie" Arniell)はカナダのプロレスラー。オンタリオ州セントキャサリンズ出身。


カズ・ハヤシ
1973/5/18

ジュニアヘビー級のプロレスラー。本名は林 和広(はやし かずひろ)。東京都世田谷区出身。全日本プロレス所属兼同社取締役。現在までにユニバーサル・プロレス、みちのくプロレス、WCW、WWEに所属した。

2007年7月3日から、テレビ東京系で放送されている『キティズパラダイス』に、体操のお兄さん「マッスルフェアリーカズくん」としてレギュラー出演していた。

カザ・ハヤシブログ


近藤 修司
1978/1/21

日本のプロレスラー。静岡県富士市出身。全日本プロレス所属。ふてぶてしい表情と全身筋肉の怪力男。通称キングコング、ドッティ、近ちゃん。


渕 正信
1954/1/14

日本のプロレスラー。福岡県北九州市戸畑区出身。全日本プロレス所属レスラー兼同社取締役。身長183cm、体重105kg。血液型B型。

入場テーマ曲は『DANZER ZONE(映画『トップガン』より)』。赤鬼地獄の仕事人の異名を持つ。

渕正信


KAI
1983/5/20

境敦史。神奈川県横浜市出身。横浜市立桜丘高等学校卒業。全日本プロレス所属。

KAIブログ


大和 ヒロシ
1983/10/20

千葉県君津市出身。東京農業大学卒業。身長178cm、体重82kg。全日本プロレス所属。イメージカラーは黄色とオレンジ。

大和ヒロシ ブログ


BUSHI
1983/4/5

本名は清水 哲也(しみず てつや)、東京都足立区出身。身長172cm、体重83kg。リングネームの由来は、武士。憧れの選手はカズ・ハヤシ。

Bushiブログ


TARU
1964/8/23

本名:多留 嘉一(たる よしかず)兵庫県神戸市出身。DRAGON GATE退団後は、フリーランスとして活動している。

コンタクトレンズで目つきを鋭くし、強面の顔付きに、上半身にトライバルのタトゥーを施した悪役集団VOODOO-MURDERS(以下VM)の首魁として、全日本プロレスを中心に暴れ回る。

TARUブログ


KONO
1980/4/12

河野 真幸(こうの まさゆき)は、日本のプロレスラー、総合格闘家。北海道登別市出身。全日本プロレス所属。

河野真幸ブログ


平井 伸和
1969/12/30

東京都目黒区出身。血液型はA型。

SWS所属として1991/4/25にデビュー。SWS崩壊後はWAR等で活躍し、全日本プロレスで戦っている。

平井伸和ブログ



1972/11/29

本名は田中 稔(たなか みのる)。愛知県小牧市出身。妻は元・女子プロレスラーの府川唯未。

様々なリングネームを名乗っているが、「WRESTLE LAND」参戦時には田中として活動している(演出上は別人扱い)。

稔ブログ


MAZADA
1975/5/23

本名は正田 和彦(まさだ かずひこ)。福井県三国町(現坂井市)出身。身長172cm、体重87kg。東京愚連隊所属。

MAZADAブログ


ジョー・ドーリング
Joe Doering
1982/4/16

アメリカ合衆国のプロレスラーである。イリノイ州シカゴ出身。


レネ・デュプリ
Rene Dupree
1983/12/15

レネ・ゴーゲンRene Goguen)は、カナダ・ニューブランズウィック州出身の男性プロレスラーである。


ビッグ・ダディV/ヴィセラ/メイブル
Big Daddy V/Viscera/Mabel
1972/2/14

ネルソン・フレイジャー・ジュニアNelson Frazier, Jr. )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テネシー州メンフィス出身のアフリカ系アメリカ人。


チャーリー・ハース
Charlie Haas
1972/3/27

アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州ヒューストン生まれ、同州ダラス出身。レスリングの経験から、サブミッション技を得意としている。


ダーク・オズ
1975/1/30

メキシコ・ミチョアカン州ウルアパン出身の男性プロレスラー。

本名;マルコス・ティナヘロMarcos Tinajero

長髪で顔に白塗り(または緑)した怪奇派レスラー。AAA所属。ルード軍団The Black Familyのメンバーでリーダー、日本では全日本プロレスのVOODOO-MURDERSと共闘する。


ダーク・クエルボ
1974/1/4

メキシコ・メキシコ州トルーカ出身の男性プロレスラー。

本名:ジャイム・イグナシオ・ティラド・コレアJaime Ignacio Tirado Correa)。

長髪で顔に白塗りした怪奇派レスラー。AAA所属。ルード軍団The Black Familyのメンバーで、日本では全日本プロレスのVOODOO-MURDERSと共闘する。


