本文へスキップ
 
yahooオークション ヤフオククリックで簡単検索、
ヤフオク”プロレス”
 
 
重要なお知らせ
2010/8月以降おまとめは休止しています。
但し、Youtube/ニコニコ動画/Dailymortionなど
日々追加しています。
5,000本以上ありますので検索キーワードを
↓に入れてお探しください。


Google

WWW を検索      
"極め”内検索


また、リンク切れ、レンタル、お探し中などの問い合わせは↓から
◆問い合わせ

 

プロレスレンタル、借りるならTSUTAYA




新日本プロレス

プロレス関連商品
AMAZON



新日本プロレス
日本のプロレス興行団体。略して新日本、新日(しんにち)とも呼ばれる。「KING of SPORTS」を標榜している。

1972年1月、日本プロレス選手会を除名されたアントニオ猪木が設立。同年9月に設立されたジャイアント馬場率いる全日本プロレスと、男子プロレス界の二大老舗団体として君臨。「ストロングスタイル」と呼ばれるファイトスタイルを掲げている。また、1970年代よりリングドクター(かつては富家孝、現在は林督元)制を取り入れており、健康管理の面においては他団体と格段の差別化となっている。

2005年11月より大証ヘラクレス上場企業であるユークスの子会社(被保有株式51.5%)となり、ユークスから2名の役員を受け入れている。


1970年代

1972年
  • 1/13、新日本プロレスリング株式会社設立。参加レスラーはアントニオ猪木、山本小鉄、藤波辰巳、木戸修 らの他、豊登が「テレビが付くまで」との条件付きで助っ人参戦。
  • 3/6、大田区体育館で旗揚げ戦を行う。メインイベントはアントニオ猪木vsカール・ゴッチの時間無制限1本勝負であった。
1973年
  • 4月、日本プロレスとの対等合併計画が発表されるも、大木金太郎ら日本プロレス側の反対により頓挫。日プロからは、合併推進派であったエースの坂口征二ら3名が新日本に移籍。NET(現:テレビ朝日)がこれに追随し『ワールドプロレスリング』の放送枠で新日本プロレスの中継を開始。
  • 11月、タイガー・ジェット・シン、新宿伊勢丹前でアントニオ猪木を襲撃する事件が発生。
1974年
  • 3月19日、アントニオ猪木、元国際プロレスのエース・ストロング小林とメインイベントのNWFヘビー級選手権試合で対戦、猪木が勝利。
1975年
  • NWAに加盟。しかし全日本プロレスの圧力で、団体(テリトリー)としてではなく坂口征二・新間寿の個人加盟とされたのに加え「NWAのヘビー級王者は新日本プロレスに参加しない」という屈辱的な条件下での加盟であった。ほぼ同時期にWWWF(のちにWWFと改称、現:WWE)とも提携を開始。
  • 12/11、蔵前国技館にて、アントニオ猪木がビル・ロビンソンとのNWFヘビー級選手権試合で対戦し、勝利。同日には日本武道館で、力道山家(百田家)主催による『力道山13回忌追善試合』が行われていたが、新日本側は参戦を固辞して興行を開催した。
1976年
  • 2/6、アントニオ猪木とミュンヘンオリンピック柔道金メダリスト、ウィレム・ルスカによる団体初の異種格闘技戦が日本武道館で行われる。
  • 6/26、アントニオ猪木対モハメド・アリによる格闘技世界一決定戦が行われる。試合は後に猪木アリ状態と呼ばれる膠着戦となり引き分けに終わり、当時のファン・関係者からは「世紀の凡戦」と評されるが、後世の総合格闘技に多大な影響を与える。
1978年
  • 1/23、アメリカ・ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて、藤波辰巳がWWWFジュニアヘビー級選手権試合で、カルロス・ホセ・エストラーダを破り王座を奪取。
1979年
  • 藤波辰巳、木村健悟ら新世代がスターとなり日本にジュニアヘビー人気を定着させる。
  • 8/26、新日本、全日本、国際プロレスによる合同興行『プロレス夢のオールスター戦』が行われる。