鈴木 みのる
1968/6/17

本名:鈴木 実(読み同じ神奈川県横浜市出身。パンクラスMISSION所属。

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船木 誠勝
1969/3/31

日本のプロレスラー、総合格闘家、俳優。プロレスラーとしては全日本プロレス、総合格闘家としてはARMS所属。

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太陽ケア
1975/11/18

アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はマウナケア・モスマン (Maunakea Mossman)。全日本プロレス所属。ハワイ州ホノルル出身。身長185cm、体重108kg。


曙 太郎
1959/5/8

アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ワイマナロ出身で、東関部屋の元大相撲力士、チーム・ヨコヅナ所属の現役プロレスラー、タレント。大相撲時代の最高位は第64代横綱、日本人以外初の横綱。本名は同じ(1996年に日本帰化)、旧名はローウェン・チャド・ジョージ・ハヘオ(Chad George Haaheo Rowan)。

ハワイ・パシフィック大学中退で、やんちゃだったハワイ時代は「ケンカ屋チャド」と呼ばれていた。なお、曙太郎と関係が深いと見られる「ボノくん」についても当項目で記載する。横浜大洋ホエールズに所属したジョーイ・マイヤーは従兄弟に当たる。


レフェリー
和田 京平
1954/11/20

日本のプロレスレフェリー。東京都足立区出身。全日本プロレス取締役。「和田さん」と呼ばれることはまず無く、愛称は「京平」(週刊プロレスの選手名鑑では「かっぱ」と表記)。

読む全日本プロレス
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人生は3つ数えて
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レフェリー
村山 大値
1964/3/20

全日本プロレス専属のレフェリーである。東京都世田谷区出身。女子プロレス界では、Tommyと評価を二分する名レフェリーである。リングアナ紹介のあとは「ダイチー!」と掛け声をかけるのが定番である。


リングアナウンサー
木原 文人
1966/5/20

全日本プロレスのリング・アナウンサー。三重県伊勢市出身。


リングアナウンサー
阿部 誠
1977/7/26

日本のプロレス団体・全日本プロレス所属のリングアナウンサー。神奈川県横浜市出身。


全日本プロレスUSA道場
ドリー・ファンク・ジュニア
Dory Funk Jr.
1941/2/19

本名:Dory Earnest Funk Jr.は、アメリカ合衆国出身の元プロレスラー。インディアナ州インディアナポリス出身で、後テキサス州アマリロに転じた。

日本でのニックネームは「グレート・テキサン」。父親のドリー・ファンク・シニア、弟のテリー・ファンクも著名なプロレスラーである。テリー・ファンクとタッグチーム「ザ・ファンクス」を組み、日本でも活躍した。

 
PWF会長

馳 浩
1961/5/5

旧姓: 川辺は、日本の政治家、元プロレスラー。衆議院議員(4期)。参議院議員(1期)を務めた。


  • ジェイク・オレイリー
  • グレート・ムタ、黒師無双
  • パワプロ仮面
  • AHII
  • シーサーマスク
レフェリー
  • ボンバー斉藤
  • 神林大介

 



フリー参戦中の元・全日本プロレス所属選手


天龍 源一郎
1950/2/2

日本の元大相撲力士、現プロレスラー。本名は嶋田 源一郎(しまだ げんいちろう)。福井県勝山市出身。身長189cm、体重120kg(力士時代は身長186cm、体重110kg)。

多くの同年代レスラーが年齢と共に前座でファンを楽しませる役割に回る、または引退する中、第一線で活躍し続け日本プロレス界において「生ける伝説(Living Legend)」として、一目置かれる存在である。



 

川田 利明
1963/12/8

日本のプロレスラー。栃木県下都賀郡藤岡町出身。フリー(タレントとしては太田プロダクション所属)。

「名勝負製造機」とも称される試合巧者振りとキック主体のハードなレスリングスタイルが特徴である。

麺ジャラスK

 

高山 善廣
1966/9/19

日本のプロレスラー。東京都墨田区出身。東海大学付属相模高等学校、東海大学文学部文明学科卒業。高山堂(個人事務所)所属。ダイナミックなレスラーであり、数少ない現役「長身日本人レスラー」の一人。

高山堂

高山善廣ブログ

 

菊地 毅
1964/11/21

日本の男性プロレスラー。宮城県仙台市出身。フリーランス。

菊池毅

 

本田 多聞
1963/8/15

日本の男性プロレスラーで元レスリング選手、元陸上自衛官。神奈川県横浜市出身。フリーランス。土浦日本大学高等学校、日本大学卒業。プロレスでの愛称は「燃える赤鬼」、「原人」、「五輪の星」。

 

大森 隆男
1969/10/16

日本のプロレスラー。東京都世田谷区出身。保善高等学校、城西大学卒業。

 
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過去の主な所属選手&
スタッフ

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故人


ジャイアント馬場
1938/1/23 - 1999/1/31

日本のプロレスラー、プロ野球選手、タレント。本名は馬場 正平(ばば しょうへい)。全日本プロレス代表取締役社長・会長、NWA第一副会長を歴任した。

血液型O型。身長209cm、体重135kg。リングネームは、初渡米武者修行中の1961年、ニューヨークのプロモーターであったビンス・マクマホン・シニアが「ババ・ザ・ジャイアントBaba the Giant)」と命名したことに由来する。