1980年代


1980年
  • 2/27、アントニオ猪木対空手家、ウィリー・ウィリアムスによる異種格闘技戦が行われる
1981年
  • 4/23、初代タイガーマスク、蔵前国技館におけるダイナマイト・キッド戦でデビュー。
  • 4月、『IWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)』構想を発表。NWFヘビー級、NWA北米タッグなど新日本が管理する王座をすべて返上する。
1982年
  • 長州力ら『維新軍』を結成。
1983年
  • 5月、第1回IWGPリーグ戦を開催。ハルク・ホーガンが決勝で猪木をアックスボンバーで失神KOし優勝。
  • 8/11、初代タイガーマスクが引退(のちに第一次UWFで復帰)を表明。
  • 8/25、猪木、坂口がそれぞれ社長、副社長より退任、取締役営業本部長の新間寿は謹慎処分(のち退団)。山本小鉄ら3名による集団取締役体制が発足。
  • 11/1、猪木、坂口がそれぞれ社長、副社長へ復帰。山本らの集団取締役体制は短命に終わる。
1984年
  • 前年に退団した新間寿が、前田日明、高田伸彦、藤原喜明らとともに第一次UWFを設立。
  • 6/14、蔵前国技館で行われた第2回IWGPリーグ戦決勝戦で猪木がホーガンに雪辱を果たし優勝。しかし長州力の乱入を経てリングアウト勝ちという不透明な決着に不満を爆発させた観客が放火・破損事件を起こすなど暴動に発展。
  • 長州力ら維新軍全員と永源遙ら計11名が団体を離脱し、新日本プロレス興行(のちにジャパンプロレスを設立)へ移籍。
1985年
  • 第 1回ヤングライオン杯を開催。優勝は小杉俊二。
  • スーパー・ストロング・マシンら『カルガリーハリケーンズ』3人が、団体を離脱しジャパン・プロレスへ参戦。
  • 11月、第一次UWF崩壊に伴い、前田日明、高田延彦、藤原喜明らが業務提携という形で復帰。新日本対UWFの抗争が始まる。
  • 10月31日、WWF(現:WWE)との業務提携終了。WWF関連の王座がすべて返上される。
  • IWGPタッグ王座設立。初代王者は藤波辰巳&木村健吾組。
1986年
  • 新日本プロレス学校開校。
  • IWGPジュニアヘビー級王座設立。初代王者は越中詩郎。
1987年
  • 3/26、大阪城ホールでのメイン、アントニオ猪木対マサ斎藤戦で『海賊男』が乱入した試合内容に対してファンが暴動を起こす。
  • IWGPヘビー級王座設立。初代王者はアントニオ猪木。
  • 長州力ら元ジャパンプロレス勢が新日本に復帰。
  • 10/4、アントニオ猪木とマサ斎藤が巌流島で2時間にも及ぶ決闘を行う。
  • 11/19、前田日明、後楽園ホールで行われた6人タッグ戦で長州力の顔面を蹴り欠場に追い込む(前田顔面蹴撃事件)。これを受けて新日本は前田を無期限出場停止処分とする。
  • 12/27、両国国技館興行でたけしプロレス軍団が登場。当初開催予定だったメインイベントのアントニオ猪木対長州力戦を中止し猪木対ビッグバン・ベイダー戦に急遽変更。カード変更に加えて猪木がベイダーに3分弱で敗れるという試合結果(当初…藤波・木村vsマサ斎藤・ベイダー、猪木vs長州。1回目のカード変更…藤波・木村vsマサ斎藤・長州、猪木vsベイダー。これで藤波・木村vsマサ斎藤・長州が行われる。2回目のカード変更…残り猪木vsベイダーの前に、猪木vs長州。従って、猪木と長州は1日に2試合を戦った)に観客席からリングにゴミが投げ込まれ、椅子が破壊されるなどプロレス史上最悪の暴動に発展。新日本は両国国技館の使用を禁止される(翌々年に解除)。
1988年
  • 2/1、前田日明、解雇される。その後前田は第2次UWFを設立。高田伸彦、藤原喜明、船木優治、鈴木実らが新日本を退団しこれに合流。
  • 武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也が『闘魂三銃士』結成。
  • 第 1回『トップ・オブ・ザ・スーパージュニア』開催。優勝は越中詩郎。
1989年
  • 4/24、第1回東京ドーム興行『'89 格闘衛星☆闘強導夢』開催。ショータ・チョチョシビリらソビエト連邦のアマレス『レッドブル軍団』が参戦、アニメとのタイアップレスラー、獣神ライガーがデビュー。
  • アントニオ猪木、参議院議員選挙にスポーツ平和党から出馬し当選。これに伴い坂口征二に社長職を譲る。