日本プロレス界史上最大の巨体を持ち、力道山、アントニオ猪木と並ぶビッグネームでもあり、CMやテレビ番組などでも人気を博した。 現役時代NWA世界ヘビー級王座に3度就いた。


ジャンボ 鶴田
1951/3/25 - 2000/5/13

日本のプロレスラー。三冠ヘビー級王座の初代王者であり、日本人初のAWA世界ヘビー級王者(第30代)。本名、鶴田 友美(つるた ともみ)。

ミュンヘンオリンピック、レスリンググレコローマンスタイル最重量級代表を経て全日本プロレスリング入り、ジャイアント馬場後継の次の時代の大型エースとして期待され順調に成長し 1980年代、トップレスラーとして活躍したが、B型肝炎を発症したことにより第一線を退く。その後、桐蔭横浜大学、中央大学、慶應義塾大学で非常勤講師を勤めるなど、教育者としても活躍した。

山梨県東山梨郡牧丘町(現山梨市)出身。山梨県立日川高等学校を経て、中央大学を卒業。血液型O型。ニックネームは「若大将」のち「怪物」。座右の銘である「人生はチャレンジだ、チャンスは掴め」は、プロレスの師であるジャイアント馬場から継承したもの。

オリンピック出場時の選手名簿には、身長194cm、体重112kgとある。


三沢 光晴
1962/6/18 - 2009/6/13

日本のプロレスラー。1981年に全日本プロレスにてデビュー。同団体のトップレスラーとして活躍した後、2000年にプロレスリング・ノアを旗揚げ。レスラー兼社長として同団体を牽引した。2009年6月13日、試合中の事故により死亡した。46歳没。


ラッシャー木村
1941/6/30 - 20105/24

日本の元大相撲力士、元プロレスラーである。本名は木村 政雄(きむら まさお)。北海道中川郡中川町出身。金網の鬼、ラッシング・パワー、吠える闘将などのニックネームで呼ばれた。2003年よりプロレスリング・ノア終身名誉選手会長。


ラッシャー木村追悼特集

闘将 ラッシャー木村~ファイト&マイク メモリアル
闘将 ラッシャー木村~ファイト&マイク メモリアル

会場 対戦カード
1976/3/28
蔵前国技館
鶴田試練の十番勝負
ラッシャー木村vsジャンボ鶴田
1977/12/10
宮城県スポーツ
センター
世界オープンタッグ選手権
ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田vs
ラッシャー木村、グレート草津
1977/12/14
大阪府立体育
会館
世界オープンタッグ選手権
大木金太郎、キム・ドクvs
ラッシャー木村、グレート草津
1978/2/18
蔵前国技館
全軍激突戦
ジャイアント馬場vsラッシャー木村
1984/12/8
愛知県体育館
世界最強タッグ決定リーグ戦
ジャイアント馬場、ラッシャー木村vs
ジャンボ鶴田、天龍源一郎
1985/3/9
両国国技館
6人タッグ
ジャイアント馬場、石川敬士、マイティ井上vsラッシャー木村、鶴見五郎、剛 竜馬
1985/6/21
日本武道館
PWFヘビー級選手権
ジャイアント馬場vsラッシャー木村
1988/8/29
日本武道館
馬場と最後のシングルマッチ
ジャイアント馬場vsラッシャー木村
1991/1/27
後楽園ホール
お笑いライバル対決
ラッシャー木村vs永源 遙
2001/6/24
愛知県体育館
還暦試合
ラッシャー木村、百田光雄vs
永源 遙、菊地 毅
2003/3/1
日本武道館
現役最後の試合
ラッシャー木村、百田光雄vs
永源 遙、川畑輝鎮
2004/7/10
東京ドーム
VTRによる引退発表
2010/6/26
ディファ有明
お別れの会


サンダー杉山
1940/7/23 - 2002/11/22

杉山恒治(すぎやま つねはる)は日本のプロレスラーである。新潟県糸魚川市出身。現役引退後はタレント活動の他、実業家としても成功していた。


大木 金太郎
1929/2/24 - 2006/10/26

韓国・全羅南道出身の元プロレスラー。本名は金一(キム・イル、김일)。身長185cm、体重120kg(現役当時)。生年はかつては1933年とされていた。


マシオ駒
1940/5/18 - 1976/3/10

日本の元プロレスラー。本名は駒 秀雄(こま ひでお)。東京都世田谷区出身。


サムソン・クツワダ
1947/5/1 - 2004/10/12

北海道江別市出身で朝日山部屋所属の元大相撲力士、日本プロレスおよび全日本プロレス所属の元プロレスラー。本名は轡田友継(くつわだ ともつぐ)。四股名は二瀬海(ふたせうみ)、最高位は幕下23枚目。プロレスラー時代は身長190cm、体重120kg。