 

1990年代

1990年
  • 3/15、坂口征二が引退。
  • 4/13、新日本、全日本、WWFによる合同興行「日米レスリングサミット」を開催。全日本とWWFが対抗戦を行う中、新日本は所属・レギュラー参戦選手同士によるカード提供に留める。
  • WCWと提携開始。
1991年
  • 第1回G1 CLIMAX開催。優勝は蝶野正洋。
1992年
  • この年から、1/4に東京ドーム興行が行われ、外野から長い花道が設けられて選手が入場するようになる。
  • 越中詩郎、選手会に無断で誠心会館の自主興行に参戦し選手会と対立、木村健悟らと反選手会同盟(後の平成維震軍)を結成。
  • WARとの対抗戦が始まり、天龍源一郎らが定期的に参戦する。
1993年
  • 5/3、初の福岡ドーム興行開催。
1994年
  • 第 1回ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア開催。優勝は獣神サンダー・ライガー。
  • SUPER J-CUP1st STAGE開催。優勝はワイルド・ペガサス。
1995年
  • 4/28、北朝鮮・平壌で「平和の祭典」興行を開催。メインイベントにはアントニオ猪木対リック・フレアー戦が組まれ、10万人以上を動員する。
  • 10/9、東京ドーム興行でUWFインターナショナルと全面対抗戦を行う。
1996年
  • 1/4、東京ドーム興行で高田延彦がIWGPヘビー級王者になり、初めて他団体に流失。この年だけ、バックネットから花道が設けられる。
  • 蝶野正洋、WCW参戦中にハルク・ホーガン率いるnWoに加入。帰国後、その日本支部としてnWoジャパンを結成。
1997年
  • 4/12、東京ドーム興行でバルセロナオリンピック柔道銀メダリストの小川直也がデビュー。デビュー戦で橋本真也に勝利。
1998年
  • 1/4、東京ドーム興行で長州力が引退。
  • 4/4、東京ドーム興行でアントニオ猪木が引退。ドーム興行としては最高の70000人を記録。
  • IWGPジュニアタッグ王座設立。初代王者は大谷晋二郎&高岩竜一組。
1999年
  • 1/4、東京ドーム興行でUFO対新日の対抗戦が行われ、小川-橋本戦が無効試合となった。また、試合後に大乱闘となった。
  • 平成維震軍が解散。
  • 長期欠場から復帰した蝶野正洋が欠場の間にnWoを掌握した武藤敬司と対立、TEAM 2000を結成。
  • 4/10、東京ドーム興行で蝶野正洋対大仁田厚戦が団体としては初となるノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ形式で行われる。(ただし団体側は公式試合としてこれを認めず「第0試合」としている)
  • 6/24、藤波辰爾が代表取締役社長に就任。前社長の坂口征二は代表取締役会長に就任する。