ミツ・ヒライ
1943/2/15 - 2003/10/28

日本の元プロレスラー。兵庫県神戸市出身。本名は平井 光明(ひらい みつあき)。

息子の平井伸和もプロレスラー。


大熊 元司
1941/12/18 - 1992/12/27

埼玉県草加市出身で伊勢ヶ濱部屋所属の元大相撲力士、日本、アメリカで活躍した元プロレスラー。大相撲時代の四股名は崎錦(ささにしき)、最高位は幕下93枚目。プロレス時代の最盛時は、身長179cm、体重130kg、愛称は「クマさん」。


ロッキー羽田
1943/2/15 - 1991/10/27

日本の元大相撲力士、元プロレスラー。北海道厚岸郡出身。本名は羽田 光男(はた みつお)。


百田 義浩
1946/3/15 - 2000/11/22

日本のプロレスラーで、元全日本プロレス所属のリングアナウンサー兼取締役、元プロレスリング・ノア取締役。京都府京都市伏見区出身。

日本プロレス界の父・力道山の長男であり、百田光雄の実兄。娘はプロレスリング・ノアにおいて広報兼通訳担当。


ミスター林
1942/5/17 - 1999/11/4

日本の元プロレスラー、元レフェリー。本名:林 幸一(はやし こういち)。一時期リングネームとして林牛之助とも名乗った。東京都江東区出身。身長176cm体重98kg。


ハル 薗田/マジック・ドラゴン
1956/9/16 - 1987/11/28

本名:薗田 一治(そのだ かずはる)は日本のプロレスラー。宮崎県小林市出身。元FMWの女子レスラー石倉由加利は姪に当たる。


ジョー樋口
1929/1/18 - 2010/11/8

日本の元プロレスラー、元レフェリー。本名は樋口 寛治(ひぐち かんじ)。愛称は「ジョー」。神奈川県横浜市出身。法政大学卒業。俳優の菊池隆則は息子。

生前は日本プロレス、全日本プロレスでレフェリーを務め、死去するまでプロレスリング・ノア監査役、GHCタイトル管理委員長などを務めた。


引退(他団体で復帰した選手を除く)


松岡 巌鉄
1938/11/25

岡山県和気郡出身で間垣部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代の四股名は正剛山(せいござん)で、最高位は幕下33枚目。本名は、松岡 政雄(まつおか まさお)。


伊藤正男
1948/12/9

北海道樺戸郡出身のプロレスラーである。


輪島 大士
1948/1/11

(わじま ひろしは、石川県七尾市出身で花籠部屋所属の元大相撲力士、第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント。本名は輪島 博(わじま ひろし)。血液型はA型。大相撲時代は身長186cm、体重132kg。ニックネームは蔵前の星・黄金の左、現役引退後はワジー。


米村 天心
1946/12/16

秋田県鹿角郡(現在の鹿角市)出身で高島部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代の四股名は高昇 紀彰(たかのぼり としあき)で、最高位は幕下75枚目。本名は、米村勉(よねむら つとむ)。


マイティ井上
1949/4/12

国際プロレス・全日本プロレスの元プロレスラー、元レフェリー・解説者である。本名は井上 末雄(いのうえ すえお)。大阪府大阪市福島区出身。リングネームの「マイティ」の由来は、新人時代のコーチ、マティ鈴木である。


馳 浩
1961/5/5

旧姓: 川辺は、日本の政治家、元プロレスラー。衆議院議員(4期)。参議院議員(1期)を務めた。


ブルート一生
1982/7/25

日本の元男性プロレスラー。北海道岩見沢市出身。本名:杉浦 一生(すぎうら いっせい)。全日本プロレス所属。身長194cm、体重140kg。


駿河一
1982/11/15

全日本プロレスに所属していた元プロレスラーである。本名は大場啓一(おおば ひろかず)。静岡県袋井市出身。身長186cm、体重102kg。


荒谷 望誉
1968/3/7

神奈川県茅ヶ崎市出身で九重部屋所属の元大相撲力士、全日本プロレス所属の元プロレスラー。大相撲時代の四股名は荒谷 信孝(あらや のぶたか)、本名は荒谷 信孝(あらや のぶたか)。渕正信、菊タローと会場を暖める試合を展開している。哀愁を感じさせることができる貴重な存在。


他団体への移籍、フリー
下記以外は、FMW、SWS、プロレスリング・ノアを参照。

グレート小鹿
  • (→大日本プロレス代表取締役社長)

1942/4/28(1940年生まれという説もある)

日本のプロレスラー。本名:小鹿 信也(こしか しんや)北海道函館市出身。大日本プロレス代表取締役社長。


上田 馬之助
  • (→フリー)

1940/6/20

愛知県海部郡(現在の弥富市)出身で追手風部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代は、海部錦(あまにしき)の四股名で最高位は序二段12枚目。プロレス時代は、頭髪をまだらに金髪に染めていたことから「まだら狼」「金狼」と呼ばれた。全盛期は身長190cm、体重118kg。本名は上田 裕司(うえだ ひろし)。


桜田 一男/ケンドー・ナガサキ
  • (→フリー)

1948/9/26

日本のプロレスラー。本名(戸籍上の表記)は櫻田 一男(読みは同じ)。北海道網走市出身。


タイガー戸口
  • (→フリー)

1948/2/7

東京都葛飾区出身のプロレスラー。キム・ドクタイガー・チャン・リーのリングネームでも知られる。

在日韓国人2世で、本名は金徳(キム・ドク)。通名は戸口 正徳(とぐち まさのり)。身長193cm、体重125kg(全盛時)。引退宣言はしていないが、現在はセミリタイア状態。


越中 詩郎
  • (→新日本プロレス→WJプロレス→フリー)

1958/9/4

日本のプロレスラー。東京都江東区出身。血液型はB型。フリーランス。

koshinaka


奥村 茂雄
  • (→CMLL)

1972/5/25

日本のプロレスラー。大阪府池田市出身。身長182cm、体重96kg。現在は主戦場をメキシコのメジャー団体CMLLに移し活動している。


宮本 和志
  • (→キングスロード→フリー→和志組)

1979/2/22

日本のプロレスラー。福島県双葉郡出身。元キングスロード所属。


高西 翔太
  • (練習生→ZERO1-MAX)

1987/2/25

日本の男性プロレスラー。北海道苫小牧市出身。身長170cm、体重83kg。ZERO1所属。

2005年4月に全日本プロレスに入門したが、11月に退団し、キングスロードに入門した。

2006/1/15、後楽園ホールで行われたキングスロード旗揚げ戦における石川雄規戦でデビュー。


/高木 功
  • (→フリー→ドラディション)

1961/11/8

大阪府守口市出身の男性プロレスラーで、元大相撲力士である。のリングネームでの活動が知られており、現在もこのリングネームで活動している。身長190cm、体重146kg。


近野 剣心
  • (練習生→DRAGON GATE)

1983/9/5

日本のプロレスラー。本名は近野 健一(ちかの けんいち)。広島県広島市安佐北区出身。DRAGON GATE所属。広島県立安西高等学校出身。


タイチ
  • (→ハッスル→新日本プロレス)

1980/3/19

日本のプロレスラー。本名は牧 太一郎(まき たいちろう)。北海道石狩市出身。新日本プロレス所属。

タイチブログ


本間 朋晃
  • (→新日本プロレス)

1976/11/18

日本のプロレスラー。山形県東根市出身。新日本プロレス所属。


ケンドー・カシン/石澤 常光
  • (→フリー)

1968/8/5

(いしざわ ときみつは、日本のプロレスラー、総合格闘家。

新日本プロレスでプロレスデビュー後、海外遠征を経て覆面レスラーに転向。2000年以降は本名で総合格闘技にも参戦する。リング内外での破天荒なパフォーマンスとは裏腹に、レスリングに裏打ちされた確かなレスリング技術を持ち、ウィットに富んだ言動で多くのプロレスファンから注目を集める「問題児」。入場テーマ曲:『Skywalk』


石井 慧介
  • 練習生→DDTプロレスリング)

1985/2/6

日本のプロレスラー。埼玉県入間市出身。血液型はO型。DDTプロレスリング所属。

石井慧介ブログ


小島 聡
  • (→フリー)

1970/9/14

日本のプロレスラー。東京都江東区出身。血液型A型。

オレンジを基調としたコスチュームがトレードマーク。VOODOO-MURDERSに加入していた時期は、黒と赤を基調としたコスチュームがトレードマークだった。

小島聡ブログ


土方 隆司
  • (→フリー)

1978/5/17

日本の男性プロレスラー。埼玉県狭山市出身。ファイトスタイルはハードヒット系に例えられる。

土方隆司ブログ


西村 修
  • (政治活動に専念する為)

1971/9/23

日本の男性プロレスラー。東京都文京区出身。階級はヘビー級。ミスター無我無我の継承者のニックネームを持つ。グラウンドでのサブミッションホールド(関節技・固め技)技を中心としたプロレスを得意とし、そのようなスタイルはしばしば「西村ワールド」と形容される。

西村修ブログ


スタッフ

下記以外は、FMW、SWS、プロレスリング・ノアを参照。


  • 川崎信男(レフェリー)
  • 桜井公正(レフェリー)
  • 原軍治(リングアナウンサー)

役員

  • 青木謙治(→キングスロード→ファースト・オン・ステージ)
  • 高橋英樹(→キングスロード→ファースト・オン・ステージ)


全日本プロレス中継


1972年から2000年まで日本テレビで放映されたプロレスの実況中継番組。全日本プロレスの試合を中継していた。

番組の放送時間が1時間から30分間に縮小されたのに伴い、タイトル表記が『全日本プロレス中継30』となった時期もあったが、後に放送時間は30分間のままで、従前の『全日本プロレス中継』に戻った。