2000年代

2000年
  • WCWの経営悪化に伴い提携解消。
  • 1/4、東京ドーム興行でTEAM2000・蝶野正洋とnWoジャパン・武藤敬司が直接対決。蝶野が勝利し、nWoは消滅。
  • 4/10、東京ドーム興行で橋本真也が引退を賭けて小川直也と対決するも敗れ、公約通り引退。
  • 4/14、気仙沼市総合体育館興行における福田雅一対柴田勝頼戦の試合中に福田が意識不明となり、4/19に死去。試合中の事故による死亡は日本の男子プロレスでは史上初。
  • 7/30、横浜アリーナ興行で長州力が現役復帰。大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで対戦。
  • 8/11、両国国技館興行に当時、大量離脱で存亡の危機に晒されていた全日本プロレスの渕正信が来場。新日本対全日本の対抗戦が開戦し、長らく対立関係にあった両団体の歴史的交流が開始する。
  • 10月、スポーツ専門チャンネルスポーツ・アイ ESPN(現・J SPORTS ESPN)にて「新日本プロレス S.X.W」を開始。
  • 10/9、テレビ番組の企画でファンに押される形で現役復帰した橋本真也が藤波辰爾と復帰戦を行う。その後、「新日本プロレスリングZERO」を設立し他団体交流などを目的とした団体内の別組織として独立を宣言するが、反対した現場監督・長州力と対立。
  • 11/13、橋本真也の解雇を発表。
2001年
  • WCWから帰国した武藤敬司が団体の垣根を超えた超党派ユニット「BATT」を結成して全日本に参戦。
  • 6/8、全日本・日本武道館大会にて、武藤が新日本所属選手としては初となる三冠ヘビー級王者になる。
  • 10/8、東京ドーム興行にプロレスリング・ノアの秋山準が参戦。永田裕志と組み、武藤敬司&馳浩組に勝利。新日本とノアの交流が始まる。
2002年
  • 1/31、武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンの3選手とフロントスタッフ5人が新日本を退団し全日本に移籍。
  • 新日本プロレスLA道場開設。
  • 5/2、東京ドームにおける創立30周年記念興行にプロレスリング・ノアの三沢光晴が参戦。メインイベントで蝶野正洋と対戦。
  • 5月、長州力が退団。10月に佐々木健介が、翌年に越中詩郎、鈴木健想がこれに追随。
  • 8/11、第12回G1 CLIMAX終了後、新日本隊と魔界倶楽部・藤田和之・高山善廣ら外敵との抗争が勃発。
  • 藤田和之の提案によりNWFヘビー級王座が復活。
  • 9/6、ジョーニー・ローラー参戦。新日本初となる男女混合試合が行われる。
  • 11/28、棚橋弘至、交際中の女性タレントにナイフで背中を刺され重傷を負う。
2003年
  • 1/4、東京ドーム興行でIWGPヘビー級王座、NWFヘビー級王座の統一戦が行われ、IWGP王者の中邑真輔がNWF王者・高山善廣を下しNWF王座を封印。
  • 棚橋弘至の提案によりIWGP U-30無差別級王座設立。初代王者は棚橋弘至。
  • 4/18、後楽園大会で木村健悟が引退。
  • 5/2、東京ドーム興行で新日本独自ルールの「アルティメット・クラッシュ」形式による総合格闘技戦が開催される。
  • 6月、経営コンサルタントの草間政一が代表取締役社長に就任。前社長の藤波辰爾は代表取締役副会長に就任。
  • 7月、獣神サンダー・ライガーが、邪道、外道、竹村豪氏らとヒールチーム「C.T.U」を結成。
2005年
  • 上井文彦取締役が新日本を退団。その後、同じく退団した柴田勝頼らとビッグマウスを設立。
  • 2/20、天山広吉対小島聡による史上初のIWGPヘビー級王座、三冠ヘビー級王座ダブルタイトルマッチが行われ、三冠王者の小島が勝利。
  • 永田裕志、中西学、ケンドー・カシン、藤田和之が山本小鉄を顧問にレスリング軍団チーム・ジャパンを結成。
  • 第1回NEW JAPAN CUP開催。優勝は棚橋弘至。
  • 5月、草間政一が代表取締役社長を解任され、後任としてアントニオ猪木の娘婿であるサイモン・ケリー猪木が就任。
  • 10/8、東京ドーム興行に元WWE王者のブロック・レスナーが参戦。蝶野正洋、藤田和之との3ウェイ戦を制しIWGPヘビー級王座を獲得。
  • 同日、長州力がリキプロに在籍したまま新日本の現場監督に復帰。
  • 11/14、アントニオ猪木が保有していた新日本プロレス株式(発行済株式総数の51.5%)をユークスが買収。ユークスが新日本プロレスの親会社となる(ユークス出身者が2006年4月より役員に就任)。
2006年
  • 1/4、東京ドーム興行を開催。ビッグマウス、ZERO1-MAXなど他団体の選手も参戦。
  • 1月、西村修、田中秀和リングアナウンサーら団体史上最多の11人の選手・スタッフが契約を更改せず退団。その後も木村健悟、藤波辰爾などが退団。
  • 3月、新日本とは別ブランドとなる興行LOCK UP、WRESTLE LANDの開催を発表。
  • 7月、ブロック・レスナーが「契約上のトラブル」で来日を拒否、これを受けて新日本はレスナーの持つIWGPヘビー級王座を剥奪。しかしレスナーがベルトを返還しなかったために、以降しばらく新日本では2代目IWGPベルトを使用。
  • 10月、天山広吉がG・B・Hを結成。
2007年
  • 1/4、全日本プロレスの協力により“レッスルキングダム in 東京ドーム”を開催。
  • 2/28、第1回「NJPWグレーテストレスラーズ」受賞者を発表。3/6に表彰。
  • 3月、サイモン・ケリー猪木が代表取締役社長を辞任。副社長の菅林直樹が後任として社長に就任。
  • 8/12、蝶野正洋、長州力、獣神サンダー・ライガーらがレジェンド軍を結成。
  • 9/1、9/2、蝶野正洋プロデュースによる興行「蝶野王国」が開催される。
  • 11月、中邑真輔、後藤洋央紀、稔、プリンス・デヴィット、ミラノコレクションAT、ジャイアント・バーナード、トラヴィス・トムコがRISEを結成。
2008年
  • 1/4、“レッスルキングダムII in 東京ドーム”を開催。TNA、ドラディション、ZERO1-MAX、全日のVOODOO-MURDERS、そしてグレート・ムタが7年8か月ぶりに新日本に参戦。
  • 2/17、中邑真輔がカート・アングルを破りIWGP王座防衛とともに3代目IWGPベルトを奪取して王座を統一。その後、4代目IWGPベルトを使用。
  • 4/27、武藤敬司が8年4か月ぶりにIWGP王者になり、全日本プロレスに2度目の流出。
  • 8/17、G1 CLIMAX 2008で後藤洋央紀が初出場で初優勝。
2009年
  • 1/4、“レッスルキングダムIII in 東京ドーム”を開催。全日本プロレス、プロレスリング・ノア、TNAなどから選手が参戦。史上初のIWGP全王座移動が起こる。
  • 4月、中邑真輔、矢野通がCHAOSを結成。
  • 5/3、8年ぶりにレスリングどんたく開催。
  • 10/12、蝶野正洋25周年特別興行“ARISTRIST IN 両国国技館”を開催。闘魂三銃士と四天王の豪華共演が実現した。
  • 11月、CMLLの正式な業務提携が交わされる。
  • 12月、スーパーJカップ5th STAGEを開催。