テーマ曲は『日本テレビスポーツのテーマ』。


前史

元々日本テレビでは開局(1953年)以来、力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木らを中心とした日本プロレスの試合を、『三菱ダイヤモンドアワー・日本プロレス中継』などのタイトルで放送していた。だが、1972年4月に日本教育テレビ(現・テレビ朝日)が担当していた中継の試合に馬場を出場させたことに激怒したため、番組を打ち切った。しかし、プロレス中継の視聴率自体は高かったため、日本テレビでは馬場に日本プロレスからの独立と新団体設立、そしてその新団体の日本テレビでの中継を持ちかけ、もともと日本教育テレビへの自分の登場に反対していた馬場も日プロ経営陣への不満もあってこれに同意。馬場をエース兼社長として全日本プロレスが創立されることとなった。

放送開始 - 1980年代

1972年10月、馬場が新たに創設した全日本プロレスと日本テレビが中継権を締結し、新番組『全日本プロレス中継』が毎週土曜日の20:00-20:54に放送されることとなった。第1回(10/7)は「海外遠征第一戦『G・馬場対ザ・シーク』」、第2回(10/14)は「G・馬場アメリカ転戦記」と題し、団体旗揚げ前の馬場が、アメリカ遠征で行った試合の模様(一部、馬場以外の所属選手も含む)を放映。第3回目となる10月21日の「ジャイアントシリーズ前夜祭」(東京・町田市体育館)の生中継から、正式に新団体の中継放送に入った。

創立初期は、馬場の人脈を利して一流外国人を常時招へいする一方、日本陣営にサンダー杉山やザ・デストロイヤーを参加させるなど、選手の拡充を図った。さらに、鶴田友美(ジャンボ鶴田)、アントン・ヘーシンク、天龍源一郎、1980年代には輪島大士などといった、話題性のある大型新人を、積極的にデビューさせていった。

1970年代から1980年代にかけては「プロレスの本場」としてのアメリカや、NWAの権威や地位などがまだまだ保たれていた時代であり、それはそのまま実質的に日本で唯一のNWA加盟団体であった全日本の強味となっていた。とかく大味になりがちだった試合内容はともかくとして、NWAなど数々のメジャーなタイトル戦の開催や、NWA公認の数多くのタイトルの新設(もしくは復活)、そしてアメリカでも実現不可能といわれた豪華な企画やマッチメイクが出来たのは、まさに当時の「馬場・全日本」だからこそ成し得たものだった(そんな馬場も1990年代に入ると「プロレスは日本の方がレベルが上」「今さらNWAでもないでしょう」と公言するようになる)。

無論、こうした豪華でグローバルなイメージは、テレビマッチのラインナップにも強く反映された。その流れで、海外の試合(主に所属選手の海外遠征時の試合。NWAエリアが多かった)も数多く放映された。

1979年4月からはそれまでの土曜20時台から土曜17:30 - 18:24のローカルセールス枠に変更された。 新日本プロレスが台頭した1980年代初期には正月や『土曜トップスペシャル』の枠において、日本武道館等の大規模大会においてゴールデンタイムの特番が数回組まれたことがあった。その一方、1980年代中期には全日本とジャパンプロレスとの業務提携によって、日本人同士の抗争という新機軸も盛り込んだ。番組が1985年10月から土曜19:00 - 19:54枠で6年半ぶりにゴールデンタイムへの復帰が決定した際、その発表記者会見には、全日本勢だけでなく長州力を始めとしたジャパン勢も共に出席。日本人抗争をゴールデン復帰の切り札や売り物にしようとした思惑が窺えた。

番組の終焉

1988年4月からは日曜22:30 - 23:24に放送時間が変更され、その後は 日曜深夜 → 土曜深夜 → 日曜深夜 → 水曜深夜と放送日が流動的に変化された。これと同時にローカル枠での放送となった。しかしながら馬場をはじめ、三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太のプロレス四天王や秋山準、高山善廣といった、後年団体を牽引する選手たちをこの番組から育て上げた。

馬場自身は、第一線を退くとともに、解説者として放送席に座ることが多くなった。その馬場も1999年1月に結腸癌のため永眠し、番組は次第に衰退の一途をたどることになった。

放送時間は長らく1時間枠だったが、1994年4月をもってついに30分枠に短縮された。馬場が亡くなる直前の「'98世界最強タッグ決定リーグ戦」の優勝戦から、日本武道館等でのビッグマッチは通常の30分枠を15分拡大し、45分枠での放送形態をとった(馬場追悼特集や東京ドーム大会は60分枠)。また番組内容も、タイトルマッチへの流れ・闘いの状況等をまとめたVTRを多用したり、画面右上にテロップが表示されたりと工夫が見られてきた。若林健治や竹内宏介等、かつての実況・解説者も復帰し始め、レギュラー45分枠の噂も飛び始めたが、2000年6月、全日本プロレスの大量退団騒動を端に放送打ち切り。日本テレビはその後退団選手達が設立したプロレスリング・ノア側に付き、ノアが軌道に乗るまでの約9か月間は『コロッセオ』をつなぎ番組とした後、『プロレスリング・ノア中継』に移行した。

なお2000年6月21日(関東地区)に45分枠で放送された最終回では、番組名は当然『全日本プロレス中継』でありながらも、放送内容は三沢をはじめとする退団選手達の新団体旗揚げ記者会見がメインという、前代未聞の放送であった。ノアには、元日本テレビの大八木賢一も専務取締役として在籍しており、この事からもノアと日本テレビが当時から密接な関係だったことが窺い知れる。

その他エピソード

  • 番組の制作は一貫してバラエティ部署ではなく、原章運動部長(後に日本テレビ取締役、現・福岡放送社長)率いる日本テレビ運動部(スポーツ部)が担当した。
  • 番組開始当初から十数年程度、CM入り前に「日本テレビの全日本プロレス中継。この放送は(会場名)より全国のプロレスファンの皆さんにお送りしております」(ごく初期「全国のプロレスファンの皆さんに」という件を「全国31局を結んでお送りしております」としたことがあった)というコメントが必ず放送されていた。
  • 試合後の選手のコメントも字幕で語られており、天龍革命時代の天龍源一郎の「何も言う事はない」(実際はノーコメントと言うだけ)、対超世代軍時代の三沢光晴戦後のジャンボ鶴田の「あいつはもっと良い奴だと思った」など数々の名言語録を残している。
  • 1990年代に入ってから、高速度撮影を活用した「スーパースロー」を番組のひとつの目玉としていた。
  • 1992年頃までのオープニングタイトルは、『(日本テレビ または NTV)全日本プロレス中継』となっていたが、その後は、星マークと一緒に「ALL JAPAN PRO WRESTLING」の文字に加え、中央で「プロレス」という文字が回転されるデザインになっていた。
  • 1990年代前半の番組内ではSWSに移籍した選手やジャパンプロレス絡みの映像を封印していた。そのため長州力や天龍源一郎の映像はオンエアはおろかソフト化もされなかった。しかし特例としてタイガーマスクがマスクを脱いだ試合での谷津嘉章と冬木弘道の映像は何度となく流れている。また、第1回あすなろ杯の冬木や高野俊二の映像は顔隠しで放送されたが、テロップの冬木や高野の名前の部分を禁マークで隠していた他、実況の部分でも効果音で伏せていた。1998年、番組内コーナー「王道リスペクト」(過去の名勝負紹介)で鶴田vs長州の映像を解禁した事を皮切りに、天龍、ザ・グレート・カブキ、小林邦昭等の映像を次々と解禁した。
  • 現在は、かつて全日本プロレス中継で放送されたNWA戦などのビッグマッチを、CS放送の日テレG+にて『プロレスクラシック』として放送している。2009年3月まで1か月1回更新だったが、諸事情により、4月からしばらくは更新を途絶えていた。しかし、7月から原則として奇数月に最新作、偶数月に過去放送の番組のアンコールを行うことになった。

プロレスニュース

福澤朗が実況を担当した1990年代前半には、中継を行わなかった試合の結果や関連情報を伝える「プロレスニュース」というコーナーがあった。『ニュースプラス1』、『NNN昼のニュース』、『NNNきょうの出来事』などで使われていた報道スタジオから伝えていたが、その後、番組専用の報道セットが完成。後に「プロレスニュースプラス1」とコーナー名を変更し、主に試合会場周辺の屋外で、福澤が自分でデスク(=画板)を持って内容を伝えるロケ方式に変更されている。福澤が事情で担当できない場合は、臨時で若林健治や金子茂など、他のプロレス実況担当アナウンサーが代わりに担当した。デスクにはネームプレートが付いていたが、福澤や金子などは漢字表記だったのに対し、野口敦史だけは平仮名表記となっていた。

「プロレスニュース」は「プ・プ・プ、プロレスにゅ~す」という福澤のタイトルコールで始まり、選手のコメントを福澤がものまねで代読したり、あまり注目を集めていない外国人選手を面白おかしくプッシュするなど、くだけた感じの進行だった。福澤自身は、「プロレスニュース」のことを「前衛的ミニコーナー」と表現していた(「週刊プロレス」リレーコラムより)。

「プロレスニュース」に対し、馳浩(当時新日本プロレス)が「プロレスを馬鹿にしている。許せない」「ぶん殴ってやる。あのアナウンサーあまりにもふざけすぎだよ」と息巻いていた(後に和解したもよう。馳が後年全日本に入団した際、その入団後第1戦を実況したのは、他でもない福澤である)。

1994年最初の「プロレスニュースプラス1」では、冒頭部分のみ本家のキャスター(桜田順子・真山勇一)と共演した。

「プロレスニュースプラス1」は、1994年の放送時間短縮時に終了する。その最終回は福澤アナが「『プロレスニュース』に否定的な熱烈的プロレスファン」に刺され、「いつか、こんな日が来ると思ってたぁ…」と言うシーンで終了という、前述のような状況を茶化した(当然スタッフとの寸劇で、演技もわざと下手に行っていた)、いかにもプロレスニュース的な幕引きであった。