 

2010年代

2010年
  • 1月4日、“レッスルキングダムIV in 東京ドーム”を開催。プロレスリング・ノア、CMLL、TNAからチーム3D、そしてテリー・ファンク、アブドーラ・ザ・ブッチャーが参戦。
  • 1月末、蝶野正洋が退団。
  • 2月14日、ミラノコレクションA.T.が目の負傷を理由に引退を表明しセレモニーが行なわれた。
  • 3/22、NEW JAPAN CUPにおいて後藤洋央紀が史上初の連覇を達成。
  • 5月、SUPER J TAG1stSTAGEが開催。
  • 6月、無差別級6人タッグトーナメントJ SPORTS CROWNがディファ有明で3日に渡って行われた。
  • 8月、G1 CLIMAX XX において外敵、小島聡が初優勝を成し遂げた。
  • 11月、天山広吉が1年3か月ぶりにリングに復活。
2011年
  • 1月4日、東京ドームで前年から保持されていたIWGPヘビーを棚橋弘至が奪還して、5度目の王者になった。

 
 ↑ トップへヤフーオークション

他団体との関係
全日本プロレス
両団体の初交流は1979年、東京スポーツ主催のプロレス夢のオールスター戦でアントニオ猪木とジャイアント馬場のBI砲が一夜限りの再結成を果たした。しかし、1980年代前半には外国人選手の引き抜き合戦を行い、スタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン、ブルーザー・ブロディらが両団体を行き来するなど反目関係にあった。坂口征二体制発足後の1990年、東京ドーム興行のメインイベンターを飾る予定であった当時のNWA世界ヘビー級王者・リック・フレアーが来日をキャンセル、興行の目玉を失った坂口は自らの足で全日本に赴き、選手を貸し出してくれるよう馬場に直談判。馬場も「坂口なら信頼できる」と快諾し、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、谷津嘉章、2代目タイガーマスク、ハンセンの5選手がドーム興行に参戦した。その後、馬場の死去と2000年に三沢光晴らが大量離脱したことによって両団体の対抗戦が開戦し川田利明、渕正信、太陽ケアらが参戦した。2001年に武藤敬司が天龍を破り、新日本の選手として初めて三冠ヘビー級王座を獲得。しかし当時の新日本の格闘技路線に嫌悪感を抱いた武藤は小島聡、ケンドー・カシン、5人のフロントスタッフと共に2002年に全日本に移籍。これにより両団体の交流は一時期凍結されたが、2003年より小島が新日本に参戦、2005年に小島がIWGPヘビー級王座を奪取した。2007年には新日本の親会社であるユークスが発売するゲームソフト、レッスルキングダムの名を冠した東京ドーム興行レッスルキングダムが行われ、全日本が全面協力した。2008年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会「レッスルキングダム2」にはグレート・ムタが参戦、4/27は武藤が8年4か月ぶりにIWGP王者になり、全日本プロレスに2度目の流出。また、小島聡が天山広吉との「天コジ」タッグで、2001年以来7年ぶりにG1タッグリーグ戦優勝を果たし、その後、2006年に続いて2年ぶりに世界最強タッグ決定リーグ戦優勝。両団体のタッグリーグ戦を同年でダブル優勝を果たしたのは、初めてである。