1997年に「プロレスニュースリターンズ」という形で一時復活したが、数回のみで自然消滅した。


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アナウンサー/解説者

ローカル局アナウンサーは、主としてその地域で行われた大会の実況を担当する。ただし、山本純也・佐藤啓は、関東地区や札幌など、他地区の試合でも実況を担当した。
※川尻(現・益子なお美)は、日本武道館大会で同番組初めての女性実況アナウンサーとして参加した。


清水 一郎
1933 - 1997/10/18

元日本テレビアナウンサー。日本のプロレス実況の草分けの一人である。


徳光 和夫
1941/3/10〈戸籍上、実際は3/3)

東京市(現・東京都特別区)目黒区出身のフリーアナウンサー、タレント、司会者。日本ドッジボール協会顧問、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ顧問。オフィス ラ・メール所属。マネジメントはソニー・ミュージックアーティスツと業務提携。元日本テレビ(日テレ)アナウンサー。現在は神奈川県茅ヶ崎市在住。血液型B型。海城高校、立教大学社会学部卒業。夫人は徳光早苗。2男あり。


倉持 隆夫
1941/1/2

日本テレビ放送網の元アナウンサー。
マイクは死んでも離さない
「全日本プロレス」実況
黄金期の18年
マイクは死んでも離さない


松永 二三男
1951/4/18

日本テレビの事業局所属社員で元同局アナウンサー。


若林 健治
1958/2/23

フリーアナウンサー。元中部日本放送(CBC)・元日本テレビ(NTV)のアナウンサー。東京都渋谷区出身。血液型はO型。

若林健治ブログ

プロレスのために日本テレビを辞めた男
プロレスのために日本テレビを辞めた男



福澤 朗
1963/9/14

ノースプロダクション(旧イースト・プロダクション)所属のフリーアナウンサー、タレント、司会者。元日本テレビアナウンサー。愛称は「ジャストミート(福澤)」、「福澤「ジャストミート」朗」。趣味は卓球)。身長は181cm。


後藤 俊哉
1968/2/13

日本テレビ報道局外報部所属の記者・キャスター(元アナウンサー)。神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。大学時代にはテニスサークル「バロニィ」に所属。アメリカ、スイスの在住経験があり、英語、ドイツ語などに堪能。


金子 茂
1967/11/23

日本テレビの報道記者で、元同局アナウンサー、元同局報道キャスター。


野口 敦史
1967/7/25

日本テレビ放送網の元アナウンサー。現在は、同局の報道局所属。


平川 健太郎
1969/12/21

日本テレビアナウンサー。


矢島 学
1971/9/28

日本テレビアナウンサー。長野県諏訪郡下諏訪町出身。血液型はA型。


舟津 宜史
1973/3/29

日本テレビの元アナウンサー。


菅谷大介
1971/11/19

日本テレビアナウンサー。千葉県佐倉市出身。血液型はB型である。


町田 浩徳
1973/9/26

日本テレビアナウンサー。


佐藤 啓
1962/7/20

中京テレビ放送のアナウンサー。現在、編成局アナウンス部の部長を務める。愛知県名古屋市出身。南山大学卒業。血液型O型。スキンヘッドが特徴。


山本 純也
1963/9/15

読売テレビの元男性アナウンサー。
1997/1/20に大阪府立体育会館で開催された、三沢光晴対小橋健太(現・小橋建太)の三冠ヘビー級選手権試合の実況は語り種である。


益子 なお美
1966/1/31

本名および旧名:益子 直美(旧姓川尻)は日本のフリーアナウンサー。栃木県大田原市出身。身長167cm、体重50kg。血液型AB型。


須山 司
1972/3/6

テレビ新潟のアナウンサー。


水本 豊
1967/6/25

ミヤギテレビの社員で元アナウンサー。


高橋 裕
1971/7/16

KRY山口放送の男性アナウンサー。


大神 いずみ
1969/6/10

本名:元木 いずみ(旧姓・大神)は、日本の女性フリーアナウンサー、タレント、声優。所属事務所はケイダッシュ。血液型はB型。


主な解説者


田鶴浜 弘
1905 - 1991/8/15

日本のスポーツライター、プロレス評論家。日本ボディビル協会の副会長も務めた。


山田 隆
1933/5/24 - 1998/9/8

日本のプロレス記者・評論家。東京スポーツ新聞社に所属していた。北海道北見市出身。


竹内 宏介
1947/1/6

日本のプロレス評論家。元週刊ゴング編集長・日本スポーツ出版社元社長、のち編集顧問。静岡県熱海市生まれの東京都台東区出身。通称「熱血・週刊ゴング編集人」。現在の愛称は魂のプロレス請負人。現在は脳梗塞で倒れ病床にある。

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