プロレスリング・ノア
2001年のZERO-ONE旗揚げ戦で永田裕志が橋本真也と組み、三沢&秋山準組と対戦したことが両団体の初交流である。これを契機に秋山と永田の間に友情が生まれ、同年10/8の東京ドーム興行における「プロレス50周年スペシャルマッチ」で初タッグを結成し、武藤&馳浩組と対戦。2002年には獣神サンダー・ライガーが田中稔と共にノアマットに赴き、丸藤正道の「ノアのジュニアは最強です」という発言を契機にジュニアヘビー級の対抗戦が開戦する。同年5月の東京ドーム興行には蝶野対三沢戦が行われる。この試合以降、蝶野と三沢の関係が良好であったことからタイトルマッチも含めた本格的な交流が2004/7/10のノア東京ドーム大会まで続く。その後交流は途切れるが、2005年5月の新日本東京ドーム大会に三沢光晴が参戦し約10か月ぶりの交流が実現。そのバーターとして棚橋弘至が同年7月のノア東京ドーム大会に参加した。しかし2006年にノアはサイモン・ケリー猪木社長がテレビ朝日と日本テレビとの間で取り決められていたバーター契約を一方的に白紙化した(後にノア仲田龍がこの契約の存在を否定)とし、絶縁を宣言する。この煽りを受けて新日本の親会社であるユークスはノアに関する版権を借りられなくなり、「レッスルキングダム」に登場していたノアの選手は次回作の「レッスルキングダムII」は登場していない。その後、2008/8/26に行われた、レッドシューズ海野レフェリー20周年記念興行(新日本プロレス主催)において、仲田、三沢両名がお祝いVTRで登場し、興行後の海野の会見で(ノア側のスケジュールの都合で断念したが)ノア勢の参戦も予定されていた(常連の青柳政司は出場している)ことが明かされた。2008/9/6本武道館大会の会場を裕次郎と内藤哲也のNO LIMITが視察。GHCジュニアタッグへの挑戦を表明し、2008/9/14のノアのディファ有明大会のダーク・マッチに出場し勝利を収め、9/27にタイトルに挑戦し敗北。2009年1月4日東京ドーム大会の呼びかけに対し三沢、杉浦、秋山、佐野の4選手が参戦した。2011年からは新弟子の育成について実質的な提携を結ぶ方針も明らかにされている(詳しくは三沢威の項を参照)。

ZERO1(旧・プロレスリングZERO-ONE、ZERO1-MAX)
旧・ZERO-ONE時代は橋本真也が独立を画策するも現場監督である長州と対立し頓挫・解雇を経て設立、という経緯もあって対立関係にあった。しかし2001年の旗揚げ戦では永田裕志が橋本のパートナーとして派遣され、これを機にノアとのパイプが生まれるなど4大団体交流時代の橋渡しとしての役割を果たした。断続的な交流はなかったものの同年には新日本で橋本・長州の遺恨決着戦が行われ、2002年にはアントニオ猪木の意向で橋本・小川組(OH砲)が東京ドームにおける30周年記念興行に参戦した。以降、ZERO-ONEは全日本、ノアとの交流にシフトしたために表立った交流は凍結。ZERO1 MAXと体制変更してからもしばらくは交流はなかったが、2005年に長州が現場監督として復帰し、翌2006年の東京ドーム大会から本格的に交流を開始、中西学・大森隆男、山本尚史・崔領二、金本浩二・田中将斗といった抗争が生まれている。またLOCK UP、PREMIUMといった新日本の別ブランド興行にも多くの選手が参戦している。2010年では、田中将人と真壁刀義の抗争が続いる。

みちのくプロレス
現存する団体では最も古くから交流が続いている団体で、旗揚げ直後からライガーとザ・グレート・サスケが良好な関係を築いている。テリー・ボーイ(現・MEN'Sテイオー)が学生プロレス出身であったために、学生プロレスを嫌う風潮にあった新日本の選手から疎外され袋叩きにされる事態があったが、後にプロレスに対する姿勢を目の当たりにし大谷晋二郎が報道陣の前で土下座して詫び、わだかまりは解けている。1990年代にはサスケが初代ジュニア8冠王者に戴冠、スペル・デルフィンが第1回ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで準優勝するなどジュニア黄金期の一翼を担った他、ヘビー級でもグレート・ムタ対白使戦といった試合が実現している。2002年に4代目タイガーマスクがみちのく所属ながら1年間新日本のシリーズに帯同し、2003年に円満移籍。その後も互いのビッグマッチには選手の派遣を度々行っている。

DRAGON GATE(旧・闘龍門JAPAN)
闘龍門JAPAN時代にみちのくプロレス主催のSUPER J-CUP決勝でCIMAがライガーを相手に健闘し、その将来性を高く買われる。CRAZY-MAXが新日本に一度参戦するが、その後は団体の方針から長らく交流は行われていなかった。2006年にDRAGON GATEが開国宣言を行い、ライガーが参戦。2007年の後楽園ホール大会では望月成晃&ドン・フジイが邪道&外道とIJタッグ王座を賭けて対戦。同年にはライガーがフジイからオープン・ザ・ドリームゲート王座を奪取した。2008年には金本浩二がDRAGON GATEに参戦、2009年には金本が土井成樹の持つドリームゲート王座に挑戦し敗れている。

DDTプロレスリング
2009/5/4後楽園ホール興行にて、出場予定だったミスティコの代役として飯伏幸太がDDTプロレスリング所属選手として初参戦した。同年開催されたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアは飯伏幸太(ベスト4)が、スーパーJカップには飯伏幸太(1回戦敗退)、男色ディーノ(2回戦敗退)が出場している。
2010年には1/31ディファ有明興行にて飯伏幸太とケニー・オメガのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」が初参戦。
同年開催のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアには飯伏幸太(準優勝)、ケニー・オメガ(Bブロック3位)が出場した。
同年10/11の両国大会にてゴールデン☆ラヴァーズがユニット初参戦当初からアピールしていたIWGPジュニアタッグに挑戦し、当時王者のApollo 55から王座を奪取した。
なお、その後飯伏は防衛戦を川や雪でやりたいと希望したが新日本としてはマットで結果を出したいと却下されている。

SMASH
ハッスル分裂前の2009年にTAJIRIがG1クライマックスにエントリーし、G1後に行われた越中詩郎デビュー30周年興行にライガーと永田裕志がメインイベントの6人タッグマッチに参戦した。その後SMASHが旗揚げし、2010年5月に行われたSMASH3にプリンス・デヴィットが参戦し、KUSHIDAから勝利を収めた。2010年6月に行われたJ SPORTS CROWNにはTAJIRIとKUSHIDAが棚橋とユニットを結成し、準優勝という成績を収めた。

女子プロレス団体
1980年代から1990年代に活動していたジャパン女子プロレスは山本小鉄をコーチとして招いていた関係上、新日のマットに試合を提供したことがあった。
一方、全日本女子プロレスも魔界倶楽部が全女に勢力を拡大していた時期に全女マットで新日の選手を交えたミックスファイトを敢行したり、新日30周年記念東京ドーム大会に試合提供をしたことがあった。

NJPWグレーテストレスラーズ

新日本プロレス35周年を記念して2007年に創設された功労者(非現役選手のみ)を表彰する制度。

2007年
  • アントニオ猪木
  • 坂口征二
  • 星野勘太郎
  • 山本小鉄
2009年
  • 魁勝司(北沢幹之)
  • ブラック・キャット
  • 小林邦昭
  • 前田日明
2010年
  • アニマル浜口
  • 橋本真也
2011年
  • ドン荒川

マスコットキャラクター

  • ジッピー
団体ロゴである、ライオンマークがモチーフのキャラクター。

テーマ曲

試合開始直前と試合終了後に会場に流される。後述のテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」のオープニング曲でもある。

  • 「The Score」 演奏:エマーソン・レイク・アンド・パウエル

 ↑ トップへヤフーオークション
 Copyright(c) Mitsuishiya, Inc. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system